転生幼女がDQ5にインしたようです   作:よつん

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神の導き

 

 

 

 体を休めつつ情報収集する中で、私はアルス様からいくつか不可解な話を聞いた。そのほとんどは、無理やり理由をこじつけたり変に深読みしたりしながら頭を悩ませるよりも、普段は胸の内にしまっておいて、手掛かりがあったときに引っ張り出しながら解決していけばいいと思っている。

 

「じゃあ、行ってまいります。見つけたら、必ずお渡ししますね」

 

「うん。行ってらっしゃい。よろしく頼むよ」

 

 その中でも、一際謎だったのが、勇者様の「冒険の書」がなくなってしまったこと。冒険を終えてからは、アルス様は御自宅の机の上に置いていて、基本的に持ち出すことはなかったそうだ。それが、私とパパスさんがこの世界が来たその日、家に戻ったら忽然と姿を消していたとのこと。

 

 アルス様のお母様であるマーレさんはその日は買い物以外に外出していないそうで、村の人たちも人の家に勝手にお邪魔して物を取っていくような人ではない。

 

 だから、私が帰ってきたことと何か関係があるかもしれないとして、勇者様は「僕の冒険の書をどこかで見つけたら持ち帰ってほしい」と私にお願いしてきたのだ。

 

 不思議な話だった。他にも不思議な話はあったけれど、例えば私が向こうの世界に行った時間とこちらの世界でいなくなっていた時間が噛み合わないとか、そもそもなぜ石板が砕けて飛び散ってしまったのかとか。そういうものとも少し違う種類のように感じた。

 

 

 私とパパスさんはまず、石板について「何か知っていそうな人物」を訪ねることにした。シムティアの町にいる、神様である。

 

「その……『神様』というのは、そう名乗っている御老人ではなくて、本当に『神』なのか?」

 

「パパスさん、そんなこと言うとメルビン様に怒られますよぉ。神様は本当に神様ですから。宙に浮いてるし」

 

 マール・デ・ドラゴーンに運賃として十ゴールド払って(シムティアの町は近いから、一人五ゴールドでいいと言われた。正直甘やかされているなとは感じる)、私たちは小さな島に上陸した。

 

 困惑気味のパパスさんの腕をぐいぐい引いて、活気あふれる町に足を踏み入れると、いつもと変わらず、神様は町の中心にそびえる岩の前にいらっしゃった。

 

「神様! お久しぶりです!」

 

 姿が見えてすぐに、大きく手を振ってこちらの存在を示すと、神様は孫を見る老人のように顔を綻ばせてくれた。

 

「おお。久しいのう、アルマ。大変じゃったな。その者は……」

 

「私はパパスと申します」

 

 パパスさんがやはり困惑気味に頭を下げると、神様は「うむ、うむ。知っておるよ」と鷹揚にうなずいている。まあ、びっくりするとは思う。町の人たちは誰も信じていないらしいけど、神様は普通に隠れもせず光ってるし浮いているのだ。町の人たちはみんな元は魔物だった人らしいし、そもそも感覚が人間とは違うのかもしれない。

 

「では、アルマとパパスや。わしに何か用かね?」

 

「御存知かとは思いますが、私たち、パパスさんが住んでいた世界につながる石板の欠片を探しているんです。何か手掛かりがほしくて、神様をお訪ねしました」

 

「うむ、よい判断じゃな。……では、わしと戦ってみるかの?」

 

「えっ!?」

 

 急に何を言い出すんだ創造主。心臓に悪いからやめてほしい。神様と言えば、アルス様たちが四人掛かりで戦う相手というイメージしかない。一度も観戦したことはないけれど、ただ倒すのではなく、時間をあまり掛けずに倒せると御褒美をくれるらしいということは、話に聞いたことがある。聞いたことはあるけれど。

 

 私は冷や汗が噴き出るのを感じた。無理無理、やめて。

 

「そ、そういうつもりはなくて。お話を伺いたいなーと思ってまして……」

 

 顎髭を撫でつけながら、にこにこと神様がこちらを見ている。本気だ。あれは多分本気の目だ。

 

「ふむ。残念じゃのう。わしはそなたらの探す石板の欠片を持っているのじゃが」

 

