フローラは逸る胸を落ち着けるために、一つ息を吐いた。それから、丁寧に、一文字ずつ言葉を紡いでいく。家族へ宛てた少女の手紙は、それまで送っていたものとは少々趣が異なっていた。
修道院に訪れた少年たちと、冒険をしたこと。怖かったけれど、二人が守ってくれたこと。冒険を通して、「強い心」とは、「救い」とは何なのかを、学ぶことができたような気がすること。
少年たちは、ソロとアンドレという名前で、わけあって実家にある「天空の盾」を必要としていること。
普段ならば、修道院での生活で起きた出来事、感じたことを、どこか遠慮がちに綴られていただけの手紙。それが今回は、活き活きと、少女の胸の高鳴りをそのまま表すかのような文章となっていた。
家族は驚くだろう。フローラという控えめな少女が冒険に出掛けたことそのものよりも、自分たちに本音をぶつけてきたことに。
本当は家族で一緒に過ごしたかった、修道院での日々は不安だった、私は姉と違っていらない子なのかと思った、――けれど、今はそう思っていない。
そんな少女の赤裸々な思いを読み取り、父は、母は、姉は、一体どんな顔をするのだろう。フローラは、くすくす笑いながらそれぞれの反応を想像した。
「ちょっとした事情」のために冒険について、その成果について具体的なことは一つも書けやしないが、実家に戻ったときに話して聞かせるのもいいだろう。そのときはきっと、そんな旅を自分がしたことに対する家族の反応を、この目で見ることができるはずだ。
「……はやく、会いたいです」
書き終えた手紙を封筒に入れて、蝋を垂らす。少女の瑞々しい体験が閉じ込められたその手紙を見つめながら、フローラの口からはそんな言葉が漏れていた。
その言葉は、手紙を宛てた人々に向けてのものでもあり、手紙に綴った人々に対してのものでもあった。
ソロとアンドレと名を偽る、リュカとヘンリーは、修道院を出て行った。フローラに「サラボナの大富豪」の話を聞いて、今度はオラクルベリーに情報を集めに旅立ってしまったのだ。
フローラは彼らに「『天空の盾』を譲ってくれ」とは言われなかった。そんなことを言ったところで、彼女を困らせるだけだということを、あの賢い少年たちは正しく理解していたのだろう。
「また会おう」と握手をした二つの手のひらを、どれほど離したくないと思ったことか。
「私も連れて行って」と衝動のままに言えたなら、どんなによかったことか。
けれど、フローラはそれをしなかった。旅立つ少年たちの手を離し、その姿が見えなくなるまで手を振った。「お元気で」と、我儘な子どものせりふを呑み込んで、聞き分けの良い子どものせりふを口にした。
しかしそれは、フローラが内気で控えめな少女だったからではない。
彼女は確かに内気で控えめな少女だったけれど、それ以上に賢く、思いやりのある女の子だった。大好きな人たちを困らせたくない。その「大好きな人たち」は、旅立つ少年たちだけではない。家族も、修道院でお世話になっている人々も。皆、フローラにとっては大好きでかけがえのない人たちだった。
せめて、彼らの無事を祈ろう。そしていつの日にか、大人になった自分を見てもらおう。
修道院の鐘が鳴った。澄んだ音色は、旅立った少年たちに、塔で祈り続けるシスターに、きっと届いているにちがいない。
フローラは立ち上がり、背筋を伸ばした。海辺の修道院の風は、潮のにおいがする。それは時折強く吹き抜け、浜辺の砂をつれてくるのだ。
苦しみを抱えた誰かが、導かれるようこの地を訪れるように。世の不条理に溺れた人を波に乗せて運ぶように。
「フローラ……あなた少し、背が伸びました? そういえば、髪の毛も」
美しい姿勢で歩く少女に、修道女の一人が声を掛ける。立ち止まり、青い髪をひと房手に取った彼女は、恋する乙女のように破顔した。
「ちょうど、これから髪を伸ばそうと思っていたところなんです」
ぱっと手にしていた髪を放し、少女は再び歩き出す。
「きっと、似合うわ」
修道女は、どこか大人びた少女へ向けて、心からの言葉を送った。
*
