フェイト/デザートランナー   作:いざかひと

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 前回までのあらすじ
 ブラックボックス内部のデータから、世界を変えようとしているレジスタンスと、『上級都市レグルス』の情報を得ることが出来たモモ達。
 以前からの目的地である上級都市ピオーネの所在地を知るためにも、次の行く先を上級都市レグルスに定める。
 
 出発を前に、モモは、アステリオスから旅をする理由を訊ねられる。
「運命かどうかは分からない。でも、止めたいんだ、争いを」。その答えに対し、アステリオスは「うんめいなんて、ぼく、きらいだ」と返すのであった。

 キルケーから物資の補充と宝石型の礼装、ブラックボックス、『樹』にまつわる予言を貰い受け、地下都市から出発するモモ達。過酷な荒野の上を行く旅が、再び始まった。

 モモは、休憩のために停車していたデザートランナー内で眠りについていたが、夜中過ぎに起きてしまう。
 こっそり外出し、星空の美しさを堪能し、そこから我に返ったモモが見つけたのは、立ったまま眠ってしまっているアーチャー961の姿。
 ……彼は夢にうなされながら、『アルジュナ』と、自らの真名である筈の単語を呟くのであった。


第26話 誰かを置いていく

 

 

「マスター、起こさないであげてください」

 後ろを向く。車体の上にバーサーカーが立っている。

 

「見張り交代しようとしたら、眠っていて。俺がダウンしている間忙しかったみたいですし、お疲れなんでしょうね」

 私は目線を彼からアーチャーへ変える。眠っている彼の顔は、下を向いているせいで伺えない。

 バーサーカーが上から語りかけてきた。

 

「アーチャー殿は、自分が眠っていたと知れば自分自身に怒るでしょう。

 なので……起こさず眠らせています。途中で起こすより、とことん眠らせてあげる方が身のためだ」

 見るのを止めて、バーサーカーに目を向けるために首を上げると、彼の背後には無数の星が暖かそうに煌めいていた。

 

「……なんでバーサーカーはアーチャーに優しいの?」

 地下都市に住んでいた頃から、彼らにはバーチャル囲碁を打つ程度の交流があることは知っていたが……彼の態度には親愛以上の感情が見て取れる。優しくする理由がとても気になるので聞いてみた。

 

「うーん、似たもの同士なんですよ、俺とアーチャー殿」

 照れ隠しなのか、短い黒の髪をがさがさと掻きながら答えるバーサーカー。

 

「……大切な人に置いていかれた者同士、なんです、実はね」

 彼は立ったまま眠っているアーチャーを緑の瞳でじっと見つめる。その眼差しに込められた意味は、私には分からない。

 

「これを話したこと、アーチャー殿には内緒でお願いします、我がマスター」

「うん」

 冷え切った荒野にいる私は、彼の内緒のお願いにこくんと頷いた。

 

「……サーヴァントも、夢を見るの?」

 車体の上であぐらをかいて座り始めるバーサーカー。

 

「基本は見ないはずなのだけど……この世界はへんてこだからなぁ……」

 私の質問に、腕を組んで、困ったような表情を見せた。

 

「……バーサーカーも、夢を見るの?」

 返される言葉は想像出来たけど、それでも彼に聞いてみる。

 

「秘密」

 思っていた通りの答えを言ってから、人差し指を立てて、唇に軽くつけた彼。その背後で、遠い星々が燃えている。

 荒野の乾いた冷たい風が、私の桃色の短い髪を揺らした。

 

「……アーチャー殿が目を覚ました時に目撃者が多いと可哀想だ。

 ささ、マスターは部屋に戻って戻って」

 両手で何かをすくいあげるような動作で、車内に帰るように促される。

 

「うん。お休み、バーサーカー」

 就寝の挨拶をすると、彼は小さく微笑んだ。

 後ろ髪を引かれる思いであったが、大人しく彼の言葉に従って、冷たいタラップを登り、適温に保たれた車の中へ。

 