 スッ、と懐から出される石板の欠片。神様が言うのなら、あの世界への石板で間違いないのだろう。まさか神様が、暇つぶし相手欲しさにくだらない嘘を吐くとは思えないし。

 

「どうか、それをお譲りいただけないでしょうか?」

 

「もちろん、そのつもりじゃよ。わしに勝てたらの話じゃがのう」

 

「いえ今日はお話だけしに参りました」

 

 パパスさんが何かを言う前に、私は早口にそう返した。冗談じゃないぞ。二人掛かりでマリベル様に勝つどころかそもそも挑戦するレベルにも達していないというのに、そのマリベル様が一人では勝てない神様になぜ挑まねばならんのだ。

 

「つまらんのう。別にアルスたちのようにわしを本気にさせろとは言っておらんのに。して、話とはなんじゃ?」

 

 私は前半を聞かなかったことにして、後半のみに返事をした。

 

「その、石板のことなんです。勇者様たちが閉ざされた世界の封印を解くために使っていた石板は、神様がお作りになった物ですよね? では、私をパパスさんのいる世界に運んだ石板は、一体誰がどんな目的で作った物なんですか?」

 

 神様は変わらず、顎髭を撫ででこちらを見つめている。妙に緊張して喉が渇き、試されているような沈黙がおそろしくて、私は何かを言おうとした。

 

「石板は誰にでも作れるものじゃよ。誰が、どんな目的であろうとも」

 

「ええ……」

 

 けれど、その前に告げられた神様の言葉に対し、素っ頓狂な声を上げてしまう。私はただ、言葉としてのではなく、その意味するところが分からず、真意を知りたくて、この世界の創造主たるお方を見つめた。

 

「さみしいことに、最近はアルスたちも相手をしてくれんのじゃ。わしの遊び相手になってくれるのなら、もっと会話も弾むかもしれぬが……」

 

 遠回しな脅し文句に、私は頬を引きつらせたのを悟らせないために、頭を下げる。本当にやめてくれ。死んでしまいます。

 

「いえ、少しお話しできただけでも十分です。また実力を付けたら、挑戦させてください」

 

 そう言って、踵を返そうとすると、「そう急くことなかろう」と体が動かなくなった。ギギギ、と強制的に体の向きを神様の方へ向けられる。それはパパスさんも同じようで、驚いた顔をしていた。

 

「アルマや。そなたの探す石板の欠片は、たしかにこの世界のいたるところに散らばっておる。しかし、この世界以外にもまぎれこんでしまったようじゃ」

 

 ちらり。意味深長な感じに、神様は自身の背後にそびえる岩を見た。その岩は、地下に入る階段の目印ともされる。地下には台座があり、そこに石板をはめると、それは過去の世界ではなく、不思議な異次元につながっているのだとか。

 

「だが、心配することはない。そなたが真摯に他者と接し、自己と向き合えば、おのずと手元へ集まろう。パパスと力を合わせ、頑張るのじゃぞ。わしはいつでもここで待っておるからな」

 

「……はいっ!」

 

 今度はしっかり目を見て返事をして、頭を深く深く下げる。いつの間にか自由に動かせるようになった体で、パパスさんの両手を握った。

 

「パパスさん、行きましょう! 世界の地理には、詳しいんです」

 

 世界地図を完成させてくれた人たちに、いろいろな話をしてもらったから。神秘の力の宿る場所。精霊の御座す、自然の力が満ち満ちる場所。

 

「アルマ。この世界の神は……とても大きな方なのだな」

 

 町を出るときに、パパスさんが一度だけ神様の方を振り返って言った。

 

「そうなんです。まあ、その分……すごくお強いそうですけど……」

 

 私たちはマール・デ・ドラゴーンに乗って運賃を払い、コスタールに向かった。人が集まるところは情報が集まるところだ。それに、珍しい物があればカジノの景品として扱われることもある。

 

 波に揺られながら、私はパパスさんにアルス様たちの冒険を、まるで自分の体験かのように話して聞かせた。どこかの誰かが脚色して書籍化したものとは違い、子どもに語って聞かせるという意味での配慮はあるだろうけれど、勇者様たちのその時の悲しみと、感動と、出会いと別れをありのままに聞かせてもらった、長い長い物語だ。とても、一日じゃ終わらない。

