『生きている』
街中の至る所に書かれたその文字は、どうやら俺しか見えないらしい。その文字を書いた人を探し歩く俺の前に『貴方は見えるんですか?』と文字が浮かび上がった。
ある冬の季節、俺しか見ることのなかった、そしてもうだれも見ることのできない、ある絵の話。
前日譚→https://syosetu.org/novel/215855/
すん様(@sun_1200)様から素晴らしいイラストを描いて頂きました!
【挿絵表示】

※許可を得て掲載しております。
また、すん様が前書き部分を漫画化してくれました!
https://twitter.com/sun_1200/status/1250836408937242624?s=21
この話はノベルアップで掲載したものに加筆、微修正を加えたものです。



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前書き部分をすん様(@sun_1200)が漫画化してくれました!ありがとうございます!
https://twitter.com/sun_1200/status/1250836408937242624?s=21

そのほかにも素晴らしいイラストを沢山描いてるので是非……


俺にしか見えない絵、誰にも見えない彼女

 

 絵を描く、ということは特別な才能が必要なものなのだと俺は思っている。これは絵心なんてかけらも持ち合わせていない側からの意見なので、描ける側からしたらそんなこと無いよというのかもしれないが、どれだけ練習しようと俺には綺麗な絵を描くのは無理だと思うのだ。

 真っ直ぐに線を引くことも難しく、出来上がったのは中途半端なチグハグのパッチワークでしかない。

 

 ピカソみたいでいいんじゃない?というのは流石にピカソに失礼すぎるだろう。俺にはうまく説明する事ができないが、自分の描いた絵と違って本当に上手い絵には、人を惹きつける力がある。

 要するにその惹きつける力が肝要なのだろう、そして俺はそれを持ち合わせていない。

 

 さて、これから話す話はその人を惹きつける絵を描ける人の話だ。そいつが描きあげた、俺一人、軒下(のきした) 寛人(ひろと)だけが覚えてる、脳裏に焼き付いて離れないその絵の話をしよう。

 

 俺が粉雪が降りしきる中、完成までじっと見守った絵は確かに素晴らしいものだった。

 その絵の素晴らしさを、俺の拙い言葉でしか伝えられないのは本当に残念なのだが、そこら辺はご容赦ください、だ。

 

 一夜にして書き上げられたその絵は、積もることなく消えてしまった雪のように跡形もなく無くなってしまって、だからこそ俺には伝える義務がある。

 

 ●

 

 天気は雲ひとつない晴天、けれども空気はすっかり冷え切った冬の日のこと。高校の終業式を終えたばかりの俺たちは特にやることもなく帰路へと着いていた。

 

「僕は思うんだよ。今日はクリスマスイブ、世間では恋人とデートでもして、一緒にケーキを食べて、プレゼントを交換する、そんな日の筈なんだ」

「はあ」

「でも僕の隣に彼女は居なくて君が歩いている、そうなると世界が間違ってるんじゃないかって思うわけなんだが」

 

 友人である香坂(こうさか) (ゆう)は唐突にそんなことを宣い始めた。

 なにがそうなるとになるのかが、俺には全くわからない。そもそもお前に彼女が居ない以上、世間一般のイメージであるクリスマスがやってくるはずがない。いや間違ってるというのはそういう世界のイメージということか。

 あくまで自分本位に、地球は自分を中心に回ってるかのような意見。

 

 身を切るほど冷たい風に首を竦めつつ、ゆっくりと俺は口を開いた。

 

「つまり、今日はなんでもない日ってわけだ」

「そう、なんでもない日。素晴らしいね、全く」

 

 ちっとも素晴らしいとは思ってないかの様に、香坂は乱暴に道端に落ちてた小石を蹴っ飛ばした。そうして飛んで行った礫は少し右に曲がって壁に弾かれた。

 白い壁の美容室、その壁を見て俺は一瞬足を止めた。目を引くような青色で大きな字が書かれていた。

 

「こんなの元からあったか?」

「……?」

 

『生きている』

 

 壁にはそう書いてあった。

 記憶にある限りではそこは真っ白い壁と一部に何か擦った様な灰色の跡があったぐらいで、そんな目立つ物はなかった筈なのだ。

 まあ今日は月曜日だから、土日の間にその真っ白い場所を有効活用しようとその文字を遇らえたのかもしれない。あまりセンスは感じられないが。

 

 だからこそ、俺はその言葉にほんの少しの違和感を覚えた。そりゃそうだろう、生きていなければこの落書きも書けるはずもないのだから。書くにしてもその台詞以外があるはずなのだ。

 生きていた、生きたい、生きろ、生きる、自分が一瞬考えるだけでそれだけの候補があった。そんな考え事をしている間にあっという間にその落書きを通り過ぎていく。

 

「俺は生きているのかな?」

「クリスマスに彼女が居ない奴は死んでるも同じ様なもんじゃない?」

「それだとお前も死んでるが、ってか何でもない日じゃなかったのかよ」

「そうだった、今日は何でもない日だった」

 

 思い出したかの様にそう言って、香坂はクスリと笑った。

 交差点に差し掛かって足を止める。交通事故多発。そう書かれた看板はあるけれど、見晴らしがいいここならばそんな事故は起きない様に思えた。

 

 トラックが目の前を通り過ぎる。ぶっ壊れてるんじゃないかと思うほど排気口から白い煙を後ろに巻き散らし、それを吸い込んであいつは盛大にくしゃみをした。

 

「ほんっとうに最悪だね」

 

 信号に浮かぶ青マーク、隣から漂ってくる不機嫌そうなオーラを無視しつつ前へ進んで行く。

 こういう時は自然鎮火を待つのが良い、もしくは他に注意をそらせる物を用意するか。

 

