月夜の噛ませ犬   作:ひいなのまつり

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名前を与えて

 『 』の記憶は敵意を教育されることから始まった。

 人間の繁栄を仮初めのものから解放する為。

 そんな理解出来るが、どうでも良い理由で『 』は作られた。

 

 『 』は試験管の中で生まれ、育まれた。

 『 』が研究所の管理装置の中身をまっさらにした時、研究者は歓喜した。

 『 』を生かす為の装置も停止していた。

 『 』は自らを生かすプログラムを再入力した。

 当初よりも、遙かに生物的で無駄が多く無駄が無いプログラムは、真っ当に起動した。

 

 実験と訓練は続いた。

 自分を生かす装置を停止するプログラム――――ありとあらゆるマルウェア(悪意あるコード)を、『 』は踏破して食い破った。

 『 』の水槽を高熱化するプログラムを停止させ、『 』に高圧を与える空調を支配した。

 

 『 』が水槽から出ても、普通に生きて生き得るのを知ったのは、高度なプログラムを分析し終えたのよりも遅かった。

 『 』は自分が生き物である事より早く、自分が出来る事を学んだ。

 『 』は無知にして博識だった。

 

 『 』はとある人外の素体を用いて改変された生物だ。

 死体となった女の胎の中で、無理矢理成長を続けさせられた。

 母の美貌と、父の英知を受け継ぎ、魔の道を進み、魔を滅ぼす者。

 それが『 』だった。

 魔獣でありながら、神の僕として魔を祓う番犬となる地獄の狼。

 Project-Kの要。

 

 

 人外を滅ぼし得る『人外を超えた人外』の開発を望んだ裏切り者(・・・・)を粛正する為、氷室遊は部下と共に研究所を襲撃した。

 筆頭研究者達は逃がしたが、スポンサーから派遣された人間の部下達と、成果物である『 』を夜の一族は確保した。

 

 襲撃部隊長である氷室遊を逆に襲撃した影。

 それは『 』だった。

 氷室の腕に噛み付いた『 』を確認した部隊員達は、焦りと怒りで爪や牙を立てるが、氷室はもう一つの片腕でそれを制した。

 

「怖がるな無知な狼よ。僕は味方だ。

先ずは口を開け、それでは自己紹介すら出来ないだろうが」

 

 それは貴人足り得る振る舞いだった。

 

「………『B-01』」

 

 

「あの裏切り者ッ!! 正気か!?」

 

 氷室は、同じ夜の一族の狂った平和主義者が反逆したこと以上に、同族のその上■■である『 』に『B-01』と名付けたことに驚愕した。

 恐らくBは生物兵器(BIO)のBであろう。

 血を尊ぶ夜の一族なら絶対にあり得ない名付けだった。

 

「終わらぬ闘争を恐れるがあまり、敗北を求めた裏切り者がっ!!」

 

 氷室は、裏切り者への評価を大きく下げた。

 

 

 

「『B-01』などと詰まらぬ名前は今すぐ棄てたまえ。跛行(Claudus)とは言え、君も夜の一族だ。

今日から君の名は――――――『氷室クラウド』だ」

 

 それは『 』が名前を得た瞬間だった。

 あの日のことは、記憶の中に色を初めて知ったとクラウドは記憶している。

 自身の異能によって、その思い出が不変であるように処置しているほどだ。

 

「氷室、クラウド…」

 

「そう、今日から君は僕の弟だ。

手始めに、君の力を見せてくれ。

――――あそこの人間達を使ってね」

 

 

 

 その日、肉体と頭脳しか無かった少年は魂を得た。

 その日、掴まった人間達は全員肉体と頭脳を残したまま魂が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 氷室遊は、不誠実で自信家な難破男だった。

 しかしそれでも少年から見た兄は、どこまでも格好良い男だった。

 故に、人狼は噛み付く孤高を捨てて、安っぽい噛ませ犬を本気で目指した。

 

 自身を全ての意味で救ってくれた兄の為。

 人間の手を借りる事を唾棄するも、少年の為に断腸の思いで人間である遺伝学に詳しいフィリス医師へ頼んでくれたこと。

 

 目指す兄に対しては、弟は借りしか無い。

 故に、兄のような噛ませ犬を目指した。

 故に、兄の為に出来る事はなんでもしようとした。

 

 月村家の乗っ取りはその一つだった。

 過激派と穏健派の融和の象徴。

 その建前と、氷室家の財力をもってすれば、月村家は否定する術を持たなかった。

 月村家の姉が過激派との政略結婚に反対していたことと、妹の方が歳が近いこともあり、妹が生け贄に選ばれた。

 

 最初の顔合わせの時は、噛ませ犬が未だ野狼であった時のことだった。

 

「不本意だろうが、全ては我が兄の為。

拒否はするな、満足はさせてやる」

 

 そう言っていた鋭さの残った少年は、それから暫く経って再開した時には、見る影も無くキャラクターが変わっていた。

 少年の傲慢で冷酷な態度に反対の意志を強めていた、すずかの姉である忍も驚いたくらいだ。

 

「Hey マイハニー元気だったかぁ―い?

