さて、デールの優しく臆病な性格ゆえ、オブラートで幾重にも包まれた愚痴をみんなで聞きつつ、ときにヘンリーが茶化したり燃料を投下していく。リュカが優しく寄り添っているのに便乗して、私もデールの不満に寄り添いつつ、不審がられない程度に王妃の情報について探りを入れていた。ゲレゲレはおねむの姿勢だったが、耳だけぴくぴくと動いているので、聞いていないわけではないんだろう。
「それにしても、デール。このケーキ、本当に美味いな!」
「本当! アルマも一口くらい食べたらいいのに。甘いだけじゃなくて、ちょっと苦いけど」
「そこがいいんだろ。大人の味ってやつさ」
くんくんとにおいをかいでいたゲレゲレが食べずにおねむの姿勢に戻った時点で、私は一口さえも食べないと心に決めたところだ。にこりと「やめとくね」と再びはっきり告げると、男二人は「もったいない」といいながら、ゲレゲレが食べなかった一つを二等分しておかわりしていた。デールも自分の分をちみちみ食べながら、「それで、お母さまったら……」と自分の愚痴の続きを垂れ流していた。うむ。二桁に満たない年齢の子どもしかいないからこんなものかとも思うが、まとまりのない空間である。
私がデールへ適当に相槌を打っていると、扉が控えめにノックされた。
「楽しんでいるところ、すまない。私に用事があると、王に呼ばれた。しばらく部屋から離れるが、そのまま部屋にいるようにな」
パパスさんだ。午前中の稽古のこともあり、私はもしかしたら今後の子どもたちの教育方針についての話かもしれないと思った。「いってらっしゃーい」とみんなで送り出す。パパスさんが離れるなら、たとえ少年たちが今のうちに抜け出そうと提案しても、何としてでも丸め込んで部屋から一歩もでないようにするだけだ。必要があれば、さざなみの歌で眠らせればいい。
ところが、その必要はなくなった。おそらく、午前中は勉強返上で稽古を続けていたのだろうヘンリーが目をこすりはじめたからだ。
「なんか、眠いな……おい、デール。悪いけど、オレ昼寝するから、時間が心配なら帰っていいからな……」
ふわぁ、と大きなあくびをしたヘンリーが、ベッドに向かってふらふらと歩きだす。
「ふわぁ……ヘンリーがお昼寝するなら僕もそうしようかな……」
眠そうにするリュカを見た私は嫌な予感がして、「それなら」と椅子の下にある隠し階段の方をちらりと見やる。この部屋には、普段使われる出入口と隠し階段の二つ、侵入経路がある。窓もあるのでいざとなればそこから飛び降りることもできるが、一階ではない分、気軽な方法ではなかった。
「デール様はどう? ねむくない?」
そう聞けば、デールは首を振る。
「ボクは大丈夫だよ。アルマは? 侍女に頼んで時間を見てもらって、みんなでお昼寝にする?」
「わたしも大丈夫。もしねむいなら、私が時間を見てるから、ねてもいいよ」
ヘンリーが疲れていて眠くなっただけならばいい。親しい人のあくびは伝染するというから、リュカがそれにつられて眠くなっただけなら、問題ない。
けれど、嫌な胸騒ぎがする。そして何より、今まではそういった兆候はなかったけれど、「そういう可能性がある」ことを私は知っていた。すなわち、王妃からの害意悪意により、ヘンリーの誘拐が企てられていることを。
「うーん……せっかく兄さまの部屋に遊びに来れたから、寝るのはなんだかもったいないな。アルマ、お話ししようよ」
デールは私より一つ年下だが、王妃の熱心な教育もあって、現代日本でいえば就学前の身でありながら、さまざまな学習をしている。私は興味本位と「デールがこの部屋にいるのならば荒事は起こらないかもしれない」という希望のもと、この世界の地理や、王宮での礼儀作法など、デールに教えてもらうことにした。
時間にして三十分から一時間程度だろうか。私と話をしていたデールが、目をこすり始めた。