 しかしながら俺にはそんな物を持ち合わせていない。いや、正確にいえば持ち合わせてなかった。

 

 チラリと視界の端を過ったそれに気づけたのは、本当に偶然だった。またしても白い壁、今度は薬局である。

 はっきりとは覚えていないが、確かに真っ白だった筈の壁に、先ほどと同じ様にデカデカと『生きている』と書いてあった。

 

「香坂、あれなんだと思う?」

「ん、何のこと?」

「あれだよ、薬局の壁に書いてある文字。さっき途中にあった美容室にも同じ文字が書いてあったろ」

「……?」

 

 二人揃って完全に足を止め、しげしげと薬局の壁を眺める。側から見たら男子高校生が薬局を眺めるという変な構図だろうけれども、こっちからしては至って真面目だった。

 

 薬局、美容室。これらを結びつける点は全く無く、ただ外装が白いという点だけだ。

 白に青は映えるけれども、偶然同じ文字を並べるだろうか。いや、両方とも同じ人物が書いたと考える方が筋道が通るだろう。それも正当な手段では無く、悪戯の為に書いた可能性が高い。

 

 誰もその文字を気にかけないことが不思議だったが、よく分からない記号より、綺麗に書かれてるからこそ誰も不審に思わなかったのだと考えれば納得できた。

 

 黙りこくる香坂の方を見やれば、何とも言えない顔で小首を傾げている。

 

「……君はなにを見て言ってるのかが分からないんだけど」

「? 壁に書かれた『生きている』っていうよくわからない標語のことだが」

「きっと君はすごく目がいいんだろうけれど、僕には何も見えないな」

「何を言ってるんだよ、馬鹿でも見えるように大きく書いてるじゃないか」

 

 しょうがなく香坂の隣を離れて薬局の壁の真横に立ち、俺は壁をトンと叩いた。

 

「ここに、書いてあるだろ?」

 

 やれやれと、彼は首を振った。

 

「僕を揶揄うつもりなのかは知らないけれど、僕には白い壁しか見えないね」

 

 ●

 

 スマホのカメラ越しに映し出された壁は確かに白いまま、何の文字も書いていなかった。それをずらして直接見やると、今度はしっかりと青い文字が書いてある。

 

 これはどういう仕組みなのだろうか、壁に手を当ててもひんやりとした感触が返ってくるばかりでなんらおかしい所はない。

 念のためその壁の写真を一枚撮って、俺はその場を離れた。

 

 先ほどと違って一人きり。

 クリスマスイブを一人きりで過ごす寂しさから頭がいかれてしまったのかと、心の底から心配する視線を送ってきた香坂には見間違いだったと伝えて、用事を思い出したからと言って無理やり先に帰らせていた。

 

 俺が見ているものを説明しなかった理由は簡単だ。俺にだけ見えるそれが、ちゃんと存在していると証明する手段を持ち合わせていなかったから。

 

 スマホに映らないということは、香坂の目がいかれているのではなく、俺が普通ではないということだろう。

 

 なぜ俺にだけ見えているのだろうか?

 

 考察1、俺の頭がいかれてしまった。

 いや、そんなことはないはずだ。至って正常に、まともだという自覚はある。けれどもそれを証明する方法はなく、だからこそ誤魔化すしかなかったわけだが。

 

 考察2、特定の人しか見えない塗料で書かれている。

 俺としてはこれが有力な第一候補なのだが、果たしてそんなものはあるのだろうか。

 見えない光というものは確かにある。可視光線以外、例えば紫外線や赤外線。人には紫外線が見えないが、虫には見ることができる。そういう人に見えない光だけを反射する塗料があるならば、まさにこれが合致するんじゃないだろうか?

 

 とは言っても自分にしか見えないものがあったことは今まで生きてて一度もなかったのだが、俺は虫でもないし紫外線が見えるわけでも、複眼というわけでもないのだから。

 

 ともかく、一先ずの指針を立てることにした。

 大目標はこの文字を書いた奴を見つけること、これを書いた人が何処かに必ずいるはずなのだ。

 それを見つけさえすれば、どうして俺だけが見えるのか分かるだろう。

 

 すぐに見つかるとは限らない。

 しかし俺にとっては運の良いことに今日から冬休み、二週間ばかり自由な時間が残されている。

 

 すっかりこの話に首を突っ込む気満々である。

 それでも普通の男子高校生ならば、俺と同じような状況に直面した時、無視するなんて選択をするはずがないと断言出来る。

 退屈な日常からほんの少しだけ非日常に踏み外した感覚、来年になり受験勉強が本番になれば、こんな風に楽しめる時間もしばらく後になってしまうだろうから。

 

 何の予定もない冬休みだったけれども、望外の出来事が転がり込んできてくれた。そして俺はそれを逃す気なんてさらさら無かった。

 

 なんとなく、確信があった。

 この文字を書いたやつはしばらく文字を書き続けるだろうというそんな予想。

 

 その予想を裏付けるかの様に『生きている』と青い文字が書いてある場所が数カ所見つかった。

 書いてあった場所は雑居ビルのベージュの壁、コンビニの窓ガラス、それに民家の塀。

 まるで世間全てを挑発するかのように書かれたそれは、やっぱり黙殺され続けている。誰かに見つけてほしいがために書いてるのだろうか、そんな考えが一瞬過ぎる。

 

 書いた期間は土曜、日曜、月曜とあまり絞ることは出来ない。ただ誰にも見つからないような時間に書くのは予想がついた。見えないとはいえ怪しい行動をして居れば、すぐに何をやってるのかと問い詰められるだろう。

 

 ただ、どうやってコンビニの窓ガラスに書いたのだろうか? 24時間営業である以上、運が悪ければ店内からすぐにバレてしまう。

 

