フェイト/デザートランナー   作:いざかひと

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 ──エト・ピオーネは死んだ。
 これは二度とは始まらぬ物語、過去だけを見つめる閉じた章。
 すぐに忘れられてしまいそうな彼女の、生まれてから死ぬまでの話を、ここで見てみよう。


断章 その3 されどここで『ヒト』の話を
第68話 エト


「エトエトエトエト……」

 ちょっとだけ波打っている黒髪を揺らしながら、上品な仕立てのチュニックを着た7歳ほどの女の子が、タブレットを指先で軽やかに叩く。

 

「あっ、あった!」

 データベースを検索し、満面の笑みを浮かべてから、その結果を私に見せてくれた。

 

「『エトピリカ』! これがあなたの名前の由来ね! アイヌ語っていう言語の、鳥の名前で……ここをタッチして、全面に画像を表示……わぁ! 綺麗な鳥だよ! 

 ほーら、エト! 見てってば!」

 まだ幼かった彼女から、タブレットを手渡されたけど、画面の中の艶のある鳥より、私はずっと。

 

「そうだね、とっても……綺麗だよ」

 フィリア・ピオーネの姿に、夢中だった。

 

 

 

 

 私とフィリアは保育器が隣り合った幼なじみ。

 彼女は上流、私は中流と、階級こそ違ったけれど、仲良く遊んでいた。

 その後10年経ち、学園に入った後も、私は彼女と一緒に過ごしたものだ。

 

 

 フィリア・ピオーネ。

 名前である『フィリア』は、古代ギリシャ語で『友愛』という意味だそうで。

 数百年前に製薬や医学で財を成した『ピオーネ家』の出身。血筋も申し分なく、容姿端麗で、天才に作られた彫像のように完璧な女の子。

 素直で公平な性格。相手がどんな身分であろうとも分け隔て無く接し、物腰は丁寧。

 学習意欲は旺盛で、飲み込みも早く、記憶力だって抜群。成績は常にトップ。

 上流階級が多く構成されている学園においても、彼女はひときわ輝いていて、特別な存在だった。

 ──だからいつも、私は不安だった。

 

(私みたいなただの中流階級が、彼女の側にいて……いいのだろうか?)

 ……特別な彼女、フィリアに釣り合おうと必死だった。

 毎日10時間以上は必ず勉強して、生存権を支払って人生を更に削り、貴重な資料を閲覧。

 テストで少しでも高得点を出して、その成果として生存権を貰って。それをまた勉強に注ぎ込んで。

 余剰があれば、メイク用品やアクセサリーを揃え、自分の身なりを整える。

 浅い二重をメイクや道具で深くして、茶色の地味な髪は、お団子にしてボリュームをだして……そんな、平凡な生まれに足掻くような努力。

 私のような人間が、彼女のような美しい才女の近くにいるのは……息が詰まって苦しくて、でも。

 

(なんていい気分なの……! 私を疎んでいる奴らの目線……!)

 彼女の側にいるだけで、爽快な気持ちになれるのだ! 

 

「エトってさ、中流階級でも下の方の生まれなのに、なんでこの学園に居るの?」

「フィリアのご機嫌伺って、尻尾振ってさ……古い言葉で『金魚の糞』って言うんだっけ? ああいうの」

 陰口はしょっちゅう。私物を隠される、タブレットや机などを傷つけられる、それ以外にも様々な嫌がらせをされた、けれど! 

 

(お前達がどれだけみじめったらしく媚びても、フィリアが最後に頼るのは私なのよ! 

 彼女が一番信用しているのは! 必要としているのは……私……!)

