必ずしも、皆にチョコを貰えるのはまちがっているわけではない。 作:サンダーソード
ホームルームが終わり、気が進まないものの行かなきゃもっと酷いことになるのが目に見えてるので平塚先生の元に赴く。溜息を吐いて職員室の扉を開く。
「……失礼しまーす」
全身に倦怠感を漲らせ、平塚先生のデスクまで十三階段を上る心持ち。ニコニコ顔で待ち受けている平塚先生が命を刈り取る形に見えるのは気のせいですかね。
「来たか、比企谷」
「あの、体罰なら早めに済ませていただけると……」
注射とか歯医者とかって待つ時間が一番嫌だよね? きっとこれは俺だけじゃないはず。
「ん? ああ、そうか……。いや、他の生徒の手前ああは言ったが、今日はただ君と少しばかり話したかっただけだよ」
「へ?」
なんか思わぬ方向に話が転がった。平塚先生は鞄を片手に立ち上がる。
「奥に行こうか」
そうして通されるのは幾度目かの応接室。目で促されるままにソファに座る。クリスタルガラスの灰皿には、煙草の残骸が少々入っていた。
鞄から煙草の箱とライターを取り出し、トトンと叩いて迫り出した煙草を直接咥えて火を点ける。流れるような一連の動作。
「……かっこつけてますね」
「ああ、その通りだよ」
いつかの橋の上でのやりとりを思い出して少し言葉を換えて茶化すも、ニッと笑う平塚先生が本当にかっこよくて反応に困る。だからこの人生まれる性別間違えてないの? 男だったら入れ食い状態でモテてそう。
煙を吐き出しケースとライターを懐に仕舞った平塚先生は、煙草を手挟み口を開く。
「川崎がな、六時間目の授業に遅刻してきたよ」
「はあ、そうですか」
努めて平静に言うものの、まるまるお見通しなんだろうなあという諦観はなくもない。ちょっと川崎さん正直者すぎません?
「軽い注意だけして授業は受けさせたが、全く頭に入っていないようでな。悪戯心にあれを指したらどうなるのかとは思ったが……まあ、自重したよ」
くくっと笑って煙草を咥える。先端を赤熱させながら大きく息を吸い込み、細く長く煙を吐く。
「青春しているじゃあないか」
「……なんの、ことでしょう」
何でこの人はそんなことを嬉しそうに言うかねえ……。
「もう、由比ヶ浜からは貰ったのか?」
「……何をですか?」
「皆まで言わせたいのかね? バレンタインのチョコレートだよ。雪ノ下は早くて放課後だろうしな」
「……どうして誰も彼もがその二人の名前を出すんでしょうね」
「皆まで言わせたいのかね? つまり君たちを見ている者であれば、誰も彼もがそう思うということだ」
「…………」
「さて、君にそんなことを言うような相手と状況を考えれば、川崎の他にも貰っているというわけか。君のことだ。貰ったチョコの数を競い合う、などと言う真似はしなかろう?」
そりゃそんな悪趣味なんてしませんけどね? こうも簡単に見透かされるのは年の功かねえ……。
「何、身構えるな。聞かれたくないならそこまで詮索する気はないよ」
そう言ってまた嬉しそうに煙を吐き出す。吐かれた煙に巻かれてる気分だ。
「……それで、その。結局何の用だったんでしょうか……」
「だから言っただろう。君と話をしたかっただけだと。まあ、些細な用ならもう一つあるが……」
そこで言葉を止めて、煙草をクリスタルに押しつけ。
「比企谷。私は、嬉しいんだ」
平塚先生は、とても優しい目で、俺を見た。
「君が今日貰ったそれは、君が歩いた軌跡の結果だ。君の行動は確かに周囲に影響を与えているんだよ。君は認めようとはしないかもしれんがね」
……認めようとはしない、か。何もなければそうだったかもしれない。だが、俺の鞄の中には確かな物証がある。今まで生きてきた十七年、母ちゃんと小町以外に貰った事なんて一度たりとなかったのに。
「君は変わった。私が太鼓判を押すよ。雪ノ下や由比ヶ浜も同様だ。君たち三人は、奉仕部の本懐を果たしたのだ」
「…………」
「なあ? 嬉しくもなろうというものさ」
そう言って平塚先生はウィンクを飛ばす。
いつかに言われた。奉仕部は自己変革を促すための場だと。
それだけの環境を整えるのに、この人はどれほどまでに尽力してくれたのだろう。
生徒だけでは取り切れない責任の所在。よくもまあこんな問題児たちのためにそんなものを背負う気になれたものだ。
「……ニートの子供が更正した母親みたいな言い回しっすね」
「全方位に喧嘩を売るな君は……。そんなに一発欲しいなら入れておくか?」
「いえ、遠慮しておきます。……こんな問題児に、そんな手間かけても見合わんでしょうに」
「以前言わなかったか? 私は依怙贔屓するんだ、と」
平塚先生はくつくつと笑う。腹の中まで見透かされてる気がして、どうにも目が合わせられない。
「まあ……聞いた覚えはありますね」
「だから、諦めて依怙贔屓されていなさい。何、きっと悪いようにはしないさ」
そんなことはもう十分理解している。分からされ続けてきた。俺は一体どれだけのものをこの人から貰ったのか。
「じゃあ、そう、しますよ。諦めるのは慣れていますからね」
「慣れと惰性で諦められないものを手にするのは、いいものだろう?」
「…………さて、恐ろしいと思っていたんですがね」
取り返しの効かないものなんて。でも、一度手にしてしまったらもう手遅れなのだ。手放せないのだから。
……手遅れなのだ。本当に素晴らしいものだと、思い知ってしまったのだから。
「……お話は終わりですか? なら俺そろそろ……」
「ああ、引き留めてしまってすまないね。だが、まあ。私は満足したよ」
そう言って立ち上がる平塚先生の笑顔が、またどうにも直視しがたいものがあって。
「さて、些細な用も済ませてしまおうか。…………比企谷」
「なんすか」
「受け取れ。義理チョコだ」
「はっ?」
そう言って平塚先生は鞄から取り出した重量感のあるビニール袋を俺に突き出す。
「え、いや……え?」
「三人前入っている。受け取りたまえ」
応接室のローテーブルを回り込んでトンと胸元に置かれる拳から、ビニール袋を両手で受け取る。
「うむ。雪ノ下と由比ヶ浜にも渡しておいてくれ」
「……自分で渡せばいいじゃないですか」
「いや、今日の奉仕部に立ち寄るつもりはないよ。今日は君たちの時間であるべきだろう。安心したまえ、万一依頼が来ても明日に回すから」
俺に義理チョコを渡し終えた平塚先生は、鞄を持って応接室を出て行こうとする。
「あの……」
なんとなく、それを呼び止めてしまっていた。特に何か言いたいことがあったわけでもなかったのに。
「なんだ?」
振り向いて、問いかけてくる。その疑問顔と手の中の重みが、質問を頭の中で組み上げていた。
「…………いいんすか。教師がこんな事して」
「良くはないさ。だから、諦めて依怙贔屓されていなさい」
「…………うす」
今度こそ平塚先生は出て行った。……俺も行くとしよう。
既にチョコや教科書で普段より膨らんでいた鞄の中に、化粧箱三つは入りそうになかった。
平塚先生の依怙贔屓は、ビニール袋のまま二人の元へ運んで行くこと決めた。