 一頻り考えてみるも上手いやり方は思いつかなかった。出来るだけ夜中に、人目が少ない頃合いを見計らって一瞬で書ききるしか無いだろう。

 

 そこまで考えて、俺はようやく家へと帰ることにした。これ以上探しても犯人は見つかりそうに無い。

 夜中に出直す。クリスマスイブにやることとは思えないが、彼女が居ればデートでも行けただろうけれども、いない以上他にやることもない。

 

 街路樹が並ぶ通りを、落ち葉を踏みしめながら歩いていく。ドラッグストアに差し掛かり、俺は思わず足を止めた。

 ぺたぺたと青い線が壁を疾って行く。まさに文字が描かれている、その最中だった。

 

 ただし、おかしいところしかなかった。そこに誰もいないのだ、独りでに文字が浮かび上がっていくのだ。

 

 そんなまさかあり得ない、慌てて周りを見渡す。

 これもよくあるどっきり番組の一つなんじゃないか、あたりを見渡すも、カメラどころか人っ子一人すらいない。

 気づけば伽藍とした空間に一人だけポツンと取り残されていた。

 

 文字はまだ書かれている途中、ググっと力を込めて『い』の一画目を力強く払った所。震える手でスマホを向けるもやっぱり映るはずもなく。

 

 さらに文字が浮かび上がるのも無視して壁へと近づいていく。字へとそっと手を触れるも、返ってくる感触はなんの変哲もない壁でしか無い。

 

 思わず後退りをして、そこでようやく文字が中途半端に止まっていることに気づいた。

 

 再び、青い線が走り始めた。今度はそれまでの字より小さく、慌てた様子で簡潔に。

 

『これ、見えていますか?』

 

 そんな文字が俺に突き付けられた。

 

 ●

 

 予期せぬ出来事に遭遇した時、人はどういう行動を取るのか?

 

 当事者としてその事態の解決を目指す、傍観者としてその場をやり過ごそうとする、誰かがそれを解決してくれるのを待つ。そんな感じに色々とやり方があるかもしれないが、今、少なくともこの場で対処できるのは俺しかいなかった。

 

 だから、俺は何もみなかったことにした。

 くるりと壁に背を向けて、脱兎の如く逃げ出した。

 

 しょうがない、誰だって俺のことを責めることはないはずだ。百人中九十人ぐらいが俺と同じような行動を取るはずだし、残りの十人は非日常に憧れてる馬鹿か、それとも頭のネジが数本外れてる気狂いだろう。

 

 ずっと現実的な考え方をしていた、こんなオカルト染みた話になるなんて欠片も思っていなかった。

 こんな話、俺の手に負える話じゃない。

 

 赤信号に差し掛かり、ようやく足を止めた。新鮮な空気を肺一杯に吸い込んで、今度は落ち着いて歩き始める。

 

 なんなのだろう、あれは。

 俺にしかか見えない文字が街中に有って、それを描くのは姿の見えない奴だった、こんな話は誰に言っても信じられやしないだろう、月刊オカルト情報誌にでも載っていそうなくだらない話。

 

 高架下を通りかかり、日が差し込む出口のところに例の文字が書いてるのに気付いて、思わず背後を振り返る。

 

 まさかここまでついて来られた?

 

 いや、違うか。被害妄想だ、それは。

 これを準備するには先回りしなきゃいけないし、相手がこっちの道を知ってるわけがない。

 ただ偶然書いてあったところに俺が差し掛かっただけだ。

 

 というかついて来られたとしても、それを確認する手段も無いのか。そんなことに今更気づいて思わず自嘲するように笑う。いやはや、本当に手詰まりとは。

 

 あれは何だったのだろうか、今更ながら冷静に考える。

 目に見えない存在なら、ああいうことも可能なのかもしれない。鼻で笑い飛ばされそうだけれども、例えば幽霊とかならば。

 馬鹿馬鹿しいと思う、けれども自分にはそれ以外考えられない。

 

 人間の魂は4分の3オンス、グラムに直せば21グラムらしい。まあ俺が知ってるのはそんな話だけで、それがどういう実験を元に導き出されたかなんて知らないし、ちゃんと信用できる話かもわからないのだが。

 

 21グラム、1円玉21枚分。

 そんなひと風吹けば吹き飛ばされるような存在が果たして本当に存在するのだろうか。

 

 少し前ならば幽霊なんていないと断言できただろう、でも今ならその話を信じてもいいような気がした。

 

 ●

 

 住宅街の一角にある我が家へようやく辿り着いた。

 いつもより帰る時間がずっとかかったような気がしたけれども、実際にはそれほどでもなく、まだ12時ぐらいだった。

 

 両親は仕事に出かけて居らず、当然昼食は自分で作らなければいけないのだが、今はそれほど食欲が無かった。

 自室へ直行して、カバンを適当に机の前へと放り、ベッドへ寝転がる。

 

 ただひたすらに疲れた。学校に行って終業式を終えてただ帰ってくるだけだというのに。

 

 ボーッとしていたのもほんの少しの時間、再び起き上がったところで机の上にノートが広げっぱなしになっていることに気づいた。

 ほんの少しの胸騒ぎがする。ノートなんてあんな無造作に置いていただろうか?

 

 風もないのにノートが独りでにパラパラとめくられて、中途半端なぺージが広げられた。

 何も書いていない真っ新な一面。

 

 嫌な予感、ここから逃げ出すべきだと本能が警鐘を鳴らしている。それでもノートに近づいてしまったのは、その空白が不安だった、何も書いてないことこそ。置いといたらそこに何かが書き込まれてしまうんじゃないかと、そんなえもしれぬ感情に突き動かされて。

 

 ノートを閉じて棚にしまうのに3秒も要らない、これぐらいあっという間。しかし、ノートを閉じるより先に文字が浮かび始める方が先だった。

 

『話を聞いてくれませんか』、と。

 

 ●

 

 Q.姿の見えない存在について来られた、どうするべきか?

