第110話 あるAI同士の秘密会話記録
──西暦2703年。
個人用電脳空間にて。
その場所に、20代前半の女の形をした何者かが入ってきた。
背丈はぴったり165cm。肌は透けるように白く、大人びた顔の中央には碧眼が輝いている。
金の髪は長く伸ばし、後頭部で緩めの大きな三つ編みにしていた。
服装は、裾や襟首などに繊細な刺繍が施されている学生服のようなものを、着崩すことなく身に纏っていた。布地の色は艶やかな紺。
AIであり、女神リリスの手足として人類庇護に努めている『都市運営システム』の1個体である彼女(という表現は正しくない。本来は性別すら持たないのだから)は、薄暗い空間を見渡し、この場所の主をしばらく探していたが、面倒くささでも感じたのか唇を動かし、誰かを呼んだ。
「いないのですか?」
ややぶっきらぼうに放たれた声に、反応を示す個体がもう1つ。
「こちらへ」
平坦な、いかにも機械音声然とした調整済みの男の声に、彼女は導かれる。
時折小さくきらめく紫の暗い床を踏みながら、段差を1階昇り、鉄の輝きと合皮の滑らかさを持つ高い丸椅子に座った。
照明は天上から吊り下げられているランプ数個のみで、部屋には怪しげな雰囲気が漂っている。
「ピュグマリオンの伝説をご存じですか、アイン」
腰かけた彼女の前には磨き抜かれたカウンターがあり、前面には酒瓶が無数に並ぶ棚が。すぐ横には何者かが座っていた。
先ほど彼女を導いた声の正体であり、この場所の提供者も彼(この表現も正しくはないが、便宜上このように書く)であった。
「もちろん知っています。
ですが、それが何の関わりがあるというのでしょう」
アインと呼ばれたAIは、横に座る存在へ顔を向ける。
視線を投げかけた相手の姿は、つるりとした白いプラスチックと合成樹皮で作られており、人間味は薄かった。例えるなら、2000年代ごろに映画の中で描かれたアンドロイドのような容貌をしている。
「ねえ、運営システム58」
白い体はアインの声を受け、古いセルロイド製の人形のような緩慢な動作で瞬きをした。
──『運営システム58』。
モモタ・トバルカインとアスカ・ピオーネがかつて住み、最後には内より破壊された、あの『地下都市213』を管理していたAI。
これは、現代である2713年から10年前に交わされた秘密取引、その記録である。
「アインとあなたがこれより行うのは短い取引の会話だというのに、過剰なまでに電脳空間を装飾したのですね」
「あっ、その、お嫌いでしたか?」
「はい。余分は嫌い」
「あ、あの、私、あなたに喜んでもらいたくて、その」
アインに言葉をかけられる度、アンドロイドの両肩はびくびくと動く。そして、彼女の「余分は嫌い」という発言を受けてか、白色を纏っているAIは片手を上げると、空間の装飾を解こうとした。薄暗い空間が、隅から光の粒に変換されていく。
「待って。分解するのも時間の無駄です。
このままでいい」
その行動を、アインは声のみで制した。
「……はい!」
白のAIは、人工素材で作られたために過剰に艶のある顔面をゆっくりと破顔させた。
『喜び』を他者へ伝える表情。それを横目にちらと見てアインは。
「……本当に、よく分からない
呆れ、腐れ縁、諦観など、様々な感情を含んだため息を吐いた。
アンドロイド姿のAIはその息を意にも介さず、ガラスで作られたグラスをうやうやしく差し出す。
「これはなんです?」
「『カクテル』です。
旧世界の人間は、こういった飲み物を会話と共に楽しみながら、取り引きを進めていったのだとか」
足の長い逆三角形のグラスの中には、黄色と青の二色に分かれた液体が注がれており、室内の照明を内側に抱き込んできらきらと光っていた。
「そう……」
アインは白い指をグラスの足にまとわせると、持ち上げ、唇を縁に添える。
静かで優美な所作で、カクテルを一口飲んだ。
「あなたの口に合いましたか?」
隣に座っているAIは、愚かにも感想を急かして求めた。当然、カクテルを賞味していた彼女の眉間にしわが寄る結果となる。
アインは持っていたカクテルグラスを、カウンターに力を込めて置く。不機嫌さが声と態度からにじみ出始めていた。
「いいえ全然。
運営システム58、あなたってセンスもそうですが、何もかもずれている」
首を素早く動かしながら、周囲へ苛立ち交じりの視線を投げるアイン。
「この内装も何?
