戦争は二次創作の顔をしていな…………していいの?   作:八志 牛男

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 速水螺旋人氏の個人的補遺の「そして、僕はこの作品で泣いたり感動したりエピソード集として楽しんでも別にいいのだろうと思うのです。自分の情動を止めることなどできますまい。僕も群像社版を読んで、まずそういう楽しみ方をしました」の部分を読み飛ばしてしまった上に、「コミック版は『可憐な女性兵士のけなげなエピソード集』『泣けて感動する話』として『消費』されてしまうのではないか」と危惧するご意見がありました。発売後もよくお見かけします。これはまったく正当な懸念です。」の部分に過剰に反応してしまった完全に間違った受け取り方をして思わず書き始めてしまったもの供養。
 本当に申し訳ございません。
 賢明なる皆様方には、戦争は女の顔をしていない以外のネタ元を記載していなくとも、全部お分かりと思います。引用元のページ数も書かなくても分かるものと思ってます。
 あと好きな言い回し、台詞を無遠慮に使ってしまったネタ元の皆さんにも本当に申し訳ございません。






 

 歩見が放課後の図書室で本を横に積みながら、机に突っ伏しているとアリスが『戦争は女の顔をしていない』のコミックを抱えながら思いっきり駆け込んできた。

 

「コミカライズしたよ!!」

「知ってますよー。だからこんなことになってるんです」

 

 歩見は、アリスに自分の横に積まれた本を指さして見せた。

 

山と積まれた本の背表紙には、『囁きと密告』『赤軍記者グロースマン』『スターリン赤い皇帝と廷臣たち』『第三帝国の社会史』『イワンの戦争』『セカンドハンドの時代』『青い鳥』『不思議の国のアリス』と書かれていた。

 

「『戦争は女の顔をしていない』がないけど?」

「今、あるわけないじゃないですか。『セカンドハンドの時代』が確保できたことの方が意外だと思ってくれてもいいんですよ?」

 

 『セカンドハンドの時代』と『戦争は女の顔をしていない』の作者が、同じ人であることを理解していないアリスはそれを聞き流して、歩見に用件を伝えた。

 

「読んでから、気持ちが落ち着かないの。どうしよう!?」

「どうぞ」

 

 歩見は『セカンドハンドの時代』を渡そうとしたが、机の上に飛び乗ってきたアリスは受け取りを拒否する。

 

「そうじゃなくて、感情を共有したいの!この話を見たみんなの気持ちが知りたいの!!」

 

 歩見は、もし他に誰かここにいたらすごい迷惑だろうなぁと思いつつも無難に返した。

 

「それは、私も、どうしようもない気持ちになってますよ」

「やっぱりそうよね!!この話をもっと多くの人に知ってもらう為に、何かするべきよね!!」

 

 食い気味に答えてきてそんなことを言い出すアリスは、確かに落ち着いていないと歩見は思った。さっきからアリスは感嘆符が多いし、歩見はそんなこと一言も言ってない。

 

「どうしよう?新聞広告も出たし、現実では大丈夫かも。じゃあネット上で無料公開されているんだから、SNSで絶賛とかしたら、ネットのみんなが見て、買ってくれると思う?」

「それができるのは影響力の強い人だけと思います。あとみんなもうそういうことやってくれているので、そもそもアカウントを持ってないアリスは、座っておいていいです」

「『そんなことないわ!』私たちにも何か役立てることがあるわよ!!」

 

 早速台詞を引用して、自分にも何かできないか考えて難しい顔でうーうー言っているアリスを横目に、歩見は思いっきりため息をついた。

 歩見も同じようなことを思って、その上で何もできないと思ったからここで突っ伏していたのだ。

 

 唸るのを止めたアリスの顔に閃きが表れて、その一言を放った時に、今度は歩見がうーうー言いながら突っ伏しなおすこととなった。

 

「そういえば、私たちが『戦争は女の顔をしていない』を知ったのは、『戦争は『艦娘』の顔をしていない』だったわ。…………二次創作よ!!」

 

 

 その道は歩見が既に通っていて、否定していた。

 

 

 嫌だなー、どうにか何かできないかという、単体としては純粋な気持ちを否定するプロセス、もう一回したくないなー、と思って歩見は恐る恐る聞いてみた。

 

