アスカの視界一面に、残酷な光景が広がる。
女性へ暴力を振るい、物のように扱う男性、『セイザル』。
その行為を、より上位の男性、『レッド』の暴力をもって罰せられる姿。
それを見て笑う女性。
一度に多くの、善悪では計れない行為を目にしたアスカ。
男性を暴力で罰したレッドに、「帰ろう」と呼びかけられたが、混乱していたアスカは、傷ついた女性を治療のために運ぶと言い、メディアと共にその場から移動する。
女性を連れ、移動要塞果ての、倉庫のような平屋へたどり着いたアスカ。
そこにあったのは、隠れるように住み、希望を信じる心すら今にも折れそうになっている人の姿だった。
女性を介抱した後、平屋の屋上から風景を眺めるアスカとメディア。
メディアは世界の現状について語り始める。
「様々な形で、人々はお互いを傷つけ合い、軋んでいっているのです」
「──それでもあなたは、世界を救いたいと思えますか?」
アスカは、「世界はもっと単純だと思っていた、でもそうじゃなくて、善悪はぐっちゃぐっちゃに掻き混ざっている」と内心を抱きつつも、口から出たのは……「世界って……血生臭いものなのですね」の言葉だった。
暗い空気を裂くように、少女の声が下より聞こえ、メディアが声の主を連れてきた。
『リーシェ』と呼ばれた明るい雰囲気の少女は、ラジオを設置し、恋の歌を聴き始める。
得意げに歌うリーシェから、アスカとメディアはその歌を教えてもらうのであった。
……アスカは胸の内に、「世界を救いたいと、いつか心の底から思えますように」の、自らへの祈りを込めた言葉を刻みながら。
歌をすっかり覚えてしまうほどの時間が過ぎて、真夜中近くになったころ。
わたしもリーシェもメディアさんも、揃って「不用心」、「不注意」だと周りの女性達に叱られ、こってりお説教。
でもそれも、清々しい気分で受け止めることができました。
メディアさんの「途中までお送りしますね」の提案にありがたくのりながら帰路につく。
(ようやく……吹っ切れたかな。わたし、吹っ切れたの)
心に言い聞かせながら、レッドの部屋のドアノブに手をかけると。
「──おかえり、アスカ」
彼が扉を開けてくれました。
「起きていたん……いたのですね」
「うん。アスカが帰ってくるまで鍵閉めちゃいけないし、だったら起きているしか無いじゃん」
部屋の中では、電球が弱々しく点滅しています。
「……」
わたくしの脳内で、大の男を殴り飛ばすレッドの姿がフラッシュバックします。
「……」
湧いてくる『暴力』への恐怖を押しとどめて、部屋に足を踏み入れました。
中をぐるりと見渡すと、今まではぼやけて見えていた、ゴミやらテキトーに置かれた家具やらが目に付きます。
「アスカ、オレさ──」
「レッド」
「ん?」
わたくしは床を指差します。
「何か言いたいことがあるなら聞きますが、その前に、部屋の片付けをしましょう」
彼はぽかんとした表情を浮かべた後。
「お前……本当に母さんみたいだな」
そんなことを呟きました。
「……オレの話、しなきゃなとずーっと思っててさ」
ゴミを部屋外の通路にまとめて出して、低い丸テーブルを挟んでわたくしとレッドは床に座っています。
「オレとアスカ、同じ上流階級だって前に言ったよな」
「はい」
「……同じ名字だってことも、言ったっけ」
「それは聞いてないです」
「オレも、ほにゃらら・ピオーネなんだよ。上級都市『ピオーネ』じゃなくて、別の上級都市で暮らしてたんだけど……」
レッドは驚くべきことに、わたくしの親類に当たるらしい。
「住んでた都市が、レジスタンス『トコヤミ』、つまりここに襲撃されて、子どもも捕まって、集められたんだ。
……目の前にさ、オレも含む親達がズラッと並べられてて」
脳内に鮮明なイメージが思い浮かんでしまうのは、わたくしも同じ様な体験をしてしまったからでしょう。
「レジスタンスの奴らが言うんだよ。『誰か殺した奴だけ、レジスタンスに入れてやる、助けてやる』って。
オレ含む子ども達は怯えていたよ。お話や映画の中で、殺し合いは怖いものだって知っていたからな。
でも、良い歳した大人達は、何言われているのか分かんないみたいな顔してた。
だって──」
レッドは強く歯ぎしりしてから、次の言葉を苦々しげに吐き捨てました。
「みんな、生きるのも死ぬのも、どうでもよくなっていたんだから!!」
彼は感情の行き場がないのか、やかんから水をコップへ注ぐと、荒っぽく飲み干しました。飲んだおかげで少し落ち着いたのか、ゆっくりと話し出します。
「……上流階級であり、多くの文書を読み漁っていた大人達は知っていた。
自分達が生かされているだけの生き物だと。
世界に未来などなく、資源が消費されていくだけだと。
死ねばすりつぶされて、何も残らないと。
……信望している女神リリス様は、人間を見捨てたんだと!
