そして誰もが悪党になった。   作:にゃあたいぷ。

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暗黒メェーン。


1.この身に命が吹き込まれた-何進遂高

 唐突だが、私には妹がいる。

 体が弱くて、見た目の良い妹は屋敷の中で父親の寵愛を受けて、花を愛でるように育てられてきた。

 そして長子の私は、実家の肉屋を継ぐことが決められていたせいか、幼い頃より羊の目利きや解体の仕方を、棒で体に叩き込まれながら育っている。だから大人になった後でも父親のことは好きではない、むしろ恨んですらいる。それでも幼い頃の私が、妹の事を気に入らなかったのは事実だ。どうして妹だけが、と理不尽に感じていたし、父親からの優しさを独り占めしていた妹のことが好きにはなれなかった。

 そんな妹は私が休憩する時を見計らって、いつも顔を出しに来た。何を語る訳でもなく、何を求める訳でもなく、気不味そうに、居心地が悪そうに、不機嫌な顔をする私のところにやって来る。暇な時間ができた時は、隣に座ることもある。ただ言葉は交わさない、無言のままだった。この妹が何をしたいのか、よく分からない。

 あれだけ親の愛情を独り占めにしておきながら、隣にいる妹が不幸面をしている事が癪に障る。

 

 とある日の話になる、

 何時も使っている解体包丁を研ぎに出すために出掛けようとした時のことだ。

 あまり家には居たくないと思っていた私は適当な用事を考えては出かけることが多かったのだが、この日、「行ってくる」と端的に告げる私の服の裾を妹が摘んだ。私は妹のことが好きではない。上目遣いに見つめてくる妹の姿が煩わしく、手を振り払って家を出ようとすれば――妹は無言のまま、今にも泣き出しそうな顔で下唇を噛み締めた。その姿に、可哀想に思ったとか、罪悪感を抱いたとか、そんなことはあり得ない。ただ煩わしくて、苛立たしくて、面倒臭かった。だから私は彼女に向けて、手を差し出した。キョトンとした顔を浮かべる妹に「来たいんだろ」と告げる。それで妹が嬉しそうに笑うと私に駆け寄ってきた。

 受け止めた時、妹の目元が少し濡れていることに気付き、やっぱり煩わしいと思った。

 

 妹の足は遅い。

 今年で十二歳になる私よりも二つも下なので、仕方ないのかも知れない。

 普段、私がしているように大股でズンズンと歩いてやると、妹が小さな足を小刻みに刻んでトコトコと歩き、何度も躓いてつんのめりそうになっていた。妹が私に合わせるのは難しく、私が妹に合わせるしかない。少しだけ歩く速度を緩めてやると、妹は目を細めて、小さく笑みを浮かべる。露骨に身を寄せることはせず、未だ繋がれる手に両手が添えられた。鬱陶しい、と思いながら、そのまま横に並んで歩き続ける。

 茶屋の椅子に腰を下ろした、向かい側には汗だくで顔色の悪い妹の姿があった。

 解体包丁は行きつけの鍛冶屋に手渡した後で、普段ならば適当に市場を彷徨いている頃合いだ。しかし私の妹は思っていた以上に体力がなかったようで、鍛冶屋に着く頃には息絶え絶えといった有様だった。これ以上に連れ歩いて、倒れられても面倒なので、近場の茶店に足を運んで今の状況に至っている。

 文字は読めているのだろうか、じっと料理の目録(メニュー)を見つめながら押し黙っていた。

 

「お腹は空いてないのか?」

「……あ、はい。今は食欲があまり……」

 

 少し青褪めた顔の妹がはにかんでみせる、それがなんとなしに面白くない。たぶん今の態度が云々の話ではなくて、彼女の存在そのものが気に入らない。

 

「……甘いものは好きか?」

「ええ、はい。好きです」

「そうか、苦いのは大丈夫か?」

「えっと、それは……いえ、はい、大丈夫です」

「私の前で嘘をつくな」

 

 鬱陶しい、と吐き捨てると妹は体を縮こまらせて萎縮した。

 なんで、こんな奴と一緒に居るのか分からない。私の時間が、こいつに潰されている事実が気に入らなかった。唯一、自分が家から逃れられる安息の一時を妹に侵されている事実が受け入れられなかった。

 だから煩わしい、鬱陶しい、腹立たしい。苛立ちを隠すことができない。

 私は店員を呼ぶと適当に注文して、まだ何にするのか決めていなかった妹を待たずに下がらせた。それで妹は、とても悲しそうに顔を俯かせる。私は舌打ちする、居心地の悪い空気を感じ取りながら、待つこと数分、まず私が注文していた茶とうどんが届き、妹が無言で私を見つめる前でズルズルと啜る。妹は何か言いたそうな目をしていたが、私が無視を決め込むと、とても気まずそうに視線を落とした。

