熱い、熱い、熱い。うねる炎に呑み込まれたように、濁流に押し流されるように、私は自分の胸を中心に体が溶けていくような感覚を覚えた。
意識を保っていられないくらいの、抗いがたい「引力」。そのとき、なぜそれを「引力」と感じたのか、今となってはよく分かる。
――まさしく、それは「引力」だったからだ。
「アルマ」
幻聴が聞こえる。勇者様の声だ。私は死んだのか。でなければ、別の世界にいるはずの勇者様が私の名を呼ぶはずがない。まさか、あの場に来て、私とパパスさんを救ってくれるなんて、そんな都合のいい話があるわけがないのだから。
「アルマ、僕だよ。目を覚まして」
ああ、ああ。
涙がこぼれそうになる。何も守れなかったくせに、幻の中で勇者様を求めている己の浅ましさに。
「アルマ、大丈夫だよ。怖い目に遭ったのかな。僕だけじゃない。シャークアイさんも、みんなここにいるよ」
頬に柔らかな布を押し当てられて、それが涙を拭ってくれたのだと理解し、私は甘美な幻に抗うことができず、ゆるりと目を開けた。
そこには夢にまで見た人々。私を抱きかかえるシャークアイ様に、その隣から顔をのぞきこんでくる勇者様。
「う、うぇ……」
嗚咽が漏れる。なんと残酷な幻だ。愛する人たちのところに私は戻れなかった。約束も果たせず、何も守れず、ただ大切な人たちの居場所をめちゃくちゃにしておいて、それなのに、最期は楽になろうと愛する人を求めてしまう。
「アルマ、戻ってきてくれて本当によかった」
「私――! なにもできなかった! 助けてあげるって、そう思ってたのに!」
私はわんわんと泣いた。まるで、赤子が産声をあげるように。死んでおきながら、酸素を求めるように泣いた。
――と、思っていた時期が私にもありました。
泣き疲れて眠り、目が覚めても、勇者様とシャークアイ様、それからマリベル様やガボ様、普段はグランエスタード城にいて王族の方々をお守りしているはずのアイラ様や、天上の神殿で過ごしていらっしゃるはずのメルビン様までいた。それから、――。
「おお、目が覚めたか」
パパスさんが、いた。魔物にやられた傷も、なかったかのようにきれいに治っている。
「アルマ。混乱していると思うけど、君が大変なことに巻き込まれたっていうのは、パパスさんから聞いたよ」
「え、あ、はい」
私は一旦深呼吸をして、ひたすらシャークアイ様を見つめた。うん、私のお父さんは今日もかっこいい。現在、マール・デ・ドラゴーンの自室にあるベッドにて横たわっていた私は、上半身を起こしてお一方ずつ、視線を合わせていった。記憶と違わない大切な人たち。それに心の底から安心を覚える自分と、戸惑いと罪悪感を抱く自分がいた。
「えーと……どこからお話しすればよいのか分かりませんが、私が石板に呑み込まれてからのことを、伝えたいと思います」
シャークアイ様は私の頭を撫で、それから水の入ったコップを差し出してくれた。優しい。一口水を飲んだ私は、ぽつり、ぽつり、と「冒険の書」に記録したのと違わないこれまでの冒険を話し始めた。「お化け退治」も「妖精の国」も、誰一人として子どもの妄言だと笑わなかった。以前笑っていたパパスさんでさえも、真剣な顔で聞き入っている。
「私とパパスさんは、魔物から噴き出した黒い霧に呑まれました。そのはずが……胸が、ひどく熱いと思って。そうして、気が付いたらここにいました」
「以前、君に『水のアミュレット』をお守りとしてあげたよね」
「はい。今でも……あれ?」
アルス様の言葉に、私はいつも付けているお守りを見せようと、服の中に手を挿し入れた。しかし、お守りはない。
「壊れていたんだ。水の精霊の力が宿ったアミュレットが。そして、『石板に吸い込まれていなくなった』とシャークアイさんから報告を受けていた僕が君とパパスさんを見つけたのは、七色の入り江だった」
「水の精霊は何にも教えてくれないんだけど、状況的に、アンタの危険を察知して水の精霊が旅の扉を作ったんじゃないかっていうのが、あたしたちの考えよ」
アルス様に続いたマリベル様の言葉に、私はどうしても胸につっかえていたことを吐き出した。
「それじゃあ、あの……石板はどうなったんですか? 私を呑み込んだ、あの石板は」
「旅の扉が消え去った後、ばらばらに砕けてな。竜巻に巻き込まれたように、どこかへ散ってしまった」
