少女フィリア・ピオーネは、胸に晴れない気持ちを抱えたまま、上級都市で華やかに暮らしていた。
ある日、うたた寝した彼女は夢を見る。
明るい庭園で……消して朽ちず、死なず、滅びない『永遠』を探していた、幼い子どもの夢を。
子どもは青年と出会い、悲しみに寄り添い合い、共に生きていくことを誓うが……叔母であるエトに起こされ、夢は終わってしまう。
心静まらぬ彼女は、サーヴァントオークション会場出口にてエトと別れ、他の娯楽施設を横目に歩いていく。
彼女が行き当たったのは、
その最奥のスクリーンでは、『マハーバーラタ』なる物語が上映していたね。
心惹かれるものを感じた彼女は中に入り、幕が上がるのを待っていたが、いつまで経ってもスクリーンは光らず、闇のまま。
ただ待ち続けていた彼女に声をかけたのは、顔の見えぬ謎の青年。
青年は自らを「亡霊、残留思念」だと名乗ると彼女へ手を差し伸べる。
そして、「ここから出て、終わってしまった物語の外へ旅立ちましょう」と言うのであった。
移動した場所は、劇場エリア内の休憩室兼、遺失物置き場。
背もたれのない革張りの数個の椅子と、雰囲気作りのため、レトロな造形の自動販売機が並べられた空間。
隅には、木製風の背の高い置き時計もあり。
わたくしと……幽霊と名乗った青年以外、誰も居らず。なんだか廃駅のように忘れ去られ、寂れていました。
「何か無くしてしまったのですか? ■■■」
訪ねる青年の声。
わたくしが、エメラルド付きブローチを指先でいじりながら眺めていたのは、台の上にある忘れ物達。
青年も横に立ち、散らばったそれらを眺めています。
「……そう言うわけではないのですが……どうしても何か、忘れているような焦燥感があるのです」
色も形も千差万別、7つの忘れ物。
白い車のおもちゃ。
金属素材の小さな蟹。
黒い紙飛行機。
赤い2本角がついた、愛らしい造形の男の子のぬいぐるみ。
ガラス細工の真っ赤な薔薇2輪。
数種類の花の種が入った袋。
目玉焼きの食品サンプルがあしらわれた髪留め。
そのどれにも共通点など見つけられないというのに、心がざわついて、目を離す事ができないのです。
「あなたのこと、なんと呼べばいいのでしょうか」
忘れ物を見つめたまま、隣に立つ彼に訪ねます。
「亡霊や、幽霊……などとお呼びください。現にそうですから」
「……では、幽霊さん……と」
わたくしは目線を移し、彼を見上げますが……顔にはやっぱり
「幽霊さんには無いのですか? その……忘れ物や、焦燥感は」
彼は顔の輪郭に、白い手袋に包まれた片手を当てると、首を傾けます。
そして。
「──遠い昔、心を、置き去りにしてしまった。
あの時の私は、それが素晴らしい考えのように感じられて……」
と、穏やかな声で話し、そのまま言葉を続けます。
「少し長い話になりそうです。座りましょうか」
銀色の脚をもつ四角い椅子へと促され、わたくしも彼も腰を下ろしました。
「……私の心の奥底には、私が切り離していた感情の
じじじと鳴いたのは、2台並んで置かれた自動販売機の電灯の音。
「その感情は……余裕がなくて、恥ずかしくて、みっともなくて……けれど、紛れもなく『人』のものでした。
しかしその心の動きを、私は英雄には相応しくないと思っていた。
嫉妬、嫌悪、疑念、怒り、嘆き、諦め……悲しみ。
胸の内によぎる度、切って捨てて……『これは自分の感情ではない』と、心に刃を突き立てていたのです」
わたくしは彼へ自らの言葉を伝えます。
「幽霊さんは、自分の心を……ずっと傷つけて、大切にすることが出来なかったということですか……?」
「振り返ってみれば、そうだったかもしれませんね」
隣に座っている彼を見ます。膝より下の足は薄く消えかかっていて、本当に幽霊みたいでした。
……確かに今ここにいて、とても穏やかな声で話しているというのに。
「切り落としていた感情達は、積もり、淀み、固まり……。
私の人生の終わりには、まるで1つの存在のように生きていける、人間性を持つまでになった」
