月夜の噛ませ犬   作:ひいなのまつり

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雨に溺れたい夜

 ポツポツと始まりながら少しずつ強くなる雨が、アスファルトを黒く染めていく――――――。

 

 

 

「いつまで、ねえ…いつまで、気が付かれていない振りをするつもりなの?」

 

 

 深窓の令嬢を体現する女は、二枚目気取りの三枚目――――を気取る男へと告げた。

 

 

「私が貴方に差し出された傘の中に入ることが、そんなに信じられなかったの?」

 

 令嬢――――月村すずかは、噛ませ犬になりきった狼へと嗤う。

 

 

「貴方が言ったのよ。”素敵なイケメンと一緒の傘で帰らないかい? 僕の婚約者(マイスイート)”だなんて」

 

 男は薄っぺらい言葉で言い訳するが、けれど、彼女にはもう誤魔化せない。

 月村すずかは、ずっと誰かだけを見てきたのだから。

 もう誤魔化されない。

 より正しい言葉を使うのならば、もう誤魔化されたと思い込む芝居に幕を引く事にした。

 ――――月村すずかは、不明確なままにしていた二人の関係に、そろそろ決着を着けたい。

 

「噛ませ犬を気取るのはそのへんにしないと、私、本当に噛むから。

本当に貴方のこと、噛んじゃうから。

――――――意味、分かるよね」

 

 魔性の血統特有の眼差しで、同族の男へ視線を向ける。

 すずかは、彼が愛する大勢の内の一人で甘んじるのには、もう疲れ果ててしまった。

 そんなことをせずとも、彼はすずかの婚約者で、彼の一番は己なのに。

 それでも、彼女はそれで我慢出来なくなってしまった。

 よくすずかに愛を語って袖にされている彼がすずかに依存しているわけでは無い。

 彼が依存しているのは、彼の兄だけだ。

 本当のところは、月村すずかが彼に依存していた。

 

 彼が安っぽい噛ませ犬になったのは、彼が兄と慕う…慕っていた男のせいだ。

 対人類強硬勢指導幹部、氷室遊。

 彼の命を救い、心を救い、全てであった者。

 …もう既に、この世にはいない男。

 

 

 

 すずか達は、人間ではない。

 人間とは違う能力と文明をもった人間に似た化け物。

 通称――――――『夜の一族』。

 

 

 最近は顕著に人間が新たな可能性に覚醒(めざ)めたり、文明を発達させて追いついて来ているが、それでも自分達は人間以外ではなく、人間以上の支配者と信じ続ける勢力が『夜の一族』には存在する。

 その指導層の一角である、若き幹部の名が氷室遊。

 夜の一族には、人間に対して大きく4つのスタンスが存在する。

 共存派・支配派・隠匿派・討滅派。

 その内の、支配派強行系勢力を氷室遊は担っていた。

 

 人類など家畜に過ぎない。

 所謂純粋な吸血鬼である遊は、その意志の下で女生徒を異能で操っていた。

 そして用意に操られる女生徒達を、彼は間抜けな家畜だと見下していた。

 少なくとも同族達にはそう吹聴していた。

 …人狼との混じり者である異母兄妹である吸血鬼・綺堂さくらと、その恋人によってしてやられてしまったが。

 

 

 氷室遊は、所謂(いわゆる)噛ませ犬であった。

 男気ある主人公を引き立てる為の軽薄な美男子。

 それが物語によって、氷室遊に与えられた立ち位置だった。

 

 それは、黄色い悲鳴を受けながらも、無様を晒した途端に手の平を返したように笑われる、道化の立ち位置。

 けれども、そんな彼に本気で憧れた少年がいたのだ。

 氷室遊が複雑な感情を持て余していた相手、綺堂さくらの母と同じ人狼。

 そのほぼ純粋種である少年。

 

 彼が初めて家族(・・)と出会ったのは、夜の一族を危機に陥れようとした裏切り者が、裏で協力していた研究所であった。

 氷室遊は発見時にそこにいた、人間の全てを抹殺して、少年を救い出した。

 

 ――――――氷室遊は、少年に氷室の姓を与えて保護者になった。

 愛を知らぬ孤狼は、その時に初めて家族を知った。

 兄に軽薄さを含めて、憧れた。

 

 だから、軽薄さを含めて、彼が目指すべきロックなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラウド」

 

 ラテン語の不完全に起因する名前。

 初めて兄に名前を付けられて、彼は一人の生き物になった。

 その名前を、月村すずかは呼ぶ。

 

「ここで決めて。私を愛するのか、全てを無かったことにするかを」

 

 そして――――――突き付ける。

 彼の()無かったことにする(・・・・・・・・・)か、その想いに応えるかを嗚咽混じりに迫った。

 昔から続く変わらない関係に耐えられなくなった女の涙は、銀のナイフより深く刺さった。

 

 

 

 

 人間が夜の一族を倒す為に、夜の一族の子供を素体として造られた生体兵器『B-01』であった彼には、生体記憶・情報記録に関わらず、形無き式を自在に書き換える異能がある。

 

 それを使えば、月村すずかと氷室クラウドの間にあった全てを無かったことに出来る。

 

 ある人物(・・・・)が、夜の一族に対抗する為に作ったPROJECT-Kの成果物である彼にはそれが出来る。

 

 

 月村すずかは焦っている。

 クラウドが何時までも『みんなのダーリン』を続けるつもりでも、女の子の中にはそれが我慢できなくなる者もいる。

 

