今朝から勉強を始めて、まだ完全に読めるようになったわけではないが、たった半日である程度なら理解できるくらいにはなった。
そもそも会話は不自由なくできているのだから、あとは文字を当てはめていくだけのパズルみたいなものだ。ただし、文字自体を覚える必要はあるわけで、まぁそこは実際に使いながら覚えていけばいいか。ここまで出来るようになったなら無理に詰める必要もないだろう。そんな言い訳じみたことを考えた。俺は勉強が嫌いではないが、好きというわけでもないのでやらずに済むならそれがいい。勉強が嫌いという訳ではない。
そういうわけで午前中で切り上げて、午後はギルドにダンジョン関係の話を聞きに行くことにした。
というのも、昨日父親から貰ったお金は、
「お前がダンジョンに行って自分で稼げるようになるまでの小遣いだ」
そうで、
「自由に使って構わないが、それが失くなる前にちゃんと自分で稼げるようになれ」
とのこと。
昨日使ったバックパックはそのまま使っていいと言われたが、それ以外の装備や道具も自前で用意しなければならないらしい。
どんなものを揃えればいいのか。そういう話を聞くため、ギルドへ行ってみることにしたのだ。
母親はまた用事で出かけたらしく、残っていた父親に、ギルドまで行く旨を伝えて部屋を出る。どこか生気の薄い他の団員たちにすれ違いざまに挨拶をしつつ、通路を通り出口へと歩いていく。
「カア」
外ではクロが待っていた。ホームを出ると俺の肩に飛んでくる。
昨夜ホームの前に着いた時、どこかへ飛んでいってしまったのだが、どうやら戻ってきてくれたらしい。愛想尽かされたのかと思って寂しかったけど、よかった。
安堵の気持ちでクロを撫でる。やっぱりかわいいなあ……。
大通りは昨日と変わらない賑わいを見せていた。一見すると昨日と同じようだが、ある程度文字が読めるようになったからか、少し違った景色に見えた。あの店はああいう名前だったんだ、とか。あの看板はああいう意味だったのか、とか。そんな事を考えて、近くの商店で買ったパンを千切ってクロに与えながら、俺は天高くそびえるバベルの方向に歩き出す。
ギルド本部はバベルの近くに位置している。そもそもバベルはダンジョンの真上に蓋をするように建てられていて、冒険者を仕切っているギルドの本部がそのダンジョンの近く、つまりはバベルの近くにあるのも当然と言えよう。
ちなみにバベルの上階には神達が住んでいるらしい。わざわざ地上まで降りてきているのに、高い場所で生活するのはどうなのだろうか。
ギルド本部の前に到着すると、クロはどこかへ飛んでいってしまった。自由気ままな奴である。それとも建物内で邪魔にならないように気を使っているのだろうか。
中へ入ると、そこは思っていたよりも静かだった。冒険者たちがダンジョンから帰ってくるにはまだ早い昼過ぎということもあってか、随分落ち着いていた。
俺は受付へ歩を進め、受付嬢に話しかける。
「エリナ・バルフィングです。担当官のミィシャ・フロットさんはいますか?」
「少々お待ち下さい」
そう言って受付嬢は奥の方に消えていく。しばらく待っているとピンク髪の小柄な女の人が出てきた。小柄と言っても背丈は俺より高くて、歳は結構若そうだなあ。
「エリナちゃんじゃん。色々聞いたよ。もう大丈夫?」
「まあ、一応大丈夫です。記憶は戻ってないですけど」
「あはは、本当に記憶喪失になったんだね。雰囲気が全然違うよ」
「そう……ですか?」
雰囲気……。これはもう諦めるしか無いかなぁ。
「エリナちゃんは相談とか指導とか全然なかったから、話をする機会はほとんどなかったけどね」
「うーん……」
記憶喪失ってことなら許される範囲だろうから開き直るしか無いか。
「それで、何の用件で来たの?」
「そろそろダンジョンに行こうかなと思って、必要な装備とか色々聞こうかと思ったんです」
「そういうことならギルドで『駆け出し冒険者セット』の販売があるから一式まるまる置いてあるよ。持ってくるから待ってて」
そう言うとミィシャさんは奥の方へ歩いていく。
不意にこちらを振り返り「ああ、それと……」と付け加えた。
「エリナちゃんは記憶喪失でダンジョンの知識とかもないだろうから、そこに置いてある冒険者用の冊子を読んでみなよ。色々書いてあるからさ」
言い残すと今度こそミィシャさんは奥へ消えていく。まだ買うとは言ってないのに気が早い。まぁ、おそらく買うけど。
ミィシャさんを待っている間に、言われた冊子を手に取る。『ダンジョン探索の心得』と書かれたその表紙には、様々なモンスターのイラストが描かれていた。
中をパラパラと眺めていると、ミィシャさんが荷物を抱えて戻ってくる。
「はい、これ」
せっかく持ってきてくれたんだし、どうせ必要になる物だし、買うべきだよなぁ。
