ビアンカは、自分では認めないけれどちょっぴり怖がりな女の子だ。お化けだって怖いし、魔物だってもちろん怖い。しかし、それが立ち向かえるものならば、我慢ができる。程度は違えど、多くの人がそうであるように、彼女もまた、そうだった。
「こ、子ども……!? が、がおー! こんなところで何をしている! 食べちゃうぞ!」
「…………」
見知らぬ魔物だ。この辺りの地域では見掛けない、体が大きな一つ目の魔物である。体を覆う茶色い毛皮はみるからにふかふかしていて気持ちが良さそうだ。
そんな魔物が牙をむいているというのに、ビアンカは全く怖くなかった。付け足せば、慣れていなさそうな脅し文句を言っている魔物に対して、聖母のような優しい視線を向けている。
「へたっぴ! そんなんじゃ、いくら子どもだって怖がるわけないさ! こうやるんだ、ガオー!」
今度はちょっと頭の悪そうなドラゴンっぽい魔物が出てきた。
「あの、怖くないわ」
ビアンカは思わずそう言ってしまった。
「私、知っているもの。魔物だって、優しい子もいるって」
にこり。可憐な美少女の、邪気のない笑みを見て、魔物たちはうろたえるように周囲を見回した。
「それじゃ困るんだよぉ。出てってくれないとさぁ」
「馬鹿! 余計なこと言うんじゃないよ! お嬢ちゃん。魔物は怖いもの、そんなの当たり前のことさ。あたしらだって、ちょっと本気を出せば……」
一つ目の魔物が、大きな目をうるうるさせながら言うと、その大きな体を、ドラゴンっぽい魔物が尻尾でたたく。ビアンカはくすくす笑いながら、「あなたたち、お名前は?」と彼らの発言をさらりと流して首を傾げた。
「私はビアンカよ。ここへはアベルっていう黒髪で赤い眼をした男の子を探しに来たの」
「アベル……? 黒髪で赤い眼をした男の子って、もしかして……」
「ゴホン! あたしはカンデラさ。ビアンカ、なぜその男の子を探しているんだい?」
一つ目の魔物が何かを言おうとして、カンデラと名乗ったドラゴンっぽい魔物が遮る。なまずのようなひげをぴくぴく動かしながら、カンデラは外見とは裏腹に、目には知性を宿してビアンカを見つめていた。
「話を聞きたいのよ。私、お母さんが病気になっちゃって、どうにかして助けてあげたいの。アベルは私に、お母さんの病気をよくする薬の材料をくれたから、病気を治したり、治せないまでも、進行を遅らせたりする方法を知ってるんじゃないかと思って」
「そりゃ諦めな、お嬢ちゃん。医者でもなんでもない男の子を頼るってことは、医者や薬師には見放されてるってことだろ?」
カンデラという魔物は、女性とも男性とも分かりにくい声と口調である。人間のように話すことに適していない口から出される声はどこかくぐもったような、掠れたような、がさがさした聞き取りづらさがあった。大人数でごちゃごちゃと話していれば、何度も聞き返してしまうような不明瞭さ。
しかし、カンデラの言葉は、人の気配がしない古代の遺跡の中で妙に静かに響き渡り、ビアンカの鼓膜へ正確に届いた。
「べ、つに……お医者様や薬師のおじさんに何かを言われたわけじゃないわ。私が、お母さんに何かをしてあげたくて、アベルに聞いてみようって思っただけだから」
「子どもってのはさ、敏感だァね。それも、大切な人のこととなると、余計に。大人は悟らせまいと必死に隠してることだって、簡単に嗅ぎ付けちまう。そりゃ、医者や薬師は子どものビアンカお嬢ちゃんに真実を伝えるはずもないさ。親は何と言った? その分だと、何も言われてないんだろ?」
カンデラはぺたぺたとビアンカへ近付き、顔つきとは裏腹な鋭い視線で、幼く健気な少女を射抜く。
ひゅう、とビアンカは己の呼吸を、その魔物に奪われてしまったような錯覚を覚えた。もちろん、それは錯覚だ。けれど、どうにも呼吸が苦しい。医者の、薬師の、彼女を見る気の毒そうな顔が。両親の申し訳なさそうな顔が。あの夜の聞きたくなかった言葉が。
ビアンカの胸を締め付け、不安を増大させ、視界を涙の膜でぼやけさせる。
「賢い子は、いつもそうだ。人一倍、苦労と不幸を背負いこんじまう。もう一度言うよ。医者に見放されてるような病人を、名前と外見しか分からない男の子に何とかしてもらうって言っても、そりゃ無理な話さ。もうここには来ないことさね。あたしらは気のいい魔物だが、他の連中に見つかるとマズい。さあ、出てった出てった!」
残酷な現実を受け止めたくなくて、ビアンカは当初の予定を達成しないまま、遺跡から逃げるように出て行った。荒くなった呼吸が、全然もとに戻らない。苦しくて苦しくて、咳き込む。
――じゃあ、どうしろって言うのよ!
