朝、私は本館の大きなシャンデリアの下、壁際のテーブルと黒いソファーが備え付けられている休憩スペースで一人、タブレットを触りながら座り込んでいた
約束の時間まであと少し、壁に備え付けられている時計とタブレットの時計を意味もなく見比べて、二つとも寸分の狂いもなく時を刻んでいる様子を確認したりと、自分でもわかるくらいにソワソワしながらお迎えを待つ
まだ朝早い時間、建物の奥の方では受付のお姉さん達が目の前のパソコンを叩く音と、出勤してくる社員の人達がチラホラ見えるくらい
そんな中私は学生服に身を包み、大きな窓から差し込む朝日を浴びながらちょこんと一人、ソファーに背中を預けるのだった
「・・・ありすちゃん。おはようございます」
「文香さん!おはようございます」
呼びかけられて玄関を見てみると、出入り口の前に現れたのは、鷺沢文香さん
紺色のセーターの上にカーディガンを羽織った暖かそうな格好で、私を見つけると、目の前に垂れ下がっている前髪を指で少しかき分けながら、私の側まで歩いてきた
「今日はありすちゃん・・・学校ですか?」
「いえ?まだ春休みですが・・・」
「ですが、その格好は・・・」
「へ?あっ・・・」
文香さんが私の格好を見て頭にクエスチョンマークを浮かべていたので、改めて自分の服装を確認すると、そう思うのも無理はなかった
私は文香さんに事情を説明する
「ああ・・・今日が零次さんも言っていた職場体験、ですか」
「はい、昨日の今日なのでどんな服装をしていったらいいのかわからず・・・よくひなさんがスーツを着ているので、私もと思ったんですが急に用意が出来なくて、それでそれっぽいかなって思って学生服を・・・ちゃんとしたものがこれしか」
色も深い紺色だしスーツっぽく見えなくもない、そう思って着てきたが今になって考えてみるとこれで大丈夫だったのだろうか、もっとちゃんと聞いてくればよかった
そうこう考えていると、文香さんがフフフッと笑いだす
「ふ、文香さん・・・?」
「大丈夫ですよありすちゃん。可愛いですから・・・」
「いや、そういう問題では・・・」
それでも尚クスクスと笑っている文香さんだったが、私も私で気になる事があった
「そういえば、文香さん昨日と同じ服装ですね。どこかアイドルの方のお家にでも泊まりに行ったんですか?」
「へ?あっ・・・!」
さっきと私と同じような反応をする文香さん
今までの態度から一変して、慌てふためくように私から視線を逸らし始める
間違いない、昨日事務所を出たときに見た服装とまったく同じだ
ジッと観察している間も文香さんは何だか挙動不審で、縮こまりながらこめかみあたりを指でいじりつつ視線をこちらに向けたり逸らしたり、何かを誤魔化そうとしているような・・・
「そ、そうなんです。他のアイドルの人と・・・じゃなくて、他のアイドルの方のお家にお邪魔して・・・、アレです、そう・・・!ミートスパゲティをご馳走になりに行ったんです!」
「そ、そうですか・・・」
「そうなんです!だから着替えが無かったんです!」
「わ・・・わかりました」
またまた態度を変えてグイグイと私に詰め寄りながら理由を説明・・・というよりは私に無理やり納得させようとしているような様子の文香さんに、私は首を縦に振るしかなかった
「そうですよね、それなら着替えがないのは仕方ないですね。てっきり最近他の皆さんが''あの人''の家に行って遊んでいるっていうのをよく聞いていたのでそうかとも思いましたが・・・」
「んぎゅっ・・・!」
私がそう言い終わり、いい加減これ以上文香さんを観察するのも悪いので視線を逸らした瞬間、文香さんが喉から無理やり搾り出したような可愛い声を発したので再び顔を向けたが、文香さんは私から顔を180度逸らし、背後の玄関の方を向いたままだった
その様子に私は考えた
そうだ、文香さんも大人の女性、''そういう相手''がいてもおかしくない年齢だ
事務所では恋愛が禁止と言われているわけでもないし・・・
それならこの様子にも納得がいく
私の目から見ても、というより誰が見ても容姿端麗で聡明で、何より優しい文香さんだ
世の中の男性が黙って見てるわけがない、私はなんて野暮なことを聞いてしまったのだろう
「ふ、文香さん。すみません・・・」
「・・・はい?」
「私としたことが配慮が足りず。あのっ、私、応援してますから!」
「あ、はい・・・、ありがとう・・・ございます?」
状況が理解できていないようだった
それはそうだ、私が勝手に応援しているだけだ
どんな結果になろうと、私は文香さんを応援する、彼女が選んだ相手なら間違いはないはずだ
「あ、文香さんすみません。私、そろそろ行きますね」
「あら、本当ですね。では、私もこれで・・・、頑張ってくださいね」
玄関の外で、見知った姿の女性がこちらを覗き込み、私に向かって手を挙げているのが見えた
私はそれを見て頭を下げると、自分の荷物を持って立ち上がり玄関へと向かう
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「おはようございます!」
「うん、おはよう。よかったの?何だか話してたみたいだけど」