 

「アルス殿たちは……あまりに過酷な旅をしてこられたのだな」

 

「うん。でも、旅をする中でお辛いことはたくさんあったと思うんですけど、アルス様がいつも言っていたのは、戦いの中でのことらしくて」

 

「戦いの中で?」

 

「いつも、私に『気を付けなくちゃだめだよ』って、悲しそうな顔をするんです」

 

 それは、あまりに単純なこと。誰もが一番「気を付けているはずの」こと。

 

「『死んじゃだめだし、仲間を死なせちゃだめだよ』って」

 

 世の中には、蘇生呪文というものがある。しかしこれは聖なる呪文として扱われ、禁忌の術としては扱われない。というのも、誰にでも効くものではないからだ。

 

 たとえば、誰もが言われずとも理解しているように、寿命や病で亡くなった者は生き返らせることができない。それは、蘇生呪文が「魂を呼び戻す魔法」と「肉体の時を限定的に巻き戻す魔法」を組み合わせた極めて高度な呪文であることに起因する。

 

 寿命で亡くなった者や病で亡くなった者の魂を呼び戻したとしても、肉体の時はほんの少し戻るだけだから、嫌な言い方をすると、そのひとたちは「永遠に死に続けることになる」だけ。だから、説明されなくても本質的に魂というのはそういうことを理解しているらしくて、どれほど呼び掛けても、肉体には戻ろうとしないらしい。

 

 さらに、戦いの中で亡くなってしまった人の中にも、蘇生呪文が効かないひとがいる。至極簡単な理由で、そのひとたちは「呼び掛け」に応じてくれないからだ。

 

 回復魔法は万能ではない。初級魔法で、怪我が治っても慣れていない人はどっと疲れてしまうように。上級魔法でも、ひどい怪我であればあるほど「時間」は戻っても肉体の「記憶」は残り、そのちぐはぐさに「酔う」(と表現される症状が出る)人がいるように。

 

 死ぬことはつらい。

 

『でもね。もっとつらいのは、生き返ることなんだ』

 

 それは私に言い聞かせるというよりは、誰にも言えなかった本音を呟くような調子の言葉だった。私があれほど妄信している勇者様はそのとき、「勇者アルス」ではなく、一人の青年に見えた。当然、分かっていることではあったけれど、そのとき真の意味で私は理解した。

 

 勇者は、人であることを。

 

「目的がはっきりしている旅ほど、『生き返らせなくちゃいけなくなる』。だから、私たち、頑張って死なないようにしましょうね。もちろん、死んでしまったそのときは、生き返らせてほしいですけど」

 

 そう伝えれば、パパスさんは私の頭を撫でた。船は穏やかに、享楽の国コスタールを目指している。船の中でありながら一つの町と言っても過言ではないマール・デ・ドラゴーンは慣れた様子で、眠りについているその間に在り方を変えた祖国へ向かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 途中でフローラを守る役割を交替した僕らは、ヘンリーを前衛に据えて、ようやく塔の五階まで到着した。しかし、階段を上り切るやいなや、前を行くヘンリーが突然襲い掛かってくる。彼は見事、魔物の攻撃を正面から剣で受け止めた。

 

 いや、それは魔物のように見えたけれど――人だった。

 

 奥に伸びる通路をふさぐように、やせ細った老人が立っている。汚れすぎた頭は、白髪があること以外には、元の色が何色だったかさえ分からない。身にまとっているのは、擦り切れそうなぼろきれ。骨と皮の魔物と言われたら信じてしまう人がいるかもしれないと思うくらい、ひどい状態の人だった。

 

「ああ……ようやく」

 

 掠れた声は、とても聞き取りにくい。伸び放題の髪の毛の隙間からぎょろりと覗いたその目は、僕でもヘンリーでもなく、間違いなくフローラをとらえていた。

 

「ようやく、修道女があらわれた……」

 

 のそり。性別さえわかりにくいが、おそらく男性だと思われるその老人は、ゆっくりと立ち上がった。剣なんて持ち上げられなさそうなくらい細い腕で、抜身のさびついた剣をこちらに向けてくる。