 それから更に数分、私がうどんを半分近く食べ終えた頃合い、杏仁豆腐と果汁水が届けられる。

 妹は顔を上げない、下唇を噛み締めながら頑なに前を見ようとしない。そんな妹が気に入らなくて、私は茶を啜りながら店員に目配せし、妹に向けて指を差した。コトッと妹の前に置かれる甘味、驚きに目を見開く妹が、やっぱり苛立たしくて私は道を行き交う雑踏を見つめながらズズッと茶を啜る。極力、妹のことは視界に入れなかった。だってこいつは私の癪に障ることしかしないから。たっぷりと数十秒の間を置いて、カチャッと匙と器が触れる音がした。そして、煩わしい嗚咽が聞こえてくる。うぇっ、と、ひっく、と、声が漏れる。それに気付かぬふりをしながら、私は外を眺め続けた。嗚呼、この鬱陶しい空間から解放されたい、と思いながら茶を啜る。

 気付けば、半分近くも残していたうどんが伸びきってしまっていた。

 

 その日から誠に煩わしいことで外出する時、妹が付いてくるようになる。

 私がどれだけ雑に扱っても、妹は照れるように私の手を握る。私は私でしたいことが多いのに、好きでもない妹の面倒を見なくてはならないことに私は苛立ちを溜め込んでいった。長子というのはつくづく損な役回りのようでして、妹のことが羨ましくて仕方なかった。だから私は妹のことが好きになれないし、こいつが居なければ良かったのにと何度も考えたことがある。

 それでも妹を放り投げることはできなかったのは、きっと血の繋がりがあった為だ。家族の縁というのは、きっと腐れ縁のようなものであり、切っても切り離せない関係にある。嫌いだからと縁を切れないのであれば、折り合いを見つけなくてはならない。私が妹を嫌いと断言しないのは、そのことに意味がない為だ。嫌ったところで顔を合わせずに済ませられない、なら少しでも嫌わない努力はしようと思った。

 私と妹は違う存在、生まれた時から別の人生を歩むことが運命付けられている。だから線を引く、踏み込まれないように、踏み込まないように、妹のことを嫌うのはきっと今以上に鬱陶しくて煩わしいことだから、私は妹の心に触れないように距離を置いた。だから気付けなかった、気付こうとしなかった。妹の縋る目を避け続けていた。

 妹が服の袖を摘むのは、私に助けを求める合図だった。そのことに気付いていながら気付かぬふりをし続ける。

 就寝前、別の部屋で眠る妹は、いつも私の服の裾を摘んでいた。

 

 これは私が十五歳の時の話だ。

 妹は何時も私のことを羨むように見つめていた、そんな妹のことを私は何時も羨むように見つめていた。

 その時は来た。妹が柄にもなく、慌てた様子で私の部屋に飛び込んできたのだ。薄着の寝巻き姿のまま、お互いに、私は寝起きの頭で妹を見つめる。その顔がいつもと違っていたので、私は頭を掻き乱しながら、ゆっくりと意識を覚醒させた。「なんだ?」と寝起き特有の不機嫌さで睨みつけてしまうと、恐怖で強張っていた妹の顔が僅かに和らいだように見えた。

 現場に辿り着いた時、取り乱した妹が、思わず私に助けを求めた原因がよく分かった。所謂、月の物である。大丈夫だ、と経験者の私は妹の頭を撫でて、それから私が使っている対処法を教える。そのことを涙目になりながら何度も頷く妹を見ながら私は、自分の時は一人で対処していたな、とそんなことをふと思った。その事に不満を持っている訳ではない。父親に頼りたくなかったし、妹に頼ることはできない。ただそれでも、自分の時も縋れる誰かが欲しかったな、と溜息交じりに妹の頭を撫でる。私には妹のことなんて分からない。だから、どう接すれば正解なのかも分からない。どうして妹が私に懐いているのかも分からない。それは少し考えれば分かることだった、それが分からないのは浮かんだ疑問を追求する程の興味や関心を妹に抱いていなかっただけだ。

 ただなんとなく嫌な予感がしたのは、寝台に敷かれた布団が血以外の何かでも汚れていたことを見つけたからだった。

 繰り返す、その時は来た。

 就寝前、初めて妹のことを見た気がする。服の裾を摘む手が震えていた、恐怖で呼吸が乱れている。顔は不安で青褪めており、目は助けを求めるように私を見ていた。何時からだったのだろうか、もしかすると初めからだったのかもしれない。この時、私は妹のことを抱き締める。

 大丈夫だから、と囁いてやれば、うん、と震える声で頷いたのが分かった。

 

 妹と別れた後、私は部屋で解体包丁を取り出して丁寧に研ぎ始める。

 これは日課だった、毎日、家畜を解体する前に行なっている。何時もは朝一番で、今日は夜中に行なっている。それから静かに部屋を出る。息を殺して、妹の部屋の前を見張るように身を潜める。

