王妃が牢へと捕えられて、落ち込みの激しいデールを励ますために、私たちは城下だけでなく、近隣の散歩へ出掛けるようになった。まあ彼にはまかり間違っても言えないが、王妃という黒幕が捕まったので、安心して外へ出掛けられるようになったこともある。もちろんパパスさんにはついてきてもらっているし、この辺りの魔物なら、私はもちろん、リュカもゲレゲレも、本気を出さなくったって勝てる程度には強くなっていたから、王子二人の安全はある程度確保できるし、室内でふさぎ込むよりよっぽどいいだろう。
「帰りたくない」
その日は午前中から出掛けることになって、関所の橋の上でお弁当を食べて帰ってくるルートだった。デールが海を見てみたいと言ったので、南へ遠回りをしてから城に戻る予定だったのだが、相も変わらず暗い顔でデールがそんなことを呟いた。
「ボクに帰る資格なんてないんです……! だって、だって、お母さまはボクのために悪いことをして、捕まったんだ! なのにボクだけが、なんにもなくて、楽しく遊んでるなんて、そんなの……許されるはずがない! もともと王さまになんかなりたくなかったし、ボク、ラインハットの王子なんかに生まれなきゃよかった! そうだったら、お母さまもボクを王さまになんてしようとしなかったはずだし、こんなことにはならなかったんだ!!」
目に涙を浮かべながら叫んだデールを見て、ヘンリーが顔を青ざめさせて、息を呑んだ。パパスさんはつかつかと静かに少年に歩み寄り、ぱちん、とその左頬を打つ。もちろん本気ではないが、デールの白い肌はみるみる赤くなった。
「そのようなこと、間違ってもお父上の前では言われませぬよう」
誰にもそんなことをされたことがないデールは、呆然と自分の頬を両手で押さえ、パパスさんを見上げている。
「あなたがお生まれになったとき、どれほどの者が喜んだことでしょう。もちろん、あなたが王子だからということもあるかもしれない。しかし、何の掛値もなく『デール』という子どものかけがえのない命を見守っている者もいるのです。愛する我が子がそのようなことを言えば、親は悲しく思います」
パパスさんはしゃがみこみ、デールと目線を合わせた。それからふっと微笑む。
「人は間違い、過ちを犯すものだ。だが、だからこそ、人は正しくあろうともがくものでもある。全ての過ちを拒み、否定し、目を逸らしたままでは、生きてはゆけない。時にはそれを受け入れることもまた必要なのだ。デール、お母上のしたことは確かに悪いことだが、そうではない側面も見てやってほしい」
パパスさんの大きな手が、デールの頭を優しくなでる。もともとデールの目に溜まっていた涙は、堤防が決壊したようにぼろぼろと大粒のしずくとなって落ちていく。
「君はたしかに、自分で『お母上が自分のためにしたことだ』と言ったな。人の感情とはかくも難しい。誰かのためと思ってしたことが誰かを傷つけ、何の意図もしなかったことが、誰かを救うこともある」
「う、うぇえ……」
「幼い君には、確かにつらいことだろう。だが、君はたしかに、お父上にとって大切な息子のひとりなのだ。どうか、同じようにつらい思いをしているはずのお父上の側にいてやってくれ」
大きな声で、彼らしくなく泣きじゃくるデールは、パパスさんの胸に縋って、わんわんと泣いた。ちなみに、魔物避けの結界が張られた建物の中ではないので、その様子を見ているヘンリーはともかく、私とリュカとゲレゲレは、邪魔しないように静かに静かに魔物を討伐していた。
「ところで、デールにはやりたいことがあるか?」
デールが泣き止んで落ち着き、ラインハットへと戻りながらパパスさんが穏やかな口調でそう問うた。一応王子と護衛という建前があるので今までは剣の稽古のとき以外は敬語を使っていたパパスさんだが、「そうすることが必要だ」と思ったのか、デールに対して砕けた口調を続けている。
「え?」
「ほら、王になりたくないと言っていただろう。それなら、他にやりたいことがあるのかと思ってな」
「えっと……そういうわけではないんですけど、ボク……ずっと、兄さまの子分でいたいなぁ」
「だ、そうだぞ。ヘンリーはどうなんだ?」