 

 あれでは斬れない。殴打するくらいがせいぜいの、手入れもロクにされていない、かつて剣だったもの。

 

 ぶつぶつと何事かを呟く老人は尋常じゃない様子で、ふらふらとこちらへ向かってきた。僕とヘンリーはフローラを背に庇い、互いの武器を構える。

 

「なあ、ガキども……修道女を寄越せ……俺は……塔から出たいだけなんだ……」

 

「だったら、一人で勝手に出ればいいだろ。武器を向けてきて、そんなの人にお願いする態度じゃないぜ!」

 

 ヘンリーの毅然とした言葉に、老人は「無理だ」と消えるような声で言った。

 

 僕たちが目指したいのは、彼の立ちふさがる向こうにある細い通路だ。二階の幻聴に語り掛けられる通路と同じくらいの道幅だろうか。魔物たちは出てこない。

 

 僕は気が付いていた。老人の背後に伸びる通路は、途中で道がなくなっている。そして、途切れた道のその先にある物が、おそらく僕らが求めている鏡であることに。

 

「扉は修道女しか開けられない。……出るときもな!」

 

 老人が剣だったものを振りかぶってきた。弱々しく、衰弱しているように見える老人だけれど、その目のぎらつきが、決して油断していい相手ではないと物語っている。

 

「メダパニ!」

 

 ヘンリーが混乱の呪文を唱えた。相手から正気を奪い、戦いを成立させなくする呪文だ。

 

「スカラ!」

 

 僕は、万が一の時のためにフローラに守りの呪文を掛ける。よろよろと動きの速くない老人だけれど、ヘンリーも相手は人だということに気が付いているだろう。話し合いが通じる状態ではなさそうだが、問答無用で切り伏せるつもりはないらしく、鍔迫り合いの中ふっと力を抜いて相手の体勢を崩し、側方から剣を弾き落とそうと、鞘で思い切り殴打した。

 

「修道女を寄越せぇ!!」

 

 しかし、老人は剣を離さない。さび付いた棒きれのようなそれを握りしめながら、混乱している様子もなかった。

 

「チッ! 最初っからイカれてるやつには効かねえか!」

 

 ヘンリーは悪態を吐きながら、狙いをフローラから自分に誘導しようと攻撃を重ねていたけれど、老人は決して視線をフローラから外さない。恐怖で青白い顔をした彼女は、自分を守るために前にいた僕の背中をトン、と押した。

 

「わ、私! 扉を開けられません!」

 

 そして、一歩前に出たフローラがそう叫んだ。

 

「入口は修道院のシスターに開けてもらいました。だから、だから、私たちとあなたは同じ立場のはずです。武器を収めてください!」

 

 ぶるぶると震えながら、狂気の宿る老人に真剣な眼差しで訴えかけるフローラ。僕らが呆気に取られていると、老人は「騙されねぇぞ……」と狂気に怒りを宿しながら、ヘンリーの攻撃に痛みを感じていないのか、フローラへ一直線に向かってくる。

 

「させない!」

 

 僕は剣を鞘に入れたまま、老人に振りかぶった。老人の目はこちらに向くことすらしない。

 

「俺はここから出るんだァ!!」

 

 空気を、大地を震わす獣のような咆哮。その雄叫びに、僕はほんの一瞬怯み、動きを止めてしまった。

 

「さ、せ、ねえって……言っただろうが!!」

 

 老人から出たとは思えないような雄叫びに、ヘンリーは自分を奮い立たせるように大声で叫び返した。僕と老人の間に滑り込み、さび付いた剣を正面から受け止め、再び鍔迫り合いになる。いくらやせ細った老人とはいえ、もともと体格の良い人だったのだろう。打ち下ろす姿勢の老人と、上へと力を籠めなくてはならないヘンリーでは、力で押されてしまう可能性がある。

 

 僕はようやく言う事を聞いてくれるようになった足で、踏ん張っている老人の膝の裏を思い切り蹴る。体勢を崩したのを好機として、ヘンリーが剣を喉元に突き付けた。

 