 その確固たる事実が、心の柱となっていた。

 

「エト、いつもありがとう。私、貴女にとっても感謝しているわ」

 彼女が白い肌の上に美しい笑みを作り、そう語りかけて来てくれるだけで、心の中が、真っ黒で甘いどろどろで満たされる。

 しかし私はそのどろどろを表に出さず、同じように微笑み、言葉を返すのだ。

 

「そんなこと言わないで、フィリア。

 私は……そんな言葉が欲しくてやっているわけでは無いのだから」

 苦しくても幸せだった。

 ……あの女が、現れるまでは。

 

 

 学園卒業後、18歳のころ。

 それなりに優秀な成績を修めていた私は、上流階級である『ピオーネ』の男性と結婚することが出来た。フィリアとは親戚関係となった。

 これから先の人生も、美しくて価値のある彼女の側に居られるかと思うと、優越感でくらくらしたものだ。

 一方そのころフィリアも、私と同じように結婚していた。

 相手は上流階級の男性。生存権をギャンブルに使えるほどに富み、余裕のある夫。

 彼女の人生は筋書き通りに進んでいて、相変わらず完璧のままだった。

 そのはず、だったのに。

 

 

 

 

「フィリアー、遊びに来ちゃった!」

 ある日のこと。

 彼女の家に上がることを許されている私は、造花のバラを購入し、結婚祝いのために携えて訪れた。

 けれど、そこにいたのはフィリアではなく。

 

「ごめーん! フィリア、今居ないんだ」

 砂だらけのジャケットに、ズボンからよく分からない金属の工具をぶら下げた、白髪交じりの40代後半くらいの……しわが多い、日に焼けた肌をした、謎の女性。

 

「初めましてだよな? あたし、カイヤ・トバルカイン」

 ぶっきらぼうで、がさつな言葉使いの女性は、次に……決して許すことはできない発言を口にした。

 

「自称考古学者で……えーっと、そんで、『フィリアの友達』!」

 黒色の瞳を細め、白い歯を見せながら、にかっと笑う彼女の表情は、普通の人であれば懐っこさを感じるものなのだろうが。

 私は……憎しみしか思うことは出来なかった。

 

 

 フィリアはカイヤと連れ立って、外出することが多くなった。

 観劇やショッピングなどの、地下都市内の移動ではない。

 ……『外』。危険しか存在していない都市外部へと出ていたのだ。

 

「エト、心配しないで。カイヤさん、とっても頼もしいし、それに……」

 彼女は私に恥じらいながら内緒話をするようになった。

 だが、何よりも許せなかったことは

 

「知らないことを学べるのって、とっても楽しいのよ!」

 笑み、笑みだ。

 フィリアの心からの笑顔を、その価値も知らないぽっと出の女が独占するようになってしまった。

 

 

 フィリアの卒業、結婚から数年経過。25歳ころ。

 彼女の子どもが産まれた。

 夫の精子と彼女の卵子を外部で受精させ、人工子宮で育てるという、地下都市でのごく一般的な作り方。

 上流階級ともなると遺伝子の調整もするそうだが、興味がないので私はよく知らないままだ。

 

「あれがフィリアの……」

 保育器の中で動いていた、しわくちゃの赤子の名前は『アスカ・ピオーネ』。

 彼女と同じ髪色、瞳の色の女の子。

 しかし、そんなことはどうでも良かった。私はフィリアを正気に戻すため、行動を開始していた。

 彼女の夫への呼びかけ、彼女自身への説得。

 

「外は危険がいっぱいなのよ! 

 おかしくなった機械や、兵器、サーヴァントがわんさか居る! 

 ……AIが守ってくれる地下都市じゃないと、人間は安全に生活できないのよ。

 どうして、危ないことばかりするの……? しているの……?」

 この世界では当たり前のことを、改めてフィリアへ懸命に伝えるが、彼女はこう返すばかり。

 

「エト、何を言っても私は変わらないわ。

 もう子どもの頃とは違うの。貴女があれこれ気を使ってくれなくても、大丈夫」

 黒々とした瞳の視線をふらつかせることなく、口振りに迷いはなく。

 