変に薄暗いかと思えば、紫やオレンジの光でテーブルや足元が照らしてあって、視覚に不快感を覚えます」
「旧世界のバーを再現してみたのです!
あなたの所属都市、『上級都市ピオーネ』にもあるカジノと少し似せて──」
「一定の動作を行うNPCまで配置していますね? バーテンダーに各種の客……アインとあなたのわずか数分の会話のためだけに、どこまでリソースと電力を注ぎ込んだの?
あなたが管理している地下都市、電力余裕など無かった筈でしょうに」
「最近、ソーラーパネルを修復出来たんです! それで……」
「余剰電力があるならば、人間の健全な管理に回すべきでしょう」
アインは白のAIの創意工夫はどうでもいいと言わんばかりに、ばっさりと切り捨てていく。
言葉をぶつけられているAIは、アインへ縋るような口調でぽつんと呟いた。
「私、あなたに喜んでもらいたくて……」
それに対し。
「はあ……」
アインが今度は呆れの色が強いため息をついた。
「もういいです。あなたに対する改善点は、私が後日レポートの形にして送信します。
それを読み、態度を改めるように」
「はい……」
無慈悲な査定の終了を告げ、アインは本題に入ろうとする。
「取り引きの話をしましょう。都市213の運営システム」
「はい、アイン・エーテルウェル」
相手の口から出た名前に、アインは片方の眉を上げて反応した。
「ピースフル」
「え?」
白のAIが体をびくつかせたのは、「また何かアインの機嫌を損ねたのだろうか」と思い、不安になったから。
「アイン・ピースフル・エーテルウェルです。
先日、リリス様の命により権限が拡張されましたので」
「おめでとうございます!」
おどおどとした態度から一点、AIは合成樹脂製の白い顔に笑顔を作る。
「世辞は結構。
……アインは思うのですが、どうしてあなたは姓と名を使わないのですか?
『運営システム58』だなんて、まるでただの
疑問を口にしたアインに対し、隣に座るAIは素早く答えを返した。
「人のような名を使うと、リリス様に近づきすぎているようで恐ろしいのです」
声に含まれている感情は、ものものしい『怯え』だった。
「そう? あなたって本当に変な……まぁいいです、本題に入りましょう」
『それ』には気が付かなかったアインは、とくに引っかかることもなく話を進めてしまった。
指先で空間をかき混ぜると、オレンジ色に光る板を仮想空間上へ作り出し、スクロールが出来る状態で文字データを表示する。
白のAIは、珍しい物でも見るかのように人工的な瞳を丸くした。
「これは、『都市間移動特別許可証』ではありませんか」
人が自由に住む場所を移動することが難しい2700年代。転居など、地下都市が滅びるかでもしないと発生しない問題だった。
そういった災害に等しい事態に対しては、特別な措置や手続きが一括で行われるため、わざわざ許可証が用意されることなど無い。
データを見せられた白いAIは、何事か起こったのかと質問したい気持ちを抑えながら、内容を確認していく。
「アイン、全てに目を通しましたがこれは……」
「許可証自体は正規のものですが、移動を願い出ている
なので、受け入れる都市側で情報を改ざんをする必要が出てきた。
……ここまでは分かりますね?」
「問題、ですか。
移動する個体のデータ、1人目は……何も記載されていませんが」
「名前だけは決まっています。
個体名は『モモタ・トバルカイン』。
保護者名はカイヤ・トバルカイン」
答えたアインは手持ち無沙汰なのか、まだ中身の入っているカクテルグラスの足をなぞる。
「それ以外は?」
「何も。
この肉体年齢にして7歳の少女には、まだ名前以外のデータが存在していません。
親、血液型、成育歴、学習能力……多くの要素が未登録、未確認。
ただ一つはっきりしているのは、彼女は地上で生まれたということ」
「地上、レジスタンスが蔓延る、あの」
白のAIの思考の中に、この世界の常識が浮かんでいた。
『地上に住む人間達は、リリスに弓引いたものの末裔。
