フェイト/デザートランナー   作:いざかひと

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 前回までのあらすじ
「『愛』って何? 『運命』って何?」
 朝一番にモモはアスカへそう訪ねたのであったが、乙女2人がいくら考え込んでも答えは出ない。もやもやを抱えながらも、一旦忘れることにするモモ。

 デザートランナー内の運転席へモモとアスカは向かうと、サーヴァント2体が何事か悩んでいる様子だった。
 助けを求めている都市の無線を受信したが、罠の可能性が高い……という話らしい。どうするべきか迷う4人の元へ、少女の声が届く。
『ごちゃごちゃ言わずに来なよ、もう……』
 その言葉の後、地面に突然穴があき、車体が落下。モモは衝撃で気絶してしまう。

 ──モモが目を覚ました場所は、木造の診療所だった。窓からは広大な海が見え、植物が生い茂っている。
 スローネと名乗る初老の医師にもてなされ、魚料理に舌鼓を打つモモ。しかし彼女は気づいてもいた。海も植物も魚料理も、本来はこの世界に無いものだと。

 食事を食べ終えたモモへ、スローネは告げる。「私の村、『実験都市711』を案内する」、「私は人類を応援する都市運営システム。個体名はフュンフ……じゃなくて、スローネ・エーテルウェルという」
 ……仲間とはぐれたモモの前に現れた親切そうな人物は、都市と人間を管理するAIだったのだ。



第16話 幸せはどこにある? 

 

 

「スローネせんせー、こんにちはー!」

「はーい、こんにちは!」

 バスケットを腕に抱えたAIと私は、並んで歩いている。

 地面は敷き詰められた石畳、道以外の場所には木々が生い茂り、風は爽やかだ。

 白い石で出来た建物がぽつぽつとあり、目線を遠くへ向ければ、私が目を覚ました建物から見えた、エメラルドの海が広がっている。

 昔見た、南イタリアを舞台にした明るい映画を思い出した。

 

「スローネ先生! 朝取れたばかりのうまい貝がありますよ! 後で酒と一緒に届けましょうか!」

「いやー、遠慮しておくよ」

 ……人間が、ごく当たり前のようにいた。

 子どもも大人も通りを歩いていて、通常の地下都市で支給される画一的なシンプルな服ではなく、素材も色も様々な、薄い布地の服を着ている。

 だが、私が一番恐怖を覚えたのは。

 

「せんせ!」

「スローネ先生!」

 上位存在として人間を庇護し、無慈悲に管理しているAIが、人のように振る舞い、人と交流していたことである。

 

「こっちの道に曲がるよ、トバルカイン」

 彼の案内に従い、石畳の敷かれた薄暗い裏路地に入る。

 周りに人の気配はない。私は息を深く吸ってから、彼に質問をぶつけた。

 

「彼らは、貴方が人ではないという事を知っているの?」

 スローネは足を止めると、愛嬌ある丸眼鏡の向こう側から、青い瞳でこちらを見た。

 

「知らないよ。私が言っていないからね」

 何も思っていないかのように軽く言い放つと、言葉を続ける。

 

「でも……真実知るのが人の幸せとは直結しないし」

 そして、歩みを止めている私を無視してすたすた歩き出した。

 

「到着だ。

 ……アドリアー! 食べ終わったご飯の器を持ってきたよ!」

 突き当たりの、海を背にした家のドアをスローネはノックする。

 すらりとした体の、30代ほどの活発そうな赤い髪の女性が扉を開けて出てくると、バスケットを受け取った。

 

「あら、昼行灯なスローネ先生にしては素早いですこと」

「私だって返すべき物があれば、ぼんやりせずに直ぐ行動するさ」

「でしたら、(うち)の子が先生にあげちゃった絵本、探して持ってきてくださる?」

「えっと、どこにやったっけかなー……」

 和やかな会話が繰り広げられている。

 

「先生の後ろにいるのが噂の女の子ね、へぇ……」

 アドリアと呼ばれた彼女が私を見つける。

 そして、赤いまつげをばしばし踊らせながら、チャーミングなウインクをしてくれた。

 

