転生幼女がDQ5にインしたようです   作:よつん

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それぞれの思惑

 

 

 

 箱一杯の戦利品を眺めてにこにこしていると、その箱をパパスさんがひょいっと持ち上げた。お礼を言うと、彼は複雑そうな表情でこちらを見ている。

 

「アルマ……コスタールには情報収集に来たのではなかったのか? これだけ勝ち続けるのは大したものだとは思うが……」

 

「パパスさん。予想通り、石板の欠片はカジノのコインとの交換商品の中にありました。しかもたったの二千枚ですよ! アルス様が受け取って以来品切れ状態だったのが、つい先日補充されたそうです。これはもう、誰かに取られる前に取らなくては!」

 

「しかし、『ラッキーパネル』はコインが増える遊びではないと聞いたぞ」

 

「ふふふ。甘いですね、パパスさん。カジノでものを言うのは軍資金です。しかも、余剰のお金で遊ぶのが鉄則。そうなると、余剰のお金を増やすことが第一なのです。『ラッキーパネル』は確かにコインは増えませんが、その分成功すればいろいろなアイテムを手に入れることができます。それを売ってお金にする。そうして軍資金を増やせば、気付けば賭け事でコインを増やさなくても二千枚のコインを買い取り、そのまま石板を手に入れることもできるというわけです!」

 

 私が胸を張ると、パパスさんは「それは誰から教わったのだ?」と呆れながら聞いてきた。

 

「メルビン様です! メルビン様はスロットが弱すぎて、それでもお小遣いの中からどうしてもやりたくて、ある日この方法を思いついたそうです」

 

 「ラッキーパネル」はその名前とは裏腹にラッキーでなくとも攻略できる遊びである。平たく言えばシャッフルパネルとチャンスパネルという特殊カードの含まれた神経衰弱で、最初に自分で選んだ六枚のカードの中身を確認できる。カードには星座の記号が描かれたものと、アイテムやお金などの絵が描かれたものがあり、後者はペアを揃えただけではもらえず、全てのカードを揃えてゲームに勝つとまとめてもらうことができる。三回外れるとゲームオーバーだが、シャッフルパネルさえ引かなければ割りと容易に勝てるのだ。

 

 もちろん、メモなどは取ってはいけないので、記憶力に自信がない人にとっては難しいだろう。しかし、私はこのゲームがかなり得意だった。別に記憶力が特別いいわけではなく、攻略法を知っているのだ。

 

 人の記憶が一気に覚えられるのは、プラスマイナスして大体七つの事物についてである。つまり、最初に開く六枚のカードくらいなら、大抵の人は覚えられるのだが、馬鹿正直にそこで脳の容量を使うのはもったいない。「七つの事物」としてより多くのことを覚えるために、隣り合うカードなどに「意味」を持たせるのだ。

 

 どういう事かというと、暗記科目で語呂合わせをしていくように、星座のシンボルやアイテムのマークを組み合わせて覚えていく。こうしてエリアごと覚えるようにすることで、二十枚のカードの位置関係を簡単に覚えられるようになる。不意にシャッフルパネル以外を引いてしまったとしても、かなりの確率でリカバリーが可能だ。負けることも当然あるが。

 

「……もしや、お前を初めにカジノへ連れてきたのもメルビン殿か?」

 

「はい。『今の』コスタールに行ってみたいって言ったら連れてきてくれて、ついでにカジノで遊ばせてくれました!」

 

 初めて連れられてきたときにすぐ各ゲームのルールを覚えた私は、負け続けて平常心を失っていたメルビン様に、「絶対勝つのでやらせてください」と言って、一山当ててあげたのだ。それから、メルビン様は天上の神殿でのお勤めをお休みされるときに、息抜きと称して私をカジノに連れてきてくれるようになった。私がメルビン様からお金をもらい、そのお金で稼いだコインはそのままメルビン様のカジノでの軍資金になる。

