春にしては太陽の日差しがキツイ、五月の半ば。目的地に向かって黙々と登山しているのだが──そろそろ到着かといったところで、妙に猫の姿を見掛けるようになった。猫の生活圏ってかなり人間と被ってる筈だし、いくら大正時代とはいえ山の中で野生として生きてるってのは違和感がパない。
近くの民家で飼ってる半野良かな? …となればこんな山奥に居を構えている人間は、目的地である屋敷の主くらいのものだろうから、つまりはそういうことなのだろう。そういやしのぶちゃんが『悲鳴嶼さんは猫が好きなんですよ』って言ってたっけ。
岩属性の大男にして猫好きとか、ギャップ萌えを狙っているのかな。女性だったらキュンとくるのかもしれないが、生憎と僕は男である。同性に対して胸キュンするとすれば、伊之助が女装した時くらいのものだろう。
ちなみになぜ僕が悲鳴嶼さんの屋敷へ向かっているかというならば、それは半月ほど前の話に遡る……しかし遡るのは面倒くさいので、とりあえずさっさと屋敷に向かおう。猫の行動範囲って実はかなり狭いから、この子たちが悲鳴嶼さんの屋敷を拠点としているとすれば、もう目と鼻の先だろう……おっ、見えてきた見えてきた。
『柱』の住居ともなれば大抵はザ・屋敷って感じだけど、悲鳴嶼さんの家はそこまで広くないようだ。まあ他の柱も別に贅を尽くしたって訳じゃなく、それまでの柱の屋敷を受け継いだだけだったり、修練場の広さに見合った建物を用意したってだけの話だけど。そして悲鳴嶼さんの場合は、山を修行の場にしていたから道場は不要だったに違いない。
…おや? 誰か家の前に……むむ、あれはもしや……
…よほど変化がない限り、僕は人の顔を忘れないタチだが──なぜ彼が獪岳くんであると確信を持てないのか。それはひとえに、髪の毛が無いからである。頭クリリンで草。それに服装からしても、まるでお坊さんの弟子って感じだ。
未遂とはいえ、色々やらかした責任を取らされたのだろうか? まあ腹切りだ切腹だとうるさかった実弥の手前、お咎めなしとはいかないのはわかる。頭を丸めるだけで済んだのは、むしろかなりの温情だろう。
お坊さん見習いになったのなら、
「や、
「誰が空念だ」
「…
「違う」
「じゃあなんやねん」
「“ねん”から離れろクソが!」
「あ、はい」
「俺から離れるんじゃねぇよ!!」
雷の呼吸を使う子は、みんなツッコミのキレがいいなぁ。しかし『俺から離れるな』とは、中々にカッコイイセリフである。表情とシチュエーション、そして性別さえ違っていれば胸がトゥンクしていたかもしれない。
「それはともかく、悲鳴嶼さんはご在宅──」
「引っ付くな! 気色悪いんだよ!」
「だって『俺から離れるな』って言うから…」
「適切な距離をとれっつってんだ!」
「っとと、ごめんってば。そんなに怒るとは思わなかったんだ……うーん、申しわ
「…おい、いま発音がおかしくなかったか」
「流石にそれは疑心暗鬼が過ぎるんじゃない? 無理やり剃髪させられたのは、そりゃあ同情するけど……うむむ、どう
「死ね!!」
ぬぅ……まったく、助命を嘆願した恩も忘れて僕を殴るとはね。まあ流石にからかいすぎたか。普段なら敵以外にここまでおちょくることはないんだけど──何と言っても、いまだに彼は『お礼』のおの字すら言ってこないのだ。ちょっとばかし毒を吐いても許されると思うの。せめて手紙くらい送ってきてよね。
お爺ちゃまから助けてー、柱を説得してー……これはもう、僕に足を向けて寝られないくらいの恩だろう常識的に考えて。炭治郎くんとかなら善意に見返りは求めないのだろうが、残念ながら僕は割とみみっちいのだ。年賀状の返事が二年続けてこなかったら、もう送らないくらいにはみみっちいのだ。
「…誰か来たのか、獪岳」
「あ、悲鳴嶼さーん。お久しぶりです、千里です」
相変わらずおっきいなぁ……僕も人のことは言えないけど。でも少し威圧感が減ったかな? まあ悲鳴嶼さんに限らず、鬼殺隊の剣士だった人たちは殺伐とした雰囲気がどんどん剥がれていっているように思う。非常に良い傾向と言えるだろう──……っ!? 悲鳴嶼さんまた泣いてるゥー!
