ここで一度、視点をアスカから彼、961へ移してみよう。
……アーチャー0961は、操られたマスター、アスカの令呪の命により、自由を奪われ、コフィンなる容器に詰められると、サーヴァントと人間をすり潰し燃料と変える施設、『リソースセンター』へ送られてしまった。
死が迫る間際、961が垣間見たその風景は、夢見ぬはずのサーヴァントに与えられた『夢』なのか、それとも苦痛と屈辱がもたらした『幻』なのか……。
00001の言葉を借りるとしたら──全て物語は、夢と過去より始まる物さ。いつだってね。
第69話 終わりの庭で『理由』を探す君は
それは、死ぬ間際に見た夢だったのだろう。
華々しき英雄の、静かな白い終わりに、垣間見た夢想。
──もう、一歩も動けない。
冷たい深い白の中に、私は前のめりとなって倒れ込んでいる。
空に太陽は見えず、伏した体には雪が。
初めは体温で溶けていたそれも、時間が経つにつれ、水からみぞれになり、とうとう冷たい形そのままで積もっていった。
(ああ、私は終わるのか)
心の中だけで、そっと思い返す。
……友は死んだ。
2人の弟達も、もういない。上の兄達は聖なる山の上へと登っていった。
霜が降りたまつげで、瞬きをする。
「寒い……」
思わずそう言ってしまい、私は自己嫌悪した。
ああ、こんなこと、『英雄アルジュナ』は口にしてはいけないというのに。
(でも……この言葉を伝えてくれる人間も……もう、いないのか)
真っ白な世界で、想う。
多くの人間が、私達の物語を口伝していくのだろう。
華々しさをもって、道徳をもって、夢をもって、希望をもって、
それを聞いた人々は、胸に何を感じ、何を夢見てくれるのだろう。
(けれど……)
ただ一度も表さなかった『思い』は、誰が想ってくれるのだろう。
(私の中には……『黒』が潜んでいる。
私にささやき、悪逆を行う……もう1人の私が)
凍える世界の中、考える。
(私はずっと、私の心をないがしろにしていた。
あの感情が、感覚が、『英雄アルジュナ』として相応しくないと、無い物にして、切り捨てようとしていた。
その歪みを受け止めてくれていたのが、『黒』たる彼だった)
積もる雪は、かつて弓を引いていた指を、動かぬ冷たい肉へ変えていった。
(しかし、本当に『黒』は……邪悪だったのだろうか)
体の末端から、感情と熱がじわじわと消えていくけれど、まだ温もりを残しているそれに、私の心はすがりついた。
(思考よ、どうかまだ凍てつかないで。
まだ考えていたいのです。
私は、私に問い続けなければならないのだから……!)
必死な気持ちを反映するかのように、まだ鼓動を止めていない心臓がやけに熱く感じた。
(『黒』は……今にも砕け散りそうな私を、ずっとつなぎ止めてくれていた。
親が子を思うように、隣人が助け合うように、飢えた人に他者が食べ物を分け与えるように……ずっと、私を助けてくれていた……何故に……?)
……吹雪と心音だけが、今私の側にあるもの。
(それはきっと、『人』として、だったのか?)
曖昧としていた気持ちを、確固たる想いへとした瞬間──雪に沈んでいるというのに、暖かい日の光に包まれているような心地に私はなったのだ。
(私も彼も、特別な所なんて何もない、どこにでもいて、生きていく『人』。
……だからこそ、あんなにも悩み、苦しんだのか。いや、苦しむことが出来たのか。
あの時抱いた気持ちも、悪心も……全て、『人』だから感じたことだったんだ)
私は自然と微笑んだ……気がした。
(……では、私がするべきことは、決まっている)
冷たい雪に沈んでいる、重たい腕を動かそうとした。しかし、ちっとも動かない。
仕方がないので、祈りの言葉を頭の中へはっきりと思い浮かべることにする。
(──神々よ、父よ、私を愛してくれた大勢の者達……家族、妻よ、我が子達よ。どうか、許さないでください)
その祈りは、
(私は、私が苦しみ続けるために、私の心を手放すのです。
……悔やんで、悩んで、涙を流し、唇を噛んでは、そこより血を流して顔を歪めたいのです。
湧き上がる自らの感情に迷いながら、世界のあらゆる場所で、ささやかに暮らしている……当たり前の、『人』のようになりたいのです)
人のためでもなく。
(神でもなく、私を愛してくれていた人々にでもなく……私は、私に祈りを捧げます)
地のためでもない。
(どうか……私の苦しみぬいた心が、再び世界に産まれますように。
そして、己へと問い掛け続けることが、出来ますように)
私による、未だ生まれざる
身勝手で、自分本位な……私のためだけの祈り。
そして、願うことはもう1つ。
(心の奥底に閉じこめていた
決して、それを切り捨て、初めから居なかった者になど、されぬよう……)
……祈ったそれは、願望でもあった。
次に生きる時も、彼が側にいてくれたのなら……きっと、私は『人』として、あれるだろうから。
(遠い時が過ぎ、思いが積もり続ければ、
ああ、何だかその事を思うと、胸が締め付けられるような気持ちになる)
……生きて、涙を流し、凍てつきながら夢を見て、祈ったから。
もうこれで十分だと思い、体に残っていた熱を吐息と一緒に吐き出してしまった。
そして最後に、これから先の、自分では知ることの出来ない、遠い未来を夢見てみた。
(春はどう来るのだろう?
