「いやー、すっかりママさん姿が板についちゃったねー」
「だ、誰がママさんよっ!」
からかう海月に、間髪いれずに反論する光莉。
……とはいえ。アルパカさんに接する彼女の態度を見ていると、あながち的外れでもないような気がしてくる。
同じアルパカさんへの接し方でも、友達然としているまるるに比べ、光莉のそれはまるで人間の幼児をあやすといった感じなのだ。それだけ密着度が高く、お互いに片時も離れようとしない。
「気持ちは分かるけど、でもやっぱり過保護すぎじゃない?」という、海月やひなちゃん先輩の意見も理解できる。
でも、こうする光莉が……こうしている光莉の姿が、俺にはひどくしっくりしたものにも感じられたりして。
「ま、まあ、慣れてるから、というか……」
納得だった。そういえばボランテイアで、子供の世話を自ら望んでやってるくらいだもんな。
光莉が注ぐ愛情は、人間に対してもアルパカさんに対しても平等なのだということが、とてもよく分かった。
◇ ◇ ◇ ◇
「大陸さ。アルパカさん(青)にあかりんを取られて、実はけっこう寂しかったりするんじゃない?」
「そういや何だかんだ言いながら、お前達2人っていつも一緒だったもんなあ」
「ん、んなことちっともねえずらよ!」
いきなり海月とハラショーがおかしなことを言い出すから、思わず謎の方言が飛び出してしまったではないか。
……だけどそんなふうに言われるくらい、光莉自身がまず望んでいるふうに、依然として毎日のようにアルパカさんとベッタベタだったりする。
「……しかし、それでも、だよ。大陸くんは現在、近衛さんと最も密接な立場にいる人間というのは確かな事実だ」
と、そこにエロケン先輩が、いつになく真面目な表情で加わってきた。
「だから、君に聞くのが一番適切だと僕は思うのだが……」
「どうせまーた、くっだらないことを……」
「シャラップ!」
海月の横槍を、厳しい声で遮るエロケン先輩。
突然何を持ち出す気なのだろう。その瞳は、真剣そのものだった。純粋に、真実を追求する学究のごとき光がある。
「……近衛さん、実はこっそりとアルパカさんに母乳をあげたりとかはしてないかい?」
「……は?」
たっぷりの沈黙。……のあとなのに、この程度のリアクションしか返せないところに、とんでもなく虚を衝かれたという俺の気持ちを分かっていただけるだろうか。
「だーかーらー、おっぱいだよお乳だよ! ママってみんな言うくらいなんだから、そこにはきっと母性的なエロスもとい人体の不思議発見が眠っているに違いないっ!」
「いや、っていうかそれを俺にどうやって確かめろと……?」
「本当に産んだわけでもないのに、そんなもの出るかーい!」
芸術的なまでに、優美な曲線を描いて。俺が感心すると同時に、海月の放った回し蹴りがノーガードのエロケン先輩にクリーンヒットしていた。
しかも顔面かよ。
「ほ~ら。エロケンちゃんのお鼻から、赤いお血血が出てきましたよ~♪」
「……セクハラ発言で自業自得だったとはいえ、容赦なさすぎだろ海月……」
あと乳違いな、とツッコみそうにもなったけど、身の安全を考えてかろうじて思いとどまった。
「さあさあ、遠慮なく自分のチチを飲み干すがいいさ!」
悶絶したうえに自分の鼻血を飲まされるという超ドMプレイを強要されるエロケン先輩が、とても哀れだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「……それじゃ、ここで質問」
白衣姿のひなちゃん先輩。今は彼女が担当してくれている授業中だ。
「アルパカさん+アルパカさん。この答えは?」
「えっと……に、2匹のアルパカさん、かな……?」
ぐるりと各自を見回すひなちゃん先輩と視線が正面衝突してしまうと、なんとなく自ら挙手したような雰囲気になってしまい。思ったことを、そのまま口にしてみた。
「ぶぶー。プリンス、不正解」
ってか、そもそも質問の主旨が分からないんですが?