泣き叫びたいのを堪えながら、彼女は一度、大きく息を吐いた。
「いいわ、南へ行く。こうなったら『オラクルベリー』とやらで、情報を集めようじゃないの!」
魔物を倒しながら歩いていたから、キメラの翼を買う余裕くらいはある。ふんっ、と鼻から息を吐いて、日本の三つ編みをしっぽのように跳ねさせながら、少女は大股で歩いた。
できたばかりの橋は、確かににぎわっていて、アルカパやサンタローズののどかな雰囲気とも、復興で盛り上がっているラインハットとも、また違った活気がある。
「あっ、あの子……なぁんだ、人違いか」
アベルと似たような背丈をした黒髪の男の子を見掛けた気がしたけれど、顔立ちも目の色も全然違った。ビアンカは、カンデラに言われたことを忘れるために、必死で行き交う人々を観察し、ときには話し掛けていく。有益な情報はないながら、有名な占い師がいるというオラクルベリーへ向かった。
「探し人については、お前が行ったことのある場所に現れるよ。薬のことは古きに身を寄せる隠者に聞くとよかろう。……それから」
占いババと呼ばれる老婆へ、知りたいことを矢継ぎ早に話してから、ドキドキしていた気持ちで結果を聞いていたビアンカは、ふいにじっと見つめられて首を傾げた。占いババの正面に置いてる水晶には可愛らしい少女が少し歪んで映っているだけで、何か特別なものが浮かび上がるというようなこともない。
「お前さんもまた、不思議な運命を背負っているね。しかし、大きな悲しみの渦に何度も飲み込まれて、それでも希望を目指す芯の強さと優しさとが、お前さんにはある。つらいときは優しい人を、苦しいときは勇気をくれた人を、悲しいときはお前さんより悲しんでいる人を思い出すと良い。お前さんの在り方もまた、誰かのつらさを、苦しみを、悲しみを晴らすだろう」
「よく分からないけれど……分かったわ。ともかく、アベルは私が行ったことのある場所に来て、薬については、えーと……隠者を探せばいいの?」
「お前さんがもっとも足を運びたくない場所にいるよ」
「あの、それって……人間よね? 魔物じゃなくって」
占いババは「カカッ」と笑い、しわくちゃの手で、ビアンカの小さな手を包んだ。
「ああ、人間さ。心清き、運命の子よ。わしの言葉を、どうか覚えていておくれ」
いまいち理解しきれない話だったこともあり、ビアンカはこくんと控えめに頷くと、ババに料金を払ってオラクルベリーを後にすることにした。大きな町だけあって、オラクルベリーはまた陽も沈んでいないというのに酔っぱらった大人がたくさんいるし「将来有望」とか何とか言って、少女に「踊り子にならないか」とか「お金持ちになりたくないか」とか、胡散臭い誘いばかりしてくる。
こんな町はとっとと出て行った方がいいと判断した賢いビアンカは、キメラの翼を放り投げて、アルカパに戻った。
両親は心配してビアンカを抱きしめてくれ、その数日後に、娘に引っ越しを提案した。
「母さんの体調のためにも、空気の良いところがいいんじゃないかと思ってな。山奥の村に引っ越そうと思うんだ。買い物の面など、少し生活が不便になる面もあるかもしれないが、いいところだよ」
「空気も水も、食べ物も美味しいってんで、母さんから頼んだんだよ。しかも、毎日温泉に入りたい放題さ! 素敵だろ?」
嘘だ。ビアンカは直感した。母は宿屋の女将という仕事が好きだったし、ビアンカの目から見ても、誇りを持って働いていた。父だってそうだ。大きな宿屋の経営を、従業員たちの生活のことも考えながら、手堅くやっていた。それなのに、それらを手放して山奥の村に移り住みたいなんて。
「それ――いつの話?」
