逃げるは恥だが鬼は死ぬ《完結》   作:ラゼ

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色々あってえらい遅くなってしまいました。小ネタとかもちょいちょい拾ってますので、最初から読んだ方が読後感はいいと思います。


最終話

 …はて、僕はいったいどうしたんだっけか。周囲は一面見渡す限り海。特に忍術を会得した覚えはないが、何故か水面に立っている。風もないのに波が音を立てていて、なんだか懐かしい気分になる。海の音って何故か郷愁を感じるよね。

 

 しかしなんでこんな場所にいるのか……そもそもどういう状況だったんだっけ?

 

 …うーん……はっ! そうだ、確か倒したはずの無惨が童磨さんの体を乗っ取って生きていて……崩れる空間のさなか、僕へと覆いかぶさってきたんだ。腹部に感じた激痛と、何かが流れ込んできた感覚。

 

 …! 男に抱きしめられて……痛みを感じて……何かが流れ込んできた…? まさかケツを……慌てて自分の体を確認してみると、特に暴行を受けた形跡はなかった。いやぁ、一安心──ん? いや待て、肺の痛みやらなんやらも無くなってないか?

 

 そしてこの奇妙な世界に立っている状況……ははぁーん、もしや死後の世界ってやつか? …え、マジ? 死んじゃった感じ? (いたち)の最後っ屁とは、まさに無惨の性格が出てるぜ。いや、最後っ屁ではなくあのまま生き延びてる可能性もゼロではないか。本当に生き汚い男だ。

 

 きっと皆ならどうにかするとは思うけど、近くにいたしのぶちゃんと伊之助だけが心配だ。もう戦える状態じゃなかったし、どうにか味方と合流できてればいいんだけど。

 

「…ん?」

 

 …なんだ? 目の前にポツンと黒い影が形作られて、段々と大きくなっている。不定形の(もや)のように蠢いて、数秒ばかり経過した後──()()は人の形を成した。

 

「…つくづく気味の悪い男だ。“精神の核”が自我を持っているとはな」

「…! 鬼舞辻無惨…!」

 

 どういうことだ? 一緒に死んだから死後の世界でも一緒とか? いや、流石にそれは……そう言えば、いま精神の核がどうのとか言ったな。もしや割とありがちな『精神世界』とかいうやつか? 炭治郎くんが下弦の壱と戦った時、そんな感じの血鬼術を使用されたらしいが、似たようなものだろうか。まさか実体験できるとは思わなかったぜ。

 

(よど)んだ海色、果てのない不気味な世界……君の心に相応しい情景だね、無惨」

「ここはお前の精神だ」

「深く澄んだ海、広大で優しく包まれるような世界……まるで僕の心を表しているようだ」

「黙れ」

 

 うーん……奴の言ってることが真実ならば、僕の精神に無惨が入り込んでいるということになる。きもっ。というか、もしかして乗っ取られかけてるとかそんな感じ? 首だけになっても他人を乗っ取ろうとか、どこの奇妙な吸血鬼だお前は。カリスマが足りてないぞ、カリスマが。

 

「復讐、使命、果ては正義感だのと──どれだけ代が変わろうとも、常に愚か極まる鬼殺の剣士共だった。しかし結果的に()()()()のならば、最早それすらも私のための犠牲だったということだろう」

「独り言なら一人の時にお願いできる?」

「お前たちが私の血を研究し、せっせと作り上げた薬……実際にどう作用するかも理解しないままに使用した結果がこれだ。くくっ、お前と言う体を、()()()()()をも超える肉体を、私が手にする…! 貴様らにとってこれほどの絶望があるか?」

「乗っ取れること前提で話さないでくれる? それに、さも自分が凄いみたいに言ってるけど全部偶然だよね」

「それがどうした? …お前たちがよく口にする『報い』という言葉に、蚊ほどの力もないと証明されたのだ。童磨が私を取り込まなければ、お前が童磨の頸を斬らなければ、そしてお前が類を見ない程に上質の稀血でなければ──こんな結果にはなっていない。些細な因果の全てがお前たちを苦しめ、私に追い風をもたらしている」

「ふーん……ならさっさと僕をどうにかすればいいのに。ほんとにできるの?」

()()が最後だ。精神の核(おまえ)を破壊すれば、この体は私のものになる」

 

 『普通は精神の核に自我などないがな』、と呟く無惨。いやぁ、僕って転生しても記憶を保つぐらいに自我強いからね。

 

 しかしまあ、なんと言えばいいのか……童磨さんとは似ても似つかず、心情がわかりやすい男だ鬼舞辻無惨。目の前の彼は僕を恫喝するように、あるいはもう詰みだと諦めさせるように嗤っているが──僕への恐怖が隠しきれていない。

 

 いや、僕へのと言うより……大叔父様への、か。どうやら『継国縁壱』という存在は、僕が思っていた以上に無惨の心的外傷になっているようだ

 

 そうでもなければ、こんな悠長に話さずさっさと乗っ取っている筈だろう。だから僕にもまだ手段はある……と、ポジティブに考えとこう。もしどうしようもなければ、煽りの嵐を言い残す準備だけはしとくか。

 

「…何が可笑しい。ここに至ってまだ笑うとは、気でも触れたか?」

「君の、生存に対する強い欲求が可笑しくて──かな。もう千年も生きたんだろ? 有終の美を飾ろうって気はないのかい」

「そんなものは、老いた人間が死を迎え入れるための言い訳に過ぎん。諦観を飾り立てただけの、虚飾と欺瞞だ」

「それが人間ってもんさ。だいたい、それは諦観じゃないね……いつか死んでしまうとわかっているからこそ、自分の役割を果たすために準備をしてるだけだよ。意思や想い、紡いできた絆をまた繋ぐために」

「とんだ自惚れだな。たかが人間如きに大層な役割など存在するものか。そこらの獣と変わらぬ、ただ生きて死ぬだけのつまらん命でしかない」

「見解の相違ってやつだね。ま、君の思想と相容れるとはまったく思ってないけど」

「…人に役割があるとすれば、それは私のような『人を超えた存在』──『完全な生物』に至る可能性を持った存在こそにある。そもそも、貴様のような若輩が人間を語ること自体、烏滸(おこ)がましい」

「さて、こう見えて意外と歳いってるからねぇ。『人間五十年、下天のうちをくらぶれば』……なんて、織田信長に言わせりゃ僕はもう充分に生きてるしね」

人間(にんげん)ではなく人間(じんかん)だ。そもそもとして、人のことではなく『人の世』という意味だ」

「…」

「…」

「続く『一度生を享け、滅せぬもののあるべきか』──この言葉ほど、君に贈りたいものはない」

「何事もなかったかのように続けるな」

 