「どんな感じでするんですか?」

「それは勿論。もう『艦娘』はあるから、他のもので……なるべく、その作品の支持層が『戦争は女の顔をしていない』を知りそうにないと、ベター?という条件に合いそうな作品を探して、書くの。そういうのやったことないし、もう一週間くらい経っているから、今回のコミカライズ化の衝撃で書かれただろう『艦娘』以外の先人のものを参考にして、素人であることを考慮したら、一人くらい興味を持ってくれること、目標で頑張ってみましょう」

「そういう気持ちで書いていいのかどうかはともかくとして、先人がいないんです」

「いないの?」

「いないんです」

「ちゃんと探した?」

「別のタグつけられてたら、わかりません、なのかなと思って、戦争はとか戦争は女とかで探してみたら、ヒットはしました」

「なら」

「『少女』でしたけど、『艦娘』の名前でした。しかもこっちのが、数は多いんです。戦争は女の顔をしていないタグだとイラスト0なのに。別タグだとあったりしますが、だいたい艦娘です。二次創作的には『戦争は『艦娘』の顔をしている』んです」

「え、SNS上にはあるんじゃ?」

「私たち、二人ともSNSに繋がってないのでわかりません。あるといいですね。そもそもの問題があるんですけど、監修の方が個人的補遺で『「コミック版は『可憐な女性兵士のけなげなエピソード集』『泣けて感動する話』として『消費』されてしまうのではないか」と危惧するご意見がありました。発売後もよくお見かけします。これはまったく正当な懸念です』と仰られている部分を見たら、安易な形での二次創作は正にエピソード集としての『消費』として二の足を踏みますよね」

「そ、それはそう言われれば、そうよね。ん~、素人の手を出していい方向性ではなさそう。……別に、二次創作をするのに他の作品を介在させなきゃいけないわけじゃなくなかった!?」

 

「あ~、はい」

 

 歩見は既に同じ思考の道をたどっていた。

 

「原作が小説、しかも個人的なエピソード集。さらにノンフィクション。……架空の人物を用意して書くという形?」

「小説じゃないです。まぁ、どうぞ」

 

 歩見は、積んである本を全部、アリスの腕の中に今度は無理やり押し付けて重ねて言った。

 

「どうぞ」

「全部、読むの?」

 

 アリスは、愕然とした顔と嘘であれという声音で、歩見に聞いた。

 

「絶対これでも足らないと思います。『可憐な女性兵士』以上の架空の人物を創り上げるためには、人物の基本骨格を作る為のソヴィエト・ロシア史として『囁きと密告』『イワンの戦争』『セカンドハンドの時代』、コーヒーを飲む女性や、敵を理解するためのドイツ史として『第三帝国の社会史』、軍事的エピソードを知る為の『赤軍記者グロースマン』、重要人物の伝記である『スターリン赤い皇帝と廷臣たち』」

「待って。何故か混じってる『青い鳥』と『不思議の国のアリス』の説明がない」

「何を言ってるんです?私たちがそれを読むのは当然ですよ?」

「ん?う、うん」

 

 アリスと歩見は不思議そうな顔でお互いを見たが、歩見は気にしないことにして話を続けた。

 

「とりあえずここの図書室にあるNDC分類、230番台のヨーロッパ史、280番台の伝記、390番台の国防・ 軍事から、私が勝手に思う通史というよりはエピソード的かなというもので、単純に私が好きなものを恣意的に選びましたから、読んでください」

「分かった、分かりましたけど、一つ教えて。『戦争は女の顔をしていない』の分類は何番台の何?」

「980番台のロシア・ソヴィエト文学」

「え?…………ロシア史じゃないの?」

「ロシア史に分類されるほど、『女の顔』が認められてたら…………、『セカンドハンドの時代』はロシア史なんですけどねー。ちなみに他のユートピアの声シリーズは、同じく980番台の『ボタン穴から見た戦争 : 白ロシアの子供たちの証言』、310番台の政治『アフガン帰還兵の証言 : 封印された真実』、540番台の電気工学『チェルノブイリの祈り : 未来の物語』であってるはずです。もしかしたら、どれかと360番台の社会『死に魅入られた人びと : ソ連崩壊と自殺者の記録』がごっちゃになってるかもです」

「そう言えばノーベル文学賞受賞者だし、それは文学分類されるかー」

「細かく言うと、986番の記録. 手記. ルポルタージュです。じゃあ、頑張ってください」

「待って、どこに行くの?」

 

 外に出ていく気配を見せた歩見に対して、一人になりたくないのかアリスが行き先を聞いたが、歩見は振り返りもせず答えた。

 