話題を振られたヘンリーが口を開いては閉じ、開いては閉じを何度か繰り返した後、口を尖らせて、恥ずかしそうに呟いた。
「デールが嫌っていうなら、オレがなってやってもいいぜ、王さま。オレの代でラインハットの血筋を途絶えさせるわけにもいかねーし、父上がせっかく守ってる国をやりたいやつにハイどうぞって渡すのも癪だしな」
それを聞いたらあのうじうじラインハット王は泣いて喜ぶことだろう。パパスさんがあまりに優しい顔をしていたことに気が付いたのか、ヘンリーが顔を真っ赤にして、唾を飛ばしながら叫ぶ。
「それを言うなら! リュカやアルマはどうなんだよ!」
話を振られた私たちは顔を見合わせた。
「僕はお父さんみたいに強くて立派な人になりたい!」
「私はお父さんの船でお手伝いをしたい!」
にこっと笑う私たちに続いて、なぜかゲレゲレが誇らしげに「なうん!」と猫っぽい鳴き声を上げていた。一人だけ無駄に照れていたヘンリーは大きなため息を吐き、生意気な感じで肩をすくめ、首を振った。
「お前らなー、今は子どもだからいいけど、そんなんで大人になったときにどうやって金を稼ぐんだよ。仕方ないから親分のオレがお前らを雇ってやる。リュカはオレの護衛な。まあ、いつかはオレの方が強くなるけど。で、アルマは……うーん……小間使いでもいいけど、船に乗りたいなら、お前の乗ってる船員まるごとラインハットで召し抱えてやってもいいぞ」
少年らしい可愛い提案に、私はゆるゆると首を振った。
「ごめんね、ヘンリー。ラインハットまでお父さんの船で来ればいいんだけど、とても遠いから、きっと来れないと思う。でも、もしもマール・デ・ドラゴーンがラインハットに来るようなことがあれば、王様になったヘンリーのお手伝いをしたいって、みんなに頼んでみるね!」
ビアンカとの別れのときに感じた寂しさのようなものを押し込めて、笑顔を浮かべる。ヘンリーは「遠くても、来いよ。親分の命令だぞ」と口を尖らせていたが、私は曖昧に笑うことしかできなかった。
*
目下の脅威が去ったことと、王子たちのメンタルが大分安定したこともあって、私たちがラインハットに滞在するのも残り一週間となった。サンタローズからランハットは遠くない距離だ。以前言っていたように、パパスさんは旅をひと段落させ、サンタローズで調べものついでにコスタールやグランエスタードの情報を集めてくれるらしい。
暇さえあれば、たとえパパスさんが忙しくともサンチョさんを伴ってラインハットれ遊びに来たっていい、とも言ってくれた。初めはごねていたヘンリーもこの言葉を聞いて、渋々納得したようだ。「手紙は絶対に書け、長くとも二か月か三か月に一回は絶対に遊びに来い」など条件は付けていたが。月一と言わなかったのは、彼なりに相手の事情を考慮した結果なのだろう。
久しぶりに悪戯をして回ったり、建設中だという橋を見に足を延ばしたりと、私たちはいろいろなことをしていた。
そんな中、「残り一週間」ということで、特別なことがしたいと言い出したのは、ヘンリーだった。最終日には城をあげてのお別れ会をやるようなので(とはいえ、王妃が罪人として捕まっているのでかなりささやかなものになるだろうが)、そうではなく、子どもたちだけのお別れ会をしたいらしく、送り出す側と送り出される側に分かれて、最終日の前日に向けて準備をし始めた。遊ぶ時間も確保してあるが、暗黙の了解として、お昼ご飯を食べてからおやつの時間まではそれぞれお別れ会の準備の時間ということになっている。
「何かプレゼントはしたいよね。手作りできそうなものとか、あるかな?」
私とリュカは城下町で作戦会議だ。ちなみに、パパスさんは護衛の仕事があるので、送り出される側であるけれども、私たちに秘密を洩らさない約束で、王子たちの側に控えている。一応戦闘ができる私たちは、あまり遠くでなければその辺をふらふらしてもいいことになっているのだ。
「そういえば、前にお針子のおばさんと話をしたときに、王妃さまがいなくなって、仕事が減って暇だって言ってたよ。せっかくなら、何か僕らでも作れそうなものがないか聞いてみる?」
「いいかも!」
