転生幼女がDQ5にインしたようです   作:よつん

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神の試練

 

 

 

 女の人のすすり泣きが聞こえた気がして、僕は目を覚ました。けれど、気のせいだったようだ。この場に泣いている女の人なんていない。僕もヘンリーも男だし、フローラはすうすうと寝息を立てて、結局ヘンリーに膝枕をしてもらっている。僕は寝てしまっていたから分からないけれど、二人は分かり合えたんだろうか。

 

 僕に気が付いたヘンリーがフローラを指差してから肩をすくめてみせ、それから目を瞑り、僕らは無言で見張りを交替した。

 

 夢を見ていた気がする。どんな夢かは忘れてしまったけれど、かなしい夢だった気もする。

 

 僕はぼんやりと空を見上げながら、目覚めと共に消えてしまった夢について考えていた。変な感じだ。時間と共に明るくなる空は、時間と共に僕が見ていたはずの夢の名残も完全に消し去って、やがてまた朝が来た。

 

「わっ……私、私、ごめんなさい!」

 

 起きてから、自分がヘンリーに膝枕をしてもらっていることに気が付いたフローラは、すごい勢いで頭を下げていた。どうやら打ち解けたわけではなく、寝ている間にずり落ちて行って、ヘンリーの膝に収まったらしい。あれだけ怒っていたわりに、遠いところで寝るのは怖かったのか、それともヘンリーに何かしら説得されたのか、僕とヘンリーの間で眠っていたフローラは、本人にとっては不幸なことに、僕の方ではなくヘンリー側へ重力に従い傾いていったようだ。最初から床にねそべっていればよかったのに。僕のまねをして座って寝たんだろうか。

 

「別に謝るようなことじゃねぇさ。それより飯にしようぜ。そんで、さっさと帰って修道院でちゃんと寝るぞ」

 

「うう……私ったら、はしたないまねを……」

 

「お嬢様はちいせえことを気にすんだなぁ。別にオレが気にしてねえんだからいいだろ。言っとくけど、こんなモンで責任取れとか言うなよ。オレはお前みたいな世間知らずなお嬢様、ごめんだからな」

 

「なっ……! なっ……!! そんなつもりで言ったんじゃありませんわ! 自分の行動を反省していただけですから! 本当、アンドレ様は失礼すぎます!」

 

 ぷりぷりと怒り出すフローラを見て、ヘンリーはカラカラと笑っている。最初の印象と打って変わって、撃てば響くフローラの反応を面白がっているらしい。からかいすぎもよくないと思って、「ほどほどにしなよ」とだけ声を掛けた。

 

 

 修道院への道中はなんの問題もなく、戻ることができた。シスターたちが目に涙を浮かべながら、僕らを抱きしめ、フローラへの説教が僕らへも飛び火し、「そもそも子どもなんだから危険な旅はするな」だとか「ここにずっといたって誰も迷惑だなんて思わない」だとか、いろいろなことを言われてしまい、ヘンリーと二人で目を見合わせる。

 

「すみませんね。ゆっくり休みたいだろうに、騒がしくしてしまって」

 

 僕らに神の塔のことを教えてくれたシスターが、僕らを客室へ案内して、お茶を出しながら困ったように微笑んだ。

 

「こちらこそ、皆さんに御心配をお掛けしてしまい、すみませんでした」

 

「いいのですよ、フローラ。あなたが無事ならそれだけで、私はうれしい」

 

 シスターの細い指がフローラの髪をすき、「結い直しましょうか」と彼女のリボンを取り去った。されるがままのフローラは、シスターの指が器用に己の髪をまとめていくのを、撫でられている猫みたいに気持ちよさそうな顔で受け入れていた。

 

「本当に、無事でよかった。三人とも」

 

「あー。道中はまあ、そりゃ別に楽勝だったんだが。問題は塔に入れなかったってことなんですよ」

 

 フローラの髪を結い終わったシスターがしみじみ呟くと、ヘンリーがそれに反応する。しゅんとした表情になったフローラが「私が未熟なせいで……」と言うと、シスターはふるふると頭を振った。

 

