必ずしも、皆にチョコを貰えるのはまちがっているわけではない。 作:サンダーソード
あの後帰ってきた養護教諭を狸寝入りでやり過ごし、チャイムの音で起き出して教室に帰る。ホームルーム前の喧噪に紛れ、ごく自然に戻れたと思う。相模袋は川崎袋と自分の身体の間に隠して誰にも見えないように持ち運んだ。なんとなく、なんとなくね。
ベッドを降りる間際、相模は『……雪ノ下さんに、ごめんって。……お願い』と、消え入るような声を帳越しに投げかけてきた。養護教諭が居たために返事は返せなかったが、まあ、何? 奉仕部への依頼。つまり仕事だしな。仕方ないだろ。
鞄の中に二つの紙袋を仕舞い込み、鞄のお口にチャックしたところで調子っぱずれな声をかけられた。
「やあやあヒキタニくん、重役出勤ご苦労様だねえ」
「……」
ゆらゆらと歩いてくるのは海老名さん。五時間目までいたよね俺? あ、覚えてないですかそうですか。まあ陰薄いもんねしょうがないね。ところで誰かなヒキタニくんって。
「ヒキタニくん、サキサキのチョコは美味しかった?」
「…………」
ブラフだ。これぜってえブラフだ。努めて反応を消してうんざりした眼で見返すも、壁際の川崎が大音鳴らして椅子から滑り落ちそうになってたので俺の努力に意味はなかったかもしれない。
「いやー、罪な男の子だねーヒキタニくんは! そんなヒキタニくんには罪状追加のプレゼント-!」
「…………はっ?」
そう言って、海老名さんは小さく半透明なビニール袋をシュバッと突き出す。対する俺は豆鉄砲食らった鳩ぽっぽ。
「…………は?」
「ぶふっ……ヒキタニくん、そこまで面白い反応してくれるとは思わなかったよ。それだけでも作ってきた甲斐はあるかも」
「え……いや、はっ?」
思わず葉山グループを眼で探してしまう。戸部は両手でこれと同じものを大事そうに持ちながらも、呆気にとられた顔でこっちを見てる。大和と大岡も同じものを手にして、戸部と海老名さんを見比べている。なんと葉山もそれを手に、苦笑いを浮かべて俺を見ていた。
「ぐふふふふっ……。ヒキタニくんにチョコをあげる女の子を見て嫉妬の炎に身を焦がす隼人くんにとべっち……。そんな二人を更に後追う大和くんと大岡くんの視線……。キキキキキマシタワーッ!」
三浦はこっちを気にするどころじゃないらしく、真っ赤な顔して荒い呼吸で左手には半透明のビニール袋、右手では自分の鞄を強く握りしめている。そして、由比ヶ浜は……。
「と言うわけで、ヒキタニくんにもぎりぎりの義理チョコをプレゼント! 味わって食べてね?」
…………予想外に、と言うべきか。凪いだ瞳で俺たちのやりとりを眺めていた。俺と視線が合ったのに気付くとはっとした表情で一瞬目を逸らして、すぐに取り繕ってぎこちなく笑いかけてくる。その笑顔から反射的に俺の方が眼を逸らしてしまう。逃がした先、やはり由比ヶ浜の手には同じ袋があるのが見えた。
「……いやあ、ヒキタニくん。さすがに義理とはいえバレンタインチョコくれる女の子が目の前に居るのに余所見はないんじゃないかなあ」
半分聞き流してたが、バレンタインチョコって言葉に意識が引き戻される。今日ちょっといろんな事ありすぎてその単語に対してかなり敏感になってるな。
「……えっと、何で?」
「やーだなー、ただの義理チョコだよ? そんな深く考えることないよね! と言うわけで、ヒキタニくんにもぎりぎりの義理チョコをプレゼント! 味わって食べてね?」
『も』、ね。その助詞を聞かせたい相手はきっと何人も居るのだろうが。それ以前にその答え、チョコを配る理由になってねえよ。深く考えるなって言ってくるのは大体深く考えなきゃいけない相手だからね?
「なあ、何で?」
「ただの友チョコだってばー。とべっちや隼人くん、優美子にだってあげたしさ。こんなの、普通でしょ-? なんならヒキタニくんも隼人くんにあげていいんだよ? ホモチョコ。チョコがないなら私が用意するし」
……ああ、それか。ただの友チョコなら、と。三浦の援護射撃に使ったのか。グループ内でそういうことをするのは自然だ、なんて。葉山に受け取る理由をくれてやって三浦の背中を押すために。
それでも、やはり分からない。海老名さんはそもそもこういう行為そのものを遠ざけたがっていたのではなかったのか。何でだろ。戸部への牽制? あとついでにグループ外の俺に渡す必要ないよな? 更に言えば俺たち友達じゃないよね? 友チョコて。
怪訝な顔と半眼を向けていると、海老名さんは笑顔の質をそっと硬質に切り替えて。
「もう、クラス替えも近いからねー。進級したらまた色々変わっちゃうだろうし、その前に、思い出作りとか?」
……なるほど。今度こそ合点がいった。つまり、リスクリターンの天秤をそこにぶら下げたのか。進級で葉山グループが全員同じになる可能性は極めて低い。……低いよな? 確率とかいう数学見た目にわかりづれえんだよ。ともかく、低いはずだ。そして、ばらけた後もなお同じメンバーで居られるほどの結びつきもまたないはずだ。そんなものがあれば三浦は奉仕部には来なかった。だからこそある程度は壊れることを前提に、リスクの低くなった賭けに出た。元より修学旅行の時点で蟻の一穴は空いていたしな。となると、俺に渡そうとしているこれは迷彩と状況をコントロールするための布石、ってところか?
