逃げるは恥だが鬼は死ぬ《完結》   作:ラゼ

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最終話までの流れやらなんやら考えてたら遅くなってしまいました。あと四話で完結です。


11話

 刀鍛冶の里と言う場所はその性質上、鬼殺隊の拠点としては見つかりやすい部類に入る。物流を最低限に抑えているとはいえ、あれだけの人数が暮らしている以上は当然だろう。そもそも刀の作成自体、かなりの物資が必要というのもある。故に、里の場所が鬼に知られた際には、既に設備を整え終わっている『空里』に移り住むことになる。死者の弔いも半ばだが、既にほとんどの人間が移住を始めていた。

 

「あの、俺たちも移動を手伝った方が…」

「ダメだよ、炭治郎くん。新しい拠点だって場所は秘密にされてるんだ。出来る限り知ってる人数は減らさなきゃ」

「あ……そう、ですね…」

「手伝いたい気持ちもわかるさ。でも人には役割ってのがある……彼等は刀を打って、君たちはそれを使う。あの人達の頑張りに報いたいなら、鬼舞辻無惨の頸を斬ることが最大の恩返しだよ」

「…はい!」

 

 うん、良い意味で切り替えの速い子だ。炭治郎くんの背中を軽く叩いた後、僕は里長の屋敷へ移ることを提案した。半数は傷を負っている状態だし、すっからかんになった里の設備を使わせてもらうくらいはいいだろう。それに、どのみちここが使われることはもうない。

 

 全員の了承を得た後、屋敷へ移動し──治療に必要な物資をしのぶちゃんと取りに行く。専門的な設備は無いにしても、最低限の物は備蓄している筈だ。

 

 まあ重傷者はいないし、そこまで急ぐ必要はないだろう。ぱっと見る限り、しのぶちゃんも無傷のようだし……途中から参戦した彼女と義勇は、その時点で八対一になったから余裕があったに違いない。

 

「…? どうしました?」

「ううん。しのぶちゃんが無事で良かったなって」

「ええ、千里も無事で安心しました。それと──上弦にも毒が効くと確認できたのは大きいです」

「へぇ……強い鬼には、まだ分解される可能性の方が高いって言ってなかったっけ」

「今回は敵が分裂していましたから。強さも半端でしたし、おそらく毒への抵抗力も落ちていたんでしょう。本体は冨岡さんが斬ってしまいましたので、効果の程は不明ですが……体を構成する細胞そのものは同質でしょうから、大なり小なり効果はあると思います。つまり方向性は間違っていない」

「そっか……ところで炭治郎くんは?」

「…ええ。戦闘中、痣が発現していました」

 

 むむ……なるべく出さないようにと炭治郎くんにはお願いしていたが、まあ上弦との戦いでそんなことは言ってられないか。短時間で火傷の痕が薄れていく程の異常な回復力──やはり黒い痣の効果だろう。

 

 痣者が早死にするのは既に炭治郎くんへ伝えているが、それほどショックを受けたように見えなかったのは……やはり覚悟の差だろうか。僕だったら、自室でゴキブリを見失った時の百倍は動揺する自信がある。

 

「まだ自分で切り替えが出来ないみたいだから、検証数が増えたのは助かるけど……複雑だね」

「…治しようがないかもしれないからですか?」

「諦めるつもりはないけどね。ただ、あれが寿命の前借りに近い状態だとしたら…」

「──ヘイフリック限界、でしたか」

「仮説の一つでしかないし、それだけじゃ説明もつかないけどね」

 

 二人で炭治郎くんの身を案じながら、みんなが待っている茶の間の衾を開ける。するとそこには、踏ん張った表情で全身に力を込め、額に痣を出している炭治郎くんの姿があった。彼に怒りを感じたのは初めてのことである。

 

「あ、千里さあ゛ぁぁぁっ!?」

「なるべく出さないでって言ったよね? いま出す必要ある?」

「か、感覚を忘れたくっ! な、なかったのでぇぇぇ!」

「千里が炭治郎に怒ってるの初めて見た…」

 

 頭をグリグリしながらお説教をすると、ちゃんと謝ってくれたので解放してあげた。他人への気遣いは必要以上にする癖に、自分の体にはまったく配慮しないのだ、この子は。

 