「恥じることはありません、フローラ。あなたは神に仕える身ではありませんから。ここで修行したことを生かし、神のためではなく、自分のために生きれば良いのです。誰のためであっても、それが自分で決めたことならば、己の人生に、在り方に、当然優劣はありません」

 

 自分の胸に手を当てたシスターは、少しの間だけ、何かを考えるように、思い出すように、目を伏せた。

 

「さあ、今日はゆっくりお休みなさい。フローラ、あなたも部屋に戻って横になるといいでしょう。修道院を抜け出した理由は、部屋に戻ってから正直に話してくださいね」

 

「うっ……わ、分かりました」

 

 しゅんとした顔で部屋から出て行くフローラの背中に、シスターはやさしい視線を向けていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 部屋に戻って、フローラはシスターの顔を盗み見た。その表情は怒りでも軽蔑でもなく、普段通りの穏やかそうなシスターそのもので、少女は内心ほっとしながら、自分が話し始めるのを待っている様子の老女へ向かって口を開いた。

 

「シスター。私、シスターとお二人の話を聞いてしまって。どうしても、お二人のお役に立ちたい、とそう思ったら、居てもたってもいられなくなってしまって……」

 

「ええ、ええ。あなたは幼い。衝動を抑えられないもあるでしょう。それが『誰かのため』であることに、あなたらしさを感じます」

 

 優しい言葉に、フローラはじわりと涙が浮かぶ。シスターの優しさは、ヘンリーや他のシスターがしてきたように説教をされるよりも、己の愚かさを突き付けられているようで胸が苦しくなった。

 

「私――、私、それだけじゃないんです。身勝手な理由で、みなさんに御心配と御迷惑をお掛けしてしまいましたわ」

 

「身勝手な理由?」

 

 ぐ、とフローラは膝の上で拳を握った。着替えた清潔な修道服に皺が寄る。

 

「はい。私、ソロ様を昔見たことがあった気がして。三年ほど前のことですけど、どうしても忘れられなくって、確かめたかったんです。でも、そんな簡単なことなのに、いざソロ様御本人に確かめようとすると、恥ずかしくなってしまって、聞けなくて……」

 

 フローラは恥じていた。そんなこと、修道院でいつでも聞けることだ。それを、危険を冒してまで夜中に飛び出して、ソロの役に立ってみせるのだと勇んではみたものの、失敗。そういえば、三年前のことがフローラの勘違いだったのかどうか、ソロ自身の口から答えを聞いていない。

 

「フローラは、ソロの役に立ちたいと思い、ソロを前にすると恥ずかしくなってしまうのですか?」

 

「は、はい……。ソロ様は落ち込んだ私を慰めてくださったり、無理やりついてきたのに何も言わずに守ってくださり、アンドレ様とちがってとてもお優しい方なんです。なのに、『失礼じゃないかな』『嫌われたらどうしよう』って、不安になってしまって。そんないくじなしな自分が恥ずかしくって」

 

「ふふっ」

 

 シスターは笑い、普段の物静かな雰囲気とは打って変わって、フローラのやわらかな頬を両側から手のひらでつつみ、それから細く長い指でその頬をふにっとつまんだ。

 

「ひゃっ!?」

 

「可愛らしいことね、フローラ。良いことを教えてあげましょう。その人のことばかり考えてしまって、その人の反応が気になって、その人のことが知りたくて、その人のためにいてもたってもいられなくなる――その感情を、人は『恋』と呼ぶのです」

 

 数秒。フローラの思考は停止した。ふにふにと幼くやわらかな頬を弄ぶ老女の指だけが、時が止まっていないことを証明している。

 

「そ……! こっ……! こ、恋ではありませんわ! 人をからかって楽しむなんて、シスターらしくもありません! わわ、わたっ、私は、ただっ、三年前はソロ様が『リュカ』と呼ばれていたような気がして……! それで気になってただけなんです! 私はまだ子どもですもの! それに、修行中の身ですわ! ここここ恋なんてまだ早いですし……!」

 

 パッとシスターの手が離れて、フローラはバクバクとうるさい自分の心臓をなだめるように手を当てた。それから、真っ赤に火照った顔を手であおいでいる。

 

 だから、フローラは気付かなかった。そのとき、シスターが「子どもをからかう老女」ではなく、「聞きたくなかったことを聞いてしまった者」の表情となっていたことに。

 