 くっ……さすが長生きしてるだけあって、知識と教養がパないな。しかし前にお爺ちゃまに対して『人間臭い』と言ったものだが、無惨はそれに増して泥臭いというか……なんて言えばいいんだろう。『鬼の祖』という恐ろしい印象が先行していたが、考えていた人物像からは少々違って見える。

 

 何を置いても、誰を差し置いても、どうしても生き続けたい生物。そのためならば手段を択ばない……本当にどんな手段も厭わない、ただそれだけに見える。いや、実際にそうなのだろう。ただブレーキのかけどころが人とあまりに違うだけだ。

 

 『自分の死か、全人類の死か』。そんな選択を迫られれば、大抵の人間は苦悩するだろう。悩んだ末にどちらを選ぶかはともかく、無惨という男はたぶん“悩まない”。ただそれだけのことなのだ。

 

「──さっさと諦めて体を明け渡せ。鬼にならなければ、どのみち貴様は死ぬ」

「そうかな? 肺はギリギリなんとかなりそうだったけどねぇ」

「私は『私を構成する全て』を、貴様の腹を(えぐ)って送り込んだ。人のままで無事に済む傷ではない」

「一々説明臭いねぇ……僕は医者だぜ? どの程度の傷で人間が死ぬかくらい知ってるさ。あのくらいなら、輸血が間に合えば死にゃしない。近くにはたまちゃんだって控えてる」

「…」

「だいたいさ、もう『詰み』なの自覚した方がいいと思うよ。童磨も死んで、空間を操っていた鬼も死んだ。君が僕を乗っ取ったところで、すぐに万全な状態で動けるのかい?」

「その程度、数秒とかかるものか」

「この戦いに来てるのは全員が優秀な剣士だぜ。その数秒未満が命取りになる──それだけの時間があれば、誰かが僕の頸を刎ねるさ」

「…私は童磨とお前たちの戦いを見ていた。いま貴様の近くにいるのは、柱の女と猪頭の剣士だけだが……本当に()()ができるか? 判断を鈍らせるには充分すぎる『情』があったようだがな」

「他の柱も近くにいるだろ? …ああ、だから焦ってるのか。僕が耐えれば耐えるだけ、君にとっては不利だもんねぇ。まあ蜜璃ちゃんとか無一郎なら躊躇しちゃうかもだけど、悲鳴嶼さんや実弥ならきっと斬ってくれるさ」

「こちらに人手を割く余裕があるか、甚だ疑問だな……()()()()()()()()()()()()

 

 無惨の歪んだ嗤いと共に、空中に外の様子が浮かび上がる。いや、なにその謎技術。どういう理屈なの? 僕の精神で変なことしないでほしいんだけど。というか僕の姿まで映し出されているということは、少なくとも僕の視界をジャックしている訳じゃないよね。なんだこれ。血鬼術? いや、まだ僕の体は鬼になってないし…

 

「──どうやら猗窩座がお前たちに気付いたようだな。どこまでも、お前たちには逆風だ……満身創痍の剣士二人で、食い下がれると思うか」

「あのさ、いま僕が殺されたら君も死ぬよね?」

「…」

 

 考えてなかったんかい。というか猗窩座さん死んでなかったのか。ううむ、非常にまずい状況だというのは確かだな……しのぶちゃんも伊之助も、僕を置いて逃げるような人間ではない。現に、迫りくる猗窩座さんを前に立ち向かおうとしている。

 

 いや──しのぶちゃんが前に出て、僕を抱えて逃げるよう伊之助に指示しているようだ。そしてそんなしのぶちゃんの前へ出て、お前こそ逃げやがれと気炎を吐く伊之助。

 

 しかしそれを認めず、更に前へ出るしのぶちゃん。邪魔だボケ、と更に押しのける伊之助。コントやってないで早く逃げてほしいんですけど。

 

 ああ、数秒後には物言わぬ骸が三体出来上がってしまう──しかしそんな絶望を断ち切るように、霞がかった速度で一人の剣士が姿を現した。

 

『破壊殺──……っ!? ──ククッ…! 生きていたか! 嬉しいぞ無一郎!』

『馴れ馴れしく呼ばないでくれる? あと僕はぜんぜん嬉しくないから』

 

 キャー! 無一郎くーん! なんてカッコいい登場の仕方なんだ…! しのぶちゃんが惚れてしまわないか心配である。彼は二人を守るように猗窩座さんの正面に立ち──そしてその瞬間、どこからかトゲ付きの鉄球が現れ、猗窩座さんの顔面へ投げつけられた。まさか、ガンダム! …ではなく、悲鳴嶼さんだった。中々にツッコミどころの多い武器である。

 

 すんでのところで奇襲を躱した猗窩座さんであったが……しかしこれで形勢は二対一。俄然こちらが有利になった。だというのに、そんな状況を嘆く様子はまったくない。むしろ笑顔が増したように見える。

 

『才ある若い剣士……そして技、肉体ともに練り上げられた至高の剣士…! これほどの戦いを経験したことは、未だかつてない! 崩壊に巻き込まれての幕引きなど、味気ないと思っていたところだ!』

 

 めっちゃ楽しそう猗窩座さん。妙だな……僕と童磨さんへ攻撃していた時には、こんな嬉しそうじゃなかったのに。僕たちの実力は、彼ら二人──オジショタコンビにだって負けていなかった筈だ。もしかして僕らが好みじゃなかったのかな? もしかしたら猗窩座さんはオジコンかショタコンだったのかもしれないな。

 

「悲鳴嶼さんが来たならもう大丈夫かな……正直、一人でも猗窩座さんに勝ちそうな気がするし」

「…腐っても上弦の参だ。柱数人分の実力は備えている」

「自分に言い聞かせてるように聞こえまーす」

「黙れ」

「ところで、そろそろ出血をなんとかしないと僕が死にそうなんだけど」

「ならばさっさと体を明け渡せ!」

「ならさっさと体を乗っ取れば?」

「…っ!」

「…さっきから思ってたんだけどねぇ、無惨。君、僕が怖いんだろう?」

「…っ」

()()が最後だって言ってたね。それが本当なら、君は僕の精神の大部分を掌握してることになる。実際、人の精神の中で好き勝手できてるしね……でも、いま喋ってるこの僕が“核”だって言うなら、なぜ何もしないんだい?」

「…時間の問題だ。少しずつ染まっている事にも気付いていないのか?」

「この局面で時間をかける意味はないね。臆病者なのは知ってたけど、まさかここまでとは思わなかったよ」

「──貴様…!」

「今の僕は大叔父様にだって負けてないと思うけど──所詮は夢の中さ。泡沫みたいな精神如きに臆しちゃってさ、どのへんが完全な生物なのかな?」

「…っ!」

「ここで君を斬って意味はあるのかないのか……臆病なお前が、わざわざ弱点を晒す筈はないとも思うけど……躊躇はしてる。一回くらい細切れにしてみれば、何かわかるかな?」