 そのまま彼の頭を両手で引き寄せ、痣を間近で確認すると、すっと消えていく様子が確認できた。ううん、体温が異常に高い……だと言うのに汗はあまり出ておらず、しかし脈拍は極度の興奮状態を示している。

 

「あ、あの……本当にすみません…」

 

 解ってない。全然解っていない。いま炭治郎くんが謝っているのは、僕から悲しい匂いがするからってだけの話だ。『千里さんを悲しませてすみません』だ。そんな彼だから好ましいんだけど、それでもやっぱり自分は大切にしてほしい。きっと何を言っても焼け石に水だろうから、彼が自分の身を案じない分は、僕や周囲がその分を案じるしかないけどさ。

 

「…もっと自分を大切にしてね、炭治郎くん。君が死んで悲しむ人間は、きっと君が思ってるより多いから」

「はい……でも、これに関しては無茶だとは思ってません」

「またそんなこと──」

「絶対になんとかするって、千里さんが言ってくれました。だから俺は信じてます!」

 

 くっ…! 一瞬抱きしめそうになってしまった。そうだ、僕がなんとかすればいい話だ……ん? いやそれとこれとは話が別──ううっ、キラキラとした瞳が眩しい。

 

 ため息をつきながら彼の頭を一撫でし、懐から注射器を取り出して採血する。痣を出してしまった事実は変えられないのだから、それならそれでやるべきことをやるだけだ。

 

「なぁ、さっきから何のこと言ってんの?」

「ん? ああ、えっと……さっきの痣のことさ。あれ出すと寿命が縮まるからヤメてって言ってるんだよ」

「ちょっ、千里さ──」

「ええぇぇぇっ!? バカバカバカなにしてんだよ炭治郎このバカ!」

 

 半泣きで炭治郎くんをポカポカ叩く善逸。他のみんなも少なからず心配したり怒ったりで、彼の人徳が窺える……これで多少は変わってくれると嬉しいんだけどねぇ。

 

 痣については次の柱合会議でも言及すると、あまねさんが言っていた。今更隠すようなことでもないだろう……それにここにいるのは、半分近くが柱だ。『どうせ』などとは言いたくないが、寿命と引き換えに強くなれるなら進んで発現させる人間ばかりだろう。だからこそ痣の解明は急務なのだ。

 

 それに一人でも痣者が出ると、それが引き金かのように発現し始めるという話もある。こちらは正直眉唾か、あるいは単にその一人から発現条件が共有されたからってだけの話だと思うけど。

 

「でもさ、千里……そんなの本当にありえるの?」

「前例はあるけど、資料が失伝しまくっててさ。詳細は僕が研究してるけど……んー…」

「…? なにしてんだよ」

「炭治郎くんの細胞を調べてるの。痣の出る回数で変化があるかどうか……ふむふむ…」

 

 鬼殺隊の技術は、一部において数世紀も先を行っている。例えば隊服。耐熱、耐冷、耐刃、耐衝撃、その全てを兼ね備えつつ、服としての柔軟さを併せ持つ意味不明の素材と技術……これは二十一世紀の世界でも実現は不可能だろう。

 

 例えば日輪刀。『鉄』としての強度はそのままだが、日光の性質を宿す謎鉄である。しかも握る人間の性質によって色を変える機能も付いているのだ。そして()()()()()()()効果もある……要は炎や雷などのエフェクトは、この刀が映し出しているのだ。普通の刀であの現象は確認できない。

 

 いま使っている『簡易細胞観測キット』もその一つ。細胞の観察など、普通は蛍光顕微鏡でもなければ出来ないのだが──それが出来てしまうのが蝶屋敷の技術である。蝶屋敷って言うか超屋敷って感じ。

 

 鬼殺隊超技術の要因の一つは、産屋敷家の財力による潤沢な研究費用だ。今も昔もそうだが、『研究』というのは金食い虫である。大企業がスポンサーにでもならなければ、器具一つ買えやしない。

 