「宿のこともあるからねぇ、一か月後くらいには引っ越せたらいいと思ってるよ。サンタローズの人たちには世話になってるし、そのうち挨拶に行かなくちゃあね」
「それなら、私、一か月間は毎日冒険に出掛けてもいい? 絶対に夜までには帰ってくるから。ねえ、いいでしょ?」
両親は顔を見合わせた。キメラの翼は価格が高騰しているとはいえ、魔物を倒す力のあるビアンカにとっては毎日一枚買えるくらいの値段である。これ以上値が上がれば子どもが自分の小遣いで購入するには厳しくなるかもしれないが、生憎、ダンカン夫妻はお金には困っていない。
「しかたないね。ただし! 怪我をしてたり体調の悪かったり、本調子じゃない日は出掛けないこと! 夕飯までには絶対に帰ってくること! いいね?」
ビアンカは子どもだけれど、両親は知っていた。彼女が「レヌール城のお化け退治」をしてから、冒険の心得をわきまえていて、無茶をしなくなったことを。
そして、両親は知らなかった。ビアンカが使う予定のキメラの翼は、一日一枚ではなく、二枚であること。危険だとラインハット地方の人々が噂して近寄らない古代の遺跡に乗り込む気満々であることを。
*
プックルは人間にこそ懐かなかったが、同じキラーパンサーであるギコギコに対しては甘えを見せ、よく後ろを付いて回るようになった。リンクスが危惧していたように、抜かれた牙は元には戻らなかったけれど、爪はきれいに生えそろい、戦闘にも徐々に参加している。
「リンちゃんにくらい懐いてもいいのになぁ」
「別に懐かれなくったって構いません。食べ物はギコギコが用意すれば食べるし、今はふっくらしてきて、以前より毛艶も健康的になりました。それで十分じゃないですか」
カンダタ子分の一人が呟くと、ふっと微笑みながらプックルを見ていたリンクスがそう答えた。ちなみに、彼らはプックルの体調回復を待ちつつ、グランバニアの北にある塔について調べている最中だ。
グランバニアから大きな湖を船で渡った先にあるその塔は、近くにある教会で生活する神父によれば、以前までは「お宝が眠る」という細々とした噂があり、冒険家や盗賊などが目指すこともあったそうなのだ。
しかし、宿替わりに使われていた教会を訪れる人々も、塔から帰ってきて「大したものはなかった」と愚痴る人々もめっきり減り、後者に関しては一人もいなくなってしまったそうで、神父としては「何か良くないことが塔で起きているのでは」と心配しているらしい。
「塔に向かったやつらが帰って来ねぇってのは、引っ掛かるな。強い魔物が棲み始めたのか、グランバニアみたいに何かしらの呪いに掛かっちまったのか」
子分からの報告を受けながら、カンダタが顎に手をやり、思案顔をする。ちなみに、まだ仕事ではないため今は荒くれ者の恰好をしていて、覆面パンツではない。リンクスは、「普通の恰好をしていればただのおじさんなのにな」とビジネスパートナーを冷えた目で見た。
「お、なんだ? リンクス。俺様になんか言いてぇことでもあんのか?」
「いえ……別に……言いたいことは最初に言いましたし……」
カンダタ子分たちが、リンクスが女装をしていなくても「リン」と呼ぶのに対し、カンダタ本人は「リンクス」と呼ぶ。ゆえに、たとえ変態だとしても、リンクスにとってはカンダタが一番気安くて話しやすい相手となっていた。
「うーん……光の教団に向かったやつらも帰って来る気配はねぇし、ここは慎重になった方がいいかもな。塔に行ってみなけりゃ始まらねえが、深入りはせず、ちまちま調査するか」
そこで、カンダタは子分の一人と、リンクスとギコギコ、それからギコギコについてきたプックルを伴って、北の塔へ向かうことにした。
「禍々しい雰囲気ですね。呪いというよりは……」