オレ達は人間という種の、いつか作られる標本や墓標の素材なんだって!」
彼は自分の感情が抑えきれなくなったのか、丸テーブルを拳で軽く叩きました。
「……だからさ、レジスタンスに『殺し合え』って言われて、ニヤニヤ笑い浮かべながら安全圏から武器を投げ落とされたって……大人達は何もする気無かったんだ。どうでも良かったからな。
だから、別の部屋から知識少ない中流階級が連れてこられて、無理やり殺し合いにさせられたんだ」
脳内に、陰惨な光景が思い浮かびます。
血と悲しみがまき散らされた狭い部屋、逃げるわけもなく殺される人々。
「中流階級と、下級階級は世界の真実なんて何も知らないから、死にたくない一心で殺してた。
上流階級は、それをぽかんとした間抜けな顔で受け入れてた。
オレは……」
部屋の電球が、彼の声を受けてかすかに揺れています。
「顔に銃向けられて、とっさに相手を蹴ったよ。
生きたいとか死にたいとか考えてない、脊髄反射的な行動。
それで相手の銃の動きがおかしくなって……暴発で相手が死んだ。
すごく、あっけなかった」
わたくしは相づちも打つことなく、ただ彼の言葉に耳を傾けていました。
「相手が落とした銃をオレが拾うと、中流階級や下流階級の大人達が怯えて、先に殺そうと群がってきた。
オレは何も考えず引き金ひいて、反動で転がりながら、たくさん撃った。無我夢中だった。
んで……気がついたら、オレとオレの父さん母さんだけが生きてた」
わたくしは、自分のズボンの布地をぎゅっと握りしめます。
「レジスタンスの奴ら、安全圏から見下ろしながら、オレの行動に引いてたよ。
なんでだろうなぁ! ははは……。
『残ったのはお前達だけだ。最後のひとりだけ助けてやる』と言われて、オレ、『助ける条件が変わってんじゃん』って内心爆笑してたんだけど。
……で、母さんと父さんの顔を見たんだ。
生きてるけど、生きてるだけの顔してて……撃ち殺して、オレはレジスタンスの一員になった。
その後はつまんないから割愛すっけど、ロボット乗るようになって、才能あったせいで、ロボット部隊のリーダーになって、いっぱい都市滅ぼしたし、たくさん人殺した。
紫姫様来てからは、ちょっとましな現状になったけど……話す意味はないな。
はい、オレの話おしまい」
……数分間、お互いにたっぷりと沈黙し……わたくしから口を開きます。
「どうして、過去を話してくださいましたの?」
目的も無く、話していいような過去ではないと感じ取っていました。
レッドが己の短い頭髪を指でかいてから、口を開きます。
「アスカのこと、綺麗だなって思ってさ。
この場合の綺麗って、見た目のことじゃなくて、
彼はぽつぽつと言葉を続けます。
「オレとアスカ、同じ上流階級で、同じピオーネ性だったのに、オレは人殺しで、アスカはそうじゃない。
前にさ、『自分も人殺し』みたいなことアスカ言ってたけど、それ考えすぎだな。自分の手で殺してないことくらい、オレみたいな人殺しから見れば分かるよ」
強い後悔を、「考えすぎ」だと他人に断じられて、ムカつきましたが……心のどこかが楽になってしまっている自分もいたので、沈黙を貫きました。
「……多分オレにも、アスカみたいな道があったんだろうなって思ったら、話したくなったんだ。
というより、人間オークションで見たときから、そう思っていたから」
床を見つめながら、そんなことを言っているレッド。
「……なぁ、どうしてアスカは、人も殺さず外の世界に逃げてこられたんだ?