 そして何故スポンサーが金を出すかと言えば、当然見返りがあるからだ。つまり研究成果が金にならないのなら、基本的にスポンサーは付かない。しかし産屋敷家は、鬼舞辻無惨を滅ぼすためであれば援助を厭わない。故に、世間には卸されないブレイクスルーがいくつかあったようだ。

 

 そしてもう一つ……こちらの方が大きいが『陽光山』の存在である。技術が爆発的に向上する要因は、いつだって『素材』によるものだ。

 

 陽光山は日輪刀の材料である『猩々緋砂鉄』『猩々緋鉱石』が採掘できる山なのだが──年中陽が差し続けるこの場所は、環境が非常に特殊だ。

 

 隊服の素材もこの場所から採れた奇妙な植物が原料である。そしてこの簡易細胞観測キットも、そこから産出される特殊な鉱石を使用して作られたレンズを使用している。しのぶちゃんが鬼の細胞を観察し、有効な毒を作れるのもこの技術あってのことである。

 

「どうですか?」

「んー……ちょっと変化してる、かな?」

「…詳しくお聞きしても?」

 

 …ん? しのぶちゃんはこっちの研究にはあまり興味を示してなかった筈だけど……うーん……ははぁ、きっと彼女も変わってきているんだろう。

 

 自分の命よりも仇を取ることを優先していた彼女だけど、僕と炭治郎くんのやり取りで何か思うことがあったのか、あるいは居住者が増えた蝶屋敷の生活で少しずつ変わってきていたのか。

 

 どちらにせよ良い傾向だろう。炭治郎くんが死んだら、またカナヲちゃんが心を閉ざすかもしれない──そんな理由もあったりして。

 

「さっきも言った『ヘイフリック限界』……これは──少し違うけど、解りやすく言うなら『細胞の寿命』だね。これはヒト細胞に限らず、単細胞生物以外に共通する細胞分裂回数の限界を意味するんだ」

「ええ、それは知っています」

「『回復』ってのは、その理論とは切っても切れない現象なんだよね。そんでもって、呼吸を上手く使える人間ほど回復力は高い傾向にある……そして痣を出した時の炭治郎くんの回復力は、ちょっと異常だ。つまり痣の発現ってのは、呼吸という技術における一つの到達点なのかもしれない」

「ふむ…」

 

 顎に手を当てて考え込むしのぶちゃんは、凛々しくて美しくて可愛い奇跡の美女である。藤の花の毒を入れ替えたせいか、最近ちょっと血色も良くなってきて、その美貌にも磨きがかかっているのだ。とはいえ今はふざけている場合でもないので、話を続けよう。

 

「DNAの捻じれ──繰り返される配列と、複数のタンパク質から構成される構造そのものを指して『テロメア』って言うんだけどね。この長短が細胞の寿命を左右するっていう説があるんだ」

「ええ、あなたが特に気にしていたものでしたね」

「そそ。なんでかって言うと、ヒト細胞におけるテロメアの短縮は基本的に不可逆的なんだ。加齢や他の要因で短くなったテロメアは、一度縮むと元に戻らない」

「…ですが?」

「そう、『ですが』……だね。人の体にはほとんど存在しない、生成もされない酵素……こっちは『テロメラーゼ』って言うんだけど、これがテロメアの短縮を抑制する効果があるのさ。それどころか修復させた例もある……かどうかは証明されてないけど、まあ説としては一応存在してる」

「人の体で生成されない……ですが、確か以前に炭治郎君の細胞内で生成されていると言っていませんでしたか?」

「うん。他の人と比較しても、呼吸を使うからって訳じゃない。となると…」

「『痣が発現すると寿命が縮む』という説の、むしろ逆を行っている…?」

「だね。つまりテロメアとテロメラーゼに関する学説そのものが間違っているのか──」

「あるいは炭治郎君が特別という可能性…」

「都合の良い考え方かもしれないけど、炭治郎くんだけが特別なのかもしれない。そしてそれの裏付けとなるのが…」

「…『日の呼吸』、ですね。復元された炎柱手記の内容が正しければ、適性はほぼ生まれる段階で決まる……『額の痣』も一致する。日の呼吸の使い手の痣だけが『生まれつき』という記述が真実ならば──炭治郎君だけが例外の可能性は否定できない…」