「ヤベェ魔物がいるときの雰囲気だな。まっ、俺様たちは盗賊。魔物とやり合うことにゃあ興味はねぇ。お宝が見つかったらとっととトンズラこくだけさ。リン、お前、リレミトが使えたな?」
カンダタの言葉に頷くと、リンクスはギコギコを見た。毛を逆立てて、警戒心を露わに塔を睨みつけている。その後ろにいたプックスはというと、尻尾をしょんぼりさせて、ぶるぶると震えていた。
「……やっぱり、プックルにはアジトで待っていてもらおうか。ギコギコ、一緒にいてあげてよ」
リンクスがプックルに向けて微笑み掛けると、ギコギコは警戒はそのままに、「ウガァ」と不満げな声を上げた。彼の本当の主人がよく言っていた「離れたくない」という言葉は、もちろんギコギコ――ゲレゲレにだって刻み込まれている。
「にゃ、にゃうん!」
リンクスが判断に迷っていると、プックルが声を上げた。牙の抜けた口で少年の手を甘噛みすると「馬鹿にするな」とでも言うように、尻尾を膨らませてみせる。それを見て、リンクスはふっと笑い、ようやく触れさせてくれた新しい「仲間」のたてがみを優しく撫でた。
「ごめんね。プックル、君は強い子だ。一緒に行こう」
北の塔――魔物の間ではデモンズタワーと呼ばれるその塔には、「悪魔」が棲みついている。そいつは破壊を好み、力と恐怖を振り撒き、魔物からも恐れられ、幽閉されていた。
オオォオオオォ……。
悲鳴のような、慟哭のような、はたまた呪詛のような。獣の鳴き声というには不快で不安を煽るその声は、どうにも塔の上の方から聞こえてくるようだった。
「上は近付かねえ方がいいな。行くにしても、この塔を調べ尽くして、情報を十分集めてからだ」
リンクスとカンダタ子分がその言葉に頷いたのを見て、カンダタは先頭を切って塔の中へと足を踏み入れる。
カンダタが求めるのは、スリルとロマン、それから子分たちを十分に食わせていくための金と、ときには娯楽。どうして盗賊だなんて稼業を始めたのかは覚えちゃいないが、彼は悪運の強い男で、これまであらゆる困難を乗り越えてきたし、目的に達しないまでも、生きながらえてきた。それは悪運だけの問題ではなく、危機管理意識や本能的な直感に優れていることに起因する。
「いいか、お前ら。はぐれたとしたら、絶対に塔の外を目指せ。お宝は二の次三の次だ。残ったやつらも、誰か一人がはぐれた時点で外を目指す。いいな?」
大胆かつ、慎重。リンクスにとっても、彼が臆病風に吹かれているようには見えなかった。魔物とは何度も戦ったことのあるリンクスだが、しかしカンダタのように自ら魔物の巣食う場所へと探索へ出掛けたことはない。普段は憎まれ口をたたいていても、この場においてはカンダタの言葉は絶対だということを、賢い彼は肌で感じ取っていた。
塔の魔物は手強かったが、前衛のカンダタとギコギコ、彼らを補佐する子分とプックル、全体を見て必要なところに補助や回復を施すリンクスというメンバーは意外にもバランスが取れていて、危なげなく塔の中を進んでいた。
「ッチ、メガンテの腕輪か」
ようやく見つけた宝箱を開けたカンダタが、舌打ち交じりに腕輪をリンクスへと投げて寄越す。
「俺様はそのテの魔法が大嫌いでな。煮るなり焼くなりしていいから、お前が持ってろ」
「構いませんが、何か理由が?」
「理由? そんなもんは別にねぇさ」
カンダタは吐き捨てるようにそう言った。腕輪を受け取ったリンクスが袋の中に仕舞ってから、油断なく周囲を警戒しつつ、カンダタへ質問を重ねる。
「そういう風には見えませんでしたけど」
「――俺様は生粋の盗賊だ。全ては自分のためさ。他人のため前提の魔法ってやつは、どうにもな」