「≪結婚式までには傷は治る≫わ」

「誰の!?」

「……これ、ほんとに≪気にするな≫の意味で使うの、合ってるんでしょうか。小説経由で知る決まり文句は、だいたいネット検索で出てこない気がします」

 

 ぶつぶつと言いながら、歩見はアリスが用意した外の存在しない学校の廊下に消えていった。

 

 歩見が戻ってきたときには、今度はアリスが机に突っ伏していた。

 そして戻ってきた歩見に気づいて、呆然と口を開き声が溢れ出した。

 

「『マルクセーナ・カルピーツカヤは両親が逮捕された後、共同住宅で一人暮らしをしながら、レニングラード公共図書館で働いていた。彼女にとっては、NKVD本部に呼び出されて密告証言を迫られた経験が覚醒の瞬間だった。』」

「『マルクセーナは内心の正義感に衝き動かされ、無害の老人と両親を弁護しようとして、愚かではあるが勇敢な行動に出た。

私は怒りで我を忘れた。両親が人民の敵であることはまだ証明されていないと私は言ってやった。だとすれば、私の両親を人民の敵と決めつける発言こそが犯罪であるとも言ってやった。その瞬間にひらめいた真理だった。でも、そんな言葉を口にするとは!若さゆえの愚かさがなければ、とうていあり得ない蛮勇だった。尋問官は飛び上がって、私に近づいてきた。殴られると思った。彼が人を殴り慣れていたことは疑いなかった。私は立ちあがって丸椅子を手に構えた。身を守ろうとしたのだ。私が丸椅子を構えなければ、彼は私を殴ったはずだ。尋問者は我に返り、腰を下ろして、私に身分証明を出せと言った。

数日後、NKVDからマルクセーナの許にレニングラードからの追放命令が届いた。しかし、彼女はレニングラードを離れることを拒否する。「レニングラードは私の故郷だった。愛するレニングラードを離れることなど考えられなかった」とマルクセーナは回想している。「なぜ出て行かなければならないのかと私は思った。私に残されたのは[共同住宅の]この一隅だけだ。逮捕するならすればいい。私は出ていかない」』」

「その先の展開は『囁きと密告』未読者の為にストップです」

 

 歩見はアリスの口を塞いで、今度は自分が口を開いた。

 

「『トレブリーンカの生きた死者たちが、人間らしい姿や形ではなく、人間の魂を最期の瞬間まで保ちつづけていたという話を聞くと、心の奥底をゆさぶられるような感動をおぼえ、夜も眠れなくなる。子どもたちを救おうとして成功の望みのない行動にあえて出た女性たち、乳飲み子を毛布の山のなかに隠した若い母親たち、嗚咽する両親を天使のような賢さでなぐさめた一〇歳の少女たち、ガス室の入口で「ロシア軍が仇を討ってくれるから、ママ、泣かないで」と叫んだ男児の話など』」

 

アリスが、激しく暴れるので何とかして抑え込みながら、歩見は続けた。

 

「『……背の高い娘が「帰還なき道」で看守からカービン銃をもぎとり、SS隊員数十名を相手に戦ったという話もつたえられている。その娘はひどい凌辱をうけ、処刑された。だれも彼女の名前を知らないし、その名を後世につたえる人もいない』」

 

 その一節を聞いた途端に、アリスは道具までも使って歩見から距離をとって絶叫した。

 

「私が!彼女を永遠にするの!!書けばいいんでしょう!!みんなを『赤軍記者グロースマン』に誘導できる傑作を!!いや、私は悪魔的存在なんだから、今から彼女の魂をとってくればいいんだわ!!」

 

 道具を使って何処かに消えようとするアリスを、歩見は道具で思いっきり殴って、打ち倒した。

 

「落ち着きました?」

 

 アリスは、頭の痛みを道具で消すと、怒った顔で歩見に対して詰問した。

 

「『可憐な女性兵士』以上の架空の人物?読めば読むほど、平均的ソ連人の人間像がどうとかよりも、個々の人間が追い詰められたときに発揮した英雄的行為に圧倒されるだけじゃない!!戦時中じゃなくても人間は英雄的行為を行いうるし、『泣けて感動する話』として、『ほぼ二五人のSS隊員と一〇〇人前後のウクライナ人補助警備員が、これだけ多数の人びとをどうやって殺すことができたのか?まもなくグロースマンは気づいた。彼らは欺瞞によって心理的に混乱させ、さらにむき出しの暴力で畏怖させることによって、目的を達成したのだ、と』に順って殺された人びとの話も、それでも抵抗心を失わずに闘争を行いえた人びとの話も、それ以上があるとは私には思えないわ!!何たる人間性!!何たる創意工夫!!『蜂起した人びとのうち、今日まで生き延びた人は数えるほどしかいない。だが、それだからどうだと言うのか?彼らは武器を手にして戦いながら死んだ』」