 

 ちなみに、お小遣いと称した口止め料を結構な額いただいているが、アルス様とアイラ様にはバレている。マリベル様にバレるととっても怖いだろうし、ガボ様はうっかりマリベル様に言ってしまう可能性があるので、みんな気を遣ってメルビン様の「休日の過ごし方」には口に出さないことになっているようだ。

 

 シャークアイ様は、娘の私をお金というかコイン稼ぎに使うメルビン様に時折苦言を呈していたが、メルビン様にキリッとした顔で「シャークアイ殿。アルマには才能があるし、何より楽しんで遊んでおります。何も、わしは自分のためだけにアルマを連れまわしているわけではござらんよ」と言われてからは、もう何も言わなくなった。

 

 私は気休め程度に「メルビン様、カジノだけじゃなくてたまにマーディラスに音楽の演奏を聴きに行ってくれたり、クレージュで世界樹を見に行ったり、いろいろなところへ連れて行ってくれるんですよ」と言っておいたが、まあほとんどカジノに連れて行かれていることはバレていて、「お前は何も言うな」みたいな顔をされてただ頭を撫でられただけだったなぁ。

 

 とはいえ、今実際に役に立っているのは事実だ。コスタールの人たちの間で、私はちょっとした有名人になっていて、ラッキーパネルのディーラーさんは目の色を変えてシャッフルをし始める。苦手な人でも少しは勝っていい思いができるように、パネルの並び方には法則があるのだが、得意な人に対してはそんな優しさは見せず、ぐっちゃぐちゃに毎回シャッフルされる。まあ私はそれでもほとんど覚えられるので勝つけど。

 

「……アルマ。お前は大した子どもだな」

 

 出禁にならない程度に勝って、アイテムたちを換金する。結構なお金になり、無事にコイン二千枚分で石板の欠片を手に入れることができた。

 

「えへへ。無事に一枚手に入ってよかったです!」

 

 にっこり。石板の欠片は手に入るし、余分にお金もアイテムも手に入れることができてウハウハな私である。……まあ、石板を揃えてリュカたちのところに行くには、神様とマリベル様を倒さなくちゃいけないんだけど……。私は何も考えないことにした。

 

「今日はコスタールに泊まるか?」

 

「パパスさんが陸で泊まりたければ、そうしましょう」

 

 とはいえ、水の都コスタールは「陸の上」でありながら、「水の上」でもある。船のようにゆらめきはしないが、窓からひょっこりと顔を出せば、町のいたるところに水が流れているのだ。とても美しい町で、マール・デ・ドラゴーンから見渡す海の景色の次に、私はこの町から見る海が大好きだった。

 

 何かを考えた表情になったパパスさんは「やはりマール・デ・ドラゴーンに泊めてもらおう」と言って、水の都を後にした。まあ、マール・デ・ドラゴーンの人たちは私たちをかなり甘やかしてくれるので、宿代わりにするにしても格安だ。ちなみに私はお金を取られない。自分の家だからだ。パパスさんは甘えるわけにはいかないと言って、三ゴールド払っている。シャークアイ様が値段を決めていたが、基準はよく知らない。

 

 

 船に戻った私たちは、カジノで遊びつつも手に入れた情報を整理した。私だってただ遊んでいたわけじゃない。

 

「私が聞いたのは、『マーディラスで近々音楽の大会が開かれ、グレーテ姫様が特別な賞品を用意している』こととか、『大灯台に星が降るのを見た』とか、そういう話でした。マーディラスは行ったことがあるので、キメラの翼で行ってグレーテ様にどんな賞品なのか聞いてみるのはアリだと思います。大灯台は魔物が出るので……」

 

「うむ。私も大灯台のことは聞いた。あとは『砂漠の三馬鹿が家に落ちてきた石板を取り合って喧嘩している』という話も聞いたが、教えてくれた相手が酔っぱらっていて詳細はよく分からなくてな」