「ふわぁ……なんだか、ボクも眠くなってきたみたい。アルマ、やっぱり部屋に戻る時間までに起こしてもらってもいい?」
「うん、分かった。おやすみ、デール様」
私はすぐさまゲレゲレに「パパスおじさんに届けてね」と手紙を書いて渡した。あのケーキ、やはり何か薬が盛られていたとしか思えない。ケーキを食べていない私とゲレゲレだけが起きているという状況が何より怪しい。二人が早く眠ってしまったのも、おかわりをしたからと思えば説明がつく。しかも、デールは二人よりも食べるのがかなり遅かった。
一番気になっているのは、本来一つだけ食べたときに効果が出るのが三十分から一時間程度だとしたら――。
「ゲレゲレ! 行って!」
私の怒声で、ゲレゲレは扉を荒々しく開けた見知らぬ男を押し倒しながら、廊下を走る。そう、もちろん、「敵」は薬が十分効いてきた頃合いを見計らって突入してくるに違いない。今、そうなってしまったように。
「くっくっく、運が悪かったなぁ、お嬢ちゃん。大人しく眠っていりゃあ、怖い目にも合わずに済んだってのに」
人数は四人、そのうち一人、ゲレゲレに押し倒された男は打ちどころが悪かったのか、ありがたいことに意識を失っている。リーダーっぽい男は邪魔が入らないようにか、扉の鍵を後ろ手に閉めてしまった。私は見知らぬ男の言葉には答えずに、開いた口で歌を紡ぐ。
眠りを誘う、さざなみの歌。無防備に歌を聞いてしまった男たちが眠りかけたにもかかわらず、リーダーっぽい男が他二人を剣の鞘で殴打し無理やり起こす。自身も口から血を流していることから、痛みで眠気を吹き飛ばしたようだ。
「ッチ。面倒な子どももいたもんだぜ」
手の内が一つバレてしまった。次に歌おうとしても、相手は警戒してくるだろう。無防備な相手と、警戒している相手では歌を聴かせる難易度が全然違う。で、あるならば攻勢に転じるべき。敵はヘンリーを攫えば勝ち。私は眠っている三人の少年を守り切らなければならない。そんな悪条件だが、負けるわけにはいかなかった。
「近寄らないで!」
そう言って、稲妻を呼び出す。
「お前らの父親のせいで、こっちは早くしろってせっつかれてるんだよ!」
直撃。だが、怯んだ手下と違って、リーダーの男はまっすぐにヘンリーを狙う。ただ、ここで攻撃の手に転じるのは悪手。
「させない!」
二度、三度、室内に雷鳴が轟く。マリベル様が扱うジゴスパークのような凶悪なものではないが、人体にとっては確実に脅威となる攻撃のはずだ。
「ガキが……予定変更だ、王子を攫うのは、てめぇを殺してからにしてやるぜ!」
焦げ臭いにおいの誘拐犯が、剣を抜いてこちらに向かってくる。部下は倒れていて、もはや動ける状態ではなさそうだ。
――大丈夫、怖くなんてない。
私は、自分よりずっと強い魔物だって相手にしてきた。それはもちろん、守ってくれる誰かが、補助してくれる誰かがいて、安全な状況にしてもらってのことではあったけれど。でも、だからこそ、私はこんなやつらになんて負けたくない。
「稲妻ッッ!!」
私の呼び掛けに反応して、室内に再三轟いている小さな稲妻が、誘拐犯の身を焦がす。まだ倒れてくれない。それなら、倒れるまで何度だって――。
刹那、扉がぶち破られて、ゲレゲレとパパスさんが部屋に雪崩れ込んできた。
油断はできないのに、口からはほっと息が漏れる。ぎろりとパパスさんは誘拐犯を睨み、それから素早い動きで誘拐犯を鞘に入ったままの剣で殴打した。すぐに昏倒した誘拐犯たちの様子を見て、私の体から力が抜ける。ゲレゲレが近寄ってきて、「にゃうん」と愛らしい声をあげながら、心配そうな表情で私の頬を舐めた。
「よく耐えてくれた、アルマ。怪我はないか?」
衛兵がぞろぞろと部屋の中に入ってきて、誘拐犯たちを連行する中、パパスさんが私を抱き上げながらそう聞いてきた。私は彼の分厚い胸板にもたれかかり、「ない」と短く答えた。