 塩を撒く、黙って布団に入り翌日を待つ、何も見なかったことにする。

 

 凄まじい勢いで頭を回してるのを他所に『怪しいものじゃないんです』と、慌てた文字でノートに書き足された。

 

「……怪しいものじゃないって、勝手に家まで付いてくるような相手を信用するわけがないだろう」

 

 思わず、そう突っ込む。少なくとも不法侵入は確定だし、何なら器物破損だ、それが検証されるかはさておいて。

『本当なんですよ』、そう書かれたところで少し違和感が引っかかる。

 

「……俺の声は聞こえてるのか?」

『はい!』

 

 なるほど、相手の声は聞こえないが、どうやら相手には俺の声がちゃんと届いているらしい。

 俺の後を追ってきてることからどうやら、相手には俺の事を見えてるのは確定だろう。

 

 一つ深呼吸をいれて腹を括る、ここまでついて来られた以上俺が対処するしかない。少なくとも、相手に敵意がないという事だけは朗報だった。

 

「まず、俺にはお前の姿も声も聞こえない。ただ書いたものが見えるだけだ、だから何か言いたいことがあったらそのノートに書け」

 

 椅子へと腰掛け、ノートを見えない相手へと書きやすい様に端へと寄せる。

 

「お前はなんだ? 透明人間か? 幽霊なのか?」

『私は普通の人間です、信じてもらえないかもしれないけど、確かに』

「じゃあ名前は?」

『言えません、そこら辺のしがない女子高生だと思ってくれれば』

 

 普通の人間が姿が見えないなんてことはありえないし、名前が言えないのも怪しすぎる。

 突っ込みたい気持ちを口を物理的に抑えることで必死に抑える。

 

「……じゃあ、生まれた時から見えなかったのか?そんなのありえないだろ」

『いいえ、そんなことはないです。ある日突然、誰からも私のことを認識してくれなくなって、人はおろか、自動ドアとか電子機器でさえも』

 

 やっぱり幽霊なのでは?死んだことに気付いてないだけの。

 

「お前の家族はどうしてるんだよ、真っ先に行くべきはそこじゃないのか?」

『そこが問題なんですよ、私のことを認識してくれなくなったと気づいた時、私のことを思い出せなくなって』

 

 やっぱり死んでるんじゃないかと呟きが漏れ、死んでないですよーと書かれてため息をつく。

 俺の中では死んだことに気付いてない幽霊説が固まり始めていた。ただ、それを直接言うにも裏付ける証拠が足りなすぎる。

 外堀を埋める、手掛かりは何個かある。

 

「なあ、お前は何を使ってこのノートに書いてるんだ?」

『持っていたシャーペンです』

 

 確かにシャーペンで書いた様に見える、試しに消しゴムで擦ってみると確かに消える。

 

「街中の落書きは?」

『持っていた絵具とハケで』

 

 いつから持っていたのか、と言うか普通の女子高生はそんなものを持ち合わせてるのか?

 

『自慢じゃないですけど私は絵が上手いんですよ!』

 

 そう言うなり、新しくノートが捲られて線が走り始めた。どうやら猫を描いてる様だ、それもかなり上手い。

 ボーッとそれが描かれていく様を眺める。3分ほどで書き上がったそれはかなりデフォルメされているとは言え、ちゃんと可愛く仕上がっていた。

 

「それで、お前はどうしたいんだ?」

『元に戻りたいんです』

 

 ややこしい話だ、俺にできることなんて何もないのに。

 

『でも、貴方には私が描いたものを見ることができる』

「見ることができるだけだぞ」

『それで十分なんですよ、あれだけ街中に沢山描いたのに気付いてくれる人は誰も居なかった』

 

『だから、貴方に手伝ってほしい』

 

 理論はわかる、その役目が俺しかないってことも確かだろう。そしてそれを拒否する選択肢は無いって事も。

 誰にも気づかれないから何一つできない相手を、俺は見捨てる事が出来ない。

 

 ●

 

 更に話を進めてわかった内容は以下の通り。

 

 見えなくなったのは土曜日(本当にその日からは不明、前から気付かれてなかったけど、その日突然記憶を失ったのかもしれない)。

 

 それから誰か一人でも良いから気づいてくれと街中に落書きを書き始めたのだという、わたしは『生きている』という気持ちを込めて。

 

 そうして偶然、俺が現れた。

 

「なにか手掛かりは有るのか?」

『今着てるのがセーラー服だってことぐらい、持ち物は筆記用具とその他色々美術道具の入ったカバン』

 

 女子の制服がセーラー服のところは珍しくない。うちの高校もそうだが、近くにある別の私立高校もセーラー服。

 

「手っ取り早く生徒手帳でも持ってないのか?」

『持ってない、です』

 

 その文字を見てすぐさま立ち上がる、これ以上聞き出せる話はなさそうだ。外に手がかりを探しにいくしか無い。

 

「クリスマスイブにこんな事をやる羽目になるなんてな」

『どこ行くの?』

「俺にはわからん、だからこれからお前に案内してもらう」

 

 こう言う時は始まりまで辿るべきなのだ。

 俺たちが初めて出会った場所でもなく、一番初めに落書きを始めたところでもなく、つまり。

 

「お前が一番初めに自分のことを忘れてると気付いた場所に案内して貰う」

 

 ベタな話、幽霊は死んだ場所に現れるものだろうから。

 

 話の始まりのスタート地点、彼女はしっかりとその場所を覚えていた。ただし、俺が住んでいるこの家から直接行けるほど地理に詳しいわけでも無く、つまり起点となる場所まで戻らなきゃ行けない訳で。

 つまり、まず初めに駅まで行く必要があった。

 

