逃げるは恥だが鬼は死ぬ《完結》   作:ラゼ

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後書きに大切なお知らせがありますので、本編を読んだあとに目を通していただければ幸いです。


3話

 パパ寿郎さんの家を訪ねること三度目……お土産のアイスクリームが効いたのか、いつもは瓢箪が飛んでくるところ、本日はおちょこが柔らかく飛んでくるだけにとどまった。千寿郎くんにもおすそ分けすると、花が咲いたような笑顔を見せてくれた。甘いものは嫌いじゃないようだ。

 

 アイスクリームが売っている浅草から、この駒沢村までは二十キロ近い。溶ける前にお土産として持ち込めるのは僕くらいのものだろう。稀少性というのは、それだけで贈り物に価値を与えるのだ。まあそれ以前に、この時代だとガチの高級スイーツだけど。着物代に散髪代に食費に今回のスイーツがトドメとなり、もはや遊廓で遊ぶ計画は終了のお知らせである。女性の肌が恋しい。

 

 ──そんなこんなでいつもより長居してしまい、帰る頃には日が暮れそうになっていた。千寿郎くんが宿泊を勧めてくれたものの、僕の体質が鬼を惹き寄せる可能性もあり、惜しみつつも辞退した。パパ寿郎さんは元柱らしいけど、今はただの飲んだくれ親父である。あまり期待しすぎるのも酷だろう。蝶屋敷のように鬼避け対策をしている場所ならともかく、煉獄家はそうでもないようだし。

 

 普段のルートを避け、ぐるっと北へ大回りして蝶屋敷へ向かっていると──運の悪いことに鬼とかち合ってしまった。まあ人気(ひとけ)を避けると、どうしてもそうなりがちなのは仕方ない。基本的には、奴らも人目を避けて行動しているのだ。

 

 弱点を突かれる以外では死なない鬼と言えども、数の暴力に敵わないことはある。猗窩座さんのような強大な鬼であればともかく、普通の鬼はあんなにニュルニュルと手足を再生できたりはしないのだ。『鬼』という化物に恐怖し、暴徒と化した集団に朝まで嬲られ続ける可能性は無視できないだろう。弱い鬼なんかだと、そのへんの力自慢以下ってことも十分にあるし。

 

「稀血…! 稀血じゃ稀血じゃ…! なんと濃く芳しい匂い…! 貴様は俺のものぞ…!」

 

 うーん、確かによく聞いてみると『稀血』と言ってるな。たまに『マレチー! マレチー!』と叫んでいる鬼がいたのはそういうことだったのか。『しげちー』とか『みかちー』とか、そういう系のアレかと思ってたわ。わたしってそんなにマレフィセントに似てるかしら、なんていう長年の疑問が晴れたぜ。

 

 しかし十二鬼月と比べれば、なんとも迫力に欠けた鬼である。猗窩座さんのやべぇ形相を見た後だと、何を見ても菩薩に見えてしまうな。

 

「あーあ、緊張感の欠片も出ないなー。自分、鬼に恐怖してたあの頃に戻りたいっすわー」

「…っ! 餌ごときが調子に乗りおって…!」

「…え? …あ! 声に出てた? 無意識だったわー、完全に無意識だったわー」

「ふざけるなぁぁぁ!!」

 

 苛立ち度が……十段階で言うと、いま三くらいかな。少し試してみたいこともあるし、今日は撒かないでおこう。割と気性の激しいタイプみたいだし、検証相手としては丁度いいだろう。

 

 少し速度を上げ、距離を取る。あの鬼は鼻がいいみたいだし、多少離れたとしてもしっかり追いついてくれるだろう。奥多摩付近の山には、既にいくつか罠を仕込んでいる……ここからだと落とし穴が近いか。あれだけ僕に執着しているんだし、頑張って追ってきてくれる筈。

 

「ふー……追いつかれるまで五分くらいかな?」

 

