アーチャー961は悪夢の中にいた。
悪竜に変じた『兄』の赤い瞳の視線に射貫かれ、終わりのない闇へ落下しながら、救えなかった人々の姿を見せつけられ、あまつさえ自分自身の手によって殺されそうになる。
961は思う……これは『責めてもらいたかった』という、自身の内なる願望から来ている悪夢なのだと。
もう一人の自分に首を絞められ、死を受け入れようとしていたその時、何者かが彼を助けた。
──ガレス・キリエライト。既にこの世にはいない少女の姿がそこにあった。
彼女は彼の手を取り、「どうか死なないで」「生きることを恐れないで」と言葉を伝える。
アーチャー961はその言葉で、ロマニ・アーキマンとの約束を思い出し、生きる理由を新しく見つけることが出来たのだが……2人の交流は、夢の中の空間を突き破って現れた巨大な手によって、終わりを告げたのであった。
見知らぬ場所で目覚めたアーチャー961。
腕は切断されたまま、包帯が巻かれたままで、辺りに知っている者は一人もいない。
そんな彼の不安を拭うかのようにサーヴァントが現れる。
彼女は真名を、円卓の騎士である「ガレス」と名乗ると、さながら姉のようにアーチャー961を甲斐甲斐しく世話をするのであった。
「まぁ……そんな小さなこと、今は置いておきましょう。
アーキマン殿、お水をどうぞ」
ガレスと名乗ったサーヴァントは、コップを俺の口元に近づけると、背中に片腕を回し、飲みやすいように体を支えてくれた。
俺は唇をつけ、少しずつ液体を飲み干していく。水は冷たく、甘さすら感じた。
「拭きますねー」
濡れた口周りを布で清められた。
「その……ありがとう」
「いえいえ。怪我人の看護やお世話は慣れていますので、お気になさらず!」
彼女は明るくそう返すと、固い岩の地面に腰を下ろす。
俺はいくつか質問してみることにした。
「ここはどこだ?」
「『砂塵の迷宮』、その中の比較的安全な場所に作られたアジトです。
アジトに、何か特別な名前があるという訳ではないそうで……」
「俺はどうしてここに?」
「私と一緒に回収? 保護? されたからですよ!
どうやら私と貴方は、樽の中に詰められ、数種類の酒と共に同じ場所に捨てられていたらしく」
「まるで誰かから聞いたような口振りで話すんだな」
「うう……その通りです。全部他の方達から聞いたお話ばかりで……。
私、どうしてこの世界に召喚されたのか、マスターが誰であるのかも分からず……。
情けないやら、恥ずかしいやらです……」
目を伏せ、肩を落とす彼女。俺は質問を変えることにした。
「俺は何日ほど眠っていた?」
「えと……アーキマン殿は2日ほど眠っておられました」
「ガレス以外にもサーヴァントが居るのか?」
「はい! 皆さんとっても陽気で良い方達ですよ!
それに、私達を助けてくれるほど親切で!
……ちょっと困った部分もありますけど、アーキマン殿もきっと打ち解けられるはずです」
「……なぜ俺を
ガレスは小首を傾げてから、俺の首元を指差した。
「だって、そこに書いてあるではありませんか」
首を曲げて、ぶら下がっている職員証を確認する。
……擦れ、人物が分からなくなった写真と、読めなくなった文字がそこにあり、判別できるのは『ロマニ・アーキマン』というあの男の名前だけだった。
「……アーキマン」
その名を舌の上で転がす。
「私、何か良くないことを言ってしまったでしょうか……?」
不安そうなガレスの顔を見ながら、俺は数秒考え込んだ。
(……アーチャー961というのは、『アルジュナ』に与えられた呼び名。
何より、アスカが俺を呼ぶためのものだった)
目の前で、軌道エレベーター外周の足場の崩落に巻き込まれ、死んでしまったであろう彼女の姿が脳裏に浮かんだ。
(……アルジュナという名は、英雄のみが名乗ることを許されたもの)
戦場に立ち、時に戦車で駆け、時に地を蹴って戦い抜いた、誇り高き戦士の姿を思い出した。
(そして俺は……アルジュナを失った俺は、
悪夢の中で言われた言葉の数々が、脳内に反響する。
(そも『クリシュナ』は、元をただせば『アルジュナ』の友の名。
敗北を重ねている俺には重すぎる。
……ならば、俺は名無しか)
