必ずしも、皆にチョコを貰えるのはまちがっているわけではない。 作:サンダーソード
A.ただじゃあ素直に渡してくれないし受け取ってくれないんですこいつら。
六時間目を受けるのは諦めて、保健室に逃げ込む。以前一度仮病を使ったときはバレなかったが、今回は果たしてどうだろうか。……あの時はバレなかった分だけ後で酷い目に遭ったからな。
畜生働きならぬ社畜働きした文化祭のことを思い出しながら保健室の扉を開ける。回転椅子に腰掛けた養護教諭がくるりと回ってこちらを向く。
「あら……どうしたの?」
「ああいえ……ちょっと調子が悪くて……」
「ふーん……? ちょっと見せてみなさい」
黙って近付く。前回はこの目のせいでじゃないおかげでチェックをくぐり抜けたが、今回はどうだろうか。
「駄目そうね。ここに記名して、そこのベッドで休むといいわ。今もう一人、隣のベッドで休んでる子がいるから静かにね」
ザルだった。大丈夫なんですかこの養護教諭? とりあえず記名だけはさらさらっとしておく。ベッドの方に目をやると、カーテン越しに薄い影が動いているのが見えた。
「ところで、その袋は?」
左手に提げた紙袋を見咎めて問うてくる。いえ、ゲーム持ち込んで保健室で遊ぼうなんて考えてないですから。本当は授業に出るつもりだったんです嘘じゃないんです。サボりは本当だけど。
「……解熱剤と水筒が。ちょっと朝から調子良くなかったんで、一応……」
「あら、そうなの。必要になったら保健室で処方するから、次からは持ってこなくても大丈夫よ?」
信じちゃったよ。さすが俺、内心の生真面目さとか誠実さとかそういうのが滲み出ちゃってるんですかね? あ、今脳内雪ノ下が一秒間十六連射で悪口雑言を投げてきた。
「ゆっくり休んでなさい。先生この後ちょっと職員室に行かなきゃいけないから、誰か来たときにもし起きてたら軽い対応だけお願いしていい?」
「はあ……」
だが断る。と言いたいところだったが、騙して潜り込んでる引け目もあって曖昧に頷いておく。この比企谷八幡が最も好きなことの一つは俺以外が働いているときに一人だけ休んでいることだっ……!
「ありがと、じゃあお願いね」
そう言って養護教諭は出て行った。それを背に軽い音を立ててベッドを遮るカーテンを引くと。
「…………」
「は……?」
何故か奥の方のベッドのカーテンの隙間からじっとこちらを窺っている、相模南と目が合った。
× × ×
あれから、十分が経過した。
「…………」
「…………」
き・ま・ず・い! ねえ何でこいつここにいんの授業どうしたのサボってんなよちゃんと受けろよ!
お互いに何でこいつここにいんの的な空気を発しながらも何も喋らず相手の出方を窺うような沈黙だけが流れていく。双方無目的なだけにさっきの川崎の時の数倍はきっついぞこれ。
普段ならお互い寸毫ほども気にせず素通りする関係なのに、この距離でベッドで寝てるって事が大分あれなのとなんか知らんが今日は相模がカーテンの隙間を閉めずにこっちじーっと見てんだよ。ホラーかな? 閉めようにも俺が相模との境界を遮ってるカーテンに手をかけたらその時点で悲鳴上げられてアウトだろこれ。
体調悪いですって事でここ来たんだから、養護教諭帰ってきたときにいなかったらサボりだってバレるだろうし八方塞がり。
こいつの蛇みたいな眼、苦手なんだよなあ……。
「ぐぅ……」
「…………」
いびきじゃねえよ? なんか腹の底から絞り出されるような苦鳴が出てきたんだが。これこのまま一時間もいたら胃に穴空くんじゃねえか……?
