赤西さんに代車を貸し、事務所から去っていくと、雛子さんは持ってきた書類を元に''オーダー''というものをパソコンで作っていた
受け付けた仕事をプリントして、バインダーに挟み、工場へと持っていくのだそうだ
大きなバインダーに、チェック項目がいくつも入っている''記録簿''という紙とともに、慣れた手つきで作成したそのオーダーをバインダーへと挟むと、それを持って工場へと行ってしまった
雛子さんが離れた机の隅には、同じようなバインダーがいくつも並んでいた
「毎度様っス、クリーニングでーっス。あれっ?誰もいないっスかー?」
しゃがみ込んでそのバインダーを眺めていると、カウンターを挟んだ向こう側から男性の声がした
私は恐る恐る立ち上がると、そこには透明なビニールに包まれ綺麗に折り畳まれたツナギのような物をいくつか抱え、その腕に大きな買い物袋のような物をぶら下げた帽子を被った男性がいた
「あ、あのー・・・」
「ん?おおっ!お嬢ちゃん、ここにお兄さんか小っちゃいお姉さんいなかったっスか?あー、わかんないっスかね?伝票にサイン貰いたかったんスけど・・・」
私が話しかけると、その男性は片手で帽子を触りながら少し困り顔でそう言う
雛子さんか美空さんの知り合いだろうか?
業者の人みたいだが、私が勝手にサインをしてもいいのだろうか?
そんなことを考えていると、その男性は私の顔を見て少しその表情をしかめる
「あれ?お嬢ちゃん何かどこかで見たことあるような気がするっスね、どこだったっけ・・・ウチの店に来たことあるっスか?」
「あ、いえ。お伺いしたことはないと思います」
「そうっスか・・・うーん、でも本当にどこかで」
ガチャっと、男性が悩み始めたタイミングで工場への扉が開き、雛子さんが戻ってきた
「ん?おお、毎度様。待たせたか、悪い悪い」
「毎度様っス!全然全然、今来たばっかっス。お嬢ちゃんとちょっと話してたっスよ」
「雛子さん、ごめんなさい。呼びに行けばよかったですね」
「いや、いいんだ。ちょっと待ってくれ」
雛子さんは自分の机から印鑑を取り出し、男性から伝票を預かってサインをして、その隅の四角く囲ってある部分に印鑑を押すと男性に返す
男性は返された伝票から一枚千切って雛子さんに渡していた
「はいっ、控えっス。それにしても雛子パイセン、このお嬢ちゃんは一体何者っスか?」
「ああ、ウチの期待の新人だ。よろしく頼む」
「あ、えっと・・・よろしくお願いします」
「へぇ〜、新人ちゃんっスか!若いっスね!」
私がペコっと頭を下げると、帽子の男性も少し笑いながら頭を下げる
しかし、やはりその表情は難しいままだった
今も少し首を傾げている
「でも、やっぱりどこかで見たことあるような気がするんスよねー。雛子パイセンのご家族の方っスか?」
「ここにいるわけないだろ?ほら、どこかで見たことないか?」
「えっ、んー・・・」
尚も悩み続ける帽子の男性に雛子さんが親指を立てて横の零次さんの机を指差す
雛子さんが何回か小刻みにその指を動かしていると、帽子の男性の目がみるみるうちに見開いていき、驚きの表情を浮かべ始めた
「あっ、あぁ!あの、346プロの、アイドルちゃんじゃないっスか!えぇー!?なんでこんなところに居るんスか!ああ!ファイスピのやつ朝観たっスよ!そうだそうだ!」
「あ、はぁ・・・」
「えっと・・・何とかありすちゃんっスね!」
「橘だ、橘ありすちゃん」
そうっスそうっス!とその男性は頷くと、続いて雛子さんが経緯を説明する
「なるほど、お勉強の為にここにいるんっスね。確かに、百聞は一見にしかずっていいますし・・・」
「おお、難しい言葉知ってるじゃないかお前」
「ちょっ、それはいくらなんでもバカにしすぎっスよ〜。で、零次先輩は?」
「いつもの通りだ、これ関係」
そう言って雛子さんは私を軽く指差す
零次さんの仕事の事は伝わっていたのか、それだけ言うとその男性は納得していた
「零次先輩も大変っスね〜。あ、これクリーニングっス」
「はいどうも。ありすちゃん受け取ってあげて」
「はい、おっと、うんしょっと」
「おお気をつけるっスよ、意外と重いっスから」
言われた通りに私は男性からクリーニングを受け取った
確かに、両腕にズシっとくる重さだった
たまらず私は机の上に置く
「じゃ、今日持ってく分は・・・無いみたいっスね。毎度様っス〜、あっ、ありすちゃん。智絵里ちゃんによろしく伝えといてくださいっス!」
「・・・お知り合いなんですか?」
「ええ!智絵里ちゃんとはマブダチっていうか、もう俺たちの妹みたいなものっス!やっとサインも貰えたんスよ!」
「・・・はぁ」
熱心なファンということだろうか?
怪しい。悪い人ではなさそうだが、今度会った時にちゃんと話を聞いておかないと
''俺たち''ってことはファンクラブか何か?
いずれにせよ複数人が同じことを言っていると考えていいだろう
アイドルの中には親衛隊のようなファンの方々も一部いるようだし、その類なのだろうか?