「何よりだ。疲れているところ本当に済まないが、少しだけ話を聞きたい。大丈夫そうか?」
「うん。あ、えっとね、ゲレゲレに手紙を届けてもらったんだけど……」
「ああ。確かに受け取った」
手紙には、咄嗟だったこともあり「ヘンリーさまのへやにきて。なにかへん」としか書けなかった。それでもこうして駆けつけてくれて、本当にありがたい。
「私としても、謁見の間に行ったものの、どうにも衛兵から伝え聞いていた話と噛み合わなくてな。妙な胸騒ぎがしたんだ。この部屋で起きたことを教えてくれないか?」
「うん。あのね、王妃様にもらったケーキを食べながら、みんなでお話ししてたの。わたしはお腹いっぱいだったし、ゲレゲレもいらなかったみたいで食べなかったんだけど。しばらくしたら、みんなが眠いって言い始めて三人とも寝ちゃったの。……いやな感じがしたから、わたし、おじさんに手紙を書いて、ゲレゲレにとどけてねって渡したの。そうしたら、知らない人たちが入ってきたの。王子をさらうって言ってた。早くしろって言われてるって」
「誰に、『早くしろ』と言われたのかは言っていなかったか?」
「言ってなかった……。ごめんなさい、わたし、今話したことくらいしか、分からないの」
そう言うと、パパスさんは私の頭を撫でて、「いいや、それで十分だ」と優しく声を掛けてくれた。ぐっすり眠っている子どもたちを起こしたパパスさんは、私を抱きかかえたまま、みんなをぞろぞろと引き連れ、説明もしないまま謁見の間へ向かった。
「王よ、話がある」
厳しい表情でそう言ったパパスさんに、衛兵からヘンリーの部屋に誘拐犯が侵入し、捕えたことを聞かされていたのであろうラインハット王は、同じく厳しい顔で頷いた。寝ぼけ眼だった少年たちは、ただならぬ雰囲気の大人たちに怯えるように、そっと身を寄せ合っている。
「この子たちの身の安全を確保したい。事が起こった以上、私は彼らから離れない方がよいと思っている」
「わしとしても同意見だ」
「下手人は『王子の誘拐』を目的としていたそうだ。ならば、デール殿下もこれからはヘンリー殿下の部屋で寝泊まりし、まとめて護衛させてもらえるだろうか」
「そんな!」
悲鳴を上げたのは、青白い顔をした王妃だった。王の側に控えていたようだが、ドレスを皺になるほど握りしめて、怒りのような絶望のような、ともかく尋常じゃない形相でパパスさんを睨みつけている。
「デールは母親であるこの私が守ります!」
「しかし、今回のようなことが起こったときに、武力行使をされればあなたに王子を守る術はないのでは?」
「衛兵がいます!」
「部屋を守っていたはずの衛兵はいなくなっておりました。もはや、この城のどこに敵が潜んでいるとも分からないのですぞ」
パパスさんと王妃の睨み合いを終わらせたのは、ラインハット王だった。
「パパスの言う通りであろう。デールはパパスに任せることとする」
甲高い声で悲鳴を漏らした王妃は、感情的に一歩前に出て、きれいに整えられた頭をぶんぶんと横に振る。
「陛下、そんな、やめてくださいまし! デールは私といれば安全なのですよ!」
「ほう? そこまで言うなら、デール殿下の安全を保障できる理由があるはずです。お聞かせ願えますか?」
「それは……っ!」
あまりに失言。王妃は悔しげに唇を噛み「わ、私の傍には近衛がついております。この城で最も腕の立つ者たちですわ」と苦しい言い訳をした。
それを認めなかったのは、やはりラインハット王だ。王妃がどんなに泣こうが、喚こうが、デールが私たちと寝食を共にすることになるのは変わらなかった。デール本人はおろおろしていたが、王の強硬な姿勢と、パパスさんの厳しい表情、取り乱す王妃の様子を見て、何かを感じ取ったのだろう。物憂げな顔をして俯いてしまった。