「……眠いけど、何か夢見そう」

 まぶたをそっと閉じてみると、先ほどまで見ていた星空がきらきらと脳裏に焼き付いていた。

 

「夢を見続ければ、バーサーカーの真名、分かるかな」

 小さいあくびを1つ出してから、廊下を静かに歩いて部屋に戻り、薄い毛布の中で身を丸めて眠ってみた。

 

 

 

 

「お嬢さん、お嬢さん」

 バーサーカーのものよりずっと大人の……老人の声が聞こえて、それと一緒に私の体が揺さぶられた。

 

「どこのどなたか知らないが、板の間で眠ると風邪を引いてしまう」

 目を開けると、自分が薄暗い部屋で横たわっているという事が分かった。

 体を起こす。

 

「しかし驚いた……私がうとうととしている間に、なんの前触れもなく少女が現れるとは」

 ぺたんと座ったまま、体をひねって声の主を見る。

 飾り気のない男物の着物を身に付けた、髭を伸ばした白髪のおじいちゃんだ。

 顔は痩せていて、目の回りには無数のしわがある。

 

「もしや……おとぎ話に伝え聞く天女ですかな?」

 その姿を見て、ずいぶんと高齢なのだろうと私は感じた。

 

「天女……ではないです、どこにでもいる人間です」

 足と膝をもぞもぞと動かし、目の前の老人へ真っ直ぐ顔を向けられるよう、ねじれた姿勢を正した。

 老人の後ろには火の灯ったろうそくで照らされた机があり、墨や筆、積まれた書物が置かれていた。

 

「えっと、何を……していたのですか?」

 私がそう聞くと、老人は気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

 

「仕事……いや、身辺の整理と言いましょうか。

 覚悟していた事とはいえ、なにぶん全て急の事でしたから、慌ててまとめているのです」

 彼はそっと立ち上がると、ろうそくに、金属で出来た小さな鐘のような物をかぶせて火を消した。

 温かみのある光に満たされていた部屋は、温度のない暗闇へ一瞬の内に移り変わる。

 部屋に、老人の声だけが響く。

 

「……あと一月もしない内に、私は死ぬのです」

 板の間の上に、足音がして、軽い扉が横へ開いた。

 月の青白い光がそこから差して、板の貼られた縁側にいる彼を照らす。

 眼差しを夜空に投げながら、しゃんと背を伸ばし立っている老人の体は、とても死へ向かっているようには見えなかった。

 

「どうして、ですか」

「うん……?」

 老人がゆっくりと首を動かして、私を優しげに見つめた。

 

「追いかけに行くのですよ、置いていかれてしまいましたからね」

「誰を?」

「上様です。ははは……」

 軽く笑う声に込められていたのは、寂しさという感情。

 

「死ぬ前に天女様へ白状しますと、私、あの人の事が好きだったのです」

 次の声に込められていたのは、恥じらいの気持ち。

 

「刃を向けた事もあります、どうして自分がこのような目にと、天を呪った事もあります。

 けれどやはり……」

 目と目があう。長い時を生きてきただろうに、そこには少年のような煌めきがあった。

 

「側にいたいという、気持ちがありまして。

 死ぬより恥ずかしい振る舞いでしたが、頭を方々に下げ、帰って来たのです、あの人の元に」

 月の光を取り込んで、燃えるように輝く緑の瞳。

 

「主君が死んだからと言って、追い腹……切腹などとつまらぬ事をするつもりはありませんが、そんな事をしなくとも、まぁ、ぼちぼち迎えに来てくださるでしょう」

 その瞬間、私は目の前の見知らぬ老人の正体に気がついてしまった。

 

「しかし、あの方と同じ極楽へは行ける筈もないでしょうなー。私は殺しすぎた、地獄より恐ろしい場所へと行くのでしょう」

 心臓がドクンと跳ねて、それからバクバクと拍動が速くなる。

 

「……見回りの者に貴女の存在が知られると厄介な事になる。

 ささ、天女様もいるべき場所へと帰って帰って」

 私は目の前の彼の名を呼ぼうと口を少しだけ開いたが、それを知らない事実を思い出し、唇を噛んだ。

 締め付けられるような感覚の胸に手を置いて、彼へ絞り出すように言葉を返す。

 