「そうか、生きていたのか…」
「この前の誕生日に『生きてた』って報告しましたよ!? 鎹烏まで送って!」
「四月馬鹿かと…」
「そこまで不謹慎に見えます?」
「…」
返事してよね。というか、エイプリルフールってこの時代にもう伝わってたのか…? 僕が子供の頃には、一般的じゃなかったと思うけど。少なくとも、四月一日が誕生日ってのでネタにされたことはない。
──ともあれ、悲鳴嶼さんもお元気そうで何よりだ。獪岳くんは『死ねばよかったのに』という表情だが、まあツンデレということにしておこう。
「なんにせよ喜ばしいことだ……獪岳、茶の用意をしてくれるか」
「…はい」
「雑巾のしぼり汁とか入れないでね」
「入れるか」
「ネコの糞とか入れないでね」
「お前は俺をなんだと思っているんだ?」
「ちなみに世界最高級の珈琲は、ジャコウネコの糞から取れるんだぜ」
「!?」
『マジかよ…』みたいな表情で離れていく獪岳くん。彼も頭髪以外は元気そうで何よりだ。でもやっぱりお礼はなかったな……他人に感謝できない人間って、あんまり幸福に生きれる感じしないよね。
実際問題、初めて会った時から今の今まで、彼の心は
「そうそう悲鳴嶼さん、これお土産です。炊き込みご飯がお好きだと聞いたので──」
「む…!」
「日保ちする焼き菓子を作ってきました!」
「…」
「…」
「…炊き込みご飯のくだりは必要だったか?」
「いえ、特には」
「…そうか、有難くいただこう」
んもう、ツッコミが弱いぜ。とはいえ悲鳴嶼さんが『なんでやねん!』とか言い出したら、それはそれでなんかヤだけど。彼とドツキ漫才などしようものなら、舞台が血に染まりそうである。
──さて、茶の間に案内されて近況など語り合うこと十数分……そろそろ此処へきた用件を話してもいい頃だろう。悲鳴嶼さんにとってはあまり踏み込んでほしくはない部分だろうが、色んな意味で必要なことなのだ。
「先日、とある商家の旦那さんのところへ往診に行った際……ついでに小間使いさんの病気を診てやってくれないかと頼まれまして」
「…?」
「詳しく聞いてみるとその女中さん、どうやら声を出そうとしても出ないらしく。いわゆる失声症というやつだったんですね」
「…ふむ」
「…勘違いされがちですけど、失声症ってのは喉や声帯の損傷じゃなくて──心の病なんです」
精神病なんてのは、未来でも定義が曖昧な分野である。ましてや今の時代だと心療内科なんてものすら存在しないし、心に傷を負った人たちへの風当たりは強い。そして精神的に不安定な患者にとって最大の毒は『無理解』からくる中傷である。
失声症を例にすれば……患者がなんとか声を出そうとして、吃音や変な声が出たとしよう。それに対しての嘲笑や叱責は、大きなストレスとなり更なる病状の悪化を招く。そういった経験が悪循環して積み重なると、本当にまったく声が出なくなってしまうのだ。
「読み書きもあんまりで、事情を把握するのに随分かかっちゃったんですけど……どうやら幼い頃、鬼に襲われたせいで心神喪失状態になったらしく。その後もあまり良い生活を送れていなかったようで、気付いたら会話できなくなっていたそうです」
「鬼が消えたとはいえ、その爪痕まで全て消え去った訳ではないか。なんと不憫な…」
「それで、その子の名前なんですが……沙代ちゃんって言うんです。鬼に襲われたのは十年ほど前だと」
「…!」
悲鳴嶼さんの過去──身寄りのない子供達と暮らしていたことや、それを鬼に引き裂かれたことは既に聞いている。沙代ちゃんがその生き残りだと判明した時点で、しのぶちゃんが説明してくれたのだ。
悲鳴嶼さんが夜明けまで鬼を殺し続け、沙代ちゃんを守り切ったこと。しかし当の沙代ちゃんの証言により投獄され、処刑されかけたこと。それを耀哉が察知して、鬼殺隊に勧誘したこと。
耀哉本人にも確認を取り詳細を聞いたが、とても悲しい事件だ。当時の沙代ちゃんは四歳の子供で、ショックが重なったこともあり上手く証言ができなかったらしい。