「はいっ、ひなちゃん先輩!」
非情にもばっさり切り捨てられた俺の回答につづいて、まるるがすちゃっと元気よく挙手をして答える。
「アルパカさんはいくら増えてももふもふです♪」
「うん、まるるお見事」
正解なんかい。
驚愕するとともに理不尽なものを味わってますよ?という俺の表情をまるきり無視して、ひなちゃん先輩は続ける。
「……つまり、今まではまるるのアルパカさんが1匹。それが、当たり前だった」
――だけど。
今はもう、その光景が当たり前ではない。
今は『光莉のアルパカさん』もいる。そして、そのうちのどちらか一方でも欠けたりしたら、俺達はきっと心配するだろうし、気になって仕方がなくなるに違いなかった。
「まるるとあかりんのアルパカさんとでワンセット。こんな短期間で、私達はその環境を受け入れている……」
「まあ、そりゃ最初は違和感がなくはなかったけど……」
「……今はどう、うづきち? もう慣れた?」
「う、うん。今もだけど、ずっと一緒にいるとこ見てるんだし」
「そうね。……そしてその『慣れ』という名の適応力は、事象を受け入れた瞬間から発揮しはじめているの」
「適応力、かぁ……」
ひなちゃん先輩が海月に投げかけている言葉の意図が、なんとなく俺にも分かるような気がしてきた。……授業とは関係ない話になってるけど。どうしてこうなった?
「うーん……慣れって、けっこうすごかったりするもんなんだねー」
しかし、感心する一方で。
その慣れはいつか、俺達に大切なことさえ忘れさせてしまうのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
そんな日々が、当たり前のように続き。
――その日は、光莉がすっかりパニクってしまうという、非常に珍しい事件が起こった。
原因は、いつも一緒にいるはずのアルパカさん(青)。それが突然、光莉の前から姿を消してしまったから。
故意か偶然か、まるるのアルパカさん(赤)も同じタイミングで姿が見当たらなくなっていた。とはいえ、一方の当事者はといえば、いたって安穏とした様子で。
「私だって、四六時中ずっとアルパカさんとべったり、ってわけじゃないんですよ? きっと今ごろ、2匹で仲良くどこかへお散歩でもしてるんです♪」
穏やかにそう語るまるるは、光莉とはまるで対照的だった。
……そういやアルパカさん(青)と出会ったのも、散歩の途中で道に迷ったせいだったというし。となれば二重遭難(?)の危険性も考えなくはなかったけど、そこは「私のアルパカさんもいるから平気ですよー」と絶対の信頼をパートナーに寄せているまるるの言葉を信じることにした。
結局、長年の付き合いから導かれた彼女の予測が大当たりして、最後には2匹そろって無事に帰ってきてくれたのだが。その時の光莉が安堵ぶりといったら、もはや一言では表せないくらいだ。
しかし……。この一件ではっきりと、俺達に示されたものがあった。
そう。
いつしか光莉は『アルパカさんと一緒にいないとダメダメ症候群』という、大変な病気にかかってしまっていたのだった。
俺も光莉も、つい忘れかけてしまっていたこと。
本来、アルパカさん(青)は俺達が飼い育てていたわけではないという事実。
とある一日。ひなちゃん先輩の指摘を受けた光莉は、あからさまな動揺を俺達に見せつけた。
「――そ、それは……もちろん当然のことよ」
「……光莉が言ってる意味は、元の飼い主にアルパカさんを返すべき、ってことでいいんだよね?」
海月の問いに、首を縦に振る光莉。冷静さこそ失っていないものの、表情は固くなっていた。
「あかりん、偉い」
ひなちゃん先輩が褒めるのも分かる。だって、いくら短期間のことにせよ、光莉にアルパカさん(青)はすっかり懐いているのだ。こんなにも一緒なのだ。
「だ、だったらさ。そのときを機会に、本格的にアルパカさんを飼ってもいいよう、じーさんに頼んで……」
「……それとこれとは話が別よ」
「光莉先輩……」
俺の提案を、光莉がざっくりと退ける。無情にも取られかねないその口ぶりに、来るべき将来を思って沈鬱になる心情がうかがえた。
言葉をかけようとして、躊躇ってしまったまるると一緒だ。俺もこれ以上なんと言ったらいいか、効果的な台詞がちっとも思い浮かばない。
◇ ◇ ◇ ◇
――そして、とうとう。