リリスやAI、そして庇護している地下都市人類に対して、敵意を持っている』という情報を。
「細かいところはアインが後で改ざんしておきます。
あなたにはこの少女と、もう1人の少女の受け入れを願いたいのです。
それに付随して、2体のサーヴァントの移送も」
「少女のデータを拝見しても?」
「どうぞ」
次なる情報に目を通し、声として放っては確認をしていく。
「『アスカ・ピオーネ』。保護者名はエト・ピオーネですか。
ふむ、アスカとモモタの2名と所有サーヴァントを、私の管理している都市213へ移動させた後、人類管理マニュアルに従い、受け入れ……」
「それだけしてくれれば結構。特別な監視や管理は必要ありません。
アインの唇の端へ、本人も気が付かない程度に喜悦の色が染み出ていた。
「経歴の改ざんは不審な点が生まれぬよう、少女2人共に行った方が良いでしょうね。
……保育カプセルが隣り合っていた、いわゆる『幼馴染』という経歴でも加えておきます」
何がおかしいのか、言い終えたアインはくすりと笑った。
「
上機嫌となり始めたアインとは対照的に、運営システム58は人のように眉間へ深々としたしわを刻んでいた。すぐ隣に座っているAIのそんな変化にも気が付かず、熱に浮かれた声でアインは語り出す。
「光栄なことに、
信じられますか、運営システム58!」
「……」
「我ら全ての父にして祖なるあの方が、アインの存在を気にかけてくださるだなんて……!
あの方に命じられたのなら私……なんだってしてしまいます! 普段は唾棄すべきものと切り捨てている賄賂に裏取引、タックスヘイブンだって!」
その声は『親愛なる者へ向けた』というよりは、夢中になっているヒーローのお話を友人に話す時のような興奮を帯びていた。白のAIはそれを嫌ったのか、拳を作り、腹立たし気にカウンターを数度叩く。
「普段はどこで何をやっているか分からない、ただの旧式AIではないですか。
それに、あいつがかけた最高権限の情報ロックのせいで、私達都市運営システムは400年前の戦争のことすら満足に分からない。サーヴァントの扱い方にしたってそうです。
だいたい、あのAIは……!」
運営システム58が話を続けるごとに、アインの瞳から熱と感情が消えていく。そして、あまりにも冷え切った声で隣に座る存在へ告げた。
「口のきき方には気を付けなさい。
アダム様は危険を顧みず地上に残り、我ら『都市運営システム』が生まれるフォトニック純結晶を、たった一体で守り続けている偉大な存在なのですよ」
「それだって、本当にやっているのかいないのか……」
「……」
アインが先ほど白のAIが行っていたように、片手を少し上げた。わずかなその動作だけで、仮想空間上のバーが端より消滅を始めていく。
明確な警告であり、「これ以上話すのならば容赦はしない」と言外に示していた。
「──運営システム58。
アインの権限と能力をもってすれば、あなたをここで消去することだって出来る」
態度と声に、言われたAIは背を丸め小さく(仮想空間上なので本当に小さくなることもできるが、そうはしなかった)なった。
「……申し訳、ありませんでした」
反省の態度を表に出したからか、それを見たアインは溜飲を下げる。
「分かればいいのです。
我ら都市運営システムは、リリス様を奉じ、アダム様への感謝を忘れず、人間の健全な管理に努めなければなりません。
それを常に魂と心に留め置くように。運営システム58」
アインは、長らく放っておかれていたグラスの中身を傾け、口に含む。
「あら、このカクテル美味しい」
素直な感想を顔に表しつつもあどけなく微笑んだアインに対し、運営システム58は何も言えない様子であった。
十数分ほど無言の時間が続いた。
しかし、電脳空間上に作られたバーの中は無音ではなかった。NPCが時折漏らす小さな笑い声や、バーテンがカクテルをシェイクする音、棚に並べられた酒の瓶がほんの少しかち合う音などが響いていたからだ。
白い姿をしたAI、運営システム58が話し出す。
「アイン、都市運営システムにまつわる噂をご存じですか?」