「帰る場所、無いんです。私、旅をしているから」

 緑の瞳を丸くして、彼はおどけたような表情をした。

 

「それは実に大変ですな。しかし、その内どこかへたどり着けるものです、帰れる場所も見つかりましょう」

 風が遠い場所の木々をざわつかせる。青い葉が、彼の足下へと落ちた。

 

「貴方の名前を教えて!」

 私は叫ぶ、胸元を両手で強く押さえながら。

 風は強くなり、自分の桃色の髪が激しく揺れて、ちらちらと視界に入る。

 

「■■■■、おや?」

 老人は立ったまま首を傾げた。

 

「言えぬのか。呪いか何か……困った、いや、ならば……」

 飛んでくる木の葉を指でつまみ、いたずらっぽく、にたりと笑う。

 その表情には、『彼』の面影があって。

 

「書けばよいのか! 至極単純明快! あーっはっはっはっ!」

 体を揺らしながら声をあげて大笑いして。それから、ぐらりと崩れて。

 

「……あっ」

 私は小さく声を出す。ばったりと倒れた老人が、再び起き上がる事はなかった。

 

 

 

 

 

「……やっぱり、変な夢だった」

 デジタル時計の時間表示は午前6時。

 私は、どきどきしている心臓を服の上から撫でながら、見た夢の内容についてこんこんと考え込んでいた。

 

 

 

 

「アーチャー、元気ないのです? わたくしの分の栄養ブロックをあげましょうか? ちょこっと甘くて美味しいですわよ」

「いえ……何でもありません、お気になさらず」

「不調でしたら、早めに伝えてくださいね」

「はい、我がマスター」

 アスカとアーチャーは穏やかな会話をしながら朝ご飯を食べている。

 私は何となく落ち着かない気持ちで、アルミの包装をぴりりと雑に破いた。

 

「マスター、どうかしたのか?」

 何かを感じ取ったのか、ハンドルを操りながらバーサーカーが声をかけてくる。

 

「なんでもないよ……」

 原因は彼にあるのだが、ストレートにそう伝えるわけにもいかず、私はもやもやした心持ちのまま答えた。

 

「んー……そうか」

 風にさらされた荒い地面を車は走る。振動でかたかたと体が揺れた。

 

「『上級都市レグルス』ってどんな場所だろうね」

 どんよりとした気持ちを切り替えるべく、バーサーカーに質問してみる。

 

「俺達が元々住んでいた地下都市が普通で、この間キルケーと遭遇したのが実験都市だった。

 さて、どんな形態なのか想像もつかないな」

 私と彼の会話に、朝ご飯を食べ終わったアスカが混ざってきた。

 

「……幼い頃、わたくしはお母様と一緒に『上級都市ピオーネ』に住んで居ましたが」

「そうなんだ、だから上級都市の存在を知っていたんだね」

 都市の種類はともかく、その都市の名前をどうしてアスカが知っていたのか、少し不思議だった。

 まさか、上級都市に住んでいただけでなく、生まれ故郷でもあったとは。

 

「……どのような暮らしをしていたのかは、幼すぎて覚えていません」

 その重たげな口振りは、知らないというより、「話したくない」という心情が込められているように感じた。

 

「えっと、『上級都市レグルス』で、誰かに出会えるといいね、映像メッセージを残してくれたレジスタンスの人達とか」

「え、ええ、そうですわね」

 慌てて話題を変えようとしたが、時すでに遅し。車内の空気は重苦しいものに。

 アーチャーは落ち着かないのか、頭を小さく動かし、ヘッドギア内側の目線をうろうろさせている。

 

「あの」

 そんな彼が、唐突に口を開いた。

 

「スローネが持たせてくれたアイスクリームが倉庫にあります、取ってきましょうか」

「うん、お願い」

 気分が上向きになるかは分からないが、私はアーチャーにお願いをする。

 