 

 歩見も、感情を抑えきれずに応じた。

 

「でも、……でも!アリスもさっき、言ったじゃないですか、彼女を永遠にするって!!架空の人物を作るのにそんな熱量を持ってないなら!!それが、予定調和を超えられると私は思いません!!『消費』がどうこうとかじゃなくて、創作にはどうしてもそうせずにはいられない気持ちが絶対に必要なんじゃないですか!?そもそも、アリスが最初に何かできることがあるかを探し始めた気持ちが!!……私には、それ以外になんで人間が、消費ではなく創作をするのかわかりません。下手をしたら百万を超える小説が、ネット上に溢れています……。絶対、私の余暇の全てを使っても、読み切れないほどの……。そして書いているよりも読んでいる方が楽しいんです。それは、もう、しょうがないんです」

 

「私が言いたいのは、そういうことではなく!その『戦争は女の顔をしていない』に圧倒されていた気持ちが、他のエピソードを読んでいった結果…………死んだわ。……私の気持ちはもう、収容所のユダヤ人の極限状態での人間行動と、私がそのシンボルだと勝手に思った名前のない少女に、どうしようもなく捕まってる。最初に圧倒された気持ちはなくなってしまったわけじゃない。でも、私は思ってしまった。『トレブリーンカの生きた死者たち』の方が、彼女たちよりも偉大だと。…………そんな比較をしてしまう自分の醜さに、死にたくなった。」

 

 アリスには、もはや熱狂はなく、顔に罪悪感と後悔を浮かべていた。

 しかし、歩見には彼女から僅かばかりの悔しさも、感じられるように思えた。

 

「そうなんです。比較はしてしまうんです。しょうがないんです。そもそも個々の人間のそういうエピソードに感動したから、その為に何かをしようと思ったんです。私たちはそういうエピソードに対する抵抗性が低いんです。だから、遅かれ早かれ『戦争は女の顔をしていない』よりも、私たちに効くエピソードには行きあたってしまうんです。そういうものではないもので、ソ連人を理解しようとすることはできないんです。まさにそういうエピソードが顔なんですから」

 

「もう『戦争は女の顔をしていない』に対する気持ちは罪悪感の方が強いけれど、私は二次創作を書くわ。戦争はユダヤ人の顔をしていないって。ベルリン発、モスクワ方面、オーバーマイダン行きの章に始まって、名前のない少女と「帰還なき道」で終わる物語を」

 

「本当に書くんですか?私には理解できません。実在した人物をそういう風にしていいのかどうか?彼女のつたえられている特徴が、背が高いことしかないんですよ。勇敢だったかもしれません。臆病だったかもしれません。それを自分の思うがままに決めるなんて、彼女への冒涜になりませんか?」

 

「『オルテンベールクの記述によると、グロースマンは「短身でおだやかで人のよさそうな」

旅団長と会食した。「食事中に戦闘の日時や場所を語り合っていたとき、グロースマンはその相手こそ第三九五連隊を指揮していたババジャニャーン、つまり彼が小説[『人民は不死』]の主人公として描いた当の本人であることに気づいた。≪そう、たしかに私はあそこにおりました≫とババジャニャーンはあいづちを打った。≪でも、あなたは私を[小説のなかで]殺してしまわれた≫≪たしかに、あなたを殺しました。でもよみがえらせることだってできますよ≫とグロースマンは答えた」』大丈夫だわ、もう実在の人物が主人公として書かれて、生死まで思うがままにされる例はあるから」

 

「全然大丈夫じゃないです。戦争を知っている従軍記者が書いた作品と、向こうの社会のことを少しの本を通してしか知らない私たちでは、条件が全然違います」

 