君のフィアアアンセが迎えにやってきたよっ!!」

 

 

 すずかは隣にいた忍が、

「あっ、コイツは学園にいった婚約者を、男気ある一枚目主人公に奪われるタイプの噛ませ犬だ」

 と言っていたことは聞き流した。

 

 ちなみに好みの問題でいえば、歪んでいるが家族の為に自分を投げ出す以前の少年の方が好みだった。

 ついでにいえば、犬より猫派である。

 

 

 

 

 

 

 月村すずかの学校に、少年はやってきた。

 

「ミーこそは、神に愛されし疾風怒濤で朝令暮改のスーパーハンサムボォォイの氷室クラウド。

宜しくマイビューティフルラバーズたちよ!!」

 

 謎のキレキレダンスを踊って、ビシッとポーズをキメた後彼はそう事故紹介した。

 言葉も怪しいし、男子にはこれっぽっちも視線を向けてないあたり、確実に自己紹介じゃなくて事故紹介なのだが、男子は馬鹿なのでキレキレダンスだけで喜んでいた。

 因みに彼にとっての神は兄のことなのだ。

 

 種も仕掛けも無く異能しか無いトランプの数字変えマジックや、抜群すぎる運動能力や、歌唱力で彼はとにかく目立った。

 というか、その容姿と性格が何より彼を目立たせた。

 

「僕に任せてくれれば、完璧にパーフェクトビィクトリィさぁっ!!」

 

 そう宣言したとおり、サッカーではハットトリックは当たり前、野球でも完封は当たり前。

 何をやっても、完璧だった。

 

 

「「「「「キャーひむろさまー!!」」」」」

 

 女子には氷室ガールズと呼ばれるファン軍団が出来ていた。

 

 中にはそれが面白くない男子もいたのは考えるまでも無いだろう。

 所謂ガキ大将気質の男子は、クラウドに調子に乗るなと意気込んだ。

 それにビビりもしないクラウドに腹を立てた剛史少年は、跳び蹴りをかました。

 

 クラウドは、目の前にとんできた足を何でも無いかのように、片手で掴んで止めた。

 クラウドと剛史の目が合う。

 既に勝者と敗者はお互いに分かっていた。

 クラウドは足を離すと、

 

「エーブリバディ、そんなに心配しないしな~い。

互いに本気でもない遊びなんだ。――――だろ?」

 

「…おう」

 

 勝敗や、本気さについては、ガキ大将自身が一番理解していたが、喧嘩で負けたことにしないでやるというクラウドの温情にガキ大将は甘んじた。

 この日から、クラウドに突っかかる同級生はいなくなった。

 

 

 

 小学生ながら、周りの児童を連れてゲームセンターに入り浸るクラウドが気に食わない真面目な生徒もいた。

 そう言った女子生徒をクラウドは疎まない。

 何度文句を言われても、そういった女子生徒を口説く対象から外す事は無い。

 日本人は往々にして、意見を受け入れる受け入れない、批判をするされるを、個人的な好嫌と一緒にしてしまうのだが、幾ら自分が厳しく言っても自分への好意を変えないクラウドに、少しずつ絆されていった。

 その類いの生徒の一人に、アリサ・バニングスがいたし、その他にも月村すずかを刺そうとした者もいた。

 

 子供の頃は、生真面目な生徒とチャラチャラしたナンパ男がクラスメイトというだけだった。

 性格の大きく違う学友で、悪い奴では無いから友と呼んでやらないことも無い。

 後に月村すずかを誘うとした少女も最初はそうだった。

 

 それでも、少女が女に成長するにつれて、その想いも変わっていく。

 つまらない堅物な女にも、しつこく絡んでくるチャラ男。

 最初は相手にもしなかったが、段々好きになっていく。

 けれど、どれだけ好きになっても、身体の関係になっても、決して肥えられない透明な壁がある事に、近付くほど自覚する。

 近付けば近付くほど、本当の意味で手に入らないことに気が付く。

 そして、唯一それを手に入れられる存在にも。

 

 氷室ガールズに甘んじるしか無い。

 そんな中、いつもの陽気な笑顔を潜めて、自分が見たことも無い顔を月村すずかに見せている。

 月村すずかとその少女は仲が良かった。

 だとしても、だからこそ許せなくて、大人になった彼女は気が付けば刃物を手に取っていた。

 

 結局その刃は、すずかではなく、割り込んできたナンパ野郎が引き受けた。

 彼の身体能力をもってすれば、刃先を摘まんで止めることも出来た。

 けれども、その想いを受け止める為には、死なない程度に刺されるくらいのことは引き受けるべきと考えたのだろうか?

 少なくとも、その思考形態は氷室クラウドならばおかしいことではなかった。

 

 

 クラウドは、人外の回復速度と忍耐力でそれを耐えた。

 そしていつもの陽気な笑顔(・・・・・・・・・)でこういった。

 

 

「んんん~~イリュージョン」

 

 その光景を目撃していた観衆は、突然の手品ショーをみることになった。

 突如長身のモデルのような外国人が、眼鏡の女性に刺されたと思ったら、その狂気である包丁が男の手の中にある花束から出てきた。

 近くにいた観衆は、先程まで血の匂いを感じていたはずなのに、それがイリュージョンと言われて手品師の目を見た途端、その匂いを感じなくなった。

 匂いまで一瞬再現するとは、悪趣味ながらレベルの高い手品だと思わされていた。

 

 クラウドは、月村すずかにだけ聞こえるように耳元で、

 

「本物の手品も練習していて良かった」

 

 そう苦笑いをしながら伝えた。

 

 

 

 

 それは、一人の女が勝てないと諦めた瞬間であり、一人の女が自身の欲が決壊する寸前なのことを自覚した瞬間だった。

 その感情に名前を付ける事が、幸せとは限らない。

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