執務室とはドクターの仕事場であり、数少ないプライベートが保証されている場所でもある。
機密情報の多さからドクター以外が入る事は滅多にない。…はずなのだが。
「どうしているんだ…いや、どうやってここに入った?」
「私がどこにいようと勝手だろ。」
私たちロドスの主力、傭兵時代の経験を活かして生き残る事に長けた先鋒オペレーター、ザラックのスカベンジャーは涼しい顔でそう言った。
ただでさえ今の私には疲労が溜まっている。
その上で現状を把握してセキュリティ強化、報告書の作成と、頭によぎる単語の数々に業務中毒の気を感じますねと他人事のように思った。
頭痛が酷くなった頭を抑えるように手をやって彼女に聞かなければいけないことを聞いておく。説教はその後だ。
「まがりなりにも最高機密が詰まった部屋に侵入しておいて言うことがそれか?」
「…宿舎じゃ"こいつ"を吸えなくなったんだよ。」
そう言いながらスカベンジャーは煙草を挟んだ手を振った。
よく見れば彼女が腰掛けている机の上に置かれた灰皿には既に吸殻が5本ほど立っている。
随分長居しているようだな、と思うと同時につきそうになったため息を押し殺して口を開く。
「そんな理由で気軽に入っていい場所じゃない。
はぐらかすな、どうやって入った?ここはロドスでも最高セキュリティがかかっているんだぞ。」
「なんにだって穴はあるってことだろ。このご時世じゃそれほど珍しくもない。」
答えになっていない答えが返ってきて辟易とする。今の精神状態では皮肉すら思いつかないほどに。
…要するに、教える気はないしこれからも執務室に侵入し続け、喫煙所として利用するということか。
新たに喫煙室の増設、それに伴う素材と龍門弊を計算してより強まった頭痛にもはや生命の危機を感じ、私は考えることを諦めることにした。
勿論それでいいはずもない。
いいはずもないが、古参かつケルシー医師の直属であったスカベンジャーが何かすると本気で思っているわけでも無かったし、演習で理性を使い切った頭ではそれ以上の追求をする気にはなれなかったというのが本音だ。
「…はぁ、もういい。1本くれ。」
「ん。…ほら。」
スカベンジャーはいわゆる旧三級品、粗雑で安い煙草を好んで吸っている。
元々ありあわせで作られた煙草は傭兵達のお供と言われるくらいであり、それを模した製品にもその頃の愛称である「Waste」(廃棄品)と名前が付けられた。
いつだったかもっといいやつを買えるだろうと言うともうこいつでないと吸った気がしないんだと不機嫌そうに言っていた。
雑味か強く、両切り煙草の為口の中に煙草が入り正直好みではないのだが…せめて1本くらい貰わないとな。
どう考えても割に合わないんだが。
そんな益体も無い損得勘定が、差し出された『吸いかけ』の煙草を見て停止した。
「丁度最後の1本だったんだ。やるよ。」
「……………いや、まぁ、それなら、いい。」
「そうか?…解った。」
ハッとして顔を上げると素知らぬ顔でスカベンジャーは煙草を咥え直していた。
憎たらしいことに、頭の上の耳がこちらをからかうようにピクリピクリと跳ねている。
胸の内に留めておいてやったため息を聞こえるようにたっぷりとついて、デスクの引き出しを開ける。
そこにはパッケージの右上にひっそりと「chemical line」と書かれた煙草と彫刻の入ったライターが入っている。
慣れた手つきで煙草を咥えると無骨なライターが差し出されていた。
遠慮なく煙草を近づけて火をもらう。
ゆっくりと吸ってゆっくりと吐く。
脳みそが少し痺れるような感覚に、あぁ、こうしている時がなにより理性が回復している気がする、と「ドクター」らしからぬ思考をする。