とはいえ、状況的に悲鳴嶼さんが逮捕されたのは必然でもあったと思う。そもそも幼い子供の証言など、法的に『証言』として扱われることはない。たとえ彼女の証言がなくとも、『多数の子供の死体』と『両手が血まみれの悲鳴嶼さん』を見れば十二分に疑わしい。
そんな疑わしい人物が『鬼が出た』などと世迷言を言えば、犯人待ったなしだろう。
しかし悲鳴嶼さんからしてみれば、守った当人から『あの人は化け物』『みんなあの人が』『あの人が殺した』などと証言されたのだ。その言葉にどれだけ傷付けられたのか、僕には想像すらできない。
けれど、沙代ちゃんの言葉はすべて鬼に対しての言葉だった。死体が残らない鬼への証言は、その場に居たもう一人に集約されてしまった訳だ。
成長し、自分が発した言葉の結果を真に理解した時、彼女もどれだけ傷付いたことだろうか。そしてその心の傷は、今もなお失声症という障害となって彼女を苦しめている。
──鬼を招き入れ悲劇を引き起こす一因を担った獪岳くんは、常に自分が正しいと、間違っていないと意固地になっている。その悲劇の被害者で、言葉足らずな証言により冤罪を強固にしてしまった沙代ちゃんは、自分の罪を背負いきれず声を失った。
誰が悪いかとか、こうすれば良かっただとか、言葉にするだけなら簡単だ。鬼さえいなければと憐れむのも。だけど、それでも彼等は今を生きている。
『真っ当に生きろ』とか『前を向いて歩こうよ』とか、他人がおいそれと助言するようなことではないと僕は思う。どれほどの悩みや後悔も、過去を変えられない以上、それは彼等を形成する要素の一つなのだ。
獪岳くんはけして善人ではない。自分の命のために家族を売り、鬼殺隊を裏切ろうとしたのは確かな事実だ。しかしそれを悪というのは、少し違うような気もする。
誰にだって大切なものがあって、それを優先するのは当然だ。彼の場合はそれが『自分』で、生き延びるためなら他者の犠牲を許容できるのだろう。でもそれって悪なのだろうか?
たとえば家族のために他者を犠牲にしてしまった──なんて話なら共感する人は大勢いるだろうし、仕方なかったと同情する人もきっと出てくる。
けれどその『犠牲』が仮に数万人だったならば、いくら家族のためとはいえ、その行動を悪だと責める人はずっと多くなる。ましてや日本国民全員が犠牲だったなんて話になれば、極悪人というレッテルは確実だ。
本質はさして変わらない筈のそれは、どこからが『善』で、どこからが『仕方ない』で、どこからが『悪』なのか。
獪岳くんは……生贄を差し出したから、裏切ったから彼は悪なのだろうか? 誰かにそう問いかければ、それなりの人数がすぐに頷くと思う。けれど、じゃあ彼はそのまま死ぬべきだった? と聞けば即答する人は少ないんじゃないだろうか。
世の中の出来事の半分くらいは、見る方向を変えれば印象も変わる。人が主観を除いて物事を判断するには限界があるのだ。僕は獪岳くんじゃないし、沙代ちゃんでもない。彼等の心を理解できる訳でもなければ、ずっと寄り添って励まし続けられるほど親密でもない。
僕にできるのは、もしかしたら良い方向に向かうんじゃないかっていう──その可能性のお手伝いをするくらいだ。悲鳴嶼さんへの義理でもあり、沙代ちゃんへの同情でもあり、そして獪岳くんへは……何と言えばいいのかはわからないが、応援したい気持ちが少しある。
自己愛が激しいし、不義理の極みのような人間だとは思う。でも彼は鬼殺の剣士だったのだ。鬼に殺されかけ、家族を売ってまで生き残りたいと思った彼の進んだ先が──
人の上に立ちたいだとか金や力が欲しいだとか、そんな欲望があったとしても、鬼殺隊という選択肢は悪手も悪手だ。自分の命を大事にしている人間が入る組織では、絶対にない。
知らずに入ったとしても、階級の高い剣士になるまでに『割が合わない』と気付くタイミングはいくらでもある。そもそも鬼殺の剣士となった時点で、普通に寿命を迎えて死ぬことはほぼない。死亡以外での引退はたぶん一%を切っているだろう。