「一つの側面でしかないから、まだまだ多角的に見ていかなきゃならないけど……ん?」

 

 しのぶちゃんと顔を突き合わせて議論していると、なにやら皆の視線が突き刺さっていた。もっと言うと、義勇の視線が凄い勢いで僕に突き刺さっていた。なんなのさ、その眼は。その顔は。もしかして僕を馬鹿だと思っていたのか? なんて酷い友達なんだ。

 

「凄いわ凄いわ! 一人で上弦の鬼を倒して、しのぶちゃんみたいに頭も良くて──それに、それに冨岡さんと下の名前で呼び合ってるなんて!」

「一番驚くのそこなんだ……あ、まだ自己紹介してなかったね。飛鳥千里です」

「わ、私、甘露寺蜜璃です!」

「うん、よろしくね蜜璃ちゃん」

 

 『きゃっ…! 下の名前で呼ばれちゃった…!』などと呟いている蜜璃ちゃん。ずっとおっぱいばかりに目を奪われていたが、髪の色がちょっと有り得ない感じになっている。ピンクと緑って……なにごと? 桜餅のような色合いで可愛らしいのは可愛らしいけど、人間の髪って考えたらファンキーすぎるぜ。まさか地毛じゃないよね…?

 

「それと、君は…」

「…時透無一郎です。よろしくお願いします」

「うん、よろ──」

「なんで!?」

 

 無一郎くんと挨拶していると、善逸が謎の奇声を上げた。なんだなんだ、何が『なんで』なんだ。震える指先で無一郎くんを指差しながら憤っている。

 

「なんで普通に挨拶してんの!? 『どうでもいい…』とか『僕には関係ないから…』とかじゃないのかよ! はっ……顔!? もしかして顔で判断してるのかちくしょう! そう言えばお前らちょっと似てるもんな! 俺はお眼鏡にかなわなかった訳だぶげっ!?」

「僕に突っ込ませないでよね、善逸。だいたい、こんな素直そうな子になんてこと言うのさ」

「うわぁぁん! だってコイツ俺のこと無視するし小鉄君に酷いことするし人形壊すし俺より年下なのに柱だし美少年だし…!」

 

 半分くらい僻みな気がするけど……というか、美少年に似てるって言われちゃったぜ。まあ自分で言うのもなんだが、僕の顔はそれなりに整ってるからな。

 

 しかし無一郎くんからは、善逸が言ったような刺々しい雰囲気は感じないけど…? どれ、ちょっと頭でも撫でてみよう。よしよし……うむ、普通に受け入れてくれた。そしてそんな彼を見て、炭治郎くんが小首をかしげた。

 

「…? 時透君、雰囲気変わった?」

「…うん。ありがとう、炭治郎。君のおかげで思い出せたんだ……怒りも悲しみも──大切な思い出も」

「えっ? でも俺は何も…」

 

 ふむふむ……二人のやり取りを聞いた限りだと、どうやら無一郎くんは記憶喪失だったらしい。そのせいか、善逸が言っていたように冷たい言葉や行動を繰り返していたそうだが……炭治郎くんと接していく内、徐々に頭の靄が晴れていったらしい。そして先の戦いで彼に庇われたことがきっかけで、完全に記憶を取り戻したそうだ。なるほど、炭治郎くんの怪我が一番酷い訳だ。

 

「善逸も、伊之助も……ごめんね、今まで酷いこと言って」

「ぎゃあぁぁぁ! なんか謝ってるぅぅ! 幻覚! いや幻聴が聞こえる助けて千里うげぶぇっ!」

「だから僕に突っ込ませないでってば」

「うぅ……まあ許すも許さないもないけどさ……というか柱だし…」

「ウハハハ! いまは三十戦三十敗だが! すぐに俺の方が強くなるからな! いままでの借りは勝ち越した時にまとめて返してやるぜ!」

「それは無理だと思う」

「んだとゴラァ!!」

「やっぱぜんぜん変わってねぇぇ!」

「あ、あはは…」

 

 なんだ、普通に仲良いじゃんか。少年たちの友情とは見ていて気持ちが良いものだ……さて、次は最後の一人。世紀末の世界で火炎放射器を持っていそうなモヒカンくん……どう見ても実弥と血縁関係がありそうな彼だ。

