AI、スローネ・エーテルウェルに、自然豊かな地下都市を案内されるモモ。そこでは、人々は笑顔を浮かべながら自由に生きていた。
アドリアという女性の家に預けられたモモは、そこで彼女の子ども3人と出会い、へとへとになるまで遊んだ。疲れてお昼寝をするモモ、不思議な夢を見る。バーサーカー04とよく似た幼い少年の夢だった。彼は、頭の中から聞こえる赤子の声に悩まされていた……。
お昼寝から起きたモモは、アドリアとその夫、子ども達と夕食を囲み、家族と暮らす幸福を目にする。モモの心中に、仲間の安否を気にする気持ちとは別に、この場所で暮らしたいという気持ちも育ってきていた。
食後、モモはバルドに、外から来た人間であることを見抜かれてしまう。
バルドが語ったのは、聖杯戦争によって故郷を失った苦しみと、過酷な外で起きた悲劇と、再びAIに管理される生活を選んだ己の『弱さ』についてだった。
モモは彼の言葉を胸に刻みつつも、彼の『弱さ』を否定する。
決意を新たにしたモモは、また夢を見る。それは、バーサーカー04によく似た少年の夢の続き……彼は、全身を刻まれ、包帯に巻かれていた。そんな状態で『運命の人』について話す少年を、自らのサーヴァントだと確信する。
翌朝、自分を引き留めようとするアドリアに別れを告げ、バルドから背中を押されたモモは、迎えにきたスローネと共に、島の守り神の下へ向かうのであった……。
石畳の道をどんどん下っていく。
周りの木々は天を突くように伸び、地面は石畳から湿った土へと変化していく。
十数分くらい無言で、白衣を着ているAIの背を追うと、急に空間が開けた。
磨き上げられた白い石で造られた神殿が、目の前に建っている。
「ギリシャの……神殿?」
電子書籍や映画でのみ見たことあるような建物。
「いや、クレタ島様式だ」
私の発言を、スローネが素早く訂正した。
「間隔の大きく空けて建てられた柱、必要な場所以外は存在していない壁……実に開放的だろう?
クレタ人は争いを知らず、想定すらしなかった民族とも言われている。最も、だから彼らは他の文明に攻め滅ぼされてしまったのだけど……」
急に専門的な用語を交えながら早口になる彼。
「スローネ、知識を自慢げにひけらかすのは、きみ達の悪癖だな」
そんな彼をいさめる言葉を放ちながら、真っ白な神殿から誰かが出てくる。
耳に届く声は甘く。
「ごめんよ、島の守り神」
日差しに照らされた体は幼い。
スローネが会釈をした彼女を、私はつぶさに観察する。
足は革で作られたヒールの高いサンダル。
淡いクリーム色の短いスカートで腰は隠され、体は同色の薄布だけで覆われていた。
浅く美しいへそは、恥じらいもなく露わにされている。
剥き出しの腕や手首にはくすんだ金属の輪がはめられ、首元にも管をぶら下げたようなネックレス。
頭には簡素なティアラのようなものが。髪の間から出ているぴんと尖った耳は、物語の中の妖精みたい。
「スローネ、私は神じゃない。今の私は……」
けれど、目を引くのはその髪と瞳だ。
腰下まで伸ばされた癖のない毛の色はピンク。瞳の上半分は緋色、下半分は澄んだ水色。
まるで朝焼けを閉じ込めたかのようだ。
「大魔女さ」
少女の形をした美しいサーヴァントは、肩を飾る大鷲のような羽をもさもさ動かし、私を神殿から見下ろしながらそう言った。
「宴の手伝いすらしない、きみの事は嫌いだね」
大魔女と自らを紹介した彼女は、私を気にもとめずスローネと会話を続ける。
「調理は医者の領分ではないよ」
「全ての領域は繋がっている。調理は薬学に通じ、薬学は調理へ繋がる」
「耳が痛い……」
「ふん、心にもない事を……」
彼女が半目で彼を睨む。すると、光彩は秋空を思わせる水色のみになった。
「さてと……おいで、私についてくるといい」
彼女に招かれる。スローネはうやうやしく頭を下げ、先に行くよう手を動かした。
(魔女……)
心臓の上に手を置きながら、人ならざる者の領域へ足を踏み入れる。
「こっちさ。料理のいい匂いがするだろう?」
ひんやりとして薄暗い神殿の内側を見る。
通路の壁には漆喰が塗られ、その上に牡牛と女性が描かれていた。フレスコ画……というものだろうか。
床は磨かれた数種類の石で飾られ、華美過ぎず、落ち着いた雰囲気だ。
スローネの語った通り、開放的な造りで、あちこちから湿気の少ない爽やかな風が吹き抜けていく。
渇いた心地よい大気。それでも、私は前を行く大魔女の存在に、冷や汗を首筋に伝わせていた。
「可愛いピグレット達、お客人を迎えておくれ!」
