逃げるは恥だが鬼は死ぬ《完結》   作:ラゼ

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・肉付けしていったら量が増えてしまったので、もしかしたら完結まで一話増えるかもです。

・単行本派の人には黒死牟さんと縁壱さん関連のネタバレがあります。ご注意下さい。

・最近、ロリもので興奮しなくなってきました。病気かもしれません。


13話

 杏寿郎…! なんてカッコいい登場の仕方なんだ…! 物凄く嬉しくて頼もしい……頼もしいけど、お爺ちゃまが相手だと考えれば、もはや柱が全員集合してもちょっと不安である。とはいえ、杏寿郎ならある程度は食い下がってくれるだろう。

 

 一秒たりとも無駄にはできない──大きな傷口はざっくり縫って、回復に努めよう。麻酔無しで縫合とか、死ぬほど痛いから嫌なんだけど……死ぬよりはマシか。あと、なんだかお爺ちゃまがまた懐かしそうにしておられる。

 

「今宵は……つくづく懐古の念が湧き立つものだ……お前達はいつ見ても変わらぬ……炎柱の血筋よ」

「…察するに、鬼殺隊を裏切った元剣士か。鬼となり生き永らえて得るものなど、いったいなんの価値がある」

「そうだそうだー。恥を知れ、恥を」

「それを理解できぬ事実こそが……弱者の証と知れ」

Boo(ブー)! Boo(ブー)!」

「継国の名も絶え……どれほど没落したのか……その品位なき野次……碌な生まれではあるまい…」

「いやあまったく、先祖の顔が見てみたいぜ」

 

 あ、ちょっとピキッたお爺ちゃま。それにしてもまったく、仲間が傍に居るこの安心感よ。一人だとちょっとシリアスモードになったり暗い考えをしちゃうものだ。効果的な煽りとは、こちらの余裕なくして生まれないと言うのに。まだまだ余裕とは言えない状況だが、心に余裕はできた。やはり友達とは良いものである。

 

「炎柱は……道半ばにして剣を捨てる者が多い……お前はどうだろうな…」

「俺の心が折れることはない。今までも──そしてこれからも!」

「──っ!」

「ちょっ、杏寿郎! もうちょっと会話引き延ばせそうだったのに…!」

 

 気炎を上げながらお爺ちゃまへ剣を振る杏寿郎。瞬殺される程の実力差とは思わないが、いくらなんでも分が悪い気がする。柱に来て欲しかった状況ではあるものの、しかし杏寿郎には来て欲しくなかった──そんな側面があるのも事実だ。

 

 性格的に、上弦の鬼を目の前にして逃走を選択できる柱は少ない。天元とかなら元忍者だけあって、退くべき時は退いてくれたと思うんだけど……いや、ないものねだりをしても仕方ないか。

 

 それに、杏寿郎はたぶん柱の中でも上位の実力者だ。申し訳ないけど、しのぶちゃんとかだと時間稼ぎすら厳しいように思う。それを思えば、充分に運が向いてきたと言える。

 

 …しかし回避だけに集中していればいい僕とは違って、杏寿郎は自分からも攻撃を仕掛けるのだ。その分、傷を負う可能性だって跳ね上がる。早く僕が動けるようにならないと……よし、傷口の縫合は済んだ。後は周囲の血管を繋ぐイメージで……ん? 意外と善戦してるな杏寿郎。猗窩座さんの時より、格段に動きが良くなっている。

 

「痣を発現させた柱と(まみ)えるのは……いつ以来か…」

「杏寿郎ゥー! 痣出ちゃってるよ!?」

「…? 何のことだ?」

「胸部より首筋にかけて……炎型の痣が浮き出ているだろう」

「む……確かに! いったい何時(いつ)の間に!」

 

 あ、戦闘が止まった。よしよし、そのまま時間を稼ぐんだ杏寿郎……じゃなくて! なんで出てんの!? くそ、痣者が一人出ると伝染するってのは真実だったのか。

 

 ウイルスじゃないんだからやめてよね──それともシンクロニシティってやつだろうか。オカルティックなものは別にして、特定の状況下で、共鳴するように別個体の肉体が反応する現象は確かにある。

 

 ──だけど、そっか。杏寿郎がここまで強くなっているのなら、取れる手段はもう一つある。というかたぶん、そっちの方が二人の生存確率は高いだろう。となれば早速準備だ……懐から注射器を取り出し、腕に打ち込む。

 