 

 彼の方へ視線を向けると、ちょっとビクッとされた。もしかして僕のことをお偉いさんと勘違いしてるのかな? まあ今までの言動や行動、上弦の鬼を倒したという実績からすれば誤解するのも仕方ないか。まずはその誤解を解くとしよう。

 

「小僧、名を名乗れ」

「…っ! し、不死川玄弥、です」

「なにいまの」

「ほう……もしや実弥の弟か」

「いや、誰の真似してんの?」

「…兄貴と知り合いなんですか?」

「うむ、奴とは茶飲み仲間でな」

「おーい」

「ちょっと善逸。せっかく威厳ある感じで話してるんだからさ、邪魔しないでよね」

「ただの馬鹿にしか見えないけど」

「麻呂になんという口を利くでおじゃるか!」

「もっと馬鹿っぽい!」

 

 さて、自己紹介も終わったことだし……炭治郎くんの次に怪我が多い無一郎くんを診るとしよう。極度の興奮状態にあると、人間の体は痛みや傷を認識しにくくなる……殺し合いなんてのはまさしくそれだ。重傷に本人が気付かないってのは、意外とよくある。まあ柱に限ってそれはないだろうけど、一応ね。

 

「…」

「…? どこか痛い?」

「いえ…」

「あ、僕のことは千里でいいよ。僕も無一郎って呼んでいい?」

「…はい」

 

 じっと顔を見つめられると、なんだか変な気分になってくるな。サラサラヘアーを手で梳くと、まるで絹糸のように流れて落ちる。炭治郎くんよりも更に幼いような気がするけど……下手したら、僕とは一回りくらい年の差あるんじゃなかろうか。そんな感じでお互いに見つめ合っていると、脇から善逸が声をかけてきた。

 

「そういや千里、なんで炭治郎みたいな髪型になってんの?」

「ん? ああ、炭治郎くんは鬼舞辻無惨の標的になってるみたいだし……少しでも撹乱したくて僕はっ…!」

「そんな、千里さん!」

「いやいやいや。そんなんで間違える馬鹿いないから」

「だってさ。馬鹿って言われてるぜ、義勇」

「…」

「い゛っ…!? あ、い、言われてみれば間違えるかも! いや間違える! これは間違えても仕方ない!」

「…俺は間違っていない」

「『炭治郎、か…?』って言ってたじゃん」

「違う」

 

 うーん……よし、解読できた。『俺は(髪型で)間違ってい(た訳じゃ)ない。(服装や顔付きも)違(っていたから間違)う(のも仕方ないだろう)』と言いたかったに違いない。そろそろ義勇語も慣れてきて、親密さが増した感あるね。

 

「いやぁ、柱に『馬鹿』とはね。善逸も偉くなったもんだ」

「きゃぁぁぁ! 違う! 違うから! そんな気はまったく!」

「いちいち怖がらなくても、そんなことで怒るほど義勇は狭量じゃないよ」

「ほ、ほんとに?」

『俺を馬鹿にした報いは必ず受けさせる。覚悟しておけ』

「いぎゃぁぁ! めっちゃ怒ってるじゃんかぁぁ!」

「…今のは俺じゃない」

 

 耳が良い割に、僕の声真似にはよく騙される善逸。本当に見ていて飽きない少年である。素晴らしいボケとツッコミのキレ……誕生日にはハリセンでもプレゼントしてあげようかな。

 

「ま、そこまで怖れる必要ないってのは事実だよ。柱はみんな人格者だし……よっぽどのことしなけりゃ、大抵のことは許してくれるさ。しのぶちゃんだって普段はちょっとピリッとしてるけど、こんな風に抱きついたって許してくれ──痛いっ! ほらね?」

「ほっぺた腫れてるけど」

「義勇もだよ。気難しそうに見えるけど、こうやって肩を組むくらいが丁度良いのさ」

「振り払われてるけど」

「くっ……そうだ、蜜璃ちゃん。一緒に温泉入ろうぜ」

「えっ!? え、えっと……は、はいっ!」

「やった──ぐへぇっ!」

「まったく……私達は先に温泉に入っていますから、千里は皆さんの治療を終わらせておいてくださいね」

「ごふっ……見たかい? 善逸。今のが愛情の裏返しってやつさ」

「そうですね」

「遂に君まで!」

 