「パパスや。わしは少し王妃と話がある。何かわしから話があるときには、これからはそちらへ赴くこととしよう。あるいは、子どもらも同席させる。それでよいな? ヘンリー、デール。それからリュカにアルマ。これからは悪戯と外出は控えるように。どこかへ行きたいときは、必ずパパスを伴うのだぞ」
リュカとヘンリーは顔を見合わせたが、真剣な顔で頷いていた。何が起こったのかまだ把握していなくとも、普段と違いすぎる空気は肌で感じているのだろう。
「おい、そろそろ話してくれよ。何が起きたんだ?」
みんなでヘンリーの部屋に戻ると、困り顔の部屋の主がパパスさんにそう尋ねた。
「殿下たちを狙った不届き者が侵入しました。誘拐が目的のようでしたが、『運よく眠らなかった』ゲレゲレが私を呼び、アルマが誘拐犯を食い止めてくれていたおかげで、大事には至りませんでしたが。やつらを退けたからと言って、到底安心できる状態ではありません。誘拐犯は何者かに指示されて事を起こしたようです。根本を断ち切らねば、城内でも安全とは言い難いでしょう」
「ゆ、誘拐!?」
「アルマ、怪我はないの!?」
未だに抱えられたままの私は、声を荒げたヘンリーとリュカにへらりと笑みを向けた。
「うん、ゲレゲレがすぐにパパスおじさんを呼んでくれたから」
「……それって、その、お母さまのせいなんでしょうか」
デールが暗い顔のまま呟く。パパスさんは私を下ろし、それからしゃがんで、デールへと目線を合わせた。
「それは分かりません。誘拐犯については、兵士たちが今、いろいろと聞いていることでしょう。気になることは多いとは思いますが、殿下はどうか、御自分の安全を第一にお考えください」
「そうだぜ、デール。お前だって被害者だったかもしれないんだ。義母上が関係してるかどうかなんて、まだ誰にも分からねぇ。悪戯も外出も釘を刺されちまったが、せっかくだしお前も訓練に加われよ。みんなでやったら楽しいこと、いっぱい見つけていこうぜ」
弟を気遣ったヘンリーが、努めて明るい様子で手を差し出す。うるんだ目でそれを見つめたデールは、差し出された手を両手で握りしめ、ぐずぐずと泣いた。
「もし、お母さまのせいだとしたら、ボク、お母さまを許せません……ボク、ボク、みんなのことが、もちろん兄さまのことだって、大好きなのに……!」
「ああ、オレもだぜ。義母上が今回のことに何も関わってないことを祈るよ」
弟の肩を優しくさすってやりながら慰めるヘンリーは、すぐに白い歯を見せて笑った。
「にしても、この部屋も狭くなっちまったなぁ! はは、これなら王子の部屋なんかに見えねぇや! いっそのこと、みんなで小間使いの服でも来て、使用人ごっこでもしてみるか?」
「ヘンリー、似合わなさそうだね」
「うるせえ! リュカなんて似合いすぎて本物の小間使いに間違えられそうなくせに!」
わちゃわちゃと少年たちが仲良く喧嘩をしているのを見て、デールがふっと笑う。
「ふふ、それならボクも、リュカさんみたいに小間使いに間違えられちゃうかも。兄さまと違って、ボクは平凡な茶髪だから……」
「おう! お前らまとめてみーんな、オレの子分で小間使いだ! ざまーみろ!」
何がざまーみろなのかは全然分からなかったが、少年たちは楽しそうに笑い合っている。私は疲れていたので、その様子を見ているだけにしたのだった。
*
王様は子どもたちが寝静まったころに部屋を訪れて、その日のことをパパスさんに報告している。こそこそと小さな声だが、他に聞こえるのは子どもたちの寝息くらいなので、何を話しているのか、内容は分かった。
たとえば、誘拐犯が「王妃に頼まれた」と口を割ったけれども、当の王妃はそれを否認。誰かが自分を陥れようとしているのだと、頑として聞かない。王妃が関与したとした明確な証拠が、誘拐犯の証言しかないこともあって、今は部屋に軟禁状態で、他に何か分かれば牢に入れるとのことだった。