端的に質問に答えてくださったシャークアイ様の言葉に「そんな!」と悲鳴のような声が出る。シャークアイ様は何も悪くないのに、責めるような言い方になってしまった。しかし、それを謝る余裕は今の私にはない。
「私、私、あの世界に戻らないと! リュカとヘンリーとデールを、ゲレゲレを助けないと!!」
「……その話、アンタの目が覚める前に、そこのパパスさんともしたわ」
マリベル様がため息をついて、私の頬を両手で挟んだ。怒ったような表情だ。
「アンタ、分かってる? 魔物に利用されて、殺されかけたのよ」
翡翠の目は、感情的であるけれど、極めて冷静だということが、痛いほどに伝わってくる。
「アルマ、アンタはただの子どもだわ」
息が、上手くできなかった。全くもってその通りのことであるのに、勇者様たちは、マリベル様は、なんだかんだと言って私のことをいつだって応援してくれると思っていたからだ。
何か言いたいのに、言葉はひとつとして出ない。鼻の奥がつんと熱くなり、私は伝えることを放棄してせりあがろうとしてくる涙を、必死で堪えた。
「でも、私――約束して――」
そんなとき、ぽん、と頭に大きな手が置かれる。視線を上げれば、パパスさんが「心配ない」とでも言うようにやわらかく目を細めて私を見ていた。
「ただの子どもだが――アルマ、おまえはオレの娘だ」
にやり、と笑ったのは、シャークアイ様。堪えていた涙が、ぽろり、とこぼれ落ちる。パパスさんの手が私の頭から外れて、代わりと言わんばかりにシャークアイ様が私の髪をいつもよりは些か手荒に、ぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「おまえとパパス殿をアルス殿が七色の入り江で見つけてから、目を覚ましたパパス殿に事情はあらかた聞いていた。目が覚めたおまえが再び眠ってから、皆で話し合ったのだ」
頭から離れた大きな手が、小さな私の両手を包む。この人さえいれば安心できて、その背中について行けばよくて、どんな恐怖も勇気に変えてくれて。大切な、私のお父さん。
――ヘンリーとデール、リュカからは、私が奪ってしまった。
「アルマ。一度決めたことは、やり遂げたいだろう。それも、大切な友のためだ。オレは、どんなことがあっても、おまえならば乗り越えられると信じている」
目を見る。広大な海のような、見る者の心を落ち着ける目だ。シャークアイ様は私にとっての海だった。すべての始まり。潮騒の音と共に、私の波立つ心を鎮めてくれる。自ら命を絶った親不孝者に、もう一度やり直せるのだと、人は変われるのだと、語らずともそう思わせてくれる、絶対の寄る辺。
「私、何もできなかったんです。災いを招いたのは、私なのに」
ぽろり。涙と同じように零れ落ちた。
「それなのに、誰も私を責めなかった。責めてくれなかった! 『この城に来てくれてよかった』なんて、そんなはずない! 私が何もかもを奪ったんです! 私、赦されちゃいけないはずなのに!! なのに、私の『罪』を、誰も罰してはくれない!!」
「アルマ」
息を荒げながら吐き出される私の言葉に対して、被せるように勇者様が言った。
「無知はつらいよね。非力は苦しいよね」
いつもの穏やかな顔は、少しだけ、悲しみをはらんでいるように見えて、喉の奥で、ひゅっと息を呑む。目の前の人の抱える深淵に引き込まれそうな錯覚に陥りながらも、私はその人から目を逸らすことができなかった。
「僕たちもそうだったよ。『世界を救った』と一言で伝えられても、救えなかったものだってたくさんある。だからね、アルマ」
勇者様が、にこりと笑った。いつもの勇者様である。ほっとしていいのか、それとも深淵を見入ったままでいたかったのか、自分でも分からないまま、私はただ勇者様を見つめた。
「僕たち、決めたんだ。君が旅立ちたいなら、それは構わないと思う。だけど、さっき言ったように、無知はつらいし、非力は苦しい」
「マリベルの言う通り、あなたは子どもで、大人が旅する以上に危険なこと、怖いこともたくさんあるわ」
子どもの我儘を仕方なく受け入れる母親のような表情をしたアイラ様が勇者様の言葉を引き継ぐ。私は思わず、手を握ってくれているままのシャークアイ様を見た。相変わらずかっこいい。