スカベンジャーと自分の吐いた紫煙が混ざりつつ換気扇に吸い込まれていくのをぼんやりと眺めていると、張っていた糸が切れたかのように疲れが体にのしかかってくる。
疲れの原因は明白だ。
通常の業務に加え研究資料の精読、レユニオンへの調査と対処法の模索…
それに加え最近オペレーターが増えたので育成にかなり時間を取られている。
元より実力があるのだが、自分の指示への理解や他のオペレーターとの連携は時間をかけるしかない。
少なくともあと1週間はこの調子だろう。
必要なこととはいえ、焦燥感が募る。
レユニオンの動きは不明瞭のままで、対応は全てが後手に回っている。
我々は所詮製薬会社なのだからレユニオンに対処する責任はない、と諦められるなら少しは気が楽になるのかもしれない。
だが我々の理念と目的は感染者の救済だ。
彼らの動きによる他の感染者への差別の深化はもとより、彼らを救うためにも我々はこの騒動を収めなければならない。
このままでは治療法が確立しようともどの感染者にとっても明るい未来はないのだろう。
今ですら感染者に対する目は厳しいというのに、このテロ活動が続けば…最悪、元感染者というだけで移動都市から追い出される。
そうなれば後はゆるやかに死を待つか、盗賊になっていずれ殺されるだけだろう。
殺されるために治療をするのは盲目的な慈善団体か倒錯した性癖を持つ異常者だ。
我々はそのどちらでもない。
ない、はずなのだが。
…だが、しかし、救いたいと言いながら…事実として我々は彼らを殺している。その為の訓練もしている。
果たして先程蔑んだそれらと我々はどれほど違うというのだろう?
なんともいえない鬱屈とした思いを煙と一緒に吐き出す。
「…ぐずぐず悩んだってやることは変わらないだろ。
あぁ、もしかしてもう諦めようとしてるのか?…そうならとんだ期待外れだな。」
…随分と1人で意味の無い考え事をしてしまっていたらしい。不器用な、実に彼女らしい励ましの言葉に肩の力が抜ける。
「…なら、悩み事を増やすような真似をしないことだな。せめて次は私がいる時に入れ。」
まぁ、スカベンジャーの言う通りだ。
悩みながらやるか、前だけ見てやるか。
諦めるという選択肢は初めから用意されていないのだから。
…それにしてもスカベンジャーが私を励ますとは珍しいものを見た。いつも辛辣な彼女らしくない、というか。
いや、辛辣な言葉に喜ぶというわけではない。あしからず。
まぁ実際のところ励ましているつもりは無くただ自分の仕事に余計な時間がかかることを嫌がっただけなのかもしれない。
だとしても結果的に私は励まされたのだから有難く思っておこう。
そんな気持ちを込めて喫煙室を自由に使えなくなったことが理由で不機嫌そうに口を歪めている彼女に「嫌なら禁煙しろ」と追い討ちをかけて更に眉間にシワがよっていくのを苦笑しつつ眺めておく。
だがまぁ、そうだな。
「早速だが明日の演習に参加してくれ。今回の演習の課題点を纏めておくから、0930に執務室に来い。今度は私の分の煙草も持ってな。」
朝食後の一服を誘うくらいには、本当に有難く思っているんだ。
了解、と呟きながら煙草をもみ消すとスカベンジャーは腰掛けていた机から離れた。
部屋を出ていくスカベンジャーの背中に「気を遣わせたな」と投げかけると彼女はひらひらと軽く手を振って、そのすぐ後に厳重さの割には軽い音でドアが閉まった。
一応探られた形跡が無いか一通り隠しカメラを確認する。
正直彼女が本気で何かしたとして私程度では気づけないだろうからこの作業にほとんど意味はない。
だというのにそうしたのは…もしかすると彼女との距離感が、少しだけ名残惜しかったのかもしれない。
…あ、こいつ今私の煙草盗みやがった。
ヒント:スカベンジャーが執務室で吸ってたのはWasteだけです