「フローラ。からかってしまって、すみませんでした。あなたの反応があまりに可愛いものだから。さあ、もうお眠りなさい。興奮してしまったようなら、気分を落ち着けるお茶でも入れましょうか?」

 

「結構です! ……おやすみなさい、シスター」

 

「ええ。起きたら菜園の草むしりを手伝ってくださいね」

 

 小さなフローラはすぐに眠りについた。緊張と恐怖と、それから興奮で疲れ切っていた体は、あたたかくやわらかな寝具に横たわると、すぐに休息を受け入れたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 フローラを部屋まで送ったシスターは、しばらくしてから僕らの使っている客室に戻ってきた。「やはり、起きていましたか」と悪戯をした子どもを嗜めるように、けれどそれを受け入れてくれる優しさ滲ませながら微笑んでいる。

 

「皆さんが塔へ向かって、私も思うところがありました」

 

 僕は再び目線をこちらへ戻したシスターに、ずきりと胸のやわらかいところを鷲掴みされたように感じてしまう。彼女は穏やかな表情だ。けれど、それは決して子どものわがままを優しく受け入れる類のものではなく、どちらかと言えば覚悟を決めた人のものであるように感じた。――つまり、死を前にしたサンチョが浮かべたそれと、ひどく似通っていたのである。

 

「私の祈りが、神に受け入れられるかは分かりませんが。祈りましょう、あなた方のために」

 

 それはうれしい言葉のはずだった。だから、僕はヘンリーと手を打ち合わせて喜びながら、シスターにどうしても譲れないことを口にする。

 

「シスター、扉を開けたら、修道院に戻ってくださいね。さっき聞いた話だと、僕らがいなくなった間に行商人が来たとか。まだいるそうなので、キメラの翼を使って、どうかすぐにここへ戻ってくることを、約束してください」

 

「……神の塔の周辺は聖なる空気に覆われて、魔物は近づけません。キメラの翼を使うのは、帰ってきたあなた方と一緒でもよいのでは?」

 

「いいえ、いいんです。僕たち、絶対に帰ってくると約束するから。シスターはここで、フローラと一緒に僕らの無事を祈ってください」

 

 そこまで言えば、シスターはハッとしたような顔で「そういえば」と話題を変えた。

 

「フローラのことなのですが、一緒に連れて行ってはもらえないでしょうか?」

 

「はあ?」

 

 その言葉にすばやく反応したのは、もちろんヘンリーだ。「一切理解できない」というのを隠そうともせずに片眉を上げている。

 

「御存知の通り、あの子は花嫁修業としてこの修道院で過ごしています。しかし、それは真の目的ではないのです。そのため、フローラも『神の試練』に同行した方がよいのではないかと私は考えています」

 

「あの、目的って何ですか?」

 

 ヘンリーの口が悪くなる前に、僕は先んじて質問を飛ばした。シスターは、真剣な顔つきで、その理由を教えてくれた。

 

「彼女の御父上は、有名な占い師に『この子は不思議な運命を背負っているから、それに耐えられるような澄んだ心を持たせなさい』と言われて、修道院での生活をすすめられたそうです。彼女は既に、純粋で優しい子です。けれど、それだけではならない。何かに耐えるのなら、強く在らねばならない。それが見えないものであるのなら、なおさら。だから、危険は承知でお願いいたします。どうか、あの子を一緒に連れて行ってください」

 

 僕たちは首を縦にも横にも振ることができないまま、二人同時に「考えさせてください」と答えるだけで精一杯だった。シスターは深くお辞儀をして、部屋を出て行った。

 

 

 それから僕らは少しの時間眠り、起きてからは勝手にいなくなった罰として畑の草むしりをしているフローラに付き合うことにした。青い髪の女の子は「あの」と旅の道中が嘘のように大人しい声色で静かに、ぽつぽつと話した。

 

「シスターからうかがいましたわ。その、お二人は私を『神の塔』に連れて行くよう頼まれたんですよね」

 

「まあな。お前の意見はどうなんだ? 命の危険もあるし、オススメはしねぇけど」

 

「あの……私、自分の気持ちが分からなくて。シスターのお考えも」

 