 それはそうと、遂にお爺ちゃまの『目』の秘密が解けた気がする。さっきの僕の傷の(しか)り、服で隠れている杏寿郎の痣を見抜いたこと然り、きっとあの目は『透視』を可能とするに違いない。そうなると、出会った時に僕の体をジロジロ見ていたことにも違う意味が出てくるな。ちょっとぉ、やだぁ。

 

「お爺ちゃま! お爺ちゃま! ちょっと質問!」

「…なんだ」

「痣が出たら二十五歳で死ぬって本当ですか?」

「事実だ……私が鬼となった理由の一つに……それがある」

「なにっ…! なんともはや、衝撃の事実だ!」

 

 衝撃の事実と言いながら、あんまりショック受けて無さそうなのがまたね。しかし長生きしてるだけあって、お爺ちゃまの知恵袋は引き出しが多そうだ。薬が効き始めるまで少しかかりそうだし、時間を稼ぐついでに色々と聞いておこう。

 

「何か回避する手段とかないですか?」

「無い……鬼となることが……唯一の手段だ」

「例外とかも?」

「…………例外は……無い…」

 

 めっちゃ間が空いたんですけど。めっちゃ間が空いたんですけど。どうやらお爺ちゃまは嘘をつくのが苦手であられるようだ。まず間違いなく、例外はあったと考えていいだろう。

 

 それに……うーん……なんだろう……その『例外』に対しての複雑な想い……嫉妬、憎悪、嫌悪、怒り……ほとんどが負の念だけど、それだけじゃないな。ただ、赤の他人にこんな感情は絶対に抱かない筈だ。なら──

 

「なるほど、いるんですね。その例外の方……親しかったんですか?」

「…例外はないと……言った筈だ…」

「ふむふむ、親しくはないと……いや──断ち切れないのならむしろ……否が応でも見ずにはいられない存在……もしかして御身内の方ですか? 兄上か弟御(おとうとご)……ああ、後者か。やっと心が大きく揺らいだね」

「…!」

()()()()()()()! あはは、なるほどありがちだ」

「──黙れ」

「やだね。散々(さんざ)っぱら甚振(いたぶ)ってくれたし……僕は僕のやり方で仕返しするぜ、お爺ちゃま。悪いけど、僕って敵には性格悪いから」

「…柱が一人増えた程度で……よくもそこまで調子に乗れるものだ……絶望的な状況は何一つ変わっていまい」

「いや、仲間が来てくれたんだよ? …ま、孤独な鬼にはわからないか。上司が誰も信用しないクズだと、部下も染まっちゃうんだねぇ」

「過ぎた口は身を滅ぼすと……その身に刻んでやろう……炎柱が血に染まれば……希望が泡沫(うたかた)であったと知るだろう」

「やだ、お爺ちゃまったら詩的」

 

 …さて、切り口は『弟』か。あれ程の実力を持つお爺ちゃまが嫉妬するような化け物なんて、ほんとにいるのか?

 

 んん……炎柱手記から読み取れた鬼殺隊の歴史の一部……日の呼吸以外は全て紛い物だと言った愼寿郎さんの言葉……日の呼吸に適性がある炭治郎くんの体質……総合すれば、なんとなくお爺ちゃまの過去も見えてくるな。

 

 自分より遥かに強い実力を持つ存在、それが弟だった時の心境……痣が発現し、寿命が近付き、死を恐れた挙げ句に鬼となり……その果てに見たものは──死の運命を覆していた弟の姿。

 

 畏れ、驚愕、嫉妬、虚無感……なんだろう、まるで自分の記憶のようにしっくりくる。推測でしかないと言うのに、それが事実であると僕は確信している。奇妙な感覚だ。

 

「なーんか違和感あると思ったら……そうか、お爺ちゃまって凄く人間臭いんだ」

「…!」

「もう人間じゃないのにね。『私の血筋』だって? やめてよね。人間で()()()()()()()意気地なしの血なんて、僕には流れてないぜ。それに……もし僕に弟がいたら、きっと溺愛するさ」

「…黙れ」

「血筋にこだわる。子孫にこだわる。つまり自分と、自分の血筋の優秀さを信じたいってことだよね。必死に自分へ言い聞かせてるみたい……もう人じゃないってのに、劣等感丸出しでみっともないねぇ」

「黙れ…!」

「さっき『どれだけ没落したのか』なんて言ってたから、つまり君は良いとこの生まれってわけだ。家督を継ぐべき、優秀であるべき長男が、弟と比べて圧倒的に劣っていたら……くっ、ふふっ。昔が長男至上主義でよかったねぇ」