 善逸まで塩対応になったら、誰が僕に突っ込んでくれると言うんだ。悲しみに暮れながら、消毒液を善逸の体に塗りたくった。すり傷だらけだからよく染みることだろう。悲鳴を上げながら逃げようとする彼を押さえつける……化膿したら一大事だからけして放さない。ははは、よいではないかよいではないか。

 

「さて、と……伊之助は問題なさそうだし、僕はご飯の用意でもしてくるかな──っとぉ! …なんだい? 善逸。師匠に(まごのて)を向けるとは、穏やかじゃないぜ」

「そっちは台所じゃねえよなぁ…!」

「…なに、ひとっ風呂浴びてくるだけさ」

「待てコラァァ!」

「ここは混浴の温泉だ! 何もやましい事はない!」

「規則はなくても配慮はいんだろが!」

「…! 君がそんなまともなことを言うなんて…!」

「どんだけ馬鹿にしてんの!? …シィッ──」

 

 …! これは──僕の知る『神速』よりも数段は速い。上弦との戦いでまた殻を破ったのだろうか……百の修練より一つの実戦とはよく言ったものだ。この瞬間の速度だけで言えば、猗窩座さんや玉壺さんよりも更に速い。しかし僕にとってはまだ対応できる速度である……むっ! 伊之助が善逸の後ろから…!

 

「はっはぁ! かすり傷と言わず痣の一つでも付けてやらぁぁ!」

「根に持ってた!」

 

 伊之助もずいぶん動きが良くなって……そうか、そう言えば里には訓練しにきてたんだっけ。きっと絡繰人形との稽古は、とても価値あるものだったんだろう。しかしまだだ、まだ僕を捕まえるには足りてない。稽古がどうのと言うなら、僕ほど走っている人間だって中々いないだろう。

 

「千里さん! そういうのはいけないと思います!」

「いくら炭治郎くんに言われても! 僕にだって譲れないものがあるんだ!」

「なら俺が止めてみせます! 絶対に!」

「馬鹿しかいねぇ…」

 

 炭治郎くんまで入ってきて、僕の行動を阻む……が、しかし先に走り出したのが僕という時点で、結果は決まりきっているというものだ。彼等の方へ向けていた体をもう一度廊下の先へ向け、僕は再び走り出す。あの先には輝く栄光が待ち受けているのだ。

 

「それじゃ失礼──なにっ!?」

 

 …っ!? 何故か前方に義勇が……まさか僕たちが喋ってる間に、別ルートで先回りしたと言うのだろうか? しかしこんな茶番に自分から関わるような性格じゃない筈──はっ! あのちょっと得意げな口元は! 僕をドロップキックした時と同じものだ。くっ……伊之助といい義勇といい、集めていたヘイトがこんな形で返ってくるとは…!

 

「むぅ、挟まれたか…」

「大人しく捕まるんだな」

「ちぃっ──……って、しのぶちゃん!? そんなかっこで歩き回っちゃ…!」

「──っ!」

 

 義勇の背後に視線を向け、驚愕に眼を見張る……振りをした。これぞ飛鳥流視線誘導術の真骨頂だ。目論見通り振り返った義勇──意外とムッツリなのかもしれん──の、その横を目掛け走る……ん? ──しまっ…!

 

「…その手は食わん」

 

 これは……振り返ったのは背後を確認するためじゃなかったのか。『回転』と『捻じれ』の威力を増すためのブラフ…! まずい、これは“水の呼吸”の十個目の型……『生々流転』だ。

 

 しかも初撃からほぼ最大速度──なるほど、そのための回転か。攻撃の度に速度と威力を増すこの技を、自分なりに改良し、初撃から最大値に到達させる荒業……流石は柱である。

 

 そして背後の炭治郎くんも、合わせるように同じ技を繰り出している。その背後では善逸が霹靂一閃の構え……そして伊之助も爆裂猛進の体勢だ。

 