その割に、彼は責任感の強い男だ。賭け事で金遣いは荒いくせに、子分たちを食わせていくことに頭を悩ませているし、怪我をした者には自ら回復魔法を掛けてやることも多い。
なんとなく矛盾を感じながら、リンクスは再び歩き出した覆面パンツの男の背を追った。
半日探索をし続け、一行は一度塔の外へ出ることにした。慎重に歩を進め、窮地に立たされることはないながらも魔物との戦いに疲弊した結果、カンダタが提案し、全員がそれを受け入れたのである。
「教会で休ませてもらいましょう。きっと、ボクたちの顔を見たら神父様も安心しますよ」
「じゃあ、俺様は外で寝るぜ。お前のせいで嫌なことを思い出した。俺様は教会も嫌いなんだった」
「ええっ? 塔に入る前は普通に立ち寄ってたじゃないですか」
覆面を取って素顔をさらしたカンダタは不機嫌顔になって「入らん。俺様は外で寝る」と言って聞かない。親分にそう言われてしまっては、子分もそれに倣うしかなく、リンクスは呆れながらもギコギコとプックルを伴って教会に一晩泊めてもらえるか交渉をした。
「もちろんかまいませんよ。それより、来るときに一緒にいた方々は……?」
「まあ、なんというか、機嫌を損ねてしまったみたいで。彼らも建物の外にいますので、敷地内で休ませていただくことをお許しください」
神父はリンクスと彼らが喧嘩でもしたと思ったのか、くすくす笑われてしまう。リンクスはその微笑ましそうに見てくる視線からぷいっと目を逸らしながらお礼を言い、ギコギコのたてがみを撫でた。
「あなたは――魔物とも、仲が良いんですね」
「はい。この子はボクの友達であり、今は家族みたいなものなんです」
「良ければ、昔話をさせてくれませんか」
きょとんとした顔になったリンクスは、ギコギコとプックルをそれぞれに見てから、再び神父を見る。二匹とも特別な警戒はしていないし、神父もこれまでの印象と変わらず、穏やかそうな、どこか憂いを帯びた表情を浮かべたままだ。
「はい。聞かせてください」
神父は彼らにお茶と水を出し、椅子を用意して座るよう促した。
「これは昔むかしの、世界が闇に包まれ、いつか現れると言われた天空の勇者を人々が待っていた時代の話です」
リンクス――デールは、天空の勇者の物語には詳しかった。当然である。彼らはその物語に出てくる「勇者」と、その人が身に着けていたという天空の装備を探していた。グランバニアの城にある文献は全て読み、立ち寄った町や村では情報を集めた。
今と同じく、天空の勇者が現れるのは「世界が闇に覆われたとき」、「闇を打ち払うため」。導かれし者たちと呼ばれる、ライアン、トルネコ、アリーナ、クリフト、ブライ、マーニャ、ミネアの七名と共に旅をし、魔王を打ち倒す物語。
「天空の勇者の物語は、五章に分かれた長いお話です。有名なのは、第五章である『勇者と導かれし者たち』の、勇者が生まれ故郷を魔物に滅ぼされて旅立ち、魔王を倒すまでの話でしょう。あなたは『ライアンの章』として、バトランド王国の戦士ライアンが勇者を探し求めた話を知っていますか?」
「はい。本で読んだことがあります」
「そうでしたか。それなら話が早い」
神父は優しい顔をしていた。
「戦士ライアンは、伝記や物語の上では一人で旅をしていたことになっていますが、実は仲間がいたそうです。その名も、ホイミン」
「……変わった名前ですね」
「ええ。ライアンは、魔物であるホイミスライムを仲間とし、共に勇者を探す旅をしていたそうなんです。あなたたちを見たら、そんな話を思い出しまして」
デールは、一瞬言葉を失った。勇者の仲間と魔物が旅をしていたことを公に記録できなかった事情はなんとなく分かる。それならば、なぜ記録にないそんな逸話を目の前の神父は知っているのか。