「……乱暴な言い方をしてごめんなさい。

 でも私は、カイヤと一緒に世界の秘密について解き明かしたいの。

 エト、心配を、いえ……邪魔をしないで」

 ──だからこそ絶望した。

 私のような凡人は……彼女の人生に影響を及ぼせない、爪痕を残せないのだと。

 心が壊れそうになる前に、こう思い込むことにした。

 

(ああ……この人はもう、みんなの愛していたフィリアじゃない)

 カイヤ・トバルカインと出会い、彼女は堕落してしまったのだ。

 彼女はこんな人間ではなかった。カイヤのせいだ、全部カイヤのせいだと。

 

 

 私は全てがどうでもよくなり、多くの上流階級と同じように、日々を堕落と娯楽で満たした。

 上流階級がなぜ、このような破滅的な遊びに耽溺(たんでき)しているのか、私、分かってしまった。

 莫大な生存権を持ち、自由にアーカイブを読める彼ら彼女らは、世界について知りすぎたのだ。

 ……私が、フィリアについて知りすぎてしまったように。

 

 生存権を賭けてルーレットを回し、薄い酒を飲み、再現された豪華な食事を、酔ってふざけては床に皿ごとぶちまける。

 ……怠惰な生活を続けていた。

 フィリアの夫が違法薬物の過剰摂取で死んだ。アスカが産まれてから7年過ぎた。

 フィリアが死んだと、連絡が来た。

 

 

「……フィリア、は?」

 窓の無い、オレンジのランプだけが灯りの、四角い狭い面会室。

 遺体など無かったから、私は目の前に立つ女と『男』が、嘘をついていると初めは思った。

 

「あたしを庇って死んだ。遺体は無い、回収できる状態じゃなかった」

 しわが増えた色濃い肌の女、カイヤ・トバルカインは短く情報を口に出した。

 そうしてから、後ろにぼおっと立っている男を指差す。

 

「こいつはフィリアのサーヴァントだ。だから娘のアスカに相続させる」

 ごちゃごちゃと機械の部品をつけた長身の男は、サーヴァントだという。

 ある資料で読んだ覚えがある。

 数百年前の戦争で使われた、人と同じ形をしていて、人に使役され、どんな兵器よりも世界を壊した殺戮兵器。

 それが、サーヴァントなのだと。

 

「あと、アスカはこの上級都市から別の都市へ移動させる、安全のために。

 AIと裏取引して、手続きはもう終わらせてある。

 ……アーチャー961、アスカを頼んだぞ。いつまでも彫像みたいに黙っていられては困る」

 カイヤはそう言いながら、サーヴァントへ声をかける。

 

「……分かっ、た」

 覇気のない声で答える男。

 カイヤが廊下へ出てから直ぐに、私はそのサーヴァントの肩を掴んで揺さぶった。

 

「──何があったのか、答えろ!」

 男は芯のない立ち姿で、ぐらぐら揺れながら、言葉を吐き出す。

 

「フィリア・ピオーネは……カイヤと俺を庇って、死んだ。爆死した」

「……爆死?」

 考えてもいなかった死因に、返す声が途中から裏返った。

 男はふわふわとした語り口で続ける。

 

「目の前で、死んだ。

 粉々になった、血と肉の混合物になった、床の染みになった、汚れになった。

 ……数分前まで、俺と話をしていたのに」

 私は、機械部品で顔を隠している卑劣なサーヴァントに向かって叫ぶ。

 

「じゃあ……お前が、お前が殺したようなものじゃないか!」

 声は怒りで震えていた。

 

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! 

 あんな特別な女の子が……そんな汚い死に方をしていいはずがない!」

 フィリアは別格の存在で、上流階級で、成績優秀で、美しくて。

 そんな存在が、ぐちゃぐちゃになって死んでいいはずがない。

 ……彼女ですらそんな死に方をするというのなら、ただの中流階級であった私の立場はどうなるのだ? 釣り合おうとしていた幼い頃からの努力は? 

 

(全部、意味がなかったの?)