 ●

 

 駅の入り口で片手にノートを携えて1人っきりで立って、他人からしてみれば何をやっているのだろうと思われていたことだろう。

 俺だって思っているのだ、わざわざクリスマスイブになんでこんなことをしているのだろうと。

 

 空白のページに文字が書かれ始めるのを待つ、アイツが何処かに行ってから数分も経っていない。

 白い吐息を目で追い掛けて、雪が降り始めそうな天気だなと思っていた。カップルならばホワイトクリスマスだとはしゃぐところだろうけれども、俺からしてみれば雪が降り始めるまでに家に帰りたいなという気持ちしかない。

 

 どんよりと灰色に淀んだ空から目を下ろすと、新しく文字が書かれていた。

 

『多分、商店街の方から来たと思う』

「多分ってなんだよ」

『めいびー、その場所に行けばわかるから安心して』

 

 とりあえず商店街の方へと足を進める、定番の曲が否応なく今日はクリスマスイブだと現実を突きつけてくる。

 まさか姿の見えない相手とこんなことをする羽目になるとは思わなかった、そう思いながら右側を伺うと『私がいるのは逆方向です』とノートに書き込まれた。

 

 無言で足を早める。

 

 そんなこんなで商店街を通り抜けて並木道へ、ふとこの先にある場所を思い出し、俺は思わず顔を顰めた。

 

「……この先か?」

『はい』

 

 なるほどと心の中で溜息をついた。

 この先にあるのは七辻だ。地名であり、その文字通りに七叉路の事を示している。

 

『ここをもう少し先に進んだところです』

 

 ノートを左手に移し替え、再び歩き始める。

 まだ七辻に行くと決まった訳ではない。

 そこに行くには途中でこの大通りから外れる必要がある、そう思ってると『次、左にある細道を曲がってください』と出た。

 

 予感はピタリ。『ここです』と書き込まれた場所は正に七辻、その場所だった。

 

『やたら分岐が多い場所なのでちゃんと覚えてました』

「お前は覚えてないだろうけど此処は結構有名な場所だよ」

 

 交通事故多発の場所として、だ。

 俺がでてきた場所は人しか通れない場所だが、他の6個はそれぞれ一方通行の車線が入り組んで配置されていた。俺が住んでる場所と駅を通して反対側だから近寄ることもないが、それでもたまにまた七辻で事故があったという話を聴くぐらいだ。

 カーブミラーの下に枯れた花が置かれていた。

 

 やっぱり死んだ事すら忘れてしまった幽霊なんじゃないか、そんな考えを抱きながら一歩前に踏み出して。

 

 唐突に「危ない」と声が響いた、それに反応するより先に腕がぐいっと引っ張られる。

 無様に尻餅をついたまさにそのすぐ後、結構なスピードを出した車が目の前を通り過ぎて行った。

 

 危なかった、引っ張られてなければ恐らく轢かれていた。怪我は当然、運が悪ければ死んでいたのかもしれない。

 誰もいない方向を見ながらゆっくりと立ち上がり、小声でありがとうと呟いた。

 

「気をつけなさいよ、全く」

 

 気の良さそうなおばさん――先ほどの声は彼女のものだった――はそう言った。素直に頭を下げる、注意確認を怠った自分が悪いこともまた確かである。

 

「まあ無事ならいいんだけどね、ここは事故が多いってことは知ってるでしょう?」

「あまりこっちに来ることはないですけど、確かにそう聞いています」

「ほんの数日前にも事故が有ったばかりだし、本当に気をつけなきゃ」

 

 背筋に氷柱を差し込まれたような、そんな嫌な寒気がした。

 

「その話、詳しく聞いていいですか?」

「大した事は知らないよ、あんたと同じぐらいの高校生の女の子が運悪く引かれたらしいのよ」

 

 確か金曜だったかしら。そう言いながら指を刺した方向を見ると、地面に青い滲みが付いていた。

 あの文字の色合いと、地べたに張り付いてまだ消え落ちない絵具は、確かに同じもののように思えた。

 

「画材が散らばって片付けるのが大変だったっていう話よ」

「……そうですか」

 

 ありがとうございます、と話を聞かせて貰った礼をしてその場を後にする。今の話を彼女は聞いていただろうか、聞いていただろう、聞いていないはずがない。

 だとしても、俺が今の彼女に掛ける言葉なんて、何一つ思い浮かばなかった。

 

 コートの裾を軽く引かれた気がして、俺は足を止めた。

 

『やっぱり私は死んでしまったんですかね』

 

『お腹も減らないし、誰にも気づかれないのも、それなら説明がついてしまう』

 

『薄々、そんな気はしていたんです。けれどもそんなこと認めたくなくて』

 

 姿が見えない彼女は死んでいると言えるのだろうか?

 意識は確かにあり、俺とならばちゃんと意思の疎通が出来る。問題は誰にも認識されないというだけなのに、ただ一つ、たった一個、だというのにそれは、余りにも致命的すぎた。

 

『私はどうすればいいんですか、ずっとこのままで寂しく過ごしていくしかないんですか』

 

 解決策なんて何一つ閃かなかった。俺はどこにでもいるような普通の男子高校生なのだから。だとしても、それでも俺は。

 

「……やりたい事はあるか?」

『なにも、ないです。ただ、もとに戻りたい」

「まったく、夢も希望もないな」

『貴方に何がわかるんですか』

 

 わからないよ、わかるはずがないじゃないか。今の彼女の気持ちなんて俺には一端しか理解できないから、だから俺は。

 深く、息を吸う。

 

「誰にも気づかれないのならお前は、とびっきりバカな事をやりたいと思わないのか?」

『そんなの』

「街中に落書きを描きまくる、それは見えてる間じゃできない事だよ。少なくとも俺がやったら即効でしょっ引かれるだろうさ、お前が書いた街中に書き殴ったアレもそうだ」

 