つーか相模いつから保健室に居たんだ? 全く興味ないから気付かな
「ねえ」
「うおっ!?」
考え事の途中で全く予想外の、ってこれ川崎の時もやったな。だからびびるっつってんだろやめろよ。
「……何キョドってんの」
「……声かけられるとは思ってなかったんだよ」
だがなんだかんだで針を仕込んだ真綿で首を絞められるようなストレス性の時間は終わった。何考えてるかも分からず監視され続けてるよりは多分ずっと気は楽だ。
「……ねえ、あんた。それ、何?」
「あ?」
相模の目線は川崎から貰った紙袋を向いていた。さっきの話聞いてなかったのか、信じてなかったのか。
「……解熱剤と水筒だって言ったの、聞いてたんじゃなかったのか?」
「嘘でしょそれ。飲んでないじゃん」
そりゃそうだ。わざわざ朝から調子悪いとか言って保健室まで持ち込んだんなら普通に寝る前に飲むわ。
「……まあ、貰いもんだ」
「……バレンタイン? 結衣ちゃんから?」
「……なんで由比ヶ浜の名前が出るんだよ」
「……じゃあ雪ノ下さん?」
「だから……」
溜息が出る。頭をがりがりと掻きむしる。何だって俺こいつとこんな会話してるんだろう。
「……どっちでもないのに、バレンタインなの?」
こいつの中で俺とあいつら一体どんな関係に見えてんだよ。
「そもそもバレンタインなんて……」
「バレンタインでしょ? あんたさっき結衣ちゃんの方にだけ引っかかってバレンタインはスルーした」
「…………」
喉奥から唸り声が漏れる。なんだろう、イメージ的に蛇にするすると巻き付かれてるみたいな感じが。
「別に誰からだっていいだろ……」
「……………………まあ、そうだけど」
などと口では言いつつ、ものすっげえ不承不承が伝わってくるんだが。何? 何がそんなに気になってんの?
「……以前の礼だっつって貰ったんだよ。奉仕部絡みで」
「ふーん……?」
やっぱり口では適当に流しつつも、かなり表情が和らいで見えるんだが。マジでどうしたんだこいつ。
「それがどうかしたのか」
「ん……別に……」
そう言って黙り込む相模だが、やっぱり視線は俺から外れない。さっきの針の筵ベッドで寝てる状態よりは会話した分だけマシになってるが、それでも据わりが悪いことに変わりはない。
「…………」
「…………」
とはいえ十分耐えられる程度にはなっているので、もう気にせず寝ることにする。眠れはしなかろうが、目を閉じてれば寝てますアピールは出来るし相模の視線が気になることも
「ねえ」
「っ! ……なんだ」
ないと思ったのに何で話しかけて来てんのこいつ。ぼっちのATフィールドこじ開けてくるとか、もう少し配慮ってもんを持とうぜ?
「……だから何でキョドんの? つーか何で人と話してる最中に寝ようとしてんの?」
「…………」
え、話ってまだ続いてたの? 別にで終わったもんだと思ってたよ。リア充の会話って分かんねえな。
「……あのさ」
「……なんだ」
相模がようやっと俺から目線を外し、かけられてた重圧が解除される。こいつ魔眼使いか何かなの? 相模はカーテンの切れ間から引っ込んで、見えるのはモノトーンの薄い影がごそごそやっている姿だけとなった。
お前保健室のベッドで何やってんだ……? と思ったら、またカーテンの切れ間から顔を出して、じっとこっちを見詰めてくる。
「……その」
「……おう」
何だろう、相模の顔が引っ込む前に比べて、少し赤くなっている気がする。緊張しているのだろうか? 相模は深呼吸をして、またこっちをじいっと見る。
「…………その、ね」
「……ああ」
「…………………………………………これ」
「……ああ?」
またも会話が終わったのかと思うほどの長い沈黙を経て、帳の向こうから身を乗り出した相模は躊躇いながらも何かを差し出してくる。突き付けられたそれを見ると、またも紙袋。小さめでカラフルなストライプに彩られ、半透明な赤色のリボンで結ばれたそれは、川崎の紙袋とは明らかに毛色の違うものだった。
「…………これ、が、どうした?」
「……………………見た目の感想を聞いてるとでも思うの?」
思わねえけど、お前が俺にプレゼントってのも同じくらい思いがたいと思わねえの?
「……………………プレゼント、よ」
「…………お、おう」
プレゼントだった。いやそもそもこの状況自体が今朝の俺に言っても鼻で笑って歯牙にもかけないレベルに有り得ないんだけども。
突き出された紙袋におそるおそる手を伸ばすと、その手に紙袋を押しつけられた。かすかに触れた手は柔らかで温かく、そういえばこいつも女子だったんだって事に今更ながらに気付かされた。
「え……なんで……?」
「……………………あんたのそれ、お礼、って言ってたよね」
カーテンの奥に戻った相模は俺たちの間に横たわる隙間をベッドの間隔分まで広げ、眼だけで川崎の紙袋を示す。
「あ? ああ……」
「……じゃあうちのはお詫び、だわ」
「詫び……?」
相模に似つかわしくないその単語に、思考が一瞬停滞する。相模が? 俺に? 何で?