 怒りと嘆きで混乱する。

 そんな私の気持ちを無視するかのように、ゆらゆらと所在なさげになっていた男の背筋に、急に芯が入った。

 

「──そうだ、俺が、フィリアを殺した」

 私の思考はその言葉を聞いて、何も考えられず絶句した。

 

「殺した……俺が殺した。はははは!!!! フィリアを殺したのは俺だ!」

 サーヴァントは膝から崩れ落ちると、背をそらしながら爆笑し始める。

 

「殺したんだ! 舞い上がっていい気になって! 思い上がって! 油断して! 

 ……はは、あははははははは!!!! 殺した……俺が! 俺がぁ!」

 天を仰ぎ、肩を震わせながら笑い続ける。

 

(……く、狂ってる)

 サーヴァントの姿に恐怖しながら。学びやで得た知識を思い出す。

 地下都市の外、地上は危険だらけで……狂った機械やサーヴァントが大勢居るのだと。

 私は男から逃げるように面会室を出て、廊下を走った。

 向かう場所は、フィリアの家。ひとりぼっちでアスカが暮らしている家だ。

 

 

「おばあちゃん、だあれ?」

「あたし、カイヤ・トバルカインさ」

 部屋に入るなり、あの女が小さな女の子に対して腰を落とし、目線を合わせて話しかけているのが見えた。

 

「ふーん……ねぇトバルカイン、お母さまはどこ? 

 ちっともかえってこないから、いつもさびしいの、ごはんのときも1人なの」

 アスカは幼い頃のフィリアに生き写しで……私は彼女を視界に捉えた瞬間、強い使命感を抱いた。

 

(あの子をフィリアの二の舞にはさせない、あの子は、選ばれしフィリアのように育ててみせる)

 私はカイヤ・トバルカインに近づいて肩を掴み、アスカの側から引き剥がす。

 

「うわ!」

 女が床に尻餅をつく。

 

「きゃあ! ……あなた、だれ?」

 アスカが体をびくんと跳ねさせ、私に声をかけてきたがそんなことどうでもいい。

 

「私の名前はエト・ピオーネ、貴女のお母様の親友よ」

 幼い彼女へすがりつくように目線を合わせながら、提案を、いや、懇願した。

 

「貴女を引き取りに来たの。こんな危ない女なんか通報して捕まえてもらって、私と一緒に暮らしましょう?」

 旧世界の人々が神に祈るとき、きっと今の私のような姿だったのだろう。

 みっともないほど絡みついて、息を荒くし、ただただ欲望をぶつける……。

 

「……いや。だって、カイヤの方がやさしそうで、面白そうなんだもん」

 アスカは、母親譲りの黒い瞳で私を見下ろしながら、絶望的な一言を放った。

 

「見て、エト」

 少女の真っ白で柔らかな手のひらに、紫の石がはめ込まれた髪飾りが乗っている。

 

「お母さまがカイヤにあずけたそうよ。これはね、わたしのお家の宝もの……。

 これを、カイヤにわたしたってことは、お母さまがカイヤのことをしんらい? していたって、ことだと思うの」

 彼女は難しい言葉をたどたどしく操りながら、すがりつく私を子どもの力で引き剥がした。

 私は抵抗も出来たけど、手足に力が入らなくて、情けなくフローリングの床に転がる。

 その姿はきっと、瀕死の虫のように惨めだったことだろう。

 

「ねぇカイヤ! お母さまはどこ? それに世界についてのお話もして!」

 きらきらした声を出す彼女に、私に倒されていたカイヤが重い腰を上げ、近づいていく。

 

「……実はな、お前の母さんは──」

 そして、カイヤはアスカと目を合わせながら、聞き取りやすいようにゆっくりと話し始めた。

 母親が死んだこと、その理由は明かせないこと、アスカの身にも危険があるかもしれないから、この『上級都市ピオーネ』から引っ越しをすること。

 

「……そう、ですか」

 初めは瞳を輝かせていた少女も、話が進むうちにその光も消え、真っ黒な瞳で瞬きするだけの、人形が如くになった。

 