「フローラ。シスターは昔、神の塔に行ったことがあるんだよ」

 

「えっ?」

 

 突然話題を変え、きょとんとしたフローラとは違い、ヘンリーは「だろうな」と草むしりの手を止めながら頷いている。わざとなのかどうかは判断に困るところだ。

 

「なんでそんなことが分かるんですの? シスターはそんなこと一言も……」

 

 戸惑いながらも、替えられた話題を素直に受け止めるフローラは、今度はその内容に混乱している。彼女もまた、草むしりの手を止めて、僕とヘンリーを交互に見た。

 

「『神の塔の扉は自分の祈りでは開かない』、『神の塔の周りには魔物が近寄れない』、一個目は何かしらの負い目があるとしたら出てくる言葉かもしれないけど、二個目は実際に行ったやつじゃないと、おそらく分からないぜ。予想自体はできても、断言はできないはずだ」

 

「で、でも、もしかしたら何かの本に書いてあっただけかも……」

 

「修道院にある本はここに着いたばっかのときに、静養がてらほとんど目を通した。それに、昔読んだ本にもそんな情報どこにも書かれてなかったからな。そもそも、行ったやつの手記とかじゃなければ書かれない類の情報だ」

 

 すらすらと喋っていくヘンリーは「だよな?」と僕に同意を求めてくる。それに頷きながら、僕自身は草むしりの手を止めないまま、彼の言葉に補足をすることとした。

 

「これは僕の推測というか、ほとんど勘だけど……シスターは神の塔に行ったとき、何かつらい出来事があったんだと思う」

 

 そう考えると、最初に神の塔について聞いたときの静かな拒絶も、今回の覚悟を決めた穏やかな表情も、しっくりくる。

 

「ただの、僕の想像なんだけどね。でも、シスターがフローラを塔に連れて行きたい理由もちょっとは予想しやすくならない?」

 

 つらい出来事を乗り越えるのは簡単なことじゃない。僕がまだ、そんなことできやしないように。

 

 でも、例えば何かつらいことがあって。それがまだ傷として心に残っていて。「耐えなきゃいけない何か」に見舞われるかもしれない子が目の前にいて。あのやさしいシスターだったらどう思うだろうか。

 

 これはただの想像だ。けれど、想像してしまうからには、シスターの頼みを聞いてあげなくちゃいけないような気がしてくる。もともと、修道院にはお世話になっているし、危険なお願い事をしているのはこちらなのだ。

 

 ふと、シスターが気に掛ける「不思議な運命を背負った子」を見た。小さなフローラは、うんうん唸りながらシスターの真意を一生懸命考えているようだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 出発の準備が整って、僕らは再び神の塔を目指す。陽が沈む前に祠に着いたので、焚火を用意してのんびりと夕飯の準備をしていると、ふと、思い出したようにシスターが「この祠は、ラインハット王国の管理するものだそうです」と何気なく話し始めた。僕たちはどんな表情をしていいのか分からず、顔を見合わせる。少なくとも、僕らはラインハットを隅々まで知り尽くしていたはずだけれど、そんな場所は知らなかった。

 

「この祠の『旅の扉』は、ラインハット城内の秘密の場所につながっているそうですよ。とはいえ、扉を潜り抜けた先の場所には鍵が掛かっていて、そこが本当にラインハット城内なのかは確かめようがないそうですが」

 

 僕らの反応をどう受け取ったのか、シスターは「そういえば、もうすぐラインハットに通じる橋がオラクルベリーの北にできるそうですよ」と雑談を続ける。

 

「あっ。それ、私も聞きました。行商の方が言っていましたよね」

 

 フローラは僕らと一緒に来ることを決意して、あれから真剣な目で僕らに同行の許可を求めてきた。ヘンリーは渋っていたけれど、僕が「シスターが言うのなら」と答えれば、大きなため息を吐きはしたものの、フローラの同行を受け入れてくれた。

 

「ええ。橋ができれば、随分商売が楽になると。ラインハットはすばらしい国です。国民みんなが力を合わせて、惨劇にも負けず、『王国』を敬愛して」

 