「逃げるしか能のない臆病者が、よく吠えるものだ…! それ程に死にたいなら──」

「ぶふっ!」

「!?」

 

 …くっ…! 柄にもなく吹き出して笑ってしまった。でも彼に臆病者扱いされるとか、豚に『豚野郎!』って罵られた気分になっちゃうぜ。ブーメランってレベルじゃないんですけど。

 

 ──ぶっちゃけ今がどこまでヤバい状況かなんてわからないけど、とにかく一秒でも稼げば奴の不利益になるのは確かだろう。何が効果的なのかは不明だが、どんな時であろうとも、精神を乱した奴が負けなのは確定的に明らかだ。口八丁手八丁でなんとか……ん? おや、外の様子が…

 

『歓喜で体が震えてくる…! 柱二人、相手にとって不足な──』

『テメェが最後の上弦か? クソみてェな迷路で散々走らせやがってよォ……俺が直々に引導渡してやるぜェ…!』

『…! その刀の色……風の柱か。だが一人増えたところで、所詮は極みにも達していない半端者の──』

 

 崩れた家の残骸に立ち、目を血走らせて啖呵を切る実弥。これで三対一だ、余程のことが無い限りこちらが負けることはないだろう……とか考えてると敗北フラグになりそうだからやめとこう。頑張れ三人共…! そしてさっさとこっちに来てくれ。

 

 …おや? 遠くから何かが近付いてくる。暑苦しいとまで言えそうな熱気と共に。

 

『ううむ! 彷徨い歩いて鬼にも出くわさず! 挙句の果てに建物が崩れて放り出されたが! ──よもやよもや、それが最短距離だったと言う訳だ! …あの時の雪辱を果たそうか!』

『…! 痣を出したか杏寿郎! …いいだろう、たとえ柱が四人揃おうとも俺の頸は斬れんと──』

 

 杏寿郎の精悍な顔つきと溢れ出る闘気は、戦場にあって仲間の士気を上げる。しかし猗窩座さん、いくらなんでも四人の柱を相手にするのはキツくないか? 虚勢を張るにも限度ってものが……ん? あっ…

 

『おおっと、この俺を忘れてもらっちゃ困るぜ。テメェの頸はこの宇随天元様が頂いてやるよ!』

『…闘気も薄い、出来損ないの柱が増えようと──』

 

 天元の登場によって、ほんの一瞬だけ『逃げ』の思考が猗窩座さんの顔に張り付いた。刹那とすら言える時間だったが、僕の目は誤魔化せない。そろそろお爺ちゃますら相手取れる戦力になってきたが、本当に大丈夫か? 猗窩座さん。

 

 あっ……近くの瓦礫が上に吹き飛び、下から何かが這いずりだしてきた。きっとまた柱ですね解ります。もう諦めればいいのに猗窩座さ……ん……──っ!?

 

 蜜璃ちゃん…! あれだけの質量の下敷きになって、ボロボロになるだけで済んでいるのはともかく……ポロリッ……圧倒的ポロリ…! きっと彼女はスケベ要員の業を背負っているに違いない。

 

『キャー! もう、もう、ぐわぁって! ドガンって! みんなは大丈夫かしら!』

『…甘露寺。言い辛いんだが……瓦礫が引っ掛かって前がはだけている』

『きゃあぁぁぁっ!?』

 

 あ、いつの間にか小芭内まで。しかし上弦の参を目の前にして目を瞑るのは、あまりにも危険ではないだろうか。確かにあれは目の毒ではあるけども。

 

 ──真夜中であるというのに、いっそ恐怖を覚えてしまう程に白く美しい肌。そしてあれだけの大きさだというのに、重力のくびきから完全に逃れ得ている豊かな双丘。

 

 作り物は別として、天然物が垂れるか垂れないかは胸の筋力がモノを言う。その点、彼女は女性としては有り得ない程に強靭で良質な筋肉を備えている……あの美しく見事な張りが、大きさと同居できているのはそのためだろう。

 

 たゆんと揺れるバストの先端、桜色の突起は、彼女の独特な髪色より少し濃く──それでいて染み一つない清純さを保っている。ううん、エチ案件にも程があるぜ。

 

 ん、流石に猗窩座さんの顔色が曇った。まあ柱七人は無謀を通り越して自殺だろう。彼の前に立って『強者と戦いたいんだろ? ん?』とか言ってみたい。

 

『くっ…!』

『…へーい』

『!?』

 

 あ、義勇……もう何も言うまい。猗窩座さんの勇気が世界を救うと信じて、敗北を祈っておくとしよう。しのぶちゃんと伊之助が僕を抱えて離れたので、戦いの結末は分からなくなってしまったが──猗窩座さんがあと三回くらい覚醒したところで、あの状況だと無理ゲーだろう。グッバイ猗窩座さん、フォーエバー猗窩座さん。

 

 ──っと! 遂に無惨が攻撃を仕掛けてきた。

 

「やっとその気になったのかな? でも人がおっぱいに目を奪われている隙を突くなんて、なんて卑怯なんだ…!」

「ゴミクズが…!」

「あ、自己紹介どうもです」

「クソがぁぁ!!」

 

 うおっ、なんか体が変形した。しかもセンス悪っ。背中から九本の触手と、足から八本の触手……ラスボスがしていい変身じゃなくない? もっとこう、もうちょっとなんかあると思うの。

 

 とはいえ避けるのに支障はないし、なんか無惨の体が透けて見えるのも相まって危機感はあまり覚えない。というか心臓が七つに脳が五つあるんだけど、キモすぎない? タコは心臓が三つ、脳が九つあると言うが……鬼舞辻無惨タコ説、あると思います。

 

「へいへい! ナゾナゾいくぜー! 脳が五つに心臓が七つ、これむーざん?」

「こっ、の…!」

「しかし考えたもんだねぇ。脳や心臓を潰されたら、再生するまでの一瞬だけは思考に空白ができる。それを補うために数を増やしたって訳か……しかも常に体内で流動させて、狙いを定めないようにしてる。あっ、いま脳が股間を通り過ぎた──まさか、チ〇コ脳は実在したのか…!?」

「ガアァァ!」

 

 僕のペースになってきた……と言いたいところだが、周囲がなんだか暗くなってきた。曇天模様に時化気味の海。僕の精神そのものが深い闇に染まっていく。やばたん。

 

「くっ、くくっ──無駄な足掻きだったな。もうじき貴様の意識も消えてなくなる……周囲にいるのは貴様を斬れぬ輩のみだ!」

「猗窩座さん粘るなぁ…」

 

 しのぶちゃんに伊之助、たまちゃんに愈史郎……僕の周囲にいるのはこの四人。しのぶちゃんは利き腕と共に剣を失くしてるし、伊之助はもう体を動かすことさえ厳しいだろう。たまちゃんと愈史郎は、そもそも鬼を殺す手段を持ってないし。

 

「終わりだ、飛鳥千里」

 

