「うし、こんなもんやろ。」
「助かった。相場に関してはまだまだ勉強不足だな…」
「いやぁ旦那さんはようやってる方やと思うで?」
「…だといいがな。」
クロワッサンから帳簿と今後の製造スケジュールを返してもらい、一心地着く。
今日はいわゆる集金日というやつである。
集金日には諸経費差し引いた利益をまとめ、また年度初めに決定した予想売上の達成見込や調整などの報告も一緒にやってしまう。
これを私一人でやっていた時は酷かった。
合わない経費の領収書。かけ離れた予想売上の数字。終わらない事務作業。
一時期は数字を見ると吐き気を催したものだった。
それを見かねて手伝いを申し出てくれたのがクロワッサンである。
あまりの酷さに放っておけなくなったと言われた時はそこまでなのかと泣けばいいのか窮地に登場した援軍に喜べばいいのか分からなかった。実際泣き笑いの様相を呈しながら手伝ってもらった。
彼女も慣れたもので、今回もいくつかの訂正箇所はあったが概ねスムーズに終えることが出来たと言っていいだろう。
なんとか今日までに体調を戻すことが出来たのは幸運だった。
こういったものは外部との兼ね合いがある以上日程をずらす事は難しいのである。
「きついんやったらぜーんぶ、ウチに任してくれてもええんやで?」
クロワッサンがおどけたように言った言葉に是非、と答えそうになる私の心を叱咤する。
「魅力的な提案だが…本当に、そうしたいのはやまやまなんだが…。」
駄目だな、負けそうだ。
気合いを入れ直すために咳払いして…そして過去の幹部の様子を思い出してため息をつく。
「…上が許さんだろうな。ペンギン急便に籍を置く君に手伝わせることもよく思っていないのが現状である以上夢の様な話だ。」
それで強行したところで増えるのは更なる面倒だ。
上と言ってもロドスの公表リーダーたるアーミヤのことではない。
正直あまり思い出したくもないので思考を戻す。
余裕があれば戦ってみるのもいいが今の目まぐるしさでは正直厳しい。
効率をとる為に非効率な手続きを踏まなければならないのはどこの世でも常であった。
「…まぁ、そらそうやろなぁ。」
クロワッサンはその点は理解していたのだろう。
あっさりと引き下がって苦笑する。
そんな彼女に申し訳なさと有り難さを感じながら、私はデスクの引き出しを開けて彼女の為に用意していたものを投げ渡した。
「改めて言うが、いつも助かっている。個人的な礼しかできないのが心苦しいところだが…よければ今後も頼む。」
「有難くもろとくわ。まぁ言うて最近は出来た書類ちょろっと見直す位しかやってへんしそんな気にせんでええで?」
彼女はそう言いつつにこやかな顔で包装を解き中の葉巻を取り出すと、自前のシザーカッターで先を切り落とした。
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集金日の業務が終わるとクロワッサンと取るに足らない世間話を始めるのはいつもの事だった。
その際彼女は私から受け取った葉巻を、私は自前の煙草を吸う。
今回用意したのは『Vorota Churchill』。イェラグの葉巻で木の実のような香りが特徴だ。
いつも彼女に渡すのは珍しくて少し手が出せないくらいの価格帯の葉巻が多い。私なりの感謝の気持ちである。
過去に彼女が葉巻を吸うと聞いてどこか納得した事を私は覚えていた。恐らく記憶喪失の前に知っていたのだろう。
職人気質な彼女らしいと思う。一仕事終えてピカピカに磨いた装備を見ながら吸ってそうだった。
そういうわけで彼女に手伝ってもらった後はいつしか葉巻を手間賃代わりに贈るようになっていた。
「そんでな、あの子なんて言うたっけ。あの斧背負っていっつもヘッドホンしてる子。」
「フロストリーフの事か?」
「そうそう!あの子なぁ、腕は立つけどもっと装備に気ぃ使わんとアカンで。毎日砥石で研げとまでは言わへんけど…あのままやとヒビが広がっていつかポッキリ折れそうで見てられへんわ。」
「今度君に見てもらうよう言っておこう。…非番の日に探しあてるのは骨が折れるので次の演習の時になりそうだが。」
「ウチはいつでも構わんよ。いくらか手入れ料は貰うけど。」
「…もし足りないようなら私に言ってくれ。」
「まいど〜。」