幽霊さんはわたくしへ真っ直ぐに顔を向け、語りかけてくれています。
「けれど、抱えたまま私が死ねば、誰にも知られずに失われていくはずのものでもありました。
気にかけられない、省みられない、想われない、呼ばれない……愛を知らない。
だからでしょうか……死ぬ前、命を天へと返す前に、私はこう考えてしまった」
その言葉を口に出す前に、彼は一拍息を吸いました。
「『……私が死んだら、この感情はどこに行くのだろう?』……と」
人々から忘れられてしまった遺失物置き場には、ひんやりとした空気に包まれています。
まるで──高い山の上にいるかのような温度と気配でした。
「私は……死後、私の心が産まれ落ちますように、と自らへ祈った。
神々に対してではなく、人にでもなく。自分へ祈りを捧げたのです。
私の問い続けた心も、その奥底の幼い
……そういう気持ちへ至った私が、無数に引かれていく世界の線のどこかにいたのです」
彼の静かな声は、まるで降り積もった雪が溶けて流れ出た清水のようでした。
「最も苦難していた頃の私は、何回でも召喚され、その度に悩み、苦しむ。
……己の中の、もう1人の私に支えられながら。
ですが、その痛み苦しみこそが、『生きていく』ことだと……」
そこまで話すと、彼は顔を逸らし、絞り出すような声色に変わりました。
「しかしこの世界では……結果的に彼を1人にしてしまった。
彼の側に、私がいない。おかしなことだ、2つ合わさっていなければ、人である『アルジュナ』たらないのに」
アルジュナ、と、その名を呼びながら、拳をぎゅっと膝の上で握る彼。
「アルジュナの人生は……放浪、試練、苦難、出会い、別れが散りばめられていた。
けれど……それ以上にあったのは……『死』、だった」
彼の声は苦しげでありながらも、自らの業を真っ直ぐ目を逸らさずに見つめている人の、
「血の繋がった者同士での、殺し合い。幼い頃に教えを受けていた師との、殺し合い。
顔も性格もよく知っている人の、殺された姿……。
兄弟の子と……自らの子の死。心を打ち明けた友と、その親族の死……。
何万という人々の死。戦いの後、聖地いっぱいに倒れていた人と動物の
──そして、私の手によって殺された者達の、絶命した後の表情」
彼が膝の上で握る拳の強さは、声の力強さと比例するかのように増していきます。
「後悔の多い……人生だった。もっと、何か別の道はないかと探し続けた旅路でもあった。
だが、私に与えられた全ての時の砂は流れ落ち、再び降り積もることない」
彼はもう一度わたくしへ顔を向けます。にじんだ水彩画のような、このわたくしの目では捉えられない顔を。
「……この世界に召喚された私と彼を呼び水に、幽霊のような形で私は貴女の元へやってきた。
語る以外力を持たない今の私ですが、何か意味があるはず」
「意味……ですか?」
わたくしは考え込みます。
幽霊さんに、いや彼に、わたくしがしてあげられること、あるのだろうか。
「何も思い浮かばない……まるで深い霧の中にいるみたい、右も左も分からないのです」
それが自分の正直な気持ちで、発言の無責任さと中身の無さにうつむいてしまいました。
「──でも、胸に焦燥感が、『灯火』があるのでしょう?」
わたくしは下を見たまま、心臓の上に手を当てました。
とくとくと、鼓動を刻む小さなそれ。
「大丈夫。その熱があれば、きっと思い出せる、生きていける。
──もう一度、巡り会える」
姿を目に焼き付けるため、わたくしは顔を上げ、彼に細い声で聞いてみます。
「……会えるかな、誰かに」
「ええ、必ず」
彼は立ち上がりました、けれど……その体は、もうほとんど消えかけていました。
「幽霊さん、さようなら……なのですか」
「別れの時です。突然に来た亡霊ですから、去る時もこのようなものです」
わたくしは慌てて立ち上がり、彼に手を差し出します。
「なぜでしょうか……! あなたと手を繋ぎたいと思ってしまったのです。