オラクルベリーは、昼間よりも夜の方が騒がしい町だと、ここに来る途中商人のおじさんが言っていた。そういうことなら、と僕らはいつもは寝ている時間に宿を出て、町を見て回ることにした。
確かに、夜のオラクルベリーはきらびやかで、なんだか目がちかちかする。特にカジノは、びかびかと過剰なほどの明かり、大きな音、お酒のにおいが交じり合って、独特な雰囲気があった。僕は、正直に言えばちょっとだけこの雰囲気が苦手だと感じていたけれど、ヘンリーに馬鹿にされそうなので、それについては何も言わない。
ゲームをやりたがるヘンリーをひっぱってあれこれ聞いて回っていたら、お酒が入って口の軽くなった大人たちがいろいろなことを教えてくれた。ほとんどはご機嫌になった酔っ払いたちが昔語りとして、自分たちの出身地に伝わる伝説を気分よさそうに話すばっかりだったけれど、参考になりそうな話もあった。
「『天空の装備』を探してるなら、テルパドールっていう砂漠の国の女王様が持ってるって話だぜ」
「珍しい武具なんかは、カジノの景品になってることも多いぞ」
「小さなメダルを集めて交換すると、珍しい物がもらえるって話も聞いたことあるな」
こういった話を突き詰めていき、とりあえず僕らの中では南の方へ行くのが決定した。テルパドールという砂漠の国も、小さなメダルを集めている「メダル王」という人のお城も、南の方にあるらしいのだ。
「いろいろ聞けたし、『オラクル屋』ってところと『占いババ』って人のところに行ったら、宿に戻って休もうか」
「うーん……掘り出し物が売ってるかもしれねぇっていう『オラクル屋』は分かるけどよぉ、占いは別にいいんじゃねーか?」
「言いたいことは分かるけど、リンクスとギコギコのことは誰に聞いても知らないって言うし、占ってもらうくらいはいいんじゃないかな。何か手掛かりがあればもうけものだよ」
占いを信じていないらしいヘンリーが「しゃーねぇなぁ」と頭の後ろで腕を組みながらついてくる。「占いババ」さんは有名人らしくて、酔っぱらったおじさんが押してくれた場所には順番待ちの列ができていた。特に女の人が多くて、占い終えてもらった人の中には友達らしきひとに興奮した様子で結果を伝えている。
「……恋占い専門ってことはないよな?」
「もしそうだったら、おじさんたちがそう言いそうなものだけど……」
そんな不安を抱えながら並んでいると、僕たちの番になった。お金を払って、「人を探している」というと、紫色の「いかにも」といった服装のおばあさんは、水晶玉に手をかざし始めた。
「お前さんの探し人は遠いところにいるよ。どれほどお前さんが探そうが見つからないが、必ず再び出会う……焦らず、お前さんは自分のやるべきことをじっくりやりな。そうすればきっと、向こうがお前さんを見つけてくれるよ」
「探し人はいない」とは言われなかった僕は、ほっとした気持ちになってお礼を言った。
「待ちな。そっちの茶髪の小僧」
「あァ? オレが知りたいのはこいつと同じ内容だから、別に占ってもらわなくたっていいぜ」
呼び止められたヘンリーが、少しの興味もなさそうに「後ろで待ってるお姉さん方を占ってやりなよ」と顎で僕らの後ろに並ぶ人々を差す。ヘンリーは生まれも育ちも王子様のくせに、「そこら辺の悪ガキ」のまねが本当に上手だ。別に羨ましくはないけど。
「いいや、待ちな。お前さん……今すぐにじゃないが、女難の相が出てるよ」
「そりゃ、御心配どーも。悪いが、そこらの女に引っかかるようなタイプじゃないと自負してるんでね」
僕の腕をつかみ、空いている手でおばあさんにひらりと手を振ったヘンリーは、そのまま無言で宿まで歩いていた。その横顔は、不機嫌というよりは苦しいのを耐えている顔である。僕は彼が――アルマのことを思い出しているのだと、分かってしまった。
部屋に鍵を掛けた僕は、ベッドに横になりながら、「ヘンリーってさ」と浮かない顔のままの親友に声を掛ける。
「アルマのことが、本当に好きだったんだねぇ」
「……そりゃ、お前もだろ」
