まだ朝陽が世界をうすぼんやりと照らす時間。私はリュカに体を揺すられて起きた。瞼をこすりながら「どうしたの?」と尋ねれば、彼は口元に指を当てて「アベルに会いに行こう」と言ってきた。お別れ会の間はお城から抜け出すのはさすがに失礼だし、それが済んだら城下に寄る暇もなくサンタローズへ出発することになる。旅慣れているとはいえ、子ども二人を連れた道中だ。慣れている道、良く知った魔物しか出ないところとは言え、早めに到着してゆっくりしたいというパパスさんの気持ちも分かる。
「しかたないなぁ……」
私はヘンリーやデールを起こさないように身支度を整え、ふにゃふにゃと寝ぼけながらも私たちのやり取りで目を覚ましたゲレゲレを伴い、こっそりと城を抜け出した。
「この時間だと、お城の跳ね橋は上がったままだと思うけど……」
「前にお城を探検したときに、イカダがあったのを見つけたろ? それを使えばいいんだよ」
「一応、みんなに心配されないように手紙だけは書いておくよ」
私はさらさらっと<友達にお別れをするために、城下町に行ってきます。朝ごはんまでには戻ります>と書いて、机の上に置いていった。
さて、衛兵たちは私たちに声を掛けてきたが、こそこそ行動する様子に「最後の最後まで悪戯か」と思ったのか、「ほどほどにな」と言うくらいで、部屋に戻そうとはしなかった。
無事に城下町まで来ると、きょろきょろとリュカが周囲を見回す。
「アベル!」
私は、この少年たちの間に働く見えない力に若干慄きながらも、町の隅、木々が生えているあたりに立っていたアベルに笑顔で彼に駆け寄るリュカの後ろを追った。
<来るような気がしていた>
「僕も、会えると思ってたよ!」
地面に書かれた文字をうれしそうに見つめたリュカは、そう言葉を返す。
<逃げろ>
「え?」
アベルが、真剣なまなざしでリュカを見つめた。その透き通った赤い双眸には、困惑したリュカの顔が映っている。
<おれの本当の名は、アダム。父は光の教団の教祖だ。この国は、教団の擁する魔物に襲われる>
「よう――何? それって、どういう意味?」
擁する、という言葉自体を知らないらしいリュカが眉を寄せた。
「本当なの?」
私は、彼が書き記す文字を見て、喉がからからに乾いていくのを感じた。
そんな、だって、人攫いだって、王妃だって捕えられた。中で手引きする人間でもいなければ、町や城に張られた聖なる結界のおかげで、邪悪なる者は簡単には中に入れないはず。弱い魔物なら紛れ込むこともあるかもしれないが、明確に害意をもって入り込むことができるのは、結界の力を凌駕するようなすごい力の持ち主や、人間に化けることができたり、結界の力を魔法であやふやにしたりできるような魔物くらい。だから魔物は基本的に人里には入ってこないし、入ってきたとしても撃退できる範囲なのだと勇者様が教えてくれた。
<本当だ>
「それならあなた……」
魔物なの? と聞こうとしたときだった。
――振り向いてはいけない。
ぞくり、と肌が粟立つ。
「ほっほっほ。お喋りなのは関心しませんねぇ、アダム」
振り返るな、振り返れ、と本能が相反する警鐘を同時に鳴らす。理性が現状を把握しろと叫ぶ。背後に、何か、いる。
「おまえがセントベレス山を下りたいと言うから、『口を開かない』ことを条件に連れてきてやったというのに。おまえは懇切丁寧に言葉の意味を説明しなければ、その真意が分からないのですか?」
「……教団の目的は王族の子どもだけだ。こいつらは関係がない。だったら別に、見逃したっていいだろ」
初めて聞いたアダムの声は、幼いながらに硬質な響きをもって、鼓膜を揺らした。
「ど、どういうことなの。僕、全然分からないよ……!」
「ほっほっほ。可哀想に。何も知らなければ、こんな恐怖を味わうこともなかったでしょうに」