「私にはもう、わかるわ。実在の人物とか、架空の人物とか、二次創作を書く上では関係なくなると思う。絶対、作者がそうであって欲しい架空の人物になってしまうもの。それが、実在の人物の名誉を傷つけなければいいの。そしてユダヤ人の顔をしていないことは、多分本当だと思う。『まもなくグロースマンは、のちにホロコーストとして知られることになる出来事についての自分の取材記事がソヴィエト当局に歓迎されていないことを、はっきりと知った。スターリン政権の方針は、被害者の特別のカテゴリーの存在を認めなかった。ソ連領土内のナチズム犠牲者はすべて「ソ連市民」と定義されるべきものとされ、それ以外の分類はゆるされなかった。残虐行為にかんする公式発表は、たまたま遺体が黄色の星をつけた衣類を着けていたと描写することはあっても、ユダヤ人という表現は一切使用しなかった』『「死者を区分してはならぬ」というスターリンの方針がそのひとつの理由であり、もうひとつ、ウクライナ人もユダヤ人迫害に一役買ったという、当局にとって具合の悪い事情もあった。大祖国戦争中の対敵協力のテーマは、共産主義崩壊ののちまでほとんど完全にタブー視されていた。』」

 

「それを持ち出すなら、『インタビューにおうじた生き残りユダヤ人の大多数がロシア人やウクライナ人に救われ、助けられた事実にも、グロースマンは注目した』も持ち出してください。ウクライナ人の顔をユダヤ人迫害だけの顔にしないでください。私だって、分かりました。戦争は誰の顔をもしてません…………なのに、ある層だけの顔をしていないなんていうことが、もう既に悲しいんです」

 

 アリスには、もう『そんなことないわ!』とは言えなかった。

 

「『「コスモポリタニズム批判」キャンペーンが始まると、水門を切って落としたように反ユダヤ主義の洪水が溢れ出した。反ユダヤ主義はロシア帝国時代から続く長い伝統であり、一九一七年の革命以降も消滅していなかった。特に都市の下層階級の間にはユダヤ商人に対する根強い敵意がくすぶっていた』『スターリンは国民の反ユダヤ主義的感情を巧みに利用して権力の座についたとも言える。下層階級は一九三〇年代の政治的粛清に対しても比較的無関心だったが、その理由は、テロルの犠牲になる党幹部たちが所詮は「ユダヤ人」であるという固定観念が国民の間に存在していたからである』」

 

 歩見は謡うように、続ける。

 

「ユダヤ人の顔をしていないことを、政府のせいにしたい。そして、安心したい。でもね、『しかし、その一方で、戦前のソヴィエト政府は帝政時代の遺物である反ユダヤ主義を根絶するために真剣に努力していた。したがって、革命後のユダヤ人は差別や敵意から比較的安全に守られた状態にあった』そうしたら、政府の顔をしていないかもしれない」

 

「ユダヤ人の顔を掘り起こして、私たちに教えてくれたグロースマンですら、『まもなくグロースマンは外国領土に入ってから赤軍の行状が変わったことに気づいた。かれはあいかわらず最前線部隊を理想化し、補給、輸送などの後方部隊にすべての責任を転嫁しているが、じっさいには彼があれほど理想化して描いた戦車隊が、しばしば最悪の略奪、強姦をはたらいた』そう、戦争の顔を作っていた。『飛行場のそばで殺された数千の犠牲者のなかに、彼の母親もいた。戦後に彼はいまは亡き母親あての二通の手紙を書いたが、そこには自責の念と怒りがなによりもよくあらわれている』そんな、道徳にも勇敢な人ですら!!」

 

 歩見の声は、悲しみを増していった。

 

「男性軍人たちが、女性たちに対して不当に称揚されていると思うかもしれない。でも、『スターリンはジューコフの傲慢な態度を非難し、モスクワに召喚して、軍事評議会の査問にかけた。政治局のメンバーたちはジューコフのボナパルティズムは国家の利益に反すると決めつけた(しかし、会議に出席していた将軍たちは一人を除いて全員がジューコフ元帥を擁護した)』『ジューコフ元帥の名はソ連の報道から消え、大祖国戦争の歴史からも抹殺された。ソ連の正史では、戦争の勝利はスターリンただ一人の功績ということになった。ジューコフ以外にも赤軍の英雄として高い人気を誇る将軍たちがいたが、彼らも同様の運命をたどった』彼らの顔だってしてなかった!!」

 

「誰の、誰が、誰も、スターリン以外のすべての!!『農村出身の兵士たちは、戦争が終れば集団農場は廃止されるだろうと期待した。集団農場の廃止に関する噂話が軍隊内に流れ、ジューコフ将軍自身がその種の約束をしたとも言われた』それが顔だったらよかった。『映画監督のアレクサンドル・ドヴジェンコは彼の軍用車両の運転手だった「シベリア出身の青年」と一九四四年に一月に交わした会話を記憶している。「あなたもご存じでしょうが、われわれ全員が生活の変化と改善を待ち望んでいます。待っているのです。誰も彼も全員が待っています。ただ、声を上げないだけです」。ドヴジェンコは何日か後の日記にこう書いている。「私は彼の言葉を耳にして仰天した。人々は今とは違う生活を熱烈に希望していたのだ。その後、同じ期待を至る所で聞かされた。変化を求める声が聞こえてこない唯一の場所は国の指導部だった』すべての顔は消えました」