雪が溶け、その清水で花々が咲き、人々が笑い合う、そんな春だといい)
ありふれた、幸福な景色が瞼の裏に浮かぶ。
(夏はどう来るのだろう?
雷鳴の咲く黒雲が山脈に湧き、草木が雨に濡れる。
湿った土の香りは風に遠く運ばれ、畑仕事を手伝う子ども達が真っ先にそれを感じるのだろうか)
体は雪の中へうつ伏せに倒れているはずなのに、暖かい大気に頬が撫でられているような錯覚が。
(月日が重なれば、星々の並びはどうなるのだろう?
先まで輝くその星の列を人は見て、過去と、未来の英雄達の物語を語り継いでいくのだろうか)
生まれては死んでいく無数の人生を、瞼の裏で垣間見た気がした。
(……遠い未来の誰か、私を知ってくれるだろうか、想ってくれるだろうか。私の心に、出会ってくれるだろうか。
でも、この好奇心は胸の奥にしまい込んで……次の未来へと託してしまおう)
けれど、これは夢。
(私は『英雄アルジュナ』として、誰かの希望になれたのだろうか。
もしそうだとしたら……誇らしい)
英雄が死の間際に見た、淡い夢。
だから。
「──ああ、
動くはずもない唇が開き、彼の名前をもう一度呼べたのも……きっと夢だったのだ。
夢を、見る。
それは、『英雄アルジュナ』が死ぬ間際の夢。
俺が壊れたサーヴァントとして成立してから、たびたび襲い来る悪夢。
神聖なる山、険しい斜面、果ての見えない雪景色。
倒れた者から順に、天より降り続く雪へ埋もれ、静かに冷たくなっていく。
「……待って、待ってくれ!」
俺は叫んだ。遠ざかっていく、白い布をまとうその背中に。
くるりと振り返るその姿は、いつも変わらない。俺を目にとめたのか、深遠色の瞳を細めた。
黒い髪の先に白の雪がつく。
「ああ、
彼が、アルジュナが俺の名を呼んだ。
「ごめんなさい、私はどうしても、貴方を置いていってしまう」
夢の中はいつも同じ。どこまでも澄んでいて、冷たく。
「幼い私の心……小さな私の欲……」
彼の表情は穏やかで、眼差しは悟りきったかのようにどこまでも優しかった。
「貴方を受け入れ、育てることが出来たのならどれほど良かったか……。
そうすればきっと……もっと良い方向へ何かが変わったかもしれないのに」
彼は立ちすくんだまま、俺を見つめ微笑む。
「ああすれば、こうすれば……最後にはやはり、そう考えてしまいますね」
落ち着いた様子で俺に笑いかけている……そんなこと、あり得るはずもないのに。
彼の言葉は続く。
「さようなら、
死ぬ時まで、同じとはいかない。貴方は、私でない私を助けに行って。
これより無数に生まれるアルジュナ、無限に旅を続けその中で迷う私に、寄り添ってあげてください。
悩める彼らの、どうか助けに。私では……私を救うことは出来ないから」
伝えられる別れの言葉は、いつも同じで。
「さようなら、
ああ、礼が言えた……これで何の心残りもなく、最後を迎えられる」
感謝の言葉も、込められた想いも、何一つ変わることはなく。
「また会うことがあれば、どこか美しい星の下がいい。
夢物語、だろうけれど。
さようなら、私の……心」
彼の姿が闇の中へ溶け消えていく。死という永遠の世界へ遠ざかっていく。
変わらない、変わらない!