怯えをはらむ、リュカの戸惑った声。返された不穏なセリフに、私は恐怖を振り払って背後を振り返る。想像した通り、そこには紫色のローブを身にまとった魔物が不気味に笑っていた。
「おや、立ち向かおうというのですか? 中々に勇敢な娘です」
「リュカ、ゲレゲレと一緒にお城の人たちにこのことを伝えて!」
「あ、アルマは!?」
「いいから早く!」
早口にまくしたてた私は、リュカを城と城下町を隔てる用水路に思い切り突き飛ばした。私たちがお城から脱走する経路に使った場所だ。「ゲレゲレ!」と私が叫べば、彼は情けのない声で一鳴きしたあと、リュカと同じく用水路に飛び込んだようだった。視線は魔物から外していないので、聴覚情報に頼る形になるが、無事に城までたどり着いてくれたらいいなと願う。
「うーん、なんという素晴らしい友情でしょう」
おそらく、わざと私たちの行動を見逃していた魔物を睨みつける。にたにた笑いは腹立たしさよりも、得体の知れない恐怖を一層覚えさせる。一体どうして。王妃が捕まれば安心だと思ったのに! これまで、平和で楽しく、安心して過ごしていたのに! なんだって今日なのか……なんだって、この国なのか!
「ゲマ! さっきも言ったはずだ! こいつらは王族なんかじゃない! 教団にとって必要なのは『王族の子ども』だろう!?」
「しかし子どもは使い道がある。奴隷にでもしようかと思っていましたが……何やらこの娘、いやな気配がしますねぇ。ここで始末しておこうか、もっと恐怖と絶望を味わわせてみるか……悩むところです」
短く息を吐く。アベル――アダムは先ほど、「魔物に襲われる」と書いていた。それはつまり、子どもを攫うだけではないということ。ヘンリーとデールを攫うために、邪魔する者たちを殺して回るということだろうか。
「勇敢な娘よ。良いことを教えましょう。魔物はまだ来ません。なに、少し野暮用があるもので、それを済ませてから呼び寄せようとしていたのですよ」
「ゲマ! いい加減に――!!」
「アダム。ぴーちくぱーちくとさえずられては耳障りです。お喋りなおまえには『こう』してやりましょう」
「――――!!」
ゲマが指を鳴らして、私を挟んで対峙しているアダムに何かをした。しかし、私はその様子を確認するために振り返ることすらできない。この魔物から目を離した隙に何が起こるか分かったものではないからだ。
「そう。魔物はまだ来ません。だが、すぐに来る。なぜなら、『おまえが招き入れたから』。愚かなおまえはアダムに手を差し伸べた。城の結界を見つけるために忍び込むはずだったアダムに、城を案内した。魔法の力を感じ取るのに長けているアダムは見事我らを阻む結界の核となる位置を発見し、私に報告した。ゆえに、このラインハットにはいつでも魔物が攻め入る準備が整っているのです」
「な……」
思考が上手く働かない。アベルは良い子だった。優しい子だった。リュカのこと、鬱陶しそうな顔をするくせに、ちゃんと話は聞いてあげて。ゲレゲレには優しい目を向けて。勇者様のお守りだって、反応しなかった。
――世界が違うから、勇者様の力が届かないだけなの?
それでも。そうだとしても。リュカが懐くアベルのことを、私は信じたかった。ぽろり、と泣くつもりなんてないのに、目から勝手にしずくが溢れ出る。
「我々にとっては僥倖でした。しかし――そうですね。あの少年が『魔物を送り込んだのは光の教団だ』と伝えてしまうのは少々困ります」
「私の、私のせいだとしても……私のせいだとしたら!」
叫ぶ。リュカは死なせない。あの子はこの世に光をもたらす存在だ。死なせるわけにはいかない。私の知っている物語と変わってしまった今、魔物にとって不都合な真実を彼が大人に伝えかねない今、奴隷になるという保証はどこにあるだろう? 命だけでも助かるなんて、どうしてそんなことが言えるだろう?