いやー、ほんっと性格悪いこと考えるよなあ。腐敗っぷりは健在か。彼女も、俺も。千葉村で平塚先生に言われたっけか。そんなことを考えつく時点で最低だよ、って。
俺の表情から得心を感じ取ったのか、改めて海老名さんはビニール袋を突き出す。中には何かを芯にチョコをかけて固めたようなお菓子が幾許か。
「と言うわけで、はい! ヒキタニくんにもプレゼント! 私特性の義理チョコ四ピース! お返しとかは特に要らないから、味わって食べてね?」
「そう言って本当に渡さなかったら村八分にするんでしょう? ……アリガトウゴザイマス」
「よくそこまで平坦に言えるねえ……練習した? ま、いいや」
そう言って海老名さんは背を向け。
「平塚先生から伝言、『誰か比企谷に伝えておいてくれ。いい度胸だな比企谷。放課後、奉仕部の前にまずこちらに寄りなさい、と』だってさ」
最後に爆弾置いて歩いて行った。……ところで誰かな比企谷くんって。海老名さんが話してたのはヒキタニくんじゃなかったの?
世の無常に嘆いていると、入れ替わりに戸部が真剣な顔っぽいもの浮かべて歩いてきたが興味はない。机に突っ伏してげんなりしていると、遠慮がちに肩を揺すられる。
「な、な、ヒキタニくん。ちょっといい?」
戸部にそんな気遣いが出来たことが意外でつい起きてしまう。他意はない。うんざりを視線に載せて起き上がると、片手に海老名袋を持った戸部が立っていた。知ってた。
「…………何?」
もう告白のサポート依頼終わったよね? 出来ればお前らの色恋沙汰にこれ以上巻き込まないでくれるかな? って意志を溢れんばかりに載せてるつもりだけど全く通じている気がしない。お前ら普段あんだけ非言語コミュニケーション自由に使ってんのにどうしてこういうときだけは通じないの? 俺とはプロトコルが違うわけ?
「あー……、そのな? またか、とか、今更、とか、言われっかもしんねーけどさ」
いつも花丸脳天気な戸部がなんか珍しく言い淀んでる。忙しない挙動で襟足をばさばさやったりきょろきょろしたり、鬱陶しいなこいつ。視線を落として突っ伏すと、戸部の持つ海老名袋が目に入る。ぜってえこれ海老名さん絡みの話なんだろうなあ……。
それでもちょっとするとぴたりと落ち着いて、軽く呼吸を整える戸部。
両の手を俺の机について、ニッと笑って俺の目を覗き込んできて。
「負けねーから」
それだけ言って、自分の席に戻っていく。……あの馬鹿、ここが教室って事忘れてんじゃねえのか。見なくても分かる。海老名さん絶対見てたろこれ。
溜息が出る。何で他人の色事に巻き込まれてるんだよ。ああ、修学旅行の自業自得か。もういい、折角だ。一個くらい意趣返ししたってバチは当たらんだろ。
「戸部」
「うえっ!?」
呼び止められるとは思ってなかったのか、頓狂な声を上げて戸部が振り向く。ほら見ろやっぱりトップカーストだって急に声かけられたらきょどんだよ。
「え、な、何よヒキタニくん?」
黙って海老名さんから貰ったビニール袋を掲げ、指差した。戸部が右手に貰った袋を視線で追いながら。さすがにボディランゲージは通じたのか、疑問顔の戸部が自分の海老名袋を目の高さまで持ち上げる。
「お前、数は数えられるか?」
「は? いや……え?」
まあ数学学年最下位の俺でも算数くらい出来るんだから問題ないよな。戸部は暫く俺の顔と二つの海老名袋の間を忙しなく見比べる。そのうち何か気付いたように考え込み、自分の貰った袋をばっと見て。
「おおおおおおおおっ!!」
うるさい。戸部うるさい。雪ノ下も言ってたぞうるさいって。
「サンキューヒキタニくん! 愛してるぜッ!」
「ぶふっ!」
おい馬鹿やめろ。教室の一角で流血沙汰が起きてんだろ。まして今はおかんが機能不全起こしてんだから。
そんで、願わくばもうこれ以上俺を巻き込んでくれるな。お前らは勝手によろしくやっててくれ。
そんなことを思いながら机に突っ伏す。四の次の数字が数えられることを証明した戸部は、ホームルームに来た担任にやかましいと厳重注意されていた。ザマミロってやつだ。だからにやついてんじゃねえよ、全く。