盗賊団に襲撃されたが、その相手、アサシン47と和解し、彼女の物語と人生を知ったモモ達。
機械化サーヴァント……いたずらに亡者を復活させ続ける力を持った敵も、サーヴァント3体の協力戦闘により倒すことが出来た。
死んでしまったマスターとの約束を果たすため、別の場所へ向かうアサシン47と別れ、モモ達の旅はまだまだ続く。
しかし……モモの胸には疑問があった。バーサーカー04が語る『運命の人』、10年以上を共に過ごしたというのに一向に明かしてくれない真名。
『彼は何者なのだろう?』という、疑問が。
第15話 有り得ざる魚
刑部姫と別れて3日後。
私達は荒野の上に車輪のわだちを残しながら、宛のない旅を続けていた。
午前8時。廊下を歩き、友達である彼女の部屋のドアをそっとノックする。
「アスカちゃん……相談したいことがあるんだけど……」
1秒も経たない内にロックが解除され、扉がすっと開いた。
「朝からどうかしまして?」
アスカが私を椅子に腰をつけたまま迎えた。食後なのか、コップを傾けて水をゆっくりと飲んでいる。
壁からせり出しているテーブルとその向こう側に座っている彼女の前に立ち、スカートの裾をもじもじとこね、胸元のリボンの形を整える。
相談内容を伝える事を躊躇している私の姿を、アスカは黒い目にまぶたを半分乗せた、じっとりとした眼差しで見ていた。
私は深く息を吸って、吐くを繰り返す。そこまでしてようやく、口を開くことが出来た。
「──『運命の人』って、どういう人のことだと思う?」
アスカはカップの水で唇を再び湿らせると、とても上品に微笑んだ。
「……ふーん」
黒い瞳が、私の頭の天辺から爪先までをじっくり見る。
「バーサーカーに何か言われましたわね、そうでしょう?」
「……です」
何もかもバレていたみたいだ。肩をしょんぼりと落とす。
椅子は1つしかないので、私は立ったまま3日前の出来事についてアスカに話をした。
彼へ真名についてたずね、はぐらかされたこと。
……『運命の人』のこと。
「運命の人って、なに?」
「難しい概念ですわね……」
アスカはこめかみに人差し指を当てると、天井を見上げた。
「恋愛小説では、想い合う恋人同士がよく口にしていましたわ」
「こいびっ……!」
「そして2人は愛し合い……口づけを交わしますの」
「くちっ……」
「でも、あの意地の悪いバーサーカーの事ですから、そういった意味では無いのでしょうね」
テーブルに頬杖を突いたアスカ。
「……アスカにとって、アーチャーは運命の人……だったり?」
「うーん」
もちもちの頬を白い手の平の中で遊ばせながら、アスカは言う。
「そうであったら素敵でしょうけれど……彼とわたくしは……そうなってはいけませんの」
「そうなの?」
「うん」
アスカはこっくりと素直に頷いた。
「幼い頃、彼はわたくしに言ったのです。『どうか、何があっても愛さないで欲しい』と」
彼女は赤い小さな唇を不満そうに尖らせた。
「その言葉を聞いてわたくし、3日くらい泣いて暮らしましたわ」
「へー……それ本当の話? ちょっとロマンチック過ぎない? 何か隠し事してない?」
「えっと……本当の話ですわよ、うん」
私が指摘した通り、何か隠しているのか、アスカはちょっと目を泳がせたが、わざとらしい咳払いをして会話の流れを戻す。
「ともかく!
アーチャーは、お母様を無くした幼いわたくしの前に現れた、王子様だったのです!