「あんま弱っちいままだと、オイラたちも心配だしな!」
「アルマのためにも『試練』は必要でござろう」
ガボ様はいつも通り元気だし、メルビン様も孫を見るおじいちゃんの目でこちらを見てくれている。
「だから、条件を付けるわ」
私は、むすっとした表情でそう言ったマリベル様に、不思議と安心感を覚えた。なぜだろう。マリベル様って、表面上では厳しいしキツい感じもするけど、こっちを思いやってくれてるのがすごく伝わってくるんだよなぁ。鈍感な人には分からないみたいだけど、マリベル様って、やっぱ良い人だよなぁ。
なんて、思わず現実逃避をしていたら、つらつらと「旅立つための条件」を説明された。
ひとつ、世界中に散らばった(と思われる)石板は、パパスさんと二人で集めること。ひとつ、陸海空すべての移動手段において、対価なしに勇者様やマール・デ・ドラゴーンを頼らないこと。ひとつ、パパスさんと二人で、マリベル様を倒せるようになること。
「ま……マリベル様を、倒す、ですか?」
私が聞き返したのは、最後の条件である。その前の二つに関しては、「当然だろうな」という感じがするし。
「ええ。やりたかないけど、アルスは漁があるから、アンタたちのタイミングに合わせてあげられないし、それを言うと、仕事をしているアイラやメルビンもそうでしょ」
つん、と顎を斜め上に逸らして、マリベル様が拗ねたように言う。私はまだ、いろいろと脳みそが追い付いていなかった。
「オイラでもいいけど、マリベルが『自分にやらせろ』ってうるさくってよぉ」
「余計なこと言うんじゃないわよ!」
「いってぇ!」
ゴン、と頭にゲンコツを落とされ、ガボ様が涙目になる。
「しかし……その、マリベル殿は女性。アルマだけでなく、私とも戦うのは、負担になりませんかな?」
そのやり取りをスルーして話を進めたのは、困った顔をするパパスさんだった。ある意味真っ当で紳士的な反応に、マリベル様はニヤリと笑って指先に火の玉を灯す。
「あら、それなら確かめてみましょうか? もし『女は斬れない』とか、そういうこだわりがあるなら痛い目見る日が来るだろうし、信条に反するなら尚のこと、鍛えておいた方がいいわよ」
「ちょっと待ってくれないか、マリベル殿。ここは船上。やるなら、もっと広いところで頼む」
私が展開についていけていない間に、マリベル様とパパスさんが戦うことになっている。シャークアイ様が冷静に言葉を挟んでいて、私のお父さんさすがだなと思った。
おろおろしていると、あれよあれよと私たちはエスタード島の東、特に何もないところまで行き、二人の試合を観戦することになった。ちなみに、陽気な海賊たちは賭けることもしていない。賭けが成立しないからだ。――もちろん、全員「マリベル様が勝つ」と確信しているからである。
「じゃあ、パパスさん。僕が審判を務めますね」
朗らかな顔でそう伝えたアルス様が、試合開始の合図を出す。私は試合展開はさることながら、自分の気持ちやら今後のことやらを整理する暇もなくこんなことになっていて、眩暈がした。
さて、試合結果はもちろんマリベル様の勝ち。マリベル様はすばやい。試合開始直後から己に補助呪文を掛けまくり、パパスさんの攻撃をほぼ全部回避。器用かつ正確にパパスさんにメラミなどの中級魔法を当てて(多分)パパスさんの実力を測りつつ、最後はヒャダルコでパパスさんの足を凍らせ、華麗にフィニッシュ。
「なんと……お強い……」
信じられないものを見る目でパパスさんに見つめられ、マリベル様は得意げな顔になった。
「パパスさんも、思ったよりは強かったわ」
ちなみに、とても怖い話をすると、マリベル様は現在無職――言い方が悪いな。マリベル様は現在、ダーマの神殿で就くどの職業でもなく、「網元の娘」として過ごしている。
ダーマの神殿には、大別して三種類の職業がある。初級職と呼ばれる誰にでもなれる職業と、上級職と呼ばれる、一定の条件を満たさないとなれない職業。それから、モンスター職と呼ばれる「モンスターの心」という道具がなければ就けない職業。
それぞれメリットとデメリットがあり、初級職は誰でも就くことができるが、身に付く特技や魔法も基本的なもの。しかし、覚えた特技や魔法は、その職業をやめてからも使い続けることができる。