 

「……いえ、私にはよく分かりました。大丈夫です」

 

 「砂漠の三馬鹿」はかなり有名な人たちだ。砂漠の村の村長の三つ子の息子たちのことである。くだらないことでいつも張り合って喧嘩をしているのが特徴で、みんな次期村長の座を狙っているが、「次期村長は三つ子の弟のサイードさん」というのが村人たちの総意であるそうだ。私は実際に会ったことはないが、マリベル様曰く「あんなやつらに村を任せるくらいなら、村長と血縁関係にないどっかの誰かをあてがった方がマシ」とのことである。

 

「じゃあ、最初はマーディラスで大会のことを聞いた後に、砂漠へ向かって三ば……いえ、村長さんの息子さんたちに話を聞くとしましょう。大灯台の魔物は強いので、その間に鍛えればいいですし。あっ、でも、鍛えるならダーマの神殿に寄るのが先かなぁ……?」

 

 ぶつぶつ言いながら、頭の中で今後の予定を組み立てていく。ルーラが使えれば楽なんだけど、あいにく私には使えない。コスタールからダーマの神殿は近いし、先に船で行って魔法使いに転職するのもいいかもしれない。パパスさんはどう考えても前衛向きだし、だとすると私の役割は後方支援だ。攻撃手段と回復や補助の手札がバランスよく習得できればよいが、一つの職業でそれを望む必要もないだろう。

 

 マーディラスの大会とやらは気になるが、まだ石板があると決まったわけではないし、遠いので船で行くよりキメラの翼を使いたい。そうなると、船でダーマに向かい、そこからキメラの翼を使えば安上がりだろう。

 

「アルマが世界の事情に詳しいのでとても助かる」

 

 パパスさんに言われて、思考に耽っていた頭を切り替え、笑みを浮かべる。

 

「いえいえ。アルス様たちのおかげですから。今日も、冒険の続きをお話ししましょうか?」

 

 私が話したいだけの英雄譚を、パパスさんは快く聞いてくれた。今日もまた頷き、話すことを許してくれる。

 

「そうだな。昨日はダイアラックのある島が復活したところまで聞いた」

 

「じゃあ、次はオルフィーの町ですね。ここは何と、動物の暮らす町だったそうです」

 

 私はまた、自分の冒険のように話を始めた。それは一種の現実逃避だった。勇者様たちの英雄譚は、私が救えなかったものを少しの間忘れさせてくれる。勇者様たちの苦労を、つらさを、それでも頑張ってきた道程を想うと、私も落ち込んでいる場合ではないと励ましてくれる。

 

 シャークアイ様と一緒に眠っていれば悪夢を見ないし、目的があれば私は歩くことができた。

 

 恵まれている。そのことを素直に喜ぶことができない自分の心が恨めしい。

 

 ――だって、リュカとゲレゲレ、ヘンリーとデールは、きっとつらい目に遭っている。

 

 考えてもどうしようもないことだとは分かっているから、私は他の事で頭をいっぱい使って、考えないようにしていた。だって、彼らのもとへ行くために、今はただ石板を集めて、強くなるしかない。祈るしかない。

 

「……しかし、そこは本当は『動物の暮らす町』ではなく、『動物にされた人々が暮らす町』だったんです」

 

 ふと、窓の外を見ると夕日が海をオレンジ色に染めていた。うすい紫と青とオレンジの混ざる空は美しく、なんだか涙が出そうになるくらいだ。

 

 だけど、涙は流さない。私は恵まれている。だから、涙はリュカたちとの再会の時まで、取っておこう。自分の不甲斐なさには、もう十分泣いたから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 リンクスと名を変えたデールは、同じくギコギコと名を変えたゲレゲレに抱き着きながら、この世の終わりのような顔をしていた。

 