 それから、間もなくして、父親が姿を現した。手慣れた仕草で妹の部屋に入る、それを見届けてから私は部屋の中を覗いた。

 寝台で恐怖に怯えながら震える妹の姿、妹にゆっくりと迫る父親の姿、その光景はどう見ても親子には見えない。私は息を潜めて、足音も立てずに部屋へと上がる。そして妹の両手首を掴んで押し倒した下衆は妹の首筋に顔を埋めて、「待ち侘びた、幼い時は入らなかった」と虫酸が走るようなことを口走った。妹が声にならない悲鳴をあげる、両足をじたばたと暴れ出した。今にも死んでしまいそうな絶望の淵、唇を重ねる寸前で妹の目に光が宿る。

 その瞳には砥石を振り被る私の姿が映っていた。

 

 先ずは四肢の筋を切断した。

 幾度と繰り返してきた解体作業、潰した羊の数は千を下らない。人間と勝手は違うが、それでも大体のことは分かる、羊は何処を切れば死ぬのか分かっている。死ぬに足る出血量を知っている。逆に何処をどうすれば、死に難いのかも分かっている。羊をできるだけ、苦しませずに殺せるように試行錯誤を繰り返してきた。だから、それを人間に応用することは、私が思っていた以上に簡単だった。

 早朝よりも血塗れになった敷布団の上で猿轡を噛ませられた下衆が骨だけになった四肢で身動ぎする。

 その寝台の横には解体した肉塊を部位ごとにまとめながら床に並べている。これはもう職業病のようなもので部位別に分けないと落ち着かないというだけだ。四肢を切り落とした後は火で炙り、止血する。何処の血管を切れば、死んでしまうのか知っている。だから死なないように重要な血管のみを優先して、焼いた。陰茎を切り落とす、これもまた珍味好きの嗜好家がいるので解体の仕方は熟知している。睾丸とか精力剤として、欲しがる薬屋も多かった。両目を繰り抜き、鼻と耳を削ぎ落とす。それから腹を裂いて、中から内臓を抜いていった。どの内臓がどういう役割を担っているのか大体分かっている。喉から胃、大腸、小腸と繋がっているのを見て、その内容物を確認すれば、食べ物を分解していると分かる。脈動する心臓が太い血管と繋がっているのを見れば、全身に血を送り出している器官だと分かる。呼吸をする時に肺が膨らんでいるのを見れば、空気を取り込む器官だということが分かる。そうして、そうやって、今、生きるのに重要な器官が分かれば、何処から摘出すれば、人間は死に難いのかなんてことは予想を立てられる。

 腸に肉を詰める料理なんてものもあったけな、と考えながら細長いものを摘出して床に並べる。

 性欲が強いということは生命力も高いということなのか、父親だったモノは片肺を摘出するまで生き延びていた。素直に賞賛する、ここまでされて生き延びた羊は一頭もいなかった、少なくとも父親の生命力は羊以上ではあったようだ。生き絶えても私は手を止めない、何時如何なる時も丁寧な仕事を心がけている。手に付けた仕事は最後まで、やり遂げる。そうしないと落ち着かない、と解体包丁の一振りで全ての部位を切り分けた。そうして寝台の上に残るのは綺麗に肉を削がれた白骨で、床には肉塊と内臓がそのままの形で並べられている。

 人間一人分、こうやって見つめると仕事柄か、満足感があった。羊を一頭、解体したのと同じ達成感を得られた。

 

「姉様、終わりましたか?」

 

 問いかけられて、頷き返した。

 横目に見る妹の顔に悲観とか、憎悪とか、そういった感情の機微は見えない。

 ただ静かに私の腕を抱き締めて、身を寄せてくる。

 

「どうしましょう、これ。まさか売るわけにはいきませんしね」

「医者辺りに売れば高値が付きそうだが、流石に外聞が悪すぎるな。細かく刻んで犬にでも食わせるか」

「では、明日、山か森にばら撒いておきましょう」

「部屋も掃除しないとな」

「どうせなら、いっそ建て直しませんか?」

「どうして?」

「ここで暮らすなら厩の方がましです」

「そうだな」

「そうでしょう」

 

 淡々と、黙々と、二人で今後について話し合った。

 それはきっと傍から見れば、常軌を逸している光景だったに違いない。

 ただ私達はその程度の感慨しか得られなかったのだ。

 

「瑞姫(れいちぇん)」

 

 なんとなしに妹の真名を口にする。

 

「傾(けい)姉様」

 

 と妹が応えるように私の真名を口にする。

 そして二人で見つめ合って、少し照れ臭く、はにかむように笑いあった。

 今まで、私達は生きながら死んでいたんだと思う。

 今日、初めて、私は生きる実感を得られた気がする。

 

 

 

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