上級職は条件こそ厳しいものの、強力な特技や魔法を身に着けることができ、職業に合わせて身体能力も向上するそうだ。しかし、神殿に規制されているため、その職業をやめると覚えた特技や魔法は使えなくなる。
モンスター職は、極めるのや希望の職業に就くまでにとても時間が掛かるが、神殿に規制されていない分、強力な特技や魔法を一度覚えれば、ずっと使い続けることができると聞いたことがある。
つまり、マリベル様は以前身に付けた初級職の特技や呪文しか使えない中、戦いのセンスと経験を駆使して、パパスさんを圧倒したことになる。
もちろん、パパスさんは弱くない。むしろ強い。この世界においても、多分強い部類だと思う。
しかし、マリベル様はアルス様たちと一緒に、この世界を創造した神様さえも倒したお方だ。平和になった世界で退屈しているのか、それとも戦いの感覚を忘れないようにしているのか、はたまた別に目的があるのか、勇者様たちはたまに神様に戦いを挑んでいる。もちろん、互いが互いを滅ぼすためのものではなくて、平和的な真剣勝負だ。
神様は、「移民の町」と以前は呼ばれていたらしい「シムティアの町」に住んでいるため、非常に気軽に会いに行くことができる。私も会ったことがある。しかし戦っているところは見たことがないので、気のいいおじいちゃんという印象を受けた。もちろん、畏れ多くて誰かにこんなこと言えやしないが。
ともかく、単独ではないとはいえ、この世界の創造神に、勇者様方と共に何度も勝っているらしいマリベル様はどう考えても世界最高峰の実力をお持ちだ。待って、そんな人に二人掛かりと言えど、勝てるかな。不安しかない。でもマリベル様御本人からすると、「私はしばらく旅から離れてたし、一番弱いわよ」らしいし……。
「アルマ、おいで」
パパスさんに何事か話し掛けているマリベル様に慄いていると、にこにこ笑うアルス様に手招きされる。
「マリベルに『勝てない』って思った?」
「今のところ、勝てる要素がひとつもないです……」
うなだれて答えると、アルス様はしゃがみこんで、私と視線を合わせた。いつ見ても、世界最高峰の実力をお持ちの方とは思えない。それは馬鹿にしているわけではなく、素直な感想というか、人柄の良さが顔とか雰囲気とかすべてに表れている勇者様だからこそ抱いてしまう、ひとつの「ギャップ」だった。
「一見遠回りに見える道でも、結果的に近道になることがある」
穏やかな声。まるで朝方の凪いだ海のような静けさがある。
「視点を変え、方法を変え、発想を変え、それでも目的だけを真っ直ぐ見るんだ」
あるいは、山奥にある川の源流のような清々しさ。初夏の澄んだ湖面。時の流れのごとくゆるやかかつ力強い大河。
「アルマ。君ならマリベルに勝つことだってできる。だって君には『目的』があって、『仲間』までいるんだから」
七色の入り江。私とパパスさんが倒れていたという、水の精霊が拠点とするその場所。きらきらと陽の光に照らされるその場所を初めて見たとき、私は「きれい」だとか「幻想的」だとか「神秘的」だとか、そんな感想ではなく、「勇者様の場所だ」という気持ちを、納得とともに抱いた。
「――『やりたいことをやり遂げるのは、いつだって自分しかいない』、ですね」
本当に、不思議だ。勇者様は小柄だし、絞り込まれてはいるのだろうが、見た目には筋肉質のように思えない。戦いを好むような性格でもないし、富や名声を求めるようなタイプでもない。両親と仲が良く、お世話になった人たちとのつながりを大切にするお人である。そんな人が、巨悪を倒し、世界を平和に導いた。悲劇のヒーローでもなんでもない、平凡だった漁師の息子が。
私は上手くできたか分からないけれど、精一杯の笑顔を勇者様へと向けてから、パパスさんへと駆け寄った。
俯くのではなく、前を向かねば。目下のやるべきことを、与えてもらったのだ。己の罪や、そのために与えられるべき罰に頭を悩ませるのではなく、できることをやる。
どうか、どうかそれまで。再会のそのときまで、私の大切な友達が、穏やかな日々を過ごせますように。そんな祈りが、せめて届きますように。
たとえこの空が、あなたたちの世界とつながっていなくても。