そんな素敵な存在を好きになっちゃだめだなんて……落ち込みました」
アスカの頬がじんわりとピンクになった。
「彼が拒絶した『愛』を知りたくて……沢山調べて、分からなくなってしまった日々も」
波打つ黒髪を耳にかけ、目を細めてため息をつくその表情は、どこにでもいる女の子のように気が抜けていた。
「なので! 私、彼を好きになることにしました。家族に抱くものに近い、さり気なく深い感情で」
「……約束破ってない?」
「充分な説明もせず、曖昧な表現をしたアーチャーが悪いのです!」
彼女はテーブルを小さな拳でたんたんと叩いた。コップがカタカタ音を立てる。
「バーサーカーの運命の人は誰なのか、今は考えても仕方がないですわ。
向こうが話し出すまで、忘れているくらいが良いかと」
彼女はテーブルに両手を乗せて広げながら、そう慰めてくれるが、胸のもやもやは取れない。
「気になるもん……」
無機質な天井を見る。
「トバルカインは、彼にとって一番大切な人になりたいのです?」
アスカの言葉を聞いて、思考を巡らせる。
「もしかしたらそうかも……これって嫉妬かなぁ……やだなぁ……」
明るい感情以外を考えるのは嫌なのだ。自分がひどく汚い人間のように思えるし……疲れるし。
「誰かの一番になるのは難しいですわ。
実の子であるわたくしですら、お母様の一番にはなれませんでしたもの」
アスカは両手を膝の上に戻して、柔らかい声で話を続ける。
「バーサーカーはその運命の人の事、深く愛しているのでしょう。
もしかしたら、トバルカインよりもずっと」
サーヴァントはかつて存在していた英雄の写し身だ。
生きていた頃に誰かを愛し、愛された事だってあるだろう。
「けれど、わたくしはこう思います。
別に、お互いを一番に想い合う愛だけが、至上のものではないのです」
「……うーん」
納得の言っていない様子の私を見ながら、アスカは水を少量口に含んだ。
「『愛』って何? 『運命』って何?」
多くの物語、映画、言葉に出てくる
でも私には何も分からない、知らない。だから頭も心も混乱状態のままで。
「ねぇ、教えてよアスカー……」
私の前の友達の白い喉がわずかに動いて、コップの中の水が体の奥へと落ちていく。
「アーチャーは……」
もう一度、彼女は艶やかな唇を開いた。
「『ままならないもの』と言っていましたわね」
そう話すと、彼女は水を全てこくりこくりと飲み干した。
『こちら都市711、救援を願います。こちら都市711、助けてください』
運転室に響く音声。2体のサーヴァントが耳を傾けていた。
「アーチャー殿、罠だな」
「なぜそう判断した、バーサーカー04」
「声に震えがない。安全な状況下で、なおかつ数回の練習を重ねたものだと推測できる。
後ろの悲鳴や物音は……デザートランナー搭載のAIの判断によると合成だそうだ。AIって賢いなぁ……」
04の理論立った物言いを最後まで聞いてから、アーチャーは顎のギアに片手を添えた。
「私達をおびき寄せる理由は?」
「分からない。こちらを捕獲したいのか、それとも……」
その話をすっかり聞いてしまってから、一緒に廊下から入ってきたアスカと私は顔を見合わせる。
「通信、入ったんだね」
私がバーサーカーに声をかけた。
「そうだ、我がマスター。内容は聞いたとおり嘘だし、相手の目的は謎だが」
彼はぐっと体を捻って私へ顔を向け、左半分だけの眉にしわを寄せたまま話す。
「10分前に受信した。発信した都市の位置は、この真下か、もう少し向こうだと思うが」
「でもバーサーカー、本当に助けを呼んでいるのだとしたら……」
「行っても行かなくても、メリットは少ない」
「苦しんでる人、いるのなら見過ごせないよ」
私は、誰かを助けたくてこの旅をしているのだ。
「うーん、見えてる罠に飛び込むのはなぁ……」
私とバーサーカーの意見は平行線。
「アーチャーはどう考えていまして?」
140cmのアスカが、177cmのアーチャーを見上げながら意見を聞く。
「燃料も食料もまもなく枯渇します。補充のためにも向かうべきかと」
「物資的な見地からではなく、人道的に見ますと?」
「善良な人間を利用して作った罠でしょう、向かうのにも相応のリスクがあります。
そして……個人的には、腹立たしさを感じています」
「リスク……ですか」
アスカは困ったような表情で腕を組んだ。
「トバルカイン、わたくしのサーヴァントも含め、2人は罠だと感じています。つまり危険ということです」
「うん……」
私は素早く思考を巡らせながら、短い返事を返す。
(罠の可能性が高いのだとしても、人を助けに行くか……。
けど、燃料にもなり、サーヴァントの存在を保つのにも必要な『液体リソース』も余裕なし。
ここで私が変な判断をしたら、旅が続けられなくなってしまう……)
バーサーカーは運転席に座り直し、私達の結論を待ちながら計器を操作する。
また新しい通信が入ったのか、スピーカーにノイズが混じり、声が聞こえてきた。
『ずっと話を聞いていたけど、慎重すぎてめんどくさいな君達!』
甘い響きを宿す少女の、いらついた声。
『ごちゃごちゃ言わずに来なよ、もう……』
「……えっ?」
──嫌な浮遊感が、私を、いや、デザートランナー全体を包んだ。
「……この領域を走っていた瞬間から、俺達に選択権は無かったか」
バーサーカーが無感情につぶやいた後、車が垂直に、落ちていく。
フロントガラスから見えた雲一つ無い空が遠ざかり、暗闇が世界に溢れ出す。
地面に突然大穴が空いたのだと私が理解できたのは、数秒後。
落下と共に、運転室の中にある、あらゆるものが浮いていく。
当然、私達も。
「マスター!」
アーチャーがその腕にアスカを抱え、素早く保護したが。
「あっ……」
シートベルトをつけていなかった私は、後頭部を壁に強打してしまい、気を失った。
まぶたに明るい光を感じて、私は恐る恐る目を開ける。
「……」
暗い木を組んで作った高い天井があった。
空気を循環させるためかファンが取り付けられ、静かにゆっくりと回転している。
(木造?)