 周囲全てが闇に染まり、泥に沈み込むような感覚が体を襲う。襲い来る睡魔──あるいは()()()()()()()()()()強烈な違和感。浸食されているのか、もしくは混ざっているのか……自分以外の記憶が脳内に流れ込んでくる。前みたいな記憶の断片ではなく、まるで体験したかのようなリアルさがある。

 

 死産一歩手前でこの世に生まれ落ちた鬼舞辻無惨の記憶。

 

 病気で何度も死にかけながら、それでもなんとか成長し、治る兆しが見えたところで医者を殺してしまった鬼舞辻無惨の記憶。

 

 向かうところ敵なしで、自信満々にたまちゃんを従えていたが……しかし大叔父様から逃げるために、弾けたポップコーンと化した鬼舞辻無惨の記憶。

 

 …塗り潰される、塗り潰されていく。千年を生きた圧倒的な歴史の重みが、たった数十年しかない記憶を押しつぶそうとしている。いま僕は飛鳥千里であると同時に、鬼舞辻無惨になりかけている。そして鬼舞辻無惨は僕になりかけている……しかし最終的に()()()()のは僕の方だろう。ああ、記憶も近代のものに変化してきた。

 

 とある製薬会社の情報を求め、子供に成りすましてぶりっ子する鬼舞辻無惨……ん?

 

 とある男性の財産、家、権力の全てを乗っ取ろうと、女体化して男性を誘惑する鬼舞辻無惨……ん?

 

 え? いや……え? あまりに衝撃的過ぎてちょっと自我を取り戻した。あ、別の記憶では十二鬼月の下弦が可哀想なことに……お前が殺ってたんかーい。しかも女体化して制裁とか、意味不明すぎて草。

 

 これは……これは、無惨が僕を乗っ取るために晒した、一瞬の隙だ。いまこの時だけは、彼の記憶も、口調も、仕草も、考え方も、そして黒歴史も僕の手のうちにある。

 

 ──こんなの煽るしかないじゃないか。

 

「さぁ、消え失せろ飛鳥千里…!」

『なぜ私がお前如きの指図に従う必要がある? 甚だ図々しい、身の程を弁えろ』

「っ!?」

『男に生まれながら女の振りをし、媚を売った気分はどうだ? 完全な生物というのは、もしや雌雄同体を指しているのか?』

「──貴様…! 私の記憶を…!」

 

 乗っ取られかけているこの一瞬だけに許された、刹那の煽り。ここに全身全霊を尽くそう。記憶の全てが見通せるとは、もはや飛鳥はレスバにて最強だ。物真似の精度もほぼ百%で披露できるし、今から奴の黒歴史フルコースを真似していくとしよう。

 

『お゛っ♡ 女体の絶頂とは斯様(かよう)なものか。これは癖になるな鳴女』

「捏造するな貴様ァァ!!」

『パパ、ママ、ボクおひさまがこわいの』

「こっ、がっ…!」

『逃げなければ…! 継国縁壱、あの化け物が寿命で死ぬまで逃げ続けなければ…! あわわあわあわわ』

「かっ、くかっ、こっ…!」

 

 めちゃめちゃ効いてて草生える。負ける気がしないってばよ。煽り文句を考えれば考える程に、頭が冴えていく……脳内の靄を一筋の光が斬り裂き、暗闇を晴らしていく。そうだ、草とは生命の息吹そのもの…! 意味合いはまったく違うが、とりあえず草を生やしまくろう。

 

「こっ、の、気狂いがっ…! くだらぬ悪足掻きを…!」

『細切れになっても悪足掻きをしたのは何処の誰だ? 滑稽という言葉は貴様のためにあるようなものだな』

「っ!」

『珠世が戻ってきたら許す、許さない、許す、許さない、許す、許さない、許す……許すが出たぞ鳴女!』

「クソがァァ!!」

 

 楽しい…! こんなに良い反応をしてくれる存在、未だかつてあっただろうか。こんな時間が永遠に続けばいいのに……しかし現実は残酷だ。無惨の言う通り、これは悪足掻きでしかない。流石にそろそろ限界が見えてきた。

 

「鬱陶しい…! さっさと──消え失せろ!」

「…っ」

 

 何とも言えない倦怠感に、体の力が抜けていく。もう周囲の景色も見えないし、輸血が間に合ってるのかどうかも不明だ。どっちかっていうと間に合わないで死んじゃう方が、しのぶちゃんたちの安全的にはいいんだろうけども。

 

 最後に見るのが無惨の歪んだ嗤いというのは業腹だけど……あとは皆が上手くやってくれるのを祈ろう。腕と脚、胴体が闇に呑まれていく。首筋、頭の天辺、顔……右目。最後に残った左の瞳が、完全な暗闇を認識して──なんだか温かいものが、僕の周囲を駆け巡った。体を食い尽くそうとしていた闇が、一気に振り払われる。

 

「なっ…!!」

 

 …炭治郎、くん? やだ、カッコいい……じゃなくて、なんでこんなとこにいるんだ。ピンチに駆けつけてくれるのはヒーローのお約束だが、もう少し場所というものを考えた方がいいと思うの。たとえヒロインのピンチと言えど、女子トイレの個室に助けにくるヒーローは見たくないものだ。

 

 翻って、ここは女子トイレの個室よりもプライバシーな僕の『精神』である。もうこれ精神的BLでは? 無惨はまだ女体化という手段があるけれど、炭治郎くんは完全無欠に男の子なのだ。開いてはいけない扉ってあるんだよ、炭治郎くん。

 

「馬鹿な…! なぜ竈門炭治郎がここにいる!」

「それな」

「貴様の精神だろうが!」

「そう言われても……ん?」

 

 おや…? 炭治郎くん目ぇ怖っ! 爬虫類みたい──というか、鬼みたい。というか、鬼になりかけてないか? なんか周囲の闇を吸収するように取り込んで…

 

「──ぐぅっ…!? なんだ、何が起こっている…! ふざけるな、ここまできて…!」

 

 うーん…? 炭治郎くんらしき人物が僕の精神の中に居て……なんか鬼っぽくて……しかし鬼舞辻無惨は苦しんでいて……ふむふむ……仮説を立てるとするなら…? そもそもとして、鬼舞辻無惨が僕の体を乗っ取ろうとしている事態だけでも、いくつもの要因が奇跡的に絡み合って偶発的に起きたもんだしなぁ。

 

 …待てよ? そういえば僕と炭治郎くんの血液型は同じだったな。僕の容態を考えれば、病院に運ぶ暇はない……というか、そもそも輸血用の血液を保存する技術が、まだ確立されていない。となると、あり得るのは人から人へ直接輸血する原始的なもの。もしこの状況で炭治郎くんが駆けつけてきたのなら、僕へ血を提供するのに何の躊躇いもないだろう。あの子はそういう子だ。

 