***
夜。海上に停泊するマール・デ・ドラゴーンの一室で、パパスとシャークアイは向かい合っていた。お互い、琥珀色に輝く液体の注がれたグラスを手に、一方は真剣な眼差しで相手を見つめ、一方はそれを受け流すような穏やかな表情を浮かべていた。
「良い酒ですな」
「荒くれ者どもには酒好きが多くてね。中でも一等良い物が手に入ると、自慢げに寄越してくれる」
コトリ。偉丈夫たちはほとんど同時にグラスを机に置き、しばし夜の静まり返った船上にて波の音に耳を傾ける。
「御息女を危険な目に遭わせてしまい、申し訳なく思う」
「何を言う。あなたが守ってくれたからこそ、今あの子がここにいるのだろう」
「私が旅に誘わず、誰か信頼のおける者のところに預けていれば、あの子は怖い目に遭うこともなく、自分のせいだと己を責め立てることもなかった」
「しかし、あなたが我が娘を旅に連れて行かなければ、おそらくここに戻ってくることもなかったでしょうな」
シャークアイが首を振ったのに合わせて、その豊かな黒髪がさらさらと揺れる。アルマには「切るのが面倒なだけだ」と言っているその長髪は、彼女に物心がつく前まではその通りの理由で伸ばしたままにしていた。しかし、物心がついた娘がきらきらした目で「シャークアイ様の髪の毛、とってもきれい」と褒めたことに始まり、時折娘が結ったり編んだりしてくるのが微笑ましくて、切るに切れなくなってしまったといういきさつがある。
「我が息子のため、これからも危険に身をさらすことになりましょう」
「何を言っているんです。『大切な友達のため』。男だろうが女だろうが、そこに命を懸けるべきと思ったのなら、自分の思う通りにすればいい」
「――あなたは、アルマが心配ではないのですか?」
シャークアイはそのとき初めて、その美しい顔貌に皮肉を帯びた笑みを浮かべた。始終穏やかだが、アルスの持つ穏やかさと比べると、緊張感をはらんでいるシャークアイである。「正義の」と枕詞が付いたとしても、海賊にしては上品すぎるその男も、そうして皮肉げな表情を浮かべると、「賊の頭領」としてふさわしい貫禄が見て取れた。
「危険に立ち向かいながら、その背を見せ、自らそう教えてきたのだ。アルマが危険に飛び込みたいと言ったとして、それを止める権利はオレにない。心配して、可愛がるだけなら船に乗せなければよかった」
パパスに、というよりは、自分自身に言い聞かせるような言葉である。
シャークアイは、海で溺れていて、今にも死んでしまいそうだった赤子を思い出していた。昨日のことのように、鮮明に脳裏に浮かぶ。あの時は天気が荒れていて、泣き声も雨音に紛れていた。けれどなぜか、彼女の声はシャークアイに届いたし、嵐の海の中、首も座っていない赤子は何かに守られるように、暗い水底に命を落とすこともなかった。
彼女が目を覚ましたときのことだ。シャークアイは衝撃を受けた。その赤子はまるで全てを諦めているように、子どもらしい無垢さを瞳に宿さず、ほの悲しくシャークアイを見つめたのである。生まれたばかりの赤子が、世界に絶望するなど、そんなことはあって良いはずがない。彼はその目を見て、自分の娘とすることを決めた。世界には「光」があり、それを求め、掴み、幸せになる権利が誰にでもあるのだと、彼女に知ってほしかったから。
シャークアイは、妻のアニエスにしばらく赤子の面倒を任せた。彼らは二人で考え、赤子を「アルマ」と名付けることにした。その日から、マール・デ・ドラゴーンの「姫」は、今もなお、船員みんなに愛されている。
すくすく育ったアルマは、次第に笑顔を見せるようになった。基本的に聞き分けの良い子どもだが、身ごもったアニエスをコスタールに置いて魔物の討伐に行くことになったとき、「コスタールに残るか」という質問には、頑として否と応え、珍しいなと思ったことも、よく覚えている。
「あのとき――我が妻、アニエスと共に陸に置いてくればよかったのだ」
それから、シャークアイはグラスを仰ぎ、中に残った液体を飲み干した。顔色は変わらない。
「さて、たらればの話をしに来たのではないだろう。パパス殿、あなたはオレから花嫁を奪う婿のように、許しを請いに来たのか?」
言い得て妙だ、とパパスは感じ、ふと笑みを漏らした。
「私が花婿で、アルマが花嫁ならばどれほど簡単なものだったか。私自身が妻にそうしたように、愛する気持ちそのままに、奪い去ればいいだけなのですから」