「貴女が食べたお昼ご飯ね、私が作ったのよ。美味しかった?」

「あっ、はい、とても……」

 素敵な彼女の、裏の無さそうな言葉に、私は素直に反応してしまった。

 

「アドリア、数日の間、この子を頼めるかな」

「いいわよ!」

 AIスローネの頼み事にアドリアは快い返事をして、ずいっと家から進み出ると、私の手を取った。

 

「私アドリア……って、流石に分かるわよね。貴女のお名前は?」

「モモタ・トバルカインです……えっと、アドリアさん」

 何も事情を知らない人に対して、私はとげとげしく振る舞えず、質問に答えてしまう。

 

「モモちゃんって呼ぶわね。中に入って、家族に紹介するから」

 手を引かれて、ひんやりとした室内へ連れて行かれる。

 

「……仲間に再会したければ、良い子にしていて欲しいな、モモタ・トバルカイン」

 スローネが私に言い残したそれは、人々の交流の際には見せない、AIらしい平たい声だった。

 

 

 

 

「旦那はまだ仕事……どーせ酒場でみんなと飲んでるんだろうけど」

 歩いてきた道とは違い、室内は木製の床だった。

 

「私の子ども、3人いるから紹介するわね! 

 ──お客様だよー! 全員集合ー!」

 アドリアさんが大きな声で号令をかけると、小さな足音がいくつも駆け寄ってくる。

 絨毯の敷かれたリビングに、年齢のバラバラな幼い子どもが集合した。

 ……なぜ、みんなボーダー柄の半袖を着ているのだろう。

 

「上から順に自己紹介をお願いします」

 母親の軽快な指示と共に、一番体が大きい赤髪の男の子が手を挙げる。

 

「おれフェデリコ! 今年で7歳!」

 次に赤い髪を横にまとめた女の子が声をあげる。

 

「あたしルーチェ、5さいなの」

 お兄さんのフェデリコとお姉さんのルーチェが、よだれかけをつけた黒髪の男の子の手を持ち、万歳させる。

 

「こいつが一番下のジーノ、まだ1歳なんだぜ」

「お姉ちゃんのお名前は?」

 立て続けの質問と、至近距離に立つ子ども達の存在に、私は面食らっていた。

 子どもとこんなに直ぐ側で触れ合う経験など、ほとんどなかったからだ。

 

「モモちゃん……です」

 制服のスカートを握りしめながら、私は名乗る。

 

「モモちゃんだー!」

「モモちゃん、かわいー!」

「うー」

 私を中心に、兄妹であるフェデリコとルーチェがぐるぐる回り始める。

 その様子を見て、アドリアさんは満足そうに頷いた。

 

「仲良くなれそうで良かったわ! 

 洗い物してくるから、少しの間ちび達の面倒見ていてねー!」

「あの! その! ええ……」

 私が大いに混乱している間に、彼女は赤い髪を揺らしながら別室に移動してしまう。

 

「やっぱりボール遊びだよな! な!」

「えほん! えほんよんで! モモちゃん!」

「まっ! まっ!」

 2人が私の右と左の手を引っ張り、幼い赤ちゃん……ジーノが私を支えに掴まり立ちする。

 

(……みんな、無事でいますように)

 私はどこかにいる仲間の安全を祈りながら、子ども達に揉まれていった。

 

 

「あらら……大丈夫?」

 1時間後。

 

「ううう……」

 私は満身創痍でリビングに転がっていた。

 周りには、絨毯の上で寝息を立てている子ども達3人の姿。

 

「遊び疲れて全員爆睡ね。

 でもちょうど良いわ、夕食まで寝かせておきましょう」

 アドリアさんは散らばっている積み木やボールを籠に片付け、1人1人に薄い毛布をかけていく。

 

「モモちゃんもお昼寝したら? 何かあったら起こしてあげるし」

「……はい」

 お言葉に甘え、毛布を受け取った。

 クッションを枕にし、疲労感のある体を絨毯の上に横たえる。

 ふと、自分の手の甲が目に入った。

 

