ではどうぞ。
その日彼女は珍しくーー否、久方振りに苛立っていた。
生きていれば自然と生まれてくる日常的な苛立ちではない、本能に突き刺さるような苛立ち。
或いは敵意とも呼べる……数年前まではごく当たり前に日常的に感じていたそれ。
ーーなんだってんだ。魔女なんかどこにもいねぇって言うのに。
普段なら気にも止めなくなったパチンコ・スロットの暴力的な音にさえ敏感になっている彼女ーー杏子は不必要にハンドルを強く握ってしまう。
ーー久し振りだぜ全く。お陰で打つ手に力が入っちまう。
杏子の打つ台の液晶に浮かび上がる【右打ちに戻して下さい】という警告文。
しかし彼女は一切気にも止めず、周囲に視線を巡らせている。
ーーそこか?
僅かに強まる気配。左手に隠していたソウルジェムの輝きを見るに彼女の察知は正しい。
が。
「……いない?」
弾かれたように振り向き臨戦態勢を取るもあるのは一般の客だけ。それらしい姿は何もなく、口づけも確認できない。
むしろ唐突な行動に出た杏子に対して驚き、疑問的な視線を送っている。
「あ、わ、悪い」
「い、いえ…」
目が合ってしまったがためにひとまず謝罪を口にして椅子に座り直す杏子。
ーーな、なんだ?なんだってんだ?たかだか数年で訛っちまったのかよアタシは。
途端に湧き上がってくる羞恥心だが、それをなんとか抑え込み、己の判断を問い質した。
ーーいや、そんなはずねぇ。ソウルジェムだって光ったんだ。なんかいたのは間違いない。……それに、問題はそこじゃねぇ。
どこで誰が見ているか分からない。故に彼女は平静を装いハンドルを握り銀玉を打ち出し、一般客を演じる。
だがその胸中にあるのは一抹どころではない不安ーーいや、恐怖。
ーー本当に魔女だったのか?アレ。
負の感情渦巻く場所に現れては人を惑わし、結果的に死に至らしめる存在である魔女。
少女限定の遊技場とは言えここはパチ屋。天国を見る以上に地の底に叩き落とされる存在の方が多い。魔女が寄りつくのはおかしな話では無い。
だが、ならば何故口づけを施された人がいないのか。
可能性としてあるのは魔女に人を襲う気がないというのと、先ほどの杏子のーーそれこそソウルジェムの輝きでさえーー単なる気のせい。
ーーいや、そんなはずはねぇ。アタシは腐っても魔法少女だ。風見野じゃ敵なしだったアタシがそんな間違いするはずねぇ。
ならば可能性は一つしかない。
魔女は実在するが襲う気はない。そして今回はたまたま感知出来た。
……そう。たまたま。
ーー…………っは。
薄く,杏子の頬に自嘲的な笑みが浮かぶ。
ーーなわけあるからバカ。ちょっと平和に浸ってたからって日和っちまったのか?……そんなんだからさやかを失いかけるんだよ。馬鹿。
彼女の瞼の裏に浮かび上がるのは今となっては遠い日の記憶。まだ中学生だった頃に日々魔女と戦いあっていた時の事。
本来なら誰も寄り付かないだろう路地裏。妙な胸騒ぎを頼りにそこへ向かった杏子は数人の不良を殴り倒して返り血を浴びていた魔法少女姿のさやかを見る。
『すごいよね、この身体。ホントに痛みも消せるし傷だってすぐ治っちゃう』
光の届かない中で建物の影を浴びながらそう言ったさやかの右手は歪な形から本来のあるべき姿へと還り、その拳で彼女は自分の顔を殴った。
『お、おい!やめろよ!何考えてんだ!!』
『痛くない。痛くないんだよ。こんな、指とか手首とか折れるくらい強く殴っても痛くないんだよ?ねぇ、あんたはどうなのさ。杏子』
ーーどうもこうもあるかよ。
眼前の台の中で暴れ回る銀玉は無い。
ただ、パツンパツンと気の抜けた軽い音だけが空しく響いている。
『アタシだって辛いに決まってる。でもそれじゃ何にも始まらねぇ。だったら気の向くまま生きてやりゃいい。どうせ自分の都合で始めたケンカなんだ、誰に指図される言われもねぇだろ。……それでも、一人じゃ寂しいってんなら一緒に居てやる。……独りぼっちが寂しいのは知ってるんだ』
……気が付けば、杏子は台に身体を預け,泣いていた。
瞼の裏に,脳裏に焼き付いていた映像は全てを捨てた気になって生きていた杏子が初めて生き返った日。
それは同時に混乱し深淵に嵌っていったさやかを抱き寄せた日でもある。
彼女にとっては一生忘れられる事のない記憶が、いつもなら思い出さないようにしていたそれが、何故かこの時ばかりは胸の中で溢れかえっていた。
「…ちょっと、あの」
泣く声は音にかき消され周囲全てに届いているわけではない。だが傍に座っている者、近くを通る者には聞こえる。
無論、呼びかけてくる人の声も。
「…………さやか?」
「きょ、杏子?何やって……さてはあんた、今月分全部使っちゃった……?」
「……さやかぁぁ〜〜」
「ちょぉ!?なんで泣いてんの!?」
傍から見れば生活費の全てもつぎ込んで負けたように見えていた杏子の傍を通ったのは同居人でもあるさやか。
さやかはどうも見覚えのある人物が台で突っ伏しているのを見て、思わず声をかけてしまっただけのようだ。
「さやかぁ〜〜!」
「えぇ!?なになにどうしたの!?ってぇ!引っ付くなぁ!」
「ごめんなぁ〜〜」
「う、嘘でしょ?一昨日渡したばっかなのに…って!!恥ずかしいから離れろっての!」
止めどなく溢れてくる涙と謝罪の気持ちに押し潰され、立っているさやかに縋るようにして身体を預ける杏子。
明らかに異様な瞬間を、だが周りの人間は注意するでもなくただそれとなく見ているだけだ。
「さやかぁ〜〜…」
言われた通りに縋り付くのをやめ、明日に座り直した杏子はぐずぐずになった目元を袖で拭う。
「え、えぇ〜?なんかよくわかんないけど……取り敢えず、帰る?」
「帰る…」
「うっわ。本格的にダメっぽい。一応聞くけど歩けるよね?」
「……大丈夫」
普段では……どころか、今まで一度も見た事のない杏子の姿にさやかは驚きを通り越して不安を覚える。
それどころか滅多に見せない素直な返答は同時に不可解な勘繰りを生み。
「…なんか、あったの?パチンコ以外でさ」
「……家着いたら話す」
彼女は不意に嫌な予感を掻き立てられた。
まるでとっくに終わった戦いが蘇るかのような考えたくも無い予感が。
to be next story.
ちなみに私は杏さやではなくさや杏派です。さや攻めです。{唐突な火種)
このお話の世界線ではさやかは魔女化してません。なので彼女達はまだ魔女の正体がなんなのかを知りません。
なので魔法少女化した事に対しての不安や恐怖なんかはあっても魔女化するなんてのは夢にも思ってない状況です。
さやかが杏子を何故命の恩人と言ってるかと言うと,路地裏で助けてもらえなければ自らソウルジェムを砕いて死ぬつもりだったからです。
ちなみに不良達は他校の女子生徒を攫ってにゃんにゃんしようとしてました。お金を掛けずに整形をしてもらえました。現在は地下王国でカードゲームしてます。
なお、杏子はお小遣いを全部使ってました。家に帰ったら普通に叱られました。
ではまた次回。
さよーならー