しかし、王様も一応王妃のことを愛しているのか、それともただの情なのか、「できれば強硬な手段は取りたくない、自供して反省してくれれば」と甘ったれたことを言っていた。それから、このような事態を招いたのは、はっきりしない態度を取り続けた自分のせいなのだとも。
初めから次期国王はヘンリーに任せたいと思っていて、それなのにデールを王に据えたい王妃に毅然とした態度を取ることができなかった、と。
私は眠りが特別浅いタイプでもないが、一度偶然起きたときにこういったやり取りを耳にしてしまったことをきっかけに、次の日も寝たふりをして耳をすませるようにした。それがほとんど毎日行われていることなのだと分かり、一応自分のためにも起きていられるときはこっそり聞くようにしているのだ。
まあ、最近は王様のうじうじした悩み相談というか愚痴みたいになっているので、そろそろ聞かなくてもいいかな、とは思い始めている。事態が進展しないので、毎日報告することはそれほどないのだろう。パパスさんによるカウンセリングが行われているだけだ。
とりあえず、王妃が軟禁されていて、城内に不審な影はなし。城に入り込んでいた柄の悪い連中も、いつの間にか姿を消していたようで、ラインハット城にはびこっていた不穏な空気はなりを潜めていた。
ただし、人の口に戸は立てられず。隠しているとはいえ誘拐犯のことや、彼らと王妃につながりがあるらしいことは城内の人々だけでなく、城下町でも噂になっているようだ。城には毎日王妃に責任を取らせるべきだという抗議をしに来る人々が詰めかけている。
城の雰囲気とは、今までとは違う意味で良くない感じになっているのは少年たちだって気が付いていた。最近といえば、稽古や勉強の他、自由時間は遊びという名のデールを励ます会を開いている。チェスをやったり、パパスさん監督のもと鬼ごっこをしたり、その日彼がやりたい遊びをするのだ。勝ち負けがあるものについては罰ゲームがあることもある。
負けた者が必ずしも罰ゲームを受けなければならないわけではなく、罰ゲームを受ける条件は遊ぶ前にくじで決めていて、結果がはっきりしたらくじを見て誰が罰ゲームをやるのか知る、という形を取っている。体力勝負な遊びはデールが負けやすいし、小賢しさでなんとかなる遊びでは手を抜かない限り私が圧倒的勝率を誇っているため、偏りを無くそうというわけだ。
さて、そんなこんなで、表面上は穏やかだけれど、根本の問題が解決していないままに城内に流れる空気は微妙なまま、数日が過ぎた。
「パパスや、聞いてくれ。いや、もう噂になっているかもしれないが……」
真夜中。うとうとしていると、今日も今日とて王様が部屋を訪れた。この時ばかりは一国の王という仮面を捨て去り、いつもうじうじした様子の王様は、いつもよりもさらに沈んだ様子で、小さく小さくパパスさんに話し掛けている。
「あの日、この部屋を守っていた衛兵と、そなたに虚偽の招集をかけた衛兵をようやく捕まえた。彼らは一様に、『金のために王妃の言うことを聞くしかなかった』、『誘拐ではなく、あの悪戯ものの子どもたちを少しこらしめてやるだけだと聞いていた』などと、王妃に指図されて行ったことだと口を割ったのじゃ」
「それは……」
「二人とも、伏せがちな年老いた母親がいたり、小さな我が子が大怪我をしたりして、多額の治療費が必要だったそうじゃ。それを知った王妃にそそのかされ、『怪しいやつらを手引きする』、『決められた時間にパパスを呼び出す』、それだけやれば莫大な報酬をやると、そう言われておったそうだ」
「王妃の処遇はどうするのだ」
そういえば、二人きりのときに、パパスさんは王様へ敬語を使わない。いつものカウンセリングとは違い、厳しい口調のパパスさんに、「我が友よ」と王様は疲れ切った、掠れた声で返答した。