「稲妻っ! 稲妻ぁっ! 稲妻ぁああっ!!」
呼び掛けに答えた雷鳴が、魔物を貫く。しかし、にたにた笑いは変わらない。
「ふむ、興味深いですね。『雷鳴を呼ぶことができるのは勇者のみ』……おまえが勇者とは思えません。なぜそんな芸当が?」
「稲妻! 稲妻! 稲妻!」
誰か、誰か気付いてくれ。パパスさん。王様。兵士さんたち。誰でもいい。誰でもいいから、異変に気が付いて。脅威が迫っているのだと知って。そして、一人でも多く逃げてほしい。私のせいだとしたら、私は逃げない。逃げてはいけない。そんなことでは、私の大切な多くの人に顔向けができない。
――勇者様。
「ふむ。回数を重ねると少しばかり厄介ですね」
――勇者様。
「その力は興味深い。気が変わりました」
――勇者様。お願いです。
「アダム、その娘を見張っていなさい。余計なことをするようであれば……おまえがイブールの息子であろうと、関係はない。娘もろとも、首に死神の鎌を掛けることとします」
――世界を隔ててるとしても。あなたのその力で、どうか、どうか。
「ひぅ」
眼前で、魔物の姿がぶれた。何をされたのか分からないまま、私の視界は暗転する。
「私は野暮用を済ませてきます。アダム、頼みましたよ」
――どうか、いつもそうしてくれたみたいに。私に力を貸してください。
***
用水路でもがいていたリュカは、すぐに城の兵士に見つけられ、ゲレゲレと一緒に保護された。少年は目に涙をたたえながら、「アルマが危ないんだ!」と叫ぶ。その形相にただならぬものを感じた兵士は、すぐさま近くにいた者に、パパスを呼びに行かせた。すぐに現れたパパスに、リュカが途切れ途切れに、アベルに会ったこと、アベルは光の教団の教祖の息子で、本当はアダムということ、教団が魔物を連れてきて、この国を襲うと教えてくれたこと、逃げろと言ってくれたこと、ヘンリーとデールが狙われているらしいこと、恐ろしい魔物が現れて、アルマが自分を用水路に突き落として逃がしてくれたことを語った。
「その話が本当ならば……すぐさま王子たちを避難させねば。なに、魔物が襲い掛かろうとも、兵士たちは優秀だ。そう簡単に負けたりせんさ。リュカ、お前はヘンリーとデールを連れて、サンタローズへ向かってくれ。ゲレゲレも、頼んだぞ」
パパスは道具袋から、キメラの翼を取り出し「あいにく、一つしか手持ちにない」と苦く笑った。
「そんな! 僕、アルマを助けたいよ! それに、お父さんはどうするのさ!?」
「私はアルマを助けに向かう。お前にはヘンリーとデールの護衛を頼みたい。キメラの翼が使われたのを見て、魔物が気付かないとも限らないからな。それから、サンタローズについたら、サンチョに事情を説明してくれ。私からサンチョへの伝言は『必ず子どもたちを守れ』だ。今はお前だけが頼りなのだ」
真剣な目で父に見つめられ、リュカは不安と恐怖がないまぜになった瞳で父を見つめ返す。
「お前なら大丈夫だと信じている。アルマは私が必ず守る。どうかこの父を信じて、この大役を任されてくれないか」
「お父さんは、ずるいよ……お父さんにそんな風に言われたら、僕、断れるわけがないんだ……!」
ぎゅっと渡されたキメラの翼を握りしめながら、リュカは「約束して」と、恐怖を押し込め、覚悟を決めた顔で言った。
「お父さんも、アルマも、絶対に無事で、また一緒にみんなで旅をしようね。絶対だよ」
「ああ、絶対だ。約束しよう。では、私は行くとする。いつ魔物が来るかも分からん。リュカ、頼んだぞ」
こうして、親子二人はそれぞれの道を駆け出した。リュカはヘンリーの部屋へ。パパスは兵士に王への伝言を頼み、城の跳ね橋は絶対にあげてはならないことを伝えて、自身は用水路に飛び込む。イカダはリュカとアルマがアベルに会いに行くために使ってしまったので。
