【アーミヤの場合】
私がドクターの部屋に入った時彼はまだ眠っていた。
当然だ、いつも彼が起きる時間よりもかなり早い。眠っていると知っていながら来たのだから。
うなされながら眠る恩人を見て心が痛まない訳はなかったけれど、その一方で安心している一面がある事を否定できない。
こうしてゆっくりと横になる姿を見たのは随分の前のことだったから。
ドクターは無理をしている。
そんなことはロドスの誰よりも知っていたのに、それを止める手段を私は持っていなかった…いや、嘘だ。やり方なんていくらでも本当はいくらでもあったはず。
私では彼を止められなかったのだ。
記憶を失っているというのにそれを全く感じさせないように日々の業務は回っている。
それがどれだけの努力の結果なのか想像すらできない。
鬼気として仕事にあたる彼を止めることはその努力に泥を塗ることのように感じられたという気持ちもあった。
それでも何度休んでくださいと言おうと思ったのか解らない。
しかしその度、ロドスのリーダーとしての私がそれを止めるべきではないとその言葉を抑え込んでいた。
「ドクター、私は…。」
私は酷い人間だ。
きっとドクターは君は間違ってないのだと笑うのだろう。
そして私はまたドクターに甘えてしまうのだろう。
ドクターがそんな人だと解っていたから、せめて私だけは私を最低だと思っておきたかった。そう思われることこそが本当は当然なのだから。
なのにどうして涙が止まらないんだろう。
私の立場が私の一番救いたい人の邪魔をする。
だけど後悔は許されない。
それは私達自身が決めたことで、私達の夢の為には彼を捨て置くことも許容しないといけないんだ。
だって私達は感染者を救わなくちゃいけない。ですよね、ドクター。
滲んだ視界を見ずにすむようきつく目を閉じて、私は自分の気持ちに蓋をした。
だけど、せめて今だけは…
「…ゆっくり、休んでください。ドクター。」
ロドスのリーダーとしてでは無く、彼に救われたアーミヤとしてそう言った。
【エクシアの場合】
「ちょりーす、リーダー元気してるー?」
「まだ本調子じゃないが快調したらする事は決めている。
お前が更に輝く手伝いをしてやる。」
「よし、元気だね!」
リーダーから漏れ出る黒いオーラを見えないフリして私はベットの横に椅子をガタガタ言わせながら移動して腰掛けた。
調子を崩したきっかけが私と飲んだせいかもしれないと思ってこれでも悪いなーって反省してるんだよ?
あんまり表に出さないだけで。いや、うん、本当に。
「にしても何回見てもその姿面白いね。写真撮っとく?」
「やめろ。お前のせいでもあるだろ。やめろ。おい。
…はぁ…もう好きにしてくれ…。」
ぱしゃーっと気の抜けた機械音が響き渡ってあたしの端末に間抜けなリーダーの写真が保存されていく。
前に自分の煙草を燃やされたと勘違いしてた時の写真の時は傑作だったなー。
にこにこ笑顔のあたしと裏腹にリーダーは写真を撮る度に元気が無くなっていっていた。ドンマイ。
まぁ理由はそれだけじゃないんだろうけど。
「…。」
「そうやってまた自分一人で抱え込むー。リーダーも悩み事が好きだよねぇ。」
あたしは端末を置いてリーダーを覗き込んだ。
「意外と話してみたら何でもなかったってことはさ、結構ありふれたことなんだよ?」
「…知っている。」
顔を背けたリーダーをしばらく見たまま十秒ほど時間が過ぎた。
「…ん、話す気はないって事ね。もしその気になったら言ってよ、聞くからさ。」
軽い調子てそう言ってどかっと椅子に座り直すとリーダーは顔を背けたままどこか安心したようにすまない、と呟いた。
「いーって、気にしてないよ。あ、別に誰かに話したからってあたしに話さなきゃいけないなんてことはないからね。」
ガッチガチに固いからなーリーダーはなー。
多分リーダーは責任感が人よりずっと強い。それこそちょっと怖いくらいに。
誰かの為に自分を蔑ろにすることを厭わないんだ。
それは普通美徳だけど、何事も程々が一番だってこと。
何かがそうさせてるんだろうけどリーダー自身はそれを悪い事だと思ってないのがたちが悪い。解決する気もさせる気もないんだろう。
リーダーを心配している人はたくさんいる。本人の想像以上にたくさんね。
アーミヤは一等気を揉んでるんじゃないかな。
だからあたしはあたしなりのやり方で彼を救いだせればって思ってるんだけど…教誨師の真似事はあたしには早かったかな〜?
