一夏は硬いベッドの上で目を覚ました。身体中が強張っており、節々が痛む。肩を動かそうと上半身を動かした時、ジャラリ、と重々しい音が鳴った。
「何だ…?」
まだ意識がハッキリとしない状態で違和感を感じる自分の左腕に目を向ける。すると、そこにあったのは頑丈そうな手枷と巨大な鎖。鎖はベッド近くの壁に繋げられており、人間の力ではどうにもできそうにない。試しに引っ張ってみるが、やはり意味はなかった。目の前にはこれもまた頑丈そうな鉄格子があり、ここが独房のような場所である事を物語っている。
「何でこんな場所に…」
自分は確かあの牧師に沈められ、意識を失ったはずだ。それが何故こんな事になっているのだろうか。混乱して頭が状況に追いつかない。あれやこれやと考えていると、外から人の声がした。
「これが噂の子供か…ふむ、手術には十分耐えられそうだな」
「フィンク卿、危険です!奴はあの『偽りの羊飼い』ですよ!」
ハッと一夏が顔を上げると、そこにいたのは高価そうなコートとシルクハットに身を包み、口元に髭を蓄えた産業革命期の英国紳士といった風貌の男性とそれを制止しようとする警備員らしき男性。
「誰だよあんた…手術ってどういう事だ⁉︎それにその『偽りの羊飼い』ってのも何なんだ⁉︎」
「おお、おお、威勢がいいではないか。質問が多い気もするが、まあいい。まず、私の名はジェレミア・フィンク。フィンク・インダストリーの社長さ。次に手術の事だが…君には我々が現在開発している技術の実験台となってもらう」
「実験台…?」
「そう、新たな『守護者』、ソングバードを作る実験だ。前のは少々ガタが来てしまってね」
「何だよそれ…どうして俺が…」
「それは君が『偽りの羊飼い』だからだ。その右手の印…それこそがあの卑劣な兎の仲間である何よりもの証拠だ!『偽りの羊飼い』は本来ならば即抹殺せねばならない!…命があるだけでもありがたいと思う事だな」
一夏が右手の甲を見てみるとそこには『AD』の文字が刻まれていた。これはいつ刻まれたものだったか…そう、たしか幼馴染みの家に遊びにいった時に、幼馴染みの姉が彼女のラボで秘密だよ、と言って刻んだ不思議な印だった。当時の一夏は子供心に何となくかっこいいと思っていたが、刻んでから時間の経たないうちに印はいつのまにか消え、それ以来姿を見せていなかった。そんなものがが何故今になって現れたのか。いや、そんな事よりもーーー
「どうして束さんの名前が出てくるんだ…」
状況から考えて忌々しい兎とは確実に幼馴染みの姉=束さんの事だろう。あの人は昔からメルヘンを突き詰めたような格好をしていた。当時からウサ耳カチューシャをつけていた事は覚えている。
「君の身柄は私の預かるところとなる。ちょうど今、新製品のビガーを開発中でね。試作品が完成したらまず一番に君で試すこととしよう!楽しみにしていたまえ!」
ハッハッハ…と笑いながら独房の前を去るフィンク。一夏の中ではこれからよく分からないものの実験台にされるという恐怖と、束の名が出てきたことの混乱が渦巻いていた。そもそもここは地上の技術では観測できなかった場所…束は誰よりも早くここの存在に気づき、接触を持っていたというのか。
「束さん…貴女は…」
そうして一夏は飲み食いもせず、眠れぬまま三日三晩を過ごした。幸いにもこの建物自体に空調が効いてきて寒すぎるとか暑すぎるといった事はなかった。そして、4日目。憔悴しきった一夏の前にまたあの男が、ジェレミア・フィンクが姿を現した。
「おやおや、ずいぶん細くなったじゃないか。まあこっちの方が抵抗する気も起きないでいいな。よし、連れて行け」
今回はフィンクの背後に数人、屈強な男たちが控えていた。その男たちが房内にゾロゾロと入ってくる。うち1人は小ぶりなケースから注射器と小瓶を取り出し、小瓶の中身を注射器で吸い上げた。