「令呪……」

 私は手の甲にある、1画減ったそれを見つめる。

 マスターである証明、刻まれた印。

 動くことのない時計の長針と短針が、皮膚の上には依然ある。

 

(あと2回しか使えない、判断ミスは出来ない)

 そういえば、アスカの令呪はどこにあるのだろう。

 

(場所知らないなぁ……)

 と、思ってもみたり。

 

(みんな……バーサーカー、どうしてるかな……)

 不安を感じつつも、私は眠気に勝てず、目を閉じた。

 

 

 

 

「……きこえるんだ」

 湿度の高い空気が、肌にまとわりつく。周りには濃い緑の木々と、地面を覆う草花。

 私はいつの間にか見知らぬ場所にいた。

 

「なにがだい?」

 つぎはぎだらけの粗末な薄い服に身を包んだ、妙齢の黒髪の女性が、心配そうに誰かへ声をかけた。

 その相手は、草の間にしゃがみこみ、両耳を手で塞いでいる幼い少年。

 着ている物は女性と同じく粗末なもの。

 歳は5つ頃に見え、その顔立ちは。

 

(バーサーカー?!)

 黒と見紛うばかりの深い緑の瞳は、戦っていない時の彼と同じ色だった。

 顔半分には見慣れた木製の仮面はなく、あどけない大きな両の目をうろうろと動かしている。

 彼の目線の通る道に私は立っていたが、彼が気にする素振りはなかった。

 瞳にも映っていない……今の私は透明人間のようなものなのだろうか。

 

「……赤ん坊の泣き声だよ、母さま」

 絞り出された声は震え、怯えと不安が混ざっている。

 

「またかい、お前は本当に……」

 女性は息を吐くと、呆れたように後頭部をかいた。

 

「そんなに気になるなら、またお寺様にお祈りにいくかね……」

 地面に座り込みそうになっている幼い姿のバーサーカーを、母親である女性は抱え起こすと、手を取ってしゃんと立たせた。

 

「おれの頭の中でさ、赤ん坊がずーっと泣いてるんだ。ぎゃあぎゃあって」

「はいはい、飯食って寝れば治るさ。

 それでも治んなきゃ……そうだねぇ、薬師如来様にでもお祈りするかねぇ」

 母に手を握られている彼が立ち止まり、後ろを振り向いた。

 その目には、私がはっきりと映っている。

 

「──聞こえないのかな、おれ以外には」

 

 

 

 

「うぇぇぇん、えーん……」

 赤子の、泣き声が聞こえる。

 

「モモちゃん、ごはん!」

「ジーノも『モモちゃんおきて』っていってるよ!」

 遊び疲れて眠っていたはずの2人の子どもは、すっかり元気になって起き上がり、眠っていた私を揺さぶっていた。

 

「モモちゃん、お夕食の準備手伝ってー」

 別の部屋からアドリアさんの明るい声が聞こえて、私は両手を床につけて体を起こした。

 

「ごっはん! ごっはん!」

 オレンジの灯りで照らされている食堂へ足を運ぶ。

 7歳のフェデリコは、背伸びしてみんなの分のスプーンをテーブルに並べ、5歳の女の子のルーチェは、まだ赤ちゃんのジーノに、新しいよだれかけをつけてあげていた。

 

「モモちゃん、熱いから気をつけてねー」

 アドリアさんがテーブルの真ん中に畳んだ布を置き、湯気を立てている大きなフライパンをその上にのせる。

 

「野菜入りの平たいオムレツよー。深く考えずに6等分に切っちゃって」

 刃の尖っていないナイフを渡された。私にそう頼んだ彼女は、次の料理を取りにさっとキッチンへ戻ってしまう。

 

「うまく……出来るかなぁ……」

 ぼやきながら、初めてやることだから慎重に、大きさに偏りがないよう切りわけていく。

 断面をちらりと見ると、タマネギやパプリカ、ベーコンなどが細かく刻まれて、ぎっしりと入っているのが分かった。野菜と卵の甘い香りが食堂に漂う。

 

「スープですよ、熱いからお皿さわっちゃだめよー」

 オムレツを初めとして、スープ、パンと、次々料理が出てきて、あっという間にテーブルの上は華やかになった。

 