けれど、そんな個人的な理由で「名無し」と言っても、ガレスを困らせるだけだろう。
「いや、ガレスは何も悪くないよ。
……うん、そうだ。俺の名前はアーキマン、アーキマンだ」
彼女から目をそらしながら言う。
「では、これからもそうお呼びしますね」
ガレスは何を気にすることもなく朗らかに返事すると、またにこりと笑った。
それを視界の端へ映しながら、俺は思う。
(……これからはこう名乗ろう)
アーチャー961でもなく、アルジュナでもなく、
──アーキマン、
(……名を借りるくらい、あの男は許してくれそうだ)
髪を長くのばした、緩い雰囲気の男の顔がまぶたの裏に浮かんだ。
「あれ~、アーキマン、起きましたの?」
間延びした声と酒精の香りが共に漂ってきた。
金属製のジョッキ片手に、岩をくり抜いた入り口の縁に寄りかかっているのは、170cmほどの背丈を持つ、肩を出した黒い服とスカート、黒タイツを身につけた金髪の女だ。
「うん? なんだ、アーキマン起きたんだ」
そんな彼女の足につかまり立ちしながら、ふらふらとジョッキを揺らしているのは、顔に斜めの傷を付けた白髪の少女。背丈は160cmくらい。
露出が多い金髪の女とは対照的に、首元まで黒いコートで覆っている。
ガレスは先ほど言っていた「皆さん」というのが、彼女達のことなのだろうか。
「えへん……ご紹介しますね」
突然現れた人物に対し、かける言葉を俺が迷っていることに気がついたのか、ガレスが石の地面へ座り直して、手を向けながら、2人を紹介してくれた。
「金の髪の女性が、アン・ボニー。
銀の髪の女性が、メアリー・リード。
なんとびっくりなことに、二人で一組のサーヴァントなのですって!」
「よろしくお願いしますわね~」
「よろしく~」
両サーヴァントは指先をひらひらと動かして気だるい感じに返事をすると、立ったままジョッキに口付け、2人だけの世界に入ってしまう。
「賭けはメアリーの負け!
後でおつまみ代わりの栄養ブロック、くださいましね?」
「はぁ……あんな怪我してたのに、消滅せず目を覚ますだなんて……当てが外れたなぁ。
最近とんと運が無い。運命の女神様に嫌われたかな」
「そういう話、海賊の間でもたくさん聞きましたわねぇ。
えーっとなんでしたっけ、『冒険を忘れ、長き停滞に沈んだ船乗りには、ここ一番で運が逆向きに働く』?」
「どこの誰の言葉だったかな?」
「場末の酒場のじじいの言葉です、きっと」
そんな会話をしながら、酒を飲み干していく。
「……お2人とも」
しかし、それをそれとして終わらせようとしなかったのが、ガレスだ。
「そちらのジョッキ、今日で何杯目でしょうか」
「うっ」
「げっ」
美酒に酔っていた2人は、彼女からの言葉に同じタイミングで顔をしかめた。
「……数日前、ガレスは言いました。
『お酒を楽しむのは結構。なぜなら適度なお酒は明日への活力になるから。
けれど──』」
しかめ面になったのはガレスも同じだ。
少女は大声を出すために、胸一杯に息を吸う。
「『節度を忘れ、じゃぶじゃぶ飲むのはいけません!』
そのジョッキの湿り具合……5杯は飲んでいると見ました!
違いませんね!」
「わぁ……合ってます! 流石は伝説の円卓の騎士様ですわ!」
「うへぇ。アンったらずいぶん酔ってるなぁ……。
ここはひとまず撤退、てったーい!」
メアリーは相方を引きずるように去っていく。
「あっ、こら! 待ちなさーい!」
それをガレスが追いかけると、俺は部屋に1人になった。
下を向きながらつぶやく。
「……騒がしい人達だな」
「──なんだい? 賑やかなのは嫌いかい?」
上から降ってきた声に、はっとして顔を上げる。
「アタシは好きだけどねぇ、こういうの」
目と目が合う。
その存在もまたサーヴァントであり、白浜の色を透かす海のような、澄んだ青の瞳をしていた。
「女も男も大酒飲んで! 笑って笑って酔いつぶれて、時には酒場の床に転がって寝るっていうのも……オツじゃないか!」
言い終えてから、快活にそのサーヴァントは笑うと、ぐいっとジョッキの中身を飲み干し、宝を品定めするような目で俺を見つめた。
「それとも、お堅い英雄様はふかふかの寝床の方がお好みかい?