 まるで水の大渦に巻き込まれたような錯覚──皮膚の表面すれすれを、嵐のように駆け巡る孫の手。アホらしくも楽しいやり取りである……しかしいくら木製とはいえ、当たったらバッチバチに痛いのは間違いない。

 

「──ここまで追い詰められるとは思わなかったよ。だけど、この動きについてこられるかな?」

「…っ!」

 

 三角飛びの要領で壁を経由し、そのまま天井に張り付き……ゴキブリのようにカサカサと攻撃範囲から脱出する。ふふふ、まさか人間がそんな動きをするとは思うまいて。ずっと練習していた(ゴキブリ)の呼吸が、遂に完成を見たのだ。ゴホッ、ホコリやべぇ、ちゃんと掃除してよね──ん?

 

「…っと! どうしたんだい? 無一郎」

「覗きは良くないと思う」

 

 新聞紙を武器にして、僕を天井からはたき落とした無一郎くん。むむむ……本気で逃げている僕に触れたのは、彼が初めてだ。しかしなるほど、新聞紙とスリッパとママレモンはゴキブリへの特攻アイテムである。孫の手を武器として選択した彼等とは、ひと味もふた味も違うぜ。

 

「ふー……一発当てられたし、終わりにしよっか。それにしても無一郎は凄いねぇ。義勇としのぶちゃんの二人がかりだって、僕には触れもしなかったんだぜ」

「う、うん……でも炭治郎たちが追い込んでくれたから」

「それでもさ。偉い偉い……そうだ、頭を撫でてあげよう」

「…!」

 

 下手人に褒められて嬉しがるのは、どういう心境なんだろうか…? 僕に一撃を入れた彼に対し、伊之助は悔しそうに、炭治郎くんは手を叩いて称賛し、義勇は軽く頷いている。そして善逸は──なるほど、やはり彼だけは僕の行動を読んでいるという訳だ。

 

「それじゃ二回戦開始! ヨイドンッ!」

「やっぱりかテメぇぇ!」

 

 よーし、最高のスタートダッシュを決められたぜ。もう誰も僕に追い付けはしない……勢いそのままに脱衣所の扉を開け、温泉への扉の前に立つ。ここを開けば、そこはもはや桃源郷。巨乳の美女がキャッキャウフフしている素晴らしい光景が広がっているのだ。コホンと喉の調子を整え、期待に胸を高鳴らしながら扉越しに声をかける。

 

「しのぶちゃーん! ご一緒していい?」

「ダメです」

「そっか…」

 

 無念だ……混浴の温泉ならワンチャンあるかと思っていたのだが、そんな希望は見事に切って捨てられた。肩を落として振り返ると、無一郎くんから新聞紙を強奪した善逸が、僕の頭をスパンと叩いた。

 

「それで諦めるの!?」

「いや、当たり前でしょ。拒否されたのに侵入したらただの変態じゃないか」

「ここまで来た時点で変態だろが!」

「ここまで来たら変態ってことは──義勇もってこと? 柱を馬鹿にするどころか変態扱いまでするなんて、善逸は勇気があるねぇ」

「…」

「ぎゃぁぁ! やめろ誘導するなぁぁ!」

「ふっ──ふふっ…!」

「時透君?」

「善逸も千里も、面白いね…」

 

 …脱衣所から複数名の男性の声が聞こえている状態って、女性からしたらちょっとアレだよね。自分で引き連れてきて言うのもなんだが、流石に申し訳ないな。混浴の夢も潰えたことだし、早々にお(いとま)しよう。善逸と義勇の肩をペシペシ叩いて、退室を促す。ん? そう言えば伊之助は──

 

「──出遅れたぜぇ! 猪突猛進だオラアァァ!」

「うわっ!?」

「炭治郎!」

「いのっ、ちょっ、ばっ──」

「…っ!」

 

 ──脱衣所の入り口に固まっていた僕らは、凄まじい速度で突っ込んできた伊之助にまとめて吹っ飛ばされた。みんな反応はできていたけど、一番前方にいた炭治郎くんは逃げ場がなく……それを咄嗟に庇おうとした無一郎と義勇が巻き込まれ、更にそれをフォローしようとした善逸も巻き込まれ、更に更にそれを受け止めようとした僕まで巻き込まれた結果である。恐るべきは伊之助の突進力だろう。だから結果的にもみくちゃになって浴場へ突っ込んだのは僕のせいじゃない……ないよね?