「絶対に……絶対に嫌です! ボクは仕事を一度だけ手伝う、それだけです! あなた方の仲間ではありません!」

 

「そうは言ってもよぉ。相手が魔物だろうが人間だろうが、盗みを働くからには顔は見られない方がいいだろう」

 

「その理屈は分かりますよ! でもなぜそんな恰好をしなければならないんですか!!」

 

 デールは半狂乱になりながら、拒否の姿勢を崩さなかった。目の前にいるのは、ただの荒くれ者だったはずの男。現在は覆面にパンツ一丁の、どう見ても変態としか思えない恰好をしていて、その手にはさらに、デールが着用できそうなサイズの同じ衣装を持っている。

 

「諦めろ、新入り。これは盗賊の伝統衣装みたいなもんだ。なあお頭」

 

 その後ろで、似たような覆面パンツスタイルをしているカンダタの子分が笑った。ちなみに、デールとゲレゲレは現在、覆面パンツ集団に囲まれていた。カンダタを含め、その数総勢八名。デールとしては、なんとしても自分が九人目となることは避けたい。

 

「絶対に嫌です! そんな恰好するくらいなら……」

 

「するくらいなら?」

 

「女装でもした方がまだマシですッ!」

 

 その発言により、デールには偽名が増えた。リンクス改め、リンは長い茶髪が特徴的な柔和で愛らしい少女の外見をしながら、しかしその目は冷え切って変態どもを見つめている。

 

「で? さらに素顔がバレないようにこの仮面を付ければいいわけですね? ええ、もう覆面パンツ以外ならなんでもいいですよ」

 

 しかし変態たちはその視線をうれしそうに受け止めていた。リンの目は死んだ魚のように生気のないものとなったが、相棒のギコギコに顔をぺろりと舐められて生気を若干取り戻し、涙を浮かべている。

 

 少女盗賊のリンは変態どもの要望で、活動的なショートパンツにニーハイソックス、皮のブーツをはいていた。上半身は動きやすく急所も隠せる黒いハイネックのノースリーブで、その腕にはアームカバーと指先の巧緻性を保証した指ぬきグローブを身に着けている。さらに武器を隠せるマントと、顔を隠すための仮面を渡され、全体的に見れば露出は控えめながら、太ももや脇などは惜しげもなく白い肌をさらすファッションとなったのだった。

 

 ちなみに「ニーソックスがずれると困るだろうから!」とガーターベルトをすすめられたが、それだけは断固拒否した。ニーソックスをタイツに変えるという案は、大論争を巻き起こしたため、なんだか全てが面倒になり当初提案されたニーソックスを素直にはいたリンである。

 

「お前ら、ちょっと静かにしろ。これから各々の役割を分担するぜ」

 

「お頭! 俺、リンちゃんと一緒がいいです!」

 

「あーっ、ずるいぞ! お頭、俺も俺も!」

 

「お前ら、ちょっと静かにしろ」

 

 覆面パンツの親玉がぎらりと斧を見せつけると、子分たちはいっせいに黙った。静かになったところで、カンダタはまだ情報が少ないことから、まずは情報収集をしたい場所を子分たちに伝え始める。

 

「まずはグランバニアだな。あそこは大臣が『光の教団』とつながりがあるって話だ」

 

 気落ちしていたリンの目に、激情の光が宿った。しかしそれに気が付いたのは、友人を案じていたギコギコ以外にはいない。グランバニアが灰色の雨に降られてまだ数日。城塞に守られた国が閉ざされたことを知る者はまだ少ないのかもしれない。

 

「……知りませんでした。それって、有名な話なんですか?」

 

「裏社会ではな。野心家で、お人よしのオジロン王をどうにかして王座から引きずり落とすつもりだったみたいだぜ。まあ、ラインハットのことがなくても、前々からキナくせぇって噂のあった『光の教団』だ。悪いことを考えるやつらってのは惹かれ合うもんさ」

 

