限界だった。
絶え絶えの呼吸は血の味がし、身体はもはやピクリとも動かない。
拷問を受けたことは今までに、少なくとも記憶の上では無い。
これほどまでに辛いものなのか。私の罰はこれほどまでに重いものなのか。
それでも私は何とか力を振り絞り後ろを振り返る。私をここまで追い詰めた下手人を睨むためだ。
彼女は鋭く目を光らせながらゆっくりと私の傍に歩み寄ると足元に鞭を叩きつける。
「サボるんじゃない!後たった三十周だ!」
「…無茶、を…ハァ、言うな…!」
私がドーベルマンに叩きつけたのは抗議というよりは嘆願の方が近かった。
_____________________________________________
「よし、三十分休憩とする!その後は不安定な足場という状況下での戦術訓練だ!」
はーい、と気の抜けた答えを返しながら我がオペレーターたちは散っていき思い思いの方法で体力を回復させる。
日々鍛え続けている彼女達を比較対象にするのはどうにも間違っているような気もするが、私のささやかな自尊心は序盤で訓練から外れたことによりぼろぼろである。
身体を休めに行く彼女たちの何人かに心配そうな視線を向けられるも私はそれに手を挙げて答えた。
正直言葉を発するのも辛いからだ。心身ともに。
「腑抜けすぎだぞ、ドクター」
そんな事は鬼教官には関係が無いようであるが。
私は演習場の端で壁にもたれかかっていた。
腕と足を投げ出し肩で息をしたまま何とか顔を上げるとドーベルマンは既に目の前には居らず隣に腰掛けているのが視界の端に映る。
顔を見れば厳しい表情をしていたが続く言葉はどこか楽しげだ。
「ここまで体力が無いとはな。『新入り』の方が幾らかマシだ。」
「…こちらは頭脳労働が専門だからな。」
「であれば鍛錬を怠っていいとでも?指揮官として現場に行くのならせめて自力で逃げ出せるぐらいの体力はつけて頂きたいものだ。」
まったくその通り。
口からついて出た言い訳は正論によって悉く叩き潰された。我が方は圧倒的に不利、可及的速やかな話題変換が急務である。
「解っている。だが私の事は後回しでも構わんだろう。
それより『新入り』だ。プラマニクスは任務に参加させてもよさそうか?」
演習場まで足を運んだのはそもそもそれを自分の目で確かめるためである。
ドーベルマンの「せっかくだ、ドクターもたまには体を動かしてはどうだ?」との言葉に確かに最近デスクワークばかりだった事を思い返して乗ったのが間違いだった。
軽い運動かと思えば本気の訓練用メニューである。恐らく二度と参加することはあるまい。
「動きや技術に関しては並、だがそれをカバーするというには余りあるアーツ適正と特性を持っている。根性もあるにはあるが…やる気がどうも…。
以上諸々ひっくるめて所感では『可』だ。
…後で報告書とドクター用のトレーニング案を持っていこう。逃げるなよ?」
私の思いを知ってか知らずか、流石ロドスの癖の強い面々をまとめ上げる敏腕教官だと改めて思う完璧な報告だった。最後の一文を含め。
私は諦めて、助かる、とだけ答えるとグム特製のスポーツドリンクに口をつける。
グムは反省したようで、ロドスからオリジムシは消えた。
…この前食堂の奥から「その手があった!!!」とろくでもない叫び声が聞こえたのでたまたま一緒に食事していたクロワッサンと顔を見合わせその後頼んで止めてもらったという事もあったが。
「ウチもアレ食うんはちょっとなぁ。…新規市場開拓…いや無理やな。」とはクロワッサンの言である。
私がそうして体を休める事に注力しているにも関わらずドーベルマンは息ひとつ乱すことなく隣で携帯端末を操作していた。
何気なく画面を盗み見れば各オペレーターの簡易なリストに評価欄に記入されていっていた。
それぞれ手厳しい評価であったが丁寧な改善案も一緒に記入されており、彼女のような教官がいて良かったと心から思う。
…待て、何故私の欄がある?しかも私の評価が軒並み最低なのは…一つくらいはマシなところも…。
「淑女の手元をじろじろと見るのは不躾とは思わないか?」
「…私の知っている淑女は鞭を振り回したりはしないが。」
「いい度胸だ、ドクター。」
「冗だ」
「休憩は終わりだ!時間が早まった文句はドクターに言え!」
ドーベルマンに引きずられる私に降りかかる視線は先ほどと違い心配だけでは無かったが私は同じように手を振った。悪かったと諦めてくれという気持ちを込めて。
____________________________________________________
場所と時間が変わって執務室。
ドーベルマンは約束通り報告書と私のトレーニング案を持ってきていた。
後者はさっさとデスクの引き出しに放り込んで(後でちゃんと目を通すからと言って鞭は下ろさせた)報告書を精読する。実によく纏められていた。演習の後わざわざ解りやすいよう添削してくれたらしい。
「それで結局、上はプラマニクスはどうするつもりだ?」
「…カランドの巫女を擁していることはかなりデリケートな問題だ。」
「解っている。宗教が絡んで面倒にならないことなんてあったためしがない。」
苦々しく言う姿に同情を禁じ得ない。私はこれが初めての事例だが今回の様に複雑であったならこの態度も頷ける。
プラマニクスがロドスに来訪した理由として表向きは鉱石病患者への宗教的な慰安と公表してある。
あるものの我々はそれを強要するつもりは無い。それが彼女との約束でもある。
かといって事務作業や雑務を任せるには…本人の力不足だった。これでもかなり婉曲な表現である。