 …額に水を垂らして、と。髪を手でワシャワシャにして、振り乱した感じを演出する。後は……必要ないと思うけど、一応べっこう飴も舐めとこう。糖分は吸収されるのが早いので、体力を回復させるにはもってこいなのだ。

 

 冬至あたりになると、日没から夜明けまで十三時間近くになることもある。半日以上逃げ続けなければならない可能性も、絶対にないとは言えない。故に糖分、水分、そして栄養価が高く携行しやすい食品は必須である。クルミなんかは山でも採れるし、カロリーも高いしでオススメだ。

 

 ──おっ、きたきた。息を荒げつつ肩を上下させて、と…

 

「…はぁ……はぁ……くそ、追いつかれたか…」

「はっ、はは…! 多少足が速かろうとも、所詮は人間よな。どうした? 疲労で動けんか? くくっ、先程の威勢はどこへ行ったのやら」

「やっ、やめてくれ! 来るなぁぁ! 食わないでくれぇぇ!」

「くっ……ははは! なんと無様なことか──っあ゛あ゛あぁぁぁっ!?」

「うーん、なんと無様なことか」

 

 かなり深く掘ったから、あの程度の身体能力しかない鬼だと、出るのは一苦労だろう。この辺は土質が柔らかいから、取っ掛かりがないのだ。そのぶん穴も掘りやすかったしね。

 

「はぁ……はぁ……信じられない幸運だ…! こんなところに天然の落とし穴があるなんて…!」

「あってたまるか! クソゴミがぁぁ!!」

「ぷっくく、『あ゛あ゛あぁぁ!!』だって、『あ゛あ゛あぁぁぁ!!』。ねえねえ、もっかいやってよ『あ゛あ゛あぁぁぁ!!』」

「こっ、かっ、かか、カス虫がぁぁ…!」

 

 苛立ち度……六……七……八……うーん、あとひと押しかな。まあ最高潮に達したところで、目論見通りになる確率は低そうだけど。でもやってみないことには始まらないし、有効なら有効で手札が増えるしね。さてさて、更に神経を逆撫でしそうなものは……おっ!

 

「あれ、君って……上から見ると……少しハゲてるね」

 

 ぶちり、と音が聞こえた。もちろん髪の抜けた音ではなく、更に怒りが増しただけだろう。一般的に見てハゲているとまでは言えない彼の頭皮だが、実のところ『ハゲ』という言葉は、ガッツリハゲている人にはそこまで効かない。『もしかして…?』と思い始めてそうな人に言うと、これがもっとも心を穿つのだ。

 

「かっ、か、ぐがっ…!」

「鬼ってずっと姿が変わらないんだよね? つまり頭皮も一生このまま……おお! 神よ! なぜあなたは彼に斯様(かよう)な試練をお与えになったのですか! …髪だけに、ぷっ!」

「ぐぎいぃぃぃ!!」

「あ、そういえば──落ちた時、大丈夫だった?」

「な、なにっ…?」

「ああ、鬼なんだから大丈夫に決まってるか。()()()()()よかったね」

「──クソがあ゛あ゛ぁぁぁ! 殺す、殺す殺す殺す! 貴様だけは絶対に殺す!」

 

 む…! 体が大きくなって…? おいおい、怒りで覚醒するのは主人公だけの特権だろうが。しかも身体能力まで上がったようで、あの深さの穴を跳躍だけで抜けてきた。しかし勢いよく飛び出すとタライが落ちてくるトラップを仕掛けておいたので、もう一度地の底に沈んでいった。草生える。

 

「っ、がっ、があぁぁぁ!! ふっ、ふざっ──ふざけるなよ貴様ぁぁ!!」

「おーにさーんこーちらー!」

「はがっ、はぐぅぅぅ!!」

「ん? いまハゲって言った?」

「こ゛ろ゛すぅぅ!!」

 

 よし、苛立ち度マックスだ。あとは付かず離れず……うん、こんなとこかな。

 