(アイス……か)

 映画や電子ライブラリで存在は知っていても、食べたことはない魅惑の食べ物。

 冷たくて甘くて、口に入れると溶けて、ミルクの香りがして、それだけでなく、かつては色んなフレーバーがあって……。

 沈んだ気持ちとわずかな好奇心を抱えたまま、アイスクリームの到着を待った。

 

 

「美味しかったね! アスカ!」

「本当に! なめらかで、冷たいけれどこってりしていて……あんな食べ物初めてです!」

 私も友達も無事に元気になりました。美味しい食べ物ってすごい。

 デザートランナーもトラブルなく進み、ブラックボックスから得られた座標にもうすぐ到着する所だ。

 

「アーチャー殿、車外に出て、肉眼で確認して貰っても?」

「了解した」

 サーヴァント2体が短いやりとりをして、アスカのアーチャーが運転室を出て車体の上へ移動する。

 示された座標の数百m手前で停車し、報告を待つ。

 前面の大きなフロントガラスから見える景色は、雲1つない青空と、目印など何もない黄色の荒れ地だ。

 

『……あれは、駄目ですね』

 キルケーがくれた貝殻を加工して作られた通信機器とは別の、無骨な小型レシーバーから伝達された声が、部屋にスピーカーを通して響く。

 

『都市の天井が大きく破壊されているのが見えます、そこから、相当な量の砂が流れ落ちている。

 完全なる廃墟です、人の気配は感じられません』

 私はがくりと肩を落とした。

 

「反逆、うまくいかなかったんだ……」

 巨人と戦う武器を求めて探索したあの廃墟を思い出す。あの場所と同じように、何者かに破壊されてしまったのだろうか。

 気落ちする私やアスカ。しかし、バーサーカーの態度は変わらない。

 

「けれど、物資や情報はあるはずだ。

 誰に破壊されたのか、レジスタンスとは何なのか、降りて手がかりを探してみよう」

 その提案に、私達2人は無言で頷いた。まだこの世界について何も知らないのだ、情報を集めなければ。

 

「アーチャー殿、車体ごと降りられそうな箇所はありますか?」

『瓦礫が積もりスロープのようになっている部分が見えます、そこからならば』

「案内を頼む」

 車体が動き、座標に近づくにつれ、停車していた場所からでは見えなかった破壊の痕跡が目の前に現れてきた。

 

「う……」

 その光景に、私は思わず身を固くしてしまった。

 巨大な円の形にくり抜かれた穴、直径は100m以上あり、断面からは部屋や廊下の様なものが見え、横から吹き込んだ砂で半ば埋もれている。そんな円が1つや2つではなく、数え切れないほど荒野に空いているのだ。

 後方の席に座っているアスカを見てみると、私と同じように顔を強ばらせていた。

 

「こんな破壊……誰がしたの……?」

 口に出せば、私の胸に疑問がふつふつと湧いてくる。

 通常のサーヴァントか、機械化サーヴァントか、それともAIの駆るワームロボットのような巨大な機械か。

 風が穴へ入っていく度に、不気味な音が響く。映画で聞いた狼の遠吠えのような、虚ろで寂しげな音。

 

『そこです、04』

 穴の縁に近づくと、確かに、瓦礫がスロープのように降り積もっている場所があった。

 

「よっと……」

 アーチャーの指示を受けながら、バーサーカーはハンドルを動かす。

 車輪が瓦礫を掴み、ごとごと揺れつつも下へと降りていく。

 シートベルトを巻いた体で、ひやひやしながら座ること数分、無事、デザートランナーは一番下まで降りることが出来た。

 

「降りてアーチャー殿と一緒に周囲を確認してくる、2人はどうする?」

「もちろん降りますわ」

「うん、私も」

 全員で行動した方が安全だし、令呪の使用などの緊急の判断も素早く行える。

 身だしなみを整え、外部の環境から私達を守ってくれる宝石を付けているか確認して、外へ出る。

 

「……」

 私は建物の残骸と砂を踏みながら、デザートランナーの横に立ち、首を思いっきりそらして都市を見上げる。

 