「ふうん。『裏社会』って、面白そうですね。少し興味が出てきました」

 

 ちらり。ギコギコの方を見たリンは相棒を安心させるようににっこりと笑った。その胡散臭い笑顔を見て、カンダタはため息を吐く。

 

「やめとけ。お前さんみたいに小賢しいやつに限って、最初は上手くいくから調子に乗って大きなヘマをやらかすもんだ」

 

「ボクは盗賊を続けるつもりなんてありませんから、心配いりませんよ」

 

 リンが笑顔のままそう返すと、カンダタは肩をすくめて話を続けた。

 

「さて、次の場所だ。ここは簡単だな。いつもの闇オークション会場だ。あとは……やつらの根城だな。セントベレス山に潜入する」

 

「潜入って、そんなことできるんですか?」

 

「『教団』なんだ。信者のふりをすれば簡単だぜ、リンちゃん」

 

 すかさず質問をしてきたリンを嗜めるように子分の一人が返事をする。リンは片目を瞑りながら、その危険性と、成功したときに得られるであろうあれこれに考えを巡らせた。

 

「……なら、潜入についてはボクはやめておきます。この中では闇オークションが気になりますね」

 

 そして、辞退した。ここで引き受ければ、敬愛する兄はリンを――いや、デールを許さないだろう。まだそのときではない。セントベレス山には、三人で行けばいい。自分が合流して、今よりもっと力を付けて、三人で「光の教団」を壊滅させる。ここで危険を冒す意味はないはずだ。

 

「ま、お前は『お客さん』だ。じゃあ、お前らは光の教団に潜入しろ。そんでお前らがグランバニア。リンとギコギコには、俺様が直々に闇オークションってやつを見せてやるよ」

 

「ええ、よろしくお願いします」

 

 子分たちはぶうぶうと文句を言っていたが、再びカンダタが斧をちらつかせるとすぐに静かになった。

 

 一行はそれぞれ決められた通りに目的地へ向かう。

 

 しかし数日経って、グランバニアに向かった他の子分たちは、閉ざされた国で「空飛ぶ靴について」なんの手掛かりも得られないまま、カンダタたちに合流したのだ。ちなみに、オークションは開催される日が決まっているので、現在オークション会場にいるのは情報交換をしに来た者や、手に入れた物品を先に預かっていてほしい者、オークションの主催者くらいである。

 

「なんだァ? グランバニアはそんなことになってんのか」

 

 報告を受けたカンダタは分厚い覆面の中で眉を上げた。生来悪運の強さで生き延びてきた男である。彼は子分たちに潜入捜査をさせたことを「失敗だった」となぜかそこで直感していた。そして、その直感は当たることとなる。

 

 セントベレス山に潜入した子分たちは、とうとう戻ってくることはなかった。

 

 もちろん、カンダタたちは「空飛ぶ靴」と「ストロスの杖」について情報を集めながら、アジトにも定期的に足を運んで、潜入しに行った子分たちが帰ってきていないか確認していた。それでも彼らは、姿を見せることも、手紙を寄越すこともなかったのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 教祖イブールは、鋭い爪で、しかし紙を傷つけぬよう見た目にそぐわに繊細な手つきで文字をなぞる。

 

<魔封じの洞窟では、僕らは魔法を使うことができず、魔物との戦いはとても苦労した。>

 

 あるとき手に入れたその本に書かれた出来事は、イブールにとって青天の霹靂だった。その書物は、時折意味の通じない文章やよく分からない表現があったが、大まかなことは読み解けるもので、イブールは夢中になって読みふけった。「書かれた時代が違うのだろう」と思い、意味の通じない文章や不可思議な表現の使われている部分の解明に頭を悩ませ、「光の教団」についてはしばらくの間部下たちに任せたほどだ。

 

 それほどまでに、その書物には価値があった。

 

 ――これがあれば、わしは世界を支配できる。

 