「……………………あんたどうせうちがやったこと、知ってんでしょ」
相模と俺の接点となると文化祭か体育祭か。そこまで考えたところで、保健室に来る前に思い返してた文化祭の記憶と繋がる。この言い方だと本来俺が知らないだろうことを知ってるってことだよな。
やったことっつーか仕事しなかったことは目の当たりにしてたし、嫉妬から雪ノ下の足引っ張ったときもそこで見てたし、逃げ出したときのも俺が追い返したから当然知ってるし、体育祭でやらかしてハブられてたことも逆切れしたことも同じ場所に居たんだからお互い分かっている。
「……何のことだ?」
「っ……! あんたはまたそうやって……! うちがあんたの悪い噂広めてたの、知ってるんでしょ!?」
「…………あー、あー」
思い出した。くっそ、珍しくちゃんと忘れられてたのに何で思い出させるんだよ無駄に掘り起こしやがって。そっとしておいてくれよ布団で泣いたことまで思い出しちまったじゃねえか。
「……で、これが、詫び?」
受け取ったまま固まっていた右手を揺らし、その手に持った紙袋を示す。
「…………別に、そんなので許して貰えるなんて思ってないわよ」
拗ねたように、あるいは諦めたようにそっぽを向く相模。……もう割とどうでもいいんだがなあ。確かに当時は辛いと思ったが。……何より、分かってくれた人はいたのだ。悪いだけの記憶では、ない。
「……………………あんたが葉山くんを焚き付けてくれなかったら、うやむやにあんたに押しつけることすら出来なかったのにね」
その面貌に浮かぶのは、後悔……なのだろうか?
「いや、それは……」
「あんたうちのこと馬鹿だと思ってない?」
閉口する。まあ、多少はね?
「……実際、気付くのにも大分時間が掛かったから、胸張って違うとも言えないけど……。……違うわね。気付きたくなかった、のよね」
へらっと軽佻に笑う。口の端から糸切り歯が覗くが、その鋭さが普段こいつに対して抱いてる蛇のような印象にはどうしてか繋がらなかった。
「ねえ、何であんなことしたの?」
「……お前が戻らねえからだろ」
「にしたって力尽くで連れ帰ったっていいし、それこそ投票記録だけ持って帰ったって……そもそもうちが槍玉に挙げられたってあんた困んないでしょ?」
そりゃあ、そうだが。ぶっちゃけ相模がどうなろうが俺の知ったことじゃない。
「何で……ううん、あんた、誰のためにあんなことしたの?」
「……………………」
「こっち、見てよ」
「ふー……。仕事、だったからだよ」
「…………うそつき」
その言葉がちくりと刺さる。ああ、確かにあの依頼は俺が受けたものじゃなかった。倒れてまで自分を貫いた彼女の生き様を完遂させるため。あるいは、こいつの心底くだらない子供じみた我が儘でそれが邪魔されるのが我慢ならなかった俺のエゴ、と言い換えていいかもしれない。
相模は小さな嘆息をしてからまたも浮薄にへらりと笑い、右手に乗った紙袋をゴミでも見るような目で眺める。
「食べてくれるのが一番だけど……。捨てたり、踏み砕いたりされても文句言うつもりはないわ。それすら面倒ならこの場で突っ返してくれてもいいしね」
卑屈な笑みで自嘲する。その笑い方は俺の中のこいつらしいものだったが、平行する捨て鉢さは……いや、これも体育祭準備終盤の時のものに近似している、のか?