息を切らして部屋に飛び込んできたリュカに、城内が騒がしいことに気が付いていた王子たち二人は「何があった」と口々に言った。
「魔物が来る! 僕と一緒に逃げて、二人とも!」
「な!? そ、それが本当だとして、アルマはどうしたんだ!?」
「お父さまは知っているんですか!? 逃げるなら、パパス先生たちも、みんなで……」
「アルマは、僕を魔物から逃がしてくれた。お父さんはアルマを助けに行くって。王さまは……そうだ、みんなで逃げよう! 謁見の間に行かなくちゃ!」
しかし、慌てた子どもたちが謁見の間に駆け込むと、ラインハット王はすでに武装していて、「わしはここに残る」と説得を試みる少年たちにはっきりと告げた。
「国の主が、国民を見捨てて逃げるわけにもいかぬ。そなたらが生き残れば、この『戦』は勝ちなのじゃ。どのみち、わしは長くは生きられぬ。ヘンリー、デール。逃げるのだ。そして、必ず生きろ」
「父上! そんな……っ! オレたちにお灸を据えるって言ってたじゃないですか!」
「では、灸を据えるとしよう。出て行け、この悪餓鬼ども。このラインハット王を小麦粉まみれにしたのだ。この城から、早く出ていくのだ!!」
「嫌だ! 嫌だよッ! 父さん!! オレ、オレっ……!」
泣き叫ぶヘンリーの袖を引いたのは、デールだった。
「行きましょう、お兄さま。お父さま、その『罰』、謹んでお受けします。だけど……その、御武運を。反省したら、すぐに戻ってきますから」
目に涙をいっぱいためたデールは、そう言って力で負けているはずの兄の腕を引っ張る。
「ああ。行ってしまえ。――ところで、これはわしの独り言じゃが……息子たちよ、愛している。これからも、永遠に」
ぐすん、とすすり泣きが謁見の間にこだまする。屋外に出た子どもたちは、みな一様に涙や鼻水で顔を濡らしながら、互いの顔を見て頷いた。
「サンタローズへ、行こう」
キメラの翼を放り投げたリュカは、友人たちと共にラインハットの地を脱出したのだった。
空を駆け抜ける子どもたちの姿を見て、ゲマは黄色い瞳を細めた。方角としては、西。どこへ逃げたのかは分からないが、なんともまあ、手際のよいことだ。そういえば、キメラの翼が人間たちにとって便利な道具として取引されているのを失念していた。とはいえ、キメラの翼を使っても知らない場所には行けない。使うときには、行きたい場所を具体的に思い浮かべなければならないからだ。どうせ子どもだ、そう様々なところへは行ったことがないだろうとあたりをつけ、ラインハットの王子たちについては後ほどじっくりこの近辺の西方面を探せばよいだろうと思い直す。
「天空の勇者は、高貴な血を引く」という予言に従って、ゲマの所属する光の教団――正確に言えば、魔王が世界を支配するために動いているその組織は、高貴な血筋の子どもをさらっては奴隷として神殿で働かせて監視したり、ときに処分したりしていた。だが、未だ天空の勇者らしき子どもは見つからない。
雷を呼び寄せたあの少女がそうかもしれないと一瞬考えたが、ゲマとしては「それは違う」と直感を抱いてもいる。
「いつまで待たせるつもりでしたの?」
地下牢。道すがら兵士たちを殺しながらここまで辿り着いたゲマは、姿を見せるなり声を掛けてきた女性に「ほっほっほ」と笑い声を返す。
「申し訳ありません。少々準備に手間取りましてねぇ」
「まあいいわ。ヘンリーは? ちゃんと殺したんでしょうね?」
「いえいえ、残念ながら邪魔が入りまして、取り逃がしました」
「何ですって!?」
冷たい鉄格子を両手でつかみながら、女性――ラインハット王国の王妃は、声を荒げた。
