少女さとり 〜 Another Story of the Depths. 作:冥界寺吹雪
「地底へ来たらまずはここ、
と言われ案内されたのは、最初にお燐と出会った空間(ほぼ廃墟)となんら変わらない広場だった。
無駄にだだっ広いが、これと言った施設や、最初の施設にあった刻印柱のようなシンボルもない。結構走らされた割には、なんとも殺風景な場所に連れてこられたな。
「漂う哀愁、長年利用された施設の悲しき末路……あんさんも感じるかい?ここで果てた人間達が発した、悲痛の叫びが!」
「いや恐いから。てか何だよその等活地獄ってのは。さっきからやけに蒸し暑いし、わざわざ紹介するような場所なのかここ?」
「さとり様や火車の事は知ってるのに、八熱地獄を知らないのかい?外の人間ってのは、知識が偏ってるんだねぇ」
チッチッ、と人差し指を左右に振りながら答えるお燐は、瓦礫の隙間に転がっていた平たい鉄片を拾い上げる。
どこからどうみても単なる赤錆びた鉄屑だが、俺がそう思うのを見越してか、お燐は得意げに説明を始める。
「こいつはこの等活地獄の管理人が持っていた大鎌の一部さ。色が赤黒いのも納得いくだろう?」
「大鎌って、ちょっと待て。さっきから地獄地獄言ってるが、まさかここは本当に……?」
想像しただけで、背筋がぞくっとした。もしかして、俺がこんな場所に来てしまったのは、地獄に堕とされたって事なのか?このお燐ってのが実は死神かなんかで、さとりは閻魔とかその類だったりするのか?
ああやばい、余りに事が平和的に進んでたもんで、心の準備ってやつが全く出来てない。
俺、地獄に落とされるような事したかなぁ。少なくとも、殺生をした記憶はこれ一切ないんだが。
「最初に言った通り、ここは等活地獄『跡』!ま、今はご覧の有様で一切機能してないからさ、そんな怯えた顔しなくてもいいんじゃない?」
「ああ、なるほどな……」
地獄跡って言われても、それはそれで恐い。恐いが、ここが営業中の地獄ってのよりは余程マシだな、うん。
「で、ただの人間を地獄跡に案内するあんたは何者なんだ?」
火車っつー妖怪ってのは分かっているが、俺が聞きたいのはそんな事じゃない。
そう付け足そうとしたが、お燐も質問の意図を汲み取ってくれたようで、一転して真面目な表情でこちらを見つめてくる。
「あたいが死体を集めるのは、今でこそ趣味なんだけどね、昔は立派な業務だったんだよ。少し前までは、死体を集めては地獄に運んでたものさ。だけどねぇ……」
ははん、なるほど見えてきた。つまり、ここらの地獄が閉鎖されちまったから、絶賛失業中って訳か。この辺はデリケートな話だよなぁ、少し話題を逸らした方がいいか。
「そういや、あのさとりってのはアンタの主人なのか?向こうはアンタの事ペットとか言ってたが」
「とんでもない!主人なんて言葉じゃとても足りないさ。何てったってさとり様は、あたいの命の恩人だからね!」
「命の恩人?」
「そうとも!さとり様がいなければ、今のあたいは無かったからね」
何だかよく分からないが、いつも以上に目をキラキラ輝かせて語るお燐からは、嫌ってほど熱意が伝わってくる。さとりの事、本当に尊敬してるんだな。
「聞くも涙、語るも涙の話で……っと、外の世界から来たあんさんにこんな事話しても仕方ないかな」
「いや、興味あるな、その話。是非とも聞かせてくれないか?」
というと、お燐は意外そうに目を丸めて凝視してくる。
「……珍しい人間もいたもんだね」
「え?」
「いやぁ何でもないよ、悪かったね。それじゃあ少し長くなるから、次の名所まで歩きながら聞いておくれ」
そういうと、お燐は歩みを進めながら静かに語り始めた。
・・・
・・
・
この世界で、ただの動物が生きていくのは至難の業だ。うっかり妖怪の縄張りにでも入り込もうものなら、大半は問答無用で攻撃してくる。
何より辛いのが、私達動物は言語を持たないという事だ。意思疎通が出来れば、まだ事前に危機を回避出来る可能性もあるのだろうが……。
