「ここは…」
灯台のある小さな岩礁に打ち上げられた少年が目を覚ました。その声に応えるものは誰もいない。少年は辺りを見回した。朧げながらも自分がどうなっていたのかは覚えている。とある競技の世界大会の決勝戦に出場する姉の応援にドイツまで来ていたはずだった。そこで何者かに誘拐され、次に目が覚めればボートの上だった。
ふと腕の感触を確かめてみると、縄は解けかけていた。海中で何かに引っ掛かったのだろうか。手首のあたりには少々の切り傷があるが、気になるほどのものではない。海水を吸った服も完全には乾いておらず、肌に張り付いてなんだか気持ち悪い。こんな状態であっても浜辺に打ち上げられたのは相当運がいいに違いない。そうは言っても気持ち悪い感触は変わらないので、仕方がないと上着をその場に脱ぎ捨て軽装になった。
打ち上げられてからどれほど時間が経ったのだろうか。嵐の後だというのに、空には雲がだいぶかかっているので太陽の位置は確認できない。そんなことを考えながら腕をよじる。やはり縄は解けかけていたようで、割とすぐに腕は自由になった。ゆっくりと肩を回して筋肉をほぐす。
「千冬姉、大丈夫かな…」
こんな状況でも浮かんでくるのは姉のこと。世界王者であっても私生活はズボラな為、心配になるのもしょうがない。少年こと織斑一夏はそんなことを思いつつ改めて辺りを見回した。まず、自分の目の前にそびえる灯台。それと少し離れた所に桟橋があるがボートの類は無い。遠くには陸地が見えるが到底泳いでいけるような距離ではない。
「そもそも、ここはどこなんだ…」
自分はドイツにいたはずだ。何かあるかもしれないと辺りを散策してみるも、見つけたのは桟橋に併設されていた小屋にあったアメリカ大陸の北東側がクローズアップされたボロボロの地図と、英語がびっしりと書かれた古い新聞ばかり。まさかアメリカに来てしまったとでも言うのだろうか。信じたくはないが、この状況を鑑みるとそうとしか考えられない。今頃ドイツでは必死の捜索が行われているだろうが、見つかるはずもないだろう。
「腹も減ったし…灯台の中なら誰かいるかもしれない」
なんとなく不気味な感じがして避けていた灯台。食べ物にしろ人にしろ、残る希望は灯台の中だ。一夏は思い切って両開きの大きな扉を開けた。灯台の中は薄暗かった。波が岸壁にぶつかる音でうるさかった外に比べ、中はだいぶ静かな印象を受ける。灯台の中心を突き抜ける大きな支柱、壁に沿って緩く弧を描く螺旋階段。支柱の前に置いてある机には大きめの洗面器と蝋燭が一本。他には木箱やロープが無造作に積んであるだけだった。
「誰かー!誰かいませんかー!」
上の階まで突き抜ける声に反応するものは何もない。入り口に突っ立っていてもしょうがないと思い、扉を閉めて2階に上がる。2回は先程よりも生活感のある空間となっており、散らかった机やベッド、さらにタンスなど、ここに人がいた事を証明するものばかりだった。そんな中、足元に落ちていた葉書ほどのサイズの紙が視界の端に映った。
「なんだろ、これ…」
ふとそれが気になった一夏はその紙を拾い、裏を確認した。そこに書かれていたのは三つのマークと、それぞれの隣に数字が1つずつ。本のようなマークには『1』、鍵のマークには『2』、剣のマークには『2』の数字があった。奇妙なものだと思いつつ一夏はそれを机の上に置き、改めて辺りを見回した。このご時世にテレビもラジオも見当たらない、こんな場所で本当に人が暮らしているものなのだろうか。冷静に考えるとかなり怪しくなってきた。
「ダメだ、ネガティブに考えてたら気が滅入っちまう」
自分に言い聞かせるようにそう言って、わずかな希望と疑念と共にさらに階段を登り進める。しかし、その途中で壁に血であろう、赤い手形を見つけてしまった。慄きつつも勇気を出して3階へと足を踏み入れる。しかし、そこに待っていたのは衝撃の光景だった。
「う、うわあぁぁ‼︎」
情けなくも尻餅をつき悲鳴を上げ、後ずさってしまった。しかしそれも致し方なかろう。そこにあったのは椅子に座った状態で手を後ろ手に縛られ、麻袋を頭にかぶせられた状態の死体だった。見れば、周囲の床が血で汚れている。乾いているようであるが、相当量の血が流れていることは見て取れる。しばらく経って少し冷静さを取り戻した一夏は恐る恐るその死体に近づいた。よく見てみると死体の胸にナイフで紙が突き刺してある。