「しかし、御安心を。特徴はあなたに聞いておりますし、逃げた方角も分かっています。捕えるのは時間の問題でしょう。それより先に、あなたとの約束を果たしに来たのです」
その言葉に、王妃は少しばかり安堵したような表情を見せた。牢で日々を過ごすうちに、あの日の出来事は夢だったのではないか、自分は騙されたのではないかと疑心暗鬼になっていたのだ。どうやら、約束を果たす気はあったらしい、と目の前の魔物の意外な誠実さに胸を撫で下ろす。
「それで? 私は何をすれば良いのです?」
「そこでじっとしていてくだされば、すぐにでも解放して差し上げましょう」
ゲマの杖のような指が、王妃の額に伸びる。変化の魔法でも掛けるつもりか、おとぎ話のような展開に、王妃はそっと目を閉じた。
「え?」
しかし、魔法は掛からなかった。王妃の額には、ゲマの紫色の指が頭蓋を砕いて深く突き刺さっていたのだ。ぐちゅり、と音がする。どうやら突き刺した指で脳髄をかき回しているらしい。
「あなたにとって、もはやこの世は牢獄のようなものでしょう。そんな場所からは、とっとと解放してさしあげます。死神の鎌は使いませんでしたので、この世への怨念でも無念でも抱いて、世界の闇を色濃くするのに一役買ってくださいね」
指を引き抜く。見開かれた王妃の目は、冷たく暗い地下牢の天井を映していた。
***
サンタローズでは尋常じゃない様相の少年たちの中に、見知ったリュカがいることに気が付いた門番が声を掛けた。
「リュカ、おかえり。パパスさんとアルマはどうしたんだい? 二人に何か……」
「ラインハットが大変なんだ! お父さんとアルマは僕を逃がして……僕、サンチョにこのことを伝えなくちゃッ! みんな、来て!」
ハッとした顔つきになったリュカは、わき目も振らずに自宅へと駆け抜ける。ちょうど朝食の時間だ。サンチョは台所に立っていた。
「サンチョ!」
「おや。坊ちゃん、お帰りは夕方前と聞いていましたが……ともかく、おかえりなさい」
「それどころじゃないんだ! お父さんが! アルマが!」
柔和な顔立ちをしたサンチョは、尋常じゃない様子のリュカとその後ろに続いた見知らぬ少年たちの泣きはらした目を見て、眉を寄せる。
「旦那様に何かあったのですね?」
「そうなんだ! 実は――」
リュカが話し終えると、サンチョは彼にしては珍しく険しい表情で、ひとつ頷いた。
「旦那様がついているのなら、アルマちゃんは無事でしょう。ご存知の通り、旦那様はお強い」
「分かってる。だけど、心配なんだ。僕……僕だって戦える。ラインハットに戻って、お父さんの手伝いがしたいよ」
「それはなりません」
ぴしゃり。有無を言わせない様子のサンチョに、リュカが目を見開く。彼はどんなときでも優しくて、このような物言いをされたのは初めてのことだった。
「旦那様が、このサンチョめに『必ず子どもたちを守れ』と言ったのなら、私はあなた方をラインハットに向かわせることはできないのです」
それから、安心させるようにサンチョは微笑んだ。
「朝からそんなに大変なことがあって、お腹が空いているでしょう。腹が減っては戦もできません」
ほかほかの朝食を前に、しかし子どもたちとゲレゲレは悲痛な表情で俯いたままだった。唯一サンチョだけが、自分で作った食事に手をつけている。
「魔物が来たとしても、狙いが王子様方だというなら、城はあなた方を守りながら戦わなくて良い分、自由が利くはずです。敵の狙いはもうラインハットにはない。ということは、何も考えずに魔物を追い払えばいいだけですので。坊ちゃん、胸を張りなさい。あなたは旦那様から任された大役を、見事に成し遂げたのですよ」
「そんな……僕、キメラの翼を使っただけだし……」