きゃあきゃあ話しながら、城下町を歩く。何かアイディアが浮かぶと良いなあ、と思ってふらついていたのだが、こうなるともう城に戻って、お針子のおばさんと話をした方が良いだろう。そう思って城に向かって歩いていると、ふと城の跳ね橋近くの茂みががさがさ動いた。小動物でもいるのかと思ってちらりと見ると、数人の少年少女たちが、何かを蹴っている。小声ではあるが、「悔しかったら何か言ってみろ!」という言葉も聞こえて、いじめだと判断した私は、無邪気を装って「何やってるの?」と声を掛けた。
子どもたちはぎくりとした顔でこちらを見た。王子であるヘンリー、デールはもちろん、彼と一緒に悪戯をして回っている悪童として、私たちもラインハットではそこそこ有名になってしまったようで、「あ、なんだ。アルマとリュカか」と大人に怒られると思っていたらしい彼らはほっとした顔をする。
「ねえ、何やってたの?」
「こいつ、汚くて臭いし、なんにも喋らないからいじめてたんだ。ほら、むかつく目でこっちを睨むくせに、何もできない弱虫なんだよ!」
げしっと少年が蹴ったのもまた、少年だった。年のころは私やリュカよりと同じくらいか、少し下程度だろうか。薄汚れていて痩せっぽちな様子からは浮浪児にも思えるが、だからと言って不当に虐げていい理由にはならない。
「やめなよ」
眉を寄せたリュカがはっきりとした口調で言う。自分のときのことを思い出したのか、普段は子どもに優しいゲレゲレも、「ぐるる」と唸りながら怒り顔だ。
「ちぇ、なんだよ、つまんねーの。お前らだって悪いことやってるくせに、こういうときばっかいい子ぶっちゃってよ」
「わたしたち、人に怪我をさせるようなことはしていないわ。ねえ、大丈夫?」
子どもたちも、王子たちと親交ある私たちには逆らえないと思っているのか、興が冷めたようにぱらぱらと散っていった。虐げられていた少年に近づいた私とリュカのことも、少年はギッと強い眼光で睨みつける。リュカがホイミを掛けても、何も言わないままだ。もしかしたら喋らなかったのではなく、心身の問題で喋れなかったのかもしれないと思い、私はできるだけ彼を安心させるように笑みを浮かべた。
「わたし、アルマっていうの。こっちはリュカ。この子はゲレゲレだよ。あなたの名前が知りたいな。文字は書ける?」
警戒したような表情はそのままに、少年はこくりと頷いた。
「じゃあ、あなたの名前を書いてみて」
そういっても、ぶすっとした顔の少年は何のアクションも起こさない。
「名乗らないなら、トンヌラって呼ぶから。名前がないのは不便だものね?」
「アルマ、トンヌラはかわいそうじゃないかな。せめてアベルとか……」
パパスさんとリュカのネーミングセンスが親子で違ったことが発覚したが、まあ呼べればどちらでもいい。私は「じゃあ、アベルくん」と名乗ろうとしない少年に呼び掛けた。
「あなた、ひどいにおいよ。体を洗って、着替えた方がいいと思う。ね、こっちに来て」
手を握ろうと思ったら、避けられた。あれだけ好き放題蹴られていたわりに、反応は良いようだ。怪我が治ったからということと、私たちが大人数でないことも関係するかもしれないが。
「体洗いたくないの? もしかして、水が怖いの?」
聞けば、さきほどよりさらにムッとした顔で首を振られる。
「じゃあ、体洗いなよ! お城の水浴び場に案内してあげる。さすがにお風呂は勝手に貸せないけど……」
そう言えば、アベル(仮)は地面に<本当に?>と書いていた。浮浪児だとしたらきれいすぎる文字に面食らったが、そもそも識字率の高くないこの国で、浮浪児が文字を書けるというのもしっくりこない。もしかしたら、王妃にそそのかされて捕えられた兵士の子どもかも、と目の前の少年について想像する。だとしたら非常に複雑な気持ちになるが、まあ、深く考えるのはやめよう。
「本当だよ。わたしたち、お城のみんなと仲良しなの。で、あなたの名前はなに?」
<アベルでいい>と書いた少年の強情さを感じながら、私とリュカは彼が不審人物に思われないように、両側から手をつないで歩いた。声を掛けてきた兵士たちには「新しいお友達なの!」と言えばそれ以上何も言われなかった。彼の出で立ちとにおいに眉をひそめる兵士もいたが「悪戯もほどほどにしろよ」と日頃の行いのおかげで悪戯仲間と勘違いされたようだった。