どうしてアスカの手は綺麗なままなんだ?」
彼の眼差しが、じっとわたくしの手に注がれます。
「それは……」
ああ、今日は答えられない問いばかり投げかけられます。
人を殺さずにすんだ理由など、それは──。
「ああ、そっか。アスカはきっと心が強いんだ」
「えっ?」
彼の唐突な言葉、わたくしはつまずくような心地になります。
「オレは、相手を殺すって楽チンな手段ばかり取ってきたから、きっとすぐに殺してきちゃったんだろうな。
セイザルのことだって、口で言えば良かったのに、楽だから殴ったんだ。
そっちの方が、手っ取り早かったから……」
ぱっとレッドは顔を上げ、わたくしを見つめます。
「アスカは、楽な手段取らないでくれよな。
今の世界で楽な手段って、きっと手が汚れることだから」
彼は言いたいことを言いたいだけいうと、掃除した床に寝転がります。
「口が疲れた。アスカもオレのつまんない話聞かされて疲れたろう。
もう寝ようぜ」
わたくしも怖々と床に寝そべります。
「……オレとアスカ、同じだと思ってたけど、全然違ったや。
オレみたいな人殺しと同じ扱いしてごめんな」
そんな声を聞きながら、わたくしは目を閉じ、深夜過ぎの休息を取ることにしました。
「……お休みなさい」
彼へ背を向けて、薄い毛布を被り、そう呟きます。
(上流階級が、破滅的な遊びに耽溺していたのは……何もかもを諦めていたから、どうでもよかったから……)
自らの階級に起因する真実に胸痛めながらも、眠りへ入りました。
──夢を見ました。雪と氷の夢です
美しい
いつか読んだ昔話……ブリュンヒルデとシグルドのお話です。
そして、夢の中、深雪を踏みながら針葉樹林の合間で美しい2人は踊ります。
姿は、ずいぶん前に出会ったアンドロイド2人とそっくり。
なぜかわたくしは、その様子をどきどきとしながら盗み見ていて……ふと、違和感を覚えてしまうのです。
シグルドの胸の辺りが血まみれで……そこに、
心臓が、無いのです。
「あっ……」
思わず声を上げてしまったわたくしの首を、何かが貫いて……ぽんとゴム鞠のように高く飛ばしました。
「アスカ、起きて。アスカ……」
レッドの声で、悪夢から目覚めます。
「でも、起きるときは静かに……」
薄い毛布の中から身を起こし、真っ暗闇の中で瞬きを繰り返します。
外から何か……聞こえるような。
「静かにしててねー……」
彼の指示に従い、息すら殺していたら、放送音声のようなものが部屋の外から流れ込んできました。
『あーあー……聞こえますか人類のみなさん。
いえ……リリス様の慈悲もなく、荒野をさ迷う哀れな生き物さんたち』
その口調には、嫌な既視感があります。
『僕は……格好いい格好いい、ヴォイドメロディ・キルロード君だよ。
上級都市ピオーネを襲った、主要三組織の内の一つ、「トコヤミ」の排除のため、やってきました』
頭の中でピースがかちりとはまりました。
『君達は、女神の所有物を持ち去り、汚し、貶めた。
それは……道徳的に考えて、許されることじゃ無いんじゃないかなぁ』
青年は、理屈と理由を淡々と並べていきます。
『だからこそ、格好いい格好いい僕が、君達を殺します。
奪われた資源の補填のためにも、君達が殺した人々の復讐のためにも。
……道徳的に、考えたからね』
