大将軍に成り上がる為には、先ず宮中と繋がりを持たなければならない。
その為に手っ取り早いのは官僚に賄賂を贈ることだが――同じことを考える人間は多いはずで、元から権力を持っている相手に賄賂を贈ったところで効果は期待できない。そうなると狙い目になるのは、実力を持っていながら支援者に恵まれずに燻っている人物になる。まあ尤も、そんな都合の良い人物がそう都合よく見つかるはずもなかった。
どうしたものかと今日も今日とて自身の体が獣臭くなることを厭わずに肉屋の店頭で羊肉を売り捌く仕事に従事していると、いつものように宮中の女共が羊肉の買い出しに来た。獣臭いだの何だのと嫌味なのか愚痴なのか口にする官僚連中に嫌気が差して、つい相場の一割高めの値段設定で売り付けてやっていると、これまた朝服を着込んだ官僚が店にやってくる。
今日は厄日だと思って、安い肉*1を高値で売り付けてやろうと企ていると、どうにもその娘の様子がおかしいことに気付いた。目が多い隠れる程に前髪を伸ばした無口な少女、歩いた時に揺れた髪の隙間から覗かせた目は卑屈の色に染まっており、先程から悪口をやめない官僚達を睨みつける。
それ以上はなにもせず、粛々と羊肉だけを買うと店から出てしまった。
肉の味が気にいったのか、翌日も朝服姿の少女は肉屋に姿を現した。私は帳台に肘を突きながら彼女のことを観察する、どうにも昨日のような剣呑とした雰囲気はない。虚ろで眠たげな瞳、頰にあるそばかすもあり、こうして見る分には如何にも冴えない少女といった風貌である。昨日、感じた気配は気のせいだったか。この日も少女は無言で肉だけ買って、帰って行った。
それから朝服の少女は、週に二度の頻度で肉屋に来た。それなりの量で高い肉を買って行くので儲けになる。時折、酒を持っているところを見る辺り、屋敷に持ち帰って誰かと一緒に食べているのかもしれない。肉を片手に帰る彼女の背中は妙に草臥れていた。
特に魅力的だとは思わない、何に惹かれたのか分からない。
だけど私は彼女のことが気になり、商家の知り合いに話を聞いてみた。
やめとけ、やめとけ!
あいつは付き合いが悪いんだ。飲みに行こうぜ、と誘っても楽しいんだか楽しくないんだが……。
郭勝、二十歳。宦官。仕事は真面目でソツなく熟すが今ひとつ情熱のない女……。なんか出来る女っぽい雰囲気と物腰をしているため、若手の官僚から頼られるが上司や同僚からは外回りとか使いっ走りばかりをさせられているんだぜ。
悪いやつじゃあないんだが、これといって特徴のない……影のうすい女だ。
見た感じの印象と大差ない情報、しかし私は彼女のことを忘れることができなかった。
とある日のことだ。店を閉めた後、ふらりと街中を散策していた。理由は特になく、強いてあげるとすれば夜風に当たりたかっただけだった。あの軍事行列の時に大将軍になると決めているが、未だにとっかかりの一つも見つけられていない。何処か、酒屋にでも行って酒でも買い込もうかと考えていると――裏通り、酒場が建ち並ぶ道の路地で見知った顔が座り込んでいた。
名前は一方的に知っているだけ、何度も顔を合わせているが会話を交わしたことはない。
いつも酔い潰れた誰かが座っている場所に、耳まで真っ赤に染め上げた朝服姿の少女、郭勝が虚ろな顔で腰を下ろしていた。見窄らしいと思った、初めて会った時からこいつはそうだった。官僚という輩は賄賂と血税で得た金を使った衣服を身に纏い、我が物顔で威張り散らす連中というのが当たり前だった。あの皇甫嵩ですらも庶民を見下し歩いている。しかし目の前にいる少女は荒んでいた、廃れていた。前髪に隠した目は宮中に対する憎悪に満ちており、今もギラギラと輝かせている。
何故、私がこんな奴に惹かれたのか分かった。そして、それを認めたくないと感じる思いも理解した。
こいつは私と似ている。醜く荒んで、世を憎みつつ、何かを掴もうと手を伸ばしている。そのことが分不相応ということは分かっている、自分が出来た人間ではないとも理解している。それでも今ある現状に満足することができない。だから世界に対して、いつだって苛立ちを感じている。
こういう人間は何時の日か、とんでもない事をやらかすに違いなかった。
「こんなところでどうしたんだ?」
声をかけると、女はゆっくりと顔を上げる。
「……お前、肉屋か。嫌なところを見られたよ」
初めて聞く声は低くて重い、とても綺麗とは呼べない声をしている。
塞ぎ込むように視線を逸らす。その仕草、自己肯定感の低さが妙に噛み合った気がした。
他の官僚連中とは違って、嫉妬の入り混じる特有の嫌悪感を抱かない。
代わりに鏡を通して、自分を嫌悪するような感覚があった。