「うん。僕、今でも覚えてるよ。お別れ会での試合の時、君、『強くなったね』って言った僕に『お前より強くならなきゃ、アルマを奪えないだろ』って――すごく真剣な目で、そう言ってた。僕、あんまりびっくりして動けなくなっちゃって、試合にも負けちゃった」
もちろん、僕にとってもアルマは「特別な女の子」だった。大好きで、ずっと一緒にいたかった。でも、あのときのヘンリーの青い目が、あまりに真剣で。
「僕、『勝てない』って、思っちゃったんだよ、あの時。試合になのか、君の気持ちになのかは、分からない。でも、試合に負けて、本当に、本当に――悔しかった」
横になったまま、顔だけヘンリーに向ける。彼が何を考えているのかは分からない。
「オレも、今でも覚えてるぜ」
小さな、だけどしっかりとした呟きだった。
「お前の独占欲。毎日毎日、至るところで感じてたよ。ま、残念なことに、オレたち二人とも、アルマにとっては眼中になかったみたいだけどな」
「ふふ。アルマったら、いつもいつも『お父さんが一番好き』って言ってたもんね」
その日僕たちは、久しぶりに昔の話をした。今まで、つらくて、思い出したくなくて、どうしようもなく胸が締め付けられるからできなかった話だ。僕ら二人とも、アルマが好きだったこと。もしかしたら、デールだってそうだったのかもしれない。だけどアルマはいつも、僕でもヘンリーでも、デールでもなくて、海のそのまた向こうの、誰かを探していた。あのとき、僕はその感情の名前を知らなかったけれど。
散ってしまった初恋の話をして、ヘンリーは昇る朝日に照らされながら「でも、まだ好きだから」と晴れやかな顔ではっきりと言った。
「だからさ、オレに『女難の相』なんて、おかしな話だよな。いや、たぶらかされるとかじゃなくて、迷惑な女にでも出会うのかな?」
「なんだ。君、しっかり占いを信じてるんじゃないか」
「うるせぇ。信じちゃいねえけど、話のタネとして使ってやってるんだよ」
むっとした顔になったヘンリーに、僕は笑った。ここに長居するつもりはないし、朝ごはんを食べたらテルパドールに向かうための旅程を立てよう。
「勇者って、どんな人かな。僕、探し人はあの二人のつもりで言ったんだけど、勇者のことも聞けばよかったね」
「まだ自分が勇者って気づいてもねぇようなぼんやりしたやつかもしれねぇぞ。じゃなきゃ、装備だけじゃなく本人の噂がもうちょっとあるはずだろ」
にやっと笑いながら、ヘンリーがまだ見ぬ「伝説の勇者様」に対して、小馬鹿にしたようなことを言った。僕は曖昧に笑って肯定も否定もしなかったけれど、ヘンリーの意見に概ね同意している。
――いつか、その人に会えたなら。
なんて言葉を掛けようか。「力を貸してください」「あなたでなくてはだめなんです」――そんな言葉は、言いたくなかった。どんな人かは分からないけれど、たまたま選ばれてしまっただけの人に、僕は自分の都合を押し付けなければならないのだ。
闇を打ち払う伝説の勇者。その人に、会ってみたい。協力はしてほしいけれど、その人だけに任せたくはない。母を救い出すのは、光の教団を打ち倒すのは、その人ではなくて、僕――僕らでありたかったから。
*
ビアンカはほとほと困り果てた表情で、サンタローズの洞窟内を歩いていた。子ども一人とはいえ、レヌール城のおばけたちよりも魔物たちは弱く、そういう意味では困ってはいない。
では、何に困っているのかというと、薬師のおじさんに言われた材料が全然見つからないのである。見つかったのは、きれいな石だけだ。
「あーあ、困っちゃうわ。まさかお母さんが病気で倒れるなんて」
呟きながら、少女の胸には不安と焦りが飛来する。父のダンカンはよく風邪をひくなど体調を崩しがちだけれど、母が倒れることなど滅多にないことだった。宿の運営と母の看病がある父では薬師に依頼することもできず、こうしてサンタローズを訪れたビアンカだったが、薬師は薬草などの調合をしていて中々手が空かない。日に日に、魔物が狂暴になってきて怪我人が増えているらしかった。
「だったら私が材料を取りに行くわ!」と勇んだのはいいものの、どんなに探しても材料である薬草は見つかっていないというのが現状である。