以前私が妖怪に襲われそうになった時は、身振り手振りで敵意が無い事を伝えようと試みて、何とか見逃してもらえた。だが、それはかなり運が良い方で、とある私の同族は妖怪の山に足を踏み入れて以来、姿を見ていない。
そのせいもあってか、私の中で『妖怪は危険』という認識は、より一層深まっていった。
「やぁやぁこれは可愛い猫さんだ。こんな山奥をうろついていては、恐ろしい妖怪に食べられてしまうよ?」
とある日暮れの山中。私が初めて出会ったその人間は、私の小さな体を抱きかかえて歩き始めた。私は人間には『猫』と呼ばれているらしい。
妖怪に怯える私だが、人間は受け入れる事が出来た。人間もまた、妖怪に命を脅かされる存在であり、何となく私達動物と同じような境遇だと思えたからだ。
「ここが私の家だ。全財産をはたいて建てた、私の宝物なんだ。少々小さな家ではあるが、お前と私で暮らすには十分な広さだろう」
そう言って私を連れ帰ったその人間は、何と食事を与えてくれた。丸々と太った魚を丁寧に捌いて差し出されたので、私はそれを喜んで平らげた。こんなに美味しい食事は久しぶりだ。こんなに美味しい食事を与えてくれる人間は、良い人に違いない。
人間から考えれば、なんとも現金な話かもしれないが、仕方のない事だ。だって私はただの猫。生き抜く事が全てなのだ。生きる為には、食事が全てなのだ。
「ふふ、いい食べっぷりだ。……お前のような動物でも、一人でいるよりは気が紛れるだろうからな」
今までは自分自身で食事を摂る必要があっただけに、人間が全て用意してくれるというのは、まさに天国にでもいるような気分だった。
何も言わずとも世話をしてくれるので、自分の方が偉いのではないか?と錯覚を覚える程だった。勘違いも甚だしいが、私にはそれを確かめる術がない。しかし、確かめようとすら思わなかった。何故なら、ただ待っているだけで幸せな生活が送れるのだから。
「邪魔するぞー……って、誰もいないみてーだな。こりゃツイてる」
ある日の昼下がり。見知らぬ声に、夢の世界から目を覚ます。
ふと視線を引き戸の方へやると、そこには大柄の人間が立っていた。この家の主人とはまた違った人間で、右手には鋭い銀色の物が握られている。
そいつが周囲をぐるりと見渡すと、どうやら私の存在に気付いたらしい。こちらをじろりと睨み付けると、ふっと小さく笑い飛ばした。
「何かと思ったら、猫じゃねーか。けっ、こんな奴かっぱらった所で、一銭にもなりゃしねぇ」
言ってる意味は良く分からなかったが、不快になる口調ではあった。
私が暫く黙っていると、そいつは急に室内の棚を開け、中を物色し始める。
一体何をしているのだろうか?気にはなったが、私にはそれを問う術がないので、やはり沈黙を続けながらその様を見つめていた。
あれでもないこれでもないと棚の中身を放り投げ、気付けば室内は、大量の備品や食料が散乱していた。何かを探しているのだろうか?
と、突然何か思いついたように手を叩く人間。すると、手に持った鋭い銀色の物を器用に使い、床や壁に丁寧に傷をつけ始めた。それらは決まって4、5本の線をまとめて引くように傷つけられていたが、それに一体どんな意味があるのだろう?私にはとても理解出来なかった。
「まーこんなもんだろ。そんじゃありがたく頂いてくぜ、可愛い猫ちゃんよ!」
あちこちに傷をつけ終わった人間はそう言うと、そそくさと家を後にする。私は訳も分からず、物だらけになった部屋の真ん中でその様を眺める事しか出来なかった。
程なくして帰ってきた家の主人の顔は、今まで見たこともないような悍ましい表情で満ちていた。
主人が部屋を一通り見渡すと、私と視線ががっちり合う。すると物凄い剣幕で近づいてきて、私の首根っこを捕らえると、そのまま壁に押し付けた。息が詰まる程容赦のない握力が、私の身体を襲う。
「お前……これだけ手をかけてやったというのに、この仕打ちか!小さな家だがなぁ、建てるのにどれだけの苦労をしたか、お前に分かるのか!?この動物風情が!!」
もしかして、この部屋を荒らしたのは私だと思っているのだろうか?だとしたら、大きな勘違いだ。これをやったのは見ず知らずの人間で、私は何もやっていない!