「あれを牢に入れる。王子たちを慕ってくれている民衆にも示しがつかぬ。それに、国民が汗水たらして納めている税金を悪事に使おうなど……許されることではないのじゃ。そうする他、なかろう」
それから、王様は昔話をし始めた。ヘンリーのお母さんが亡くなって、本当に悲しかったこと。幼いながらに母親を喪っても気丈に振舞う息子の聡明さが、余計に痛々しくつらかったこと。その姿から目をそらしていたときに、天真爛漫な現王妃に癒されたこと。気は強く思い込みは激しいものの、はっきりした性格で、落ち込んでいた王を打算なしに励ましてくれたこと。かつてはその容貌の美しさも相まって、太陽のようだと思ったこと。
しかし、デールが生まれて「我が子を幸せにしたい」という思いが悪い方向に働いてしまったこと。以前はあった思いやりも、「デールのため」を理由に、他者の迷惑や不幸を考えなくなってしまったこと。それを知っていながら、見てみぬふりをしてしまったこと。
聞いていて、悲しくなった。王妃はもちろん、王様に対しての憤りはある。けれど、そうではない。私はヘンリーやデールのことを考えて、この一件があの兄弟の心に傷を負わせることになる――あるいは、既にそうなってしまったことに対して、ただただ、悲しくなったのだ。
***
同じころ、真夜中。王妃はぶるぶると震えながら寝室にいた。自らの寝室とはいえ、あまりに落ち着かない。部屋を固めている衛兵の人数は多く、しかも自分の息が掛かっていない者たちが厳選されている。軟禁状態ではやることもなく、娯楽もない。少しでも、部屋の外では何が起きているのか確かめるために、常に耳をそばだてていたのが、果たしてよかったのか、悪かったのか。
――明日、私の運命は終わるのだわ。
確かに聞いてしまった。ヘンリー王子誘拐のために利用した者たちが捕まり、自分を黒幕だと話していたと。誘拐犯だけならば、まだ良い。しかし、多方向から証言が集まってしまえば知らぬ存ぜぬは意味を成さない。王は、彼女を明日牢に入れるようだと、兵士たちは言っていた。
――それもこれも、全部あのパパスとかいう男のせいよ。
あの男が来なければ。誘拐を邪魔したあの男の娘も、変な猫も憎らしい。ふつふつと己の中に沸き上がる憤怒と共に、じわりと滲む悲しみ。
――陛下は、私のことを嫌いになってしまったのかしら。
情けないやつだと思った。すばらしい王であるともてはやされていたものの、亡くなった妃の喪に暮れるばかり。政務はこなしていたようだが、あまりに覇気のない状態に、イライラさせられた。貴族の娘であった王妃は、ふん、と鼻を鳴らし、そんな情けない王が中庭をぼうっと眺めているときに、嫌味を言ってやったのが、出会いだった。
情けなくて、うじうじしていて、けれど誰よりもこの国のことを考えていた王が、こんなことをした自分を好きでいてくれるはずがない。そもそも、自分を妃とした後も、あの人はどこかで、前妻を想っていた。
だから悔しくて、絶対に息子のデールを即位させてやると思っていた。自分はあの女よりも上なのだと。死んでしまったから、本人とはもう比べようがない。その息子に、自分の息子が打ち勝てば、あの女よりも自分は愛されていたと言えるはずだと思った。だって、父親なら、より愛している方の息子をこの国の主にしてくれるはず。
――結局、何一つ、勝てやしなかった。
あの人は、あの女の死を悲しみはしても、自分を牢に入れることは厭わない。はっきりしてしまった、残酷な現実。だから、王妃は声を押し殺して涙を流した。
「ふっ……ぅぐっ……ううっ……」
熱いしずくが、枕を濡らし、やがて頬を冷やしていく。この世はなんとままならないのか。どうして、どれほど愛をささやかれても、抱きしめられても、満たされないのか。なぜ見えないものを求めてしまうのか。絢爛豪華なあれこれだって、デールに求めた「次期国王」だって、愛を確かめるためのバロメーターだった。なのに、求めれば求めるだけ、何かが遠ざかる。こちらを見てほしくて何を言っても、彼を悩ませるのは国の行く末と、悪行三昧の長男ばかり。