 その推測が当たっているのなら、いま僕の血中に存在するのは『鬼舞辻無惨の血液』『炭治郎くんの血液』『無惨が分解しきれなかった人間化薬の成分』……そして、僕自身は最高クラスの『稀血』。酷すぎるカクテルっぷりである。

 

「ってことはー……僕の()()は当たってたのかな?」

「──ぐ、ぅっ! …何を……言っている…!」

「やー、禰豆子ちゃんの体質の話。鬼にさせられた身で、鬼の祖を凌駕しかねない才能……()()()()()()()()()()()()って。検証はできなかったから、考えても意味はないって思ってたんだけど──いま結果が出たね。たぶん炭治郎くんには、禰豆子ちゃんすら凌駕する“鬼の才能”がある」

「ふざけるな…! そんなことがあってたまるか!」

「『そんなことがあってたまるか』って話ならさ、そもそも君が僕の体を奪いかけてるのも、あってたまるかって話じゃない? 奇跡はそう都合よく続かないってことかもね」

 

 ──さて。この仮説が正しいのなら、正直なところ助かったとは言い難い。要は“鬼の力”の主導権を、炭治郎くんの細胞が奪おうとしている状態な訳だ。だとすると、無惨が消えて次の標的になるのは僕だろう。より強力な鬼が誕生しかねない。

 

「本当に『精神世界』なんてものはあるのかな…? 僕が話しているのは本当に鬼舞辻無惨なのか……興味深いねぇ。細胞を乗っ取ろうとする『無惨細胞』に、それを助長させる『稀血』。抗う『人間化薬』に、混じった炭治郎くんの血。ウイルスと抗体と薬と細胞。ミクロな世界の攻防を夢で見ているだけだとしたら……今の僕はなんなんだろうね?」

「飛鳥千里……飛鳥千里!! 私を助けろ! 貴様の言っていることが事実ならば、私よりも強い鬼が現れることになるぞ! ──陽を克服しかねない最悪の鬼だ!」

「頑張れ♡ 頑張れ♡」

「こっ、の──……クソカスがぁぁーー!!」

 

 絶叫と共に無惨が消えていく。『見事なり…!』とか言って消えてくれれば少しは格好もつくだろうに、最後まで小者臭の隠せない男だ……なんて、そんなこと言ってる場合じゃないんだけども。獣のような瞳をギラギラさせて、炭治郎くんが近付いてくる。しかし先程浸食されかけた影響か、僕の体は動いてくれない。

 

 ──とはいえ。こんな状況でどうすればいいのかなんて、わかりきったものである。

 

「ふっ……僕は陽キャだが、オタク文化にも詳しいハイブリッドだぜ。こんなよくある展開、ノータイムで答えを導き出せるんだよ炭治郎くん。ズバリ“絆”こそが! この窮地を救うたった一つの手立てに違いない! さあ、今まで育んだ友情やらなんやらを思い出すんだ!」

 

 うん、歩みが止まらないね……馬鹿な、いったい何が足りないというんだ。僕は炭治郎くんのことが大好きだし、自分で言うのもなんだが炭治郎くんからも結構好かれている自信があるぞ。

 

「…そうだ。ゴテゴテと言葉を飾り立てるなんて、僕たちの信頼関係には不要だった……なら“答えは沈黙”だ!」

 

 ──馬鹿な、なぜ効かん! くそっ、薄汚ねぇクルタ族が考えたセリフなんて使うんじゃなかった。えーと、どうしようどうしよう……そうだ、こんな時にこそ『家族の絆』が有効なんじゃないか? 幸い、僕には鍛えこんできた物真似のセンスがある。禰豆子ちゃんの真似などお手の物だ。

 

 

「『むー! むー、むーむー! むむっ、むーむー! むぅぅ!』」

「…」

 

 しまった…! 僕の記憶にある禰豆子ちゃんは、九割九分『むー』だった。『むー』じゃ心に響かない、流石に響かない。くそっ、最後は仲間に殺されるとかいう鬱展開なのか?

 

 足が上手く動かないせいで、どうにも逃げられない。脚の動かない僕とか、飛べない豚と変わりないぞちくしょう。流石にもうダメかと思い、目を瞑って観念すると──くるりと背を向けて、炭治郎くんが目の前に座り込んだ。

 

「炭治郎くん…?」

「…」

「──ああ、そっか」

「…」

「“約束”、してくれたっけ…」

 

 『もし千里さんが逃げられなくなったら、俺の後ろに隠れてください!』なんて、惚れ惚れするほどカッコいい約束を。骨の髄まで、細胞の一つにまで彼の優しさは染み込んでいるのかな。

 

 命を救われるのは、いったいこれで何度目だろうか。膝立ちで炭治郎くんの背中に近付いて、その肩に手を乗せる。こんな小さな両肩に、目一杯しょい込んで……それでも潰れない、立ち止まらない強さが彼にはあった。

 

 …でも、やっと終わったんだ。取り戻せないものは沢山あるけれど、歩き続ければ新しい出会いがある。頑張り続けてきた背中をねぎらうように、僕は炭治郎くんの体を引き寄せて──わき腹を突っついた。

 

「──ぐふぅっ! た、炭治郎くんの初ツッコミ…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …はっ! 知らない天井……いや、知ってる天井だ。慣れ親しんだ産屋敷邸の病室の天井。どのくらい寝込んでいたのかは不明だが、体の調子は意外と悪くない。腹部には包帯が巻かれているが、上体を起こした際に走った痛みは、想像よりもかなり緩かった。肺の方も、あれだけきつかった痛みが綺麗さっぱりなくなっている。これなら呼吸も使えるかも──

 

「い゛っ──……っ!! ごほっ、ぐっ…」

「飛鳥さん!?」

「あ゛……たまちゃん」

 

 流石にそう都合よくはいかないか……予想していた通りではあるが、たぶんもう『呼吸』は使えないだろう。まあ日常生活に支障はなさそうだし、あの状況で生き残れただけで御の字だ。たまちゃんが心配そうに覗き込んできたので、少しふらついて胸元へ倒れこむ。うーん、柔らかい。

 

「──ぐべっ!?」

「ゆ、愈史郎! 飛鳥さんは重傷だったんですよ!」

「こいつは死んでも大丈夫です」

「ぐぅぅ…! 愈史郎ぉ…! 無惨を討った立役者に何と恩知らずな…!」

「そうか。よくやった」

「軽っ! もっとさぁ、嗚咽交じりに『本当に……よくぞ、よくぞ無惨を…!』とか、言葉も出ない感じで感謝してくれると思うじゃん?」

「そういうのはお前が寝ている間に終わった」

「えぇ…」

 

 周囲を確認してみると、看護婦さんの一人が僕の目覚めを伝えるためか、足早に退室していった。いやぁ、重要人物ってのもつらいぜ。

 