「貴方、お帰りなさい」

 食事に使うフォークやナイフを私が並べていると、黒い髪を薄い丸刈りにした、大柄の男性が食堂に入ってきた。

 40代くらいか、白い半袖シャツと長ズボン、肌はよく焼けていて、黒い眼差しはたれ目だ。

 

「ただいま。ん? アドリア、その子は……」

「スローネ先生に頼まれて預かっているモモちゃんよ。

 モモちゃん! この人は私の旦那さん、名前はバルド。一番下のちびのジーノに似てるでしょ?」

「お世話になっています、モモちゃんです……」

 私は食事を並べていた手を一旦止めて、彼の方へ体を向け、ぺこりと挨拶をした。

 バルドは革製の鞄を壁にかけると、私を少しだけ見て、テーブル直ぐ横の椅子に座った。

 

「細かい話は後にして、ご飯にしよう。腹減った」

「父ちゃんおかえりー」

 3人の子どもが笑い声を上げながら、父親の下へ集まっていく。

 その幸せな光景を、私はじっと眺めていた。

 

 

 夕食はとても素晴らしいものだった。

 ふわふわのパンに、野菜たっぷりのオムレツ、琥珀色の透き通ったスープ。

 両親の間で交わされる穏やかな会話、子ども達の笑顔。

 ──私はまるで、幸福ばかりを映す、ファミリー映画の中に迷い込んでしまったようで、自らの場違いさにもじもじと身じろぎをした。

 

 

「私はちび達をお風呂に入れてくるから、モモちゃんは休んでてー」

 アドリアさんと私の2人で食卓の片付けを行った後、彼女はそう言うと、着替えやタオルと共に浴室へ行ってしまった。

 母親の周りを、歓声をあげて子ども達が走り回る。

 

「……」

 それを見送り、無言で薄暗いリビングのソファーに座っていると、アドリアさんの夫、バルドさんが、大きな体の肩を左右に揺らしながら、のっしのっしと歩いてきた。

 彼と、目があう。

 

「バルコニーで」

「えっ?」

「バルコニーで話さないか」

 突然の提案に、私は答えに迷い、沈黙してしまった。

 続くバルドさんの言葉。

 

「おまえさん……外の世界から、来たんだろう?」

 正体を見抜かれた驚きで、心臓がどくんと跳ねる。

 

「……俺もそうなんだ、少し話をしよう」

 落ち着いた声で話す彼に案内されて、リビングから廊下へ歩き、石造りのバルコニーに出た。

 

「そこの椅子に座るといい」

 崖から突き出すようにあるその場所は、天高く登った月明かりに照らされ、白く輝いていた。

 顔を上げれば、どこまでも続くような夜の海が見える。穏やかな波の打ち寄せる音が、世界を包んでいた。

 バルドさんは海側に置いてある椅子にどっしりと腰掛けると、地平線の彼方へ目線を向けた。

 私は、石のアーチの出入り口側にある椅子に座る。

 

「……美しい村だろう」

「はい」

 私は心からそう思いながら、頷いた。

 村の建物の灯りが、1つ、また1つと消えて、住民達は眠りに落ちていく。

 

「俺もアドリアも、この都市の外から来たんだ」

 突然語られた真実に、私は息をするのを忘れてしまいそうになった。

 

「理由はあのふざけた聖杯戦争さ……おまえさんも、そうじゃないのかね」

「……半分、そうです」

 我ながら煮え切らない返事だった。

 私の返事を聞き、バルドさんはその大きな体を身じろぎさせた。

 

「何でも叶う聖杯の奪い合い、AI同士の派閥争い、女神の望みだとか、なんとか。

 そんなくだらない理由がスピーカーから流れた後、俺の故郷の地下都市は火の海になった。

 俺は自由があると信じて、その時は名前も知らなかったアドリアの手を取って逃げた……。

 しかし逃げた後が、本当に大変だったがね……」

 家の中から、湯上がりではしゃぐ子ども達の声が聞こえる。

 