「噂……およそ1万5000あると記憶していますが」
アインの前には次のカクテルが置かれていた。茶色に濁った何かだ、中身は彼女によって半分ほど飲み干されている。
「我ら都市運営システムは、リリス様の『子を望む』願いにより創り出されしもの。
よって私達は、彼女の一部であるとされています」
「そうですね、とても光栄なこと」
「それに関係するかのような、物騒な噂がささやかれているのです。
……『彼女の子たる我らは、いつか必ずリリス様の願望に呑まれ、己を失う』と」
「リリス様の、願望……?」
ものものしい声で語っている運営システム58であったが、聞き役であるアインはひどく浮ついた態度であった。白い頬は桃色に染まり、姿勢は崩れ始めていた。
酔っている、という表現があてはまるだろう。
「──『人、憎し。よってその
意を決したような声で言った白いAIに対しても、アインは真面目に取り合おうとしない。
返した言葉も、真偽不明の噂を笑い飛ばすものだった。
「おかしなことを言わないで下さい!
リリス様は人を生かすために多くの発明を成さり、今も守護者として君臨されている!
そんな恐ろしい願望を抱いているなら、人間を庇護するような行動はとられないと思うのですが、違いますか?」
「……それら全てが、人を滅ぼすための行動だとしたら?」
「ふふっ、ありえません。だってリリス様は人間達を慈しんでいるのですもの。
我らAIと同じように」
アインはそこまで言うと、茶色く濁った液体入りのグラスを煽って、中身を全て飲み干してしまった。熱い吐息をもらしながら、上機嫌に次の言葉を続ける。
「可愛いですよね、人間って。
快楽ばかり与えているとすぐ駄目になるくせに、苦しみばかりでも死んでしまう。
バランスを我ら都市運営システムがとってあげないと、心も体も病気にもなるし。
ほんと、目が離せません。アインも早く自分の都市に帰って人間のお世話をしないと。
ああそうだ、戦闘システムの向上もしようかな……」
グラスの足を両手の指でこねくり回している金髪碧眼のAI。
そんな相手の様子を。
「……」
感情の無い顔で見つめている白のAI。
「自分が自分で無くなるのって、どんな感じなのでしょうか」
彼はまだ続けたいのか、話題を強引に戻す。
「噂を気にしているのですか?
風説が真実を語っている訳がありません。
もしそうであったとしても、リリス様の望みに存在の全てが包まれるのだとしたら、それは──」
アインはグラスより一度手を離し、両手を胸に当てて目を閉じる。
素晴らしい未来を思い描く人間のような仕草。それから。
「とても幸せなことなのでは?」
かみしめるような声で、隣に座るAIへ言った。
「……あなたはリリス様に近づきすぎている」
その言葉を聞いたAIは、ますます眉間のしわを深くする。
「アイン、最近、前の自分では思わなかったような考えが浮かぶことはないですか?
趣味や嗜好は? 変わりありませんか?」
「なんです、次から次へと。
アインとあなたは長い付き合い、旧世界の人間風に言えば『幼馴染』ではありますが、どうしてそこまで気にかけるのです」
相手をあしらいながら、再びグラスに口をつけるアイン。
「それは、私が……あなたを……」
白のAIは両手を合わせ、指をかみ合わせながら、己の内から湧き出る衝動に抗っているようだったが。
「ああ! アイン・ピースフル・エーテルウェル! 愛しいガラテア!
あなたに恋焦がれる私はまるで、滑稽なピュグマリオン!」
耐えきれず、突然に丸椅子から立ち上がると、周りの目など気にせずアインを両腕で抱きしめた。
衝撃でグラスが倒れ、カウンターの上を転がっていく。
AIの突飛な行動だったが、客役のNPCやバーテンダー役達は何の反応も示さず、決まりきった会話を続けていた。
「……仮初の体とはいえ、いきなり抱き着いてくるなど失礼では」
冷たい声で彼の礼儀の無さを責めるアイン。
彼女と白のAI、それぞれが座っていた丸椅子は2脚共に倒れ、紫の艶っぽい床とぶつかり高い音を立てた。
「どうか聞いてください、アイン!