 たまちゃんに色々と聞いてみると、やはり僕は一瞬だけ鬼になりかけたらしい。なるほど、怪我がマシになっているのはそういうことか。産屋敷邸も事後処理やらなんやらで慌ただしいそうで、柱を含む隊士たちも、そこそこの人数が任務についているらしい。

 

 鬼舞辻無惨を人間に戻し、全ての鬼の呪いが解け、その後に無惨が死んだ──そんなプロセスを踏んだせいか、はたまた無惨死亡で全部の鬼が死ぬという予測が間違っていたのか、どちらにせよ鬼の全てが駆逐された訳ではないのだ。鬼が増えることは無くなったものの、もうしばらくは隊士も任務が続くだろう。

 

「たまちゃんと愈史郎も、人間に戻ったんだね。おめでとう……って言ってもいいかな」

「…祝意も感謝も、私には受け取る資格がありません。命尽きるまで償い、命尽きても地獄で贖罪を果たさなければ、私が食い殺してしまった人達へ謝罪する資格すら得られない」

「…そっか」

「それでも……人としての死を迎えられるのは、貴方のおかげです。私にできることがあれば、何でも仰ってくださいね」

「えっ? いま何でもするって──ぐあぁっ! 愈史郎! 僕まだなにも言ってないよ!?」

「なら何を言うつもりだった」

「…罪を償っている最中だって、ずっと不幸でいなきゃいけない訳じゃない。幸せになる権利はきっと君にもあるから──だから幸せになる努力をしてね、って言おうとしたんですけど」

「…」

「…」

「…すまん」

「まったくぅ…」

 

 まあ珍しく謝ってくれたからいいけどさ。それより、皆は無事だったのかが心配だ。二人は負傷者の手当てで忙しかったみたいで、鬼殺隊の動向をすべて知ってるって訳でもないみたいだ。とりあえず重傷者の中に柱はいなかったそうだが、死者がここに運ばれてきたりはしないだろし、みんなの安否が気になるところだ。

 

「動くのに支障はないし、僕はとりあえず耀哉のとこ行ってくるよ」

「…っ、はい。あまり無理は……なさらないように……あ、その、飛鳥さん…」

「珠世様」

「…っ! すいません……では、お大事に」

 

 …なんだ? 物凄く何かを言い難そうにしているが……なんだか嫌な予感がする。耀哉の容態は戻ってないのか? 確かに病気が無惨のせいだというのは半信半疑だったが──それでも、そんな希望に縋って今まで彼を診てきたのだ。今更ただの病気だったなんて、そんなのやりきれない。

 

 急いで退室すると。さっき僕のことを伝えにいった看護婦さんが、顔を伏せて横を通り過ぎた。感じるのは……『憐憫』の雰囲気。なんで僕が憐れに思われるんだ? まるで今から悲劇でも訪れるみたいじゃないか。やめてくれよ。そうだ、耀哉だけじゃない……僕と親しかった誰かが死んだ可能性だって、もちろんあるんだ。まさかしのぶちゃんが──

 

「──千里!」

「っ、しのぶちゃん…!」

 

 よかった、無事だったんだ…! 正にいま最悪の可能性がよぎっただけに、安堵で体の力が抜けた。うおぉぉんと大袈裟に涙を零して抱き着くと、もちろん鉄拳が飛んで……こなかった。基本的に僕の行動はツッコミを入れられる前提なのだし、本当に受け入れられるとドキドキするんですけど。

 

 心臓の鼓動が大きくなるのを感じる。腕の中のしのぶちゃんを見ると、それはもう嬉しそうに──いや、ぜんぜん嬉しそうじゃないな。むしろ泣きそうなんですけど。

 

「千里、お館様が…」

「…っ!」

 

 …先程の『嫌な予感』が明確な胸騒ぎとなって、違う意味で心臓の鼓動が跳ねる。足早に案内してくれるしのぶちゃんの背中を追い、耀哉の部屋へと向かう。背中に嫌な汗がじんわりと滲み、呼吸が少し乱れるのを感じた。ぶり返すように肺がズキリと痛み、額を伝う汗を手で拭う。

 

 襖を勢い良く開けると、そこには……瞳を閉じて眠っている耀哉の姿があった。眠っている──そうだ、眠っているに違いない。胸が上下していないし、ピクリとも動いていないけど……彼が死んだなんて、認めない。けれど死者を悼むように、柱が三人……実弥、小芭内、天元が布団を囲んでいる。

 

 ──嘘だ。

 

「耀哉……冗談だろ? 無惨に呪われてるからって、だから病気なんだって言ってたじゃないか…! あいつはもう死んだんだ、だから──」

「デケぇ声出してんじゃねぇよ。お館様が……安らかに眠れねぇだろうがァ…!」

「…っ! 実弥、でも…」

「お館様から伝言だ。『ありがとう、君がいてくれたおかげだ』だってよ」

「天元…」

「お前は全力を尽くした。それでも──どうにもならないことなど、この世にごまんとある」

「…小芭内……」

「千里。本当に君のおかげだ……私の代で決着をつけられたことが、何よりも喜ばしい」

「耀哉……──ん?」

「ぶふっ…!」

 

 しのぶちゃんの吹き出した音が、静かな部屋に響いた。後ろを振り向くと、体をくの字にして震わせる彼女の姿があった。そしてもう一度耀哉の方を振り向くと、申し訳なさそうに眉を下げた彼の顔が見れた。ほぉーん……ふーん……初めてだぜ、ここまでコケにされたのは。

 

「いくらなんでもさぁ! やっちゃいけない冗談とやっていい冗談があるだろ!? 僕がここまでタチの悪い冗談言ったことある!?」

「ごめんね、千里。どうしてもと頼まれてしまって」

「──実弥ぃ! 小芭内に天元も! 事によっちゃ僕だってブチ切れるぜ!」

 

 流石の僕でもこれはちょっと怒る。人が傷付けば、それは冗談じゃなくてイジメだ。人が不快になれば、それは冗談じゃなくてデリカシーがないだけだ。こんなに酷いおふざけをされるほど、彼等に何かをした覚えなんてないぞ。こんなの、あまりに非常識だろう…! 先程しのぶちゃんが抱擁を受け入れたのも、僕を動揺させて心情を読み取らせないようにしたって訳か?

