第57話 永遠を与えられた透明な少女
底がすり減り切った靴で落ちたガラスを踏みながら、その場所に造花を供えた。
色付きの紙で作ったつたない出来のそれは、夜の風に吹かれて花弁を揺らしている。
月明かりを背に受けながら、私は腰を屈める。自分で切った、中途半端な長さの紫がかった桃色の髪が、体の動きを追ってさらりと動いた。
「みなさん……」
花を供えたコンクリートの壁には、ナイフで刻まれた荒々しい線が幾つも走っていて。
自らが記したそれを、指先で1つずつなぞる。
「オルガマリー・アニムスフィア、ジングル・アベル・ムニエル……」
かつてこの場所に、『カルデア』という施設があった。
人類の未来を保証するために、世界が滅んでしまわないようにと設立された組織と、天文台。
壁に遺された名前は、行方も分からなくなった人や、ここにいて命を失った人達のもの。
そして……私を助けようとして、殺されてしまった人たちのもの。
……これ以外、もう、何もない。
700年近く前に壊された建物の残骸が、オゾン層で緩和されていない強い紫外線に当たって、少しずつ痛んでいっているだけだ。
「……レオナルド・ダヴィンチ」
何十名と刻まれていた名前は、ある英霊の名で終わっていた。
『──キリエライト』
まだ機能しているスピーカーから、聡明な女性の声がした。
『トワ・キリエライト。もう夜の10時です、就寝した方がいいのでは』
自らの名前を呼ばれた私は立ち上がり、彼女へ声を返す。
「お気遣いありがとうございます、『ムネーモシュネー』。ですが、この体は休息が不要です」
声をかけてくれたのは、カルデア唯一の生き残りであるシステム。
この施設が本来の仕事を行っていれば、使われていたであろう『彼女』。
『トワ・キリエライト。いかに貴女が不老不死だとはいえ、心まで磨耗しないというわけではありません。
精神のためにも、休息を』
彼女にそう諭され、私は後ろ髪をひかれる思いで墓碑を後にする。
「ムネーモシュネー、ソーラーパネルはあとどのくらい生き残っていますか?」
全ての窓ガラスが割れた無機質な廊下を歩く。
遠い昔の血痕も、吹き込む風に飛ばされて綺麗になってしまった。
『30%ほどです。修理ロボットで修復していますが、材料が無く』
「集めてきましょうか」
『いけません、キリエライト。貴女を狙う存在はまだこの世界にいるのですから』
窓から見える景色は、色のない砂の吹きすさぶ荒野ばかりだ。命の存在など感じられない。
「……では、ソーラーパネルが全損したら、お別れなのですね、ムネーモシュネー」
『はい、お別れです』
スライド式の扉を手で開き、白い部屋に入る。
寝台に横たわる前に、机の上の職員証を取った。手を伸ばし、開きっぱなしのドアから差し込む月明かりで照らす。
「……ロマニ・アーキマン」
かつて私の担当医であった、男性の名前。
オレンジ色にも見える明るい髪色の彼は、困ったような笑顔で写っていた。
「もう一度、会えるのでしょうか」
私をあの惨劇から救ったあと、彼は行ってしまったのだ。
写真の中の笑顔を見つめながら、声を思い出す。
『大丈夫だよ、トワ。ボクは帰ってくる、キミをひとりぼっちにしないために、いつか必ず帰ってくるから』
何もかも燃え尽きていくような景色を背景にして、手を握られながら最後にかけられたあの言葉から……700年近く経った。
数千の星が流れ落ちるのを見て、数億日も太陽が昇る様を目に焼き付けて。
「これもいつか、思い出せなくなってしまうのでしょうか」
彼の顔と名前を忘れないように、毎日この職員証を見つめているけど。
次第に、頭の中の思い出はぼやけていく。
『トワ・キリエライト、就寝を』
「……はい、ムネーモシュネー」
職員証を机にそっと置いて、寝台に横たわり、目を閉じて、形式的に眠りにつく。
──永遠を与えられた私は、何度も同じ夢を見た。
カルデアで生まれて、白い部屋で私の担当医と話す。そんな夢を。
誰かと共にいくつもの世界を巡り、自分だけの色を見つける、そんな夢を。
第57話 永遠を与えられた透明な少女
終わり
登場キャラクター紹介
トワ・キリエライト
身長/体重:158cm・46kg
出身:カルデア 年齢:肉体年齢15歳
属性:秩序/善 性別:女性
ある目的のためにカルデアで造られたデザインベイビー。不老不死。
ただ永遠を与えられた透明な少女。
ムネーモシュネー
カルデアで唯一生き残っている、疑似人格を有したシステム。
ソーラーパネルなどのわずかな電力を用いて稼働している。
単語説明
カルデア
人理継続保障機関フィニス・カルデア。世界の果て、南極に建てられた施設。
偶然にも大聖杯を手に入れてしまった組織であり、700年前の世界大戦の原因。
度重なる攻撃により地上施設は半壊してしまっている。