「黙れと……言っている…!」

「憐れ憐れ──とってもお(いたわ)しい」

 

 ──ぞぶり、と……まるで重力が増したような圧が場に満ちる。身の毛もよだつ程の怒気が溢れ、お爺ちゃまの表情が鬼の形相へと変化した。そして次の瞬間には、信じられない程の広範囲に斬撃が吹き荒れた。

 

 速度も威力も更に増して……けれど、精彩を欠いている。心の乱れは技術の乱れ──剣士でない僕には、それがどれほど影響を及ぼすのかは不明だが、さっきより格段に避けやすいのは確かだ。

 

 ──今日は最初から選択肢を間違えてしまっていた。敵の実力を測り間違い、自分の実力を過信しすぎた。歴代の柱たちが敗れ去ってきた強大な鬼を前にして『僕の足なら逃げ切れる』なんて、どれだけ傲慢だったろうか。

 

 隙をついて血を掠め取れるなんて、身の程知らずもいいところだった。上弦の伍を一人で相手取ったからという、そんな慢心に蝕まれていた。

 

 だからもう油断しない。体中についたこの傷は慢心の対価だ。そして今から払うものこそが、この夜に僕が犯した失敗のツケだ。

 

 もしかしたら()()()()()はしなくていいのかもしれない。けれど、後悔は先に立たないと思い知ったばかりなのだ。だからできること全てをやり尽くそう。

 

 ──痣者が二十五歳で死ぬと言うなら、炭治郎くんのための研究は、十年近くの猶予があった。だけど今さっき杏寿郎が痣を出してしまったから、三年と少しでなんとかしなければならなくなった。そして今、()()()()()()()()()()……これが失態の埋め合わせ。甘んじて払おう。

 

「…っ! …有り得ぬ……脚に痣など…!」

 

 『呼吸の才能』に関して、僕は柱に劣っている。元々の身体能力がずば抜けているからこそ、勝る部分も多いけれど。呼吸とは、肺に限界まで負荷をかけ、血液に対する酸素の保有量を大幅に上昇させる技術である。それを昇華させていくと、今度は心臓の機能が飛躍的に上がるのだ。

 

 そうして血の巡りが速くなるにつれ、心拍数が人の限界ギリギリまで上昇し、次に体温が高くなっていく。要は車のエンジンと似たようなものだ。

 

 それが極みに達すると痣が発現する……炭治郎くんの体を診て、僕が出した結論だ。医学的に解明できない部分があるとすれば、『痣』そのものが力を発揮させる点である。

 

 技術の上昇が『力』となり、その証明が『痣』と言う訳ではないのだ。言い換えれば、痣を出しさえすればあらゆる身体機能が大幅に上昇するということになる。

 

 とは言えそこに至るまでのプロセスは、どのみち呼吸の才能ありきになってしまう。体温、心拍数、血圧、そのどれもが死の一歩手前であり、その状態を維持する技術。

 

 それを無意識に調節し、生存を可能にする技量を誇る者が『柱』、()いては痣を発現させる者の才能なのだろう。

 

 ──その領域に無理やり踏み込めないかと考え、理論上は可能であると僕は判断した。つまり、呼吸を使用している状態で『体温』『心拍数』『血圧』を痣者と同条件にすれば、同様の結果に繋がるという推測。それがいま証明された。

 

 先程、僕が自身に投与したのは『β受容体遮断薬』と『アドレナリンβ刺激薬』である。交換神経を一部刺激、一部遮断し、カテコールアミンを調整する効果がある薬だ。要は心臓機能の強化、血管の収縮、それにおける脈拍の上昇、そして呼吸による血の巡りの激化を科学的に再現してみたのだ。

 

「さて、と……これでもう、誰も僕に追い付けない。じゃね、お爺ちゃま」

「逃げられると……思っているのか…?」

「逆に聞くけど、この状態の僕に追いつけると思ってるの?」

 

 一歩。踏み込むと地面が大きく爆ぜた。杏寿郎を無理やり抱え、逃走の態勢に入る。一瞬だけ抵抗しようとした彼だが、ここでの衝突は敗北に直結すると判断したのだろう。すぐに身を任せてくれた。そして僕は杏寿郎の耳元にそっと口を寄せ、()()()()()()()

 

「さよなら、ご先祖様」

「…!」

 

 一歩。たった一足で馬鹿げた距離を踏破できる確信が、今の僕にはあった。だから決めたのだ──ここでお爺ちゃまを倒すと。傷は一応塞がったし、全速力も今なら出せる。けれど失った血と体力は、痣を出したからといって戻るものではないのだ。