「……アルジュナ」
思わず口から出たその声は、余りにも低く、執着を持った響きだった。
「アルジュナ!!」
夢の中の雪山は、ぐずぐずに形を失い、崩壊していく。
「必ず俺はお前を取り戻す! どこへ行こうと! 俺はお前の……!」
言葉は最後まで言えず、深い深い闇だけが空間に残された。
私は……いや俺は、全てを取り戻さなければならない。
俺がサーヴァントとして意識を取り戻した時には、既に破壊されていたアルジュナの心を。
彼女の母に託された存在であり、俺という存在に寄り添ってくれたアスカを。
俺に一度は命狙われ、このおぞましい正体を知りながらも、俺を仲間と呼んでくれたトバルカインを。
(全て、元通りに)
それだけが、英雄に巣くう邪悪であった
……生きていい理由、なんだ。
「……」
意識を何らかの手段により操られてしまったアスカ。
彼女の令呪の命により、俺は自由を奪われ、サーヴァントとマスターとの繋がりも奪われた。
「……」
ここはコフィン。すなわち棺の中、死者が嘆きと共に据えられる箱の中だ。
「……」
水分を含んだ物体が砕かれる音が、直ぐ側から聞こえる。
恐らく、サーヴァントや人間を粉砕するミキサーの音だろう。
「……」
液体リソース。あのなんとも都合のよい物質の正体が『これ』ということか。
英霊と人の肉を刻んで、強い青の光放つ原液と混ぜ……そして……そして。
……この液体で、今の世界は生かされている。
死者の残差に生者はしがみ付いた。いつか全ての資源を使い果たし、破滅が来るという真実から目を逸らして。
「……はっ」
近くなる機械音へ、失笑をもらした。
(まだ、死ぬわけにはいかない)
『英雄アルジュナ』から託されたこの体を、失うわけにはいかない。
「行かなければ……」
俺はいつの日か必ず、アルジュナへ肉体を返さなければならない。
「ここではない、どこか……」
令呪の命……『リソースセンターへ送られるまでの間、一切の行動を禁じる』あの縛りは、どうやら解けてしまったようで、体をわずかに動かすことが出来た。
手を伸ばせば、冷たく滑らかな蓋の内側へ手が当たる。
俺は……由来も分からぬ苦笑いを口元に浮かべていた。
そして、こうつぶやく。
「──これより私は、棺の外へ」
『ミキサー付近で異常事態発生、異常事態発生』
作業員へ呼びかける音声を聴覚センサーで拾いながら、アインは金のおさげを揺らし、一定の速度で問題の箇所へ向かいます。
ここは、主に発電に使われている液体リソースを精製するセンターです。縮めてリソースセンター。
原液をくみ出すために地下深い場所に作られた、狭く、薄暗い作業場所。
辺りには蒸気混じりの湿った空気が漂っています。
歩く度に、かしゃかしゃと鳴る金属製の連絡通路。
その下は、青い光を放つ液体リソースのプールです。
奥から逃げてくる者達は、人ならざる美をもったアインを自然と避けていきます。
「──警告します」
サーヴァントや人間の遺体が詰められた、コフィンが散乱する集積場。
命終わった者が集められた……気取った物言いをするのであれば、『終わりの庭』とでも表現しましょうか。
「警告します」
その棺の山の頂に立つ男を、アインは目の内に捉えました。
姿はまるで、戦場にて屍の山を築いた一騎当千の
正体、アインには既に見当がついています。
「サーヴァント、アーチャー961。即刻活動を停止し、再度コフィンの中へ入りなさい」
男の首が、ゆっくりとこちらに向きます。
相当暴れたのか、顔を覆い隠していたギアは半壊し、煌々と輝く片目が覗いています。
虹彩の内側は、黒雲の中に何十という稲光が弾けているかのようでした。
「……貴様に命令される筋合いはない」
感情を隠しもしない、荒々しく、粗野な声。
「でしたら……アインとあなた、殺し合うしかありませんね」
思考、戦闘モードに。
換装用アンドロイドボディ、全1000体、起動。
襲撃者対応用重火器、ロックを解除。
地上待機中の機械化サーヴァントを、自動迎撃から『
「ちっ……」
男は棺の山から跳躍し、宙で姿勢を正すと、激しく燃える矢をつがえました。
アインはハンドガン2丁を構えます。
──AIとサーヴァントの、殺し合いが始まりました。
第69話 終わりの庭で『理由』を探す君は
終わり