「みじめですねぇ」
知らない声が、間近から降ってきた。彼女はひとつ息を吐く。生来の気の強さから、見栄を張るのは得意だった。
「無礼者、何奴です。衛兵は一体何を?」
涙をぬぐって、被っていた布団を退ける。まだ牢に入れられていない、罪状を言い渡されていない彼女は、まだ「ただの王妃」だ。その寝室に忍び込むなど、許されるはずがない。あるいは、兵士たちが乱心し、牢に入れられる前に不貞を働くつもりだろうか。
しかし、侵入者を睨んだ王妃は思わず息を呑んだ。
「衛兵たちには少し眠ってもらいました。あなたに話があったものですから」
紫色のローブを目深に被ったその姿は、長身の魔術師にも思える。しかし、そうではないことは明らかだった。不気味な黄色の目。あまりに禍々しい雰囲気。魔物であろう、ということは察しがついた。城の結界をものともしないほどの、強力な魔物だ。
「お可哀想に。あなたはただ、幸せになりたかっただけなのでしょう?」
その目に見つめられていると、頭がぼうっとする。王妃が好んで焚いていた香にも似たような効果があった。嫌なことを忘れさせてくれる、甘美なにおい。それを嗅いでいる間は、現実のことを考えなくてもよく、いつの日か常に焚くようになった魔性の香。そういえば、あれはいつ、誰が最初にくれたものだったか。
「そう……私、幸せになりたかった……」
「だが、あなたは明日には冷たい牢の中だ。ああ、こんなことが許されて良いのか!」
鼓膜を揺らし、脳内でガンガンと反響するその声に共鳴するように、王妃の口から言葉が漏れ出る。
「許されていいはずが……ない……私は、私はこの国の王妃なのよ!」
じわじわと憤りが、絶望が、胸に広がっていく。
「そう、あなたは王妃です。牢だなんて似合わない。すぐにはできませんが、私が解放して差し上げましょう」
「今すぐここから連れ出してはくれないの?」
「そんなことをすれば、あなたの汚名は永遠にこの国に残るでしょう。牢に入った後なら、どうとでもできる。それに何より、事前準備は大切なことなのです」
そうか、と王妃は納得した。たしかに、牢に入った後なら身代わりを立てるなりして脱獄してしまえば、自分は無事だ。服装が違って、少し遠くへ逃げれば、誰も自分のことなんて分からないだろう。しかし、今逃げてしまえば「王妃が罪を認めて逃げた」ことになる。逃げた罪人を野放しにしておくような王ではない。あの真面目な男の性分を彼女は誰よりも理解しているつもりだ。
「そのためには、まず、あなたの邪魔をした者たちがどんな人物だったのか教えてほしいのです。それから、この城の兵士のことも」
「分かったわ」
口を開く。この城を守る兵士たちのこと。あの忌々しい田舎者丸出しの戦士、その息子と娘、連れている変な猫のこと。それからもちろん、憎らしいヘンリー王子のこと。
「同じ部屋にいる、私の息子のデールは茶髪の幼い男の子です。ヘンリーは緑の髪。絶対に間違えないでちょうだいね」
「ええ、覚えておきます」
「ヘンリー、忌々しい子……あいつさえ――」
――あの女さえ、いなければ。私は幸せになれたのに。
「ほっほっほ、お気持ちは十分伝わりました。では、少しお待ちいただくことになりますが、必ずあなたを解放するとお約束しましょう」
「ええ、必ずよ」
「もちろんです」
いつの間にか、王妃は眠っていた。昇った朝陽の眩しさに目を覚ましたとき、なぜだか妙に、自分があの太陽とは遠い存在となってしまったのだと感じた。
ゲレゲレ レベル5
ちから:36 すばやさ:44 みのまもり:25
かしこさ:10 うんのよさ:18
最大HP:61 最大MP:0
呪文・特技:‐
(攻略サイト参照)