 すん、とヘンリーが鼻をすする。涙は出ていないけれど、そこには言いようのないよろこびが浮かんでいた。けれどそれを決して悟らせまい、と口を引き結び、変な顔になってしまっている。

 

 それからシスターとフローラは食事の間もラインハットやこの近隣の町のことなど、思い出話や行商たちをはじめとした修道院を訪れる人々の噂話を楽しそうに話し続けていた。

 

「ふふ。教会の敷地から出たのが久しぶりで、ついお喋りになってしまいました。あなた方はラインハットには行ったことがありますか?」

 

 夕飯の片付けを終え、僕らは祠の支柱にもたれ掛かりながら、焚火を眺めつつシスターの話に相槌を打っていた。

 

「……ああ、ありますよ。良い国でしたね、すごく」

 

 ヘンリーの答えに、シスターはますます楽しそうに笑みを浮かべて、それから少しだけ顔を曇らせる。

 

「昔はお転婆な王子様とそのお友達が、とても賑やかにお城の中でも外でも遊んでおられたそうですよ。生きていらっしゃったら、あなた方と同じくらいの年頃かしら」

 

 三年も経つのに、まだ消化しきれていない話題にどう対応すればいいのか分からなくて、僕らは「それより」とどちらからともなくシスターの言葉を遮ってしまった。

 

「シスターの話を聞きたかったんですよ。神の塔に行ったことがあるんですよね?」

 

「そうそう。ぜひ、教えてください」

 

「そうですね――これは誰にも言ったことがなかったのだけれど」

 

 シスターはくすくす笑って、それから大好きな本のページをめくる瞬間のように、思い出の品を見つめるように、愛おしそうな懐かしそうな顔になる。

 

「昔のことです。私は子どものころから修道院にいたのだけれど、その事件があったのは、もう既にあなたたちより年上の、十代の後半くらいの出来事で、私に大きな衝撃を与えました」

 

 せがむ子どもに眠る前の絵本を読み聞かせるようなあたたかな声。やわらかく、慈しみがあふれ、シスターの人柄を表す「朗読」だった。

 

「ある日、とても具合の悪そうな男性が修道院を訪れました。私を含めた修道女たちはみんな、彼の体調を気遣って、休める場所と水と食べ物を用意し、いつも通り彼を『迷える者』として受け入れました。しかし、その男性は実は『ラーの鏡』を狙う盗賊で、どこで知ったのか、神の塔に入るために修道女の祈りが必要なために、修道院にも修道女の一人を攫うためだけに立ち寄ったに過ぎなかったのです」

 

 パチリ。焚火の薪が静かに爆ぜる。小さな火の粉が夜の地面に吸い込まれた。

 

「その夜、たまたま彼の様子を見に行った私は、まんまと彼に捕えられ、神の塔まで一緒に行くことになってしまいました」

 

 心地の良い声だった。お父さんやサンチョがしてくれた読み聞かせとも違う。シスターが物語を続ける。悪人であるはずの盗賊と仲良くなってしまったこと。心から、彼が試練を突破して鏡を持ち帰るのを待ちわびたこと。

 

「そうして、彼は勇んで再び神の塔へ向かいましたが、神の試練の前に帰らぬ人となりました――」

 

 僕はどんどん眠たくなり、落ちた瞼とは裏腹に幕の上がった夢の世界を見つめていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 彼は「もう中には入ってくるな」と言った。危険だからと、女を塔の外へ留めた。初めて入ったときには塔の試練の難解さに何度も挑戦しては魔物に襲われ、心が折れかけていたが。

 

 ――楽しかったんだ。

 

 くるくる変わる表情。こちらの話に真剣に耳を傾け、一々いろんな反応をして。女の純真さは、男にはあまりに眩しく映った。

 

 男は両親が嫌いだった。男の両親は聖職者で、それゆえ人を疑わず、友人だと思っていたものに騙されてもとより少なかった財産の全てを奪われ、まだ子だった男に謝りながら首を吊って死んだ。

 

 けれど自分だけは連れて行ってくれなかった、と男の胸の内には両親の愚かさ、弱さへの憎悪と、両親を騙した者への復讐心がくすぶった。

 

 ――そうだ、全部奪い返してやろう。

 