とても強い気持ちが心の奥からあふれてきて、だから、私……!」
彼は手を伸ばしてくれましたが、その指先も透明になりかかっていました。
触れ合うことはなく、手と手が重なります。
「──さようなら、見知らぬあなた」
「──さようなら、私ではない私と巡り会ったあなた」
そう言って、彼は手を離しました。
「私は、私の物語の中へ帰らなければ」
言葉だけを残し、ゆっくりとわたくしへ背を向けると、服の長い裾を揺らしながら、『マハーバーラタ』の映画が上映されている14番スクリーンに入っていってしまいました。
……扉は、二度と開くことは無さそうでした。
「……あっ」
休憩室隅の背の高い置き時計が、振り子を動かしては、ぼーんぼーんと音を鳴らします。
時間は午後の3時、おやつの時間です。
「帰らなきゃ。エトおばさま、待っているでしょうから」
わたくしは遺失物置き場を今一度見ます。
白い車のおもちゃ。金属素材の小さな蟹。黒い紙飛行機。赤い2本角がついた、愛らしい造形の男の子のぬいぐるみ。ガラス細工の真っ赤な薔薇2輪。数種類の花の種が入った袋。目玉焼きの食品サンプルがあしらわれた髪留め。
共通点の無い、ただの物体に見えていたはずの忘れ物達は、今見ると不思議と統一感があるように思えました。
(会いたい……この胸の焦燥感をもたらしている正体の、誰かに)
きびすを返して、茶色のローファーでふかふかの絨毯を蹴りながら走りだしました。
ショッピングエリアも、吹き抜けのある明るい道も、小走りで駆け抜けていたので、行き交う人は不思議そうな顔でわたくしを見ていましたが、気になりませんでした。
「エトおばさま……ただいま帰りました……」
息を切らしながら玄関をデバイスの信号で開けて、我が家に帰ります。
「……あれ?」
違和感がありました。
エトおばさま、わたくしが外出から戻ると、手を広げて迎えてくれるというのが常ですのに、姿も、『おかえりなさい』の声すらないのです。
「おばさまー?」
わたくしは考え無しに、リビングへ足を進めました。
目に映ったものは──。
「逃げてぇ! フィリアァァァ!!」
おばさまは居ました。フローリングの上に倒れていて、誰かに足蹴にされた状態で。
所々に赤い線の入っている黒い服と、ぴかっと光を反射する黒いガスマスクをつけた、体格の良い2人組。
「あっ」
黒い筒が、涙で顔がぐしゃぐしゃのおばさまの頭に当てられ、ちゅちゅんと変な声がして、足蹴にされていた体がちょっと跳ねました。
その後に、淡い色のフローリングの上にじわりと赤い液体が広がっていきます。
おばさまの着ている服にもそうです。
「……?」
何が、起こっているのでしょうか。
勝手に家に上がり込んでいる人達は、声の低さからどうやら男性のようで、わたくしの前で話し出します。
「お前なー……サイレンサーかませてるけど、そうバンバン撃つなよ。
音が響くし、何より弾は高い。くそったれな世界の貴重品なんだぞー」
「でもこのおばさん、ずっとうるさいくせに対した情報も言わないし、イラっと来ちゃって」
「あーもう……次から気をつけろよ、気持ち切り替えろよー」
2人の会話は終わり、わたくしへ、持ち手のある黒い筒の先が向けられました。
(あれは……)
筒の正体がはっきり分かりました。映画で見たことあるそれは、『銃』。
「上流階級の、悪い悪いお嬢ちゃん、動くなよー」
「口封じしないとな、弾節約にナイフで殺そうか」
……おばさまは、ぴくりとも動きません。
「あ、はっ、はっ」
呼吸が乱れます、心臓がどくんどくんと脈を速くします。
「やっ、あぁっ、嫌……嘘……」
おばさまは動きません、瞳孔がぽっかりと暗く開いているのが見えます。
……完全に、死んでいる。
「嘘……嘘です……嘘……」
──いや、嘘ではない。
わたしは、これとよく似た光景を見たことがあるはずだ。
(知ってる……覚えている……わたしは……)
数ヶ月前、住み慣れていた地下都市で、この光景を!