 

 僕は怒りの表情で実弥たちを糾弾しようと立ち上がり──なんだか皆ちょっと怒っているようなので、やっぱり座った。僕の逃げ足はもはや永久に封印されたのだ。慎重さというものを覚えねば。いやでも、ここは流石に怒っていいとこだろう。そうだ、正義は僕にある。

 

「『事によっちゃ』……か。こんなことされる覚え、本当にないってのか? 千里()()よぉ」

「な、なんだよ天元。僕がなにしたってのさ」

「…この前、あいつらに本を送ってくれたらしいな」

「え? ああ、奥さんたちのこと? いやほら、実際に変装術を教えてくれたの須磨ちゃんとまきをちゃんだったからさ。雛鶴ちゃんにも色々お世話になっちゃったし、単なるお礼だよ」

「ほう。ちなみにどんな本を送ったか覚えてるか?」

「えーっと……夏目漱石の『それから*1』と、『門*2』と、『こころ*3』だったかな…」

「オラァッ!」

「──がふぅっ! ぐ、ぐぅ……た、他意はないのに…」

「悪意しかねえだろうが!」

 

 ち、違うんだ! 美女が三人もお嫁さんなのが妬ましいから、一人くらい火遊びに興味を持てばいいなんて思ってないから…! うぅ……じゃあまあ、天元についてはお互いさまって事で納得しようじゃないか。しかし実弥に小芭内、君らにこんなことされる覚えなんてないぞ。申し開きがあるなら言ってみやがれ、こんちくしょうめ。

 

「申し開きだァ? ──テメェ、俺の『遺書』持ち出して玄弥に見せやがったらしいなァ…!」

「ギクッ」

「形式上はどうあれ、結構な部分テメェも実権握ってるからなァ…! 隊士の遺書くらい簡単に持ち出せるって訳だ」

「い、いやその……玄弥が『兄ちゃんに嫌われた』って悩んでたし……どうせ君のことだから、本心なんて遺書ぐらいにしか書かないだろうなって。実際そうだったし──いだだだっ! すれ違う兄弟を慮る僕の気持ち! わかって実弥ぃぃ!」

 

 ぐぅぅ…! わ、わかった。実弥についても、感謝のツンデレということで、お相子ってことにしておこうじゃないか。しかし、しかしだ。小芭内! 君に何かされる筋合いなんて、これっぽっちもないぞ! 手術の恩も忘れおって、言い訳の用意はできてるんだろうな!

 

「鍛冶師の里で……甘露寺に恥をかかせたそうだな」

「えっ」

「婦女子の入浴中に浴場へ押し入り……あまつさえ、甘露寺にタオルを脱げなどと命令したと聞く。言い訳の用意はあるか?」

「解釈が悪意に満ちてるよ!? ──ギャアァァ! 誰だ喋ったの!」

 

 くぅぅ…! これが因果応報なのか…? だとしても、しのぶちゃんまでこんな企みに手を貸すとは。そんな心当たりなんて……ううん……ちょっとエッチな服をタンスに忍ばせておいたのがバレたのか?

 

 それとも毒の代わりにビタミン剤を置いた時、ガラナエキスを混ぜたのに気付いたのか…? いや、グァラニンの興奮催淫作用なんて微々たるものだ。滋養強壮としての意味合いの方がずっと強いし、やましい気持ちなんてちょっとしかない。

 

 というか、君ら耀哉のことめっちゃ敬ってただろうが。僕への意趣返しなんかに使ってんじゃないよまったく。

 

「ふー……もう呼吸使えないんだから、無茶はやめてよね…」

「…! どういうことだオイ」

「え? ああ、えっと……上弦の弐の血鬼術が結構えげつなくてさ。肺がズタズタで、もう呼吸は使えないと思う」

「…普通に呼吸する分には大丈夫なのか?」

「今のところはね。まあ鬼がいなくなれば呼吸なんて必要ないし、そんな深刻になるほどでもないでしょ。むしろしのぶちゃんの腕の方が深刻だよ」

「ええ。私も一線を退く形になります」

 

 あんまり深刻そうじゃないな、しのぶちゃん。でも彼女の腕は、僕を庇った際に失ったものだ。今ついでに謝るようなものでもないし、少し後回しにさせてもらおう。

 

「僕は研究の方にかかり切りになるから、どっちにせよ今までみたいな任務は──あ、研究費は……まだ出してもらえる? 無惨は死んじゃったけど…」

「そんな質問をされるとは思わなかったよ。千里はあまり私を信頼してくれていないのかな」

「いやほら、僕と杏寿郎と炭治郎くんだけだろ? 痣が出てるの。たった三人の人間のために、バカ高い研究費かけるのも申し訳ないというか──たぶん流用できるような技術でもないだろうし、生産性は皆無だからさ」

「たとえ産屋敷の身代が傾いたとしても、費用は捻出するとも。千里、君だけじゃない……隊士一人一人に対して、産屋敷家は報い切れないほどの恩がある」

「…ありがと、耀哉。それじゃあ全てが終わった後も好き放題させてもらえる──そういうことでいいかな?」

「そういうことではないね」

 

 痛いっ! 痛いっ! やめて三人共! 僕は耀哉とマブなんだよ! まったく……そういえば他の柱はどこに行ったのかな? まさかこんな茶番を用意しておいて、誰か死んでるということもないだろう。

 

「現状、鬼の噂がある場所の数に対して、隊士の人数はかなり多い……だから今までとは違って、一体の鬼に対して複数の隊士を編成しているんだ。柱の子たちも頑張ってくれている」

「つまり実弥たちはサボっていると」

「んな訳あるかボケェ! 油断して本丸落とされちゃ世話ねぇだろうがァ」

「そう、まだ完全に終わった訳じゃないんだ。実弥の言う通り、今が一番油断しやすい状況だからね……勝ち戦の処理に死人は出したくない。今後の課題は、鬼が完全に根絶できたことをどう確認するかだが…」

「あ、それなら任せてよ。乗っ取られかけた時に無惨の記憶を見れたから、大まかな配置と数はわかると思う」

「とんでもないことを聞いた気がするよ」

「いやぁ、危うく最強の体を持つ最悪の鬼が誕生するとこだったよ」

「危うすぎだろオイ…」

「ま、もう強い鬼はいない筈だよ。十二鬼月の下弦も無惨が自分で殺してたから、心配しなくて大丈夫」

「馬鹿なのか?」

「僕もそう思う」

 

 ──おっと、話が長くなったせいか耀哉に疲労の色が見える。とはいえ、自分でもわかるほどに体調が良くなったらしく……やはり無惨の生死とリンクしていたのは確かなようだ。楽観視するにはまだ早いが、きっとこれからは快方にむかっていくことだろう。それに無惨の膨大な記憶の中には、相当な医学知識も存在した。耀哉の体を診るにも役立つし、痣の解明にも多少は貢献してくれることだろう。

 

「じゃ、とりあえず僕は鴉に指示して隊士を動かすから……いや、先に鬼の数と場所を書き起こした方がいいか」

「私も手伝います」

「…腕、大丈夫?」

「ええ、珠世さんに処置をしてもらいましたから──っ、とっ…」

 

 大丈夫と言いつつ、ちゃんと立ち上がれずにふらつくしのぶちゃん。変化した重心に昨日今日で慣れるのは難しいだろう。僕も慌てて立ち上がって、彼女を支えた。

 