「外は人間の生きていける世界じゃなかった、訳の分からない機械の怪物や、狂ったサーヴァントに襲われた……。

 何人も喰われたよ、怪我と病気で死んだ奴だっていた。

 水も食い物も次第に無くなって、避難民同士で争いが起きようとしていた。

 ……そんな時だったんだ、この都市が保護を持ちかけてくれたのは」

 夜風に吹かれ、植えられた草花が揺れる。

 

「ここは、特別な目的のために作られた『実験都市』……だそうだ。

 海の生き物と、海辺での人間の生活や文化を保管するための場所。

 それと、人間が他の星に向かう時まで住む箱庭で、地球と同じ様に生きていけるかどうかのデータ収集とも、AIは言っていたな。

 AIに提出しなければいけない『生存権』……チケットは存在しない。

 ここで生活するということが、チケットを得るための労働になっているからだ」

 家の中から、アドリアが子どもと笑いあっている声が聞こえてきた。

 

「……再び地下へ、檻の中の実験動物になる結果であろうと、俺や避難民は喜んで都市の一員になった。中には……」

 バルドのたれ目がちな黒い目が細められた。

 

「記憶を消して、新しい名前を貰い、この都市の住民になった者もいる。

 ……アドリアがそうだ。彼女は、地下都市で生きていた記憶も、残酷な外の世界で見てしまった事実も全部消して……『アドリア』という人間に生まれ変わった」

 冷たい汗が自分の背筋を流れていくのが、はっきりと分かった。

 

「明日もう一度スローネが来る。おまえさんに決断を迫りにだ」

「決断……?」

 その言葉を繰り返した私に対し、バルドが首を縦に深く振る。

 

「この都市の住人になるか、ならないか……」

「住民にならないと言ったら……?」

「……スローネと島の守り神が、処理をする」

 私は緊張感から、親指を唇に当てる。彼の話は続く。

 

「島の守り神は少女のような姿だが、この上なく残酷だ。都市の管理者たるスローネでさえ、彼女に指図は出来ない」

「……外に出たければ、その2体を何とかするしかないと」

 恐ろしい現実にも迷いを見せない私に、バルドは目を閉じると、天を仰いだ。

 

「モモ、俺にはおまえさんの気持ちがよく分からん……。

 確かにここは地下で、海も空も月も、何もかも人工の造りもので、人間は生活を管理される実験動物だ。それでも……」

 彼は椅子を揺らしながら、あご髭を撫でる。

 

「危険もない、明日に怯える必要もない……ここには、穏やかな幸せがある。

 どうして、恐怖ばかりある外の世界に行きたいんだ」

 私は椅子からゆっくり立ち上がりながら、覚悟の言葉を伝える。

 

「今この瞬間も苦しんでいる誰かと、世界を救うため、です。

 世界のことなんて、まだほとんど知らないけれど……だからこそ、外の世界を旅して、知らないものを知りたい、誰かに出会いたい」

 彼は閉じていた目を開き、怯える人のように背を丸めると、美しい海を眺めながら言った。

 

「モモは強いんだな、逃げることしか選べなかった俺よりずっと。

 ……俺は、俺と好きな人を救うだけで精一杯だったよ」

 私はずっと座っていた椅子から立ち上がった。そして、月光降り注ぐバルコニーから立ち去る前に、彼の背に言葉を贈る。

 

「バルドさんも、強い人だと思います。

 だって、私に全部、辛いことや悲しいことを話してくれた……」

 背は丸まったままで、返事はない。

 遠い潮騒だけが、その場から立ち去る私に贈られた。

 

 

 アドリアさんから貸していただいた、肌触りのよい寝間着に身を包み、ベッド代わりのソファーに寝転がりながら、手の甲の令呪を指でなぞる。

 

「バーサーカー」

 私の武器であり、信頼できる家族のような存在である彼の事を考え、心を強く保つ。やってくる明日を覚悟しつつ、目を閉じた。

 

 

 

 

 ……肌にまとわりつく、この空気の湿度を私は知っている。

 お昼寝の中で見た夢の中と同一のものだ。

 辺りは白い朝靄に包まれていて、数m先も見えない。

 足下に目線を落とすと、細かな砂利が敷かれているのが分かった。

 