その日が、やってきてしまった。
……相談を持ちかけられたのは、放課後だった。
当然の帰結。あるべきエンディング。
嫌というほどにそれが分かっていながら、俺でさえ踏み出すのは容易でなかった。
「……本当に見つけたのか、アルパカさん(青)が……?」
「はい……」
こくこく。
まるるとアルパカさん(赤)が、そろって肯定する。
学長室に用事があるとかで、光莉ひとりがこの場にいない。そのタイミングで、アルパカさん(青)からの伝言を切り出されたのだ。
まるるのアルパカさんと散歩中、偶然に帰り道を見つけた。いや、思い出したのか。
だから……今の状況に、近いうちに決別しないといけない。
「そりゃあさ。いつかはこうなる、ってことは最初から分かっていたけどさ……」
光莉の気持ちを思いやる海月の声に、元気がない。
「で。問題は、誰がどうやって近衛に告げるか、か……」
ハラショーの言葉に、この場にいる全員が互いの顔を見合わせる。が、そうしたところで、自ら立候補する者が出てくるはずもない。
本人が直接に告げようとせず、その前に伝言という形で俺達に突きつけてきたのは、きっとアルパカさん(青)の光莉をなるべく傷つけまいという深慮だろう。その気遣いが分かるからこそ、責めるわけにもいかなかった。
どういうルートを辿るにせよ、まもなく光莉は悲しい覚悟をせねばならない。俺達にできることは、せめてそのショックをいくらか和らげてあげることだけ――
だが。その思いすら、あっけなく霧散して。
「……それ、本当……?」
聞き慣れた声に、場の全員が一斉に凍りつく。
首を向けずとも、今の発言の主は誰であるか明確だった。救いようがないほどに。
「ううん。嘘、なんかじゃないのよね……」
「光莉……。えっと、その……用事はもう済んだの?」
「お爺様が留守にしているみたいだったから、片付いたわけではないけど……そっか……」
海月が、それ以上かける言葉を見失う。
半開きになったままの、教室の扉。思いもかけず早々に帰還して、入口から一歩だけ中へと足を踏み入れた場所で力なくたたずむ少女に、誰もが次の言葉を投げかけられずにいた。
光莉が、足元のアルパカさんを見やる。つい今しがただって、光莉にくっついて学長室へのお供をしてきたのだ。
アルパカさん(青)と、どんな無言のやりとりがあったのだろう。みんな声を発することを忘れたように、光莉とアルパカさんとが視線を合わせる光景をただ眺めていた。
覚悟を決めたのか、アルパカさんもじっと光莉を見上げる。俺でもはっきり分かるほどに、いつもは可愛らしくぱっちりとした瞳に、悲痛の雲が流れているのが見て取れた。
やがて。
重苦しい沈黙は、光莉が示した行動によって破られた。
……それはまるで、堤防が決壊するかのように。
不意に訪れた巨大な衝撃の波を受け止めきれなかった光莉が、くるりと身体をひるがえすと。今しがたやって来た方向へ、逆戻りするかのように飛び出していったのだった。
その場に、アルパカさんを残したままで。
◇ ◇ ◇ ◇
駆け去った近衛光莉を、三分割して追うことになった。
ひとつはエルケンバートと翔。いまひとつは、大陸と海月。そして、最後のグループが――
放課後の、いつもならゆるく流れる時間。
光莉がさして深く意識もせずに、衝動のまま学園の外へ飛び出していったことには明らかな形跡があった。きっと今の彼女の頭の中はアルパカさんのことで一杯で、衝動以外の余分な思考が入りこむ隙間など、ほとんどないのだろう。
かといって、いくら周りが見えなくなっているとはいえ、やみくもに不案内な場所を走り回るような無分別にまでは至っていないに違いない。そう目星をつけた結果は……見事なまでに図星だった。
自分達も駆けに駆け回ったおかげで、すっかり火照った身体に夕刻の涼しい風が気持ちいい。
久々に重労働を強いた心臓がまだ激しく主張を続けているなか――黛比奈夕は、いくぶん後方にアンネマリーと彼女に抱きかかえられたアルパカさん(赤)を残して、目的の人物のもとにゆっくりと近づいていった。
学園からさほど離れていない、小さな公園。
誰もいないその中心で、何かをこらえるようにしながら、彼女は悄然とたたずんでいた。
「ひなちゃん先輩……。ごめんなさい……」
「……あかりん、どうして謝るの……?」
まだ、お互いに呼吸が乱れたままだ。