 彼女の一番の親友であるアリサ・バニングスも、口を開けばロクでもない男、刺されて死んでしまえと言ってはいるが、かつて庇われた恩を今でも大切にしているのを、すずかは知っている。

 微かに見え隠れする確かな想いを知ってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 昔から気が強く美少女だったアリサを、からかいたい男子たちは多くいた。

 昔から気が強く美少女だったアリサを、排除したい女子は確かにいた。

 そして、そのお誂え向きの理由が、彼女が外国人の血が入ったハーフであることだった。

 しかし、そんなからかいの言葉は、日本人の血が欠片も入っていない、当時小学生だったクラウドによって粉砕された。

 

 筋骨隆々で、自信家で、日本人が想像するMr.アメリカンなオーバーリアクション。

 喧嘩も馬鹿みたいに強く、スポーツでも彼がいるチームは常に圧勝。

 常に自分を天才と言って憚らないそのナルシストな姿勢は、芸人としても面白かった。

 

「Nnnn,可哀想なミス・バニングス。その麗しさにちょっかいを出したくなったシャイボーイたちのことを、どうか許してやって欲しい。

アリサ姫、君の悲しみが止まるまでの間、この僕に君のナイトを務めさせてくれ」

 

 凍り付くような藍色の髪に、野生的で実用的な冷徹な美。それでいて暴力的な外見ながら、その中身はどこまでもピエロかお笑い芸人。

 これぞまさに噛ませ犬。ゼロ魔のギーシュやHey鏡が踏破した覇道。

 ドヤ顔で、ザ・アメリカンなテンションで、何処から取りだしたかわからない薔薇の花束をアリサにプレゼントする。

 小学生である事を差し引いても、実に頭の悪い行動をする男である。

 ドン・キホーテでも羞恥を覚える行動を、少年の頃から躊躇無く取っていた。

 しかし、本人は白馬の王子様なのだと自分のことを誤解している。

 氷室・R・クラウドはそんな男である。

 

 因みにこの後、思いっきり爆笑したアリサに、こっぴどく袖にされてしまった。

 しかし、瞳の裏まで溜まっていたアリサの涙は、直ぐに奥に引っ込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 成長した今でも、釘宮なボイスでいつも彼のことを「バカ」と連呼するアリサだが、そのバカさに救われてきたことは、彼女自身が一番良く理解している。

 

 黙っていれば美形で、何をやっても人並みの水準を遙かに超えていく。

 そんな彼が、どんな女性にも見境無く口説いていく。

 悪い気がしない女性は、決して少なくない。

 そんな両手にビューティフルフラワーな彼を、本気で好きになる女の子は少なくないのだ。

 だが、それでもその誰もが不満を持たぬように、皆に平等に彼は愛を振りまいた。

 

 

 

 

 

 そう、平等にだ。

 アリサにも、アリサを妬んだ少女達にも、その愛は平等だ。

 だから、女の子達は、自分からは踏み込まず、勝手に踏み込んでくる彼の愛に満足する。

 寧ろ、クラウドが踏み込んで来てくれるから、女の子からアプローチもしなくて良い。

 したら抜け駆けとまで内部協定が出来ているくらいだ。

 

 アリサがその気持ちを隠しているつもりなのも、すずかと彼の関係を知り苦しんでいる事も、すずかは知っている。

 知っていて、知らないフリをしている。

 知らない振りをするのは耐えられるけれど、知らない振りを続けられるのはもう耐えられない。

 すずかは、己が我が儘で悪い女である自覚があった。

 

 

 クラウドは、誰にだって愛を振りまく。

 平等に愛を振りまく。

 求められれば、行きずりの女とさえ寝るだろう。

 いや、間違いなくそうするだろうし、既にそうしていた可能性は極めて高かった。

 

 

 彼は平等だった、

 だからこそ、彼にとって特別な月村すずかだけには、少しだけ距離があった。

 勿論、情熱的な口説き文句で誘う。

 しかし、月村すずかにだけは、どこかその情熱は人工的なものがあった。

 情熱の炎は壁となり、決して一定以上の距離をすずかに詰めさせない柵となっていた。

 

 理由は二つある。

 一つは簡単だ。

 月村すずかは、チャラチャラした男が好きでは無いからだ。

 無論、これは事実でありながら、最大の建前である。

 ――――彼にとっても、彼女にとっても。

 

 もう一つの理由は、氷室クラウドにとって、月村すずかが特別すぎたこと。

 それが、他の女子達を不安にさせて、すずかへの嫌がらせが始まりかけたこと。

 彼を好きになったから、彼のことを見つめてしまう。

 そうすれば気が付いてしまう。

 その視線がある少女のことだけを見つめていることに。

 …そうなれば、後は憎しみが残るだけ。

 

 

 すずかが傷付けられそうになったあの日以来、言動は何一つ変わらないまま、少年は少女と離れることを決めた。

 少女が少年への好意への、自覚が強くなっていることを理解して、少女がそれを隠していることに気が付いたまま――――――少年は気が付かないフリをした。

 少年が気が付かないフリをしていることが、少女に知られていると確信して尚、少年はそれにさえ気が付かぬフリをした。

 どうしようも無い位、狼少年は無駄な嘘をつき続けた。

 願わくば、少女が少年の何もかもを、信じられなくなるその日まで――――と。

 

 

 そうして少女は女になり、少年は男になった。

 未だ雨は降り止まない。

 救いの無い嘘に溺れたいと雨に濡れるが、雨では――――溺れるには足りない。

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