「しっかし下っ端がこの程度じゃ、主人も大したことなさそうだねぇ。なんだっけ? えーっと……ああそうそう、ビチ糞下痢太郎だ」

「『鬼舞辻』様じゃ()れ者がぁぁぁ!!」

「あ、それそれ。でも口にしていいのかい?」

 

 冷ややかな声で失態を指摘すると、彼は凍りついたように動きを止め、呆然と天を仰いだ。しかし『呪いの言葉』を口にした過去は動かず、彼は瞬く間に人の形を失っていく。

 

「っ、あ…! あ、ああ──ち、違います、違います! 俺にそんな意図は! お゛っ、おゆるじぐぁ──」

 

 うえぇ……恐ろしい。しかし、目論見は成功と言えるだろう。炭治郎くんに聞いた『鬼の呪い』の話……鬼舞辻無惨は、配下に『鬼舞辻』の名を吐かせることすら許さないそうなのだ。それを利用して鬼を殺した者がいたそうで──詳しくは濁されたが──僕も試してみたというわけだ。ただしそれは、特殊な術によって精神状態を不安定にさせることが肝らしい。もちろん僕にそんな特殊能力はないので、自分なりのやり方で試してみたのだ。

 

 鬼の性格に左右はされるが、これなら日の出までの時間も短縮できるし悪くないだろう。戦えない者にも鬼を攻略する手段を与えてくれるとは、鬼舞辻無惨とやらは頭も無惨なのかな?

 

 ──しかし今までは鬼という『食人種族』を相手にしていると思いこんでいたのだが……全て元は人間だったと聞くと、少し気分も落ち込んでくるな。もちろん可能性としてはなくもないと思っていたが、断定されるとやっぱりね。

 

「…」

 

 ま、だからといって大人しく食われてやる義理なんぞ欠片もない。彼らが弱肉強食を是として僕を襲ってくるなら、こっちにだって反撃する権利がある。僕を食っていいのは、煽られる覚悟のある奴だけなのだ。せめてもの供養として、手を合わせるくらいはしてやろう。

 

「──お見事ですね」

「…!」

 

 目を閉じて黙祷していると、()から声が降ってきた。高く柔らかな声が、静寂な木々の中で異質に響く。思わず首を上げると、樹齢もずいぶん古そうな木の上に──静かに微笑む女性が佇んでいた。

 

 鬼殺の剣士を示す隊服と、月明かりに映える鮮やかな羽織を纏った美しい女性だ。僕と目があったその女性は、くすりと声を漏らし……そのまま舞い降りるように、大木から身を投げた。

 

「危なあぁぁい! いま助けるぞぉぉ!」

「へっ? いや、ちょっ──どいてくだっ、さきゃあぁぁっ!?」

 

 九割九分九厘大丈夫そうではあったが……木登りをして降りられなくなった女性が、たまたま足を滑らせた可能性も考慮し、助けに入る。落下の衝撃を柔らげるため、真横から抱きしめるようにタックルをかました。いい香り。

 

「ご無事ですか? お嬢さん」

「…そう見えますか?」

「おっと失礼。ご無事ですか? おばさん」

「だ・れ・が! 年齢の方だと言いましたか!」

「ぐえぇぇ! ギブギブ!」

 

 ヘ、ヘッドロック! 前世も含め、女性にそんな技をかけられたことはない……なんてアグレッシブな女性なんだ。しかしおっぱいが当たって気持ちいいのも事実である。ぱっと見は細身でたおやかな印象だったが、携えた双丘に関してはその限りじゃないらしい。

 

「はぁ……聞きしに勝るひょうきん者ですね」

「え?」

「──飛鳥千里さんですね? 煉獄さんから話は聞いています」

「いや、ぜんぜん違いますけど」

「えっ…? あ……し、失礼しました。早とちりをしてしまったようで…」

 