……『アーキマン』」
彼女は一見、酒に酔って上機嫌で、足取りもおぼつかないようだが、それは違うと俺は分かっていた。
その瞳はどこまでも冷静に、俺が何を考え、次に何を言うのかを見定めている。
「……」
言葉に詰まる。ひりつくような沈黙が部屋を支配していた。
「……あーアタシが悪かった」
彼女が俺からすいっと目線をそらして、なぜか誤った。
「起きたばかりの怪我人に問いを仕掛けるなんて、らしくないらしくない……」
決まりが悪そうに眉をしかめ、酒を飲もうとしたが、その中身は数秒前に彼女自身が飲み干してしまっていた。
銀の空のジョッキを逆さにしながら、彼女は口元に大きな弧を作り、笑みを浮かべる。
「アタシの名前はフランシス・ドレイク!
太陽を落とした女……って言えば、アタシがどういう奴かって少しは伝わるかい?」
アスカと共に見た文書や映画を思い出す。
『フランシス・ドレイク』。
世界一周を生きたまま成し遂げ、母国であるイギリスに巨万の富をもたらし、無敵だと言われていたスペイン艦隊を打ち倒した……海賊だ。
男性だとデータには記されていたが、まさか女性であったなんて。
「こっちに来な、アジトとアタシの船員を紹介してやる!」
俺を見下ろしながら、起きるように手招きした彼女。
「……手は借りない」
膝と腰の筋肉を使いながら、俺は立ち上がる。
「へぇ……なかなか勇ましいこと言うじゃないか。
アンとメアリーは良い『お宝』をみつけたねぇ」
エネルギッシュな声で話しながら歩く彼女の後ろを、俺は両腕の無い体を動かしてついて行った。
案内された場所も、俺が寝ていた部屋のように岩山の中の空洞だった。
しかし、高い天井は曲がりくねりながら外へ繋がっているようで、注ぐ日の光が何回も反射を繰り返し、空間を柔らかく照らしていた。
「キャプテーン!」
「我らがフランシス・ドレイク!」
機械を横倒しにして作ったテーブルにしだれかかっている2人は、俺達の姿を見るなり乾杯の音頭を上げた。
腕組みをしながら、それを監視するガレスの目は据わっている。
「誉れ高き円卓の騎士様!
アタシ、そこの飲んだくれと酒の管理をアンタに任せたはずだけど?」
笑いながらドレイクは彼女に声をかける。
「ご心配なく、ドレイク卿。
お酒の残量はまだありますし、『あの杯で最後にする』と2人から言質を取りましたので」
そう言い終えてからガレスは鼻を鳴らした。海賊達の振る舞いに少々立腹しているようだ。
「そうでーす! この1杯が最後でーす!」
「そうだよー! これで最後最後……」
ガレスの怒りもどこ吹く風と言った感じで、アンもメアリーも笑顔で酒を飲む。
「全く……自堕落にもほどがあります。
日の高いうちからお酒を飲んで、ごろごろと寝てばかりだなんて」
あきれ声で話すガレスの肩を、ドレイクは軽い調子で叩いた。
「それは今日までの話さね。
アーキマンが起きた、アンタという頼もしい仲間も加わった。
そろそろ……冒険をもう一度始める時じゃないかい?」
瞳に宿る光は険吞だ。
「そうです! 冒険!」
「海賊はいつだって冒険を求めてるー!」
「はいはい。飲んだくれども、これから会議だ、しゃんとしな!」
テーブルの上にとろけるように突っ伏している両者を、急かすようドレイクは手拍子した。
それから、俺の方へ振り返る。
「アタシの仲間はここに居るので全員さ。
アン・ボニーとメアリー・リード。
宝と酒、冒険と戦いが大好物な、骨の髄まで海賊の2人。
そして……あの伝説の円卓の騎士にして、
「おっ……お褒めにあずかり光栄です、ドレイク卿!」
照れくさいのか、伝説とまで呼ばれた彼女は頬を指でかいた。
「しかしまさか、槍試合で敵なし、武勇も名高い騎士ガレスが女だったなんてねぇ。
まぁ……それはアタシも人のこと言えないか」
「ドレイク卿。女や男などの性別で、偉業の価値は変わりませんよ。
人はその人に出来ることをするまで、です!」
そんな会話をしながら、少女騎士は床に転がる包装紙などのゴミを拾い集め、会議のために場を整えていく。
「テーブルの上も片づけます。
お酒は終わり! はい、酔い覚ましのお水です」
ジョッキを取り上げられたアンとメアリーは嘆くが、そのまま顔の前にコップをドンと置かれては、黙るしかないようだった。
「アーキマン殿もどうぞ! コップにはストローをさしておきますね。
お代わりもありますので、お求めであればガレスに遠慮なくおっしゃってください」
「あ……ありがとう」
並々と注がれた清水の中に、金属製の管が刺さっている。
ふと疑問が浮かび、ガレスへ訪ねた。
「こんな綺麗な水をどこから?