なのに鬼殺隊に居続けたのは……少なからず、自分が仕出かしたことに後悔があったんじゃないかと──鬼に対しての怒りがあったんじゃないかと僕は思う。
もちろんそれだけではないだろうし、人の感情なんてのは常に
それでもやっぱり、僕は彼の……ん? あ、ちょっと思考に沈んでたせいで悲鳴嶼さんを無視してしまっていたようだ。なにやら僕の目の前で両手を叩──
「──耳がぁ゛ぁぁ!!」
「…大丈夫か」
「大丈夫じゃないです!」
両手を打ち鳴らす必要ってあった? というかなんで手を叩くだけで衝撃波みたいなのが出るんだ。まったく……悲鳴嶼さん相手だと、僕がツッコミ役になるのが困りものだ。
「沙代の件についてだが……おそらく、私ではあまり役に立てないだろう。あの子は私のことを化け物だと思っている。会えばむしろ恐怖が甦るのではないかと思う」
「あ、いえ……あの子の病気は、鬼への恐怖からではありません」
「…? それは…」
「事が起こった直後は話せていたでしょう? だから原因はたぶん──
「…!」
「悲鳴嶼さんもご存知でしょうが、耀哉は裏から手を回して貴方の処刑を無かったことにしました。しかし『撤回』ではありません」
「ああ、そうだ」
「権力者が法を捻じ曲げる……たとえそれが正義に基づくものだとしても、法治国家としてはあってはいけないことです。だからこそ悲鳴嶼さんの処分に関しては、かなり曖昧な状態となっています。戸籍上で死亡扱いにはなってはいませんが、一般の人間が貴方を調べようとすれば、既に処刑済みだと知らされるでしょう」
「…ああ。沙代は私が死んでいるものと思っている筈だ」
「ですね。ただ悲鳴嶼さんの了承なしに生存を伝えることは出来なかったので、今日はその了解を取りにきたんです。それと、できればあの子に会って頂きたいと」
「…!」
「彼女にとって貴方との思い出は『十年前のこと』ではありません。そんな風に割り切れていないからこそ、声を失ったままなんです」
「…」
「あの娘は──叶うのならば、悲鳴嶼さんに一言でも謝りたいと……そう言っていましたよ」
「…声は出ないのだろう?」
「失声症は、喉や声帯の損傷じゃないと言いましたよね。咳やくしゃみは出ます……それに、
「…! …そうか……わかった。すぐに支度をしよう」
…たとえ自分が会いたくなかったとしても、沙代ちゃんにとってそれが必要ならば悲鳴嶼さんは会ってくれるだろう。そう思って僕はここに来たし、事実その通りになった。ただ一つ懸念があるとしたら──冷めたお茶を持ったまま、扉を開けずに聞き耳を立てていた獪岳くんの事くらいか。
■
──隣の部屋から聞こえる、涙交じりの謝罪。何度もごめんなさい、ごめんなさいと、か細い声が聞こえる。ようやくの再会、そして沙代ちゃんが声を出せたこの状況……僕もちょっと涙腺が緩んできた。年を取ると涙脆くなると言うが、意外と事実である。
僕の近くには、表情を曇らせたままの獪岳くんがいる。二人の再会をどう思っているのか──あるいは自身ですらよく解っていないのかもしれない。
「…会っていかないのかい? 沙代ちゃんは君も死んだものだって思ってるぜ。まだ小さかったから……君が追い出されたことも、鬼を引き入れたことも知らなかったんだね」
「…」
「悲鳴嶼さんも、わざわざ真実を話すことはないだろうし。知らない方が幸せなことってあるからねぇ」
「…テメェはよぉ、俺にどうしてほしいってんだ? 道中も説教じみたことをクドクドと……あぁ? 改心しろってんならお門違いだぜ。なにせ悪いことをしたなんて、欠片も思ってねえんだからなぁ!」
「あのね、獪岳。『俺は悪くねぇ!』ってのは、自分の罪悪感と折り合いをつけられない人の言葉だよ。本当に悪いと思ってないのなら、『俺なんかやっちゃった?』とか『ごめんごめん、でも俺が生きるためだったから仕方ないよね』くらいにしか思わないもんさ」
「…!」
…うーん。言ってて思ったが、童磨さんが吐きそうな言葉だな。まあでも、本当に悪いと思ってない人間はもっと堂々としてるもんだ。『自分は悪くない』と自分に言い聞かせてる時点で、罪悪感が存在していることの証明だろう。