「お母さま、わたしをおいて、いってしまったのね」

「お葬式……お別れ会を内々で開こうと思う、アスカは出るかい?」

「でます。それが子どものやくめだと……お父さまのおわかれ会のとき、学びましたので」

 彼女はふらふらと自室へ向かうと、扉を閉ざす。

 しばらくすると、リビングに聞こえるほどの大きな声で泣き始めた。

 

「……まぁ、親亡くした子どもなんて、こうなって当たり前だわな」

 カイヤはフローリングにそのまま腰を下ろした。

 

「エトさん……だったよな」

 彼女が顔を上げて、その黒曜色の瞳で私を見る。

 

「勝手に家へ上がり込んだあたしも悪かったが……さっきのあんたの態度は、子どもに見せるものじゃないぞ、アスカもショックを受けていた」

 ──胸で何とかせき止めていた思いが、その言葉をきっかけに溢れ出した。

 

「……お前のせいだ、お前のせいだ、カイヤ・トバルカイン! 

 フィリアをたぶらかして危険な外に誘い! あまつさえ殺した!」

 私は立ち上がり、反省も後悔の色も見せない彼女を弾劾する。

 

「お前がフィリアに関わらなければ! 彼女は死ななかったじゃないか! 

 アスカだって親を失うこともなかった! お前が幸福を奪ったんじゃないか! 

 そんな……全ての元凶であるお前が、物の道理を説くのか?! 人に説教をするのか?!」

 カイヤは言い返さない。

 私は近づき、彼女へ指を突きつけながら、叫び続ける。  

 

「二度とアスカの前に姿と表すな! もちろん私の前にもだ! 

 お前は不幸と災害、死を撒き散らす破滅の化身だ! 

 犯した罪は永遠に許されることはないし、ずっと攻め続けられる! 

 そしていつか必ず、手ひどい罰を受ける! 

 何の幸福も掴めずに野垂れ死ね! 外の世界の狂った化け物に喰い殺されろ! 

 この……おぞましい、人間もどきが!」

 私は肩で荒く息を吐きながら、カイヤを見下ろす。

 彼女は目を細めた後、ため息をつくと、私を押し退けるように立ち上がった。

 

「……アスカの引っ越しを手伝った後、あたしは彼女の前から消えるよ。

 エト、あんたの望み通りにね」

「……彼女の身元引受人には、私がなる、お前の思い通りにさせない、引き剥がしてやる」

「どこで生きていきたいか、それはアスカが決めることだ」

 カイヤは自らの懐から折りたたみ式タブレットを取り出すと、操作し、私に画面を見せた。

 

「都市運営の上層部であるAIと取引して手に入れた、『都市間移動特別許可証』だ。

 こればかりは偽造するわけにもいかなくてね。

 アスカのこれから先の、人生の安全のためにも、さ」

 カイヤは足音を立てながら、玄関へ向かう。

 

「あたしはフィリアのお別れ会には出ない。その方がいいだろう? 

 サーヴァントの所有権利はアスカにもう移っているから、預けておくが……あんたの判断で、都市に差し出し、生存権と交換してもらってもかまわない」

 彼女はそれだけ言い残すと、扉を開けて、出て行った。

 カイヤ・トバルカインに会ったのは、それが最後になった。

 

 

(アスカを奪い返すアスカを奪い返すアスカを奪い返すアスカを奪い返すアスカを奪い返すアスカを奪い返すアスカを奪い返すアスカを……)

 フィリアのお別れ会最中にも、私の頭の中はそれだけでいっぱいだった。

 

(無理矢理にでもいい、あの子自身の口で「ひっこしはしない」と言わせて、カイヤの意見を突っぱねて……サーヴァントはその後処分すればいい)

 AIによって用意された喪服を着て、形式ばった別れの挨拶を繰り返す上流階級とは何人もすれ違うが、あの子の姿は見えない。

 

(どこだ、どこにいる。妙な奴に影響を受ける前に、私が確保して、それで……)

 胸に、再び強い使命感。

 

(あの子を、こんどこそ()()()()にしてあげないと……!)

