基地の入口を出てすぐの場所に、彼女は壁にもたれかかったまま斧を抱えるようにして座っていた。
目を閉じて音楽を楽しんでいるであろうその姿を唐突に目にした私は、息をすることすら忘れた。
率直に言うと悲鳴が出ないほど驚いた。
気を抜いたまま歩いていたのもあるが、まさか曲がり角でいきなり斧の刃先が目の前に現れるとは思うまい。
チェルノボークの時と同じくらい死の気配を感じた。
息の仕方を思い出すまでに十秒もかからなかったであろうが、気づけば彼女の真っ赤な目がこちらを見つめていた。
「…ドクター。」
「…こんなところで何をしている?フロストリーフ。」
自らの失態を隠すため、私は彼女にそう問うた。
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私が今日までに終わらせなければならない仕事は終わっていた。
夕飯時前に終わるとは珍しいこともあるものだと思って煙草を口に咥え、そして…そのままゆっくりと箱に戻す。
頭によぎるのは今朝の出来事。
もはや慣習のようにスカベンジャーと共に雑談しながら煙草を吸っていた時、パフューマ―が執務室に入ってきた。
以前貰った香料を仕事中に焚けばいつもより捗った気がしたのでまた今日にでも買いに行くと朝食の際伝えていたが、気を使って持ってきてくれたらしい。
「あんまり吸いすぎちゃダメよ?これじゃ調香のし甲斐が無いわ。」
もうもうと煙を吐く私たちに向かって呆れたようにそう言って香料を置いて出ていく彼女を申し訳なさから私は何も言えずただ黙って見送った。(咄嗟に隠してはいたがパフューマーも煙草を取り出していたのが見えたので少しだけ罪悪感が減った。)
パフューマーが退室するや否やスカベンジャーは平然と新しく煙草を咥えたのでしばいておいた。三倍にして返されたが。
以前からアーミヤには直接は言われることはないが執務室で煙草を吸うことに良い顔はされていない。普段人を呼ぶ前には消臭に気を使っているつもりではあるのだが…毎度灰皿上の吸い殻の山に冷たい視線を浴びせているのを見るのは何というか、こう、悪いことをしている気分になることであるし。
ケルシー医師にもせめて量を減らせと苦言を頂いている。
そういうわけで突発的に執務室は禁煙とすることにした。
スカベンジャーは渋っていたが、そもそもここは執務室であるのだからお前に拒否権はないと無理やり諦めさせた。
なら早く喫煙室作れよ、と言う抗議に耳をふさぎ、まぁいいどうせ長続きしないだろ、と呟かれた言葉に心の中だけで同意した。
その後、非番だったスカベンジャーが文句と愚痴を吐くついでに簡単な仕事を手伝ってくれていたこともあるのだろう。
そういうわけで仕事は終わった。…のだが。
先ほどまでは集中していたからなのかあまり煙草を吸いたいという気持ちは無かった。しかし一旦落ち着いてしまうとどうにもいけない。
それでも決めたことであるし…せめて一日だけでも通さなければ威厳が…。
そう考えた末、外回りの業務で吸っていると以前耳にしたことがあるのでこうして基地の外に出てきた次第である。
その結果命の危機を覚えることになろうとは思いもしなかった。
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「…というわけだ。」
静かで一人になれる場所探していたらここにいた、という答えに猫みたいだなと思っていると「ドクターこそどうして外に?」と聞かれたのでかいつまんで説明した。
それにしても気配を消すのがうますぎる。斧が見えてもしばらく彼女がいることを認識できなかったくらいだ。
「…すまない、少し離れてくれ。」
そう言われたので一歩距離をとると彼女は斧を地面に横たえた。もう一度距離を詰めるのも何だったためにそのまま斧を挟んだまま私は壁にもたれかかる。
気を使わせてしまった。
最近はこう、軽く冗談を言ったつもりが真面目に受け取られてばかりな気がする。
記憶を失う以前の私が冗談のひとつも言わない堅物であったのか、もしくは今の私に問題があるのか…。
そもそも彼女は一人になれる場所を探しに来たのであるし私が移動するべきなのだろうか。
しかしわざわざ斧を動かしてもらった後に移動するというのも…。
「…煙草。」
「、あぁ…。煙草?」
沈み込みそうになった意識が呟かれた言葉に遮られ、間抜けに鸚鵡返しをしてしまう。
「吸いに来たんじゃないのか?」
「まぁ、そうだな。…ここで吸ってもいいのか?」
「構わない。私も吸うし。」
そう言って彼女は上着の右ポケットから「a field of glass」を取り出した。
随分と渋い物を吸っているな、と言いながら厚意に感謝しつつ私も煙草を出して火をつける。
お互いが吐いた真っ白な息が夕焼けで焦げていく風景に溶けていった。
「…そうなのか?よく、わからない。」
「百年前からあるクルビアの名産品じゃなかったか。最近廃盤になったと聞いたが…『口にすれば原風景を思い出す』って謳い文句が受けたおかげか、それでも年を食った人間は皆揃ってそいつを吸っている気がする。…あぁいや、それが何だって言う話なんだが…。」
暗に彼女を老人扱いしたようになってしまったことに気づき焦った。そんなつもりは無く、ただ、その煙草が似合っていて恰好が…いや、似合っているというのも駄目だろうか?