「おいおいジイさん。こんな強行突破しなくたって別にいいだろ。フローラの言ったことは本当だ。フローラじゃ塔の入口は開けられない。つーことは、オレたちはどうにかして塔から出る方法を考えなくちゃいけないっつー意味では、不本意ながら同じ穴の狢だぜ。そう殺気立たずに、仲良くやろうや」

 

「そうですわ。一緒に出る方法を考えましょう。それに、おじいさん。あなたもしかして、……昔、海辺の修道院から修道女をさらった、盗賊さんではありませんこと? それなら、きっとシスターが喜びますわ」

 

 恐怖を押し殺しているフローラがにこりと微笑み掛けて、老人に手を差し出す。その小さな手はかたかたと震えていたけれど、それでも目の前の「苦しんでいる人」に対して、精一杯の優しさを向けていた。

 

「アンドレ様。剣をどけてくださいませ。よく見れば、この方、怪我をしていらっしゃいますわ。手当をしなければ」

 

「……分かったぞ」

 

 その暗く、低い声を聞いて、僕は再びフローラを庇うように立つ。

 

「これもまやかしか! クソッ、クソッ!! ここには何もないと思っていたのに! 憎たらしいあの『鏡』しか、ないと思っていたのに!!」

 

 男はさびた剣を右手で握りしめたまま、左手で狂ったように頭を掻きむしった。力加減が出来ていないのか、もともと脆くなっていたのか、爪がはがれて頭からも手からも血が滲んでいる。前から剣を突き付けられていることなど、気にもしていない様子だった。尋常ならざる様子に、僕とヘンリーは視線を交わす。

 

 残念だけれど、この人はもう――。

 

「やめてください! 私たちはまやかしなんかじゃありませんわ! 今、怪我を治しますから、」

 

 僕らの決断を知ってか知らずか、フローラが悲しそうな顔で頭を横に振り、一歩を踏み出そうとする。けれど、彼女の言葉をかき消し、その一歩を止めたのは、獣の咆哮と表現するのも生ぬるい、言葉にならない呪詛のような怨嗟の叫びだった。

 

「まやかし、まやかし、まやかし……まやかしばかりの塔だ。こんなところに真実は何もない!!」

 

 ヘンリーが、喉元に突き立てていた剣を少し浮かせて、勢いをつける。僕はその隙に、魔法を展開させた。

 

「あの鏡さえも! まやかしだ!! ここはそうして、人を苦しめるだけの塔なんだ!!」

 

 奥は狭い通路。下手に魔法で攻撃すれば衝撃で吹き飛ばされ、落ちてしまう可能性があった。ここは五階で、四階も三階も吹き抜けの構造だったことを覚えている。つまり、落ちれば一気に二階まで真っ逆さまだ。そうすれば、ただでは済まないことは誰にだって分かる。

 

「バギマッ!」

 

 僕が叫んだ瞬間、老人の棒きれみたいな体が浮く。しかしその狂人は、咄嗟に近くにあったヘンリーの剣を、手が切れるのも構わず握りしめた。――柄を、まだヘンリーが握っている。

 

 二人の体は通路の方へと投げ出された。体重の関係か、風の呪文で老人よりも高く舞い上がったヘンリーに対し、空中で彼の剣を離していた老人は通路の上に既に放り出されている。勢いを殺せないまま、通路の端ぎりぎりのところにしがみつくため、老人は切れている手の平もお構いなしに腕を伸ばした。

 

「イオッ!」

 

 あともう少しで手が届く、その時。ヘンリーが爆発呪文を放った。しかし、その衝撃で無情にも老人だけでなく、宙に浮いたままだったヘンリーの体も、通路から遠ざけてしまう。

 

「ヘンリー!!」

 

「リュカッ! 下で待ってるから、鏡取ったらすぐ来い!! 取って来なかったらぶん殴るからな!!」

 

 ヘンリーと視線が合う。僕は彼の青い目に覚悟を見た。サンチョのものとも、シスターのものとも違う覚悟の目。頼りない僕を何度も見ているくせに、呆れるほどに僕を信じる、僕の親友。

 

「ソロ様……! お二人が!!」

 

「……いいんだ、フローラ。僕たちは鏡を取らなくっちゃ。そしたらすぐに下に行こう」

 