何とかそれを伝えようと、宙ぶらりんになった前足を必死に動かしてアピールしたが、それが逆効果だった。主人は更に語気を強め、罵声を浴びせてくる。
「それか、その足か!その足で部屋中こんな傷だらけにしおってからに!あのような傷をつけられるのは、お前のような猫を置いて他におるまい!」
分からない。主人が何を言っているのか、さっぱり分からない。それでも私は懸命に力を振り絞り、手足を動かす。それが無意味だと分かっていても、私が他人に意思を伝えるには、これしかないのだ。
「これだけ暴れて、まだ足りないというのか?貴様はどこまでっ……!」
不意に、私の身体がぶわっと宙を舞う。首を絞めていた力がすっと抜け、息苦しさから解放されたと思ったのも束の間。背中に走る強烈な衝撃は、焼け付くような痛みを全身へと駆け巡らせ、呼吸すらままならない。
苦しい!痛い!違う。私じゃない!私じゃ……
「まだ暴れるか!クソ、所詮お前にとってこの家は、ただの雨凌ぎだってか?この恩知らずめ、次は外に叩きつけてやろうか!」
そういうと主人は、私の後ろ足を無造作に掴み、乱暴に持ち上げる。引き裂かれるような激痛が足を襲う。
ああ、どうして人間は、こんな酷い事をするのだろう。
ああ、どうして人間は、私の言いたい事を分かってくれないのだろう。
私が、部屋を荒らす人間を止めなかったから?
私が、私の見た事を伝えられないから?
―――ああ、どうして私は、誰とも分かり合えないのだろうか?
・・・
・・
・
冷たい。
その感覚に目を覚ました私は、続いて身体中から押し寄せる激痛に身を丸めた。
雨が降っている。滝が流れ落ちるような雷雨は私の全身を濡らし、体温を奪う。
辺りを見回すと、そこは見慣れぬ森林だった。木々が生い茂り、鬱蒼としたその雰囲気には、恐怖すら覚える。
妖怪の山に入った同族の事を思い出す。ここなんて、まさに妖怪が棲んでいそうな場所だなぁ。私もその同族のように、ここから帰る事が出来ないのだろうか。恐ろしい妖怪に見つかる前に、早く安全なところへ行かなければ。
そう思って身体を起こそうとすると、
傷口を見てしまったのがいけなかったのか、今まで以上に足がズキズキと疼く。ダメだ、もう我慢出来そうにない。
痛い!痛い!誰か!助けて!
無意味と分かっていても、心はそう叫ぶ。こんな時、人間のように話すことが、どれだけ良かっただろうか。
……いや、もし話せたとしても、こんな薄気味悪い場所にいるのは妖怪だけ。どっちにしても、私は助からなかったのだ。
そう考えると、何となく諦めがついた。
ふと、身体が地面からふわりと離れる。何かが私を持ち上げた。
と同時に、背中から伝わる温かい感覚が、途切れそうな私の思考を現実へと呼び戻した。
「これは、かなり酷いですね。早急に手当てしたい所ですが、これ以上地上に留まる訳にも……」
それは、人間の少女の風貌だった。あえて曖昧な表現をしたのは、単純にこの不気味な森とこの少女が不釣合いだったからだ。
人間の姿をした妖怪も多い。恐らく彼女もその類だろう。私達の事など食料程度にしか思っていない、残忍で、怖ろしい妖怪!
「……確かに、妖怪の中にはその様な者が多くいるのも事実です。いえ、あなたから見れば、私もその内の一人なのかもしれませんね」
あれ。どうして彼女は、私の考えていた事が分かったのだろう?
私は猫であり、動物だ。人間や妖怪と意思疎通するなんて、とても出来ない。弱い私たちは、ただ強いものに怯える事しか出来ないはずだ。なのに
「弱い、だなんてとんでもない。あなたは、あなたの意思を伝える為、痛みも苦しみも物ともせず、その身体で人間に主張を続けたのでしょう?あなたは十分強い」
私が、強い?妖怪からは逃げ、人間には虐げられる、そんな私が、強い?
「そう、強い。その強さがあれば、今まで以上に強くなる事だって出来るかもしれない。その可能性の芽を、たった一人の人間によって摘まれてしまうなんて、勿体無いと思いませんか?」
彼女が放つ言葉は、私の胸に浸み込み広がってゆく。
強くなりたい。強くなるには、生き延びなければならない。なら、生き延びる為に今私が出来る選択は?