「ええと、神父様は物知りなんですね。そんな話、聞いたこともなかったし、本にも一言だって書かれていませんでした」
ようやく捻り出した言葉と、疑念をはらんだ視線。デールは自分を諫め、すぐに無害そうで穏やかな笑顔に取り繕った。
「私の出身はグランバニアでして、グランバニアには、嘘か真か、こんな言い伝えがあります。すなわち、『導かれし者』のその後の話です」
「その後? サントハイムのアリーナ姫とその家臣たちは国に帰り、踊り子マーニャと占い師ミネアも故郷へ戻り、トルネコは自分の店があるエンドールで商売を続け、戦士ライアンはバトランドへ、勇者は天空の城へ行ったと、物語の締めくくりは決まってそうなっていると思っていましたが」
故郷が滅ぼされてしまった勇者を除き、皆帰るべきところへそれぞれ帰り、その後は平和になった世界で幸せに暮らした、というのが通説だ。それに、デールはグランバニアの王子でるリュカと共にグランバニア国史を学んでいた。それが天空の勇者にまつわる話であるならば、知らないわけがない。つまり、その「言い伝え」は所詮「言い伝え」でしかなく、信じるに値しない情報であることも、大いに想像できる。
それなのに、デールの心臓はバクバクと脈打っていた。
「ええ、ええ。その通りです。しかし、人生というものは旅が終わって家に帰ったからと言って終わりにはならない」
息を長く吐き、胸に手を当て、デールはなんとか落ち着こうとした。彼が感じていたのは恐怖でも、不安でもない。興奮である。
期待もしていなかったところに、とんでもない手掛かりが降ってわいてきたような。
「というのも、グランバニアという国は、戦士ライアンの子孫が興した国だと言われているのです。そして、戦士ライアンはホイミンに『友』であり『仲間』である証として、真実を記した手記――彼自身の冒険の書を渡したそうな」
「では、グランバニア王族の方々は戦士ライアンの――『導かれし者』の血を引いているということですか? 神父様はその手記をお持ちなんですか?」
ふるり、と神父は首を振って、目をきらきらと輝かせる少年とは裏腹に、さみしさを滲ませる視線を彼へ向けた。
「いいえ。ライアン自身にはかけがえのない真実でも、周りにとっては『魔物』と仲間であったことは伏せたいのでしょう。グランバニア王族の方が『導かれし者』の血を継いでいるという話も、血筋の正当性を持たせるための話かもしれませんし」
デールは明らかに落胆した。賢く、要領よく立ち回ってきた彼ではあるけれど、年相応の振る舞いをすることだってある。
「すみません、夢のないことを言いましたね」
がっかりと肩を落とした少年へ、神父は申し訳なさそうに言い、話を続けた。
「戦士ライアンとホイミンは旅の途中ではぐれ、その後再び出会ったそうですが、立場あるライアンのことを慮り、ホイミンはそっと姿を消したそうです。そして、人間以外の暮らす村の話を聞き、そこへ移住したんだとか」
「それってまさか、『魔界』とか言いませんよね?」
神父の瞳にあった憂いがやわらぎ、夢見る子どもへの慈愛に満ちたのを感じて、デールはサッと顔を赤くする。彼とて、何の情報もなければ「魔界」だなんて、あるのかないのか分からないお伽噺に出てくるような世界の話はしない。けれど、友人の母親がそこに攫われたという情報が彼にはあったから、口をついて出てしまったのだ。
「その村の名前はロザリーヒル。天空の勇者たちが、魔王を倒すうえでとても重要な情報を得た場所だそうですよ。ただし、これも多くの物語には記されていない逸話です。先ほどもお伝えした通り、魔物に力を借りたとあっては、勇者たち本人がどう思っていても、周りがどう思うかは想像に難くないことですから。その村を守るという意味もあったのでしょう」