失言に失言を重ねそうな自分に辟易としているとフロストリーフは気にしているのかいないのか、そうか、とだけ言って何か考え込むようにして黙った。
「…この煙草はもともと私の物じゃないんだ。」ぽつりと彼女が呟いたのは、私がそれから何も言えず一本吸い切ったところであった。
横目で彼女の方を見てみれば、フロストリーフの視線はその指に挟んだ煙草から動かさないまま話し続けた。
「その人も、少なくとも傭兵にしては珍しいくらいには年寄りだった。
強いというよりは生き汚いとでも言うのだろうか、そんなだから優しいと言われるような人では無かった。
むしろ恨みを買うことの方が多いような生き方をしていた。
ずっと一緒だったわけじゃなく、たまにしか会わなかったんだが。
…でも私は、今になって思うと、随分と世話になった。」
当時はそんな事を考えることすらできなかったと、よく見ないと解らないほど薄く彼女は笑った。
私は二本目に火をつけて、黙って彼女に続きを促す。
「昔彼になんでそんなものを吸っているのか聞いたことがある。
大怪我をしてるくせにおいしそうに吸って直後煙を咳と一緒に吐き出していたから、そこまでして吸う理由は何なんだって。
そうしたら生きるためだと言っていた。原風景に立ち返ってなんで生きてるか確かめるんだと喚いていた。
意識が朦朧としているせいだと思っていた…いや、実際それもあるんだろうが…きっと彼もその謳い文句を知っていたんだな。」
「…その広告が使われていたのは結構昔の話なんだが、当時は世界中で関連商品が産まれたくらいらしい。
今吸っているのがその彼が持っていた物なのか?随分と大事にしていたんだな。」
「いや、久々に私物を片づけていたら私の鞄の中にわざわざ鉄のケースに入った状態で紛れ込んでいたんだ。
おおかた私が盗んだとか言いがかりをつけて何かしらを奢らせようとして、そのまま忘れていたのだと思う。」
あいつはそういうことをする、と遠い目をする彼女に同情した。世話になった以上に苦労も掛けられていたようだった。
「…待て、昔の話だと?なら何故それを知っている?」
あぁ、確かに記憶喪失の私が昔流行ったものを知っているのはおかしい話だ。
正確には年齢的には物心がつく前に流行った物だからどちらにせよ知らないのが当たり前なのだが。
答えはあまりにも単純である。
「クロージャにそう言ってこの前その関連商品を売りつけられたんだ。パーカーだった。…いるか?」
「、いや悪い、そういうつもりじゃ…」
バッと擬音がつきそうな速さでこちらに顔を向けてきた後気まり悪そうに煙草に火をつける彼女に苦笑しながら、買ったはいいがサイズが少し小さいのでよければ貰ってやってほしい、と言った。普段から私は制服以外を着ることもないことだし。
つい煙草の関連商品だと聞くと財布のひもが緩むな。最近は露骨にそれを狙われているような気もする。あまりパフューマーのことをとやかく言えないかもしれない。
他にもタンスの肥やしとなっているものはいくつかあるのだが…まぁとにかく今回は有効活用ができて良かった。
「…ありがとう、ドクター。代わりと言っては何だが一杯どうだ?私が奢ろう。」
「なんだ、いける口だったのか。ありがたく頂戴しよう。宿舎のバーカウンターか?」
「あぁ、たまには騒がしいのもいいだろう。」
立ち上がって斧を拾い入口へと歩く彼女と話しながら何を飲もうか考える。
たまには普段飲まないやつがいいかもしれない。
そんな平和な事を考えていたのだが、少しずつ人が増えていきちょっとした宴会の様になった結果私は無事二日酔いになった。
ちなみにフロストリーフはすごく強かった。表情が全く変わらないまま飲み続けるその姿に戦闘の時よりも震えた。
翌日はまともに仕事にならなかったので更に次の日に溜まった仕事を片づけていると執務室の灰皿が元通り吸い殻の山となったのは言うまでもない。
「field of glass」は草原という意味らしいです。
書き溜め一切していないので次どうしようか何も考えていません。