在りし日を思い出し、パパスはシャークアイをまねてグラスの中身を飲み干す。芳醇な香りが鼻から抜け、酒精がほのかに彼の口を軽くする。
「だが、アルマは私の愛する妻でなく、私はあの子の人生に対して責任が取れない。あの子は賢く、優しい。だからこそ己の選択に対して、気に病んでしまう。やはりまだ子どもで、導くことが必要だと感じます。ですが――導く先が、茨の道であると分かっていて、その道を歩めとは、私には言えないのです。私たち家族と、魔物との因縁に、巻き込むわけにはいきません」
とぷとぷと、瓶からグラスなみなみになるまで水を注いで、シャークアイは立ち上がった。
「酒を一息に煽ったのだ。水の一杯も欲しかろう。なあ、パパス殿」
見覚えのある笑顔。それは、アルマが少年たちと悪戯をするときに浮かべるものとそっくりだった。そして、何となく嫌な予感がしたパパスが避ける間もなく、悪戯少女の父親は、グラスに入った水をパパスの顔に勢いよく掛けてきた。
「巻き込むわけにはいかない? もう巻き込んでおいて?」
シャークアイは一見、子持ちどころか妻帯者にすら見えない。顔立ちが整っていること、自由気ままで物事に執着しない雰囲気、海賊の頭領という肩書き、それらの全てが、彼を一人の「男」として成立させていた。むろん、アルマを前にすれば、あたたかみのある「父親」の顔にはなるが、彼女なしで話すときは「家庭」という背景を感じさせない男だと、短い間でパパスはそう思っていた。
「重ね重ね、溺れていたアルマを助けてくれたことには感謝する。だが、今の発言はあまりに聞き捨てならないな」
シャークアイは間違いなく、父親であった。それも、パパスのように息子を持つ父親ではなく、娘を持つ父親である。特有の怒りが、ぴりぴりと肌を刺すように感じられた。
「アルマは自ら、その茨の道を進みたいと言ったのだ。あのアルマが」
パパスには、その一言が全てに思える。彼はシャークアイとアルマが実の親子でないことは知らない。それでも、この父親が娘に対して本物の愛情と、期待と、願いを抱いているのだということは十分に感じられた。
「あなたの取るべき責任は、アルマの人生に対してではない。子どもが健やかに育つよう見守る、大人として当然の責任だけだ。あの子の人生はあの子のもの。責任を取るべきは父親であるこのオレだ。こればっかりは他人になんぞ譲れんな」
ふん、と鼻で笑ったシャークアイに対し、パパスは思わず「ワッハッハ!」と笑いながら膝を叩く。
「これは参った。親馬鹿殿にする話ではありませんでしたな」
「こんなもの親馬鹿でも何でもない。普通だろう。それに、アルマはまだ旅立ってもいないんだぞ。パパス殿の心配はまだ先のことだ」
「いやはや……それはどうでしょうな。私も覚悟が決まりました。息子と妻に、再び会うために一から鍛え直します。アルマをシャークアイ殿のところへ無事送り届けるためにも」
にやり、水を掛けられたお返しのように笑ったパパスへ、シャークアイは手を差し出した。
「娘をよろしく頼む。あの子は頑張りすぎるきらいがあるからな」
ぎゅうう、と力いっぱい握られた手に、パパスも負けじと力を籠める。
「うむ、頼まれた。そういえば、我が息子のリュカはアルマを随分可愛がっておりましてな。我らが家族になることもあるやもしれぬ。その時には、こちらこそよろしく頼みますぞ」
「幼子同士のじゃれ合いに、なんとも気が早いことだ。それに、アルマの伴侶となる相手はオレが見定める。せめてアルス殿のような男ではなくては」
「アルマの人生はアルマのものでしょう?」
ぎりぎりぎりぎり……とお互いの腕に血管が目立ってきたころ。
当のアルマは「眠れない」と相談した相手のマリベルにラリホーの呪文を掛けられて強制的に眠りにつき、すやすやと何も知らずに寝息を立てていたのであった。
マリベル レベル62
ちから:155 すばやさ:167 みのまもり:162
かしこさ:219 かっこよさ:294
最大HP:434 最大MP:479
呪文・特技:メラ、ルカニ、リレミト、ラリホー、イオ、ホイミ、マヌーサ(多いので以下略)
職業:網元の娘
(セーブデータにあったちょうど良さそうなやつ参照)
今更ですが数値は装備品抜きのものです。