今回訓練に参加させたわけであるがもし任務で大怪我でもさせようものならイェラグとどうこじれるか想像がつかない。
だが何もさせないというのは表向きの理由が邪魔をする。
つまるところ以前と回答は変わらない。
「『私にもわからない。』上も今頃頭を抱えてるだろう。」
「なるほどな、慎重な判断でまったくありがたいことだ。」
ドーベルマンはそう言うと頭痛をこらえるように目をきつく瞑りながら灰色の息を吐いた。
彼女の吸う「A.S.」と名付けられた煙草はきつめのメンソールが特徴である。市場に現れたのは最近であるが既に熱狂的なリピーターが産まれているという。
ちなみに、今彼女がしたように煙草の根元に埋め込まれたカプセルを噛み砕いて味を変えるのは苛立ちを抑えきれていない時の癖である。
「ドーベルマン、貴方から見て本人の意思はどんな感じだ?」
「さぁな。…世間知らずのお嬢様らしく今は束の間の自由が嬉しくて仕方が無いようにしか見えん。」
「そうか…であるなら…」
煙草の煙は私の頭を透き通らせていくようだ。
もしそれが気のせいであれ私は自分の放つ言葉に責任を持つ。
散々背負ってきたんだ、もう一つ重荷が増える事に恐れを抱く方が今背負っているものに対して失礼であるだろう。
それでもその言葉を口にするのは、少しだけ勇気がいった。
「私としてはオペレーターとして戦場に立ってもらうつもりだ。」
こうしていつも私は悩み事を増やすのである。
「なに?」
先程解らないと言っていたのは何だったのかと言いたげな表情に、上の正式な通告じゃなく個人的な推測だと言い含めて続ける。
その間私の手に挟まれた煙草が灰皿の上で灰になっていく姿を見つめながら。
「上が訓練に参加させたのはいっそ使い物にならないと解れば、という意図があるように思うんだよ。
面倒だから送り返したいというのが本音だがカランドの巫女を抱えこんでいるというメリットも無視できない。我々と各移動都市とのコネクションが弱いことは知っているだろう?せめてイェラグを、ということだ。本人の気も知らずにな。
幹部会でも恐らく意見が割れてることだろう。
きっと判断材料が欲しいんだ。
それが一幹部の勝手な行動か総意なのかまでは知らないが、面倒にならない方に気持ちが傾いている奴が彼女を送り返す為の理由を探している。
わざわざ苦手そうな仕事ばかり振ってくるのがその証拠だ。」
私の長々とした推測を話し終える頃には煙草は根元まで灰になっていた。
新しく煙草を咥えながらドーベルマンを見ればいよいよ頭痛が深刻化したように額を抑えている。
「…ただの妄想、と言いたいが…糞、いつも割を食うのは現場の人間だな…。
?待て、それがどうして奴をオペレーターにすることに繋がる?」
「だからだ。
私が思うに、
戦闘能力が君から見て『可』であるのは幸運だった、私は全力でプラマニクスをオペレーターにする。」
ライターの火打石を擦った音は思ったよりも大きく執務室に響いた。
「…はぁ…上も上だがドクターもなんというか…」
呆れたように言う言葉を否定しないし軽口も叩けない。
私は自分の趣味で彼女を戦場へと立たせ、今ドーベルマンが言ったように現場の者に割を食わせる。
「頼むよ、教官。」
「…生き残る術は叩き込んでやる。問題のやる気の部分はドクター次第だ、精々気張るんだな。」
「後悔しないように全力を尽くす。いつものことだ。」
そう言いつつ後悔してばかりだがな、と呟くと違いない、と笑われた。
後ろばかり見る癖をやめる事ができればと思うがこれは私の性分である。
まだしばらく私は自分のした選択に悩み続けることになるようだった。
____________________________________________________
この男は自分を露悪的に見せることが下手だ。…いや、違うか。拷問官も兼ねる私には通用しないというだけで。
性根が悪くなりきれない、ということは良い面も悪い面も兼ね備えている。どんなものでも同じだが。
とにかくこの男は思い出したように自らは悪だと認めて欲しがる。
注意深く見れば、決まってそれは誰かの命を背負おうとする時だ。
それが味方であれ、庇護対象であれ、敵であれ。
自分が守りきれぬ、または奪おうとしている命に対し私は悪なのだから当然だと自分を慰めておきながら、それでもその命を捨て置かず背負うのだ。
放っておくようなことはできず、かといって責められることにも耐えられない、そんな弱い男だった。
今回にしても、プラマニクスをオペレーターにすると決めた本当の理由は上への反発心なんかではないのだろうと私は思う。
私がプラマニクスの意思を話してからオペレーターにすると彼は決めた。
プラマニクスは故郷に戻ることも望んでおらずカランドの巫女として利用されることもない日々を楽しんでいたという事を聞いてからだ。
それを続ける為には戦闘に参加させ、また彼女がいなければ切り抜けられなかったくらいの戦果を挙げれば上も判断を変えて残留の方向に舵を切るのかもしれない。
いや、そうさせるのだろう。そういう意思は強く折れない男だ。
なんにせよ物好きなことだ。その為に上からも本人からも憎まれる羽目になるのかもしれないがやると決めたのだから。
まぁ、個人的には気に入っている。肉体面は落第もいいところだが…時にこうして見せる強い心は好ましい。
できるだけの事は協力してやる。
それこそ全力でな。
「ところでドクター、そろそろ先程渡したトレーニング案をデスクから出して見てもいい頃だと思わないか?」
「…明日にしないか?」
「…よかろう、私がその甘えた考えを叩き直してやる。
さぁ立て、訓練の時間だ!」
かくして冒頭に戻る。