 男は賢く、機転もきき、運動神経も良かった。両親を騙した者と同列になりたくなかったから、騙すなんてやり口はせず、鮮やかに盗みを働いた。

 

 けれど、胸にくすぶった感情は消えてはくれない。

 

 男は金持ちから金品を奪っては虚しい気持ちになり、必要な分だけを使って、後は貧しい者たちにくれてやった。けれど、感謝を受けようが物足りない。やがて、男は金品よりもより希少価値が高いものに目を付けるようになる。

 

 それは古の道具。複雑な魔法が掛けられた品々。そういうものの噂を聞けば、わくわくとした期待感が胸を躍らせ、鬱屈とした気持ちを忘れられた。

 

 けれど、そういった品は中々手に入らない。ただの金持ちなんかとは比べ物にならないような地位を持つ者が持っていたり、人が立ち入るには命の危険がある場所に眠っていたりするからだ。

 

「知らないのかい? 真実を映すっていう、『ラーの鏡』だよ」

 

「いや、知らねえな。そいつは一体どんな品なんだ?」

 

「今言った通りさ。その鏡に映った者は真実の姿が暴かれるらしい」

 

 男はそれを聞いて、小さくて大きな勘違いをした。「ラーの鏡」は物理的に変化した者の偽りの姿を暴き、真実の姿にする力を持つ。しかし男は、その情報を聞いて「その者の本質をあらわす」と誤認したのだ。

 

 男はラーの鏡を求めた。どうしても手に入れたかった。

 

 ――自分は両親のようにはならない。

 

 けれど、そうは思っていても、他人を信じてみたかった。でも、信じたら騙される。裏切られる。それが恐ろしいから、己の心を守ってくれる伝説の品を、手にしたかった。

 

 

 そして、満を持して男は試練を受けた。あるはずのないまやかしに惑わされ、こちらの様子にはお構いなしどころか好都合とでもいうように襲い掛かってくる魔物。己すらも信じられなくなりながらも、周りを疑い続けた経験が男を生かした。けれど、細い通路で魔物と戦っているときに、うっかり階下に落ちてしまい、体を強く打った。

 

 ――このままじゃ、上を目指すのは無理だ。

 

 一度、塔の外へ出て傷を癒そう。そう思い、彼は息も絶え絶えになりながら塔からの脱出を試みた。そこで、愚かにもまやかしに惑わされる修道女を見つけた。どうして声を掛けたのか、男自身にも分かりやしない。けれど、愚かで心が弱いせいで神にすがっていると決めつけていた聖職者が、まやかしを打ち破った。男にも、打ち破ることができなかったのに。打ち破れなかったから、逃げるように上を目指したのに。

 

 

 治療を受けながら話をしていると、男は女を憎からず思うようになっていった。

 

「『ラーの鏡』を手に入れて、偽りに惑わされ、騙される人を減らしたいんだ」

 

 だから、二回目に挑戦してみようと思った。女に言ったことは嘘ではない。

 

 随分恰好をつけたものだ、と自分でも呆れてしまう。けれど、どういうわけか、あの修道女には己が傷付かぬためという恰好の悪い理由を話したくはなかったのだ。

 

 今度は絶対に、悲願を果たしてみせる。とにかく、上を目指した。息も絶え絶えになりながら、階段を駆け上がった。

 

 それなのに、目の前に宝箱があるのに、最上階には道がなかった。

 

 ――騙された。

 

 男は絶望した。決して飛び越えられる距離ではない。落ちたらあっけなく死んでしまうだろう。こんなものは、試練でも何でもない。伝説をえさにぶらさげて、引っ掛かった愚か者を弄ぶだけのもの。

 

 男はせり上がる吐き気と涙を堪えて、階下へ向かった。

 

 ――あいつに言ってやらなくちゃ。神なんて、信じるもんじゃない!

 

 一階の草花咲き誇る中庭で。塔の外にいろと言ったのに、女はまた、そこにいた。涙に濡れる男を抱きしめるように腕を開いた修道女に触れることは叶わない。それはただの幻だった。男の魂が焦がれ、それに呼応したために塔が見せた、都合のいいまやかし。

 

 

 男は背後にいた魔物に気付かないまま、絶望ばかりつまった胸を、背中から貫かれた。

 

 

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