短刀、ポーチ、レッグホルスターに
受け取ったそれらを持って近くの椅子まで移動して腰掛ける。とりあえず冊子から読もう。パッと見た感じだと今の俺でも読めるレベルの文字だったし。
そんな事を考えつつ、俺は『ダンジョン探索の心得』のページを捲っていった。
『ブォア!』
「っ!」
向かってくる爪を避ける。敵意のこもったその一撃はあっさりと空を切る。攻撃の勢いのままゴブリンは体勢を崩す。
「ふっ!」
その隙に合わせて右手に持ったナイフを振るう。
『ぐぎゃあ!』
切り裂かれたゴブリンは絶叫して倒れ、動かなくなった。その姿を確認して一息吐く。
「ふう……。武器なんて使ったこと無かったけど、意外となんとかなるもんだなあ」
周囲に他のモンスターがいないことを確認して、倒れ伏すゴブリンに近づく。手に持った短刀を突き刺し、魔石を取り出す。何度目かになるそのグロテスクな作業にも既に慣れた。
場所はダンジョン1階層。
冊子を一通り読み終えた俺は、せっかくだから様子見しようとダンジョンへ向かった。それからもう1時間くらいは経っただろうか。本来この短刀は魔石を取り出す為の物みたいだが、軽量で扱いやすかったのでそのまま武器として使っている。
最初の方に逆手に構えてカッコつけてみたりしたが、いざ戦闘になるとリーチが把握しづらく、当たったとしても大したダメージを与えられなかったので、今は普通に順手で扱っている。
明日ちゃんとした武器を探しに行こうかな。
とりあえず今日はもう帰ろうか……お酒飲みたい……。
ダンジョンがどのようなものなのか実感できたので、探索を切り上げて地上へ向かう。途中、1階層の『始まりの道』と呼ばれる大きな通路に出る。そこには探索から引き上げる冒険者たちが多くいた。
その中に、見覚えのある白髪の少年の姿を見つけた。
もしやと思い、近寄って声を掛ける。
「あの……」
「うん?」
振り向いたその瞳は鮮やかな紅で、その少年が一昨日助けてくれた人だと分かった。
「やっぱりそうだ! この前は助けてくれてありがとうございました」
頭を下げて礼を言う。
「え? ああ! 2階層で倒れてた!」
「エリナって言います。エリナ・バルフィングです」
「僕はベル・クラネル。記憶喪失だったみたいだけど、もう平気なの?」
ベルと名乗った少年は心配そうに尋ねてくる。
「全然平気です! 記憶はまだ戻ってないんですけど、そんな事気にしたってどうしようもないですからね!」
少年の不安を吹き飛ばすように、努めて明るく振る舞う。
「そっか」
少年が優しく微笑む。隣に並んで出口へと歩き出す。
「探索帰りですか?」
「うん。エリナちゃんも?」
「はい! あ、そう言えばクラネルさんってどんな武器使ってるんですか?」
他の冒険者がどんなものを使ってるのか気になったので聞いてみた。
「武器? 僕はこの短刀を使ってるけど……」
そう言いながら、どこか恥ずかしそうに腰に差さっているナイフを見せてくる。俺が先程まで使っていた短刀と同じような物だった。
「そうですか……。どうしようかなぁ……」
あまり参考にならないことを残念に思いながら呟く。
「今使ってるその短刀は合わないの?」
「そんなことはないんですけど、これは魔石回収用のナイフなので、もっとしっかりした武器を用意した方がいいのかなって」
「あぁ、そっか。記憶喪失だもんね。今までダンジョンに潜ってたのとかも覚えてないんだよね」
「はい。今日が初ダンジョンです。以前は7階層くらいまで探索してたみたいですけどね」
冊子を読んでる時にミィシャさんが色々と話してくれたのを思い出して答える。悪戦苦闘しながら読んでいた俺に対して、そんなことお構いなしに話し続けるミィシャさん。世話焼きなのか、俺を口実に仕事をサボりたかったのか、おそらく後者だろう彼女に辟易した。
「えっ? 7階層? エリナちゃんって駆け出しの冒険者じゃないの?」
驚いた様子のベル君。2階層で倒れてたなら駆け出しに思われても仕方ないのだろう。……両親の反応を見る限り。
「ダンジョンに潜るようになったのは1年くらい前かららしいです。まあ、今の私は駆け出しみたいなものですけどね」
1年間潜っててもなにも覚えてないからなんとも言えない。乾いた笑みしか出てこなかった。
「そ、そっか……」
表情が引き攣るベル君。お互いぎこちない微笑みを浮かべ、気まずい空気が辺りに漂う。出口が見えてきた。地上へと続く大穴、高さは10M程。その円周に沿うように設けられた大きな螺旋階段を登り始める。
「あ、そうだ。よければこのあと一緒にご飯でも食べませんか? 助けてくれたお礼に奢りますよ」
雰囲気を変えようと話を切り出す。
「あ、ああ。ごめん。ホームで神様が待ってるから早く帰らないといけないんだ」