実に簡単な問いだ。その答えを導くのに、十秒とかからなかった。
私は頭をゆっくりと起こし、雨水が滴る彼女の顔を見上げる。すると彼女は、暗がりに浮かぶ太陽のような微笑みを見せて、一言こう言った。
「必ず治してみせますから、ゆっくりお休みなさい」
それを聞いた私は、緊張の糸が切れたように意識が闇の中へ落ちた。
・・・
・・
・
「そんでこっちに来てから怨霊を貪り食ってたら、なんか妖怪になれましたとさ」
「台無し!最後の台詞で台無しだから!」
怨霊を食べてる時点で最初から普通の猫じゃねーだろ!という突っ込みは、多分野暮なのでしないでおく事にする。
思いっきり調子を狂わされてしまったので、軽く咳払いをして平常心を取り戻そう。
「ごほん。えっと、怨霊うんぬんの話はともかくだ。あんた、結構大変だったんだな。そんな苦労を乗り越えて妖怪になったってのは、素直に凄いと思う」
てっきりさとりの事を言われると思ったのだろう。お燐は何故か、少しだけ頬を赤らめながら言い返してくる。
「えっ?……あ、あたいの話はどーだっていいの!それより凄いのはさとり様だよ。不可侵条約があるってーのに、あの後危険を冒してその場で治療してくれたんだよ!いやー、やっぱりさとり様はすごいっ!」
途中でなんか聞かない単語が出てきた気がする。不可侵条約?
……んまーよく分からんが、お燐のさとり愛はこれ以上ない程よーく伝わった。こんだけ愛されてるさとりは、かなりの幸せ者なんだろうな。
「ああ、本当に凄い。俺って奴は、妖怪っつーのはもっとこう皆暴力的で、怖ろしい奴らかと思ってたよ。さとりはあんたのような動物にも平等に接してくれる、心の優しい妖怪なんだな」
俺がそう言うと、二股に分かれた尻尾を嬉しそうに左右に揺らすお燐。てか揺らされて初めて気付いたが、人間型になってる時でも一応尻尾はあるのな。人から尻尾が生えてる様は、お遊戯会で動物の衣装を着た子供みたいで、ちょっと可愛い。
「へぇ。あんさん、人間の割に物分りが良くて面白いねぇ!どうだい、あたいの事お燐って呼んでもいいから、あんさんの名前、教えてもらってもいいかい?」
ああ、そういやお燐にはまだ教えてなかったんだっけか。
「俺は貫斗。あんたみたいな人に語れる過去は今んとこ無いが、よろしくな」
「違う違う!あたいの事、ちゃんとお燐って呼んでくれなきゃ不平等だろう、貫斗?」
こいつはうっかりしてた。慌てて言い直す。
「おっとっと、それもそうだなお燐。よろしく頼むぜ」
今まで、あまり他人を下の名前で呼ぶ事が無かったから、少々むず痒いというか、小っ恥ずかしかったりするんだよな。だが一度言ってしまえば気持ち良いもんだ。
死体を集める妖怪って聞いた時はどんな怖ろしい妖怪かと身構えたが、少々勝気な良い妖怪だ。こんな妖怪なら、是非とも仲良くしていきたい。
「よろしく、貫斗!」
・・・
・・
・
「……で、いつになったら次の目的に着くんだ?」
「今歩いてきた距離と同じ位だね。次はもっと素敵な地獄跡だから、期待していいんだよ!」
え、次の名所も地獄跡なの?さっきみたいな廃墟?
「えーっと次向かうのが釜茹でで有名な
「ああ、もういい……。楽しみは後に取っておくよ……」
屈託の無い笑顔で行き先を告げるお燐。きっと、俺に喜んでもらおうと考えてくれたプランなのだろう。それを無下にするなんて事は出来ないさ。出来ないのだが。
「怨霊の頭首は最後まで取っておく派なのかい?そういう事なら着いてのお楽しみだね!それじゃ叫喚地獄跡に向けていざ!」
「何だよそのハンバーグのにんじんは最後まで取っておく的な……って、待て!引っ張るな!手を引っ張るなってえええぇ!!」
その後何時間と、お燐のドタバタ地獄巡りツアーに付き合わされたのは言うまでも無い。