「……その村は、今もあるんですか?」
神父の落ち着いた対応に、冷静さを取り戻したデールは、目の前の男性の目をじっと見た。目は口ほどに物を語る。多くの大人に囲まれ、人の顔色をうかがって生きてきて、人に化けた魔物に人生を変えられたデール少年は、何かを知りたいときほど、相手に本気で向き合うときほど、その目をよく見る癖があった。
顔色、仕草、日頃の言動、性格、さまざまなことを観察し、敵か味方か、あるいはどちらでもないのか、利で動くか情で動くか、様々な情報を得る。
この神父の目は、どこかリュカに似ていた。慈愛、穏やかな気質、けれどどこかさみしさや憂いを感じさせる深く、引き込まれるような瞳である。
「ロザリーヒルという名前の村は、今の世にはありません。しかし、その子孫たちが生きる村はあります」
「その村の名前は? あなたはグランバニア王族と何か関わりが?」
神父は今一度、デールとゲレゲレ、プックルの三者を見つめ、それから静かな口調でこう言った。
「その村の名前は、エルヘブン。人ではない、様々な種族を祖に持つ、伝統と掟が深く根付く村です」
その村の名前を、デールは聞いたことがあったような気がした。兄と二人で、大臣の不正を暴こうと夜に抜け出したときだ。リュカは眠っていたし、いつも気を張っているから寝かせておこう、ということになって、珍しく二人での行動だった。
たしか――その村は、リュカの母親の、生まれ故郷ではなかったか。
オジロンは、リュカにその事実が漏れないよう、細心の注意を払っていた。知れば、彼はそこへ行かずにはおれなくなるだろうから、と。彼が成人したその日に伝えてやるつもりだ、と話していた。大臣は、あの薄っぺらい笑みを貼り付けて「それが良うございましょう」とか言っていたが。
デールには、歯車がカチカチと噛み合うような音が聞こえた気がした。
「私はグランバニア王族とは関係がありませんが、かつてロザリーヒルで伴侶を得たホイミンの子孫が、どうしても戦士ライアンの築いた国を見たいと飛び出した、家出者の孫なのです」
――すべてはつながっているんだ。
そして、それはどうにも、あの優しいリュカを中心にしているような気がする。いや、そうとしか思えなかった。
でも、リュカは勇者ではない。彼が勇者なのでは、と何度も思ったことはあるけれど、天空の剣は彼を主だとは認めなかった。
「そして、その家出者は手記を持ち出していましたが、外の世界を見て、それが世に出回ることがないよう燃やしてしまったのです。だから私は手記を持っていませんし、実物を見たこともありません」
「そんな!」
悲鳴のような声を上げたデールに、プックルがびくりと体を震わせる。驚かせてしまったことを謝り、少年は神父を責めても仕方がないと理解しつつも、「勇者」への重要な手掛かりになりうる資料を安易に燃やしてしまったという彼の祖父か祖母へ、恨み言の一つでも言いたくなった。
「手記はないとはいえ、私は寝物語に『戦士ライアンとその仲間ホイミン』の話を聞いていました。母にそうしてもらったように、あなたに語って聞かせることはできるでしょう」
デールはそのとき、いろいろと質問を重ねそうになって口を開きかけ、そして一度閉じ、己を諫めるために頭を横に振った。
「では、一晩だけ。ボクが眠るまで、そうしてください。神父様が、お母上にそうしていただいたように」
その晩、デールは穏やかな気持ちで眠った。思わぬ情報に興奮して眠れないかもしれないとも思ったが、神父の語り口調は耳にすっと馴染み、恐ろしい魔物の棲むデモンズタワーのほど近くにある教会とは思えないほど、そこは優しい空気に満ちていた。