それは、数百年も前に滅んだ素材と技術ではなかっただろうか。
「えっと……」
戸惑いながらも、真っ白なシーツに収められた毛布の中から体を起こす。
身につけている服は変化なし。いつもの白と緑が使われた制服だ。
「ここは……」
辺りを見渡す。
私はぴんとシーツが張られたベッドに寝ていたようだ。
下を見てみると、床は木の板。ワックスが隅々までかけられてつるりとしているが、暗い色合いや磨耗が建物の年代を感じさせる。
漆喰のような質感を持った白の壁には、長方形の頭頂部を丸くした形の窓が並んで開けられ、白の薄手のカーテンが風に揺られている。
「風……?」
私は誘われるように素足で立ち上がり、窓に寄る。床は冷たく、滑らかだった。
「……」
目の前に広がる光景に、絶句した。
──海だ、海がある。数百年前に干上がってしまったはずのエメラルドグリーンの概念が、外に広がっていた。
地平線の果てまで続く透き通った水が、波を無数に作り、白い砂浜へと打ち寄せている。
砂浜は海から離れるごとに徐々に草地へ変わり、木が生え、石造りの建物もあった。
「おーい、もしもーし、お嬢さーん」
あまりにも美しい世界に心奪われていると、後ろから声をかけられた。
「歩行も出来ているし、元気そうだね。よかった」
慌てて振り返る。
そこには、白衣を着て、金色の柔らかい髪を耳にかかる程度に伸ばした、丸メガネをかけた優しげな風貌の50代くらいの男性が立っていた。
ズボンはよれよれで、足は革製のベージュのサンダル。
親しみやすさが全身からにじみ出ている、どことなく抜けた印象を受ける人物だった。
「私はスローネ、この村で医者をしている者だ。君はね、浜辺で倒れているところを保護されたんだよ」
声はとげのない、優しげなもの。
「ありがとう……ございます」
ぺこりと体を折ると、私のピンクの短い髪が風に吹かれて揺れた。
「あの、ここは……」
優しそうなその人、スローネさんに色々たずねようとしたら、きゅるるとお腹が鳴った。
「難しい話なんかより、先にお昼にしようか! 村の人が作ってくれたよ」
彼から柔らかいスリッパを手渡され、それを履く。
ベッドの並ぶ部屋から手招きされ、高い天井のある長い廊下へ。
年代を感じさせる建物は、イタリア映画のセットのように白く美しい。
「えーっと、ご飯ご飯……」
木製の靴箱が壁に何十個も備え付けてある広々とした玄関に来た。
スローネさんは白衣を着た背を丸め、記帳台のような大きなテーブルの上に置かれた、蔓編みのバスケットの中身を確認している。
玄関から見える外は、輝く陽光に満ちていて。耳をすますと、木の葉が風でこすれあう、心静まる音が聞こえてきた。
「よーし、食堂へ行こうか!」
彼がバスケットを手に持ち、廊下をまた歩いていく。
後をついて行くと、部屋から直に庭へ面している開放的な空間についた。
日が直接注いではいないけれど、庭から跳ね返る陽光の明るさが、部屋をほんのりと照らしている。
「さぁ、そこに座って」
木で出来た小さなテーブルと椅子があり、スローネさんが金の髪と白衣を揺らしながら準備をしていく。
クロスを引き、蓋が被せられたお皿、みずみずしいサラダ、黄金色のパン、飲み物用のガラス製のグラス、丸いオレンジを並べ、金属製の銀色のフォークとナイフ、スプーンなどが置かれた。
スローネさんはバスケットから水の入ったボトルを取り出すと、グラスに七分目ほど注いでくれる。
「あの……」
「ナプキンはここに。遠慮せず召し上がれ」
私は椅子に座って目の前の食事を眺め、困り果てる。
取りあえず、お皿の蓋を外してみた。
ほんわりと湯気がのぼる。
中にあったのはとろりとした白の液体と、良い香りのする千切られたハーブ、そして。
「魚!」
白身魚の大ぶりな身が、ソースとハーブに半ば沈む形で中心にあった。
「えっと」
手に持った蓋を、蒸気の雫がクロスに垂れてしまわないように注意して置いて、並べられたフォーク類を見る。
「えーっと……」
頭をフル回転させる。
今まで見てきた映画の中から、テーブルマナーに関する部分を思い出していく。
(確か、一番外側から使っていくのだっけ?)