 それは、愚かな者どもが読めばただの英雄譚だろう。しかしイブールにかかれば、それは「世界を絶望に導く手引き」だった。

 

 数々の絶望に支配された世界。その闇を晴らそうと奮闘する、書物の中の人物。そして闇は晴れ、封印されていた世界は自由を取り戻す。

 

 つまり、その書物には世界を絶望で支配する方法と、その対抗手段についてが書かれているのだ。イブールはそこらへんの愚か者とは違う。「対抗手段の対抗手段」を考えることができる。

 

 ――人間界を支配し、ミルドラース様に認められば、あるいは。

 

 自分の望みもようやく叶うと、イブールは信じて疑わなかった。

 

「アダムはいるか」

 

「ここに」

 

 自分の血を引くこの少年をイブールは心底嫌悪していたが、その能力は何物にも代えがたいので、手元に置いている。

 

「お前に指令を与える。以前のラインハットでの失態を挽回できる機会だ」

 

「御意のままに」

 

 その顔立ちが、魔物の血を引く深紅の眼差しが、どうしても許せなかった。だから、イブールは息子を極力視界に入れないし、何か伝えるときも必ず首を垂れさせる。

 

「それと、ラマダに掛けていた魔法を掛け直しておけ。そろそろ効果が切れる頃合いだ」

 

「承知致しました」

 

 息子が部屋を去り、イブールは再び書物に視線を落とした。手始めにグランバニア王国に「灰色の雨」を降らせたときは、上手くいった。もちろん、この「雨」の原理はよく分からないため、魔法や魔法道具でそれっぽく再現しただけなのだが、思いの外上手くいったようで、今回と同様、汚名を返上するために息子に任せたグランバニア王国は「封印された国」となったと報告を受けている。結果については複数の部下から報告させたため、間違いないはずだ。

 

 ただし、国が城の中におさまっているような、特殊な場所である。国民も慎重な性格の者ばかりなのだろう。城は施錠されていたということと、結界が未だに効力を保っていることで、中にある石と化した人々を壊して回ることができなかった、との報告も同時に受けた。

 

 野心家の大臣だけは外に呼び出していたようだが、その大臣が国民を誘導する前に装置が誤作動を起こして、他の国民は全員屋内にいたままだったとのことだが、まあ些末なことだろう。

 

 何せ、この世界には「天使の涙」などという道具は存在しないし、作らせることもない。であるならば、中の国民も呪いを受けたまま、誰に解放されることもないのだ。「灰色の雨」を降らせる装置については、今後改良していく予定だ。

 

「ゲマがいたら容易かったかもしれんがな……」

 

 一人呟きながら、イブールは首を横に振る。一応部下ということになっているが、ゲマは自分に対して忠誠を誓っていないことなど丸分かりであった。ミルドラースに派遣された、教団の御目付役。人の悪意や絶望、憎しみ、悲しみなどを悦びとする、魔王の腹心たるにふさわしい邪悪な魔物。

 

 いつも本気を出さずに人間をいたぶるのが趣味のあの魔物が本気を出し、なおかつ力のほとんどを使い切って相手を仕留めたというのには少々驚いたが、あの魔物は「復活する」。

 

 世界が邪悪に染まるほどに、ゲマの力は強くなる。他者の負の感情を力の源としているので、「核」から破壊せねば、ゲマが本当の意味で滅びることはない。その「核」も、魔王ミルドラースの指示のもと、現在は魔界に送られているため、弱っているところを仕留めようと思っても不可能だ。

 

 これからゲマは急速に力を取り戻すだろう。イブールの手元に「世界を絶望に陥れる方法を記した書物」がある限り。人間世界を絶望で支配し、「光の教団」は力を取り戻す。

 

 イブールは神など信じていないし、いるならそれは魔王ミルドラースのことだと思っていたが、福音のようなその書物には、神に抱くような信奉を抱いていた。

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