「…どれくらい眠っていた?」
「あら。…10分も経ってないわ。」
そう言って吸い出したばかりであろう煙草をもみ消そうとしたパフューマーを制し、自分も引き出しから煙草を取り出して火をつけた。
「…悪かった。わざわざ来てもらったというのに…」
パフューマーから「疲れているならオススメの香料があるの。いくつかお分けしましょうか?」と言われたのが今日の演習が終わってすぐの事だった。
疲れが顔に出ていただろうか?と問えば見えない顔色を伺うことなんてできないわよ、とひとしきり笑われたな、と他人事のように思い出す。
「気にしないで。こちらこそごめんなさい、香りが混ざると判ってはいたし、普段は人前では吸わないようにしているのだけど…。ドクターくん、まるで電源が切れたみたいに眠るんだもの。まだしばらく起きないと思っていたわ。」
「今日は月納めだから余計に忙しくてな。
…たしかに少し意外だ。むしろ嫌煙しているものだと思っていたが。」
「…実は結構好きなの。何か片付けた後や悩んでる時なんかについ、ね。内緒よ?」
何故かと問えば「だって煙草を吸うパフューマーの作った香料なんて、なんとなく信頼できないんじゃない?」と彼女は自嘲気味に言った。
恐らく彼女自身、煙草を吸うということに負い目があるのだろう。
正直に言えば、初めて手に取る香料のどこぞの調香師が喫煙者だと知ればなるほどそうであったかもしれない。
少しだけ間をおいて私は言う。
「そんなことで覆るような功績だったのであれば確かにと思う。
君が吸うのならきっと必要だったのだろうとも思う。
私は詳しくはないから知らないが、パフューマーとは芸術家と同じようなものなのだと、君を見てきてそう思った。
なら評価されるのは作者の人となりではなく物であるべきだ。
結果、君は功績を残している。
君が喫煙者かどうかは少なくとも私にとってはどうでもいいことだし、恐らくロドスにそうでない人はいないだろう。」
これも私の偽らざる本音だ。
「まぁ、隠したいと言うならば口外はしない」と付け足しておく。
わざわざ言いふらすようなものでもない。
彼女の意志を尊重すべきだ。
「…ありがとう、ドクターくん。」
事実としてその特技でもって戦場では数少ない範囲回復ができるという特殊な技量を持ち、ロドスに戻れば各オペレーターのメンタルケアという欠かせない業務を担当している。
ケルシー医師ですら一目を置くほどだ。
そんな彼女自身の負担が減ればと思い希望していた温室を(ケルシー医師の許可を得て)作ってみれば、彼女曰く『ストレス発散のついでに作った』香料は一部に高く売れている。
…温室を作るくらいの早さで喫煙室も作れればいいのだが。喫煙者は肩身が狭くなる一方だな。
とにかく、彼女の腕を疑う人がロドスにいるはずもない。
だから礼を言われるようなことではないのだが、蒸し返すのもなんだろう。
「そういえばそれは手巻きか?珍しいな。」
話の流れを変えるため気になったことを聞いてみる。
自分が1度手巻き煙草を試した際は久々に着た上着のポケットに何故か1本だけ入っていた煙草のようにくしゃくしゃになってしまったが、パフューマーが吸うそれは大分綺麗な形をしているものの少しだけ葉の詰まり方が不均一だった。
「色んなものを吸ってみたけれどピンとこなくて…今でも色々と改良している最中よ。」
「知ってはいたが君はなかなか拘るタイプだな。…待て、最近君が聞いたことも無い苗を仕入れているとクロージャから聞いたが…。」
「…実家よりも色んなものが手に入りやすくて助かるわ…。優秀な配達人さんもいるし…。」
「…経費だと聞いたが?」
「…。」
急に目が合わなくなった彼女にため息をついて今後は無しだ、と釘を刺しておく。
彼女が生み出す利益を考えれば必要経費と言ってもいいのかもしれない。だがその分の手当は出している。それはそれ、これはこれだ。
処分こそしないものの…
「信頼とは積み木のようなものだ。積み重ねるのに時間がかかるが崩れる時は
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。今注文しないと次は何時になるか解らないって言われて、それで…」
…次からは私に直接言ってくれ。給料の前借りは可能なのだから。」
彼女が作った香料よりも彼女自身への信頼が危ぶまれる一瞬であった。
というか、よくよく聞いてみればセールストークに騙されていないだろうか?しかもよく聞く部類の。…将来壺とか買わされないだろうか。
ちなみに誰から聞いたか問えばエクシアだった。よし、後で説教だ。
落ち込む彼女に
「最近はここを喫煙室代わりに使った上私の煙草を盗み、それを省みる気の無い奴もいるんだ。反省している分それよりはマシだ。」
と笑い話を振ってみたが余計に落ち込んだ。
何を…何を間違えた…。
気まずい沈黙に耐えきれず改めて今回の礼を言う。
スカベンジャーに発破をかけられて以来余計なことを考えず仕事に取り組んだ結果、効率自体は上がった。
先の見えない不安を一旦忘れ、精神的に少し楽になったものの、肉体的な疲労は着実に溜まっていた。
眠気を誤魔化すように煙草を吸ってなんとかやってこれたが。
毎日スカベンジャーが来る度取り替えている灰皿が気づけば山となっているのを見て、現実逃避気味にニコチン依存性の療法理論を記憶から引っ張り出しながらこのままではいけないと考えていた。
そんな状況だったので彼女の提案は渡りに船だった。
…外回りの業務で存分に吸えるであろう日も欠かさずに執務室に来るスカベンジャーの為にもそう遠くない未来、禁煙療法を纏めておくべきかもしれない。
ほら、ドクターの言うことは聞いておきなさい。え?あんたの方が吸ってる?
大丈夫だ、私は禁煙のプロだ。(記憶喪失以来5回目)
安心だな!!!!!(理性0)
それはともかく。
彼女の香料を利用しながら眠ると疲れが取れるのは何度も経験している。
今、この10分の気絶のような睡眠でも怠さが取れたような気がする。
他の医療スタッフに同じ真似は些か難しいだろう。
「…ドクターくんの助けになれたのなら良かったわ。」
もしかすると口下手な私に気を使ったのかもしれないが。
いつもの柔らかい微笑みでそう言った彼女にようやく私はほっとしたのであった。
絶対この人煙草吸わないでしょって人が煙草吸ってるのをふとした時に見かけて2人だけの秘密にしたい。