彼女が甘い声を空間に投げると、柱や壁の影から数十頭の子豚が出てきた。
映像資料でしか知らない家畜の存在に、私はうろたえる。
ピグレットと呼ばれた足の短いころころした豚達は、独特の鳴き声を上げながら私の足元にすり寄った。
「おいでおいで。宴を開こう、砂上を行く勇者もてなす魔女の宴さ!」
体色様々な豚と、愛らしい彼女に案内されながら、四角い大広間に私はたどり着く。
そこには、広間を横断するように非常識な大きさの大理石のテーブルがでんと置かれ、ご馳走が所狭しと並べられていた。
映画でしか見たこと無いような、器に飾り付け、料理の数々。
「どうだい? 全て私のお手製さ! どの料理も、君が体験したこと無いほど香り高く、味わい深いぞ!」
詰め物をした鳥の丸焼き、野菜のゼリー寄せ、古今東西の新鮮な果物の盛り合わせ。
「──そこの席に」
有無を言わせぬ力が込められた魔女の命令に、私は従うしかなかった。
私が来賓席に座ると、右斜め前の椅子に、可愛らしい黒豚がちょこんと座っていることに気がついた。
黒豚と向き合う席には誰も居らず、宝石を散りばめた輝く王冠が置かれている。
魔女の左横の席に後からやってきたスローネが座り、右側の席には……ガラクタのようなものが。
彼女が一番最後に、私の真正面、料理で隔たれた遠い席に座る。
なぜか、この場に相応しくない形の、手の平サイズの無骨な箱があった。
「では食事をしよう」
彼女の言葉と共に、目の前の料理を見る。
朝ご飯も食べていないし、こんなに美味しそうなのに、食欲は微塵も湧かなかった。
アドリアが作ってくれた、温かい料理には感じないものがある。
──恐怖だ。
「肉料理は嫌いかい? 果物から食べたっていいんだよ?」
彼女の声が大広間に響く。地面には豚が満ち、ブヒブヒと騒ぎ立てた。
「AIの私見ですが、食べた方が幸せですよ、トバルカイン」
スローネはガラス製のグラスの足を持ち、琥珀色の液体をくゆらせている。
椅子に座らされている小さな黒豚が、丸い瞳を潤ませながらジタバタもがいていた。
「……いただきます」
バルトさんから聞いたお話を思い出す。
(「島の守り神は少女のような姿だが、この上なく残酷だ」)
食べてはいけないと、本能的に私は理解した。
なので、振りをする。
首を曲げて口元を隠し、食事を口に入れる寸前にテーブルの下へ落とす。
材料に対する申し訳なさが胸を苦しめたが、私に群がっている豚達が、嬉しそうにおこぼれをあずかってくれた。
しかし、この演技にも限界はあるだろう。次の案を考えなければ。この都市を支配している魔女から、はぐれた仲間達の情報を聞き出さねば。
(何か、ないか)
悟られぬように目を動かす。
……テーブルにのせられたガラクタと、無骨な箱が目に付いた。
箱と目線が会う。ガタンと、それは動いた。
「大魔女様、ずっと気になっていたのですが、それはなんでしょう?」
絞り出した私の声は震えていたが、彼女の機嫌を損ねないよう、精一杯へりくだる。
「『箱』の事が気になるかい? 先日作ったばかりの礼装さ、ちょっと口が悪いけど……」
ねずみ色の箱を、彼女は細い人差し指で撫でる。
「それともこのガラクタかい?」
そう彼女が言った瞬間、スローネは人工的にしわを分布された顔をしかめた。
「元人形……スローネの前任者さ。
私を召喚し、逆鱗に触れたあげく、命令しようとしたから……殺した」
まるで気に入らない服を返品したかのような気軽さで、彼女は殺害を語った。
「AIは直ぐネットへ逃げるから、精神も魂も入念に潰してやったさ、ふふっ……」
言葉を付け足すと、彼女は口元に手を寄せながら笑いをこぼす。
……何がおかしいのか、理解出来なかった。
「さて、きみが私の料理をこれ以上粗末にする前に、終わらせるか」
座っていた彼女の肩の羽が、本物の鷹のように広がると、小さな体が浮かび上がる。あっという間に高い天井の上まで行くと、急降下し、私の真横へ降り立った。
彼女の人差し指と中指が私の右腕を這い、ナイフを握っている手を掴む。
「心を込めて作った料理を、食べる振りして捨てるなんて、ひどいことをするなぁ……」
彼女の手を振りほどき、自分の手を脱出させようと試みるが、びくともしない
甘やかな吐息が掛かるほどの距離で、彼女は私の耳に言葉を流し込んでいく。
「砂の上を行く船ときみ達を見た時は、つまらない世界に面白い奴らがまだ残っていたと、少し興味をそそられたけど……残念だ」
彼女は空いている左手で、私の目の前に何かを置いた。湯気を立てる浅い皿の中身は、私の知らない料理。
「君より……アスカ君だっけ? の方が面白かったぞ。