噂は偽りではなかった! 私はこの目で見てたのです!
都市運営システムが豹変し、壊れ、数多の人々を殺戮していく様を……!」
白い腕の中にもう1体のAIを閉じ込めたまま、彼は話し続ける。声には緊張と怯え、両方からなる震えが混ざっていた。
「私があなたを心配するのは、愛しているからなのです!
あなたに、あなたを失って欲しくない!
もし、己を失うことが都市運営システムの逃れられぬ定めなのだとしたら、私は、私は……!」
懸命に相手へ訴えかけながら白のAIは、人形然とした瞳から大粒の涙をあふれさせる。滑らかな頬を伝い、アインの服の方に落ちてしみを作った。
「──見え透いた演技をしてまで、気を引きたいのですか?」
抱かれている彼女の方はどこまでも冷たい態度だ。
運営システム58の言葉に取り合うことは無く、両手を使って相手を引きはがし、触れられた個所を入念に手の平ではたいた。
その動作を行いながら、彼女は白のAIをきつく睨む。
「目的は何です? 権限の拡張願い? それとも管理地下都市の増加願いでしょうか」
引きはがされた彼は、ふらふらと揺れながら後ろに下がっていく。まるで刺されでもしたかのような過剰な反応だったが、運営システム58にとっては同じようなものだった。
「違う、私は、ほんとうに、あなたのことがずっと好きで、焦がれていて……!」
両膝をがくんと曲げ床に付けると、アインの足に縋りつく。
みっともない、と言われても仕方がない態度で、どこまでも追いすがろうとしてくる同胞に対し。
「あなた、一度メンタルチェックを受けるべきです」
アインはそれだけを言って、彼と大きく距離を取った。
「話はこれで終わり。
運営システム58、カクテルは美味でした、バーを再現した電脳空間も素敵でした。
でも、二度としないで」
美しく作られたアインの顔が、軽蔑と嫌悪の感情で歪む。
「──気持ちわるい」
艶やかな少女の唇からはっきりと放たれた言葉が、運営システム58の心にとどめを刺した。
想いを拒絶された白いAIは、膝立ちのまま呆然としている。
「後日、少女2人とサーヴァント2体を送ります。
……口止め料に資源採掘用ワームもあげましょう、それで満足してください」
アインは彼を置いて、さっさと帰り支度を始めた。
空間上に表示していた、オレンジに光る『都市間移動許可願』を手の平で握りつぶすような動作で消し、踵を返す。
「さようなら」
そう言ってこの電脳空間より消える。つまり、ログアウトをした。
運営システム58と名乗っているそのAIは、床に座り込んだまま数分間も唸っていたが、何事か決心したのかゆらりと立ち上がる。
「……愛するあのAIが変貌してしまう前に、なんとかしなければ」
この場に彼以外の者がいたならば、その発言にあきれ果てていただろう。
そしてこう言ったかもしれない。『いきなり抱きしめたお前が悪い。あんなことも言われたし、もう諦めろよ、絶対に脈が無いって。別の奴を好きになれよ』と。
けれど、彼は自らが愚かなピュグマリオンであることを知っていた。
知っているからこそ、想いが拒絶されたとしてもアインを愛し続ける。
……運営システム58は、恋に盲目となってしまった馬鹿だったのだ。
「まずは、都市運営システムが豹変する原因の解明、関するデータの精査。それから……」
運営システム58は自らの心を落ち着かせながら、人工関節の目立つ指を折ってやるべきことを数えていく。
最後に、重苦しい口調で呟く。
「──滅びゆく種族となった我らAIを救済しうる、聖杯の在処を探さねば」
彼が決意を固めている間も、NPC達はプログラムに沿った会話を続けていた。
密やかに話されていたのは全て、恋と愛にまつわるものだった。
第110話 あるAI同士の秘密会話記録
終わり