「……まあ、出来ることなら捨てるならうちの見てないところでやってくれたら、とは思うけど。なんなら丁度ベッドの上だし、消えない傷痕でも刻んでみる? 今なら抵抗しないかもしれないわよ?」
増える口数は不安の表れ、なのだろうか。気のせいなのかも分からない。だが、今の俺にはこいつが脆く見えて仕方ないのだ。軽く押せば砕けるほどに。
「ああ、それともあんたには必要ないかしらね? こんなどうしようもない女なんかわざわざ使わなくても、もっと可愛くて性格もいい……」
軽い擦過音を立てて半透明な赤色のリボンを解き、綺麗に折り畳まれた口をがさごそ言わせながら丁寧に広げ、中に納められたチョコレートを覗き込む。そこには小さめのガナッシュが詰められていた。
そのうちの一つを指先でつまみ、掌に載せる。相模は食い入るように俺の掌を見詰めている。のべつ幕なし続いていた長広舌もいつの間にか止まっていた。
そして改めてガナッシュをつまみ上げ、食べたことがはっきり見えるように囓る。ほろほろと口中でほぐれ、速やかに甘みが広がる。張り詰めた相模の表情も、囓った残りを口に放り込む頃にはほぐれていた。
「……旨いな」
「っ! …………そう」
そこに広がるのは、安堵なのだろうか。
俺をじっと見ることも、縦に瞳孔が裂けたような眼も、相模南を構成するパーツは何一つ変わってなどいないのに。その蛇のような眼は、もう気にならなくなっていた。
「なあ」
「っ、なに」
「……何できょどってんの」
言ってやった言ってやった。ほらなやっぱきょどるんだよ声かけられたら。
「……悪かったわよ。声かけられるとは思ってなかったのよ」
少しばかり疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「お前、何でここにいんの?」
「っ! …………そうね、ごめんなさい。すぐ、消えるわ」
「ばっ、違えよそういう意味じゃねえよ! お前、あんま調子悪そうにゃ見えねえから……」
「えっ、あっ……仮病じゃないわよ。…………あんたに、それ渡すこと考えたら、なんか、おなか痛くなって……」
それストレス性の胃痛じゃねえのか。どんだけ気に病んでたんだこいつ。
「……じゃあ、何で保健室までこれ持ち込んだんだ? 俺が来るって分かってたわけじゃねえだろ?」
カラフルな紙袋を揺らして示す。俺がここに来たのは完全な偶然だ。この一連の流れを読んでたとか言ったらそれはもう完全にエスパーの領域。
「そりゃね……。でももしかしたらどこかで渡せるかもしれないって思ったから、一応持ってようって……」
「……お前、俺がここに来なかったらどうするつもりだったんだ?」
「…………家帰ってゴミ箱にチョコレートプレゼントして寝て起きて、明日からいつも通り過ごしてたかもね」
「…………」
自嘲と自棄を色濃く含んだ笑みが形作るのが、今の相模なのだろうか。
その笑みを引っ込め、代わりに痛ましげな笑みを浮かべて俺を見る。
「…………ひどいこと、したわよね」
痛むような、あるいは悼むような口調で相模は後悔を吐き出す。いっそ懺悔と言っていいのかもしれない。
「……あんたみたいな最底辺相手なら何してもいい、って思ってたのよね。……そんなわけ、ないのに」
「お前、変わったな……」
今の相模を見て、その言葉は自然と口からこぼれ落ちた。その短い言の葉に相模は一瞬泣きそうに顔をゆがめ、すぐさま伏せて表情を隠す。
「ちょ……やめてよ……。そんな……そんなの……」
人は簡単には変わらない。殆どは痛みを伴う経験を経ての拒絶反応がそう見せているだけ。それはきっと事実だ。少なくとも俺はそう思っている。だが、それでもこいつは変わったと、そう思う。
「…………変わんないわよ。うちは、うち。あんたと違って、最底辺の住人よ」
「…………そーかい」
啜り上げるような息遣いと震える声。それに平然と突っ込めるほど俺の心強かねえよ。
相模は時間をかけて息を整え、俯いたまま帳の向こうから声をかける。
「…………うち、放課後まで休んでるから。一緒に戻って変な勘繰りされたくないでしょ。あんた、六時間目終わったら先戻りなさいよ」
そう言って、相模はカーテンに手をかける。二人を一時的に繋いでいた隙間が閉じていく。
「……おう」
「…………ありがと、比企谷」
最後の刹那、相模のあの眼が俺をじっと見詰めたままにそう言った。
正しく呼ばれた自分の名前に不意を打たれ、反応が遅れる。いや、それで不意打たれるのもどうなのって感じだけど。……あいつ、俺の名前知ってたのな。
もう一度、小さな紙袋を開いて小さなガナッシュを口に放り込む。
溶け広がる甘みが心地よく、いつしかこの部屋に降りる沈黙もそう悪いものではないと思えるようになっていた。