 もはやそれだけが、生きている意味のようにも思えた。

 夫や周りへの説得は出来る、私はあの子の親族だ、身内だ。

 あの子を手に入れるのは私だ、アスカをフィリアに出来るのは私だけだ。

 彼女を上流階級として育て、惨たらしい死も残酷な外も知ることはない、完璧な女の子に戻してあげなくては。

 

「ああ! 見つけた!」

 彼女が居たのは、軽食が並べられていた立食室。

 声をかけようとした瞬間、そこにもう1体、招かれざる存在がいることに気がついた。

 

「アーチャー! わたし、おいしそうなものとってきてあげるね!」

「……マスターアスカ、貴女の背丈では難しいかと」

「そんなことないわ、おちゃのこ? さいさいさいよ!」

「さいが、1つ多いです」

「おおい方がいいじゃない!」

 先ほどまで泣いていたのか、目元を少しだけ腫らしたアスカと、フィリアの死の原因となったサーヴァントが、穏やかな雰囲気の中、食事を摂っている。

 

「アーチャー……。なくと、頭がずきずきするの……どうして?」

「水分の不足が原因です。飲み物を取ってきましょうか」

 信頼の響きたっぷりに『アーチャー』と呼ばれた男は、サーバーから飲み物を持ってきて、あの子に渡す。

 受け取った彼女は、警戒の色もなくそれを飲む。

 

「どうしてアーチャーが知っているのか、あててあげましょうか。

 ……アーチャーもいっぱい、ないたことがあるのね!」

「それは……答え辛い、です」

 会話、会話が続き。

 

「サンドイッチたべよ! わたしといっしょに!」

 あの子の顔から、涙ではなく笑顔がこぼれる。

 ……その光景は、私の心を折り、敗北を知らしめるのに、充分すぎるほどで。

 

(あっ、私、負けた。あの子、私より親の仇と一緒にいる方が、笑顔になれるんだ)

 あんなに見つけようとしたのに、守ろうとしたのに、全て空回りで。

 ぜーんぶ、無駄で。

 だから、あの子の事は、またどうでも良くなった。

 

 

 フィリアのお別れ会から数日後。

 アスカはカイヤの手助けを受けながら引っ越しを行い、6歳までを過ごした『上級都市ピオーネ』を去った。

 

 

 ……10年、あっという間に過ぎた。

 空き家になったフィリアの家は、私が買い取り、住むことにした。

 私の夫はギャンブルにのめり込んで、生存権を使い果たし、3年前に破産。

 都市運営システムが操るロボットに連れて行かれ、それっきり。

 まぁ、死んだのだろう。生存権が無い人間を、AIは生かしてなんてくれないから。

 私は10年でほとんど変わらず。色のない、人生、意味のない人生。

 破産して死んでやろうかと計算していたある日、通信が来た。

 

『エト・ピオーネ様、ご親族であるフィリア・ピオーネを保護しました。

 至急、地下5階、外部受け入れエントランスに移動を願います』

 そんな音声メッセージ。私は身なり……茶色の髪をお団子にまとめて、袖のある黄土色のドレス姿……も整えず、急ぎ足で向かった。

 

 

 ガラス繊維で作られた植物が、透明な壁の向こう側で茂る、明るいエントランス。

 そこに立っていた、10年ぶりに再会したあの子は。

 

「……アスカ、大きくなったわねぇ」

 学生時代のフィリアが、そのままいるかのようだった。

 変わらない黒髪、瞳、あの頃を思わせる背丈、制服。

 ……人間というのは、救いようが無い生き物だと、我ながら思う。

 手には入りそうで、手に入らなかったものが、もう一度目の前に現れると……。

 

(私、やっぱり『フィリア』が欲しい)

 そう、思ってしまうのだ。

 