「あの、俺なんか変な事言ったっスかね?」
考え込む私に男性から声が掛かる
「側から聞いてたらただの面倒臭い変なファン」
雛子さんのツッコミに、マジっスか!と狼狽えながら私に弁解するが、聞けば聞くほど怪しい
助けただのマイクロカメラだの不審なワードが続く
やはり一度智絵里さんとお話しする必要がありそうですね
妄想も行き過ぎると犯罪になりかねませんから
「ま、まぁとりあえずよろしくお願いするっス!それじゃあ失礼するっス!」
その場の空気に耐えきれなくなったのか、その帽子の男性は足早に事務所を後にしていった
零次さんのような野太い音を立てながら黒い車が駐車場から出て行く様子が見える
「ありすちゃん、ありすちゃん。そんな恐い顔しないでも大丈夫だ。悪い奴じゃないから、変だけど」
雛子さんに呼びかけられて、私はやっと考えるのをやめた
そんなに険しい表情をしていただろうか?
プロデューサーが同じ様にわけのわからないことを言っていた時と同じような雰囲気だったと思うけど・・・
「おっと、そろそろお昼か。ありすちゃん昼ご飯は?」
「あの、お弁当持ってきてるので大丈夫です」
「そっか、それじゃあ私は自分の分買いにコンビニ行ってくるから。もう少しで零次も姉さんも戻ってくるから先に奥で食べてていいよ。その時にさっきのクリーニング屋の話でも聞いてみるといいさ」
雛子さんはそう言うと、お財布を持ち、コートを羽織って事務所を後にしていった
出て行く際に、扉に吊り下げられている札を''お昼休み中''に向きを変える
あ、このクリーニングをどこに置くのか聞くのを忘れてた
とりあえず置くの休憩スペースのところへ置いておこうと持ち上げたその時、工場への扉が開いた
「さぁー、お昼お昼。あっ、ありすちゃん。あぁ、あの子来てったのか。ごめんごめん重いでしょ?いいよ、私持ってくから」
すると美空さんは私の腕からヒョイッと軽々クリーニングの束を持ち上げて置くの部屋へと歩いていってしまった
凄い、あんなに重いものを軽々と
普段から重い部品とかを持っているからだろうか?
とりあえず、私は言われた通りに自分のお昼を持って、衝立の奥のソファーに座り、広げて食べ始める
「いただきます」
それにしても、こんな風に仕事が進んでいくのか
てっきり車を直すだけかと思っていたが、書類整理に部品の整理、仕事の連絡に、お客さんとのやり取りなど、一言で説明できないほどやる事がたくさんあった
しかし・・・あまりその仕事の数が入って無い様な気もする
どうやって売り上げを稼いでいるのだろうか?
そんなことを考えていると、外からよく聞き覚えのある車の音がしてきた
音が止まりしばらくすると、事務所の扉が開く
「おお、ありす。お疲れ様」
「はい、お疲れ様です。それと、橘です」
「はいはい。・・・なんだ橘さん、テレビくらいつけていいんだぞ?ん?」
そうからかうように言うと、零次さんはテーブルの上のリモコンを手に取り、テレビの電源を入れる
まったく、いちいち気に触る人ですね
とにかく、お昼の情報番組でも相変わらず、私の事がところどころで取り上げられていた
「はぁー・・・」
零次さんは自分の机に戻ると、ため息を一つつきながら車の鍵を机に置き、上着を脱いで、コンビニの袋をその手にぶら下げてこちらへとやってくる
「・・・何ですか」
「・・・いや、別に」
零次さんは何かを言いたげに私の顔を一瞬見るが、すぐに顔を逸らし、コンビニのおにぎりを食べ始めた
何か言いたいことでもあるのだろうか?
「ただ・・・」
「何ですか、じれったいですね」
「いや、頑張れよって話」
普段なら私が反論すると、何かしら憎まれ口が帰ってくるのに、あっさりと受け入れられてしまった
何だ?一体何なんでしょう?この違和感は
「ありすちゃーん!私もご一緒していい?あらー!可愛いお弁当じゃなーい!」
「あ、はい。ありがとうございます。これはお母さんが・・・」
それとも私の気のせいなのだろうか
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「失礼します」
片手に資料を抱え、私は軽く扉をノックした後の返事に、そう一言伝える
お昼休み、誰もいない静まり返った廊下で私は、さらに静まり返る室内へと脚を踏み入れた
「要件は既に先程、社内メールで伝えた筈なのだがね、美城専務」
「その件に関して参った次第です。お昼休み中に申し訳ありません。こうでもしないと直接お話が出来ないと思いまして」
赤い絨毯に、部屋の奥には高級な長机
そしてその上にあるパソコンを挟んで、私はその人物と相対する
高級な椅子へと座り込む、その高齢の男性
「君の言いたいことはわかっている」
「そうですか。それならば話は早いです、今一度、''この件''に関してお考え直しを」
落ち着いた、高齢男性特有の掠れた様な声に私は要件だけを素早く伝える
「だが、これに関しては我が社にとっても重要な課題となっている。君の考えは重々承知だ、しかし今回の一件は既にアイドル部門のみならず他部署の未来にも少なからず影響があるだろう。これが上手くいけば必ず我が社の力になる、この案件を持って来てくれたアイドル部門の事は役員会のメンバーも高く評価していた」
「しかし、会長もご存じでしょう。過去に何があったのかも。私がそう決断したのは他でもない、アイドル本人達を守るため。彼女たちが穢れてしまっては、その未来を作ることも出来なくなってしまいます」
「''それ''に関しては解決したと聞いていたのだがね」
すると男性は私と同じように、机の引き出しから資料を取り出した
そのテレビ局の資料、まるで私がここに来ることを想定していたかのように、事の顛末が調べ上げられていた内容だった
「どうか、''理解''いただけないかね?美城専務。アイドルの方々には何も起きないという事を約束しよう」
「・・・」
その言葉に、私は反論の口を開いた