「……サンタローズ、来たくなかったなぁ」
つい、らしくない弱音まで零れてしまい、ビアンカは慌てて自分の口をふさいだ。弱気になると、魔物に狙われやすくなる気がする。それは避けたかった。
サンタローズの人たちは、相変わらず親切で優しい。この村が嫌いになったわけでは、もちろんない。
けれど、サンタローズに来れば会えると思っていた人たちが、みんないなくなっていた。友達のリュカとアルマとゲレゲレも、頼もしくて格好いいパパスも、料理上手なサンチョも、もうこの村には誰もいない。
――誰か、嘘だって言ってくれたらよかったのに。
ビアンカだって、死んでしまった人たちが戻らないことは知っている。それでも、そんなことを考えてしまうのは仕方のないことだろう。
三年前、ラインハットを襲った魔物はサンタローズまで襲来した。幸いアルカパまでは来なかったけれど、多くの人が亡くなったらしい。その中に、ビアンカの大切な友達とその家族も含まれてしまっていた。大好きな人たちのことだからよく分かる。きっと、彼らは魔物に襲われている人たちを守り、勇敢に戦ったに違いない。
涙が出そうになり、ビアンカはふるふると頭を横に振った。ぴょこぴょこと金色の三つ編みが左右に振れる。
「……今日はもう、やめようかしら」
また明日、探せばいい。沈んできた気持ちのままに、ビアンカは洞窟を出た。
村の人は、暗い表情のビアンカを見て「明日はきっと見つかるさ」と慰めの声を掛けた。彼らとて、本当ならば手伝ってやりたい気持ちでいっぱいだろう。しかし、冬に差し掛かるこの季節、寒さに備えるためにやらねばならないことはたくさんあったし、何より魔物への対策や怪我人への対応など、子どもにかまっている暇はあまりなかった。しかも、ビアンカは子どもの中でもそれなりに戦えることが分かっている。
とぼとぼと歩いていたら、ビアンカは無意識にリュカたちの家だった場所に足を運んでいた。そこは取り壊されることもなく、村人たちの手できれいに保存されている。中に入らせてもらうと、木の枝が落ちていて、ビアンカは何気なくそれを拾った。
寒くなってきたからか固く閉ざされている蕾を見て、洞窟の中では堪えていた涙があふれて止まらない。なぜかは分からないけれど、その蕾が綻ぶところを、どうしても見たかった。
――今日は家に帰ろう。
幸い、まだ陽は沈んでいない。今から帰れば、日没前にアルカパへ戻ることができるだろう。ビアンカは寂しげな枝をポケットに突っ込み、サンタローズの村を後にした。
門番に心配されながら村を出て、魔物を倒したり避けたりしながら歩く。すると、ビアンカは自分より小さな男の子が蹲っているのを見つけた。
「ねえ、大丈夫? あなた、一人なの?」
声を掛けながら、ビアンカはぎょっと目を見開く。少年は胸に見過ごせない程の怪我を負っていたのだ。左腕がひしゃげ、どう見てもこの辺りの魔物にやられたとは思えないような傷だった。
「私、薬草ならたくさん持ってるわ。毒消し草も……」
「おれに構うな」
ぎろり。ビアンカを睨んできた少年の顔は、美しかった。切れ長の目は深紅。夕日に照らされる黒髪はつややかで、幼いながらに目、鼻、口、全てのパーツが均整で調和していた。
「あなた……まさか、『アベル』?」
ビアンカは少年の名前を知っていた。昔、リュカが手紙で「新しい友達」として特徴を紹介してくれたからだ。リュカとアルマの友達なら、きっといい子だろう。そう思って、ビアンカはラインハットへ行った友人たちとの再会とともに、まだ見ぬ少年に会ってみたいと思っていたことをよく覚えている。
名を呼ばれた少年は表情を変え、ビアンカの肩を押して地面に叩きつけた。受け身も取れなかったビアンカは、視界がチカチカして、呼吸が上手くできなくなってしまう。突然の暴力に対して怒鳴りつけてやろうとした彼女は、しかし己の目を疑った。
ここら辺では見掛けない、狂暴そうな魔物が少年に向けて牙をむいていたのだ。
ビアンカは知らなかったが、それはアームライオンと呼ばれる腕と足が四本ずつある獣型の魔物だった。