 震える手で、通報して、要らない女、何とかトバルカインと、意地の悪そうな空気を纏ったサーヴァントを連行させて。

 次に、受け取った薬剤をアスカへ投与。

 AIが生体内蔵デバイス経由で彼女を操れる状態にして、サーヴァントを処分してもらい。

 アスカは、記憶消去の処理を受けさせた。戸籍も変更させた。

 

 

 

 

 かつてフィリアが眠っていたベッドに、今、まっさらな状態の新しい『フィリア』が眠っている。

 その美しい寝顔を見つめながら、誓う。

 

「私、二度と貴女を手離さない。二度と、貴女を堕落させない」

 彼女は寝台の上でうめいている。記憶消去の直後は悪夢を見やすいと聞いた、その影響なのだろうか。

 可哀想だったので、体をそっと揺さぶって、起こしてあげた。

 

「う……ぁ……誰……?」

 フィリアと同じ色の瞳で瞬きをする、『フィリア』。

 どこか心細そうな表情をする彼女を安心させるため、私は力強く設定(真実)を口に出す。

 

「私の名前はエト・ピオーネ。

 エトは、古い言葉で鳥の名前なの。『エトピリカ』という鳥」

 私は彼女の髪を手で梳く。

 

「貴女の名前はフィリア・ピオーネ。

 フィリアは、古い言葉で『友愛』の意味。親友同士の深い愛情のこと」

 新しいフィリアの姿を目に焼き付けるため、何回も瞬きをする。

 

「貴女は私の親友の子ども。

 両親を亡くした幼い貴女を、私が引き取ったの。

 それからずっと、私と貴女は2人で暮らしているのよ」

「ふた……り?」

「ええ、そう」

 彼女は虚ろな黒の瞳のまま、私をぼんやりと目に映す。

 

「それはね……つまり……貴女は、私のものなのよ。私は貴女のものなのよ」

「え……?」

 目を覚ましたばかりで困惑しているフィリアに、私は、何十年も前から告げたかった言葉を伝える。

 

「──家族、なんですから」

 言い終わった瞬間、私の口角は、際限なく吊り上がっていく。

 笑みが、胸から沸き上がる歓喜が止まらない。

 だって、だって私はようやく──。

 

(『フィリア』を、手に入れたのですもの)

 

 

 

 

 でも、そんな幸福の絶頂から。

 

「逃げてぇ! フィリアァァァ!!」

 転がり落ちて、不幸の谷底へ。

 私は外から来た男達に拘束され、足蹴にされて、彼女の目の前で叫んで。

 呆気なく、撃たれて死んだ。

 

 

 

 

 

 第68話 エト

 終わり




 登場キャラクター紹介
 

 エト・ピオーネ

 身長/体重:150cm・? kg
 出身:地下都市 年齢:40代
 属性:秩序/悪  性別:女性
 好きなもの:フィリア
 嫌いなもの:努力を怠る人間、トバルカイン

 何時も疲れているような顔をした、上流階級の女性。
 アスカの従兄弟であったおじさまの妻。なので、アスカと直接の血の繋がりはない。

 アスカの母、フィリア・ピオーネの幼なじみであり、彼女にふさわしい人間になるべくがむしゃらに努力を重ね、その果てにピオーネ家の人間と結婚した。
 だが、フィリアがカイヤと共に地下都市を出て、地上での調査にのめり込むようになってからは、強い嫉妬と疎外感を抱くようになる。

 上級都市に保護されたアスカの身元引受け人となり、その後モモのみを通報、アスカをフィリアにするべく記憶を消去させた。
 しかし、最後は都市に侵入してきたレジスタンスに射殺され、執念むなしく呆気ない最後を迎えた。

 フィリアに出会わなければ、自らの身の程を知り、高望みも背伸びも彼女はしなかっただろう。
 運命の女(ファム・ファタール)に出会ってしまったせいで、致命的に人生が歪んだ、ある種の被害者である。

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