態勢を整えるためにしばらく与えられた猶予が、同時に冷静さも急速に回復させていく。
「分かっている……はずなのに。飼い主のもとにいつか帰すことが正しいと、ちゃんと思っているはずなのに……」
寂しげな表情は隠せない。けれども、こちらに向ける光莉の瞳には、ちゃんと理性の色が宿っていた。
「ごめんなさい。あまりにも急なことだったから、私……」
「……違う。謝るのは、むしろ私の方」
本当に、そう思う。
考えが甘かったのだ。配慮が足りなさすぎたのだ。
「最初から、私がもっと注意を促していればよかった」
寝食をともにすれば、情が湧く。これほどまでに溺愛するとはまさか想像できなかったけれど、光莉が抱いた感情そのものは、正しいものであることに間違いない。
止めるべきだった。最初から、迷子のアルパカさんを彼女に押し付けるのではなく、別の案を示すべきだったのだ。
「そんなこと……ひなちゃん先輩が謝る必要なんて、どこにも……」
「……それでも、やっぱり謝らせて」
しばらく、その場にいる全員が押し黙る。
そして。たっぷりと沈黙の精霊がその場に居座ったのちに。大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開いたのは光莉だった。
「ごめんね。まるるにも、恥ずかしいところを見せちゃって……」
「い、いえっ! 私は全然、そんなふうに思わないですっ」
慌てて手をぱたぱたと振る後輩の少女に、柔らかい微笑みを向けて。
もう一度、深く息を吸う。吐く。動作とともに、気持ちがひとつにまとまっていく。
口元を引き締める。そうやってから、光莉は決然として告げた。
「……決心がつきました、ひなちゃん先輩」
◇ ◇ ◇ ◇
やっと、見つけた。
小さな公園の入口。俺と海月がそこを見つけた時には、すでにひなちゃん先輩とまるるが先着していて。
ひなちゃん先輩が、光莉に謝っていた。
『事前に予測できたかもしれないこの事態を、もっと早く指摘してあげられなくて申し訳ない』と、ひなちゃん先輩は全身を使って詫びる。でもそれは、俺達全員で痛感するべき迂闊さであったのだ。
「光莉……」
光莉が、おそらく初めて放り出してしまったアルパカさん(青)。ここまでずっと抱きかかえてきた海月がすっと腕を解くと、とてとてと光莉の足元へと歩み寄っていく。
彼女は、立ち直っていた。
「アルパカさん……そしてみんな。心配かけて、本当にごめんなさい」
そして、膝をかがめて、いつもの定位置までやってきたアルパカさん(青)の頭を、ゆっくりと優しく撫でる。
「私は、もう大丈夫だから……」
そう言いながら無理に微笑んでみせる光莉は――
たぶんきっと、ほんの少しだけ。
今までよりも、さらに強くなった。
「……それに、このままじゃ。アルパカさんが、安心してもとの飼い主のところへ帰れないもの」
傷ついて。その内心は、きっとすぐに癒えることはないだろうけれど。
でも、最後は――別れゆく友に、笑顔を見せることができた。
「私、アルパカさんがいなくなっても、今まで通りにちゃんとできるから。ね、心配なんて、ないんだよ……?」
その夜。
光莉はアルパカさんを柔らかく抱きしめながら、眠りに身を委ねた。
アルパカさんと光莉。最後まで一緒だった。
決して、涙は流すまいと決めていた。だから、そのあと枕に残っていた雫の跡はどちらのものだったのか、考えようとはしなかった。
腕の中にいたアルパカさんの温かさと、ふわふわの毛並み。
その感触は、これからもずっと忘れることはないだろう。
翌朝。
そっと、アルパカさんの姿は消えていた。
「……アルパカさん、帰ったのか……?」
「……うん……」
そう答える光莉はさすがに元気がなかったが、俺の気持ちはもう、少しも揺るがなかった。
大丈夫。
ちゃんと、光莉は立ち直る。彼女は、弱くはないのだ。
――アルパカさんがいなくなって。一人で膝を抱える自分の部屋は、いつもより少し広く感じられて。
――不思議だね。元々、これが普通だったはずなのに。
――でも、大丈夫。時間がきっと、いつかその違和感を埋めてくれる。
――今はまだ寂しいけれど、きっと大丈夫。だから心配しなくていいからね、アルパカさん。
優しい痛みは、暖かい思い出へと変わる。
そして、多くの思い出を胸に抱いて。人はこれからも、生きていく。