今の御時世、真っ当な手段で庶民が官僚になる方法はない。
科挙*1で合格するには倍率三千の壁を破る必要があり、他の道となれば名士からの推薦になるので庶民には縁がない。抜け道として賄賂を贈るのも多大な金銭が必要であり、とてもじゃないが庶民に稼げる金額ではない。体を売った程度でどうこうできる問題でもない、そもそも私には体を売れるだけの美貌がなかった。
ひと摘みの天才でない者が官僚になる為には、それ相応の犠牲を払う必要があったのだ。
私が官僚になる時、与えられたのは丸薬だった。
それを日に三度、毎食後に飲み続ける。薬を飲んで暫くするとお腹の奥を中心に激痛が体を苛み、月の物でもないのに股間部から血が流れるようになる。排泄時には血尿と血便が止まらなくなり、お腹の奥からなる鈍痛で日常生活ですら儘ならない。そんな生活も一ヶ月、続けると次第に体が順応してくるようで痛みで体が動かないということはなくなった。それから更に数ヶ月が過ぎて、お腹の奥の痛みが薄れてくると医師から毒薬の服薬を止めるように云われて、しばらく療養する期間を設けられる。
薬膳料理に舌鼓を打って、書籍でも読み耽りながら緩やかな時間を過ごし続ける。
その期間が三ヶ月、全身から毒が抜け切った頃合いで、最近、月の物が来ていないことに気付くのだ。そして毒薬を渡されてから半年間、女として大事な機能が失われたことが認められた時点で私は官僚の一員として認められる。
帝から宦官の証である貞操帯を授与されて、週に一度、洗浄する時以外は常に装着することを義務付けられる。その鍵は中常侍が管理した。
此処までの過程を経て、漸く庶民は権力を持つことが許される。此処までしても権力が欲しい人間なんてのは私を含めて、とても神の奴隷*2と呼べるような人間性の持ち主であるはずがなかった。そうでなくとも性別の象徴を失っているのだ。それ相応の何かを得られなければ、何の為に自ら毒を喰らったのか分からなくなる。
元から強かった出世欲はより強く、醜く歪ませて育ませる。
宦官は去勢処置を施している事から他者に蔑まれやすく、また宦官社会は閉鎖的であることから上司による虐めが横行していた。新米は如何に上司に取り入るかを考えて神経を擦り減らし、その鬱憤を後輩達にぶつけていった。日々の仕事とて油断はできない、激務に耐えきれないと判断されれば宮中から放り出されるのだ。全てを失った去勢者ほど、悲惨な末路もない。官僚という存在は、税で贅を貪る連中という認識が庶民の中にはあるようで、失業した元宦官が新たな仕事にありつける者はほとんどいなかった。種なし、卵なし、と民衆に蔑み笑われながら道端で飢えて死ぬのだ。そうなりたくない、と末端の者達による出世争いは苛烈を極める。宦官は出世のために生き、出世のために他者を蹴落とし、出世できずに死んでいく。宦官の頂点に立つ十常侍の連中は、そんな生存競争を勝ち抜いた化け物のような輩達である。そんな奴らがまともだとかあり得ない。そんな奴らが頂点に立っている以上、今の宦官社会が改善されることもあり得ない。
女の幸せを捨てて得たものが、見るも悍ましい蠱毒への入場券だったとは――私が世の中に愛想を尽かすのに充分な理由にはならないだろうか。私利私欲の為に宦官になったとはいえ、少しくらいは世の中を変えたいとは思っていたのだが、この宮中の有様を見ると世の中には救いがない気がしてくる。そして実際、私の人生に救いはない、と思っている。
普段は口数少ない私は虐めの対象になりやすかった。