「ええ、ええ。だけど他に、それができる者はいなかった。ラインハットのお城で何が起きようとしているのかよく知っていて、旦那様からの伝言を私に伝えることができて、キメラの翼を使ってサンタローズに来れて、二人の王子を任せてもいいと思えるくらい信用に足る人物が、他にはいなかったのです」
「……ああ、そうだ。リュカ、ありがとうな。お前のおかげだ」
ぽつり。ヘンリーがそうつぶやくと、ふわふわのパンに手を伸ばした。涙を流しながら、けれども用意された食事を口に運んでいく。
「オレ、悔しいよ。自分が弱くて、守られるばっかで、悔しいよ……! だから、今は待つ。それで、パパスとアルマが帰ってきたら、もっと強くなれるように、誰かに守られなくったって、自分で自分のことくらい守れるようになるよ……!」
「そう……そうですよね。ボクだって……ボクだってそうなりたい。リュカさん、きっと大丈夫です。ラインハットの兵士たちはよく鍛えられているんです。パパス先生には負けますけど、とっても強いんですよ」
涙を溜めながら、デールが無理やりに笑う。それから兄と同じように、自分も無理やり食事を口に詰め込みはじめた。その姿に、サンチョはそっと涙する。「にゃうん」と、ゲレゲレが励ますように、リュカの足に体をこすりつけた。
「僕……アルマのことを守るって約束したのに、アルマに守られてばっかりなんだ」
リュカは俯く。
「サンタローズの洞窟を探検したときも、アルマは道に危険がないか、さりげなく確かめてくれてた。あの時は戦いにはあんまり参加しなかったけど、それ以外のことで、いろんなことに気を遣ってくれていた」
自分より一つ年下の少女。年相応の舌足らずな話し方や、甘えた態度を取ることもあるが、きっと本当はすごく賢くて、いろいろなことを考え、行動している女の子。
「レヌール城のお化け退治では、怖がるビアンカに『自分も怖い』って言って安心させてた。そのくせ、お化けの親分にはすっごく怖がられるくらい強くって。アルマがいなかったら、お皿の上に落っことされて魔物に襲われても無事でいられたか、分からない」
アルマは不思議だった。自分の知らないどこかへ帰るのだと、いつも言っていた。それがリュカには寂しかったけれど、不思議なあの子が語る土地は、人々は、いつも魅力的だった。リュカはアルマが帰ってしまったとしても、いつか絶対に、彼女の話していたコスタールやグランエスタードへ、彼女に会いに行こうと決めていた。だから、寂しくても我慢して、アルマが帰れるように協力しようと思っていた。だって、自分だったら父親に会えないのはつらいと思うから。
「ラインハットでは、ヘンリーと仲良くなるきっかけをくれた。そのおかげで、デールと仲良くなれた。それだけじゃなくて、こうして、魔物からも逃がしてくれた。アルマがいなかったら、僕、何もできなかった」
だから、信じている。アルマは絶対に帰ってくる。
「僕、お父さんのこと、待つよ。だってお父さんは、約束してくれたもの」
リュカはようやく、朝食に手を伸ばした。その様子を見たゲレゲレも、自分に用意された朝食を口にし始める。全員が食べ終わると、サンチョは食器を片付けながら、一度子どもたちに二階で休むように声を掛けた。
彼はキメラの翼を使ったことで、魔物に王子たちが避難したことに気付かれている可能性について承知していた。ラインハットへの襲撃がどれほどの規模で行われるかは分からない。それに伴い、王子捜索に割かれる数も不明だ。追手が現れるのに掛かる時間は分からないが、備えはしておかねばならない。
「鍛錬は欠かさず行っておりましたが……」
大金づちを視界に入れながら、彼は呟く。彼とてただの従者ではない。かのグランバニア王の従者である。家事や子守りが得意なだけでは、務まらない。主からの命は、何があろうと、必ず守ってみせる。