「深い……」

 地上と地下で100m近い高低差があるだろうか、空はあまりにも遠くにある。

 くり抜かれた都市の断面は多重構造で、そこからぽろぽろと破片をこぼし続けていた。

 次に耳を澄ましてみる。吹き抜ける風の音以外、何も聞こえない。

 

「誰か居ないのかな……」

「この広場には生活の痕跡は見当たらないな。

 紫外線のせいか風化が激しい、何年この場所が放置されているかの判別は難しいな……」

 私がバーサーカーと話しているのと同じように、アスカも自らのサーヴァントと話し込んでいる。

 

「上から見えた破壊と攻撃の跡から、相当広い都市だと考えますが……」

「そうですわね、アーチャー。探索は大変そう……」

 いくつもの道が見えるが、崩れているものもあり、情報と物資の収集は一筋縄ではいかなさそうだ。

 

「私とバーサーカーで辺りを少し見てくるね。アスカとアーチャーはここに残ってデザートランナーを守って」

「分かりましたわ」

「了解しました」

 生命線である車の守護を2人に任せ、私とバーサーカーはかつての上級都市の探索を開始した。

 

 

「……バーサーカー、マッピングしてる?」

「しているよー」

 タブレットを右手で持って上機嫌で歩いている彼。

 

「デバイスが久しぶり使えて嬉しいぜ、自分の持っているものは使わないと無駄だからな」

 彼はずいぶん前に違法入手した生体内蔵デバイスでタブレットを操作し、正確な都市の地図データを書き込んでいる。

 人工石で作られた灰色の壁は、ぼろぼろと欠けている箇所もあり、危惧したとおり、ぐしゃりと潰れた道もあった。

 

「この隙間……私なら通れそう」

 目の前の道を見る。

 石の柱やパネルのようなものが斜めになって倒れているが、私の体躯であったら向こう側に抜けられそうだ。

 

「通ってもいいけれど、俺が追いつくまで先に行くなよ」

「分かった」

 返事をしてから、瓦礫の隙間に足を踏み入れる。上を見るが、突然崩れてくる事はなさそうだ。

 手を突っ込み、足を曲げて、胴体を滑り込ませ、息を乱しながらも通り抜けられた。

 

「えーっと、霊体化して……駄目か、それだとマッピングが出来ないし。

 マスター! ちょっと待っててくれ」

「うん」

 返事をしながら、きょろきょろと辺りを見渡す。

 デザートランナーを降ろした場所よりはやや狭いけれど、十分な広さのある空間だ。

 何かによってぶち抜かれた丸い穴から入る光で、安心感のある明るさに包まれている。

 ふと、気になるものが視界に入った。

 

「花……?」

 赤い花のようなものが、破片が積もって出来た丘に、2輪、寄り添うように咲いている。

 思わず目を奪われ、足を前に出す。

 

「……綺麗」

 少し歩いた先には、天井が壊れ、強い光が差し込む円形の広々とした空間があった。

 空に浮かんできらきらと輝く砂埃。

 

「コロッセオみたいだ……」

 独り言を呟きながら観察する。

 物語の中に出てきた円形闘技場に、広場の形は似ていた。

 上から見たのならば、すり鉢状になっているであろう、観客席と戦いの場が設けられた施設。

 その中心、先ほど視界に入った丘に、花と、覆うように赤いものが降り積もっていた。

 赤いものは、ガラスを引き伸ばして作られた花びらだった。

 花びらに埋もれるように、金の糸の束がある。

 金と絹を寄り合わせて紡がれたかのようなそれらは、赤いガラスの下に、静かに沈んでいた。

 

「……誰だ」

 敵意よりも、気だるさが勝る声。音は、花びらの積もる小山から聞こえた。

 誰か、いる。

 

「──っ」

 私は息を飲んだ。

 金の糸と花弁が舞い、その向こう側から誰かが身を起こしたからだ。

 花びらで出来た赤い渦の向こう側に見えるその形は、背の低い少女のもの。

 緻密な白いレースで縁取られた真っ赤なドレスを身に付け、輝く金の具足で砂を踏む。

 

