「シュン、君……」
「委員長、歩ける?」
虚ろな目をした杏奈の手を握り、館から出ようとする。しかし何故か彼女はうずくまったまま動こうとはしない。
「委員長?」
「いや…………だめ…………」
消え入りそうな声が聞こえたと同時に、背後でバタンと勢いよく扉の閉まる音が響いた。しまった、無理矢理にでも連れ出すべきだった。
「ごめん…………シュン君…………」
「謝らないで委員長、それよりもさっき言ってた青いカードキーは?持ってるよね」
「ごめん…………なさい…………」
まるで僕の声など聞こえていないかのように、彼女はうわ言を呟くばかり。やはりよほど恐ろしい目に遭ったに違いない。
「落ち着いて委員長、早くここから出よう」
肩を揺すり、意識をこちらに向けさせる。
「…………シュン、君」
きゅっ、と彼女は服の袖を掴み顔を上げる。死相のように絶望の覆う表情の中、大粒の涙を流すその瞳がどうしてかいつもより大きく見えて、まるで───
「あ…………ああ………………」
突然、彼女の表情に怯えが混ざる。嫌な予感がして振り向くと、すぐそこに青い怪物が大口を構え立っていた。咄嗟に彼女を庇いながら避けようとするが、怪物の牙は容赦なく僕の肩に突き刺さった。
「ぐぁっ……!に、逃げっ……委員、ちょ───」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………ああああっ」
何度も謝罪を口にする杏奈。その皮膚は徐々に青みがかっていき、面積を増して……
「───ごめんなさい、シュン君」
え?
愕然とする中、僕の目に最期に映ったのは、醜い怪物へと成り果てた杏奈の姿だった。
重い頭を抑えながら、僕は立ち上がる。そこはジェイルハウスの廊下、目の前には血溜まりに沈む肉塊と、それに泣きつく女子生徒が。
「嫌ぁ…………どうして…………」
僅かに遺された腕を握り、彼女は泣き叫ぶ。確かめる必要もなかった、彼女は美香だった。とすると肉塊は、まさか……
「卓郎、君…………」
よく見れば、血に混じって彼の乗用する赤いコートがぐちゃぐちゃになって転がされていた。
……酷い、吐き気がした。
彼の死に様を見るのは、これが二回目だった。かつて自分をいじめていた男の死は、全くもって爽快なものではなく、むしろ虚無感と絶望感が自分を支配した。自分が彼を殺した、ジェイルハウスに怪物を生み出し、呪い殺した。そんなことをしても何も晴れるわけではないというのに。
「僕の、せいだ……」
「……そうよ、全部アンタのせいよ」
呟きに呼応するように、美香がこちらを見て言う。その目は敵意と、恐怖に満ちていた。
「アンタが卓郎を……卓郎を喰い殺したんだ……許さない」
「喰い……え」
急にゲホッゴホッ、と咳き込む。ベチャリ、という音と共に地面に落ちたのは、紛れもなく卓郎の首で。
「ひっ……」
美香の表情が一層強ばる。よく見れば自分の手が青くなってて、いつもより視線が高くて、目の前の彼女を見ていると食欲が湧いてきて───
「いやあああああ!」
彼女が叫ぶと同時に、僕も絶叫した。しかし怪物と化した身体からは、醜い雄叫びのみが発せられていた。
***
「おい、杏奈!」
卓郎がエントランスで叫ぶ。案の定か反応はなく、館は静まりかえったままだ。
「杏奈、いるなら返事して!」
「だ、だめだよみんな。さ、叫んだら怪物が……」
「怪物はともかくとして、このまま呼び掛けただけではらちがあきません。ここは館を───」
バタン、とひろしの発言を待たずして背後で扉が閉まる。ひい、とたけしが悲鳴を上げる一方で、卓郎は苦虫を噛み潰すような表情を浮かべる。
「チッ……またここに閉じ込められちまったか」
「ま、また?ねえ卓郎、私たち前にここに閉じ込められたことあったっけ」
「……お前らは気にすんな、俺が何とかしてくる」
そう言うと誰の制止も聞かず、卓郎は二階へと上がっていった。
「全く……なんなのよ、杏奈も卓郎もいなくなっちゃって」
「い、嫌だ……嫌だああああ!」
「落ち着いてくださいたけし君。とにかく今は卓郎の帰りを……おや」
泣きじゃくるたけしを宥めていると、不意にひろしはエントランスの隅に乱雑に投げ捨てられているノートパソコンを発見した。手にとって確認してみるとすぐに動画通話アプリが画面に映った。このノートパソコン、ひろしには見覚えがあった。
「……シュン君、もしかしているのですか?」
「え?ひろし、あんたいきなり何言ってるの?」
「いえ、ここにシュン君のノートパソコンが落ちていたのですが……」
顎に手を当て、彼は思案する。そうしていると突然、廊下の奥からキィと音が響いた。
「ひっ!な、何だよ!」
「……誰かいるのですか?」
「…………みんな、どうしてここにいるの」
廊下から人影が現れる。正体は、シュンだった。その後ろには杏奈の姿もあり、美香は安堵の表情を見せる。
「よかったぁ……杏奈、無事だったのね」
「……うん」
俯き気味に彼女は答える。一方、ひろしはポーカーフェイスのままシュンに尋ねる。
「……シュン君、何故君がジェイルハウスにいるのですか。近づくなと言っていたのはあなたではありませんか」
「委員長が閉じ込められたって聞いて、心配だったんだ。でも、連れ出そうとしたら扉が……」
「それは少々迂闊すぎませんか?まあ、僕たちが言えた話ではありませんが……」
「と、とにかくこれで見つかったろ!?後は卓郎が戻ってくるのを待つだけでいいんだよな!?」
「そうよね。卓郎、もう見つかったから早くしなさい!」
美香とたけしは何の疑いも持たなかった。シュンと杏奈も共に彼の帰還を待ち始めた。
唯一、ひろしだけは二人の見開かれた瞳孔を見つめていた。