音を立ててはいけなくて、落としてしまっても自分で拾ってはいけなくて、あれ?
「魚は、先端に丸みがあるナイフで食べるといいよ。
うるさいことは言わないさ、肩の力を抜いて、自由にお食べ」
スローネさんがこちらを見ながらニコニコとしている。
私は、彼の言うとおり丸みのあるナイフと大きめのフォークを手に取った。
「いただきます……」
おとぎ話の中にしかないような、綺麗な料理を意を決して食べる事にする。
魚の身に刃を立てると、力む必要無くすっと切れた。
ソースとハーブを、ナイフを動かして魚の身にちょいちょいと乗せ、フォークで刺して慎重に口へ運ぶ。
(美味しい……)
魚は温かくてしっとりとして、もぐもぐ噛むと爽やかな香りが鼻を通り抜けていく。
真っ白なクリームソースの乳脂肪が舌を被い、その甘味にくらっとする。
こんなに鮮烈な味と香りのもの、食べたことがない。
気持ちを落ち着けたくて、サラダにフォークを伸ばす。
ペラペラの食用フィルムではなく、濃い緑や赤の葉が混ざり合った、厚みのある本物の野菜で作られたサラダ。
口に入れる。
酢と油から出来たドレッシングがかかっていて、メインの魚料理に支配されていた口の中が一変した。
(わー……)
次にパンを。一口大に千切ろうとしたら、ぱりぱりで固くって、それなりの力を要求された。
横に陶器製の白いバター壺が置かれており、専用の小さなフォークですくって、断面にたっぷり塗る。
小麦の香ばしい味に、濃厚な香りのバターが絡まって、とても美味しい。噛みごたえがかなりあるパンだ。
(こんなに美味しいものが、まだ世界にあっただなんて!)
全てが芳醇で、味わい深くて。
用意された食事を、私は取り憑かれたかのように夢中になって食べた。
「食後の果物をどうぞ」
いつの間にかスローネさんが真隣に立っていて、オレンジの皮をナイフで剥いてくれていた。
筋や白い薄皮も取り去られた茜色の身が、果汁を滴らせながら真っ白な皿の上にのる。
「ありがとうございます!」
デザート用であろう小さなフォークで突き刺して、ぱくぱくと食べてしまった。
「……ごちそうさまでした」
食べ終わってから私は急に恥ずかしくなってしまった。
メインである魚料理は、千切ったパンでソースまで拭ってしまったし、何より。
(ご飯に夢中になって考えていなかったけど、アスカにアーチャー、バーサーカーはどこにいるんだろう……!)
仲間の事より食事で頭がいっぱいになっていたという事実が情けない。
(……でもお腹空いてると何もかもうまく行かないし、これで良かったんだ、うん)
美味しいものを食べたのにネガティブになりそうだった心を、無理矢理に軌道修正した。
「食休みが終わったら村を案内するよ」
「村?」
「うん」
スローネさんは蔓を編んで作られたバスケットの中へ、食器をてきぱきと片づけていく。
「私の村、『実験都市711』をね」
その言い方に、私は嫌な予感を覚えた。
「貴方……」
椅子から立ち上がろうとした私を、スローネさんは片手でやんわりと制する。
「こんにちは、モモタ・トバルカイン。私は人類を応援する都市運営システム。
個体名はフュンフ……じゃなくて、スローネ・エーテルウェルという」
冷や汗を流し始める私に対し、男はよくできた微笑を浮かべる。
「ツヴァイから悪評は聞いているよ。でも、安心して、君達を傷つけるつもりはないし、私には出来ないから」
AIは小さな音を響かせながら青い瞳孔を広げ、驚きと恐怖で目を見開いている私の顔を映した。
第15話 有り得ざる魚
終わり