水浴びは一人でしたいと彼が伝えてきたので、私は部屋に子ども服を取りに行き、リュカとゲレゲレが脱衣所の前で待っているようにした。子どもを疑いたくはないけれど、招き入れた身としては、彼が万が一出来心でお城の物を盗んだり、悪気がなくとも壊してしまったりしないように見張っていた方がいいだろうと思っていたのだ。疑われている当人には「心細いだろうから」と言って誤魔化してある。さっと服を取りに戻った私は脱衣所まで行き、声を掛けて中に服とタオルを置いた。
ほどなくして出てきた少年は、黒髪に紅の目の、小綺麗な顔立ちであることが発覚した。痩せていて子どもらしいぷにぷに感には掛けるものの、幼いながらに整っていることがはっきり分かるというのはすごい。リュカも整った顔立ちではあるが、やわらかく女の子にも間違えられる可愛らしさなので、種類が違う。
清潔さとはかくも人の印象を操作するものなのか、と感心しながら、私たちは雑談しながら城の中を案内してあげた。というのも、彼が珍しそうにきょろきょろと城内を見ていたのに気が付いたからだ。もちろん入るべきではない場所もあるので、そういう場所は抜かして一通り案内し終えると、筆談しやすいように中庭へ行った。リュカはかなりアベルのことを気に入った様子で、甲斐甲斐しく世話を焼いている。
「アベルはラインハットの子なの? 今まで見掛けたことなかったけど」
兵士の息子だったらやばいなと思って私が聞けずにいたことを、リュカが純粋無垢な顔で聞いていた。首を振ったアベルは<父の仕事を手伝いに来た。ラインハットに来たのは初めてだ>と書く。
「へー! お父さんは何をしてる人なの?」
私が内心で安堵している間に、リュカが質問を続ける。<聖職者>という文字を見て、失礼なことに、彼がもし父親似だったら相当似合わないな、と思った。たしかに整った顔立ちではあるが、聖職者にしてはあまりに目つきが悪い。いや、顔立ちと職業は関係がない。無粋な想像だった。
「お母さんは?」
少しの沈黙の後、リュカの無邪気な質問に対して<いない>と答えたアベルの横顔は、まだ親がいないことを受け入れられてないのか、それとも母親の記憶がないくらい幼いころに死別したのか、悲しげというよりは無表情に見えた。
「そっか。僕もお母さんいないんだ。おんなじだね」
寂しそうに、けれど微笑んだリュカに、ふん、とアベルが鼻を鳴らす。暗い話題になる前にと、私は「アベルくんは何歳なの?」という実に他愛のない質問をぶちこんだ。アベルは文字は書かず、五指を開いてみせた。
「五歳かぁ。わたしと同じだね! リュカは六歳だから、アベルくんよりお兄さんだよ」
アベルはまた、ふん、と鼻を鳴らし<全然見えない>と書いた。こんな生意気な子が、よく少年たちの暴力を大人しく受けていたものだ。父親が普段から非暴力を口を酸っぱくして言い続けているのだろうか? にしても、正当防衛くらいはいいと思うけどな。まあ、家庭の考え方はそれぞれだ。彼が何でも暴力で問題解決をするような子であるよりは、よっぽどいい。
「僕たち、アベルくんのこと勝手に連れてきちゃったけど、お父さんは心配してない?」
五歳とは思えないような、何かを諦めたような顔でふっと笑った少年は、ふるふると首を振った。
<父はラインハットに来てない。父の部下と来たんだ。忙しくて持ち場を離れられないから、どこかへ行くときは部下に行かせるんだ。おれはわがまま言って、連れてきてもらった>
彼が書いた初めての長文を見ながら、大きな教会の神父様とか司教様とかかな、とあたりをつける。ごたごたしていたラインハットの民の心の安定のためにお城の神父様はもちろん、シスターなども城下町に行っていることがあり、忙しそうだから、その応援かもしれない。
「ねえ、また明日もこうして話をしようよ。僕、なんだかアベルとは仲良くなれそうな気がするんだ!」
にこにことアベルの手を両手で握ったリュカがそう言うと、言われた当人は目をまんまるに見開いてそれからギッと睨んだ。手を握られている彼は、地面に文字を書けない。なので彼の胸中は想像するしかないのだが、やがて諦めたようにため息を吐いていた。
「リュカ。アベルくんの返事を聞きたいなら、手を離してあげたら?」
「あっ、そうだった」