レッドが唾を飲む音が聞こえました。
『うんだから、同じように、殺戮と略奪を仕返します。抵抗は自由になさってください。
えっと……レジスタンスのみなさん、さようなら? お休みなさい?』
放送が唐突に途切れ、遠くから連続した悲鳴が続きました。
「レッド、いまのって……」
「人殺し特化のAIが報復にやってきたんだ。
……でも、移動要塞であり、特殊迷彩機能をもったこの『ハデス』を見つけるとは」
暗闇の中で、レッドが立ち上がる気配がします。
「定石通りなら、敵はドローンとロボットで攻めてきているはずだ。それならまだオレ達のロボット部隊で殲滅できる。
だから……アスカはこの家で隠れていてくれ」
そう言い残して、彼は闇の中をさっと歩いて廊下へ出て行きました。
『要塞内の全員へ告げる! 我らレジスタンス「トコヤミ」は、徹底抗戦の姿勢を貫く!
総員戦闘準備! 非戦闘民は頑丈な家屋に待機か、最寄りのシェルターへ──』
それ以外言いようのなかったのでしょう。毒にも薬にもならないレジスタンス側の避難放送が聞こえてきました。
けれど、わたくしの胸に浮かんだのは別のこと。
「……あの人達、大丈夫かしら」
要塞の端にあった、あの倉庫のような低い建物のことを思い出します。
電波すら満足に届かなかったあの場所に住んでいた人々……老婆や少女、傷ついた女性や沢山の家族達は、この未曽有の危機を前に無事でいられるのだろうか。
どこかに避難するにも、現状を正しく伝え、手助けをする必要があるんじゃないのか。
「……じっとしては、いられない」
わたくしはレッドの言いつけを破って、闇に包まれた部屋の中をさっと歩くと、手探りでドアノブを探り当て、不気味なまでの静けさと悲鳴が入り混じった外へ出ました。
第83話 境界線を越えたなら、二度と『綺麗』に戻れない
終わり
登場キャラクター紹介
レッド(本名 ???・ピオーネ)
身長/体重:175cm・63kg
出身:地下都市 年齢:30歳以上(自己申告)
属性:中立/中庸 性別:男
好きなもの:ヌードル、家族
嫌いなもの:自分
レジスタンス組織『トコヤミ』に所属する、短い赤髪の男。
卓越したロボット操縦技術を持っているため、若くして部隊のリーダーとなった。部下に言うことを聞かせるために、暴力という手段をとることもある。
元上流階級であり、そこで強要された殺し合いを生き延び、『トコヤミ』に迎えられた。
両親を自分の手で殺したときから、精神の均衡を崩しており、子どもっぽい部分と大人っぽい部分がまだらに存在している。
アスカは彼の母に似ていたらしい。
単語説明
上流階級
多くの『生存権』と学習の機会、娯楽が与えられている人間。
主に上級都市に住み、一般都市に住んでいるアスカなどはかなり珍しい分類に入る。
居住スペースは1人1部屋与えられており、サーヴァントの所有が認められている。
学習の機会が与えられた上流階級は、失われた文化の多さに悔やみ、起きた悲劇に病み、そして、自分達がいつか標本とされるために生かされていることに気がついてしまった。
真実に到達した多くの上流階級は、酒におぼれ、危険ドラッグを飲み、生存権をかけた破滅的なギャンブルに長じている。
けれどその様子は、他の階級からすれば、贅沢の限りを尽くしているようにしか見えないのだ。