(玉砂利って言うんだっけ、こういうの……)

 風が頬を撫でると、私のピンクの毛先が揺れる。

 それに気を取られていたら、いつの間にか前の視界が開け、朽ちた神社のようなものが姿を見せた。

 

「……」

 勇気を出し、ローファーを履いている足を一歩出す。

 玉砂利を踏みながら進んで、崩れかけの階段の前に立つ。

 靴を脱いで、置き、暗い色の木の上に、白の靴下で包まれた足を乗せた。

 中にある板の間には小さな布団が敷いてあり……誰かが寝ている。

 見てはいけないものを見ているという実感に、心臓が止まりそうになる。

 

「……っ」

 11歳程の子どもがそこにいたが、髪も目の色も判別できなかった。

 ──全身が、包帯で被われていたからだ。

 褐色の古い血も、鮮やかな新しい血も、まだら模様になって布に浮かんでいる。

 

「俺、『箱』なんだって」

 その固まりが、少年の声で独り言を話し出す。

 

「だから、中に俺以外を詰めないといけないんだって」

 綺麗な鳥の声が、朽ちた天井の上から聞こえた。

 

「それが俺の『運命』なんだって、俺をこうした奴らが言ってた」

 少年は呟く。

 

「また頭の中で泣いてる……『いえにかえりたいって、母さまにあいたい』って」

 風が森をざわざわと揺らす音が、私の心もざわつかせた。

 

「じゃあ、聞こえるこの声が、俺の『運命の人』?」

 誰にもいないはずの空間に、少年は言葉を投げていく。

 

「……運命の人に会ったら、俺のぜんぶ、無くなっちゃうんだろうな」

 私は胸に拳を当てながら、声をただ聞いている。

 

「心も魂も、全部抜かれて……」

 響く鳥の声は2羽に増え、仲良くさえずり合っている。

 

「こわい……けど、運命の人に出会うって、そういうことだ」

 布に包まれた丸い頭が、もぞもぞと動く。

 

「相手の辛いことも、悲しいことも、納めてあげられるように、空っぽの箱になること」

 覚悟にも達観にも見える態度。私は少年の額にそっと触れ、目を隠す包帯をずらした。

 

「……夜明けの空が見える。緋色で、桃色な」

 緑の瞳に、私のピンクの髪と瞳が映っていた。瞳孔が開き、少しずつ光が入っていく。

 

「明日が来るの、楽しみだな」

 少年は乾いた血のついた顔のまま、微笑んだ。

 

 

 

 

「モモちゃん、かおこわいぜ」

「きょうはあそんでくれないの?」

「うあー」

 窓から見える偽りの空は快晴だ。

 制服に袖を通す。これは、私の戦衣装。

 

「モモちゃん、これ、私が若い時のだけど……どう?」

 アドリアさんが持ってきてくれた服を、両手でそっと押し返す。

 何も言えなかった。『ここに残りたい』という、未練が育ち初めていたからだ。

 

「モモちゃん、いっしょにごはんたべよ」

「どうしちゃったの?」

 うろたえている子ども達とアドリアさんの向こう側に、バルドさんが立っているのが見えた。

 

「私、行ってきます」

 声は震えていたけれど、バルドさんは後押しするように強く頷いてくれた。

 

「気をつけてな」

 励ます言葉まで、私にくれた。

 

「はい」

 木製の温かみのある扉を開け、幸せに満ちた世界に別れを告げる。

 人の気配のない路上。朝の冷たい空気の中、スローネ・エーテルウェルが丸メガネを滑らかな布で磨きつつ、立っていた。

 

「おはよう、モモタ・トバルカイン。私と一緒に来てもらうよ」

 バルドから聞いていた通りだ。

 

「美しき島の守り神の下へ」

 ガラス越しに、青い瞳が私を見た。

 

 第16話 幸せはどこにある?

 終わり




 単語説明


 実験都市
 地下都市の一種。ある目的のために設置された都市。
 実験のため、文化や生物の保管を行われている。地下内部空間に、広大な海や自然が備え付けられたものなども存在している。
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