言われて気が付いたらしいリュカが手を離すと、アベルは<断る>と短く書いていた。
「えー! なんでさ! ヘンリーとデールのことも紹介してあげる。みんなで一緒に遊んだり、おやつを食べたりしようよ!」
断られるとは露ほど思っていなかったらしいリュカは、子どもっぽく抗議する。ヘンリーといるときは彼に合わせて背伸びをしているし、デールといるときはお兄さんぶっているし、パパスさんといるときは純粋天使なリュカの駄々っ子姿は珍しい。<おれは忙しいんだ。お前なんかと仲良くする気はない>と書き残して、アベルは逃げるように走り去ってしまった。急に距離を詰めすぎたんだろう。私はそのようなことを言ってリュカを慰め、おやつが用意してあるだろうヘンリーの部屋へと向かった。
「どうしてリュカはアベルくんと仲良くなりたかったの?」
「だって……アベルって、いじめられても、全然やり返さなかったじゃないか。睨んだり怒ったような顔をしたりはしてるけど、優しい子だと思う。ゲレゲレが全然警戒してなかったし、それに……なんでか、かまいたくなるんだよなぁ。どうしてだろう?」
首を傾げたリュカを見て、「ヘンリーたち兄弟を見て、自分も弟が欲しくなったのでは?」と思ったが、言わないでおいた。
その日のおやつであるマドレーヌを食べながら、リュカはヘンリーたちにアベルと自分たちが名付けた少年と出会った話をしていた。いじめられていたことや、声が出ないことなどを言えば、デールは気の毒そうな顔をしたが、パパスさんとヘンリーの二人は眉を寄せた。
「父親が聖職者で、しかも部下がいるような立場のやつなんだろ? なんだってそんな恰好を?」
「ふむ……周りに怪しい大人はいなかったのだな?」
「いなかったと思うけど……もしかして、アベルを疑ってるの?」
二人の反応にむっとした顔をしたのはリュカだ。私はアベルについて、リュカの話に時折補足や茶々を入れるくらいに留めている。
「アベルは良い子だよ。魔物だったらゲレゲレが分かるはずだもん。ね、アルマも。アベルは怪しくなんてなかったよね?」
「うん」
確かにヘンリーが指摘したようなことには引っ掛かりを覚えるが、私も本人と対峙した身としては、怪しいとは思わなかった。前世の記憶があることも含めて、普通の五歳児よりはいろいろな人たちと知り合って、関わって生きてきたが、そりが合わない人や危険な人に対して感じるような第六感めいたものは働かなかったのだ。
「目つきは悪かったけど、普通の子だったよ。にらんできたのも、いじめられてたんだから突然声をかけたわたしたちのこと、けいかいしたのは当たり前かなって思うし……」
「お城に入れて、うれしそうだったよね。表情からは分かりにくいんだけど、口を開けてきょろきょろしてたもの」
私たち二人が頷き合っていると、疑い深い二人は何やらアイコンタクトをしていた。何を通じ合ったのかは分からないが「じゃ、お前らが帰っちまう前に、オレにも紹介しろよな」とヘンリーがにやっと笑った。
「うん! 僕、明日も城下町に行って、アベルを探してみる!」
リュカは宣言通り、次の日も城下町でアベルを探しに行った。完璧にヘンリーたちへのプレゼントのことを忘れていそうだったので、私はちょっとした時間にお針子のおばさんのところに、私たちでも作れそうなものはないかと相談しに行った。構造の簡単な人形やぬいぐるみの作り方を教えてもらって、それを作ることに決める。リュカには事後報告だ。
今のところ、ゲレゲレっぽい猫のぬいぐるみを作る予定で、それらの生地やたてがみ、目の色を二人のイメージに変えようかと思っている。本人たちを模った人形は細かい作業が多くなりそうだし、アベルにお熱なリュカは多分、正午からおやつまでの時間を彼のためにつぶしてしまいそうだから、より単純化したぬいぐるみが良いだろうと思ったのだ。
「ねえねえ、アルマも行こうよ!」
「もう、リュカ。このままだとヘンリー様たちへのプレゼント、完成できないよ」
アベルとは約束をしているわけではないが、主人公の直感なのか、それとも旅をして生きてきた野生の勘なのか、リュカはすぐに彼を見つけた。アベルはちょっと気持ち悪がっていた。しかたがないと思う。
「あ……そうなんたけど……」