商魂逞しいというか、なんというか。
こうして彼女の儲け話の片棒を担ぐのもいつもの事である。
こちらとしても悪い話ではない。というより、今回のように放っておけば大事になりかねないことを未然に防げるような話ばかりなので助かっている。
「それにしても君は本当に人の事をよく見ているな。」
「当たり前や!需要っちゅーもんは自分の頭ん中こねくり回したって自分の想像以上のものなんか考えつかへん。
周りを観察するゆうんはマーケティングの基本中の基本やで。」
「羨ましいと心底思うよ。データを覚えるのは得意なんだが、如才なく気を配らせることはどうにもうまくならない。」
実際は苦手意識が拭えないままであるといえばそれまでではあるが。
稀に何か気づいても私程度より戦闘経験のあるオペレーターがそうしているのだからそれでいいのだろうと放っておいてしまうこともある。
それが続けば気を配るということすら意識せねばやらなくなる。
記録を見る限り記憶喪失以前の私は上手くやっていたようではあるのでいつまでもこのままではいけないと思ってはいる。
「…意外やね。」
「私の観察眼が優れていないのは周知の事実だろう?実際リクルート担当は私じゃない。」
「何を誇らしげに言うてんねん。いやちゃうくてさ。」
そこで何かを言い淀むと二、三度葉巻をふかして彼女は顔を伏せた。
そのまま葉巻だけぴょこぴょこと上下させながら、彼女にしては珍しくきまり悪そうに話し始める。
「ほら、なんかあるやん?がめついなお前ー、とか金の事しか考えられへんのかー、とか。
ウチもさ、ウチが他人やったらそう思っとるし。
なんでもかんでも商売に繋げるような奴と話すんってほんまはしんどいとか思ってへん?」
ところどころつまりながら言い切った彼女は審判を待つように私を見る。
なるほど、と思う。
普通はそういう風に考えるものなのだろうか?
だが私は今まで、
「考えたこともなかった。」
正直にそう言うとクロワッサンはぽけっとした、有り体にいえば放心している顔を見せた。
今日はよくよく珍しいものを見る日だ。
彼女が再起動を果たすまでいくばくかの時間私達は見つめあっていた。
「そっ…んなん、あるわけないやん。ウチに気ぃ使わんでええって。」
いつになく弱気な彼女に少しばかりの悪戯心が芽生えた。
いつも上手をいかれる彼女への仕返しというわけでもないが、私はそれに抵抗することなく口を開く。
「まぁそんな事を思っていても言えない空気だったのは間違いないが。」
「どないやねん!」
ずこーっと音が出そうな勢いで机に突っ伏したクロワッサンに冗談だ、と笑いながら伝えるとウチを弄んで楽しいか、と恨みがましく言われる。楽しかった。
「医療の師がケルシーなら商売の師は君だ。
尊敬する君の言葉は私にはいつだって勉強になることばかりだったよ。」
そう言ってクロワッサンの頭の上に葉巻の箱に似てはいるがそれよりは厚みがある長方形の箱を置いてやる。
突っ伏したままのクロワッサンが頭を揺すってそれを目の前に落とし、なんやこれ、とうろんげに見つめる。
「君に見てもらうようになってから貿易額が倍増した記念だ。
エクシアに苦労して取り寄せてもらったから彼女にも礼を言っておくといい。」
中身はヴィクトリア製のガスライターである。
まさか倍増するまでになるとは、私の不出来さを嘆くべきかクロワッサンの優秀さを褒めるべきか。
なんにせよ世話になったのは間違いないのでこうして今までより奮発した贈り物も用意していたのだ。
中を開いたクロワッサンが目を見開くのを見てエクシアの見立てが間違っていなかったことに感謝する。あいつにも今度何か返してやらねば。
「言葉だけで疑念を払拭する器量は持ち合わせていなくてな。
物で釣るようでなんだがこれで今は納得してもらえるとありがたい。」
全く意図したことではなかったが、これではまるで私が気を配れるようになったみたいではないだろうか。
…うむ、次は意図してできるようにならねば。
「…少なくともウチには効果てきめんやわ。
おおきに、旦那さん。」
そう言ってもらえると贈った甲斐がある。
クロワッサンは早速消えていた葉巻に新品のガスライターで火をつけるのであった。
クロワッサンはうちのメイン盾です。鈍器はロマン。