 でも、あんなんじゃダメなんだよ。

 一気にそこまで吐き捨てる。往来の中心、通行人から奇異なものを見る視線を送られていた。

 構うものか。今この場で伝えなければいけない、そして確認する術もないけれど、俺の言葉は確かに届いているはずなのだから。

 

「俺はさ、あんな生きているなんて言葉じゃなくて、お前が書いた絵が見たい」

 

 ノートを一気に遡って、彼女が書いた猫の絵を突きつける。

 

「絵、好きなんだろう?俺はお前が書いた絵が好きだよ、俺なんかが描く絵より何倍も上手いと思う。だからもったいないんだ。あんな文字より、好きに描いた絵を見せてくれよ」

 

 俺が好き勝手に宣った言葉に彼女からの反応は無かった。それでも待つしかない、俺が出来ることは全部やり切ったのだから。たった数分の事、けれどもやけに長く思えた。

 そして俺は、賭けに勝った。

 

『好きです。私はまだ、絵を描きたい」

「なら、やろう。駅を使う、度肝を抜くような絵を見せてくれよ」

 

 その先の返事を聞かず歩き始める、彼女がちゃんとついてきているだろうって事は分かっていた。

 

 所詮俺に出来ることは誤魔化す事だけだ、解決策なんてわかるはずもないのだから。

 それはただの現実逃避なのかもしれない、現状維持しか選べない卑怯者だと詰られるような行動なのかもしれない。

 それでも俺は、何もしないという選択肢を選ぶことはできなかった。

 

 空から雪がちらちらと舞い始めていた。

 

 ●

 

 人が慌ただしく行き交う合間を掻い潜り、絵を描くのにうってつけの場所を見つけるまであまり時間はかからなかった。

 まさにこのために用意したかのような、コンクリート打ちっぱなしの無地の壁があった。

 それと向かい合うようにベンチが設置されてあるのも好都合。

 

 問題はと、すっかり日も落ちて黒く染まった空を見上げる。この場所で見学していると雪を遮れそうにないってことだけだ、雪はいまだに止む気配を見せず、しんしんと降り続けていた。

 まだ地面に溶けて消えてゆくばかりだが、明日には積もっててもおかしくないように思えた。

 

 ベンチに腰掛けて、コートについたフードを深く被る。彼女が絵を描くようの道具を持ってきていることは確認済みだった。

 

『本当に描くの?』

「今さら尻込みしてどうするんだよ、寒いんだからさっさとやろうぜ」

 

 本当に今更、街中に落書きをばら撒いたくせにこんな所で怖気ついてどうすると言うのだ。どうせ俺しか見ていないのだから、悠々自適にやるだけだろう。

 

 しばらくして、ペタリと壁に一本の線が引かれた。描き始めさえすれば彼女の迷いも消えたのだろう、次の動きも早かった。青い絵具で四角く空間を切り取って、そこを一気に塗り潰して行く。

 

 ●

 

 それから先に語る事は殆ど無い、ただ淀みなく進んでゆく筆捌きを眺めていた。それに飽きる事は無く、だからこそ寒さも忘れて見惚れることしか出来なかった。

 あくまで主役は彼女であり、俺はただ一人の観客でしか無いのだから。

 

 筆の動きが止まったのは、彼女が何を描こうとしてるのかようやく察しがついた頃である。それに疑問を抱く事もなかった、むしろ今まで休みなく描いていたほうがおかしいのだ。

 

 故にノートに文字が書かれたことに気づくのが少し遅れてしまった。作業が中断してしばらくして、俺はようやくノートに書かれた文字に気づいた。

 

『今日はもう帰ろうか?』

 

 少し行を開けて『大丈夫?』と書かれていた。

 大丈夫だと呟くと、すぐさま『本当に?顔色悪いよ?』と書き込まれる。

 それを見てようやく体が冷え切ってる事を自覚した。まだ雪は止まない。容赦なく下がって行く気温が知らず知らずのうちに体力を奪い去っていたのだろう。

 

 このままだと風邪をひきかねない。

 それでも、俺は帰る事を選ばなかった。

 

「帰らない、俺がここにいるのは俺の勝手だよ」『でも』

 

 彼女が文字を書いてる途中でノートを閉じる。薄靄の掛かった頭で――後から考えればこの時点で熱でも出ていたのだろう――こんなまどろっこしい会話を終わらせようとした。

 

「帰らない、そう決めてるんだ。もう一回言わせてもらうぞ、俺は俺の意思でここに居るんだ、お前が絵を描いてるところを見たいと思ったからな。だから絵を止める理由を俺に求めるな、今調子がいいんだろ?」

 

 素人目にしても彼女の絵を描くスピードが明らかに速い事は分かっていた。彼女は純粋に俺を心配していたのかもしれない。それでも俺は、どこまで行っても俺は、自分本位の理屈を押し付けることしかできなかった。

 

「ならば、描くべきだ。絵を描きたくないなら帰ってもいい、俺は描くことを強制する訳じゃない」

 

 羨ましい、俺はその時そう思っていたのかもしれない。彼女の様に自分が絵を描く事はできないと分かっていたから。救われるかもわからない彼女に、俺は確かに憧れていた。

 

 彼女が再び絵を描き始めた。

 誰も見ていない、けれども確かにここにいるんだと存在を証明するための絵。

 

 彼女は窓の絵を描いていた。

 窓の向こうには現実と違って青空が広がっている。

 一人それを通り抜けて違う世界に滑り込んでしまった彼女が救われる手段はあるのか、俺にはわからない。

 

 ●

 

 次に絵の進みが止まったのは夜の10時をほんの少し通り過ぎたときのこと。冷え切った体を無理矢理動かして、窓の前に立つ。

 