 ヘンリーは信じているんだ。

 

 僕が、彼を必ず「生き返らせる」と。そして覚悟している。「何があっても、必ず生き返る」と。

 

 腰が抜けた様子のフローラを抱き上げる。驚いたのか、「きゃっ!?」と顔を真っ赤にしていたけれど、この階は魔物も出ないとはいえ、一人で置いていくよりは、抱きかかえてでも一緒に行った方が安心だろう。

 

「通路が……途切れてますわね」

 

「……『見えない橋を渡れ』」

 

 途切れた通路は、きっと大人だって飛び越えることはできない幅だ。

 

 だけど、僕は思い出していた。一階の中庭で僕に手を振った女の子。その女の子は、ラーの鏡と神の塔に興味津々で、お城にある本を読んでは僕に聞かせてくれた。

 

 だから、一見ヘンリーたちが落ちていった階下へ続くものと思われる「何もない」空間に、僕は足を踏み出す。

 

 ――アルマ。君はいつも、僕を助けてくれるね。

 

 見えない橋。目に見えるものばかりを信じる者は、神の祝福を受けられない。目に見えぬものを信じることは、こわい。こわいけれど、確信もしていた。中央ではなく、目に見えぬ道は端にある。

 

 こつり。

 

 何もないはずの場所に、僕は立っていた。他に人がいれば、宙を歩いているように見えるだろう。だけど、僕は確かにラーの鏡へと至る橋を渡っている。

 

「鏡だ」

 

 渡り終えた先にあるのは、曇りなき鏡。僕と、その腕に抱えられたフローラを映している。

 

「すごい……」

 

 ゆっくりフローラを下ろして、僕は鏡を手に取った。そこに映るのは、どこかほっとした顔の僕。

 

 ――いいや。まだほっとしている場合じゃない。

 

 僕は鏡を床に座り込むフローラに手渡した。

 

「君が持ってて。さあ、立てる?」

 

 彼女は鏡を片手で抱え、もう片方の手で僕の手を取りながら、自分の足でしっかりと立ち上がった。

 

「はい。行きましょう、ソロ様――いいえ、リュカ様」

 

「うん。ねえ、フローラ。ちょっと怖いかもしれないけど……」

 

 僕は彼女の手をしっかり握り直し、にっこりと微笑み掛ける。

 

「なんとかするから、近道するね」

 

 見えない道のない、中央の穴。

 

 僕はフローラの手を握ったまま、そこへ飛び込んだ。相談もせずにそんなことをしたから、怒っているかと思って彼女の方を見ると、青い髪をなびかせたフローラは、彼女らしくなく、大きな声で笑い出した。

 

「もうっ、もうっ……! 信じられません! 私、空を飛ぶ日が来るとは思いませんでしたわ。リュカ様、なんとかしてくださいませ!」

 

 僕もつられて笑いながら、空いている方の手を下に向けて、ヘンリーたちを落としてしまったのと同じ魔法を唱える。

 

「バギマ!」

 

 二階の一本道、その通路に向かって放たれた真空の刃は、その衝撃で僕たちの落下速度をゆるめてくれる。

 

「バギッ、バギッ! ……よいしょっ、と。フローラ、怪我はない?」

 

「ありませんわ」

 

「よし、じゃあもう一回行くよ。次は一階分の高さだから、さっきよりは楽しくないかもしれないけどね」

 

 フローラはまた笑った。紫がかった、ヘンリーのものとはまた違う青い目が、三日月の形に細くなる。

 

「まいりましょう、リュカ様。私きっと、あなたとならどこへでも行けますわ」

 

 その笑顔に、僕は鼓動が早鐘を打つのを感じた。体の底から、勇気の湧いてくる笑顔だった。

 

 ――きっと、ヘンリーを生き返らせてあげなくちゃ。

 

 覚えたときは「使うことがなければいい」と言っていた、蘇生呪文。ザオリクほど強い呼び掛けではないザオラルの呪文は、一度では祈りが届かないこともあるそうだ。

 

 だけど、きっと、うまくいく。

 

 僕らは手をつないだまま、優しい幻想をみせる中庭へと飛び降りた。

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