 

「あとは、スターリンがスターリンの顔をしてなければ、バン、バン。…………これで終わり。戦争は誰の顔もしていない。カーテンコールも、ございません」

 

歩見は『スターリン赤い皇帝と廷臣たち』を手に取ってアリスの方に表紙を見せ、表紙の顔に向けて指鉄砲を2発撃った。完全に平静な顔をしていた。

 

「『最前線の兵士は誰の支配も受けない。最前線の兵士はすべてを自分の支配下に置いている。防御戦を戦う時も自分自身の冷静な判断が必要となる……さもなければ、ドイツ軍に陣地を突破されてしまう……兵士たちは、まるでロシア全体の運命が自分の手の中にあるように感じていた。もし、自分が戦わなければ、すべてが変わってしまうだろう。平時のわが国では、個人の力で何かが変わることはあり得ない。しかし、戦争は違う。勝利のためには自分が必要だと誰もが感じていた』…………いいじゃないですか。私たちは平時を生きているんです。私たちが何かする必要なんてないんです。いやむしろ、おこがましいんです。『戦争は女の顔をしていない』を『消費』することなんて、できないって、ノーベル文学賞受賞者の作品に対して、二次創作を書くとむしろそれが『消費』になるんだって信じて!!…………『戦争は『艦娘』の顔をしていない』は『消費』じゃなかった。…………『消費』だったとしても、私たちはそこから知った。私はそれを否定する気持ちにはならない。でもね、もう、今からの二次創作は『消費』だと思う。だって『艦娘』があるから。……私は、『戦争は女の顔をしていない』は最終的かつ決定的に勝利したって、信じて眠りたい。もう嫌なの、自分に何かできることがあるなんて、信じていたく、ないんです」

 最後には囁くようになっていた歩見は、机に突っ伏して、悲しみの中に沈んで微睡もうとしていた。

 アリスは、歩見の声を聴きながら、その中に否定してほしい気持ちが表れているんじゃないかと懸命に探していたが、見つけられなかった。

 

 

 

 

 「それでも」

 

 アリスは自分に言った。そして気持ちを振り絞って、言葉を出した。

 

「『そんなことないわ!何千回でも否定できる』!!『戦争は女の顔をしていない』が書かれなければならなかったって!!誰の顔をもしていないなら!!していないからこそ!!何かできることが、誰にでも、あるんだって、私は信じるわ!!」

 

 そして、言い募ろうとしたアリスも何かに気づいてしまった。

 

「『戦争は女の顔をしていない』を知った。その時点で何か書こうとしていたら『消費』になってた。そして、知った。……知ってしまった。もう今から書いたら、それは、その人物は、『戦争は女の顔をしていない』の顔をしていない。そもそも、『戦争は女の顔をしていない』の顔をした人物を書くことは、コミカライズ作業の妨害にな…………る?」

 

 そして、納得した。納得しようと、した。

 

「な~んだ。私が『戦争は女の顔をしていない』の二次創作を書ける可能性なんて、最初からなかったんだわ」

 

 アリスが呟いた言葉は、図書室に奇妙に明るく響いた。どこかほっとしているようにすら聞こえた。

 

 そして、アリスは机に突っ伏し、その時に喉の奥からあがってきた言葉を噛み殺そうとしたが、すり抜けて出てきてしまった。

 

「『消費』って何なの?」

 

 




 むちゃくちゃになってる気持ちで書いてます。論理もむちゃくちゃになってるなんて、言われなくても分かってます。勘違いで書き始めて、書き始めた瞬間に勘違いだって気づいて、書き進めることなんて、もう出来なくなりました。
 私は『戦争は女の顔をしていない』がコミカライズ化したことを『消費』しているし、消化できていない。もう気持ちが耐えられません。一回ネットにあげて、自分から切り離すことで心の平静を回復しようと思います。
 最初の気持ちには、たどり着けなかった。

「「「「「それでも!!!!!」」」」」
「そうするしかなかった」
「そうした方が間違いなくいいと思ったんです」
「そうじゃなかったんですよ」
「するべきことをするんだ」 
「書け。それが追悼の代わりだ」

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