 掛け値なしにいい絵だと思った。それを俺だけが独占するのは勿体ないと思えるほど。

 

「……良いな、良い絵だと思うよ。写真に撮って大事に保存できれば良かったのに」

『やめてよ、恥ずかしいから。これでもまだ描いてる途中なんだよ』

 

 俺としてはこれで完成といっても良いぐらいだけれども、彼女はまだ先を見ていた。

 窓を軽く指で撫でる。後ろからドンと突き飛ばされたら壁を通り抜けて、吸い込まれてもおかしく無い、そう思えた。

 

「でも、自分でもいい絵を描けていると思うだろ?」

 

 少しの時間の後。『うん』という返事と、それに付け足す様に慌てて『今日は帰ろう』と文字が書き込まれた。

 いっそ今日中に描きあげて仕舞えば良いのに。そんな思いつきも冷静な所で、早く家で帰って休むべきだと即座に否定された。

 ただ座って眺めていただけなのに、異様に体が重かった。

 

「……帰るか」

 

 足を引きずる様にして、ゆっくりと歩いて行く。

 積もるかと思えた雪は粉雪のままで、アスファルトに次から次へと溶かされるばかり。

 

 信号に足止めを食らってノートを持ち上げる、溶けた雪が滲んで暫くはまともに書けそうもない。

 そんなノートの状態を無視して、彼女はスイスイと文字を書いていくのだが。

 

『お礼がしたいんだ』

 

 そんな言葉を見て、俺は思わず苦笑した。

 

「感謝されることなんて俺は何にもやってないだろ。絵を書いたのはお前で、俺にはそれを見てることしかできなかった」

『それでも、あの絵を描く切っ掛けは君だから』

 

 俺がいなかった所で、彼女ならば気晴らしに絵を描いた様な気もするのだが、俺の気持ちなんてお構いなしに彼女は二の矢をついだ。

 

『ねえ、なんかして欲しいことはない?』

 

 そう尋ねられて少し考える、して欲しいことなんてあるだろうか。纏まらない思考の中、ポツリと口から漏れた言葉は「絵」、その一言だけで。

 信号が青に変わっても渡らずに、その場に突っ立っていた。

 

『絵?』

「……そう、絵。俺の絵を描いてくれよ」

 

 思いつくままに言葉を並べ立てていく。適当に考えたにしては、なかなかいい案の様に思えた。無理なく、それでいて面白いお願いだと。

 

『なかなか難しいね、人の絵を描いたことあまりないから。でも君のお願いなら聞いてあげる』

「ああ、楽しみに待ってるよ」

『期待しててね、そうと決まればあの絵を早く完成させなきゃ』

 

 楽しみだった、あの窓の絵も、描いてもらう自分の絵も。ひどく熱っぽい体を引きずって家へと辿り着いたのはそれから30分ぐらい後のことだった。

 

 いつもの2倍ぐらいかかった帰路。親の何事かと心配する声を適当に受け流し、コートだけを脱いで椅子へと投げ、暖房を付け、そのままベッドへと倒れ込む。

 

 服を着替える余裕なんてないぐらい体力の限界だった。酷く寒い。震える手で携帯を取り出して、香坂からのメッセージを見てようやく今日がクリスマスイブだと思い出した。

 

「……メリークリスマス」

 

 きっとまだそこにいるだろう彼女に向けて声を投げかける、それから意識が暗闇に飲み込まれていくまであっという間だった。

 

「ありがとね」

 

 そんな声を聞いた気がするが、果たしてそれが寝る前か、夢で見たものかハッキリとは分からない。

 

 ●

 

 ●

 

「それで、結局その話はどうなったの?」

 

 ちょうど一年前、今日と同じクリスマスイブに起きた出来事を一通り話し終えたところで香坂は口を開いた。

 やはりここまで話したからにはその後どうなったのかを、どうしようもない話のオチを話さなければいけないのだろう。

 

「外に長居したのが悪かった、それから風邪をひいて数日寝込むことになったんだ」

「うん」

「その間に全部、何事も無かったかのように消え去ってしまった」

「……なるほどね」

 

 ほんの数日だけノートを確認する余裕が無いほど寝込むことになり、彼女がいつ居なくなったのかも正確なことはわからない。

 満足に身体が動かせるようになってようやくノートから文字が消え去っていることに気付いた。慌てて外に飛び出して駅へと駆けて行って、のっぺりとしたコンクリートの壁を前に俺は立ち尽くすことになって。薬局の壁も、高架下も、彼女と初めて会ったドラッグストアもなんの変哲もない、ただの壁へと成り下がっていた。

 

 結局、彼女がノートに書いた文字も、街中に書き殴った沈痛なメッセージも、あの未完成の絵も、何一つ例外なく全てが無くなって。残ったのは湿気が抜けてボロボロになったノートだけだった。

 

「それってさ、君がその常人には見えない文字を見ることが出来なくなっちゃっただけとか」

「かも知れない、だけどそれじゃ悲しいだろ」

 

 もしかしたら俺が街中を駆け回った時も彼女は付いてきていたのかもしれない、私はここに居ると伝えようとしていたのかも知れない。でもそんな可能性は、あまりに救いが無いじゃないか。

 

「俺は全部解決して、あいつも元に戻ったと信じてるよ」

「まあ、君がそう思ってるなら僕からどうこう言うつもりは無いけどね。残念だね、君の絵を描いてもらえなくて」

「全く、風邪のひき損だ」

 

 気を遣ってくれてるのか、それとも話すことが無くなったのか、香坂はそれ以上特に何も話すことはなかった。

 ほんの少しの考慮の後、俺は言った。

 