 耀哉たちに挨拶をして部屋を退室し、しのぶちゃんと二人で廊下を歩く。謝罪も感謝も、彼女は必要としていないだろうけど──だからといって、何も言わないという選択肢もありえない。僕の方から立ち止まって、しっかり彼女の方を向いた。

 

「ごめんね、しのぶちゃん……その腕」

「お気になさらず。柱として当然のことをしたまでです」

「それでもだよ──助けてくれてありがとう」

「いえ、本当に気にしなくて結構ですよ。かたわの女なんて貰い手もないでしょうが、自己責任ですから。気にしないでくださいね、本当に」

「…」

「…」

「──オッケー! じゃあこの件はこれでお仕舞い!」

「神経を疑います」

「女心って難しいぜ…!」

「人の心に聡い筈では?」

「しのぶちゃんの心はわかりにくくてねぇ」

「それは重畳。他の方とどう違うかは気になりますが」

「そりゃあまあ、読みやすい感情と読みにくい感情ってのがあるのさ」

「…それは初耳です。何がどう違うんですか?」

「怒りとか恨みは割とわかりやすいかな? 恋心なんかは複雑でわかりにくいし──いやぁ、しのぶちゃんの心は()()()()()()ぜ、まったく」

「見当違いも甚だしいですね。自意識過剰では?」

「おや? 別に僕への恋心だなんて言った覚えはないけど」

「…っ! くっ…」

 

 おっとぉ。これは本当に脈ありと判断してもいいんじゃなかろうか。告っちゃう? 告っちゃおうか? まあ僕の気持ちは常々から行動で示してるけども。しかしこの状況……人の気配のない廊下、二人きり、そして長きに渡る戦いの終わり──絶好のシチュエーションと言っても過言ではないだろう。よーし、ここは妙にオタク人気が高い告白文句でも使ってみようか。

 

 かつて夏目漱石が英語教師をしていた時、生徒が『I love you』を『我君を愛す』と訳したのを見て、彼はこう言った。『日本人はそんな無粋な伝え方をしない。月が綺麗ですね、とでも訳しておきなさい』と。遠回しな告白のセリフとして、自称『粋』な方々が使う文句である。

 

「月が綺麗ですね」

「真っ昼間ですが」

「太陽が綺麗ですね」

「直視しろと?」

 

 くっ……失敗か。NTR大好き文豪の言葉なんか信用するんじゃなかった。ま、いくらでも時間はあるんだからその辺は追々──ん? あ、いくらでもどころか、いくらもなかったんだ。研究が実を結ばないと一年ちょっとの命だったわ。いや、なんとかするつもりではあるけども。

 

「しのぶちゃんは全部片付いたらどうするの?」

「蝶屋敷をそのまま診療所にしてしまおうと考えていましたが……この腕ですからね。手術もできませんし、薬剤の知識はあっても資格はとれません」

「なら僕の名義で登録していいよ。資格ならすぐ取れるだろうし、耀哉のコネがあれば諸々の手続きは端折れるしね」

「それは助かりますが……よろしいのですか?」

「君がどう思おうが、僕にとって君は恩人だぜ。右腕以外についても」

「…ふふっ、では遠慮なく受け取っておきます」

「なら手続き上、土地と建物の名義は僕にしておいた方がいいと思うけど……変更してもいいかい?」

「え? え、ええ…」

「へへっ、騙されやすい女だぜ…!」

「千里」

「冗談です」

 

 ──残った鬼を根絶するのにそう時間はかからないだろうし、鬼殺隊のために働いてきた人たちは、各々身の振り方を考える必要が出てくる訳だ。喜ばしいことではあるものの、身もふたもなく言ってしまえばもうすぐ無職ということである。もちろんその辺のお世話は耀哉もしてくれるだろうが、鬼殺の隊士というのは何気に高給取りだ。

 

 同じように稼げる就職口など、いくら産屋敷とはいえそう紹介できるとは思えない。金持ちになりたいと言う隊士はそんなにいないと思うけど、生活レベルを落とすのって意外と苦労するからな。蝶屋敷にいる娘たちだって、今はしのぶちゃんが養っているが……彼女が柱でなくなれば、資金源はなくなる。さっさと稼ぎ口を見つけないと、そのうち困窮することになるだろう。

 

 しのぶちゃんって今までお金に困ったことはなさそうだけど……これからは節約する必要も出てくるだろう。そして節約術については、僕に一日の長がある。前世では金持ちのボンボンだったが、今世は貧乏暮らしも山暮らしも経験済みだ。色々と教えてあげることにしよう。

 

「これからはお金の使い方も考えなきゃだぜ? しのぶちゃん」

「ええ。千里に関しては『恩返し』ということですから、給金は払わなくていいでしょうが……アオイ達とも今後のことを話し合う必要がありますね」

「え? いや、ちょっ……えーと……いつまで恩返しすればいいのかな?」

「失った右腕の恩ということですから──腕が生えてくるまで、ということでどうでしょう」

「百年後でも腕の再生は無理なんですけど」

「おや、長生きしなくちゃいけませんね」

「…しのぶちゃんのひねくれ者め」

「“厭味ったらしい女”ですから」

「それ、死ぬまで言われ続けるのかな?」

「死んでも言い続けますよ? 生まれ変わりはあると、貴方が言いましたから」

「また会えると決まった訳でもないだろうに」

「──きっと会えます。来世も、そのまた来世も」

「…そっか。それじゃ、その時はまたよろしく頼むよ」

「ええ、こちらこそ」

「それと、これからもよろしく……しのぶちゃん」

「…はい。こちらこそ」

 

 くすりと笑ったしのぶちゃんの瞳を覗くと……出会った時に感じた、深く沈んだ憎悪はもう感じられない。腕を失ったというのに、失う前よりもずっと前を向いている。そのせいか、今までよりもずっとずっと美しく輝いて見える。この美しさを来世も、そのまた来世も見れるというなら、嫌味も小言も甘んじて受け入れるとしよう。

 

 ──止まっていた歩みを再開し、二人で歩き出す。差し出した手から感じ取れる体温は……まるで太陽のような温かさだった。

*1
人妻不倫もの

*2
略奪婚もの

*3
三角関係もの




最後までお付き合い頂いてありがとうございました。一旦完結ということで、よかったら最終的な評価を付与して頂ければ嬉しいです。

あと『ここ好き機能』というものが追加されたようで、どこが受けたのかわかりやすくて参考になりました。押してくれた方、ありがとうございます。押してない方は押してもいいのよ。

エピローグでその後を書く予定だったんですが、書きたい事が多いので外伝形式でそれぞれを書いていく事にしました。

全部書く予定ではありますが、順番をお選びください

  • 無一郎のお引っ越し大作戦
  • 恋蛇甘味処、経営危機直面!
  • 沙代ちゃん、岩柱と再開するの巻
  • 芋とポテトと杏寿郎
  • 炭治郎の恋愛相談! ~人選ミス~
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