リュカはしゅんと悲しそうに眉を下げた。リュカはいつも楽しそうに、アベルに今までの旅や何やらの他愛のない話をアベルに聞かせている。アベルも表面的には嫌がっているものの、根がいい子なのでふんふんと頷いたりわずかに表情を変えたりして、きちんとリアクションを取りながら話を聞いてくれていた。だから余計にリュカが喜ぶ。アベルは自分の話はしたがらないが、ぽろっと魔法が得意なことを教えてくれた。
「そうだ! 僕、アベルにもプレゼントを作りたい!」
「えっ! もう明後日だよ、お別れ会」
「うん。だからね、明日の午後までに頑張って作って、そこで渡すんだ。お別れ会の日はアベルに会いに行く時間はないだろうし、最後の日はみんなでパーティでしょう? 僕、がんばる!」
隙間時間を見つけてちまちま縫っていた私とは違い、リュカの分は全然進んでいない。ちなみに、私たちは分業制にしていて、最初はリュカがヘンリーへのものを、私がデールへのものを作る予定だったが、それでは「二人から」というよりそれぞれへのプレゼントになってしまう、という気にしいのリュカ坊ちゃんの発言により、同時進行でぬいぐるみの形を作り、完成したものを交換して目や鼻、たてがみなどの飾り付けすることになったのだ。
結局見かねて、私はぬいぐるみを二匹分作成した。飾りつけはリュカに二匹分させた。本人としては満足げに「えへへ、なんだかちゃんと三人に似てる猫になったね!」と言っていた。猫っていうかベビーパンサーのデフォルメだけど、それはもはや猫だな、と思い直した私は素直に頷いた。
さて、簡単にラッピングして、城下町にせっせと出掛ける。明日もラインハットには滞在しているが、アベルに会う時間はない。出掛けて間もなく、リュカの謎の直感力でアベルはやはりすぐに見つかった。
「アベル!」
うれしそうに駆け寄るリュカを見て、アベルは紅の目をまんまるにしながら<もう飽きたのかと思った>と地面に書いた。
「そんな! 僕たち、明後日サンタローズに帰るんだ。だから、これ、あげようと思って」
ヘンリーとデールのぬいぐるみは黄色の生地にそれぞれの髪色のたてがみを付けたが、アベルの物は違う。黒の布地に、紅の目、たてがみも黒にした。
「えへへ、アベルのつもりで作ったんだよ。僕たち、きっとすぐにまたラインハットに遊びに来るから。あ、そう言えば、僕のお父さんと友達のヘンリーとデールも、君に会いたいって言ってたんだ。みんなを連れてるときはなんでかアベルには会えなかったから、今度はきっとみんなで会おうね」
そうだった。リュカの変態的なアベルセンサーをもってしても、パパスさんやヘンリーたちを伴ったときには見つけられなかったのだ。まあ、それはいつもの時間とは外れた時間帯なので、そういうもんかと深く考えなかったけど。アベルの話をするとパパスさんとヘンリーが胡散臭そうな顔というか、リュカを心配そうな顔で見るので、リュカもアベルの話を彼らの前ではしなくなってしまったし。私も一応警戒しといた方がいいかと思ってこっそりと勇者様のお守りをアベルに触れさせてみたが、何の反応もなかったから大丈夫だと思う。リュカの入れ込み方が心配だっていうのは完全に同意するけど。
「アベルも、ラインハットにはずっといるわけじゃないんだよね? いつ帰っちゃうの?」
私がそう尋ねると、アベルはじっとリュカを見つめて、それから私を見て、最後にゲレゲレを見た。「なうん」と甘えた声で鳴いたゲレゲレを優しい手つきで撫でると、彼は小さく表情を綻ばせる。それから名残惜しそうに手を離し、指で地面に<明後日の午前中だ>と変わらず美しい文字を書いた。
「ええ! 僕たちよりも早いね。僕、ラインハットに来ればまた君に会えると思ってた……」
しゅんとしたリュカに、アベルは困ったように<もしまた会うことがあれば>と言葉を続けた。<そのときはおれの本当の名前を教えるよ>、続きを読んで、きらきらと目を輝かせたリュカは、頬を紅潮させて、少年の手を握った。
「絶対だよ! 約束だよ! 僕、絶対に君を見つけるから!」
私は見目麗しい少年たちの微笑ましいやり取りを見ながら、「いつもの」と感じ始めた置いてけぼり感を味わっていた。うん、いいんだ別に。