 

 夜明けまで逃げ続ける体力はないし、今の僕は血まみれだ。どれだけ距離を稼いだとしても、残り香は絶対に隠せない。

 

 だからといって、こんな傷だらけの体で川なんかに入ろうものなら、ショック死する可能性だってある。正直なところ、距離を稼いだ時点で杏寿郎に血を託すのが、鬼殺隊にとってはもっとも効率が良いとわかってる。

 

 だけど、杏寿郎がそれを呑むとは思えないし……僕自身も、生き延びられるものなら生き延びたい。僕が死ぬと悲しんでくれる友達が、いっぱい出来たのだから。

 

 それに今まで取った僕の行動と言動が、すべて布石になっている筈だ。お爺ちゃまと出会ってからここまで、僕は一度たりとも攻撃を仕掛けたりはしていない。ずっと逃げ続けようとしていた。

 

 ──だから、この状況で僕が()()()()なんて、お爺ちゃまは絶対に考えない。

 

「──っ!?」

 

 剣の才能も格闘の才能もない僕だけど……実はたった一つだけ得意としている攻撃がある。初めて出会った時のしのぶちゃんも、初めて出会った時の義勇も、これだけは回避できなかった絶技。

 

 そう──かぶりつきタックルである。なんとなくギャグ補正もありそうだし、僕が絶大な信頼を置く攻撃技なのだ。

 

「どっ……せぇぇい!! 今だ杏寿──えっ…?」

 

 全力でタックルをかますから、きっと隙ができるであろうお爺ちゃまの頸を斬ってほしい……それが杏寿郎へ伝えた言葉だ。だから僕は、たとえ斬られながらでもしがみ続ける覚悟をしていた。だというのに──ああ、こんなことってあるだろうか。

 

 目の前で鮮血が噴き出す。内臓が飛び出し、脊柱がぬるりと引きずり出された。瞳に映った光景が、まったく信じられない。

 

 …いくらなんでも、ここまで身体能力が上がるとは思っていなかった。タックルを敢行した僕の両腕には、お爺ちゃまのお腹から下がぶら下がっている。

 

 グロ注意ってレベルじゃねえ。振り返ると、空中に上半身だけを残したお爺ちゃまと目が合った……『は?』って感じの顔をしている。その気持ちわかる。

 

「──『壱ノ型』」

「…っ! 常世狐月──」

「“不知火”」

 

 同時に振りかぶった刃が一閃──けれど、地を踏みしめられない状態で力が伝わる筈もなく──炎の煌めきが、月光の輝きを斬り払った。

 

 お爺ちゃまの首が、宙へと跳ね上がる……六つの瞳すべてが、自身の胴と下半身を見下ろしている。有り得ぬものが存在しているとでも言うように、ただただ驚愕だけを表情に貼り付けて。そして数秒ほど滞空した後、ドサリと地面に落ちた。

 

「ふへぇ……やっと終わった。どうか安らかに、ご先祖様……ん? ──おぁぁっ!?」

「離れろ! 千里!」

「ちょっ、おま──頸切れたら死ななきゃでしょ! お爺ちゃま!」

 

 あっ、下半身が走っていって上半身と合体を…! ちょっとシュール。いや、そんなことを考えている場合ではない。そうだ、上弦の鬼はどいつもこいつも一癖あった。

 

 単に頸を斬っただけでは死なない可能性も考えておくべきだったのだ。とりあえず今まであった例を参考にしてみよう。

 

「杏寿郎! その辺にお爺ちゃまの妹がいるかもしれない!」

「妹!」

「いや──もしかしたら小さいお爺ちゃまが隠れてる可能性も!」

「小さい老人!」

「はっ…! このお爺ちゃまが四体のうちの一体ってことも…!」

「少し心が折れそうだ!」

「でも頑張ろう!」

「うむ!」

 

 くっ──刀を振ってないのに三日月型の斬撃が体から…! そうか、あれエフェクトじゃなくて血鬼術だったのか。しかしこの焦った心の動き……僕らを近付けさせないため、無茶苦茶に周囲を攻撃する姿……やっぱり頸は弱点なんじゃないか? つまり、()()()()()()()()()()()()()()()状態ではなかろうか。

 

「動きも鈍い! 再生速度も落ちている! 攻撃し続ければ──あるいは!」

「一番苦手なやつだよ! っていうか武器とか無いし!」

 