「神様と晩餐会ですか?」
「いや、僕のファミリアは小さくて、眷属は僕しかいないんだ。だからあんまり神様を心配させたくなくて」
「そうですか。なら仕方ないですね。それじゃあ、明日の午後。一緒に探索しませんか?」
『ダンジョン探索の心得』に『ソロ探索よりもパーティを組む方が効率がいい』と書いてあったのを思い出たので誘ってみる。お礼としては心許ないけど……。
「それなら別に構わないよ。人数は多いほうが安全に探索できるし。…………むしろ僕の方が足を引っ張りそうだけど……」
「ん?」
「な、なんでもないよ!」
ベル君は快諾してくれた。最後の方はよく聞き取れなかったけど。
よし、なら午前中にお礼になりそうな物も見てみよう。
話しているうちにいつの間にか地上まで戻ってきていた。既に辺りは暗くなり始めていた。お互い換金を済ませると、バベルの前の広場へと足を向ける。近くにクロが降りてきた。少し待つよう目配せすると、それを察したのか肩に飛んでくることはなく、距離を置いたままこちらを伺うように待つ。
それを見て、俺はベル君の方に振り返る。
「それじゃあ正午にここで待ち合わせにしましょう」
「分かった。それじゃ、また明日」
「はい! よろしくお願いします!」
挨拶をするとそれぞれ帰路に就いた。
俺はもちろん、寄り道して酒を飲んだ。
「私ってどんな武器使ってたの?」
ホームの部屋まで帰ってきて、お酒を飲みながら寛いでいる両親に向けて尋ねる。
武器に関してまったくの素人である俺は、今まで『エリナ』が使っていた装備を明日の買い物の参考にしてみようと考えた。
「色々使ってたねぇ」
「自前で適当に買って使い回していたな」
あまり参考にならなかった。
話を聞くと、ダンジョン探索で稼いだお金は日々の酒代と様々な装備代に消えていた。一月ごとにコロコロ新調しては使い潰していたようだ。剣、斧、槍、刀、弓、鎌や棍棒のような物まで、使っていた武器は多岐にわたり、特に好んで使っていた物はないそうだ。
「今の【ステイタス】なら小型で威力がそこそこ出せる
「それなら確かに敏捷も力も活かせるわね」
「なるほど……」
自身の【ステイタス】の良さを殺さないように選ぶのか……。
「でも【ステイタス】に武器を寄せると、他の【
「別にいいんじゃないか? 全ての【ステイタス】を満遍なく上げる必要もないだろう」
「【ステイタス】っていうのはその人の『個性』なのよ。だから自身に合う武器ってのは自然とそういう物になってくるのよ」
「そっか」
その『個性』は元々俺のものではない所為か、あまり実感がないんだよなぁ。
とりあえず明日は手斧とか小型の武器を色々と探してみよう。
「ところで、ダンジョンにはもう行ったのか?」
父が尋ねてくる。俺が持って帰ってきた装備を見て、ダンジョンに行こうとしているのには気付いているのだろう。
「一応行ったよ。1階層だけだけど」
「そうか。まぁ、気をつけろよ」
父はそれだけ言うと会話から外れ、1人酒盛りを再開する。
「それで、どうだったの?」
母親は食いついてきた。
「どうだったって言われても……。1階層だったし、そんなにキツくもなかったよ」
「そう……。あまり無理しないで、ダメだと思ったら迷わず逃げるのよ」
命あっての物種よ、と母親は心配そうに言ってくる。
「うん、無理はしないよ。明日は装備を色々揃えて午後からダンジョンに行ってくるね」
「気を付けて、いってらっしゃい」
そう言うと母親も父親と共に酒を飲み始める。相変わらず凄い飲むよなこの2人……。
俺はシャワールームへ行って汗を流し、慣れた手付きで寝支度を整えると自室へ行きベッドへ入る。
そう言えば昨日の夜はあの夢見なかったな……。
今日はどうだろう……。
どこか寂しい気持ちを胸に抱き、俺は眠りについた。
あとがき
原作キャラの言動に頭が痛くなります。ベル君とのやりとりだけで数日悩みました。
これからの事を考えると、もっと気楽に書くべきなんだろうなと思う第四話でした。
※訂正
頂いた感想にあったので調べました。
ヘスティア様より一回りも小さい身長だとメチャクチャちっちゃいじゃないですか……。
さすがに小さすぎたので、本文・あとがきの記述を訂正しました。
『エリナはヘスティア様より若干小さい程度の背丈』ということでお願いします。
それでもかなり小柄なんですけどね。
それと投稿済み各話の日本語おかしい箇所等を訂正。大まかな流れは変わっていません。
引き続き何かありましたらご指摘お願いします。
※捕捉
クロは基本的に屋内に入らない。凄い空気が読める偉い鳥。
ベル君は女の子相手に良い格好したかったけど、使ってる短刀がアレでちょっと恥ずかしかった。しかも自分よりダンジョン歴が長く、深い階層にも潜っていたと知り、思わず顔が引き攣る。