宦官のやり口は陰険で陰湿なものが多く、えげつない。外傷が残らないように暴力で訴える真似はしないが、靴を切り裂く程度は日常茶飯事、衣服に百足を仕込むこともある。基本的に誰がやったのか分からぬ手口を使うことが多く、相手を特定することは難しかった。しかし、周りには犯人が誰なのか分かっていたのだろう。私が驚いたり、怯える姿を見て、皆がくすくすと嘲笑する。くだらない、と心では理解していても、くだらない、と開き直ることは難しかった。そして私は子宮を毒で腐らせてまで入った宮中で何をしているのだろうと思って嫌気が差し、惨めになる。そう思いはしても今更、宦官を辞めることはできない。此処は蠱毒の壺の中、生きるか死ぬか、食うか食われるか、それだけが価値として認められる。
虐めの対処を怠ると行為は徐々に過激なものになっていく、そして度の過ぎた行為に及ぶことになる。
とある日の事だ、用を足している時に天井の隙間から糞尿が投げ込まれた事がある。誰とも知れない排泄物を頭から被り、不快な異臭が肌身にこびり付いた。外から含み笑いが聞こえてきて、ふつふつと堪えてきたものが沸騰するのを感じる。この時ばかりは惨めを通り越して、怒りが湧いてきた。
私は厠の扉を力任せに蹴破って、目の前にいた二人組に向けて駆け出した。
今まで大人しくしていた反動もあったのかもしれない、身動きが取れずにいた二人組の中で主犯格らしき女の横っ面を助走を付けたまま殴り飛ばす。その隣にいた一人を糞尿の付いた額で頭突き、怯んだ彼女の髪を掴んで、引き摺り、厠の容器に顔を押し付けてやった。あまりにも抵抗するので、そのまま後頭部を何度も殴り付けている内に大きな痙攣を起こして、それから身動ぎ一つ取らなくなってしまった。死んではいないことを確認して――誰が用意したのか頭一つが入りそうな桶を見つけ、その底にはまだ投げ飛ばせなかった分の糞尿が入っているのを見てから、その気絶した女性の頭から被せてやった。
首元から垂れる茶色の泥を見て、こうはなりたくないものだと頷き、ゆっくりと背後を振り返る。
そこには最初に殴り飛ばした女が恐怖に歪んだ顔で座り込んでいた。友達思いなのか、律儀なのか、逃げなかったことに感心しながら、とりあえず歩み寄って、にっこりと微笑んだ。よく逃げなかったな、とその顔を鼻っ柱をへし折るように蹴りつけた。壁と挟み込むように何度も繰り返し、執拗なまでに蹴りつけて、そして先程と同じくビクンと痙攣したのを確認し、蹴りつける足を止める。自分の頭に掛けられた糞尿を片手に取り、相手の顔に塗りつける。鼻の奥、耳の中、髪の毛に染み込み、肌に浸透するように丁寧に塗り付けて、無様に開いた口に塊を押し込んだ。顎を乱暴に動かして、無理やりに咀嚼させる。私自身が引く程の惨めな姿に、こうはなりたくないものだと哀れんでやった。
その後すぐに私は捕縛され、糞尿を洗い落とす時間も与えられずに懲罰房へと放り込まれる。
独房の中、糞に塗れた姿で、世の中は糞で塗れてやがる、と呟いた。
この事件がきっかけで宮中から私の敵はいなくなり、同様に味方も居なくなった。
出世の道は完全に閉ざされた結果となり、人生糞だな、と呟きながら雑用する毎日を送っている。ああ、でも周りに人は増えた。ただ単に私を避けることを止めただけだ、それでも村八分だった状態に比べると人が増えたように感じられる。会話を交わしたこともない臆病そうな輩が私の周りを彷徨くことが増えた。それを見て、あゝここは掃き溜めなんだな、と溜息を零す。
もう上手い肉でも食いながら、酒でも飲まなきゃやってられなかった。
私の名は郭勝、真名は
落ちぶれた宦官の一人、糞溜め宮中にしか生き場を持たない便所蝿のような存在である。