『痛い……痛いよぉ……』
『何が爆発したんだ! あ……俺の腕……どこいった……?』
『お母様ー! 足が、私の足、無い、無いよぉ!!』
ごく普通に暮らしていた人達が、突然に傷つけられ、そして。
『上流階級を! 見つけ次第殺せ!』
『生存権を独占している、悪人どもめ!』
『殺せ! 殺せ! 殺せ!』
ただ上流階級であるというだけで命奪われる、その様を。
「わ、わたくし……」
がくがくと足が震えて、今にも腰が抜けてしまいそうです。
「動くなよ。大丈夫、さっと殺してあげるからな」
2人組の片方が、死体となったおばさまを跨いで近づいて来ます。
(ああ……でも、これが正しいことなのかもしれない)
晴れかけていた頭に、再び深い白の靄がかかってきます。
(だってわたくしは……生きているだけで悪い、上流階級なのですから)
目線を下に向け、全てから目を逸らします。
思考を止めて、諦めて──。
『逃げよう、アスカ!』
脳内に響き渡ったのは、『彼』の声。
『死なないでくれ! 生きることを諦めないでくれ!
……だって! 俺をどこかへ連れて行ってくれると! あの庭で約束してくれたじゃないか!』
懸命さが込められた声も、ヘッドギア越しに見えた顔も、白い外套と機械を身につけた姿形も、全て思い出した。
あの惨劇を見て、死んでしまおうと心から望んでしまったわたくしの、手をとってくれた人。
わたしに、『永遠』をくれた、『彼』。
「……いや! わたし……死にたくない!」
わたくしは男性を突き飛ばし、足を動かし出します。
「まだ、死ねないの!」
思い出した、思い出したのだ!
(わたしの名はアスカ! そして……)
転びそうになったけれど、フローリングに両手をついて姿勢を立て直します。
(わたしには……アーチャーと、大切な仲間達がいる!)
玄関の扉に右手をかけ、逃げます。
「……いや死ねよ!」
後ろから男性の声と、再びの変な音。
わたくしの右手首に弾が当たって、玄関扉に血が、大輪の花を思わせる放射状にびしゃりとかかりました。
「死ねない、死にたくない!」
わたくしは足を止めずに左手で開けて、廊下へ飛び出します。
「アーチャー、モモ、バーサーカー……!」
銃弾を受けた右手首を左の手で抑えながら、わたくしは駆け出しました。
もう一度、思い出した大切な人達と巡り会うために……!
第65話 「時の砂は流れ落ち、再び降り積もることない」
終わり
登場キャラクター紹介
??????→英雄の心残り
クラス:なし(サーヴァントではないため)
真名:アルジュナ
マスター:なし(サーヴァントではないため)
無数のアルジュナが召喚されたこの終末世界に現れた、亡霊のようなもの。
存在しないはずのスクリーンの中、終わってしまったの物語の中で『彼女』を待っていた。
彼は幽霊よりも儚い存在であるため、映画館から映画館へ跳ぶくらいしか出来ない。
元々は、全て朽ちた地の底のシアターで、登場の機会をはかっていたのだ。
待ちわびていた『彼女』に想いを伝えると、演者は微笑み、終わってしまった物語の中へ帰って行った。
二度と扉は開かず、出演の終わった彼と出会う者もいないだろう。