ま、かといって無理だとも思わないんだけど。
「それよりさ、さっきの写真うちのボスに送ってもいい?」
「勘弁してくれ…」
【フロストリーフの場合】
ベットに縛られたドクターを見て私はどうしてドクターが尋問を受けているのかと混乱した。
「フロストリーフか。まさか面会に来てくれるとは嬉しい誤算だったな。」
面会、という言葉が出て私はドクターが何かしらまずいことをやってしまったことを確信する。
ドクター自身を怪しむことは無い。そういったことに対してはむしろ厳格に処分するような人だ。
だから考えられるのはそうだと知らず片棒を担いでしまったということである。
「…フロストリーフ?どうした、そんな所で固まって。」
逆になんでそんなに冷静なんだ。
いや、自分が全くの無罪であると信じている故か。
誰だか知らないが相当上手くやったらしい。
手回しは全て終わっている可能性が高いだろう。
ここまでの用意周到さだと一生監禁か、手っ取り早く殺されるまでの道筋は既にできているのかもしれない。
「…あー…来てもらってなんだが、ちょっと頼みたいことがあってな。」
「なんだ、ドクター。なんでもするぞ。」
任せてくれ。もし犯人に目星がついているならそいつに私の斧の味を覚えさせてやらねばなるまい。
「いや、大したことじゃない。ちょっとトイレに行きたいからこの紐解いてく」
「それは駄目だ!」
監視中に脱走などとやましい事があると言っているようなものだ!
せめてそれとなく伝えてくれればもっとうまくやれたものの…いや、せめて監視しているであろうカメラの死角を把握できていれば…!
監視にしてはカメラが無いことに今更ながら違和感を抱く。
…おそらくだが、私にすら解らないほどうまく隠しているカメラがあるようだ。敵はどれだけ上手なんだ。
そうした現状ではこっそりとほどくことすら難しい…。
「…アーミヤ、じゃないな。エクシアに何か言われたか?」
「エクシア?別に彼女は…いや、そうか。エクシアが原因か。」
「?まぁ原因だな。」
なるほど。
「安心しろ、ドクター。すぐに解放してやる。」
「それは助か…待て、何故出ていく?フロストリーフ?
待ってくれフロストリーフ!!!」
大丈夫だ、それほど待たせはしない。
【パフューマーの場合】
「…危なかった。君が来てくれなかったらと思うと感謝してもしきれない。」
「大げさよ。それよりここに来る途中、物騒な匂いのフロストリーフとすれ違ったのだけれど…」
「私にも解らない。解ることはエクシアが恐らく襲われるだろうということだけだ。」
「…いいの、それ?」
たまにはそうやって痛い目を見ればいいんだ、と言って随分疲れた様子でベットに腰掛ける彼に私は苦笑する。
「彼女に対して辛辣ね?」
「かもしれない。それで反省する様子の一つでも見せればまだいいんだがな…」
私はカモミールティーを淹れる手は止めないまま、彼が今までに受けてきたイタズラの数々を聞いていく。
そうして思うのは彼女が本当に愉快な人だということ。
いるだけで場が華やぐような人は、このご時世貴重なのよ?
「…少し嫉妬してしまうかもね。」
何がだ?と不思議そうにカップを受け取ったドクターが言う。
「彼女には気を許してるって事でしょう?」
カモミールの香りを嗅ぎながらそんな風に言ってのけて、すぐに後悔した。
こんなことを言って何と答えてもらうつもりかしら?
余裕ぶっていつもみたいにいい女に見えるよう振舞っても、そんなの彼には通用しないってわかっているでしょうに。
困らせるだけだわ、こんなこと。
「それよりこのお茶、」
「いや、君がエクシアのようになるのは困る。」
…ええ、まぁ、そうでしょうね。苦労しているのはさっき充分聞いたから。
でもね。私がもし、そんな事を言い合えるような関係が羨ましいって言ったらドクターくんは笑うかしら?