「チオペンタールナトリウム。知ってるか?こいつは少しばかり強力な薬品でな。いわゆる自白剤…量によっては麻酔薬、そのまま安楽死だそうだ。人に使うのは初めてだが…」
残った男たちが一夏の腕を抑えて動けないようにした。腕に注射器の針が潜り込む。中の液体がゆっくりと一夏の体に流れ込む。少しの時間も経たない間に、一夏は意識を失った。
「う…」
「やっと目が覚めたか…。あのヤブ医者め…2週間だぞ、2週間!君は2週間も眠っていたんだ!」
聞き覚えのある声と共に意識がはっきりとしてきた一夏に、声の主…フィンクは怒った様子で叫び散らした。一夏の手足はストレッチャーのような台に拘束されており、少しも動かす事は叶わない。腕には点滴の針が刺してある。眠っている間はここから栄養を摂っていたのだろう。
「衰弱死されてはこちらも堪ったものではないからな。…まあいい、意識も戻ったようだし、早速手術を始めるとしよう」
フィンクが指を鳴らすと、一夏を拘束する台は数人の男たちによって運ばれる。気分はさながらドラマで見る病院の廊下で運ばれる急患だが、そんな冗談を言っている余裕などない。これからよく分りもしない手術を受けさせられるのだ。
「おいボウズ、面白いものが見えてくるぜ」
焦る一夏に1人の男が急に喋りかけてきた。男は目の前に迫ってきた両開きの扉を開けーーーそこには衝撃の光景が広がっていた。巨大な水槽が並んでいる。ただしその中にいるのは水中を優雅に泳ぐ魚ではなく、ホルマリンに浸けられた動物たち。馬、豚、牛など様々な種類が浮かんでおり、よく見てみれば身体中に継ぎ接ぎした痕があり、口元には呼吸器のようなものがチューブで繋がれていた。
「なん…だよ、これ…」
窓から差し込む陽光で水槽はぼうっと輝きを放ち、部屋全体に不気味な雰囲気を漂わせる。そして、最奥の水槽。陳列された水槽にはどれも動物が浮かんでいるのに、そこだけは空のままだった。
「あれはお前用の水槽だとさ。手術に失敗すればそこの豚と同じように死んでもあそこに飾られ続けるんだ」
「そんな…!」
なんて非人道的な。そう言おうとした一夏の口はそれ以上動かなかった。水槽の間を抜けた先に、さらに不気味なものを見つけてしまったからだ。
「鳥…?」
それはまさしく、鳥の首。しかもただの鳥ではない。人工の鳥なのだ。フレームとその内部は剥き出しになり、そこから多数のケーブルが垂れている。そして、その首はそれだけで人間1人分はあろうかというサイズなのだ。そんなものが天井から吊り下げられ、ビクンビクンと痙攣している。不気味以外の何でもなかった。
そうこうしているうちに、一夏を乗せた台は手術室らしき場所に到着した。部屋の上方に設けられたガラス張りの部屋では、フィンクと数名の人物がこちらを見下ろしていた。対して部屋の中心では手術服を着た医師らしき人物が数名、手術代を取り囲んでこちらを見ていた。一夏を手術台に乗せ、男たちは部屋を去った。
「では、これより手術を始める」
「やめろぉっ…!」
一夏は抵抗するが、拘束されている上に2週間以上飲み食いしていなかった為、体もすっかり弱っている。抵抗も虚しく腕に多数の針が差し込まれる。それぞれのチューブの先にはガラス製の容器が繋がっており、そこに様々な液体が別個に注ぎ込まれる。液体の入っていた瓶には悪魔や稲妻、馬といった意匠が施されており、中には烏のようなものまであった。そしてその液体がチューブを伝って体に入り込んできた瞬間、一夏の身体にとてつもない衝撃が走った。
「うあああぁぁぁっ…⁉︎」
身体全体が焼けるように熱い。次の瞬間には雷に打たれたような頭の天辺から爪先に向けて突き抜けた。まるで身体が自分のものではないようだ。視界がぐわんぐわんと歪む。一夏は叫び声を上げてもがくが。やはり身体は動かない。そして何十秒か経っただろうか…一夏は意識を手放した。
今回の描写はバイオショックインフィニット ベリアル・アット・シーEPISODE2から拝借