「…正義とか悪とかって、考えると難しいもんだよね。結局は感情でしか決められないものだから」
「…」
「有罪か無罪かってなら簡単なんだけどね……法的に言うなら、君は無罪だろうし」
「…なに?」
「他者に害を与える行為を強要された──
「…っ」
「鬼になろうとしたことが罪になるかどうか……専門家に聞いたら『お前は頭がおかしいのか?』って言われるだろうね」
「…だからなんだ」
「──だけどね、やっぱり君は一つの罪を犯してた」
「…っ……いきなり矛盾させてんじゃねぇよ…! ──いったいどんな罪だってんだ! 言ってみろよ!」
「廃刀令違反だ」
「おい」
真面目に頷く僕の首を、ギリギリと締め上げてくる獪岳くん。いやでも、刀を持つのは完全に違法だもの。僕の言っていることは間違っていない筈だ。肩をタップすると緩めてくれたので、マジギレはしてないみたい。
「そう、廃刀令違反……鬼殺隊の剣士はみんな帯刀してた訳だから、罪人と言えば罪人だね。でも誰か自首したかい?」
「あぁ? 誰がするかそんなもん」
「でしょ? 鬼殺隊の人は『正義』寄りの人が多いけど、帯刀に関しては
「…何が言いたいんだ」
「法を犯したからといって悪とはいえない。だけど、法を犯していないから正義って訳でもない。獪岳……君は自分の行動を『間違ってない』って言ってたよね?
「っ、何を──」
「その二つは同居できる感情じゃないかな。正しいことをして後悔するのも、悪いことをして後悔しないのも、どっちも間違ってないと思う」
「…っ、うぜぇんだよ…! 小難しいことを
「…」
「…」
「…」
「何とか言えよ!」
「ナントカ」
「死ねクソが!」
アイアンクローで僕の顔を握りしめてくる獪岳くん……今度は手首をタップするも、中々放してくれない。痛い痛い……あっ待ってこれ本当に痛い──いだだだっ! くそっ、こうなりゃ髪の毛を引っ掴んで……はっ! 一本もない!
「あーもう! じゃあ面倒くさい言い回しはやめてはっきり言おうじゃないか!」
「…言ってみろよ」
「僕まだお礼を言ってもらってないんだけど!」
「俺が知った事か!」
「人に感謝できないから君は成功できないの! わかる!?」
「んだと…!」
「誰かに認められたいなら、他人へ気を遣えって言ってるの。仲良くするのと媚びへつらうのは違うんだよ? 認め
「ハッ、テメェも爺みてえなこと言いやがる…! 蹴落とされる前に蹴落とせば、ずっと成功したままだろうがよ! ああ!?」
「確かに…!」
「納得すんじゃねぇよ!!」
「…納得はしてないよ。だって、ずっと強いままでいるなんて不可能だろ? 弱ってる時に助けてくれる存在は必要だよ……そんな打算すら考えられないから、君は未熟なのさ」
「っ…!」
「最初は打算でもいいんだよ。その内『これはこれで悪くない』とか考えだして……なんやかんやあって『俺が間違ってた、ごめん先生』とか言いだして……最後に『この俺が安らかに逝けるとはな…』なんて感じで死にそうだよね君って」
「お前はふざけないと死ぬ病気か何かなのか?」
んまあ、僕に言えるのはこれぐらいか。彼と関係の薄い僕の言葉じゃ、どうしても芯までは届かないだろう。見知らぬ他人に『嫌い』って言われるのと、好きな人に『嫌い』って言われるのじゃ訳が違う。『誰に言われた』かで心のありようは変わってくるもんだ。
「んじゃ、あとは三人で」
「あぁ? ──っ!」
「…かいがく…?」
「…っ、沙代…」
隣の部屋でこんだけギャアギャア騒いでたら、そりゃあ気付くってもんだろう。ドアを開けて姿を現した沙代ちゃんが、わんわん泣きながら獪岳くんへと抱き着いた。
真実を語るのか、黙するのか。それは彼らが決めることであり、僕が口を出すことではない。沙代ちゃんに泣かれる資格なんて、獪岳くんにありはしないと──きっとそう言う人もいるだろう。
それでもやっぱり……あの三人が、いつかの団欒を取り戻せたらいいなと思ってしまう。
Re:頭髪が寂しい方に不快な表現があります。ご注意ください。