人と距離を詰めることは我ながら上手い方だと思う。
だけどある一定の線を越えないようにしていたし、越えられなかった。
メンタルケアにおいて私が一番気にしていることは距離感だ。
離れすぎず、近すぎない距離で話をするというのが一番相手から話を引き出しやすいと知っているから。
そんなことをもう何年もやっていると普段でも無意識にそういった距離感を保とうとしている自分に気がついてしまう。
あなたは困ると言ったけれど、それでもそんな関係性を欲しがってしまうのは贅沢だと思う?
「もしそうなったら私は誰にこんなことを愚痴ればいいんだ。」
途方に暮れたような彼の言葉に呆気をとられた。
それは、えっと…?
「…こういう話、他の人にはしてないの…?」
それは、もしかして私はもう…。
「管理者としてはあまり大っぴらに言うわけにもいくまい。
…私が解りやすいのか悩みを察知してくるような奴もいるが。
疲れただの、益体も無い愚痴をもらす相手は君くらいだ。」
そう言ってカップを傾けた後ハッとして、いや別に君になら何でも言っているというわけでもなくて、と慌てて訂正する彼を見て自分の頬が緩んでいくことを自覚してしまう。
まったく、ドクターくんは。
もう手に入れたものを羨んでたなんて、私が馬鹿みたいじゃない。
そうして言い訳を繰り返すドクターくんに微笑みながら私はおかわりを淹れ始めた。
「まぁまずいことを口走っても喫煙者だと喧伝すると脅せばいいかと思って口が軽くなっている節もある。」
「ちょっと。言わないって言ってたじゃない。」
「冗談だ。秘密の共有というやつだな。その方がお互いに安心するだろう?」
「…仕方ないわね。」
【スカベンジャーの場合】
「…で、今に至ると。」
私はベットの隣の椅子の上に片膝をついて、壁にもたれかかって話を聞いていた。
これ見よがしに煙草をふかしながら。
「まぁそんな感じだ。それでいつ煙草はもらえるんだ?」
「ん?そんな話したか?」
「お前…。」
「いい機会だから禁煙すりゃいいだろ。」
「この前の仕返しのつもりか?私はもう二日間も吸えていないんだぞ…!」
そんな男を前にして吸うか普通…と地を這うような恨みがましい声を聞いて久々に酒が飲みたくなった。
普段飲むことはあまりないんだが、今は最高の肴が目の前にあるからな。
吸い切った煙草を空き缶に押し込みながら、もしこいつに煙草をやめさせたいのなら、とふと考える。
良心に訴えかけるような手は一時的には効くが結局耐えきれず、かといって縛りつけたってずっとそのままってわけにはいかないだろう。
「そもそもなんであんたは煙草を吸ってるんだ。ニコチン中毒なのか?お口が寂しいのか?それとも」
「さぁな、もしかするとただカッコつけたいってだけかもしれん。」
口からついてでた疑問に、ドクターはそう言った。
正直に言うと私は驚いた。
こいつが何かに触れられたくなくて答えなかったということに気づいたからだ。
こいつはたまにこうして何かに恐れている時がある。
厳密に言えは、いつも怯えている。ただお利口に立ち回って隠しきれていると思っているんだろう。
ケルシーに交渉術を習ったと自信満々に言ってたが、まだ初級編も抜け出せてないんじゃないだろうか。
とにかくそんな地雷を抱え込んでるのは知っていたのだがまさかこんな話題で反応するとまでは思いもよらなかったのだ。
逆に言うと問い詰めるチャンスなのかもしれない。
こいつは大概何かに悩んでいるが、今のこれがその大元であると私の勘は告げていた。
そして、私は新しい煙草を取り出すと、
「だとしたら違うやり方を探すんだな。その年中着ている制服以外を着るとか。」
それに触れることは無く、手にした煙草を咥えさせて火をつけてやった。
ドクターは少し驚いたようだったが、話題が終わったことにあからさまに安心していた。ゆっくりと煙を吸ってゆっくりと吐く。
私もそれを見ながら自分の煙草に火をつけた。
私がわざわざ気にかけなくても、もっと上手くやる奴がいるだろうなんて考えていたんだ。
それは今のこいつとの関係を崩したくなかったなんて浅ましい考えが無かったなんて言えない。
それでも私は問い詰めるべきだった。
私だけがこいつの悩みに共感してやれたことを知ったのはずっと後のことになる。