(すごく……綺麗な……)

 肌は石膏の像の様に白色で、滑らか。小さな唇は熟れた果実の如く、朝露に濡れたかのように艶めいている。

 糸……髪と同じ、金のまつげに縁取られた白いまぶたがそっと開かれた。

 中に納められていたのは、上質なオリーブの油を思わせる輝く緑の瞳。

 憂いと寂しさを宿した眼差しが、崩れかけの闘技場へ向けられた。

 

「……」

 少女が唇をわずかに開き、乾いた世界の大気を吸う。

 華奢な体躯など気にならないほど、背負っている存在感は大きく、美しいものだった。

 少女は顔にかかる長い髪を手で背中へと流し、ついた砂を白魚のような指先で払うと、ガラスの花纏う姿で、私を小山から見下ろした。

 人々の上に立つ者……そんな威風を備えた少女は、瓦礫の上を雌鹿のように軽やかに跳び、私の直ぐ側に寄る。

 手には、赤い金属で作られた複雑な形の長剣が握られていた。

 弧をつなぎ合わせたような刀身が、回す手首と共にくるりとひるがえり、刃先は白く輝きを放ち。

 たっぷりの布で作られた真紅のドレスが、動きにあわせてふわりと揺れる。

 

(──薔薇の、王)

 私が感じた印象を言葉にすれば、まさしくそれだった。

 

「無粋、よな」

 そう言い放った少女のオリーブ色の大きな瞳に、私の、驚いてぽかんと口を開けた間抜けな顔が映っている。

 吐息が触れる程の距離まで近づいて……そのまま彼女は通り過ぎた。

 砂塵と花弁が共に舞う。

 

「えっ?」

 私は硬直しそうだった体を無理やり動かして、後方へ向く。

 赤い剣を両の手で握った少女は大きく飛ぶと、すりばちのようになった円形闘技場の段に降り立ち、駆ける。

 その小さな体に襲いかかるのは、無数の黒い人影。

 鎌や剣などの武器を手に持ち、ぎこちなく振りかぶるそれらを、彼女は一太刀で切り捨てていく。

 切られた者は砂に変わりつつ、その断面から赤い花弁を吹き出した。

 暗い砂で出来た影を切り裂いて、少女は駆け、真紅の布をひらひらと踊らせながら、1人戦い続ける。

 

「……くっ」

 敵の攻撃が届き、とうとう彼女の右頬を小さく切った。さらりとした血が流れ、白い肌の上に幅のある赤い滝を作る。

 しかし彼女は痛みにひるみもせず、壁を蹴り、勢いをつけて宙へ跳び、横へと回りながら剣で敵を切り、倒していく。

 再び舞う花弁、その中を流れていく金の髪と真紅のドレス。

 孤独な薔薇の王は、現れた黒い敵を全て切って捨てると、舞台のようになっていた建物の断面から、廃墟の地面に柔らかく着地した。

 花弁舞う舞踏が終わる。細かな砂が舞い上がり、大気を白く濁らせて、直ぐに落ちた。

 

「──答えよ」

 顔を半ば隠す髪の合間から、憂いを湛えたオリーブ色の瞳が覗いている。

 問いかける少女の声は堂々としたもので、私はそれだけで、縫い止められたように動けなくなってしまった。

 

「そなたが、余の敵か?」

 血を流しながら、剣を携え、凛と立つ姿。日の光が上から降り注ぐ。

 まるで歌劇の役者のようでも、古代の皇帝のようでもあった。

 

(すごく綺麗……なのに……)

 しかしその胸の内に、どうしようもない寂しさを抱えている事を、私は感じ取ってしまったのだ。

 

「あっ……」

 震えながら、重たく感じる唇を開く。

 彼女に、孤独を背負った彼女に、何かを言わなければ。

 気持ちを、伝えなくては。

 

「私は──」

 

 

 第26話 誰かを置いていく

 終わり


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