「あ、いえ。大したことでは・・・あるというかないというか・・・」
外に出ると、そこにはいつものスーツ姿の雛子さんが車の前に立ち、腕を組んで待っていた
・・・さっきそういう話をしたせいかこうしてみると、雛子さんはやっぱり可愛い人だけどよく見るととても美人な人だとわかる
「?」
サラサラで綺麗なクリーム色の髪に、まるで人形の様な可愛らしい顔立ち
目元、鼻、口も小さくて、柔らかそうな唇、そんな唇をキュッと結んで、子どもの様なキョトンとした表情で私に向かって少し首を傾げていた
それが朝日に照らされてより一層輝いて見える
「何?あ、もしかして服になんか付いてる?」
「ああっ、違うんです違うんです!そう、いつもの車と違・・・あれ、いつもの車じゃない・・・」
「うん、そういえば美城プロに乗ってくるのは初めてかもしれない。''コイツ''は」
雛子さんはそう言うと、親指を立てて背後の車を指差す
いつも乗ってくる平べったい黒い車じゃない
先端から後ろまで斜めにスラっとしていて、ボディの白色が綺麗に反射して光っている
前、横、後ろとボディの下側には、まるで地面に傘をして覆う様な、''カバー''と呼んでもいいのだろうか?そんなボディと同色の物が取り付けられており、まさにスポーツカーと呼べる姿をしていた
後ろのトランクには黒くて大きな羽の様なパーツが付いていて、ドアは二つしかない
前から見てみると、ヘッドライトは左右に吊り上がったような見た目で、その相手を睨みつける様な眼光は、目が合った私を貫いてくるかの様だった
「シル・・・ビア?でしたっけ」
「・・・ほう。よく勉強してるじゃないか」
「確か、ファイナル・スピードの東京編でリサさんがコレの黒いのに乗っていたような。S・・・14型ですよね」
「うんうん、間違ってない」
車の前でしゃがみ込みそう言った私に、雛子さんは腕を組んで頷いていた
早速勉強の成果が出たようだ、昨日のロードショーを見ておいてよかった
「じゃ、そろそろ行くか。後ろの席は荷物積んであるから助手席に座ってくれ」
「わかりました」
いよいよ、青葉自動車さんへと向かう
私は立ち上がって助手席へ向かい、ドアを開けた
何か今回の体験で得られるものがあればいいが、その正体自体がまだ何なのかわからない
とにかくやってみないことには始まらないのだ
私はシートに座ろうとしたが
「なんだ、運転してくれるのか」
「へ?あ、えっ?あれ?」
私がその違和感に気づいた瞬間に、雛子さんがそう言った
ドアを開けて固まっている私に、雛子さんはクスクス笑いながら反対側のドア指差す
道路側、車で言う右側だった
私と入れ替わるように雛子さんはドアに手を掛けて車へと乗り込むと、言われた通りに右側へとまわってドアを開き、中へと乗り込んだ
「な、なんだか・・・違和感が凄まじいです」
「ふふっ、よく言われる」
車に乗り込んだ瞬間、シートが私の両肩にフィットし左右に揺れないようにしっかりとホールドされた
まるで私を逃さないように深く沈み込んでいる座面に体を落とし込む、これで簡単には体を動かすことはできないだろう
そして膝の上に荷物を置き周りを見ると、いつもとは違う景色に私は何だか新鮮な気持ちになった
右側からシートベルトを引っ張ってバックルに差し込むのも初めての体験だ、シートの頭の横左右からもシートベルトが伸びているが、これは何なのだろう
「それじゃ、行くか」
雛子さんが車の鍵を差し込んでエンジンを掛ける
すると低く唸るような音と同時にお尻の辺りから地響きのような小刻みな振動が伝わり始めた
車前側の中央付近にあるナビの上に並べて取り付けられた三つの丸い時計のような物が赤く光り、中で針が一周近く動いて戻ると、何かの数値を示しているのか、それぞれがそれぞれの位置で止まり、何かを雛子さんに伝え始めた
私の膝あたりに、邪魔にならないように取り付けられ畳まれている小さなパソコンの様な端末からは、電源が入ったのか緑色の小さなランプが付いていた
「スポーツカーに乗るのは初めて?」
「こういう車は・・・そうですね、初めてです。零次さんの車に似ていますが、あちらはドアが四つついていますし、もっと音が大きかったような気がします」
「あいつの車はうるさすぎる」
雛子さんはそう呟くと、中央の小さなレバーを零次さんと同じように操作してサイドブレーキを下ろすと、ゆっくりと車を発進させた
道中もいつもとは違う光景に私は少し、自分でもわかるくらいに目を輝かせて眺めていると、それを見て微笑んでいた雛子さんに何だか恥ずかしくなって少し縮こまる
それにしても、乗っていて思うが零次さんよりも凄く運転が上手
真っ直ぐ走っていても曲がり角を曲がる時も、物凄く滑らかに走っていく
それを伝えると、あの人達は普段少々乱暴過ぎるとボヤいていた
やはり零次さんには見習ってほしいものだ
それから私の学校のこととか、雛子さんの仕事の話とかを軽く話していると、目的地へとたどり着いた
事務所の前に車を停めると、先に事務所へ入っていてと言われ、荷物を持って車を降りる
雛子さんがそのまま車を駐車場へ停めに行くのを見送ると、私は事務所の扉を開くのだった