 うう、いまお爺ちゃまは正気なのか? まるで子供がぶんぶん腕を振り回しているような状態だ。でも首が少しずつ再生してるし……あ、上半身と下半身も完全に癒着した。しかし僕が攻撃というのも……いや、ここまで身体能力が上がればなんとかなる気がしてきた。

 

 いや待て、そんな感じで調子に乗った結果がさっきの無様な姿だろう。だけど杏寿郎だけに任せっきりというのも……はっ! お爺ちゃまの無茶苦茶な攻撃で、大木が切れて丸太になっている…! これなら技術もクソもない──離れたところからぶっ叩くだけだ。

 

「丸太が軽い……もう何も怖くない…!」

「…! 右だ!」

「ぎゃぁぁっ!? やっぱ回避に専念しないと無理!」

「むぅ…! まずい、頭部が再生する…!」

「ああっ! なんかお爺ちゃまが怪獣みたいに…!」

 

 なんだかお爺ちゃま、ドンドン人間から遠ざかっておられる。もしかしてゴジラ? ゴジラになってしまうの? 背中からナマコみたいなの出てるんですけど。体もデコボコしてるし、気持ち悪い感じの角も生えてきた。目の焦点も合ってないし、本当にあれがお爺ちゃまの望んだ『高み』なのか?

 

「…克……服した……もはや私は……誰にも負けぬ…! …太陽の……光……以外……何者にも…!」

「…! 逃げろ、千里。俺が時間を稼ぐ」

「…」

「千里!」

 

 なんだろう、なんだろうこの感覚は。気持ち悪い。あの人の体がじゃない……心がだ。

 

 人の心は九分十分(くぶじゅうぶ)──どれ程の苦難を、幸せを重ねても『程度』というものがある。鬼だってそこまでは変わらない筈なのに、あの人は違う。

 

 心に(いみ)が積もって。消えずに澱んで。百年、二百年、三百年……泥のような感情が、溢れることもなく溜まり続けたのか。いつか死ぬ人間と違って、いつか消える人間と違って、消化できずにいる感情が幾重にも層をなせばこうなってしまうのか。

 

「あなたは……()()()()()()()()()()()()()()?」

「──……!」

「そんな醜い化け物になってまで。誰に勝ちたかったんですか?」

「私……は…」

 

 動きが止まった彼の頸を、杏寿郎が()ねた。けれどゆっくりと再生し始める。腕が、脚が、胴体が切断される。けれど死には至らない。化け物のような姿が──それがもう元の体なのだと言うように、再生を繰り返す。月の光に照らされた醜い体が、茫然と止まっていた。

 

 …彼はどうあっても憐れむような存在ではない。数多くの人から恨まれている、恨まれるべき存在だ。それなのに、顔を合わせた時のあの懐かしい感覚が……僕の中の誰かの記憶が、あの人をどうしようもなく憐れんでいる。痛ましく想っている。

 

 彼の弟として生まれ、兄の愛を信じ、わかりあえていると思い込んでしまった誰かの記憶。兄の想いを何一つ理解できていなかったと悔い、剣士として何も成せなかったと嘆く『始まりの剣士』の記憶。すれ違うことしか出来なかった、悲しい兄弟の記憶。

 

「…なぜ強さを求めるんですか? もう、剣すら持っていないのに」

「…!」

「あなたは……いったい何者になりたかったんですか…?」

「やめろ…! …その顔で……その声で……私を憐れむな…!」

 

 鍛えた技術を、強さを失いたくないと彼は言った。鍛練できる時間が残されていないから、鬼になったと彼は言った。本当にそうだったのだろうか。

 

 刃を下ろした杏寿郎から刀を借り、微動だにしない()へと近付く。刀の柄を握り潰す程に力を込めると、刃が赤く染まった。

 

 どうやればいいのかが、何故かわかる。今の化け物じみた身体能力であれば、それができるのだとわかった。剣の振り方なんて解らないけど、これはきっとただの介錯(かいしゃく)だから。

 

 ──もう、彼の中には疑問と後悔しか残っていないから。

 

「…終わったよ、杏寿郎」

「…ああ」

 

 彼が塵と化した場所を見ると、粗く削られた笛が遺されていた。鋭く切断され、酷く古ぼけているのに……ずっと懐に入れて持ち歩いていたのだろう。

 

「本当は、あなたも──」

 

 ああ、流石にくたびれた。血も流しすぎたし、体に無理をさせすぎた。緊張が解けたせいか、一気に疲労と痛みが襲ってくる。プツンと意識が途切れる直前に──杏寿郎の心配するような声が聞こえた気がした。




次回、柱合会議です。

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