 

「うははは! 触ったぞ! 触ったぞオラアァァ! 千里触ったぞ!」

 

 ギャフンと仰向けに倒れた僕の、そのお腹に跨がってきた伊之助。ペチペチと僕のほっぺたを叩きながら、嬉しそうにはしゃいでいる。

 

 逃走の態勢に入った僕に触れたのは初めてだからなぁ……めっちゃ喜んでる。僕から構おうとすると逃げる癖に、僕が逃げると追いかけてくる、まるで猫のような男の子である。あ、いや猪か。

 

 …それはともかく、すぐ傍で仁王立ちになっているしのぶちゃんをどうしたものか。タオルを巻いているが、この角度だと中身が見えそうでドキドキしちゃうぜ。

 

 というかお風呂にバスタオルまで持ち込んでるのは、もしかして僕対策なのか? 信頼されてないみたいで地味にショックなんだけど。いやしかし、結果的にこうなってるのだから何も言えない……しかも少し離れたところでは、炭治郎くんと義勇が蜜璃ちゃんにラッキースケベをかましている。僕もあっちが良かった。

 

「あー……ごめんね、しのぶちゃん。ただ、不可抗力ってことだけは理解してほしいって言うか何ていうか…」

「ええ、そのようですね」

 

 あ、よかった怒ってなかった……しのぶちゃんは僕に手を出すことはあっても、理不尽に怒ることはないのだ。凡百の暴力ヒロインのように、照れて殴ったり勘違いして殴ったり恥ずかしくて殴ったりはしない。

 

 僕が悪い場合においてのみ、暴力を振るう女性である。混浴を断られて僕が諦めたのは、しっかり理解してくれてるんだろう。おふざけで皆を連れてきてしまったのは、ギリギリでノットギルティと判断してくれたらしい。女神かな?

 

「きゃぁぁぁっ!!」

 

 むっ、蜜璃ちゃんの悲鳴…! ──なにやら彼女のタオルが血に染まり、炭治郎くんが倒れている。ラブコメのような状況から一転、火曜サスペンスで土曜ワイドな様相を呈してきた。

 

 すぐさま彼に駆け寄り、容態を確認すると……鼻から大量に血を流している様子がうかがえた。いやそんな、ラブコメの主人公じゃないんだから。確かに蜜璃ちゃんのおっぱいは凶器だけども。

 

 というかこれ、ギャグ的な鼻血って判断していいの? リアルに診断するなら、結構危ない出血量なんですけど。もっと言うと、人間の体って鼻を削ぎ落としてもここまで出血はしない筈なんだけど。なんかこの世界の人間って、たまに漫画みたいな現象が起きるよね……とにかく応急処置くらいはしておくか。

 

「誰かティッシュ──じゃない、タオル持ってきて!」

「は、はいっ! どうぞ!」

「ありが──えっ?」

「あっ、や、わひゃぁぁぁ!」

「えぇ…」

 

 少しだけ焦燥感の混じった僕の言葉を聞いて、蜜璃ちゃんは思わずといった風に、体に巻いていたタオルを差し出してきた。当たり前だが、そうなると一糸まとわぬ裸体を晒すことになる。手渡した瞬間に気付くというボケっぷりがまた可愛らしく、そしてその肢体はかくも素晴らしいものであった。

 

 変な叫び声を上げながら、そのままざぶんと温泉に飛び込んだ蜜璃ちゃん。顔まで湯船に浸かり、真っ赤になった顔と体を隠している。髪の毛だけがお湯にプカリと覗き、まるで巨大な桜餅が浮いているようだ。

 

 いやぁ、もう……僕も自分がちょっと変だという自覚はあるが、鬼殺隊の人はそれに輪をかけて変な人ばかりである。危ない職業だが、妙に居心地が良いのはそんな理由なのかもしれない。思わずしのぶちゃんの方へ視線を向けると、バチリと目が合い──そのあと、呆れたように笑いあった。




霞柱さんと恋柱さんは柱合会議でもう少し絡みます。

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