「ッチ! イオラ!」
少年がビアンカを庇うように立ち、開いた魔物の口の中に爆発呪文を打ち込む。倒れ込み掛けたところを踏ん張った魔物は、当然まだ息絶えていない。血走った両眼で少年を睨み、追撃をしようと四本の腕を振りかぶる。
「ラリホー!」
少年しか見えていなかったらしい魔物は、少女から発せられた眠りの魔法に成す術なく瞼を閉じた。恐怖で震えながら、少女は肩で息をしている。少年が魔物の相手をしている最中、無謀にも立ち上がって参戦したらしい。
「……別に必要はなかったが、手間は省けた。礼を言う」
躊躇なく、少年は魔物の心臓に杖を向け、再び爆発呪文を打ち込んだ。防御も何もできないまま心臓を爆散させられた魔物は当然のように息絶える。
「な、なに……あの魔物……。こんなやつ、見たことない」
「……まあ、この辺にはいないだろうな。それと、おれの名前はアベルじゃない。人違いだ」
恐怖で震えていたはずなのに、どこかこちらを馬鹿にするような視線を向けてくる少年に対して、ビアンカはカチンときた。身長だってビアンカの方が大きいし、線の細い少年はどう見たって彼女より年下だ。生意気な少年の右腕を掴んで、キッと睨みつける。
「こんな怪我をして、どこへ行こうって言うのよ。一緒にアルカパへいらっしゃい。それで、シスターに怪我を治してもらうのよ。夜は危ないし、うちの宿屋へ泊めてあげるわ。お代はお母さんの薬に使う材料を一緒に集めてくれればいいから」
「何を勝手なことを……。必要ない、おれは忙しいんだ」
「うるさいわね。わたしの方がお姉さんなのよ。いいから言う事聞きなさい」
あまりに横柄なことを言ったビアンカに、少年は眉を寄せて不機嫌を露わにした。もともとご機嫌な表情など浮かべてはいなかったが。
「わたし、ビアンカよ。『アベル』じゃないあなたは一体誰?」
「……お前に名乗る必要はない」
「じゃあわたし、アベルって呼ぶわ。あなたが誰だって、別にいいし。ともかく、見てるだけで痛いその怪我を早くどうにかしなくっちゃね。さっきの魔物にやられたの?」
「油断してただけだ」
「まあ、あんな魔物がいるなんて思わないから、それはそうでしょうけど。あなた、お家はどこ? サンタローズの子じゃないわよね?」
意外にも抵抗しないアベルの腕を引きながら、ビアンカはぺらぺらといろいろなことを話した。アベルは質問に答えたり答えなかったりしたけれど、少女にとってはそんなことどうでもよかった。口数が多くなってしまうのは、不安や恐怖を紛らわすため。それくらい、あの大きくておそろしい魔物はビアンカにとって衝撃的だったし、自分より小さな少年があんな化け物に果敢に立ち向かったこともまた、衝撃的だったのだ。
ビアンカの口添えで、少年はすぐに治療が施され、美味しい食事とあたたかな寝床を用意された。
「必要な材料とやらを言え」
「あなたねぇ、どうしてそう偉そうなのよ。でもまあ、わたしはお姉さんだから許してあげる。えっと……薬師のおじさんからもらったメモがあるわ」
ビアンカからメモを受け取ると、少年は腰に下げていた袋の中から、薬草やら怪しげな粉末の入った袋やらを取り出し始める。それから、全て出し終えたのか、それらをメモと一緒にビアンカへと手渡した。
「宿代くらいにはなるはずだ」
「え? これってもしかして……」
言葉足らずな少年の意図を汲むとしたら、メモに書かれていた薬の材料を譲ってくれたということだろうか。礼を言うべきか、詳細を尋ねるべきか迷った少女の言葉を待たず、少年はさっさとベッドに乗り込み、布団をかぶってしまった。
「もうっ。せっかくいろいろお話ししようと思ったのに!」
ビアンカは頭の中をぐるぐるしただけで、行き場を失ってしまった言葉たちの代わりに、腰に手を当ててぷんすかと言って、それから眉を下げ、ふにゃりと笑う。
「……命があってよかったわ。アベルも、わたしも」
ぽん、と布団にくるまった少年の黒髪を撫でる。本当に寝てしまったのか、今更寝たふりをやめられないのか、少年は大人しく撫でられるがままとなっていた。