恋に自覚ある乙女はいいね、それになかなか悲劇的な人生を送っているようだった」
皿の横に、小さなアクセサリーが置かれる。
……紫の石がついている。
「彼女の髪留めさ、私が預かっている」
全身の血の気が引くのが分かった、心が恐怖でさめざめと冷え切っていく。
「肉も果物も口を通らないときは、これを食べるに限る」
私の右腕を掴んだまま、彼女は話し続ける。
「これは麦粥……キュケオーンさ、とろりとしていてうまいぞぅ!」
私は震える唇で、彼女に問いかけることにした。
「アスカを、どうしましたか……?」
「んー?」
彼女の声は穏やかだ。
「あそこにずっと座っているじゃないか、ほら」
右斜め前の椅子を見る。
小さな黒豚が四肢を暴れさせ、もがいている。魔女が何かをしたのか、不思議な力でふわふわ浮かび上がった。
「ピギー! ピー!」
そのお腹に、赤い紋様があった。
サーヴァントのマスター、その証である、令呪。
翼広げて飛んでいる鳥にも、空を行く船のようにも見える形。
アスカの令呪を、私は初めて見た。
「──令呪を持って我がサーヴァントに命ず! 来て! バーサーカー!」
目の前の現実に理解が追いついた時、理性が悲鳴をあげた。
後先を考えない、恐怖に駆り立てられた命令が口から飛び出る。
「あっ、だめだぞ」
彼女が呟くと、手の甲で光り始めた令呪の輝きが消え失せた。
「私の神殿の中なんだ、勝手なことをされては困る」
令呪が、不発に終わった。
「これで、きみの足掻きはお仕舞いかい?」
少しだけつまらなさそうに言われる。
「……まだだ!」
私は掴まれている右手の上に自分の左手を重ね、魔女の手を剥がそうとするが、びくともしない。
彼女が左の人差し指を踊らせると、両腕が意に反して上げられ、体も宙に浮かぶ。
座っていた椅子が倒れた。上空から、スローネが興味なさそうに丸メガネを拭いている姿が見えた。
「きみは甘いキュケオーンより、辛い現実がお好みのようだ」
息が出来ない。
彼女は羽ばたくと、浮かぶ私に顔を寄せる。
2種類の色が宿る魔女の瞳へ、噛みつかんばかりに犬歯を剥き出しにして、にらんでいる私の顔が映っている。
「可哀想なきみ。
絶望という温かな粥を飲み、ピグレットにおなりよ。
この館に何百もいるような、苦しい目に遭って、自ら人間性を手放してしまった可愛い子豚達のように。
私が永遠に愛をささやき、甘い夢だけを見せてあげよう」
翼広げた魔女は、他者をとろけさせる声を出す。
「……返事を」
体が床に下ろされた。
立ち上がり、数回せき込んでから、私は上空の彼女に言い放った。
「ならない、絶望もしない。私は仲間を取り返しアスカを救う」
魔女はつまらなさそうに顔をしかめると、テーブルに置いてあるスプーンと皿を持った。
私は手の甲の令呪を横目でちらりと見る。変わらず2画、そこにある。
(逃げて、アーチャーかバーサーカーと合流し、立て直す……!)
そう考えて足を動かそうとしたが、全身が動かなくなっていた。
空気の固まりにすっぽり包まれ、拘束されているかのよう。
「この世界に召喚されて、実情を知り、私は少し考え方を変えたんだ。
……人間に優しくなろうってね!」
言葉を紡ぎながら彼女は匙にそれをすくう。湯気立ちのぼる、麦の粥を。
「たった一口さ、それで全ておしまい! 楽しいだけの毎日が始まる!」
魔女は蠱惑的な笑みを浮かべながら、温かい麦粥がのった匙を、私の唇に近づける。
「──さぁ、キュケオーンをお食べ?」
大理石のテーブルから箱が落ち、鐘をついたようなごーんとした音が響いた。
まるでそれを合図にするみたいに、天井から白い溶けたものが、ぽたぽた落ちてくる。
首は動かせないので目線のみを向けると、石の天井に、真っ赤に燃える丸い線が描かれている所だった。
まるで、スパイ映画の工作員が、分厚い壁を焼き切るときみたいに。
「むっ……」
魔女は身を踊らせつつ後ろへ跳躍し、私から離れる。
匙を投げ捨て、鈍い銀の色の杖を一瞬にして手の内に出現させると、彼女は天井から飛び出してくるであろう存在に声をかけた。
「私に勝負を挑むのか。
この魔女、キルケーの領域で。女神ヘカテの祭壇で」
丸く焼き切られた天井がテーブルの上に落ち、吹き飛ぶ食器や料理と共に、誰かが優美に着地した。
青い飾りの施された白の外套、顔と全身を覆い隠す機械パーツ。
構える弓は青白く燃え、それによって天井を溶かし、切ったのだと言うことが分かった。
「雷神を身に宿す、英雄よ」
アスカのアーチャーが、全身から
第17話 美しく残酷で
終わり