「そんなところで寝ていては寒いだろ。とびっきりに美味しい肉と安酒なら馳走してやれる」
言いながら手を差し伸べた。少女は暫し黙り込んだ後、手を振り払って一人で立ち上がる。
「案内しろ、ご馳走になってやる」
傲慢な言葉、しかし不思議と腹が立たない。
強い言葉は自分を保つためのものだと理解しているので、むしろ可愛いものだと嘲り笑った。
郭勝に横目に睨みつけられるのも気にならなかった。
†
道端で拾った宦官は、見るからに冴えない娘であった。
屋敷に招き入れた彼女にとびっきりの羊肉とそれなりの酒を振る舞うも、彼女は無表情のまま小さな口で黙々と肉を頬張っている。どうにも彼女には潔癖症の気があるようで、手に肉油が付くのを嫌がり、指先で羊肉の端を摘むように持ち上げて、前歯で削るように肉を口に入れている。そしてほかの料理に手を付ける度に手拭いで指先に付いた油を拭い取っていた。酒は舌で舐めるようにちびちびと飲んでおり、肉の食べる遅さも合わせて少し苛々する。ただ彼女は酒も肉も際限なく腹に収め続けるので、気付いた時には皿は空っぽ、酒瓶は四升、五升と空にしており、無表情な彼女は無表情のまま頰を上気させる。
伸ばした前髪は目元が隠れる程で、事ある度に彼女は鬱陶しげに指先で前髪を横に分ける。その髪の隙間から覗かせる目は酔っていても相手を睨みつけるように鋭くて、瞳は卑屈の色で染められていた。頰には
正直なことを云えば、彼女は魅力的な人物ではない。
「……どうして私なんだ?」
六升目の酒瓶を傾ける郭勝に、まだ飲むのか、と呆れながら告げる。
「さあ? なんとなく、だな」
嘯くように答えて、盃を傾ける。
本来、何家は荊州南陽郡に拠点を置く屠殺業の家系であるが、親の代で洛陽に進出した肉屋であった。親が洛陽に拠点を移したことに大した理由はない。田舎者が都会に憧れるように、親も洛陽という大都会に憧れて引っ越したというだけの事だ。それから肉屋として成功を収めるが、それはあくまでも庶民としての話であり、豪族という枠組みで考えれば、何家はその末席にも座ることを許されていなかった。
私には伝手はなく、親から受け継いだ人脈もない。
大将軍になるための足掛かりを得る為に、宮中で働いている誰かと繋がりを得たかっただけであり、その相手は誰でも良かったというのが本音だ。だから目の前の娘を選んだことに明確な理由はない、ただ本当になんとなくだった。なんとなく、彼女となら一緒にやっていけると思っただけだった。
強いて理由を上げるならば、彼女を相手に話すことは不快ではない。
「目的はなんだ?」
郭勝は気怠げに片手で頭を抱える、酔ってはいるようだ。
不愉快な輩を全て見下してやりたい、という答えは飲み込んで「力が欲しい」とありきたりな答えを返した。
すると郭勝はケラケラと馬鹿にしたような笑い声をあげる。
「力を欲して私に声をかけるのは間違っているんじゃないか?」
嘲るように答える郭勝は、宦官の中では末席も良いところであった。
その理由が彼女は賄賂を送らず、不正を働かないという点にある。出世をする為には上司に媚びを売る必要があるのだが、彼女はそれを良しとせず、閑職へと追い込まれてしまった経緯があった。その結果が今の飲んだくれであり、また一升、彼女は盃に酒を垂らして舌で舐める。言葉を発していない間、絶え間なく酒を飲み続けている彼女は意外と酒を消費する速度が早かった。それでいて顔は頰を赤くするだけで、あまり酔っているようには見えない。しっかりと呂律も回っている。
私は酒を含んで「あまり考えていなかった」と素直に答えた。
今はまだ計画らしい計画を立てられていない、そもそも情報が不足しているので計画の立てようがなかった。感情だけが先行している、世界の理不尽を捩じ伏せてやりたい。お高く止まったお偉いさんに目に物を見せてやりたい。それだけを目的に権力を欲した、怨念と執念だけで大将軍になりたいと決意した。
崇高な目的はなんてない、気に入らないから今ある世界を壊してやりたかった。
「おおう、怖い怖い。歪んでるな、その目はとっても歪んでるよ」
郭勝が揶揄うように口元の皺を深める。
「この腐りきった世界を壊してくれるなら力を貸してやる。何をすれば良い? 何をさせるつもりだ?」
半ば勢いのままに告げる彼女は机に手を付いて体を起こそうとすると、ぐらりと体が横に傾いた。
そのまま足元から崩れ落ちるように地面に倒れ伏せる。あまりに急なことに驚き、椅子を蹴飛ばして駆け寄ると郭勝は床に寝転がったまま気持ちよさそうに寝息を立てていた。
ちゃんと酔っていたようだ、それも泥のように。
彼女が空にした皿と瓶を見つめながら、今日の記憶がきちんと残っているのか、少しだけ不安になった。