 決め顔で人の名前を断定したのに、ばっさりと否定されて恥ずかしかったのか──頬を染めながらパタパタと手をあおがせる女性。言動からして、おそらく胡蝶しのぶさんに間違いないだろう。しかし月下の美女とは、かくも美しいものだ。

 

「そもそも、貴女はいったい?」

「あ、ええと……申し遅れました。私は胡蝶しのぶと申します」

「ご丁寧にどうも。私は飛鳥千里と申しま──ぐえぇぇ!!」

「あ・っ・て・る・じゃ……ないですか…!」

「そっちは、まがっ、曲がっちゃいけない方──あだだだっ! 冗談でしたごめんなさいごめんなさい!」

 

 謝罪を何度も繰り返し、ようやく美女の拘束から逃れることができた。怒りの表情で身だしなみを整えていた胡蝶さんだが、ふと我に返ったような仕草をしたかと思えば、その表情に笑顔を貼り付けた。まさに仮面といった風だが、どういう理由からだろうか。

 

 『他人の心情を推し量る』ってのは、僕に関して言えば第六感寄りの技能である。ともすれば当てずっぽうに近いものではあるが、しかし今まで外したことはない。

 

 その感覚を信じるなら、あれは──怒りを隠すための笑顔といったところだろうか。さっきまでの衝動的な怒りではなく、心の底で泥のように渦巻く怒りだ。たぶん、僕に向けてのものですらない。

 

「まったく……あまり悪乗りが過ぎると、お薬を作ってあげませんよ?」

「──脅しには屈さんぞ!」

「どこが脅しですか! どこが!」

「ほらほら、笑顔が崩れちゃってるぜ。仮面被るなら被るで、上手くやらなきゃね」

「っ…」

 

 苦虫を噛み潰したように、表情を曇らせる胡蝶さん。装ってはいるが、もともと感情の起伏が大きいタイプなのだろう。勘のいい人間には気付かれるレベルだし、たぶん炭治郎くんの鼻や善逸少年の耳でもなんとなく解るんじゃなかろうか。この三日間一緒に過ごして理解できたが、あれはもはや超能力とかそっち系の類だ。

 

「…あなたと会話していると、調子が狂います」

「よく言われます」

「言われないようにしてください!」

「善処します」

「…」

 

 ずずいと顔を近付けられ、じっと睨みつけられる。心なしか唇が尖っているような気もするが、キス待ちと受け取ってもいいのだろうか? そのまま数分、半目でジトッと見続けられたため、さすがに根負けして両手を上げた。

 

「…がんばります」

「お願いしますね? 飛鳥さん」

「はい……あ、それと呼び捨てか『千里』で大丈夫ですよ。僕のほうが年下ですし」

「え? 二十三歳と伺っていましたが…」

「…? ええ、ですから──あっ……うん、『飛鳥さん』で頼むよ。僕のほうが年上だからね」

「ええ、わかりました。()()()()

「ほらほら、ちょっとした勘違いじゃん。厭味(いやみ)ったらしい女は嫌われるぜ、しのぶちゃん」

「いえいえ、どうせ私は老け顔で性格も悪い女ですから。どうぞ胡蝶とお呼びください」

「じゃあ間をとってチョーさんで」

「………しのぶで結構です」

 

 呆れたような疲れたような表情で、ため息をつくしのぶちゃん。美女はどんな表情でも美しいと、再認識できた素晴らしい機会である。おっと、それはともかく……大事なことを言い忘れていた。

 

「あのさ、しのぶちゃん」

「…なんですか?」

「薬香袋の件、よろしくお願いします」

 

 僕が深々と頭を下げると、しのぶちゃんは面食らったように目を丸くする。しかしすぐさま正気に戻ると……ふわりと微笑んで、軽く頷いた。

 

 ──ああ、これは本当の笑顔だ。とても美しい。




※頭髪が寂しい方に不快な表現があります。ご注意ください。

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