「今でも、たまにあの日の出来事が夢だったんじゃないかって思うんだ。……違うな、夢ならばいいのにと思っている。こんなのあまりに救いのない話だ。人から認識されなくなった少女はとっくに死んでいて、自由に絵を描き始めるも完成させる前に消えてしまうなんて」

「かもね、確かに救いのない話だと思う。でも彼女にとって君に会えたのは幸運だったんじゃない?」

 

 思わずカラカラと笑う。そんなのが幸運になるのならば、世の中の大半の人が幸せだと定義されるだろうに。

 

「まさか、彼女を見つけたのが俺じゃ無くてお前だったら良かったのにと思ってるぐらいだぞ。実際お前ならうまく対処できただろうさ」

「どうだか、そもそも僕が見えなかったのは確かな事実なんだよ。そこに『もしも』なんて介在しない以上、代役が居ない中、君は上手くやったと言えるし、ならば褒められるべきだろう?」

 

 まあ、僕が君の立場ならもっと上手くやれたことは否定しないけどね。そう付け加えてウインクした彼の額を軽く弾く。

 呻き声、それを無視して俺は尋ねた。

 

「なあ、俺のこの話を非現実的な冗談だと笑い飛ばさないのか?」

 

 冗談だと笑い飛ばされてもおかしくない。むしろ適当な話の種として話し始めたのに、香坂が予想より真面目に聞いているのが意外だった。

 

「だってさ、クリスマスイブだよ?そんな不思議なことがあってもおかしくないだろう?それに今年と違って去年はホワイトクリスマスだったし、なおさらね」

 

 ドヤ顔で香坂はそう言った。違いない、自分のあげた笑い声は澄み渡った空に飲み込まれていった。

 

「そう、不思議なことといえばさ、まだ俺に彼女ができないのもおかしいと思うんだよ」

「奇遇だね、僕も彼女ができないんだ」

 

 世の中、不思議な事もあるものだ。

 

 ●

 

 家へ道を逸れて駅へと向かう。あの去年の話を初めて人に話して、久しぶりにあそこに行ってみようと思った。

 あの後一度行ったきり、そこへ近づこうとすることはなかった。何か変わってるかも知れない、もしかしたらあの日見た絵をもう一度見えるようになったのかも知れない。

 

 淡い期待はあっさりと裏切られた。あいも変わらず無骨なコンクリートの壁が立ちはだかっている。

 そりゃそうだ。そもそも来る途中であの文字が戻ってきてない以上、こっちだけが再び見えるようになるはずがないのだ。

 

 落胆、ため息をついて振り返って、誰かが俺を見ていることに気づいた。あの日、俺が座っていたベンチにそいつは腰掛けていた。

 

 手に持ったのはスケッチブック、それに筆。思考が停止したのかぽかんと口を開けたまま、こちらをまじまじと眺め続けている。

 もしかして、そんな予感に突き動かされて、彼女の方へと近付いていく。スケッチブックには描きかけの絵が見えた、どこかで見たような窓があった。

 

 彼女との距離は2メートルほど、そこで足を止めて俺はペコリと頭を下げた。ほんの数秒、顔を上げると彼女も頭を下げている。

 しばらくして顔を上げると、彼女はすぐさまベンチの真ん中から端へと移動して、トントンと隣の場所を叩いた。否応なく腰掛けるも、彼女はそれ以上何も話そうとしなかった。

 彼女の手が全く動こうとしないのを覗き見ながら、無遠慮に俺は口を開いた。

 

「……何を描いてるんですか?」

「昔ここで描いた絵を真似しようとして。でもだめでした、あれはあの時こっきりの魔法だったみたいで、憧れにはまだまだ届きそうにないんです」

 

 そう言って、彼女は苦笑した。

 

「きっと、そのうち描けるようになりますよ」

「だと良いんですけどね」

 

 再び会話が途絶え、けれどもその状況に俺は、居心地の悪さを一切感じることは無かった。胸のつっかえがようやく取れた心地良い安心感だけがあったから。

 

「……夢を見たんです、自分の姿が誰にも見えなくなってしまう夢を。誰かに気付いて欲しくて、街中に落書きをばら撒いて」

 

 彼女がポツポツと話し始めたそれは、俺が知っている話と全く同じもので。

 

「ようやく自分の書いた物を見える人を見つけて、けれどもやっぱり姿は見えなくて、そんな彼は無愛想だけど自分のことを付きっきりで助けてくれて」

 

 俺はそんなに偉いことをしていないだろうとは思ったけれども、褒められること自体は気分の悪いことでは無かった。

 

「諦めかけた自分を引っ張ってくれたのも彼だったんです。目標を作ってくれた、そうして私の絵の完成まで見届けて風邪をひいてしまうなんて」

 

 完成はしてなかったと一瞬思ったけれども、それに口出す事は無い。それに風邪をひいたことは気に病むことじゃないのに、俺の勝手だとあれほど言ったつもりなのに。

 

「風邪で朦朧とした意識の中で諦めるなって言ってくれたのを今でも思い出すんです。だから私は、今も生きている。唯一の心残りは約束の絵を描いてあげれなかったことです、それと『またね』と言えなかったこと。気づいたら私は夢から覚めて、病室に戻っていた」

 

「今思えば幸せな夢だったと思うんです。知ってますか、駅の壁に落書きしたら犯罪なんですよ?」

「そりゃ、誰でも知ってると思うよ」

 

 顔をお互いに見合わせて笑う。ただ、よかったと。胸の中にある感情はただそれだけだった。

 

「お久しぶりです。そしてこれでようやく約束を果たすことができる」

 

 貴方の絵、描いていいですか?

 彼女はそう言って、俺は何も言うことなく、ただ首を縦に振ったのだ。

 




すん様(@sun_1200)様から素晴らしいイラストを描いて頂きました!感謝の極み
※許可を得て掲載しております。


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