「『Don't disappoint us』…『我々を失望させないように』…?一体なんの話だよ…」
一夏は怖くなってさらに上へ階段を駆け上がった。先ほどまでは木製の階段だったのに対してこの階段は金属製だ。つまり、ここが灯台の屋上であることを示している。そこには灯台らしくもガラス張りの箱の中に巨大なランプがあるのみで、ほかに目立ったものは無かった。
「終わった…完全に…」
自力ではここを出れず、助けも呼べない。完全に孤立した状況で一夏は柵に背中をつけ、ずるずるとその場に崩れ落ちた。先ほどの死体が長らく発見されていないであろうことを考えると、この灯台に人が来ることは滅多にないのだと推測するのは容易だった。餓死した自分が発見される様を想像して、涙すら出てこない。あのベッドの上で残りの時間を過ごそうと立ち上がり、階段へ向かう。その時、ランプの向こう側に何かを見つけた。ちょうど自分から見てランプで隠れていたので上がってきた時は見逃していたのだろう。何だろうと思いゆったりとした足取りで反対側へと歩く。すると、そこにあったのは鉄製の扉なようなものだった。しかし蝶番やドアノブの類は一切無く、代わりについていたのは天使を象った小さなオブジェクトと、その下についているこれまた小さな3つの鐘だった。
「このマーク…さっきの…」
3つの鐘には2階で見た紙に書かれていたマークがそれぞれ刻印されていた。本、鍵、剣のマーク。そういえばあの紙には数字も書かれていた。あの数字の分だけ鐘を鳴らせば何か起こるのだろうか。他にできることもないと一夏は半ば無気力に鐘を本、鍵、剣の順番にカン、カンカン、カンカンと鳴らした。
「やっぱり何も起きないか…」
何も起きなかった。分かりきっていた現実に打ちのめされながら改めて階段へ向かおうとしその時。先程までは多少雲の隙間から陽が差している程度だった空が、ゆっくりとではあるものの、赤く不気味に点滅し始めたのだ。さらには点滅するのに合わせてブオォォォン…と大型船の汽笛のような音が辺りに鳴り響いたのだ。
「な、何だ⁉︎」
驚いた一夏は慌てて振り向き、周囲へ目を向ける。しかし船らしきものは一切見当たらない。代わりに背後でガチャリ、と音がした。今度はなんだと振り返ってみると、あの扉が開いており、中には赤い革張りの椅子が1脚、出現していた。先程までそこにあったはずのランプは上に移動したようだ。
「座れってことか…?」
一夏は深く考えないうちに歩みを進め、そして椅子に座った。肘掛、足置きに頭あてと中々高級そうな椅子だが、座った感触はそうでもなかった。そして一夏が立ち上がろうとした時、突然どこからか女性とも男性とも取れない機械音声が響いた。
『準備はよろしいですか。安全のために拘束具を使用します』
「なっ…!」
立ち上がろうとした時にはもう遅かった。肘掛に置いた腕を、手首のあたりで固定された。次に足首も金具でガッチリと固定される。
「おい!どういう事だ!」
1人叫ぶも、答えはない。間髪入れず、椅子の付いている台座の周囲から、弧を描いた板状のパーツが次々と迫り上がっては互いに結合し、一夏の周囲を覆ってしまった。
「マズイマズイマズイ…!」
動けぬまま焦る一夏とは対照的に、声は淡々と語りかける。
『上昇します。上昇まで5秒…4秒…3…2…1…』
椅子が台座ごと90度ほど下を向く。見れば4基のジェットエンジンらしきものが火を吹いていた。椅子は再度水平になり、下から聞こえるけたたましいエンジン音もその激しさを増してきた。
「やめろ…やめてくれ…!」
『上昇します。上昇…』
そして、ゴオオォォォッ!!と爆音と共に一夏を乗せたロケットは発射してしまった。一夏は自分を落ち着かせようと正面についている窓から外を確認するがやはり本当に上昇している。落ち着け、落ち着け、と口の中で唱えるが意味はない。
『5000フィート…1万フィート…1万5000フィート…』
とてつもなく激しい揺れと共にあの声が機内に響く。そして厚い雲を突き抜けた時ーーー。
『ハレルヤ』
そこには、雄大な天空都市が広がっていた。