それに、お代わりを望んで良いほどの量があるのか?」
「地下水が湧く泉があり、そこから汲んできました。
量についてもご心配なく。たっぷりとありますので!」
「……そうなのか」
「水浴びなどされたいでしょうし、後程、泉の場所についてお教えしますね」
「うん、頼む……」
彼女に答えながら、不思議なことがあるものだと考えていた。
モモ、バーサーカー04、アスカとの旅の途中、地形をつぶさに調べても、水が湧く場所など見つけることは出来なかった。
だから常に水の残量に気を配り、雨など降らないか案じていたりもしたのだが……。
(ここには、浴びれるほどの水がある)
水があるから、ドレイクらはここをアジトにしたのか。
それとも、何らかの手段で水を導いたのか。
泉の存在は、どこか引っかかる情報であった。
「さぁて、堅苦しい会議の時間だ」
「あの作戦についてお話されるのですよね? ドレイク卿」
「そうそう。
アーキマンが起き、人員が増えた今だからこそ、成功の可能性も高まるってもんさ!」
椅子などないので、立ったまま会議が始まる。ドレイクとガレスが中心となって話を進めていくようだ。
「けれどその前に……アーキマン、アンタが船員として使い物になるかどうかを見たい」
「……何か試練でも与えるのか」
「そんなんじゃない。もっとシンプルな話だ。
……一度霊体化しな、それで自分の傷を治しておくれよ」
空の両腕を見る。
彼女の言う通りだ。サーヴァントならば、霊体化、その後実体化をすれば、ある程度の傷は治る。
「……」
俺は霊体化して。
「……!」
再び実体化した。ところが。
「傷が……治っていない!?」
思わず驚愕の声を出してしまった。
腕は依然として中途半端な長さで断ち切られており、回復の兆しなどありはしない。
「……本当、嫌な勘ばかり当たるもんさ」
狼狽している俺に目線を向けながら、ドレイクはそう呟く。
「嘘だろ? サーヴァントなんだから、多少の傷は霊体化で治るはずじゃあ……!」
メアリーがその青い目を見開きながら、常識外の事態に対して、若干の恐怖を顔へにじませた。
アンはそんな相方の頭を撫でながら、赤い瞳で全員の様子を油断なく見つめている。
「……こうなるとキャプテンは分かっていまして?」
そして一言、彼女へ向けた。
聞かれたドレイクは腕を組みながら、眉間のしわを深くする。
「アタシと言うより、
『アーキマンの傷は、ただの傷じゃあない』って。
んっ、これ以上は本人に話をさせた方が早いか……」
肩をびくつかせてから自身の体をさすると、くるりと背を向けてしまった。
「ちょいと待っておくれ。
ううん……これ、ぞわぞわするし、うんと昔を思い出すから好きになれないねぇ……」
何かを取り出し、顔の辺りで動かしている。
(あれは……灰色の口紅か?)
化粧という細々とした作業とは程遠いイメージを持つドレイクが、品を片手にこそこそと顔へ色を添えている。
数分後に、彼女はもう一度こちらへ居直った。
「──目覚めの気分はどうかしら? 腕無しのお方」
その声に、俺以外の全員が臨戦態勢となった。
緊張が空間へ満ち、コップに注がれた水は震える。
「あら……そう、わたしはみんなの嫌われ者なのね」
唇に灰の色を乗せ、声には湿り気を纏い、雰囲気が一変した彼女。
彼女は拗ねたような口調で言うと、その長い指で濡れたコップの縁を円描くように撫でた。
「ふふ……それでもいいわ。ぜんぶ、構わない……」
海を思わせていたドレイクの青の瞳は、地平線へ沈む太陽の如き
「これはいったい……」
「彼女は、私達の仲間の一人であり……」
「厄介極まりない海賊公女様です!」
俺の疑問に答えようとしてくれたガレスの言葉を、アンが金の髪を振り乱しながら遮った。
「はぁ……アンは本当に権力者ってヤツが嫌いだね。
ま、僕もそこはおんなじだけど」
先程の動揺から持ち直したのか、メアリーはため息を交えながら、変化したドレイクについて説明してくれる。
「彼女は……キャプテンドレイクの裏人格! とか、そういうのじゃないよ。
名前はダユー。
フランスに伝わる伝説、背徳の都イースの主。そして都と共に沈んだ女。
何の因果か……我らがキャプテンの霊基に精神だけくっついている。
トラブルばかり起こす、困った海賊公女様だよ」
紹介を受けたダユーは、金の瞳をますます輝かせ、俺をなぶるような目線で見ては、笑みを深くした。
第91話
終わり
単語説明
元型、つまりアーキタイプ。
ユング心理学に習えば、心に内在するエゴや影も、これに含まれると言われている。